今からひとつ嘘をつきます
「俺たち、もう別れた方がいいと思います」
「……そうだね」
いつものバーの、いつもの席で、昴大と私は隣り合って座っていた。私が通うこの店に、ある日彼はやってきて、私たちは惹かれ合った。今思えば、私たちは似ていたのだと思う。お互い、何か癒やされない乾きを抱えていて、それをお互いで満たそうとした。しかし、渇きを抱える者同士が寄り合ったところで、何かがどうにかなる訳などなかったのだ。ただお互いが抱える、その閉ざされ、乾ききった中庭の存在を本能で嗅ぎ取って、それでいて見ないふりをしていた。それがどうしようもないところまで来てしまったのだと、今分かってしまったのだ。
「正直、もうどうしたらいいのか全然分からないんです」
そうだよね。私だってそう。
「俺は全然、梓さんのこと嫌いになったとかじゃないんです。でも、何かやっぱりこんがらがってる。俺も辛かったけど、梓さんが辛そうなのも分かってた。これ以上一緒にいても、お互いのために良くないって。そう思うから……」
これですべて終わるのだ。そう思うと、彼と過ごした幸せだった日々が次々と瞼の裏を通り過ぎた。本当は、彼を手放したくなかった。まだ、彼を愛していた。しかし彼の言うように、これ以上一緒にいても、何も生まれない。私は震えをぐっと堪えて深呼吸した。
「分かった。私にも一つ言わせて」
昴大がこちらに向き直った。決意して、私も向き直る。
「今日、エイプリルフールでしょ。だから、今から嘘をつきます」
「はい」
「あんたのこと、心から愛してた」
昴大はスッと息を止めて、見開いた目を潤ませると、その一瞬後には、もう店を飛び出していた。ドアベルがカラカラと喧しく鳴り、やがてパタンとドアが閉まる。ジャズが流れているはずなのに、店は森閑とした。私は、飲みかけのグラスをグイと押しやって煙草に火をつけた。涙が溢れないように、煙と一緒に吸い込んだ。これで良かったのだ。彼を傷付けたけれど、酷い女だったと笑える日が来る。きっとすぐにでも。
「どうしてですか」
マスターが、グラスを磨いていた手を止めて、口を開いた。
「どうして、嘘なんかついたんですか」
「……」
「彼のためにあんなこと言ったのは分かってるよ。だけど、言わないと伝わらないことはいっぱいある。梓さんは、彼のこと本当に愛してた。僕はここで見てたから分かる」
マスターは珍しくきっぱり物を言った。それが、心からの心配からきていることは、私にはよく分かった。
「嘘はついた。でも違うの、マスター」
マスターが怪訝な顔をする。
「私の嘘は、そこじゃないのよ」