10 第六〜七局 後輩、豆腐の角でぶん殴り、深窓の箱入り娘になる
第六局が始まってすぐ――
「……おい、後輩」
このセリフを俺は今日、何回も言っている気がする。
「ん〜、何っすか〜先輩?」
そして後輩のこのセリフも、もう何回も聞いている気がする。
いや、確実に何回も言ったし聞いている。決して気のせいではない。
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休憩の合間に〈鬼殺し〉をやってきそうな気配を見せていた後輩だ。だから「あるかもな」と警戒していた。いや、すごく警戒して、対策方法とか思い出そうとして、対局前からそっちばかり考えて、気をとられていた。
だがしかし待てよ? と直前で気づく。たしか鬼殺しは先手のときに仕かけるケースが多かったはず。
今回の先手は俺だ。それなら鬼殺しの可能性は低いかも? よかった……、実は対応方法をよく覚えてなかったんだよな……。
ホッとするのもつかの間、気がつくと第六局の準備がいつの間にか整っていた。
目の前に整然と並ぶ駒たち。
(しまった、今回の作戦がすぐに思い浮かばないっ)
あたふたふする俺。それを見てニンマリする後輩。う……、いやな予感。
そして対局開始。彼女が実際に採用した戦法は――
(〈角頭歩〉かよ……)
角の頭の歩をいきなり突いてくるのが、この戦法の特徴だ。
斜めにしか行けない駒である角は、〈頭が丸い〉と表現されることもある。その上部の丸さ、柔らかさ、無防備さのイメージからか、ネット上では〈角豆腐〉とわざと誤字って書いてあったりするほどだ。
一見無防備な歩を見て、こちらが「お、ラッキー♪」と不注意に取りに行くと、こちらの飛車が歩を取った瞬間に角交換され、相手の桂馬が跳ねた先は、こっちの飛車に見事に当たっている。一応敵の陣地に飛車を〈成る〉ことはできる。龍は作れるけど、次に相手は飛車を振ってぶつけてきて――みたいな感じでどんどん悪い状態にずるずる陥っていくので気をつけましょう! みたいな攻略サイトの解説を、遠い昔に見たことがあったような気がしないでもない……。
――と思い出したのが、すでに今言ったような状態になってからだった。
え!? これぶつけてきた飛車取るの? 取らないの? と迷い、すぐ横に見えている端の香車に気をとられ、「香取れるし、〈駒得〉だから何とかなるだろ」と思って龍で取ったのが運の尽き。
飛車成り込まれ、桂馬を中央に跳ねられ、打たれた角が俺の龍銀を両取りにかける〈絶品チーズバーガー〉の〈好手〉だからたまらない。めちゃくちゃいい手に痺らされてしまった。
その後は、こちらの自陣の駒を左右からボロボロボロボロ、あれよあれよと取られまくり――
「ま、ま、まけ……負け……、うわぁぁぁぁん」
「お〜よしよし、がんばったでちゅね〜」
と後輩になぐさめられるほどの大敗を喫してしまった……。
「こんなのって……、こんなのって……」
あまりのダメージにガクリと崩れ落ちる俺の姿を、後輩は生暖かい笑みをたたえて見下ろしてくる。くそぅ、勝者の高みから下賤のものを見下す目をしてやがる……。
「くふふふ……、先輩、この必敗コースに突っ込んじゃ駄目ッスよ」
とアドバイスを賜る。
「ぐ……。そんなに悪い?」
「一番悪いッス。最悪中の最悪ッス」
ぐぬぬぬ……。
「まあ、角頭歩をマジメに受けないんだったら、角道止めて角交換を拒否するって手が有力ですかねー」
「なるほど……」
「それでもこっちは角とび出して、桂跳ねてって感じで不満はないッス。これも一局ッスか」
「はい……、そうですね」
「ふっふっふ、センセイって呼んでくれてもいいッスよ?」
……何も言い返せない。
「そういうわけで先輩? 脱ぎ脱ぎしてくださいッスね〜?」
御意。俺のストリップタイムがやってきた。
「といっても、靴下片方だけってのが、なんだかッスね……」
そうだな。するりと片方を脱ぐ。これも後輩の戦利品コレクションの一部となった。
「もうこのままギブアップして、全部脱いでもらってもいいんスけど?」
「断じて断る」
「あははははっ」
いい笑いっぷりだ……。
「じゃあ、もう一局やるッスか?」
おうよ、次こそは勝つ! 今の敗戦のダメージがまだきついが、次こそは勝……ちたい……、かな?
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さて第七局の対局開始。俺は早々に角道を止めて4筋に飛車を振り、淡々と陣形を整えた。
なんとなく角道を止めてしまったが、これはさっきの後輩のアドバイスで、「角道を止めて」って言葉が耳に残っていたから――ではない、と思いたい。思いたいが無意識に手が動いてしまった可能性もある。
(だんだん後輩の手の上で踊らされている気分になってきた……)
なんだろう……、このじわじわと外堀を埋められていく感じ。気付いたら周囲を全部囲まれ、何もできず、何もわからないまま身ぐるみ剥ぎ取られているのでは!? 思考が負のスパイラルにはまりかけてる感があるな……。ぶんぶんと首を振る。
「う〜ん? 先輩、まだ序盤なのに、ずいぶん悩ましげッスね?」
「そ、そんなことないぞぅ?」
「ふ〜ん、まあ、そうッスか」
パチッと後輩の指が駒を動かす。
ウザ後輩の方は、今回オーソドックスな居飛車を採用していた。彼女は居飛車と振り飛車、どっちも指しこなすオールラウンダータイプだな。奇襲戦法もやってくるし、とにかく予想が立てにくい。それに加えて他にもまだまだ別の戦法を隠し持ってるかもしれないし……。
今のところ、静かな駒組みが続いていた。
しかしこれはたぶん嵐の前の静けさだ。戦いが起これば、風が吹き、雲がうずまき、雨が吹きつけ、篠突くようなどしゃぶりとなり、どんどん激しくなるだろう。
後輩は自身の飛車先を伸ばしつつ、玉を左に移動していく。守り方は……〈舟囲い〉。対四間飛車でよく出てくる、優秀な作戦だ。
うーん、第四局でも似たような形になったけど、やはりこのあたりが、急戦か持久戦かの分岐点だな……。後輩はどっちで来るかな?
後輩はふむふむと考えている。また指を唇下に当てているな。癖だな、これ。
「よしッス」
後輩の右の金がスッと横にスライドし――
(んん? これは〈箱入り娘〉??)
前提知識として、まず〈舟囲い〉というのは、金銀の船の上に王様が乗っているように見えるっぽいとかで、そう呼ばれている。
歩
歩歩 歩
角玉 金 【舟囲いの一例】
香桂銀金
〈箱入り娘〉は、そこから右の金を王様にくっつけた形だ。王様が急に美少女になって、凹型の箱の中にすっぽり入っている姿をそう表現したものだったはず。
歩
歩歩 歩
角玉金 【箱入り娘の一例】
香桂銀金
箱入り娘のメリットとしては、金銀の連結がよくなって守備が固くなること。
けれどデメリットも大きくて、王様の可動域が狭まって逆に逃げ場所がなくなってしまう。あと実際のところ舟囲いとあんまり変わらない。ほとんど一手パスに近いんじゃないかな。
一応そこから発展させて、〈トーチカ(ミレニアム囲い)〉という囲いにすることもできる。しかしここまで囲われたら、ちょっと攻めにくい。なので、そうなる前にこちらから積極的に動いていきたいところだ。
歩角
歩歩桂歩
銀金 【トーチカの一例】
香玉金
トーチカ……。トーチカねえ……?
「……そういや後輩?」
「何スか?」
「おまえの兎近って名字、トーチカっても読めるな……」
「ん〜? まあそうッスね?」
「いや特に意味はない」
「ふ〜ん、そうッスか?」
いや別に意味はないぞぅっ。名前がトーチカだから、それにあやかってトーチカ囲いを目指してるんだろ? とか考えてないからな!
「あと音読みしたら〈と金〉ッスよ?」
「あっ!」
「え!? 今気付いたッスか?」
「うん……」
「それなら先輩の鳴清って名字も〈成香〉っぽいッスよね。下の名前も香司って〈香車〉の香の字ッスし。香車に縁がある人生なんじゃないッスか?」
「それは俺もちょっと思ってた……。けど将棋ネタのさ、さらにマイナーな成香ネタとか出してもさ、分かる人いなさそうだしな。今まで一度も話したことない。今はじめて話題になって、ちょっと感動してるんだが」
「さびしい人生だったんスね……」
ちょっと待て? 妙に同情されてないか!? ウザコのくせに! うがーっ。
(ええいっ、もうここが攻め時、か!?)
機は熟した。と勝手に思って積極的に動いてやれ。深窓の箱入り娘状態の引きこもり後輩に集中砲火を浴びせてやるぜっ。
今回俺が採用した四間飛車は、基本は相手の攻め待ちの構えだ。相手に攻めてもらってから、その反動を利用してカウンターを狙う。けれどこちらから先に攻める手段がないわけじゃなくて、積極的に銀を繰り出していく手もある。今回はそれで行く!
――結果、やや中央寄りの場所が戦場となった。そして攻防の末、俺は歩を成らせ、と金をつくることに成功する。と金の利点は、働きが金と同じこと。強い。そして取られて相手の駒台に乗ると、ただの歩に戻ること。メリットしかない。
と金を攻めの軸にして、じわじわと攻め寄っていく。大駒の迫力のある攻めや、桂香の飛び道具的な速い攻めはないが、確実に迫っていけば、いけるはず……! そら、もう少しでヤツの金銀を剥がし――
「せんぱぁ〜い、そのと金で、わたしをどうしようって、いうんスかぁ〜?」
「? どうって……」
「箱入りで生娘なわたしの金銀の衣服を、一枚、一枚、ねっとりとした手つきで剥ぎ取って、一枚、一枚、じっくりじゅっくり脱がせていこうとするなんて、先輩はずいぶん鬼畜ッスね〜?」
ぬぁーーっ、言いまわしがいちいちエロいぞっ!
「はッ!? この状況って、今のわたしたちに似てないッスか?」
「今の俺たち?」
「ほら、今先輩は、がんばってわたしを脱がそうとしてるじゃないッスか〜?」
「がんばって脱がそうとはしてないよ! 勝負に勝とうとしてるだけだよ! おまえが脱いじゃうのはその結果だよ!」
「む。引っかからなかったッスか……」
「こいつめ……」
そうは言ってもちょっと焦ったのは事実だ。その心の乱れが手にあらわれたか、ここで俺に〈緩手〉――ちょっとゆるい手が出てしまう。やばっ。こういうのは、駒から指を離した瞬間にわかるもんだな。
それを見た後輩の目がキラリと光った。
「ほいッス」
(いきなり玉側を端攻めしてきた……だと!?)
端の歩を突かれてとまどう。
(取ったら……どうなる? わからん。けどほっといたら? こちらが危なそう……)
突かれた歩を取ると――
「ほいっとッス」
(〈垂れ歩〉だと??)
俺の取った歩のすぐ裏に歩を垂らしてきた。だがこれは香車で取れる。なので香車を走らせて、やっかいそうな歩を払う。
「ほいよっとッス」
するとその香車を狙って、ひかえた位置に桂馬が打たれた。ここでようやく彼女の意図に気付く。あれ? これまずくないか?
(これ、次に桂馬跳ねて、こっちの香車を取られたら、そのまま王手がかかるじゃないか!?)
今狙われている香車を守るには、王様を上げてカバーするしかない。が、そうすると今度は上ずった王様を目標にされて、めちゃくちゃ危ない。
かといって王様を逆サイドに早逃げさせようとすれば、メインの戦場に近づいてしまう。
「ぐぬぬぬ……」
長考に沈む俺。それを見てほくそ笑む後輩。
「ほれほれ〜、どうしたんスか〜?」
「むむむむ」
「早く指すッスよ〜?」
「ちょっと待て、まだ考えている――」
「――10秒」
いきなり〈秒読み〉!?
「はい20秒、いち、に、さんっ――」
ぬあああ、女流棋士の先生みたいなきれいな声で読み上げやがってこんちくしょおぉぉっと思いつつ焦りつつ必死に考える。ここは一旦王様を上げて守り、周囲を固めつつ、と金でヤツの金銀を一枚ずつ脱がし……じゃなかった、金銀を剥がし、大駒と連携させて行けば、なんとかなる……かも!?
秒を読まれるうちになんとか考えをめぐらし、方針を決めて、手を返す。バチッ。
ぜぇ……はぁ……、いきなりの秒読みは心臓に悪いな……ん? 秒読み?
「……ちょっと待て後輩」
「ん? 何ッスか先輩?」
「秒読みがあるって聞いてない」
「え〜、あるッスよ〜」
「ない」
「あるッスよ? 最初にそう言ったじゃないッスか」
「え? あれ? そうだったっけ?」
「そうッスよ、最初そういう取り決めしたじゃないッスか。『急かすのもアリ』っても言いましたよ?」
あ……。そういえばそういうやりとりをしたことが、あるような? ないような?
いちばん最初の対局前の会話をおぼろげに思い出してみよう。たしか――
――なんちゃって秒読みで急かすのもアリで
――……まじか
――ふふふ、冗談ッスよ?
だったような……。ん? 冗談? とすると今の後輩の秒読みは!?
見ると後輩はうつむき加減になって肩がふるえ、口元がニヨニヨ……こいつ! 笑ってやがる!
こいつめ……と思ったが、後輩の剥き出しの肩がふるふる震えているのを見たら、なんとなく言葉が引っ込んでしまった。こいつの肩、華奢だよなぁ……。ほっそいし、小さいし、鎖骨とか、すらっと浮き出ていて、きれいな曲線がいくつも。それなのにその下のたっぷりなボリューム感よ――ってどこを見てるんだ俺は!
こなくそっ。続きを指す。
俺のと金の剥がしが間に合うか、後輩の端攻めが間に合うかの流れになったが、こちらが一足早く後輩玉を追い込むことに成功する。結果後輩の王様が、俺を端攻めするはずの香車の上に、ででんと重そうに乗っかってしまった。これでは香車が全く働けない。いける!
ふっふっふ。後輩は端攻めをしたことで自分の王様の上部をかえってごちゃごちゃさせてしまったな。あたふたしているな。玉の逃げ場が端だけになってしまったのが命取りだっ! それーっ! 攻めろー!
▲△
「ぐあーっ、負けましたッス」
後輩の投了である。
知らずのうちに体に力が入っていたのか、ドッと脱力し、ほーっとため息が出た。勝ったぜ、という高揚感よりも、ようやく勝てた……と、どこかホッとしている感が強い。
「う〜ん、ぎりぎりぽかったッス……か?」
「そうだな……」
「ふひ〜っ」
後輩も息をはき出した。しばらく盤面を見つめている。
「何か、こちらにも手がなかったッスか?」
「いや……どうだろ……、よくわからない。でもいきなり端攻めされて、焦った」
「お、そうッスよね。そのあたりまでは行けると思ってたんスけど……」
というやりとりが、しばらくあった後、
「あ〜あ……」
彼女が力の抜けた声を出す。
「結局わたし、先輩に脱がされちゃうんスねぇ……」
人聞きの悪いこと言わないで!?
「じゃあ……、せ〜んぱぁぃ♡?」
「な、なんだ!?」
「上とシタ……、キャミソールとスカート、どっちがいいッス、かぁ♡?」
何その科をつくった小悪魔的な表情は! おまえそんな表情もできるの!?




