背中の傷
「アン、シアの様子はどうだ?」
シアの部屋の前で心配そうに扉を見つめているアンに、僕は声をかける。
「それが……フェリシア様は部屋に篭られたままで、物音一つありません……」
「そうか……」
アンの説明に短く答えると、僕は彼女の部屋の扉の前に立つ。
――コン、コン。
「シア……入ってもいいですか?」
「あ……ど、どうぞ……」
「失礼します」
許可をもらったので僕は扉を開けて中に入ると、シアは暗がりの部屋の中、一人ベッドに腰かけてたたずんでいた。
「隣、座りますね」
「……(コクリ)」
彼女が静かに頷くのを確認すると、僕は隣に座った。
「…………………………」
「…………………………」
僕とシアがいるこの部屋に、沈黙が続く。
窓からは、上弦の月の明かりが柔らかく部屋の中を照らしていた。
「……シア。あなたを悩ませている……追い詰めているものが何なのか、教えてはくださいませんか……?」
うつむくシアに、僕は単刀直入に尋ねた。
それで答えてくれるかは分からないけど、僕は答えてくれるまでいつまでも待つつもりだ。
すると。
「……言いたく、ありません」
シアにしては珍しく、僕に対して明確に拒否を示した。
いつも、僕に優しく微笑みかけてくれるシアが。
いつも、頬を緩めながら頷いてくれるシアが。
それだけ……シアは苦しんでいるんだ……。
「それは、どうしてですか?」
「…………………………」
「ひょっとして、僕があなたの抱えているものを知って、幻滅したりするとでも思っていませんか?」
「っ!?」
彼女の悩みを知っている僕は、言ってくれない理由を的確に指摘する。
当然、シアは勢いよく僕を見て息を飲んだ。
「……だとしたら、僕としてはそちらのほうが悲しいです」
「あ……ち、ちが……」
「僕は、その程度の男ですか……? あなたのことを知って、それで幻滅してしまうような、薄っぺらい男だと思われますか……?」
「っ! そ、そんなこと思っておりません! 二度目の人生で出逢ったギルは、誰よりも優しくて、誰よりも温かくて、こんな私を……誰からも愛されなかったこの私を……っ!」
シアは立ち上がり、僕に必死に訴える。
そのサファイアの瞳から、大粒の涙をぽろぽろと零しながら。
「シア……僕に話してください。僕は、絶対にあなたに幻滅したりなんてしません。ですから……」
僕も立ち上がると、彼女を優しく抱きしめた。
「グス……私、十歳の時に、怪我をしたんです……」
シアは、僕の胸の中で静かに語り始める。
もちろん、聖女とは名ばかりの最低女、ソフィアがやらかした、彼女を苦しめる原因について。
――その背中にある、醜くて大きな傷のことについて。
「私は……使用人の一人に呼ばれ、ソフィアの部屋に行きました。そこで無理やり押さえつけられ、服を脱がされ、裸にされました」
「…………………………」
「子どもの私は、使用人に腕を押さえ込まれてしまったら身動きもできません。そして、嗤いながら現れたソフィアが、こう言ったんです。『お姉様、私の実験台になって』って……っ」
肩を震わせるシアの背中を、僕は優しく撫でた。
「それで……それで、使用人が私の背中をナイフで切りつけたんです! 何度も! 何度も! 痛いって言ったのに! やめてって言ったのに!」
「シア……ッ」
「それでもやめてくれなくて! 背中も、床も、私の血で赤く染まって! ……ずたずたにした後、ソフィアが背中に回復魔法をかけました……でも、あの子の魔法なんて、ほとんど効かなくて……結局、ただお医者様の治療を受けただけで……っ」
ああ……あまりの怒りに、どうにかなってしまいそうだ。
僕は、シアが背中のことで苦しんでいることは知っているけど、現実の彼女はこんなにも心を傷つけられて、苦しんで……っ。
――どん。
「っ!? シ、シア……!?」
突然胸を強く押され、僕は思わずよろめきながら離れた。
「ふふ……私のこの背中を見れば、分かりますよ……」
そう言うと、シアが服を脱ぎ始めた。
僕は……その様子を、ただ黙って眺める。
そして。
「……どうです? 醜い、でしょう……? 私を婚約者にしたことを、心から後悔してしまうほどに……」
シアの白い素肌に刻まれた、無数のナイフの痕。
どうすれば、こんなにも惨いことができるというのだろうか。
「あなたには……ギルだけには、知られたくなか……っ!?」
「そんな傷……こうすれば、簡単に埋まりますよ……」
気づけば僕は、シアを後ろから抱きしめていた。
強く……ただ強く……。
「ね、シア……あなたが受けた傷は、全て僕が埋めてみせます。身体に受けた傷も、心に受けた傷も……」
「あ……」
「だから、あなたは醜くなんてありません……あなたは誰よりも……世界中の誰よりも、美しくて素敵な女性です……」
「あ……ああ……っ」
暗がりの部屋の中、僕は涙を零しながら震えるシアを、いつまでも抱きしめていた。
シアの傷を……心と身体の傷を、僕の心と体で埋め尽くしてしまうまで、ずっと。
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