5話『ちっぽけな存在でも』
高崎の攻撃魔術は基本的に使えない。
いや正しくは、扱うこと自体は出来るが、実践ではまるで役に立たないもの……と言うべきか。魔力を精製する力がないこともさることなから、単純に魔力操作が下手くそなのだ。
その為、せいぜい炎魔術はガスコンロ、水魔術は水鉄砲、風魔術は扇風機レベルしか出力が出ない。しかし消費魔力はみんなと変わらない、そして高崎は魔力は作れない。
──だからそもそも使う意味がない訳だ。
………だが、今回は役に立ってくれた。
「──さぁ、こいよ炎の魔獣」
「ギャガガガグルァァッ!!!」
だって、魔獣『ダーガ・ナジュラ』の気を引けたのだから。
高崎は公園へ駆けつけたとき、まぁ驚いた。
魔獣の王とさえ呼ばれる『ダーガ・ナジュラ』がただの公園にいるのだから。
当然のことだが、応援を呼ぼうとした。
この魔獣はとんでもなく強い。サシならばどんな手練れの者でも危ういともいう。そして彼は魔術をほぼ使えないし、銃火器の扱いだって特段上手い訳ではない。
だから、1人で奴に挑むなんてマネはやってはいけないのだ。
──でも。
……それでも、彼は見てしまったのだ。
1人の少女が小さな子を守るために立ち塞がっている姿を。
そして、その少女達が今にも奴に殺されそうな所を。
無意識の内に、応援を呼ぶデバイスの操作を一旦止めていた。
気が付けば、魔獣の気を引くために魔術を使っていた。
冷静に考えれば、あの子らは見捨てた方が返って犠牲は少なくなるかもしれない。
ここで彼があっさり死んでコイツを止められなかったら、この事を仲間に伝えられずに、魔獣による被害は拡大していく可能性だってある。
でも嫌だった。……そんな多い少ないの理論上の計算で打算的に見捨てることなんてできなかった。
少年を庇い立っていた少女を見て、見捨てれる訳がなかった。
高崎は、あの少女が何故そこに立っていたかは知らない。
魔獣からはとにかく逃げろ。
それが学校で習う基本中の基本であるのに、庇うように立っていたその少女の経緯なんて分からない。
……それでも、その勇気をはっきりと感じることができた。
だから、死んでほしくない。と思った。
──だから、この場に今立っているのだ。
「……そっちから来ねぇなら、俺からやらせてもらうぜッッ!!」
そして、彼は数年前と違って無力ではない。
今はそれを実行に移せる程度の“力”は手にしている。
パンパンパァン!!!
高崎は腰に挿していた銃を取り出すと、迷わずヤツに向かって3発射出する。
それは軍用ピストル。A2556である。
ただの銃弾以外にも、魔力をコーティングした弾を低魔力消費で飛ばせる優れものだ。
……まぁ、今は通常弾をぶちかましたのだが。
──しかし。
ヤツはなんてことなさそうに炎の魔術を放ち、銃弾全てを着弾前に燃やし尽くした。
「マジかよッッ!?」
彼は思わずそう叫んだ。別にこれで殺せるとは考えてもなかったが、正直全てを炎に消されるとは思ってもいなかったのだ。
ふと脇を見ると、少女たちがどうすればいいのか分からないと言うように立ち尽くしていた。
「コイツは俺が何とかする! 早く逃げろ!!!」
彼女らを急かすように高崎は叫ぶ。固まっていた2人も、ようやく目が覚めたように、現在の状況に気が付いたらしい。
転がるようにして、急いで走り逃げていった。
──これで、ひとまずは安心だ。
……そして当然、この先も勝算がゼロという訳でもない。
これは“時間稼ぎ”だ。もうここには今高崎1人しかいない。
もう、あの子達は狙われることもないのだ。
そう確信した彼は、奴を睨みつけながら後ろ手で緊急時の応援要請ボタンを取り出してそれを押す。
この信号を受けて援軍が来るまでなんとかすればいいのだ。“自分が倒す”必要はない。
そう確認したと同時に、奴は飛びかかって来た。
その速さは凄まじい。普通なら避けられまい。
「──ッッ!!!」
しかし。
彼はそれをギリギリ跳ぶように“かわした”。
その素早い動きに、それを予想していなかった魔獣は少し体勢を崩す。──チャンスだ……ッ!
バンッ!!! その様子見て、すかさず1発撃ち込む。
……が、やはりそれもすぐ様燃え尽きてしまう。
そのギリギリの攻防に、彼の額には汗が流れる。
急速に迫りつつある死への実感。場数慣れなど到底していない彼にとっては、今の一交えだけで足が震えそうになった。
……でも。
それでも、彼は避け切ることが出来た。──何故か?
「……ちくしょう。ここに来るとき、あらかじめ強化魔術組んどいてホントに良かった………いやマジで」
そんな心の底からの気持ちを外に吐き出しつつ、彼は額の汗をゆっくりと拭う。
そう、彼はここに来るときに、急ぐため。
そして、もしものとき戦うためにも身体強化の魔術を自身に使っておいたのだ。
──まぁ強化といっても高崎の魔術程度では、反射神経と身体能力が少し上がる程度ではあるが。
因みに魔術の威力が弱いのは、単純に魔術の才能があまりないから、というのもある。それにたかが2年しか魔術を扱ってない人間ごときでは練度もかなり低いということも大きい。
また、確かに高崎は魔力は生成できないが、その分は背負うタイプの魔力タンクで今も補っている。
ただし、戦時用のモノではないので大した容量はない。
それでも、取り敢えず高崎は魔獣の攻撃をかわすことができた。ギリギリではあるが、何とかなった。
しかし、何度も避けられるとは限らないというのは事実だ。
──でも。
ガキンッ!!
更に何回か奴の攻勢を躱わした後、遂に勢い良く振るった爪が思い切り高崎に命中した。1トン程にも迫るその体重がかかった一撃、当然生身の人間が受ければひとたまりもない。
普通なら、死んでいるはずだ。
しかし。
「…………あっぶねぇ……」
高崎は生きていた。
両腕で顔を庇うようにして防いだのである。
その腕も鈍い痛みはそれなりにきてはいるものの折れることはなく、切り裂かれた服の奥の皮膚はほぼ無傷であった。
もちろん今のは、本来腕ごと引き裂かれる場面だろう。
なら何故なのか?
「やっぱ、あの防御魔術がまだ効いてたってことか……。ホント天才魔術師なんだなアイツ」
高崎は、どんなインターバルや持久走でも感じたことのない心臓の鼓動を感じながら一息ついた。
──そう。
前にテラが掛けていた防御魔術が守ってくれたのだ。
普通防御魔術は精々10分でも続けばかなりいい方であるが、既に20分近くは経っている。いや、むしろ効果は徐々に高まっていたのではないだろうか?
……本当に、テラという男は世界屈指の天才らしい。
その後も高崎は、『ダーガ・ナジュラ』の攻撃を躱して受け止めていった。
奴の攻撃は少しずつ荒れてきている。たまに銃弾を撃つことで少しずつではあるものの、危機感を与えられているようだ。
攻撃の合間を活用し手に持つ銃をすかさずリロードしながら、彼は少し安堵した表情を見せた。
(いける、これなら増援が来るまで堪えられる……ッ!!)
──しかし。
この時、彼はヤツを甘く見ていたのだ。
そして、人生ではじめての魔獣との戦闘を、舐めていた。
何回かかわせた所で、高崎佑也は1年半訓練を受けた程度の普通の人間だということ。
防御魔術も絶対でないということ。
何故コイツが『魔獣の王』と呼ばれているのかということ。
そして。彼は所詮、一度も殺し合いなどする事なく17年ほど平和な日本で暮らしていたガキだということ。
──その意味をしっかりと考えるべきだったのだ。
そんな何回かの攻防の末、遂にいくらか距離を取った。
それを見た高崎は、こっちも貧血気味の体が重いし疲れていたから正直助かった……と思った。
でも違った。一旦間を作ったわけではなかった。
奴は遠距離から炎魔術を打ってきた。
……まぁそれに関しては当然予想できていたことだ。
「──くそッッッ!!!」
高崎は横っ飛びでそれを避ける。
するとその炎の軌道上の先、つまり後ろにあった木が一瞬で灰になってしまった。
「...........おいおい......マジかよ......」
思わず変な笑いが出る。自分の血の気が引くような感覚を実感出来るほどにその恐ろしさを感じる。
あれをまともに食らったらどうなるか。……考えたくもない。
だが、奴の攻撃は止まらない。
休むことなく、次々と炎の脅威が高崎を襲う。
それをなんとか回避していくが、このままでは直撃も時間の問題だ。
「……ちくしょうがッッ!!!」
彼は攻撃の合間を見て、急いで石で出来た塀に退避する。木ならともかく、石で出来た壁なら恐らく耐えられると思ってだ。
すると──。
「これは……?」
その塀の傍に、綺麗な首飾りが落ちていた。
表面は綺麗な黄金色をしており、光沢が空の明かりを美しく反射している。よく見れば、そこには小さな少年と優しそうな顔をしたお婆ちゃんの写真が飾ってあった。
(………まさか)
高崎はある予感を覚えながらその首飾りをポケットにしまう。確信ではないが、“これは回収せねばならない”と感じたのだ。
そして、高崎は再び一息ついた。
塀からちらりと見ると、奴はまだ離れた場所に立っていた。
「ここなら接近してこない限り、多少は持つだろ……」
そう安心したように声を漏らす。
──だが。
ジュワァァァァ!!
「……おい、嘘だろ……?」
その刹那、高崎の視界は全てが地獄と化した。
奴が恐らく、壁に向かってその燃えたぎるような炎を打ち込んだのだろう。厚いコンクリートの壁があっという間にオレンジ色に染まって液体と化す。なんと氷のように、一瞬で溶けてしまったのだ───。
もし、もたれかかっていればどうなっていたのか。思わず高崎の口から笑いの声が漏れる。もはや、じっと隠れられる場所はないらしい。
しかし、だ。奴の放つその魔術の連射速度は決して速くない。
それに逆に考えれば周りの壁も1発までなら身を守ってくれる。それなら、魔術で強化されている今なら普通に回避も可能なのだ。
………いや、まだ甘かった。
そんな程度の攻撃で済ませる奴が、魔獣の王とまで呼ばれ、長きにわたって人々に恐れられる存在になる訳がなかった。
奴は距離少し縮めたかと思えば、またこちらへと炎魔術を撃ってきた。一方の高崎は、回避の態勢を完全に整えている。
しかし、……それは規模が違った。
もう避けられるとかそういうレベルものじゃない。
まるで炎の壁が迫って来るかの如く広い範囲の魔術だった。
「……いッッ!!!?」
結論から言えば、避けられなかった。
防御魔術も表面の肌を焼く炎には弱い。あくまで打撃に関する防御のために筋肉や骨を固めるのが中心だからだ。
幸運というべきか、広範囲に薄く炎を広げる攻撃だからか、体が一瞬で溶けることはなかった。
……しかし、やはり思い切り全身に火を纏うこととなる。
「ごっ!!? ばッッッッ!!??」
叫びにならない声を上げながら、彼は吹き飛ぶように転がる。服に燃え移った火を消すためではあるが、うまく消えない。燃えていたのは幸い上着だけだったため、業を煮やした彼はそれをすぐさま脱ぐ。
「クソッッ!!!」
痛い。体が硬くなってても火傷は完全には防げない。
………やべぇメチャクチャ痛い。
しかし魔獣は休む暇を与えない。
今度はまた炎の弾を何発も打ってくる。これは当たったら終わりだ。体の一部すら残らず消え去るだろう。
高崎は火傷の痛みを堪え、何とかそれをギリギリで避けていく。一発の火の粉が顔に掠り、頰が線状に軽く焼けた。
そしてついに今度こそ、攻撃に間が空いた。
「──はぁ、はぁ………!」
彼は、疲労を隠せずに息を切らす。
戦いが始まって、流石に5分は経っただろうか?
もう分からない。ずっと戦っているような気さえ起きてくる。
そして、高崎の身体の疲労は溜まるばかりだ。血が不足する身体は限界に近くなってきた。既に足は軽く笑っている。
──しかも、防御魔術もいつ切れてもおかしくない。
でも、そろそろ仲間も来るはずだ。
……耐えろ。あともう少しだ。
「ギャガアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!」
突然、魔獣が凄まじい声量で吠えた。
だが威嚇じゃない。もっと別の何かだ。肌でそれを理解する。
──そして、その予感は正しかった。なんと奴の周りから、1体2体、3体と、人型の何かが出てきたのだ。
あれは何だ? ……見たことがない。魔獣……なのか??
その見た目は人というよりゾンビのような感じである。体は所々まるで腐っているかのように崩れ、目は赤く光り焦点が合っておらず何を考えているのかも分からない。
よく分からないが、とにかく奴は仲間を呼んだということだろうか? ……ならマズイ。非常にマズイ。
1体相手でももう死にそうだったのだ。こんな奴らまで加わったらあっさり終わってしまう。頼む、違ってくれ。
だが、奴らはそんな彼の願いを簡単に踏みにじってくれた。
なんと、協力するように一斉に突撃してきたのだ。
「……クソがッッ!!!」
彼は叫びながら、迷うことなく奴らに発砲する。
しかし、だ。
遂に、こういうところで彼の甘さが出てしまった。
高崎は軍において、もちろん銃の訓練こそしっかり受けたが、それはあくまで訓練に過ぎない。本番とはわけが違うのだ。
本当の殺し合いにおける、ミスれば死ぬという状況。相手は意思を持った動く的、我を殺さんと迫りかかってくる恐ろしい存在。そのような状況下においては、ただの練習とはまるで勝手が異なる。
──故に。
彼は迫り来る3体の脅威の内、1体しか無力化できなかった。
「ごばッッッ!!!?」
焦った高崎は銃のグリップを使った近接格闘術でなんとかいなそうとするも虚しく、残りの2体のゾンビ野郎の体当たりをまともに食らった。 その力で後ろに背中から地面に落ちる。
……しかも、それは“かなり痛かった”。
肩甲骨から落ちたせいかその部分がひどく痛み、その衝撃のままに頭も軽く打ってしまい少し視界ふらついてしまっている。
──ついに、防御魔術も切れてしまったようだ。
「……ひっッ!! よ、寄って来んなッッ!!!」
高崎はそんな絶望的な推測をしつつ、震えた恐怖の声をあげる。喰らってしまった本格的な鈍い痛み、様子見などすることなくただ自分を殺そうと迫ってくる敵の恐ろしさ。それら恐怖の実感が遂に実感となって彼を襲う。
今まで極限まで集中していて、アドレナリン的な物質がドバドバ出ていてくれたおかげなのか。こんな殺し合いを騙し騙しやれる強い闘争心を生み出していた心の強さが、一気に彼の中で決壊しつつあった。
とにかくその目の前の恐ろしい敵から逃れるため、後退りながらも立ち上がろうとしたが、それを奴らは許さない。
今度は近距離から風の魔術を放ってきた。
──当然、突然の攻撃に対し回避など出来ない。
「がァッッッ!!!!!?」
高崎が力なくまともにその暴風を全身に浴びた。
5mは吹き飛ばされたか。幸い頭からは落ちなかったが、足首を捻るようにして着地してしまった。
多分折れてはいないだろうが……これでは立つのも辛い。
──しかし、それでも収穫はあった。
吹き飛ばされたことで、奴らとの間が少し開いたのだ。
これなら、一回状況を立て直すことも出来るかもしれない。
そう考えた彼は、痛む足首を気にせず立ち上がり。すかさず銃で反撃を始めようとする、が。
「死ねクソがッッ!! ……あ」
悪態をつきながら、腰に挿している銃を再び手に取ろうとしたが、彼はそこで最悪の事実に直面する。
……“撃とうとした銃が手元にない”。
吹き飛ばされたときに、失ってしまったようだ。
彼が辺りを見回すと、それは容易に発見できた。
しかし。
(マジかよ……最悪の状況じゃねぇか……!?)
彼の銃は、奴ら謎のゾンビ野郎の足元に無造作に転がっていたのだった。あれでは撮りに行くことなど到底できる筈もない。
「ググガゲァ……」
すると、奇妙な唸りを上げながら、奴らはそれを“拾った”。
……しかも、奴は銃口を“こちらに向けてきた”。
それを見た彼は、驚愕と動揺の渦に呑まれる。
確かに魔獣は基本的にただの動物よりかは知能が高い傾向にあるとは聞くが、流石に銃を扱えるという話は聞いたことがない。どういうことだというのか……ッ!?
いや、そんなこと考えている場合ではなかった。慌てて彼は即座に転がるように逃げる。
……しかし事態は、悪い方の予想に沿って進んだ。
なんと、奴はそのままこっちへ向かって撃ってきたのだ。
1発目は外れた。2発目も。
でも。
「がッ!!? あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!??」
3発目が高崎の左のふとももに命中した。
弾は貫通した。傷口から血が勢い良く出始める。
高崎は力なく、膝から崩れ落ちた。
首を動かして傷口を見ると、破けたズボンのところから染みるように鮮血が溢れていた。回復魔術を使いたいが、頭に詠唱する余裕はないし、相手もその時間を許してはくれまい。
それに。もし時間があっても、今は魔術なんか使えない。
“魔術は激しい興奮状態ではうまく扱えない”。それがこの世界の鉄則なのだ。
まぁつまり。
高崎は、この状態で合計4体を相手にしなければならない。
──終わった。そう思ってまった。
もう無理なのかもしれない。そんな諦観した感情が彼の脳を駆け巡る。
そして、最後はボスに譲らんとばかりに、奴らは『ダーガ・ナジュナ』へ目を向けた。奴もそれを理解したようで、ついに高崎に向かって突撃してくる。
今の状態でそんな猛攻が避けられるはずがない。この先待っているのはどうしようもないただの死だ。
──高崎は素直に。そして、直感的に自身の死を感じた。
しかし。
その化け物が目の前にまで迫ろうとする中、視界右に“何か”を彼は見つけた。
「…………はっ!!」
それを見て、高崎は何故か急に笑い出した。その表情には、もう恐怖や絶望は消えてしまっているように見える。
──その、途端であった。
もう彼の目の前に迫ろうかとしていた魔獣が、急に真横に吹き飛ばされる。
それは物凄い威力であった。
ヤツは抵抗虚しく、30mほど先の岩壁に叩きつけられる。その大きな壁には、あまりの威力に大きなヒビが入り、今にも崩壊しそうになっているのが確認できた。
……まるで、突如大爆発でも起きたかのようであった。
高崎はそれを横目に確認すると、その衝撃波が飛んできた方へと振り向いてこう言うのだった──。
「……ったく、もうちょい早くきてくださいよ。危うく死にかけたじゃないっスか」
「おいおい、助けて貰っといてその言い草はないじゃろうに。
それにワシはお前より30は上なんじゃぞ? リーダー」
──その視線の先には、1人の老兵が立っていた。
ランス=スコットホール。特任部隊で最年長の54歳。
……しかし、今もなお圧倒的な実力の持ち主だ。
それを表すかのように、体は衰えを思わせないほど鍛え上げられ、見る者を圧倒する。また身につけている軍服には、数多くの勲章が誇らしげに輝いていた。
彼は、29年前のウラディル共和国との現在最後の全面戦争である『第4次アルディス=ウラディル戦争』に従軍していた、今となってはもう軍内部にも数少ない人物だ。
そしてその戦争で参加した攻勢と防衛において、全て最前線に立って大活躍をし、その全ての作戦を成功させたという正真正銘の化け物である。
そしてその業績をもって、アルディス王国を導いた本物の英雄と、全国民に崇められた男だ。
しかし、その時“事件”が起こった。
軍司令部のミスで、ある防衛戦に敗北。その際に相棒でもあった弟を亡くしてしまったのだ。それ以来、軍部に対し反逆的な態度をつくようになった……らしい。
しかし、軍も迂闊に彼を殺したり首にしたりはできない。ランスは民衆の英雄なのだ。殺したら暴動も起きかねん。……ということだ。
だから上層部は、彼を『特任部隊』に実質的に“左遷”した。ようするにこの部隊は元を辿れば、彼を上手いこと飛ばすために作られたモノなのである。
現在では上層部のメンバーは体制も変わり、彼はもう上に対して特に悪感情はもっていないようだが、何故かランスはここから離れたくないと言っていると聞く。
──まぁそれはさて置いて。
もう一度言うが、ランスは強い。
だから。
「ほいっ!」
どんっ!
「ギャガガガッッ!!!?」
「そーれっ!」
ぐしゃ。
「「………グ、ゲ……ガ……」」
ランスが攻撃をする度に、魔獣たちがおもしろいようになぎ倒されていっていた。その様子は最早ヒーローショーの最後のシーンである。魔獣の王『ダーガ・ナジュナ』も、彼の前では最早虫ケラ同然なのだった。
……因みに。
先ほどから聞こえる掛け声は、一応『魔術詠唱』である。
そもそも、魔術は『詠唱』を必要とする訳ではないのだ。
この世界の魔術とは、即ち“自身の思い”。
つまり心中の意識と、魔力の分解による莫大なエネルギーとを掛け合わせて起こす現象だ。
要するに、“その2つをうまく掛け合わせられるのならば、詠唱など“全くの無駄”なのである。
……しかし、一般的に決められた詠唱には、意識をうまくコントロールしやすくする働きがあると言われている。
だから、大抵はその掛け合わせの純度を大幅に高める為に、
ほとんどの者は決められた詠唱を行うというのが定石なのだ。
因みに現在は、基本的には魔術名のみを詠唱する軍人としては一般的な方法と、その前にさらなる長い詠唱を行う初心者向けの魔力コントロールの方法がある。
しかし最高峰の才能と長年の感を持つランスは、そんな事をせずともほぼ最大出力で魔術が放てる……という話である。
そして──。
そんな無双の間、高崎は自身に開いた風穴を防ぐために回復魔術を行使していた。
正直出血量がヤバい。さっき落下して吐血したばっかなのに、今も思い切り出血していては本気で命も危ういのだ。
「“母なる神よ、その威光を我に賜びたまえ”。
ヘルダ・ユマラ!…………よし」
彼は慣れない回復魔術を慎重に行使する。
──なんとか成功した、ようだ。
……といっても、せいぜい傷口を薄い膜で塞いだようなモノだ。とりあえず出血を止めたようなモノに過ぎない。安静にしておかないとまた開いてしまう。
「……ふぅ」
しかし、それでも彼は腰をついて一息つくことが出来た。
あとはランスがやってくれるだろう。だから彼は、隅っこで横になることにした。
──けど。
「オラァ!! …………あ」
ランスの攻撃は魔獣を吹き飛ばす程の威力だ。
当然、魔獣だって必死にかわす。なら外れた攻撃で、周りに何かしらの被害が出るのは必然といってもいいかもしれない。
ようするに。
ぐしゃ。
「 ……が、あ……」
気がつけば、高崎はランスの攻撃の流れ弾をくらっていた。
直撃ではないが、当然のように激しく吹き飛ばされている。先ほど塞いだ風穴も、再び綺麗に開いていた。
というか、別の所にも傷口が増えてないか?
「よくも貴様、ウチのリーダーをッ!!!」
「………いやちょっと待て、今のはアンタ……だよね? てか、マジでヤバい……死ぬ……ダメだ、意識が朦朧、と……」
がくっ
高崎はここで本当に気を失った。その意識が消える直前、エレナ達の声がうっすらと聞こえた気がする。
それなら助かるんだけど……。
もしかして、似た声の人に三途の河の向こうからでも呼ばれてるんじゃないだろうな??
【ぷち用語紹介】
・A2256
現在アルディス軍が採用している軍用拳銃。
その名の通り、2556年に開発された最新の重火器で、魔術と組み合わせた使用に様々なケースを想定し完璧に対応した世界で最初・そして唯一のピストルである。
因みに、頭文字はアルディスを意味する。
・第四次アルディス=ウラディル戦争
2530年代に発生した両軍最後にして最悪の軍事衝突。
燿朝末期の東大陸の混乱に乗じた、当時のウラディル共和国の指導者が、アルディス国境内に軍を進行させた事件により勃発した。奇襲攻撃に始まった戦争は4年間に及び、両軍・民間人合わせ520万人が犠牲となった。