05 第三局 アヒルな後輩
なんとか一勝をかえし、後輩を一枚脱がすことに成功した。
パチ……、パチ……。
緊張の弓がピィィンと張りつめたような室内。駒音だけが静かに響く。
小さな駒の、小さな物音だが、しかしこれがずいぶん大きく聞こえるから不思議だ。
今はまだ第三局の開始前。俺と後輩は、もくもくと自分の駒たちを定位置へと並べ直していた。
「そういえば並べる順番ってさ、ナントカ流とかあったよな?」
「あったッスねえ。王様が最初で次は金銀桂香……でしたっけ? でも飛車角とか歩とか、他の駒ってどういう順番で並べるんだったスかねえ?」
まあ、このくらいのあやふやな知識を持っている者同士の戦いだ。上の人たちから見たら、俺たちの将棋なんて他愛のないものなのかもしれないな……。
しかし俺たちにとっては――少なくとも俺にとっては、ここは真剣勝負の場だった。何しろ脱衣の危機が迫っている。負けたら即脱衣。まったくもって危険極まりない。
▲△
駒を並べ終えた。
すべての駒が整然と位置についている。
これからこの駒たちが躍動する姿を見せるのだ。
不思議なもんだな、と思う。どれだけ駒が激しく動いても、結局このはじめの配置に戻ってくる。そしてまた始まる。
戻って、始まって。
戦って、戦い終わったら、また列んで。
一見ループしているようだが、それは違うと思う。前回までの経験や知見をもとに、次の一局はまったく違う戦いになる。たとえ途中までは同じでも、どこかで別の選択肢に枝分かれして同じ局面は二度とあらわれなくなる。
つまりループしない。ループしているように見えて、少しずつ道が開き、わかることが増え、見える風景が少しずつ広がっていく。将棋というのはそういう不思議なゲームだ。
盤を見下ろし、静かな闘志を燃やしながらそんな感慨にふけっていると――視線を感じたので目を上げる。
ウザ後輩のニンマリした顔がそこにはあった。
「せんぱ〜い、妙に気合入ってるッスねえ〜? そんなにわたしを脱がせたいんスか〜ぁ?」
「そんなわけあるか! 勝負は真剣にやるものだから、そっち方面への気合だ!」
「え〜、でも……。どうッスか?」
「……何が?」
「さっきわたしを脱がして、ちょっとくらいは、えと……、ドキドキしなかったッスか?」
「………………べつになにも」
早口になってしまった。しまった、焦ったのが気付かれたかも?
「ふ〜ん……。そうなん、スね……」
あれ? トーンが少し下がったような。
「ん〜っ、まあ次やるッスかね〜」
言いながら後輩は両手を上げて、ぐ〜〜〜〜っと伸びをする。
ちょちょちょっと待て!? そうするとすでにパツンパツンの胸部がさらに上に持ち上がって、さらにおっぱいが盛り上がって、目が自然に吸い寄せられていって、目のやり場が――
それから彼女は、フッと息を吐いて肩の力を抜いた。
「おっし、では」
「お、おう……」
「「よろしくお願いします」」
▲△
三局目。
先手番になった後輩がどう出てくるかが注目だ。
やや前かがみになり、人差し指を唇の下にあてて考え出す後輩。
「う〜ん、そうッスね……。前二局は、こっちの中飛車に中飛車で返されたッスから。ここは……」
めちゃくちゃ真剣に考えてるな……。
「これでいくッス」
後輩は▲2六歩。飛車先の歩を伸ばす。居飛車できたか。
対して俺は角道を通す。選択肢を多く残し、まだ態度を決めない。
すると間髪を入れず、さらに後輩の歩が伸びてきた。こちらは角を上げて飛車先の歩の交換を阻止。
(次は向こうも角道を開けるか? それとも銀が上がるか? それなら棒銀も警戒しないと……)
と俺が考えていると、
スッ――
こちらから見て右側の端、9筋の歩が突かれた。
(んん? 〈端歩〉? こんなに早く?)
「端歩の突き合いは挨拶」みたいなもんだと言うし、ここは応じてもいいんだが……。
(けど、なーにか、罠っぽいんだよな……)
しかし対応しないと、さらに歩を伸ばされて右端が窮屈になる可能性もある。悩ましい……。
「うーん、んん?」
おっと、無意識にうなってしまった……。
後輩は今どんなふうだろ?
うつむき加減の姿勢で盤面に集中しているっぽい彼女を、ちらっとうかがう。――こいつめ、口だけでニヨニヨと笑ってやがる。絶対罠だ。
けどいいだろう、受けて立とうじゃないか。
パチッと端歩を突き返す。
「お〜、堂々としてるッスね〜」
微妙に上から目線だな、こいつ。
「じゃあ、こうッスかね」
後輩の飛車がふいっと浮く。浮き飛車だ。
(??? なんだこれ?)
意味がわからない。いきなり手損するような手を指されて、俺は固まってしまった。
「ふ〜ん、ふ〜ん♪ ッス。あ、お菓子食べよ」
こちらが考え込むのを見て、後輩がくつろぎだした。
くそぅ、余裕だな……。そう思いながら考える。飛車を浮いたってことは、そこにメリットがあるってことだな。とすると狙いはどこだ? どこに飛車を動かせば得するか――
あ。俺の初手、角道を通すためにひとマス進めた歩を狙ってるのか。
確かこの戦法の名は、〈浮き飛車 ナントカ〉! ナントカのところは覚えてないけど、浮いた飛車がウキウキした感じでやってくる戦法だったはず!
「そうか……」
「ん? 何がッスか?(もぐもぐ)」
「いや、なんでもない」
「そうッスか? このザクザクスティック、ミルクチョコレートのリッチなスウィート感が全粒粉の香ばしフレーバーとのマリアージュで、ファビュラスにデリシャスッスよ」
「おう、そうだな」
「……すげないッスねぇ」
「まあな」
考慮の真っ最中だからな。
(この浮き飛車の対応方法は、たしか……)
「右の定位置にいる飛車を左に動かし、相手の飛車の真向かいに設置する」だったはず。もし後輩が俺の歩をかすめ取ろうと飛車をひと筋横にスライドさせれば、すかざずこちらから歩を突いて逆襲をはかり主導権を握る――のがおもな狙いだ。
ということで飛車を振る。飛車同士が向き合う〈向かい飛車〉。
それを見た後輩が、「ほぉ〜ぅ?」という表情を大げさにつくった。なんかムカつくな。
「……じゃあ、こうッスか?」
ひょいっと後輩の角が端に飛び出す。
これは……〈端角〉! 第二局で俺もやった作戦じゃないか!
そのままにしておくと角が中央に成り込んでくるので、まずはそこを守らなければならない。金銀を上げるとちょっと玉を囲いにくくなるか? 代わりに玉を上げて、ひとまず中央をカバーする。
(もしかすると後輩は、こちらの中央を攻めるつもりなのか? ……あ、なるほど! このまま飛車も真ん中5筋にスライドさせてくる……? あれ? でもそれだけじゃ向こうはまだ戦力不足だが……。そうか! この後、両側の桂馬とかが跳ねてくるかもだな? そうはいくか!)
と対策を練っていると、
「ほいッス」
後輩の右銀が金の上に上がる。続いて左銀も同様。
(??? なんだこれ??)
もうわけがわからない……。
「むふふ、先輩、何がなんだかわからないって顔、してるッスよ〜?」
ぐ。図星だが……。確かに何がなんだかわからない。
それでもうーん、うーん、としばらく悩み、指し手が止まっていると、
「せ〜んぱぁ〜い、早く指してくださいよ〜、日が暮れちゃうッスよ〜ぉ」
催促してきやがった。
「ちょっと待て。急かすな。今考えてる」
「もう……、しょうがないッスね……」
それでもまだわからず悶々としていると――
「じゃあ、ヒントいるッスか?」
「ヒント? そんなのいらん。そもそも真剣勝負中だぞ。相手に教えたりするな」
「え〜、別に答えを教えるわけじゃないッスよ〜。ヒントのヒントくらいッスよ〜」
うん? どうしても教えたいらしいな、この後輩は。ま、まあそれなら? ちょっとくらいなら、いいかもだな? こんなに教えたがってるんだしな?
「聞いてやらんこともない、ぞ?」
「ふっふ〜」
後輩の含み笑い。嫌な予感がする……。
「これッス」
彼女が人差し指でヒントを指し示した。その指の先にあるものは――
「ヒントがおまえの『顔』?」
「ん〜? あたらずとも遠からず? ッスかねぇ」
ニンマリしながら後輩が曖昧にこたえる。
ん? 「顔」そのものではない……と。じゃあ、なんだろ? 顔ではない……。すると顔のパーツに秘密が!?
後輩の顔を観察してみる。じっくりと。
「(じーっ)」
「ちょ……、そんなに見つめられると、恥ずかしいッス……」
ポッと頬を赤らめる後輩……。ナニ考えてるんだか……。
いや、今はそんなことよりもヒントだ。じぃーっとさらに観察していく。
髪の毛は……、うん、サラサラしているな。
おでこは……、うん、前髪でほぼ見えないから、これはヒントじゃないな。
まゆ毛は……、自然な感じに整えてるな。いやみがない。性格はウザいのに。
まつ毛は……、やっぱり長えな、こいつ。
お目々は……、ぱっちり、くりり。透明感のある明るい瞳。「吸い込まれそうな」ってやつだ。
お鼻は……、すっきり鼻筋が通っている。
鼻毛は……、うん、見え……ないな。見えたらやばいな。
くちびるは……、うん、赤いな。ニヨニヨしてるな。
お顎は……、うん、つるんとしてるな。髭とかないな。たまに生えてるよな。女の人でも。
お首は……、ほっそいな。華奢といっていい。あとブラウスの襟からのぞいてる首筋のスジ加減がなんかエロい。
「あぁんっ、先輩の視線がさらにねちっこくなってるッス……。これ以上、舐めるように見つめられたら……いゃん♡」
「あーもう! じっくり観察してるのに混ぜっ返すな! 気が散る!」
「でへへ。それで何かわかったッスか?」
「いや全然わかんね。あ、強いて言えば……」
「言えば?」
「そのニヨニヨしてる口元」
「おっ……、っとと、えと、口元が何ッスか?」
「いかにも『つくってます』って感じで、なんかキモい」
「え〜、かわいいじゃないッスか〜、アヒル口」
「アイドルみたいな人たちがやってるのはいいけど、実生活でやられるとなんかムカつく」
「『ムカつ……』って。あぁ! そ〜ッスかそ〜ッスか。じゃあもうヒントは無しッス」
あれ? ちょっとムスッとしたか?
「ほら先輩、さっさと指すッスよ!」
また急かしてきやがった。
うーん? 結局ヒントはなんだったんだ?
そして数手が進む。進むうちに後輩の陣形は、なんとも奇妙な形に形成されていた。
玉はひとつ上に上がる〈中住まい〉。その両横に銀がくっつき、金は定位置からそれぞれ外側にスライド。まるで何か動物が足を広げているような?
「あっ」
ここにいたって、ようやく後輩の作戦の意図を理解した。そう――
(アヒル……!)
〈アヒル囲い〉という作戦で、守りの両金がアヒルの足っぽく広がっている姿からそう名付けられたと聞く。
歩
歩 飛
角歩歩歩歩歩歩 歩
銀玉銀 【アヒル囲いの一例】
香桂金 金桂香
マイナー戦法だし、「名前はいちおう知っている」くらい。作戦の骨子がどういうのかまでは詳しく知らない。……いや確か、「大駒の飛車と角が大暴れする」だったか?
ん? ということは彼女のヒントは、あの「アヒル口」だった!?
ひょいっと後輩を見ると、
「ガアガアッ」
アヒルの鳴き真似をされてしまった。完全にバカにされている……。
しかしこれはそっちの作戦失敗だろ。弱点がわかりやすすぎる。端に角がいるってことは、そこを攻められると弱いってことだ。前回こちらが端角してたときも、そこはきっちり気を付けていたつもりだ。しかし現在の後輩陣は明らかにそこが弱い。よしっ、ここは端攻めして、一気に優勢に持ち込むッ!
勢いつけて端歩を突き捨てる。
後輩はこちらがぶつけてきた歩を素直に取った。すぐさま俺の香車ロケットが気持ちよく突っ走る。よしッ、角を射程にいれた! このまま端に戦力を集中させれば簡単に突破できるはず――
「ふっふっふ、ッス」
あれ? ここで後輩さんの不気味な笑い声が……。
「はいど〜ん、ッス!」
いきなり後輩の角が俺の自陣に突っ込んできた。
(え!? 角切り? いきなり?)
しかも王手! これは対処するしかない。すると――
あれ? さっき走った香車が向こうの香車にタダ取りされる? しかもその後、飛車を回られ、とられた香を足されたりすると、端からの逆襲を防ぐ手段が――ないっぽい? だと?
(し、しまったーーーー!)
天を仰ぐがもう遅い。あっけなく後輩に端を破られ、小駒をボロボロ取られ、俺の王様は逆サイドにじわじわと追い詰められ、振った飛車と隣り合って、なんとも窮屈になってしまった。
俗に〈玉飛接近すべからず〉という格言がある。「守るべき王様と、攻めの飛車は近づかないほうがよい」という意味だ。だが今の状態は玉飛が接近しまくっている……。というか、くっついてるし。やばい。
形成はすでに悪い。いや、誰がどう見ても、こちらの大劣勢だろう。
(どうしてこうなった……)
理由ははっきりしている。罠とも知らずに、不用意に端攻めをやったからだ。
ぐぬぬぬ……と思うが、まだ詰みがあるわけではない。できるだけ粘って反撃のチャンスをうかがおう……。
▲△▲△ 数分後 ▲△▲△
「ま、負け……ました……」
小さなかすれ声が室内に聞こえ、はかなくあっけなく消えていった。もちろん俺の声である。
しばらく真面目に感想戦をやる。
後輩は、はじめのうちはごく真面目に「この辺はハメ手で先輩側が悪くなるッスから、やっちゃダメッスよ」とか「アヒルは陣形が低くて大駒を相手に渡しても平気なのがメリットなんスけど、中央が薄いのが逆にデメリットッスね〜」とか、「向かい飛車に構えたのは〈好手〉だったッスよね。そこから逆棒銀で攻められるのは、こちらとしてはすごい脅威ッス」とか、今後の役に立ちそうなことをいろいろ教えてくれた。いい子や……。
だが、だんだんからかいたい欲求が真面目さに勝ってきたのか、じわじわとウザい感じが口調に滲み出てきた。
「くふふ……。それにしても先輩、ダメッスよ? 端角が弱そうだからってホイホイ攻めてくるとか。完全に罠じゃないッスか。しっかり誘いにノッてくれて、ニヤニヤが止まらなかったッスよ。ふふふ」
まだくやしそうな俺の様子をおもしろがりながら、半笑いするウザ後輩。
「ぐ。見た感じ、いけると思ったんだよ……」
「むふふっ、あはははは! 『見た感じ』! 『見た感じ』って!」
俺の言葉尻をとらえて笑い転げるウザ後輩うぜぇ……。
彼女はしばらくひーひー楽しげに笑っていたが、ひとしきり笑うとそれも徐々に収まっていった。
「ふふ……、ふふふ……、あ、ごめんなさい。ふふふ。じゃあ……ッスね、ええ、オホンっ」
そして彼女の口調がすこし改まる。
「では先輩、お待ちかねのストリップタイムッスよ〜?」
「待ってないわ!」
「え〜、わたしは首を長〜くして、待ちかねてたッスよ〜?」
こいつめ……。
「で、どっち脱ぎます? 上ッスか? あ、上はもうTシャツだけッスね。ということは下? やだ〜、先輩、下パンツ一丁ッスよ、ぱんつ〜」
心底うれしそうだなこいつ!
くそう……。今まで一勝一敗で、ここからリードを広げるつもりだったのに、こちらの負けが先行するとは……。
とりあえず脱がなきゃな……。うん? なんだか脱ぐのが、さも当然な感じになってないか? ……まあいいのか。
上か下か、としばし考えて
「上、だな」
もぞもぞとTシャツを脱ぐ。これで俺が上に着ているものはなくなった。
「…………」
急に押し黙った後輩が、俺の体をガン見してくるんだが。
「おいウサコ、なんか言え」
「え? あ、あぁ、そうッス……ね。えぇと、ちょっとびっくりしてました」
びっくり?
「意外と筋肉あるんスね。意外とたくましくて、意外と腹筋あって、ガチッとしてて、意外と……その男らしいんだなって……意外だったッス」
おまえ「意外」を連呼しすぎだろ。けど、彼女が「びっくり」したのは、嘘ではなくて本当っぽいと表情でわかる。
自分の体を見下ろしてみる。うーん? そうか? わりと普通? というか最近筋トレさぼってたから腹回りも少したるんでるし。
「腹筋って言っても、こんなんだぞ?」
と言いながら微妙に余っている腹をつまむ。
「ん? わたしとかに比べたら全然シュってしてるッスよ?」
比較対象がおまえ基準かよっ。
「あ、ちょっと力入れてもらえないッスか? おなかに」
腹に力を? よくわからないままグッと力をいれた。多少は硬くなるんだけどな。
「おー、腹筋!」
目をキラキラさせる後輩。
「いやこれくらいは普通だろ?」
言いながら腹をゆるめる。
「そ、そうッスか……、普通ッスか……、ふつぅ……」
やっぱり後輩の頬がさっきから赤いのはどうしてだろう……?
(そうだな、今日からまた筋トレやろうかな……)
こっそり決心する俺であった。
「ふふふ、それに――」
ん? 何かな?
「先輩の、ち〜く〜び〜♪」
きゃー。ウザ後輩ちゃんに乳首を視姦されてるぅー(棒)。
「乳首かわいいッスね〜、せんぱ〜い?」
もうどうにかしてくれ! このエロエロウザ後輩!
ちなみに脱いだTシャツも当然のように奪い取られ、たたまれ、彼女の戦利品となった。