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担任もクラスメイトもクズだから、そこに馴染むと僕までクズになってしまう。
だから僕は、出来る限り溶け込まないようにしているんだ。クラスメイトとのコミュニケーションは、必要最低限に留めている。
向こうから話し掛けてくれば応じるけど、こっちから積極的に仲良くなろうとはしない。朱に交わって赤くなるのは嫌だからね。
そんなことをしていたら友達なんか出来ないんじゃないかと思うだろうけど、もちろん、その通りだね。
クラスメイトも、今では僕を避けるようになっている。話し掛けてくることは、ほとんど無い。
だけど、それは僕の意図したことだから、孤独で寂しいとか、そういう感情は全く無いんだ。むしろ「孤高の人」って感じで、なんか渋いんじゃないかと思うぐらいなんだ。
それと、そんな態度を取っていたらタケたちにイジメを受けるんじゃないかと思うかもしれないけど、それも今のところは無い。
これに関しては、ちょっと意外だったね。
正直、僕はイジメの標的にされるだろうと予測していたし、どこかで期待していた部分もあった。わざとイジメを受けて、その何倍もの報復をしてやるつもりだったんだ。今度は小学校の頃と違って、自制心を持った上で、タケを殺してやろうかと目論んでいたんだ。
だから、ちょっと肩透かしを食らった感覚だったね。
どうして標的にされなかったのかは良く分からないけど、既にクニをイジメていたから、そっちに集中したかったのかな。
それとも、僕が小学校時代にイジメっ子をビビらせた出来事が、どこからか情報として耳に入ったのかもしれないね。クニもいるわけだし。
僕がイジメの標的になるんじゃないかと思った理由は、クラスに溶け込もうとしなかったのもあるけど、もう一つあるんだ。
それは、成績がいいってことだ。そこに僕の生意気な態度が組み合わされば、かなりの反感を買うんじゃないかと予想していたんだ。
自分で言うのも何だけど、僕はそれなりに勉強が出来る部類で、学級レベルじゃなくて学年でトップを争う成績を取っている。そんなにガリ勉しているわけじゃなくて、しっかりと授業を聞いて、ちゃんと宿題を片付けているだけなんだけど、成績はいいんだよね。
嫌味に聞こえるかもしれないけど、事実だから仕方が無い。
ただし、僕は成績がいいことを自慢しようとは思わない。だって、そんなの、ちっとも誇らしいことじゃないからね。
もちろん、勉強が出来れば、偏差値の高い高校や大学に入れて、就職にも有利だとは思うよ。だけど、そういう人生設計が、僕には全く無いんだ。
近いところで言うと、いい高校に進みたいという気が、これっぽっちも無いんだ。
そんなことよりも、僕は何かの職人になりたいんだ。学歴の高い人間より、手に職を持った人間の方が遥かに尊敬できるからね。
出来れば、伝統的な工芸品か何かを作る人がいい。
そういう分野は、たぶん仕事を受け継いでいることが少なくて、しかも高齢化しているはずだ。そういう熟練の匠の元に弟子入りして、伝統を受け継ぎたいんだ。
例えば、日本で唯一、その物品を作ることが出来る職人とか、そういうのって素晴らしいよ。
だから学校の成績には何のこだわりも無いんだけど、ちょっと失敗しちゃったんだよね。
何が失敗かって、小テストで0点を取ったんだ。
本気で取り組んだら、そんなことは絶対に無い。決して言い訳じゃないよ。大きなミスをやらかしてしまったとか、そういうことでもない。
僕は、わざと白紙で答案を出したってわけなんだ。
どうしてテストを真面目に受けなかったかというと、ちょっとした反抗心だったんだ。いつも成績がいいから、僕はそういう目で見られるんだよね。そういう目ってのは、「頭のいい奴」という見られ方ってことだ。
そういうのが、ちょっと嫌になったんだ。特に、教師からそういうレッテルを貼られるのは、ものすごく不愉快だった。
勉強の出来る生徒って、先生からすると、やっぱり特別な存在なんだよね。だから、例えば難しい問題なんかが授業で出て来ると、僕が指名されることが多いんだ。
一応は答えるけど、面倒だなあって思ってさ。これから学校に通っている間、ずっとそういうことが続くのかなって思ったら、急に反抗心がムクムクと沸いたんだよね。
それで、白紙で答案を出したんだ。
そのせいで僕は、担任のキツネに呼び出されちゃった。
キツネって呼んでいるのは僕一人だけど、どうやら他のみんなは本当の姿が見えていないらしいね。
ともかく、僕は昼休みに、生徒指導室に呼び出されてしまった。
それにしても、考えてみれば、生徒指導室ってのは奇妙なネーミングだよね。
だって、そのネーミングだと、そこは生徒を指導する部屋ってことになる。だけど普通の教室でも、いつも教師は生徒を指導しているはずなんだよ。
そこが生徒指導室なら、他の教室では生徒を指導しなくていいってことなのかな。教師は、いつもの教室では生徒を指導している意識が無いのかな。
まあ、そんな疑問を持っても、決して教師に質問をぶつけたりはしないけどね。
どうせ
「くだらないことを言う暇があったら、さっさと教室へ行きなさい」
と怒られたり、
「屁理屈を言うな」
と注意されたり、そんな風に扱われてオシマイだろうからね。
そりゃあ屁理屈かもしれないけど、基本的に教師ってのは、自分が答えられない疑問を生徒からぶつけられた時には、そこから逃げ出そうとするものなんだよね。
怒り出すのも、答えを回避するための行動だし。
それに関しては、1学期に面白いことがあった。
楽しい出来事じゃないから、面白いっていう表現は不適切なのかもしれないけど、興味深い出来事っていうことだ。
それは学年集会の時で、みんな体育館に集められて、抜き打ちで服装と持ち物の検査をすることになったんだ。風紀の乱れが無いかどうかチェックするために、ウチの学校では、たまに抜き打ちの検査がある。
僕は何も引っ掛からなかったけど、検査に合格するために気を付けていたわけじゃない。オシャレに興味は無いから、髪の毛は短髪で、服装もいじらないだけだ。学校で何かを楽しむ意欲が無いから、余計な物は持ち込まないだけだ。
自分のチェックが終わったから、周囲の様子を何となく眺めていたんだけど、隣のクラスの女子が持ち物検査で引っ掛かった。口紅を持って来ていたんだ。
「これは何?」
そのクラスの担任の女性教師が、冷淡な表情で尋ねた。
だけど、それが何なのかなんて、絶対に分かっているはずなんだよね。一目瞭然、口紅以外の何物でも無い。
それなのに、あえて自分では言わず、その生徒に言わせようとするんだから、意地が悪いよ。
だけど女子生徒は何も言わず、ムスッとした顔で黙っていた。明らかに不満がある様子だった。
だから女性教師は、
「化粧道具は持ってきちゃいけないって知ってるでしょ」
と、きつい口調で注意した。
だけど女子生徒は納得できなかったのか、
「どうしてダメなんですか」
と反発した。
それに対して女性教師は、
「今さら何を言ってるの。校則に書いてあるでしょ。校則違反なのよ」
と、呆れたように告げた。
でも、それを聞いていた僕の方が呆れたね。そんなの、何の説明にもなっていないんだよ。
だけど、その女性教師に限らず、たぶん他の教師でも、同じような説明で済ませてしまうだろう。校則違反だからダメなんだと、そこで終わらせてしまうだろう。
でも、その校則自体に疑問を呈した場合、どう答えるんだろうね。
校則なんて、おかしな項目が幾つもあるけど、きっと教師は、それに関する疑問には答えられないと思うんだ。
髪の毛を染めちゃいけないとか、男子は長髪にしちゃいけないとか、そういう決まりも校則の中にはあるんだけど、理由は分からない。
校則は生徒手帳に書いてあるけど、その校則が定められている理由、それを守らなければいけない理由の説明は無いからね。
その校則について、
「なぜ、そんな校則があるのか」
と質問した場合、きっと教師は納得のいく答えを出せないだろう。
いつも
「校則に書いてあるからダメなんだ」
というところで思考回路が停止しているから、
「なぜ髪の毛を染めてはいけないのか」
という説明は出来ないんだ。
っていうか、そもそも、ちゃんとした理由なんか無いと思う。
あえて、こっちから理由を考えるとすれば、
「髪の毛を染めたら不良になる。非行に走る。だから禁じている」
という感じだろうか。
だけど、髪の毛を染めたら、必ず非行に走ると決まっているわけではない。その因果関係を、誰かキッチリと調べたのかと問い詰めてみたいね。
金髪でも真面目な奴はいるだろうし、黒髪でも素行の悪い奴はいるだろう。
「人を見た目で判断するな」
と教師の連中は良く言うけど、そのくせ、校則では人を見た目で判断するような内容を定めているんだとしたら、その矛盾はどう説明するつもりなんだろうか。
ようするに校則ってのは、その程度のものなんだ。
そして、そんな不条理な校則でしか生徒を縛れない教師なんて、くだらない連中なのさ。
そんな見下げ果てた連中の一人が待つ生徒指導室のドアを、僕はノックした。それからドアを開けて中に入り、キツネと対面した。
「来たか。まあ座れ」
先に着席していたキツネは、僕を向かいの席に促した。
「どうしたんだ?何かあったのか」
僕が座ると、すぐにキツネはそう訊いてきた。もちろん、それは白紙の答案に関する質問だ。僕が白紙で答案を出すなんて、尋常ならぬことだからね。何かあったんじゃないかと思われても当然だろう。
「いえ、別に何も」
すました顔で、僕は答えた。
本当に何も無いんだから、そう答える以外に無い。だけど、それでキツネが納得するはずもない。
「何も無いってことはないだろう。何も書かずに白紙で出すなんて、変じゃないか」
キツネは怒っているわけじゃなくて、心配そうな表情だった。
だけど、それは僕を心配しているんじゃなくて、きっと自分のことが気になっているんだ。僕の成績がガタ落ちにでもなったら、それを学年主任や校長から責められるのは確実だからね。
そんなことになったら、教師としての今後に大きなダメージが残ってしまう。せっかくイジメ問題も隠蔽して頑張っているのに、台無しになってしまうんだ。
そういう保身だけを気にするような男なんだよ、キツネって奴は。
きっと奴の頭の中では、色々なことがグルグルと巡っているんだろうね。僕の家庭でトラブルがあったんじゃないか、あるいはクラスからイジメでも受けているのか、精神的に辛いことがあってテストに身が入らなかったのか、どうしてなんだろうって、頭を悩ませているんだろう。
でも、実際には、ただ気まぐれな反抗心が出てしまっただけなのさ。本当に、つまらないことなんだ。
それを説明しても構わないんだけど、ちゃんとキツネを納得させられるかって考えると、難しそうだ。
っていうか、学歴なんて要らない、勉強なんてクソ食らえだっていう気持ちを吐いたら、きっとキツネは怒り出すだろう。
まあ怒っても怖くは無いけど、あまり刺激すると親を呼び出されるかもしれないし、何かと面倒なことになりそうだ。
それに、そもそも本当の理由を説明するのが面倒だった。
「すみません、テストの日は体調が悪くて」
僕は咄嗟に、そんな嘘をついた。
下手な嘘だけど、本当のことを言うよりはリアリティーがあるんじゃないかと、その瞬間は思ったんだ。
「体調?」
いぶかしげな目で、キツネは僕を見つめた。
改めて僕は、こいつは嫌な顔をしてるなあと思った。こんな奴に近距離で見つめられるなんて、ゾッとしちゃうよ。
すぐに解放されたかったから、僕は少し早口になって、
「ものすごく頭が痛くて、全くテストに集中できなかったんです。それで、中途半端に問題を解いたら絶対に点数が低いだろうし、それなら、いっそテストを受けなかったことにした方が自分としても納得できるんじゃないかと思って、馬鹿なことをしてしまいました。すみません」
と並べ立てた。
「頭が痛かったのなら、申し出て保健室で休むなり、早退するなりすれば良かったんじゃないのか」
そう言われて、なるほど、その通りだと思ったね。
でも、最初に嘘をついたからには、徹底してやらなきゃダメだ。
「その時は軽いパニックになって、そういうことが思い浮かばなかったんです」
全くもって、下手な言い訳だよ。
でも、どうやら、その下手な言い訳を、キツネは信じた様子だった。自分が三文芝居しか出来ない大根役者だから、相手の芝居を見抜く力も持っていないんだろうね。
「そういうことなら、仕方が無いな」
キツネは言った。
そんなに簡単に納得していいのかよ。
でも、それは生徒を信用しているってことじゃないんだろうな。あまり深いところまで生徒に関わりたくないという心理が、たぶん出ているんだと思う。
まあ、どうだっていいんだよ。こっちだって、深く関わりたいとは思っていないんだからね。
「それじゃあ先生、もう帰っていいですか」
「ああ、ご苦労さん」
僕は椅子から立ち上がり、生徒指導室を出た。