来訪
人生計画というものは、一度どこかで狂いが出ると修正が難しい。
世の中の一片も知らないクソガキだったころに思い描いていた将来図はいったい何だったのか。一年に一度ぐらいの頻度でふと思い出しては、ただ首をひねりくだらないと別のことを考え始めていた。
少なくとも、クソガキの俺にとっては現在の俺は「道を外れている」未来でしかないだろう。
今年で35歳になる俺ことヒイラギ・伊藤の職業は――元傭兵、現便利屋である。
外戦に内戦、とにかく弾と暴力が飛び交いあうC暦2022年。
少なくともミューラシア大陸やヌァメリカ大陸よりは平和な、島国のニポニ国。その中でも訳アリの人間がごちゃごちゃと溜まる場所、ジャコハマタウンで俺は息をしていた。
もう少し平穏に生きたいのであれば他のタウンの方が良いし、現にここに流れ着いてきたころおせっかいな人間たちにそう言われた。
アルコールがアスファルトに染み込み、クスリが散らばり、バイオレンスが暗がりで繰り広げられるところにわざわざ留まることもないだろうと。
確かにその通りだ。
だけどここが一番俺にとっては過ごしやすいのだ。12で紛争地帯へ出稼ぎに行った俺にとって戦場はもはや日常の一部であり、ジャコハマタウンはその雰囲気に似ていて落ち着く。……まあ治安が悪いということなんだが。
今にも崩れそうなアパートの1K。
ふと目を覚まして時計を確認すると、昼の一時になっていた。寝たのが夜明けだったので仕方ないとはいえ昼過ぎに起きるとなにか喪失感がある。
遅くまで何やっていたんだっけ……。そうだ、夜中にたむろしている若造どもをどうにかしてくれと依頼されて、蹴散らしてきたんだった。料理店の前で大騒ぎするのは普通に迷惑であるし、なによりこの街で夜に好き勝手過ごすのは危険すぎる。
ジャコハマタウンはいわば山盛りの火薬だ。暗黙の了解とギリギリの社会性が積み重なってどうにか平穏でいるだけで、ちょっとのきっかけで崩れてしまえば目も当てられない惨事が起きる。
なので依頼も兼ねてお説教もした。命乞いするぐらい泣いていたのでこれで懲りたならもうやってこないはずだ。
礼に貰ったビール缶が転がっている。布団から出るついでに握りつぶしてゴミ箱に投げた。立地が悪いのかすぐに虫が湧く。綺麗好きではないが虫が好きでもないので片づけはちゃんとしなければ。
壁に貼り付けたカレンダーの前に立つ。俺のやっている便利屋は不定休であり、日も時間も定まっていない。依頼が入れば仕事だ。
だが今日は久しぶりに一日空いていた。それでも緊急で依頼が飛び込んでくるときもあるが――せっかくの休みだ。何をしようか。
ぼんやりとカレンダーを眺めているとドアをノックする音が響いた。
なんだ? 俺への依頼は肉屋のおやじを仲介にしているから直接は来ないはずだが。それか命知らずの新聞屋か、宗教勧誘か。
面倒なので気配を消してやりすごすことにする。俗にいう居留守だ。
コンコン、という控えめな叩き方が次第に激しくなってきた。ココココ! とか鳴り出した。遊ぶな。
「クソ……」
威圧すれば帰るだろうか。
ドア穴を覗くと若い女が立っていた。子どもと言っても差し支えがないぐらいの若さだ。
デリヘルなんて呼んだ覚えないし、呼んだとして昼間に指定しないぞ。あと巨乳にする。
そう思いながら鍵を開ける。このアパートにドアチェーンなんていう防犯アイテムは存在しない。
ほぼ殴る勢いでドアを叩こうとしていた少女は、ぱあっと表情を明るくさせる。
「こんにちは、パパ!」
とっさにドアを閉めた。
なんか疲れているのかな……。幻覚かもしれん。久しぶりの休日だし惰眠をむさぼるのも悪くないか。
ドコドコと飽きずに叩かれている。近所迷惑である。
しょうがない。もう一度ドアを開けた。
「お父さんの方がよかった?」
足を差し入れられたので完全には閉められなかった。
少女はグギギと開こうとする。なんだこいつすげえ力だな。
「ちょっと話を聞いてよ!」
「いや初対面の人間を父親と呼んでくる奴とは関わりたくないんで……」
「事実だから仕方ないよ!」
「お前みたいな娘は知らん!」
まさか自分が言うとは思わなかった台詞であった。
本当に誰?
「コリダー内戦に参加していたんでしょ!? モルガって女性の名前は知ってる!?」
その途端、俺の目の前でぱちぱちっと記憶が弾けた。
褐色肌の女が青い目を細めてこちらを見つめていた光景が頭をかすめる。
一瞬力が抜け、そこを狙って少女はバン!とドアを全開にした。
「なんでそれを」
「お母さんだから。わたしはモルガ・ルルデアの娘、フィオナ」
あっけにとられる俺に向かって、少女――フィオナは不遜に笑った。
「続きは部屋の中でしたいんだけど、いい?」