03 第一局 無敵の後輩
後輩との勝負、対局開始! のはずだったのだが――
「――で、どっちが先手?」
挨拶もそこそこに俺がたずねる。
〈先後〉を決めてなかった。最初からぐだぐだだ……。
「うーん? じゃあ、わたしの駒で〈振り駒〉しまスか?」
後輩が提案した。
振り駒は、将棋番組の対局前によく見るシーンだ。
まず解説と聞き手の先生方が、対局者の人となりとか戦型予想とかいろいろ語って、その後対局室の映像に切りかわる。正面の机の前に座ってる記録係の人が唐突に「振り駒です」って早口で言って、将棋盤から駒をとって手のひらに包み、カチャカチャカチャカチャ手を振って、「え? まだ振るの!?」とこちらが思うくらい、さらに長くカチャカチャ振って、それからバッと勢いよく散らすように駒を放り投げるやつだ。
たしか位が高い側の〈歩〉を五枚使うんだっけ?
「いやちょっと待て。そっちの駒で振り駒するってことは、おまえの方が上位ってことだが!?」
「あれ? そうッスけど? 違うッスか?」
さらりと煽ってくるウザ後輩。
「いやいや待て待て、先輩である俺の方の駒でやるのが自然じゃな――」
「え〜、先輩わたしより弱いじゃないッスか〜」
いやまだ一戦もしてないんだが!?
「いやいやいや、俺のほうが強い!」
「わ〜た〜し〜です〜ぅ!」
「おーれーですーぅ!」
そんなやりとりをしばらくギャーギャーしたが、もちろん埒があくはずもなく――
「……じゃんけんにしないッスか?」
「……そうだね」
大人げない俺たち……。
じゃんけんの結果、後輩が先手になった。つまり俺は……じゃんけんに負けた……。
「や〜い、先輩、やっぱり弱いじゃないッスか〜」
やっぱりウザいなこの後輩!
「じゃあ、わたしからッスね〜。ほいっと」
やたら軽いノリで後輩の手が踊る。
ヤツの初手は▲5八飛。いきなり最強の駒〈飛車〉を右側の定位置から横に振り、ドドンと真ん中にかまえる。いわゆる〈中飛車〉だ。
ほうほう……と思いながら、俺は歩を進めて角道をあけた。△3四歩。いろいろ対応できる、万能の一手。
続いて後輩のパチッと小気味良い駒音。彼女の次の手は▲6八銀。後輩から見て左側の銀がピタリと飛車の横にくっついた。
んん? 中飛車だから、中央の歩を伸ばして来るかと思ったんだが……違うのか?
(……しばらく様子をみよう)
俺は飛車先の歩をひとつ伸ばす。飛車を定位置のまま戦う〈居飛車〉でいってみよう。
「ふむふむ……ッス」
俺の手を見て、やたら後輩がうなずいている。何が「ふむふむ」なんだか。
続いて後輩は▲4八銀と指した。今度は右側の銀が飛車にくっつく。
(んんん?? 〈無敵囲い〉だと!?)
王様の真上に飛車を配置し、その周囲を金銀で囲む。一見王様をがっちり守って「無敵」っぽく見えるから、この呼び名がある。
歩歩歩歩歩歩歩歩歩
角 銀飛銀 【無敵囲いの一例】
香桂 金玉金 桂香
結論からいうと、この形はめちゃくちゃ弱い。
両脇が弱体化してスカスカになるので、左右から両面攻撃を受けると大変なことになる。攻め込まれて中央の自分の城に火がついてから、「あ、やべぇ」と逃げ出そうとしても、がっちり囲っている自分の金銀が邪魔をして逃げ出せずにそのまま城ごと大炎上――という展開になりやすい。俺も子供のころは何度もこれで涙をのんだものだ。そして覚えた。これは弱い、と。その経験の裏打ちがあるからこそ、断言できる。
無敵囲いは、めちゃくちゃ弱い。
(うん、こいつ初心者だな。それならこっちは自然な手を指していけば、自然に有利になる。いけるぞ)
このときの俺は、すでに勝った気分になっていた。
――ところが後輩の方は、こちらの予想とはまったく違う構想を組み上げていたのである。そしてその成果を俺はすぐに味わうことになった。
▲△▲△ しばらく手が進み ▲△▲△
(んー? なんだこれ?)
意外な展開に、こちらの内心はずいぶんと混乱していた。
ウブな初心者ちゃんを軽くひねって蹂躙してやろうグヘヘヘ、と思っていたが、
(こっちから攻めるとっかかりが全然ないんだが……)
後輩の飛車――攻撃に関しての最強の駒である飛車は、いまだ中央部分の〈5筋〉に居座っている。向こうから攻めてくるとすると、それはやはり中央からのはず。なのでこちらも中央を強化する方向で対応していたんだが、後輩は予想通りには動いてこなかった。
代わりにその両隣の歩がニョキニョキッと伸び、それに合わせて両銀も進出し、いわゆる〈ツノ銀〉という陣形に発展していた。
スカスカだったはずの左右もいつのまにか整備され、後輩の玉が一つ斜め上にあがり、その空いたスペースに飛車が下がる。
後輩陣の最下段、一段目がすっきりとして、飛車が左右に自由自在に動けるようになっていた。横にびゅんびゅん動くのが列車に似ているので、〈地下鉄飛車〉っていわれているやつだ。
こうなると攻め込むのがなかなか難しい。
ある場所を攻めようとすると、後輩は飛車をひょいっと転回して攻めに備える。「あ、こっちは難しいのか。じゃあ逆から」と思っても、やっぱりそちらに飛車をスライドさせ、ばっちりと受ける。
相手から攻め込むスキを容易に与えない、守備重視の陣形だった。なんだっけこれ? この形どこかで見た覚えがあるぞ……どこかのマイナー戦法を紹介するサイトに載ってて……、なんていったっけな……?
うーん? と名前を思い出そうとしていると、
「ふっふ〜、〈風車〉ッスよ」
と後輩の自慢気な表情。
それだ! 相手の攻めに合わせて飛車をくるくる動かす、〈受け〉主体の戦法!
歩 歩歩 歩歩 歩
歩桂銀歩銀桂歩
金角 玉金 【風車の一例】
香 飛 香
「……よく知ってるなこんなの。実際に見るの、多分初めてだ」
「おっ、そうッスか? やったっ。先輩のハジメテいただきッス♪」
「ハジメテをいただく」とか妙に意味深な言い回しだが、気付かなかったことにしよう……。
うーん? それにしても難しいな。相手の守りのバランスが良すぎる。攻めどころがなかなか見つからない。
こっちから攻めても――うーん受け止められそう。ならばこっちで……ぐぬぬぬ。コノヤロウ……。
突破口を見つけようとして、陣形を組み直したり駒の位置を修正したりしているうちに、こちらの駒組みがだんだんグシャグシャになってきた。対しての後輩布陣はきれいなまま。独り相撲をとらされてる気分だ……。
(だんだんストレスたまってきた……)
「ほれほれ〜、どうしたんスか? せんぱ〜い?」
こちらがイライラしてきた絶妙なタイミングで、絶妙に煽ってくるのが、絶妙にウザい……。
「ほらほら〜、そろそろ溜まってきてるんスよね? ここはバヒュ〜ンと一発ッスね……」
品がないな、こいつ。
だがさすがに我慢の限界だった。ええぃ、このやろう! ちょっと無理攻めっぽいがどうにかなるだろ! いったれ!
意を決して攻めを敢行する。
どりゃーっ。
▲△▲△ 十数分後 ▲△▲△
「……負けました」
絞り出すような敗北宣言。自分の声なのに、まるで自分のものでないような、まるで現実のものとは思えないような。……ああ、これが敗者の味わう辛酸というやつか……。
くやしい、あまりにもくやしいッ!
どこから間違ったのか。無敵囲いのかわいい初心者ちゃんと、なめてかかったのが悪かったのか。……それだと最初から悪かったことになるな。
ぐぬぬぬ、と盤面をにらみ、敗北を噛みしめる。こんなにくやしいとは……。
さあ、ウザ後輩よ、笑いたければ笑え、煽りたければ煽れ。「え〜、先輩、ナニ負けちゃってるんスか〜? 弱っわ!」とかニヤニヤしながら俺をさげすめ。いいぞ、甘受してやろう。だが俺はその屈辱に耐え、忍び、いずれはお前に逆襲の一歩を――ってあれ? いつものウザがらみがこない?
どうにも後輩がおとなしいので盤面から顔を上げると、なにやら真面目な顔をしているんだが!?
「う〜ん、こっちのカウンターがばっちり決まって、もっとあっさり勝てるかと思ってたんスが、意外にうまくいかなかったッスね……」
あ、はい。
「無理攻めしてもらって、そこを〈咎める〉形で反撃するところまでは想定内だったんスけど……。先輩、不利になっても受けがうまいッスね。これは想定外でした。わたしも慌てちゃって、〈手順前後〉で悪くしちゃったり、ところどころ攻め間違えて……」
そうなの?
「う〜ん、まあここは反省点ッスね」
ウザ後輩が普通に〈感想戦〉をやっている……。
「いや、しかし俺はひどかった。何もできなくて――」
と俺は返事をし、それから二人でちゃんと感想戦をやった。
後輩の解説によれば、風車は守備重視の陣形で一見堅そうだが、角や桂馬の頭が弱点になる。そこを目標に攻め込まれると、玉の薄さもあって意外にもろい一面もあるという。あと桂馬が跳んでいるので、〈端攻め〉にも弱いんだそうだ。
解説を神妙に聞く。なるほど、わかりやすい。
ということは、こちらが勝負できる選択肢もあったのか……。ふむふむ、なるほど。次はもう間違えないだろう。いい勉強になった。対面での将棋っていいもんだな……。
「いやぁ、いい経験になったよ。ありがとな」
さっきまでの暗澹たる負の感情の渦はどこかへ消え去っていた。むしろ晴れ晴れとした心持ちがする。そんな爽やかな気分でいると――
「うん、まあ第一局はこんなもんッスかね?」
「そうだな第一局は……。うん? 第一……局!?」
「そうッスよ? じゃあ次やりましょうか」
「お、おぅ……」
こいつは最初から何回かやるつもりだったんだな。てっきり遊びに一回やって終わりだと思ってた……。
「じゃあ先輩」
「何かな後輩?」
「先輩が負けたのでそのシャツ、脱いでくださいッス」
「うん、俺が負けたので……ナニかな?」
「先輩が負けたので、先輩脱いでくださいッス」
「うん? 『俺が脱ぐ』? みたいに聞こえたけど、聞き間違いかな?」
「え〜、負けたほうが服を一枚脱ぐんスよ〜? そういう約束じゃないッスか〜?」
「いやいやいや聞いてない! しかもそんな約束、ひとっ言もしてない!」
「え〜、これは勝負なんスよ〜? 敗者にはペナルティがつきものじゃないッスか〜?」
「いやそれとこれとはな――」
「――先輩」
「……なんだよ」
「負けたッスよね?」
「う」
「先輩、負 け た ッ ス よね?」
「う」
「『う』じゃなくて、返事は『はい』ッス」
「はい……」
「なので敗者の先輩は、勝者のわたしの言うことに従わなければならないのッデス!」
「『デス』って、おまえ言い切りやがって! いやそんなことあるはずないだろ、敗者が勝者の言いなりになるなんて。そういうのはダメッ」
頑として拒否する。ダメなものはダメ!
「え〜、いいじゃないッスか〜。服なんて脱いでも減るもんじゃないッスよ〜?」
いや脱いだら減るだろ!?
「ねぇ……、せんぱぁい♡?」
……どうしたいきなり気持ち悪い声を出して。
「負けたほうが脱ぐってことわぁ……、もし先輩が勝っちゃうとぉ。――イイコトあるかも、ッスよぉ?」
ん? いいこと? いい事、イイコト……、脱衣勝負で起こるイイコトとは? それは……それは? ……はっ、それはまさか!? まさかまさかのエッチなやつなのでは!?
そして思い至る。
つまり次の勝負で俺が勝てば……。俺が勝てればっ。勝ち続ければッ! このウザコの服を一枚一枚剥ぎ取り、白肌映ゆる生肌プルンなエッチな姿を、この俺の眼前にさらけ出させることも不可能ではない! という可能性もなくはない! かもしれない!
つまりこういうことだ。勝者たる俺はアゴ先ひとつでヤツの脱ぐ部位を指定しちゃったりして、「え……こっちから……脱ぐん……スか?」みたいな感じで恥ずかしがらせて、今目の前で余裕しゃくしゃくでニマニマしてる、見てくれはカワイイけどやたらウザったい後輩の顔を真っ赤にさせて、一泡吹かせることが、できる!
そして、すべての勝利の暁には、俺の華麗な駒さばきにすべてを剥かれて、一糸まとわぬ生まれたままの姿で、頬を赤らめて、隠したいところを隠そうとするけど全部は隠せなくて、あんなところやそんなところが、あんなに!? いろいろ!? おまえそんなだったの!? と見えてしまっている彼女のあられもない姿が――
「ん〜? 先輩、ナニ想像してるんスかぁ〜?」
ニンマリした後輩の声に我に返る。ハッ、いかんいかん。
「ま、この調子なら、わたしに負けはないッスからね、へへ〜」
な、なにおぅ……。
「ふっふっふ、どうッスか先輩? わたしが先輩を全裸に脱がすか。はたまた先輩がわたしの全部を剥いてすっぽんぽんにさせるのか。――セイシをかけた真剣勝負といこうじゃないッスか!!」
――カッ!!
と室内に雷鳴が走った――ような気がした。
俺は覚悟を決める。もうこうなったら受けて立つしかない!
あと、後輩の言った「生死をかけた」が「精子をかけた」に空耳したけど、そんなことは今はまだどうでもいい!
そしてついに――俺とウザコの脱衣将棋の戦いの火蓋が、今ここに切って落とされたのである。
次話、16日(土)20:00に投稿予定です。よろしくどうぞ〜……ッス