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授業が全て終わると、僕はさっさと教室を後にした。
一緒に帰る連れもいないし、ダラダラしていても何も無いからね。
それに、学校が終わったら、会いに行く相手がいるんだ。女じゃないよ。親友の所さ。
クラスでは孤立しているけど、友達がいないわけじゃない。一人だけ、親友と呼べる相手がいるんだ。マヌーっていう奴で、僕の家は三番地だけど、そいつは五番地に住んでいる。学校から家へ帰る途中に、マヌーの家はあるんだ。
マヌーは僕やクラスメイトのような水袋じゃなくて、ブリキのロボットだ。それで、いつも動きが何となくカクカクした感じになっている。錆付いているわけじゃなくて、元からカクカクしているのが仕様らしい。
親友だって言ったけど、傍から見ると、たぶん僕とマヌーの関係は奇妙な感じだと思う。それは、マヌーが僕と同年代じゃなくて、もう30歳を越えているからだ。
ただ、実年齢は僕より高いけど、中身は小学生レベルなんだ。だから、むしろ僕の方が兄貴分という感じだね。
だけど、僕は尊大に振舞ったりはしないよ。安岡みたいに醜い生き物になりたくないからね。ただ、マヌーには頼りないところがあるから、何か行動を起こす時には僕がリードすることが多いんだ。
僕は自分がリーダー気質だとは思わないんだけど、マヌーのことは、何か面倒を見てやろうっていう気になるんだよね。
それは不憫だとか、同情しているとか、そういうことじゃない。あえて言うなら、父性に近いのかもしれないな。まだ僕は子供だし、息子を持った経験は無いから、それが正しいのかどうかは分からないけどさ。
僕は寄り道をせず、まっすぐにマヌーの家へ向かった。
クリーム色の壁があって、焦げ茶色の門があって、小さな庭がある。
その庭で、マヌーが一人遊びをしていた。ゴムボールを空に投げて、それをキャッチする動きを繰り返していた。
自分で投げているのに、何度かキャッチに失敗している。そんなに高く投げているわけじゃないのに、動きが危なっかしいんだよね。
「相変わらず不器用だな、マヌーは」
僕が笑いながら言うと、マヌーはパッと顔を向けて、嬉しそうな表情を浮かべた。
いつもマヌーは、僕が下校する頃になると、庭に出て待ち受けている。
マヌーは働いていないから、一日中、ずっと自由行動なんだ。でも、僕以外の友達はいないから、僕が学校に行っている間は、一人で遊ぶしかないんだ。
「やあルイ、今日もハッピー?」
マヌーが尋ねてきたけど、それは彼の決まり文句のようなもので、顔を合わせると、いつも同じように質問して来るんだ。
「ああ、ハッピーだよ」
僕は答えたけれど、実際にはハッピーなんかじゃない。今日だけじゃなくて、ずっとハッピーとは無縁の日々が続いている。
だからって、そんなに憂鬱な人生ってわけでもなくて、まあ平凡な暮らしってことになるのかな。
すごく嬉しい出来事とか、すごく気持ちが高揚する体験とか、そういうのは、最近は遠ざかっている。
心からハッピーだと感じた出来事っていうのは、小学校時代まで遡らなきゃいけないかもしれない。
パッと思い付いたのは、太陽がギラギラと照り付ける夏の日の出来事だ。
その日、僕は外に出て、虫眼鏡を使って太陽光線を集めていた。それで、集めた光で紙を焦がして、穴を開けて遊んでいた。
それはそれで悪くなかったけど、僕はアリの行列を見つけて、そっちへの好奇心がウズウズしたんだ。
だから、虫眼鏡を一匹のアリに当てて、そこに太陽光線を集めることにした。
そしたら、アリが身悶えしながら、チリチリと焼けて動かなくなったんだよ。これは面白かったね。
それで僕は、次々にアリを焼いて、どんどん亡骸を作っていった。すごく暑い日で、汗がダラダラと流れ落ちたけど、そんなのが気にならないぐらい没頭したね。
あれは楽しかったな。
アリを焼き殺すなんて残酷だと思うかもしれないけど、どうせ僕らは道を歩く時、そこを横断しているアリを知らない内に踏み潰しているんだ。
それに、蚊が飛んでいたら殺虫剤を噴射して殺すし、ハエを見つけたらハエ叩きで殺す。
それを考えたら、アリを焼き殺すことなんて、ちっとも残酷じゃないよね。
踏み潰すのと焼き殺すのと、やり方が違うだけで、結果は同じなんだから。
その後も、何かワクワクする出来事があったような気もするけど、今すぐには思い浮かばない。
ってことは、アリを焼いたのは、かなり僕にとって大きな出来事だったんだろう。
そういうのをハッピーと称していいのかどうかは微妙な気もするけど、でも楽しかったんだから、ハッピーなんだよ、きっと。
ただ、不思議なことに、アリを焼き殺す遊びは、その日だけで終わりにしたんだけどね。楽しかったのなら、翌日以降も続ければいいのに、やめてしまった。
なぜ終わりにしてしまったのか、その理由は良く覚えていないんだ。たぶん、何かあったんだとは思うけど。
それに限らず、僕は肝心なことを忘れてしまうことが少なくないみたいなんだ。
つい最近も、母さんから
「あれだけ空手をやりたいって言ってたのに、全く口にしなくなったねえ」
と言われたんだけど、そんな記憶は全く無いんだ。
でも母さんによると、僕は小学生の頃、空手の選手に憧れて、自分も習いたいって頼んだことがあったらしい。軽いノリだとか、一日で忘れちゃうというレベルじゃなくて、数週間に渡って執拗に頼んだらしいんだ。
そんなに入れ込んだのなら、僕は絶対に覚えているはずなんだけど、これっぽっちも記憶に無い。だけど、母さんが意味の無い嘘をつくとは思えないから、たぶんホントなんだろう。
っていうか、そんなに執拗に頼んだのなら、空手を習わせてくれたら良かったのに。どうせ長続きしないからって、母さんは僕の頼みを聞き入れていないんだよね。
まあ今の僕が覚えていないってことは、確かに長続きしなかっただろうから、その判断は正しかったんだけどさ。
ともかく、そんな風に、僕は幾つか記憶が欠け落ちているみたいなんだ。
何か脳に欠陥でもあるのかもしれない。
だからって、それを調べるために病院へ行こうとは思わないけどね。病院に行って病気と診断されたら、もう確実に病気ってことになっちゃうからね。
もし実際は病気でも、病院で診察を受けなかったら、それは病気にならない。それに、基本的に病院ってのは、死ぬために行く場所だと思ってるからね。
それと、そもそも母さんが、そんな理由で病院代を出すとも思えないし。
「マヌーは今日も、ハッピーだったのかい」
僕が問い掛けると、
「うん、僕はいつもハッピーだよ」
満面の笑みで、マヌーは言った。
マヌーは頭が弱いけど、そういう部分は凄いなあって思う。そういう部分ってのは、いつでも明るくてニコニコしているっていう態度のことだ。
そりゃあ厳密に言えば、一日中、ずっと笑顔なわけじゃなくて、すました顔の時もあるよ。だけど、基本の表情は笑顔だし、僕が会いに行くと、いつもスマイルで迎えてくれる。
だけどマヌーも本当は、いつもハッピーってわけじゃないと思う。
たぶん、悲しいことや辛いことがあっても、それを隠して笑顔を振り撒いているんだろう。
どうしてそんな風に思うかっていうと、一度、強烈な場面に遭遇したことがあるんだ。
ある時、一緒に遊んでいたら、マヌーが足を滑らせて転倒し、アスファルトに頭から突っ込んでしまったんだ。額から血がドクドクと溢れて、シャレにならないぐらいの状態だった。
だけど、僕が慌てて
「大丈夫か」
と尋ねたら、マヌーはニコニコしながら
「うん、平気」
って言うんだよ。
そんなわけないんだ。だって、血がダラダラと流れ落ちているんだから。
たまたま通り掛かった近所の人がいて、その人に救急車を呼んでもらって、マヌーは病院へ運ばれた。
僕は病院が嫌いだけど、それは僕の問題であって、マヌーが病院へ運ばれることにまで否定的な考えはもっていない。
幸い、マヌーは入院するような大きな怪我ではなかった。だけど、さすがに次の日は、一緒に遊ばなかった。マヌーは頭に包帯をグルグルと巻いた状態で、それでも遊びたがっていたけど、僕が説得した。激しい運動をして、傷口が開くと大変だからね。
そんな風に、大怪我をしても笑っているぐらいだから、マヌーの笑顔は、本当の気持ちとは無関係なんだと思う。
やっぱりロボットだから、何があっても笑顔でいるようにプログラミングされているのかもしれない。
そんな風にプログラミングしたのは、きっとマヌーの父親だろう。
マヌーの家は母親がいなくて父親と二人暮らしなんだけど、あの父親は、ちょっと変な感じなんだ。
最近は見ないけど、以前はマヌーを遊びに誘う時、いつもドアを少しだけ開けて、顔を覗かせていた。僕が挨拶すると、無表情のままで軽く会釈して、すぐにドアを閉めてしまうのがパターンだった。
「マヌーのお父さん、怒っているのかな」
気になって、僕はマヌーに訊いてみたことがある。
するとマヌーは、
「いつもパパは、あんな感じだから。あれでも機嫌はいい方だと思うよ」
と返答した。
その言葉を信じるなら、そういうことなんだろう。実際、マヌーが僕と遊ぶのを止めようとはしないから、そこは受け入れてくれているんだろう。僕を嫌っているというわけではなさそうだ。
ただ、マヌーが怪我をした時も、ちっとも心配する様子なんて無くて、事務的な対応だったんだよね。感情が欠如しているのかと思ってしまうほどだった。だけど考えてみると、マヌーの父親もロボットなのかもしれない。それで、旧タイプだから、マヌーみたいな感情表現がプログラミングされていないんじゃないだろうか。
「ルイ、今日は何して遊ぶ?」
マヌーが急かすように言う。
「待ってくれよ、マヌー。家に戻って着替えてくるから」
「そうか、そうだった」
マヌーは頭をポリポリと掻く。
いつものことなのに、何度言っても、マヌーは僕が家に戻るってことを忘れてしまう。僕が行くと、すぐに遊べると思い込んでいるみたいなんだ。
まあ、それだけ心待ちにしてくれているんだから、喜ぶべきなのかもしれないけどさ。そんなに僕のことを必要としてくれる存在なんて、他にはいないからね。母さんだって、マヌーよりは劣るんじゃないかな。
「それじゃあ、すぐに着替えてくるから」
そう言い残して、僕は小走りで家へ向かった。