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<5>

 教室に戻って席に座ると、クラスメイトのハギが近寄ってきた。

 「やあ、ルイ君」

 すました顔で、ハギが言う。僕は無言のまま、冷めた視線を向ける。

 ハギは金色のコップだ。本物の黄金じゃなくて、金箔だけどね。しかも上げ底で、実際の容量は見た目より少ないんだ。

 それに、コップの中身は紅茶に見えるけど、それも色を付けた、ただの水なんだ。

 ハギは、今でも積極的に話し掛けてくる唯一のクラスメイトだ。でも、それは僕と仲良くなりたいとか、そういう意味じゃないんだ。


 「ねえ、先生に呼び出されたんだろ。何かあったの?」

 どこか心配するような口調だったけど、それが芝居だってことはバレバレだ。好奇心が満々だという本音が隠し切れていない。幾ら装っても、目の奥のニヤニヤ笑いが見えているんだ。

 「別に」

 僕は短く言う。

 面倒なだけだから、それで会話を終わりにしたかったんだけど、ハギは諦めてくれなかった。

 「君が先生に呼び出されるなんて、珍しいじゃないか。余程のことがあったんだろう。何か、問題でも抱えているの?」

 「別に」

 僕は同じ言葉を繰り返す。

 ここでカッとなって、

 「うるせえよバカ、テメエなんかに喋ることは何もねえんだよ、邪魔だから散れよ」

 などと声を荒げたら、それこそ向こうの思うツボだからね。ハギは、僕が感情的になったことを、自分が勝ったかのように解釈するに違いないんだ。そういう奴なんだ。


 っていうか、そもそも僕は、苛立ってはいない。ハギが罠を仕掛けていることはお見通しだから、ものすごく冷静だった。

 僕が無反応なので、ハギはそれ以上の追及をやめた。

 「ふーん、そうか」

 と言った表情に、つまらなさが覗いた。

 ムキになって追及すると、自分が負けたように思えるから、終わりにしたんだろう。

 だけど、そこで立ち去ってくれればいいのに、また別の話題を振ってきた。

 「そうだ、もうすぐマラソン大会だけど、何か準備はしてる?」


 マラソン大会は学校の年中行事の一つで、3週間後に催される。全校生徒が一斉にスタートし、校外のコースを走って校庭に戻って来る。走る距離は6キロだから、マラソンと呼ぶのは正しくないんだけどね。

 「別に」

 本日、三度目のセリフを、僕は口にした。全て同じトーンだ。

 ハギが話し掛けてくる時は、そのセリフを頻繁に使う。疎ましいから早々に終わらせたいんだけど、ハギは饒舌に話し続ける。

 「そうか。俺も特に運動はしてないんだけどさ、そろそろ何かやっておかないと、本番でビリになるのは嫌だしね」

 ハギが笑うが、まあ平気な顔で、よくもそんな嘘をヌケヌケと言えるもんだ。運動してないなんて、真っ赤な嘘だ。

 僕は知ってるんだ、ハギがマラソン大会に向けて毎日のジョギングをやってることを。

 だけどハギってのは、そんな見え透いた嘘を平気でつく奴だから、しょうがないのかもね。

 前のテストの時にも、

 「いやあ、全然ダメだったよ」

 と言いながら、高得点を取っていたし。


 「まあルイ君は勉強の方が優秀だから、マラソン大会の成績が悪くても構わないだろうけどね」

 ハギが言う。

 嫌味な奴だよ、ホントに。

 こいつは、僕が走るのを苦手にしていると知っていて、わざと挑発するようなことを言っているんだ。

 そんなことを言う理由は、僕にテストで負けたからさ。

 どうやらハギは、小学校の頃は常にクラスで一番の成績を収めていたらしいんだ。それが中学に来て、最初の中間テストで僕に負けて二番になっちゃったんだ。それでプライドが傷付いたらしい。

 さらに、期末テストでも僕がトップだったもんだから、恨み骨髄なんだよね。


 僕からすれば、二番でも充分だと思うんだけどね。もしも僕がテストでハギに負けて二番になったとしても、ちっとも悔しいとは思わないよ。そんなことで争ったって、何の意味も無いんだから。

 それは僕が成績に何の関心も無いからだけど、ハギの立場に立って考えてみても、やっぱり馬鹿馬鹿しいと思ってしまう。

 だって、クラスの中でトップになったとしても、学年レベルでは僕以外にも成績が優秀な奴がいる。そいつらに負けるのは構わないのかってことだよ。

 さらに広い視野で考えれば、他の学校には、もっと成績がいい奴もいるだろうし、そいつらに負けるのは平気なのかってことだよ。

 ようするに、ハギは狭い視野で、くだらないことで意地になっているだけだ。


 ハギは勉強だけじゃなくて、スポーツの面でも優秀だ。だから体育の授業では、それなりに活躍をしている。

 僕は体を動かすのがあまり得意じゃないから、体育はそんなに成績が良くない。でも、別に悔しいとか、そんな感情は沸かない。最初から、そんなに本気で体育を頑張ろうっていう気も無いし。

 だけどハギは僕より活躍して、いつも得意げな態度を取る。それは露骨に見せているんじゃなくて、人から誉められても謙遜するような態度を示すんだけど、チラッと僕の方を見ているんだ。

 勉強で負けているから、他の分野で上位に立って、優越感を持ちたいって気持ちが強いんだろう。

 だから、いつも

 「どうだった、ルイ君は?」

 なんて、いちいち訊いてくるんだ。

 そんなの、見ていたんだから知っているはずなんだけど、僕に答えを言わせることで、ヘコませてやろうっていう腹積もりなんだろう。

 僕は何とも思っちゃいないから、クールに

 「全くダメだったよ」

 と答えるだけなんだけどね。


 そんなにライバル心を持たれても、僕としては困ってしまうんだ。だって、僕はハギのこと、ライバルとも何とも思っちゃいないんだから。

 でも、そんな風に、僕のことを過剰に意識しているから、ハギはマラソン大会のことを話題にしたんだ。

 「自分が勝つよ、活躍するよ」

 というアピールなんだろうね。

 そんなことより、勉強で僕に勝つことを考えた方がいいんじゃないかと思ったりもするんだけどね。

 それが中学生として正しい方向性かどうかはともかく、ハギが僕を捻じ伏せたい、負かしたいと強く願っているのなら、それが本筋ってものだよ。


 僕は無表情のまま、スクッと椅子から立ち上がった。

 「どうしたの?」

 「トイレ」

 僕は短く答えて、ハギに背を向けた。

 本当にトイレに行きたかったわけじゃなくて、会話を打ち切るためだ。

 全く、どうしてハギは、つまらないことでムキになっているのかな。マラソン大会で僕に勝ったら、そんなに嬉しいのかな。こっちは走るのが苦手なだけでなく、やる気が全く無いってのに。

 僕はマラソン大会で真面目に走る気なんか、これっぽっちも無い。6キロも懸命に走ったら、死んでしまうよ。速く走らなきゃ何かの罰があるってわけでもないんだから、適当にダラダラと歩いてゴールするつもりだ。

 たぶん、コースの途中に配置されている教師の連中は、

 「頑張れ、歩いてないで走れ」

 などと言うだろうけど、そんなのは無視するだけさ。まだ9月だから残暑が残っている可能性もあるし、そんな中で必死に走っていられるかって。まあ涼しかったとしても、ちゃんと走るつもりは無いけどね。

 そもそもマラソン大会という行事そのものに、何の意味も見出せないんだから。


 僕は決して、マラソンそのものをバカにしているわけじゃないんだ。プロのランナーは素晴らしいと思うし、市民ランナーとして走る人も、それはそれで構わないと思うよ。

 だけど、学校行事として、強制的に全ての生徒が6キロも走らされて、そこに何があるんだろうね。

 僕はマラソン選手になる気も無いし、だから大会で走っても、将来の役に立つことは何も無いと断言できる。たった一日だけ6キロを走っても、体力強化には繋がらないし。むしろ、普段が運動不足なんだから、逆に体を痛め付けるだけだよ。

 先生たちは精神の鍛錬になると思っているのかもしれないけど、それも違うよ。面倒だと感じながらダラダラと走るんだから、何の精神修行にもならない。

 どう考えても、全く意味が無いんだよ。

 まあ、そんなことを言い出したら、体育の授業の大半は、あまり意味を感じないんだけどね。

 これは僕が体育を苦手にしているから、言い訳しているんじゃないよ。大人になって、例えば走り幅跳びやハードル走が出来なくても、特に困ることなんか無いと思うんだよな。

 サラリーマンでも、公務員でも、建築作業員でも、宅配業者でも、仕事で走り幅跳びやハードル走が役に立つことなんて無いはずだよ。


 体育だけじゃなくて、美術の授業も必要性を感じないな。あんなのは、選択科目か何かにして、好きな奴だけが学ぶ形にすればいいんだよ。

 大体、僕は芸術というものに対する興味が全く無いんだ。

 前にクラスの課外授業で美術展へ行ったことがあって、モディリアーニとかモネとか、有名な画家の絵が展示してあったけど、何がいいのかサッパリ分からなかった。

 そう言えば、クラスメイトの一人が展示会場を回りながら、

 「この絵は素晴らしいなあ。何より構図が素晴らしい」

 などと評していたけど、本当に素晴らしさが分かっていたのかどうか疑問だね。そういうのを誉めておけば、自分もセンスがあると思われるから、良く分からないのに誉めただけなんじゃないかと僕は睨んでいるんだ。

 だけど何十万、何百万っていう金を払って、そういう絵を買う人もいるんだよね。そんな物に大金を支払うなんて、ただの無駄遣いだよ。

 まあ、どうせそんな絵を買うのは金持ちだろうから、無駄な物に金を使うのは日常茶飯事なんだろうな。そういう所で無駄遣いするのも、金持ちの道楽なんだろう。


 その展示会場で、僕が惹き付けられるような絵は一枚も無かった。そこにあった絵だけじゃなくて、例えばピカソの絵を美術の教科書で見た時も、何がそんなに高く評価されているのか、サッパリ分からなかったんだよね。

 僕は良く知らないんだけど、ひょっとすると絵の世界っていうのは、誰か高名な評論家が評価したら、他の人も追随するんじゃないかな。

 ピカソの絵は素晴らしいと言われていて、子供の落書きは全く評価されないけど、その差が僕には全く理解できないよ。

 今まで僕が見て面白いと感じたのは、ダリの絵ぐらいだね。時計がグニャリと曲がったりして、あれは面白かったな。

 でも、それも芸術品として素晴らしいとか、そういう感想じゃないよ。面白いって思ったのは、例えばヌイグルミを見て可愛いと思ったり、特撮ヒーローを見てカッコイイと思ったり、そういうのと同じような感覚だ。


 そうだ、思い出した。前にアンディー・ウォーホルの絵も見たことがあるけど、あれは最悪だったな。

 僕が見たのは、キャンベル・スープ缶の絵で、たぶん一番有名な奴だと思う。けど、あれが素晴らしいって評価されるんだとしたら、それはアンディー・ウォーホルが凄いんじゃなくて、キャンベル・スープ缶のデザイナーが凄いんだと思うな。

 そんなわけで、僕には巷で高く評価されている絵が全く理解できない。

 だけど芸術なんて、どうせ気取った連中のマスターベーションだから、僕はそんなの分からなくても構わないと思ってる。芸術なんて無くたって、全く困らずに生きていけるしね。

 職人になりたいのに芸術が分からなくて大丈夫なのかと思うかもしれないけど、そこは何の関係も無いんだよね。職人に必要なのは技術であって、美的感覚じゃないと僕は思っているんだ。

 それに、もし芸術のセンスが無いとやっていけない職人の道があったとしても、僕がそれを選ばなければいいだけの話だからね。


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