06 第四局 後輩がパックり咥えようとしてくる……
今現在の星取りは、こちらからみて一勝二敗。
単純な番勝負じゃないので、タイトル戦みたいに「三勝とか四勝すれば勝利」というわけでもない。
と、ここではたと気付いたのが――
(あれ? 結局あと何勝すればいいんだ!?)
自身を見下ろす。
上半身は後輩に剥かれ、すでにない。残るは下半身のみだ。
そして後輩の方はどうだ!?
じっくりと後輩を見回す。
カーディガンなき後の彼女の上半身。
(上に残ってるのは、シャツ――ブラウスかな。それとブラだけ……だよな? ごくり)
それから、下半身……。後輩の下半身は……後輩の下半身で、およそ下半身というものは、下半身を構成するものすべてを含むので下半身というのであって……、つまるところ、下半身そのものが下半身であるがゆえに、それを下半身と呼称できるわけで……。
待て。
後輩の下半身のことを考えすぎて、何がなんだかわからなくなってきた。
冷静に考えよう。
彼女が下に着ているのは、スカートとタイツ、それからパンツ――いやショーツといったほうがいいのか。
(ということは、ええと……、上半身二枚、下半身三枚で、全部で五枚か?)
あと五勝である。自分が剥かれる前に、五つの勝ち星をあげねばならない。だがこちらは下半身のみ。我が身の頼りなさよ……。う〜ん、まだまだ分が悪いな、と思っていると――
「先ぱぁい、そんな舐めるようにわたしのカラダを見て、どうしたんスか〜? やっぱりサカッちゃったんスかぁ〜?」
いやいや、そんなわけないだろ!?
「いいんスよ〜? 先輩なら、わたしのカラダを好きにしても……。もし先輩が、あんなところやそんなところを見たいなら、先輩だけ見てもいいッスし……。もしかして、こんなコトまで!? 見ちゃったり、シちゃったり、させちゃったりシても、いいんスからね〜?」
うん、絶対からかってるよね、こいつ。
▲△
というわけで第四局だ。偶数番はこちらの先手。
(居飛車か振り飛車か。第二局は振って勝ったから……。振り飛車でいくか? でも同じ作戦を続けると手の内がバレやすいかもしれない……。第三局目は流れとはいえ振って負けたしなぁ……。いやしかし……、どうするか、うーん、うーん)
対局前からうんうん考えていると、
「あ、飲み物、入れてくるッスね」
と後輩が俺の分のコップも回収していく。さんきゅ。
そのままパタパタとキッチンへ行きかけたが、ひょいと俺の方を見て、
「ジュースでいいッスか〜?」
「おう、なんでも」
「なんでもって……。それがいちばん困るんスけどねぇ……」
そう言いながら彼女はキッチンへ向かいかけ、ふたたびひょいとこちらに顔を出す。例の妙にニヨニヨしてる表情だ。
「ん? どした?」
「今のやりとり――『なんでも』『なんでもは困る』って、夫婦みたいな会話じゃないッスか?」
「ふ……、う……、ふ?」
夫婦……!? だと!?
「あははっ、ちょっと待っててくださいね〜、あ・な・た☆」
明るい笑い声がキッチンへ消えていった。あのやろう……。
そうはいっても、このタイミングで時間ができたのは僥倖だった。まさに望外の考慮時間といっていい。
おし、今のうちに何かすごい作戦を立てておかねば――
カチャン、キーィ、……パタン。
ドアの開いて閉まる音がして、それから静かになった。
んん? 後輩の気配がキッチンから消えた? 外に行ったわけじゃ……ないな。
「あ、トイレか」
声に出てしまった。
うん、煽り上手のウザコさんも人間だ。トイレくらい行くだろう。
しばらくしてシュコーッという音が小さく聞こえ、再びドアが開閉する。ドアが開いたとき一瞬トイレの水音が大きくなるが、パタンと閉まれば、また水音が遠ざかっていく。
みたび後輩が顔を出した。
「せんぱいせんぱいっ」
「なんだっ」
今真剣に考えてるとこだ。手短に。
「思ったんスけど、あったかいお茶にしてもいいッスか? 先輩、上半身が寒そうなことになってまスし」
もちろん現在の俺は上半身裸だ。おまえに剥かれたからな。
「いや全然寒くない」
「そうッスか……。う〜ん?」
彼女はなおも考えていたが、
「やっぱりあったかいのにします。先輩はなんでもいいんスよね〜?」
「う……まあ、な」
言いくるめられてしまった。
キッチンからパタン、カチャカチャ、シュコーッと準備する音。生活感が出てきた……。
▲△▲△ 数分後 ▲△▲△
「はい、どうぞ〜」
目の前に差し出される、ほかほかとした飲み物。湯呑を受け取る。異国情緒な雰囲気のいい香りが、ふわっと漂ってきた。きれいな淡黄色。
「ジャスミン茶ッスよ〜」
「なるほど。いただきます」
「はい、いただかれまッス」
よくわからないやりとりをしながら、ずずずっと飲んでみる。
「うん、うまい。いいなこれ」
「よかった。気に入ってもらえて、よかったッス」
ほっとした表情の後輩。
「実はそれ、わたしのおしっこなんスよ」
ブブフォッ!?
「あ……、えと、冗談ッスよ?」
「ゲホゲホ……、わ、わかってる……、けど」
「けど?」
「微妙に色似てる気がする」
「え……、先輩、わたしのおしっこの色知ってんスか……?」
ドン引きの表情をつくる後輩。
「知らないよ!」
いちおう彼女が表情を「つくって」いるのはわかる。本気ではなさそうなのが僥倖。
「はっ! ……もしかして先輩、ほんとにわたしの本物のおし……聖水、飲みたいとか思ってるッスか?」
「飲みたくないよ! それに自分で聖水言うなし!」
「あ〜……、でも飲みたいなら先に言っててもらわないと……。さっき出したばっかりッスから、またつくるのに時間が――」
「だから! 飲みたくないよ!」
「まあ、そうッスよね〜」
次の対局の作戦を練る予定だったのに、完全にペースを乱されてしまった。……はっ! もしやそれが後輩の作戦!?
ちらりと様子をうかがう。
正面、盤の真向かいの定位置にちょこんと座り、おいしそうに自分の聖水……じゃなかった、お茶を飲んでいる後輩。
(両手で持って……、けっこう上品な飲み方をするやつなんだな。がさつ系かと思ってた。意外だ)
ぼんやり見ていると――
「それじゃっ、そろそろ続きやりまスか!」
「お、おうよ!」
第四局が始まった。
▲△ 二手進んで ▲△
「……おい、後輩」
「ん〜、何ッスか〜先輩?」
「…………」
俺はすでに平常心を失ってしまっていた。
一方の後輩は余裕しゃくしゃくの表情で、なんかむかつく。
(別にまちがったってわけじゃないよな。余裕そうだし)
先手の俺が角道を開けると、後輩も角道を開ける――と思いきや、そのひとつ内側にずれたところの歩を進めやがった。
△4四歩。こちらの角のライン上に自らの歩を差し出すことになるので、あっさり取れる。いわゆる〈タダ〉の状態だ。
序盤でこんなミスをすることは、よほどの初心者でないとありえないだろう。なのであるとすれば――罠なのである。つまり「取ってみろ」と挑発しているわけだ。
そしてこの戦法を俺は知っている。
通称〈パックマン〉。
タダ餌の歩に、ラッキー♪とこちらがパックリ飛びついてきたら逆に喰らってやろうという、罠だらけのおそろしい作戦だ。
(まじでパックマンかよ……)
この△4四歩はすごく有名だ。俺なんかでも名前を知っているくらいだし。
けれど「そういうのがある」と知っているだけで、この後「具体的にどうすればいいのか」、そして「どうすればこちらがよくなるか」までは、さすがに知らない。
(このまま挑発に乗るか……、乗らないか……)
うだうだ迷っていたら――
「へっへ〜、どうしたんスか先輩? 何を迷ってんスか〜?」
煽ってきやがった。奥歯をキリキリさせていると――
「あ〜っ、しまったッス〜!(棒)」
どうした? いきなりすっとんきょうな声を出して。
「わたし、まちがえちゃったッス。てへ。こっちの歩じゃなくて、こっちを指すつもりだったのに……。いや〜、うっかりしてたッスね〜(棒)」
いや絶対わざとだろ!?
「だから先輩、〈待った〉ッスよ。待った。戻していいッスか?」
指した手を戻そうとする〈待った〉は、基本的にルール違反だ。一度駒から指を離したら二度と戻すことはできない。勝負の世界は厳しいのだ。うん、こいつにもその厳しさを味あわせてやらなければな。今の後輩の「待ったしたい」が嘘なのはバレバレなんだけどな。
「ダメだっ」
毅然とした態度で言い放つ。
「え〜、いいじゃないッスか一回くらい。かわいい後輩がお願いしてるんスよ〜?」
「かわいくてもダメなものはダメっ」
「――! か、かわいいのは否定しないでくれるんスね……」
後輩さんがもじもじし始めたんだが!?
「だーーーっ、もう! ダメなものはダメ!」
「えー、いいじゃないッスか〜、減るもんじゃなし〜」
「だーめー。ぜったい、ダメっ」
頑として俺が認めないからか、後輩はムスッとした表情をしているが、たぶんこれも演技だ。わざとだ。
「ふ〜ん……。じゃあ、先ぱぁい……♡?」
そしてこの口調は……いやな予感がする。
「わたしのスカートのナカ、ちょっとだけ見せてあげるッスから。ね?」
「!」
思わず視線が後輩のスカート――というか布地のしわが集中している部分――彼女の股間に集中してしまう。
「あっ、今わたしの股間をガン見しなかったッスか!?」
「見、見てないっ」
「え〜、見てたッスよね〜?」
「見てないぞぅっ」
「ふ〜ん。そうッスか。あ、でも……」
「なんだよ?」
「先輩が勝てば、わたしのスカート脱がせられるッスよね。……なるほどそれが狙いッスか。後で結局見られるから、今はどうでもいいんスか……」
どうでもよくないだろ!
そんな感じでからかわれ続けたが、その間に次の指し手の決心がついた。おし、ウザ後輩の安い挑発には乗らない! 乗らなければ、いきなりハメ手にハマって、負けて、脱いで――という最悪の事態も避けられる!
後輩の釣り餌には飛びつかず、じっと飛車先の歩を伸ばす。こっちは居飛車でいくぞ。
それを見た後輩の表情が、すっとマジメに戻った。
「お、冷静ッスね……」
こいつめ……。
「まあ乗ってこないのなら、こうッスかね」
後輩は角道を開け、角銀を上げて飛車を振る。〈四間飛車〉だ。
こちらが居飛車で、後輩が振り飛車。〈対抗形〉になった。
これならよくある形だし、ネットでの対局経験も何度だってある。ここからじっくり玉を囲い合う〈持久戦〉か、すぐに戦いを始める〈急戦〉かに分かれるんだが――
(どっちにするか……。だが、これなら簡単には負けない。見てろよ後輩)
俺の体のすみずみにまで、じわりと闘志が広がっていった。