最終話 『アトラ大陸の新秩序』
『あー、建隆の奴負けちゃったの?』
また、何処かでそんな声がしていた。
しかし、今度は何もない場所ではない。そこは薄暗い地下だ。
1人の屈強な男と、声のみの“何か”が会話をしている。
「はい、それで東大陸諸国には大きな影響が及ぶと……」
『まーそうだよね。あーあ。これじゃあ“計画”は残念だけど、一時的に失敗ってとこかな』
冷静に、言葉とは裏腹に何の抑揚もなくそう呟いた。
………それだけしか、言及できることはない。
何故ならば、彼(?)の姿は決して“確認できない”からだ。
そこには少し空間の“歪み”は確認できたが、それ以外には何もなく、決して姿が見えることはない。
『うーん、彼にはアトラ大陸全てを1つにしてもらう予定だったんだけどなぁ』
「結局、奴がそれ程の人物ではなかったのでしょう」
『──まぁそうだろうね、きっと』
素直に“ソレ”は認めた。
その言葉の裏には、一体どういう意味が隠れているのか。
『風早は欲望と残虐さが足りなかったみたいだど、彼は“技量”が足りなかった。……ということになってしまう訳だね』
その後一旦、空間に静寂が訪れた。
そして、珍しく少し悩むような声で言った。
『それにしても、“計画”では、両国は完全な膠着状態になる予定だったのに。……一体何があったのかな?』
「それについてですが……」
前もって言う事を用意していたのか、スラスラと口を開く。
「“例のヤツ”が、また本件に絡んだと報告が来ています」
『──なに、“彼”が? ……まさか“彼”がまたこの誤算を引き起こしたとでも?』
信じられない、とでも言わんばかりに“ソレ”は思わず言う。
その驚愕は、彼も今まで聞いたこともないモノであった。
「そのまさかです。彼によって風早は焚きつけられ、奪還作戦を決行した……という報告が来ております」
『──ははは、うん。おもしろいねぇ』
気がつけば、“ソレ”の声は抑揚のないものに戻っていた。
『特別な能力もない一般人が、2度もやってくれるなんて。
──これはもう、ただの誤算じゃなくて、この“計画”における“イレギュラー”。……そう言った方が適切になるのかな』
「ならば、そろそろ“対策”でも練らなくて良いのですか」
“対策”。……この場所においては即ち“殺す”ということだ。
『うん大丈夫だね、今はまだ泳がせておこう。“彼”は放っておいて自由にさせておけばいい』
「……………いったい、何故です?」
その当然とも思える疑問に、彼は簡潔に答える。
『そんなの簡単な話さ、──“そっちの方が面白い”。
何の障害も回り道もなくゴールに達しちゃう事ほど、ツマらないことはないのだからね』
その言葉に、男は唾を飲んだ。
──そうだ、“ソレ”はこういう奴だった。
自身が楽しめれば、人が死のうが“自身に害が及ぼうが”構わない。……そんな風な。
『──それに、私は彼に“興味”を持ってるんだ。この世界に彼を連れ込んだ者として、彼の動きは観察に値する。
まぁ今回は結果的に違かったんだけど、“彼”の動きが“良い方向”に動く可能性もあるんだしね』
それに、男は反論することはできなかった。
いや、“元より“反論などできるような立場ではなかった”。……と言うべきか。
『でも“計画”を止める訳にもいかないし。
……うん、そうだね。ここは一旦別の方向性でいこう』
「──と、仰りますと?」
男は“ソレ”の次の言葉を促す。
『“西”だよ、………つまりディンサール大陸。
今回の件を実際はどうであれ、彼らは三大国であるアルディス王国と正朝がその繋がりをさらに強めたと受け取るだろう、だがこれを快く思わないってことさ』
その言葉に眉をひそめた男を見て、“ソレ”は笑った。
「だってそうだろう。それじゃあ今まで保ってきた三大国の勢力“三つ巴によるパワーバランス”が崩れることとなる。勿論形式的なものだったとはいえ、その変化によって不利となる彼らはそれを受け入れる訳にはいかないだろう。
そういう意味では、今回の件は私にとっても都合がいいのかもしれないね。
──ま、まずあっちに早いとこ団結してもらおうかな』
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そして、7月8日。
この日、正式に内戦の終結の宣言が為された。
反乱の首謀者であった雅建隆や桑炎らは永都にある刑務所に一旦収監され、その判決は後日出ることとなっている。
──しかし風早の演説もあってか、世論は建隆擁護の声も少なくなく、国中の敵という訳ではなさそうだった。
そして共和政建国の宣言がなされ、第1回総選の開催が発表。
しかし、それまで国家政府が存在しないというのも無理な話である。そういう訳で、新政府樹立までの期間は、各地方都市の長や元議員などが組織して立ち上げた臨時暫定政府によって国家が運営されることが解散前に正朝国会で正式に決議された。
またブラーデン帝国に関しては。
例の密約通りに正国の影響下にない新政府の樹立がなされた。
どこの国の支配的影響も受けない、新しい国家『ブラーデン民主国』が形成されることが決まったのだ。
さらに、同日にはヨークヘレナ条約が締結。
ウラディル共和国にとっては、正国(暫定)との関係としては特に何もなかったものの、アルディス連邦王国へは南カドナ地域の割譲というなかなかに厳しい内容となった。
………が、元より南カドナは他民族地域であり歴史上においても常に両国勢力の取り合いとなっていた地域である。
結果的にはアルディス領扱いになるものの、ウラディル側が過去に建設した鉄道や港等に関してはその権益の保留、領内におけるウラディル系民族の保護・及び移住希望者への援助、沿海の漁業協定の取り決めなどの合意を含めた対話を進めていく事が確認され、これまでの長年に渡る対立関係を克服した同地域における事実上の協力・共有関係の構築が協議されるという。
また、現政府自らの解散はあったものの内政に干渉することはなく、こちらも野党第一党の共和党が組閣する穏健派新政府が樹立することとなった。
三国による今後の部分的な協力体制についても確認が行われ、アルディス連邦王国はウラディル共和国に対して戦後復興等の莫大な資金援助を行うことも決定。
超大国であるアルディスと正朝との経済的・軍事的にも及び得る協力の申し出はウラディル共和国としても大きなメリットであり、国内的には一部の者の不満こそあれど、周辺国との戦争にウンザリしつつある民衆からの賛同も多いという。
──こうして。
東大陸北部においてはほぼ全ての地域が、協力的な民主的国家という状態になったのだった。
──そして。
“大正民国”首都『永都』にある宮廷の裏庭。
煌びやかさと自然そのままの美しさが調和したその空間に、美しい花々に囲まれた、1つのお墓があった。
そして、1人の男がその前に座っている。
それは…………、風早だ。
「──楓。ようやく俺は“あの時”から、抜け出せそうだよ」
目を瞑りながら、そのお墓の前で彼は言った。
その顔は、なんだか少し何かが晴れたように明るかった。
それは、今までは決してここではしていなかったであろう顔だったのだろう。
コツ・コツ・コツ──。
後ろから足音がするのに気がついた風早は、振り向いた。
「すみません。俺も手を合わさして貰ってもいいですか?」
それは高崎だった。
その突然の訪問に、風早は軽く笑みを浮かべる。
「勿論。色んな人が来てくれる方がアイツも喜ぶだろうしな」
そう言われて、礼を言いながら高崎はお墓の前に立つ。
それはこの地では見慣れないが、高崎は“よく知っている”形。
そこには、いつか彼が置いたのであろう。
1枚の防水加工がされた写真があった。
──そこには、幸せそうに笑う1人の女性の姿。
きっと、……いや間違いなく彼女が“風早楓”なのだろう。
「──綺麗な人ですね」
高崎が素直な気持ちを呟いた。
「あぁそうだろう。何せ俺の大切な大切な人“だからな”」
決して、過去形なんかじゃない。
風早はそう伝えるように、そう言い切った。
「でも、そう心の底から思えなかった時期もあったんだ」
彼は、神父に懺悔をするように、辛い顔でそう言った。
高崎は黙って聞くことしか出来なかった。
「辛くて、もういっそのこと忘れてしまえば楽になるんじゃないかと。そう思うこともあった」
彼の様子を見れば、そこに偽りはないことは容易に知れた。
「──でもダメだった。あいつとの“約束”を破るなんてこと、俺には出来なかったんだ。
……それにそんなことしたら、怒られちゃいそうだしな」
「風早さん……」
最後に何かを誤魔化すよう笑った彼は、どこか遠いところを見ているような、そんな感じに見えた。
「アイツは、今の俺を見てどう思ってるんだろうな。
自分のことを忘れようとしながら、他の女と戯れてた上に失政を冒したクソ野郎とでも思われてても仕方ないのかもな」
「──そんなことはないですよ。きっと」
そんなありふれた後悔の言に、高崎ははっきりと反論する。
「風早さんはずっとここまで頑張って来たんじゃないですか。いつも心でみんなを思って行動して。
……まぁ、今回は結果的にそれが変な方向に行っちゃったのかもしれないですけど」
「……経緯なんて関係ないだろ、大切なのはどうなったかだ」
その言葉に、高崎は軽く頷き理解を示しながらも言い返す。
「だったら、これからその分取り返せばいいんです。
どんな人だって失敗することはあります。……大切なのは、それをどう取り戻すかなんですよ?」
そんな彼の励ましの言葉に、彼は苦笑しつつ。
「……君は強いな、高崎」
「そんなことないですよ、自分の大切な奥さんを亡くしても、再び立ち上がった風早さんの方がずっと強いじゃないですか」
高崎はそう微笑み、そして少し悲しそうな顔をして。
「──風早さん。実は俺も“救えなかった”ことがあるんです」
「………なに……?」
風早が突然の独白に戸惑う中、彼は言葉を続ける。
その目は真剣そのものだった。
「俺の場合はただ請け負った救出任務だったんですけど、目の前で少女の命が果ててしまう瞬間を見たことがあるんです」
高崎が“そのとき”を思い出したのか、唇を噛み締める。
それは1年近く前の、特任部隊に配属され間もないころ。
──彼は決して、強くなんてない。
魔術は全然使えないし、身体能力もズバ抜けている訳ではない。
……それでも、“諦める理由”になんかは絶対ならない。
彼は一般人ながら、そう確信していた。
「──だから少し分かるんです、なんとかしたくて行動したのに、それが出来なかったその時の気持ちが」
そのときの生々しくもある記憶を思い出したのか、高崎が一瞬歯を食いしばるような表情をした。
……が、すぐに元の真剣でいて優しげな顔つきに戻る。
「俺もそのときはひどく後悔しました。己の弱さを悔いました。なんで俺はこんなに無力なんだろうって。
──でも、気がついたんです。それならこれからは2度とそんなことを起こさないように強くなればいいんですよ。例えどんなに悔やんでも過去は変わらないんですから」
「……そうだな、全くもってその通りだ」
風早も同意する。……いや同意するしかなかった。
彼の言葉は自分に突き刺さる正論を叩きつけていたのだ。
「風早さんも、まだ立ち止まる訳ではないんでしょう?」
「──あぁ、そうだ。そうに決まってる」
風早の目が再び変わる。
それにはさっきまでの後悔の念などまるで見当たらなかった。
それはまるで、“いつかの”彼のような。
「……ってことはつまり、風早さんも立候補するんですね」
「───あぁ、そうしようと考えている」
高崎の問いに、風早は簡潔にそう答えた。
「どうやら、俺は思っていたより恨まれてなかったらしい。
てっきり処刑でもされるんじゃないかと思ってたんだがな」
そんな彼の本気で言ってそうな言葉に、分かりきったことを聞くな、と言わんばかりに高崎は一蹴して笑う。
「まぁそりゃあそうでしょう。確かに間違ったことをしてしまったのかもしれないですけど、それでも風早さんは正朝を世界一の国家に戻した英雄なんですから。もちろん多少非難する人こそいれど、本気で嫌って吊るしてやろうとか思ってる奴なんてそんなにいませんよ」
それに救われたように、彼は笑いながらもう一度こう呟いた。
「なぁ、やっぱりお前は“強い”よ」
「……世界的大国を治めてた皇帝陛下に直接そう言われるなんて、こっちに来た時はまるで想像してなかったですね」
「──そりゃそうだ。俺だってまさかこんな立場になるとは思ってもなかったからな」
まぁ今は“元”だけどな、と風早がそっと付け加えた。
そうして、2人で笑いあうのだった──。
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それから取り留めもない話をして、1時間ほどが経った。
高崎が自身の腕時計へと目を向ける。
「そろそろ、帰らなくちゃいけない時間みたいです」
「そうか、お前にも帰らなくちゃいけない場所があるもんな」
風早のその言葉に、彼は頰を掻きながら苦笑いする。
「──出来ればこのままでもいいんですけどね……はは」
帰ってしまえばこの先も、またくそったれな無茶な任務でも押し付けられたりして多くの苦労が待ち受けているであろう。
そんな想像で、高崎は思わず頭を抑えた。
………本当に亡命したい気分である。
──まぁ、でも。
「一応ですけど、心配しれくれてる人達もいるんで」
「うん、いいことじゃないか。もしかして君の大切な人か?」
「そんなんじゃないですよ。ただの仕事仲間とかです」
高崎がそんな事を真面目に返しながら、背中を見せた。
そんな彼に、風早は最後にこう告げるのだった。
「──頑張ってくれよ、英雄」
「……ちょっとやめて下さいよ、あなたとは違ってそんな大層なモンじゃないっすよ俺は。……そっちの方こそ、“もう一回”やり直せるように頑張って下さいね、応援してますから」
高崎がそう言って歩み始める。
風早はそれが次第に遠くなっていき、遂には見えなくなるまでの間それを見守っていた。
そして1人になった彼は、小さく呟く。
「──本当に、ありがとな」
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そして、次の日。
正朝から帰国するべき集った特任部隊のメンバーが、その渡航を経てアルディス王国王都空港に降り立っていた。
今回の件を踏まえて、早速両国では官民を含めた航空便による交流も始まることが決まったのだ。……まぁ正式には当然のことながら準備等があるのでまだ始まっていないので、彼らは特別に送迎されてきたのだが。
彼らは大きな荷物を背負いながら、出口に向かって歩く。
「そういや、例の組織の奴らはどうなったんだ?」
「あぁそれなら……あれからまた残党どもを捕まえて、もう殆どは捕まったらしいぞ。例の改造人間まで作ってた施設とかも、ようやく全てを押さえたって話だ」
そりゃ良かった、と高崎が安堵する。
2ヶ月前から続いた因縁は、どうやらようやく晴れたらしい。
──あの改造人間を作った彼らのことは、高崎には決して許せそうになかったが。
「……いやぁ、本当に疲れた。ようやく帰ってきたな」
「そうですね。なんだか懐かしい空気です」
「ま、みんな無事で何よりだな」
高崎、テラ、ルヴァン。
全員が帰ってこれた事に、ようやく心を落ち着かせているのだった。──あれほどの事件があったのだから無理もない。
「……そういや、結局あの国。正朝はどうなっちまうんだ? 俺にはよく分からねぇんだが」
ルヴァンが、一番今回の騒動の中心にいた高崎に目を向ける。
彼はそんな疑問に、分かりやすくこう告げてやった。
「まぁ多分、風早さんが選挙に勝つと俺は思うよ。んで、新しく大正民国となって、再び大国として君臨するんじゃない?」
「──いやそれじゃ、結局変わってねぇじゃねぇか?」
ルヴァンが目を細めて、呆れたように言う。
しかし、高崎はそんな彼に確信を持ってこう答える。
「──いやいや、変わってるだろ。これで正国の人達は、“民衆の意見が反映され組閣された政府”に、“しっかり自分らの意思を伝えられるようになった”って訳だ」
おーい!! ……という声がした
そんな声に反応して顔を上げると、その先にはエレナをはじめとした特別任務遂行部隊の面々が並び揃っていた。
エレナの隣には、1人の少女も立っていたが。
「おー、歓迎ムードだな」
「……なんだか嬉しいですね。まるで主役の気分です」
全くだ、なんて彼らの軽口に適当に同意しつつ。
鞄を肩に掛け、腕を組んで彼はこう締めくくるのだった。
「まぁでも選挙が実際にどうなるかはまだ分かんないけどさ。
──東大陸には暫くの間、平穏が待ってるんじゃねぇか?」
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──そして。
今度は“何もない空間”で、また声だけがあった。
『いやあ、面白い。本当に“彼”は面白い』
今までの彼の様子を見返していた“ソレ”は、心から楽しむように少年のように笑っていた。
……しかしそれもつかの間。“ソレ”は残虐さを知らない幼児のように、楽しみはそのままに、不気味にこう言うのだった。
『──そうだ、彼にも“風早と同じ状況”に陥って貰おう。
そこで、“彼”は今後一体どういう物語を紡ぐのか。……考えただけでもゾクゾクしちゃうなぁ』
そして。
───世界が突然、光輝き始め。
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──ここは日本の片田舎。
そんな場所に、2つ並んだ家屋があった。
その1つの2階には、1人の少女がいた。
茶色かかったショートカットで、学校から帰ってきたばかりなのか制服を着ていたその少女は、机に座って何かを見ている。
「………あれから、もう2年くらいか」
そう悲しげに呟く。
机の上には、“突如”として姿を消した少年の写真があった。
──彼女は、“ちゃんと彼のことを覚えていた”。
「………アイツ、やっぱりもう……」
その少年のことを考えていた、そのときだった。
突然、彼女の目の前が光に包ま、れて────ッ!!




