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ようするに僕は、ただの水袋なんだ。
水袋って言うのは呼んで字の如く、水の入った袋のことだ。残念だけど、そうなんだから仕方が無い。
どんなに頑張ってみても、水袋から脱却することは出来ない。
どんなに偉そうなことを言ってみても、水袋の戯言でしかないってことだ。
だけど、中学1年生の段階で自分が水袋だと分かっただけでも、まだマシだと僕は思っているんだ。
クラスメイトは何の自覚も無いまま、ノホホンと暮らしているんだからね。特にタケと仲間の連中は最悪だ。あいつらはズタ袋なんだ。
僕の場合は、水袋ではあるけれど、それなりに作りは丈夫だし、中に入っているのは綺麗な水だ。
だけど、あいつらの袋はボロボロの布で出来ているし、中に入っているのは泥水だからね。
そこが僕とタケたちの違いさ。
あいつらは今日も、自分が質の悪いズタ袋だと気付かないで、くだらないことをしているんだ。
例えば、クニの上履きのことなんかが、それだ。
クニもクラスメイトだけど、あいつはズタ袋じゃなくてペットボトルだ。中身はジュースで、人工甘味料がドバドバと入っている。
オレンジジュースって書いてあるけど、本物のオレンジは全く使われていない。
そのクニが登校した時のことだけど、靴箱に上履きが無いんだ。
「あれっ、おかしいな」
ってクニはオロオロしてるけど、そろそろ慣れても良さそうなものなんだよね。
だって、毎日のように無くなるんだからさ。そういう所が、付け込まれる原因の一つなんだと思うよ。
たぶん本人も分かっていて、あえて演じている部分もあるんだろうけどさ。
上履きが無くなる理由は、タケたちが隠したからだ。
こういう表現は好きじゃないけど、タケたちはクニをイジメているんだ。
なぜイジメっていう表現が好きじゃないかっていうと、問題を矮小化しているような気がするんだよね。
タケたちのやっていることは、立派な犯罪だよ。
いや、靴を隠す程度は大したことじゃないけど、他にも色々とやっているんだ。体操着を便器に捨てたり、チョークを食べさせたり、その他にも色々さ。
だけどイジメって言っちゃうと、なんだか軽いことみたいに聞こえてしまう。それはダメだと思うんだよね。
あいつらは犯罪者なんだから、そこをハッキリさせておかなきゃ。イジメをイジメって呼んでる内は、根本的な問題の解決なんて無理だと思うね、僕は。
どんなものでも呼び方ってのは大事なんだよ。
例えばスカンク・ヴァインって言うとカッコイイけど、ヘクソカズラだとマヌケな感じがするだろ。
でも、どっちも同じ植物のことだ。
そういう風に、呼び方一つで印象ってのはガラリと変わるんだ。
ともかく、クニは上履きが無くて困っていたけど、それは今日に限ったことじゃなくて、ほぼ日常の風景なんだ。
タケたちにとっては、朝の日課なんだね。わざわざ上履きを隠すためにクニより早く登校するんだから、ご苦労なことだよね。
それが分かっているんだから、クニもタケたちより早く登校すりゃあいいんだけど、どうせ他のことでイジメを受けるから、諦めているのかもしれない。
クニが疲れた顔で上履きを探していたから、僕は近付いていって、
「1組の靴箱。上の方にある」
と囁いてやった。そこにあるのを、気付いていたからね。
いつも教えてやるわけじゃないよ。僕は正義の味方でもなければ、慈悲深い救世主でもないからね。
今日はたまたま、そういう気分になったんだ。
どうしてなのかは分からないけど、ひょっとすると、今朝、時計を見たら、ちょうど7時7分7秒だったからかもしれない。
そういうことがあった後は、何となく心が優しくなるんだ。
テレビを見ていて、あるチャンネルから別のチャンネルに回した時、同じコマーシャルが流れていても、そういう気持ちになるね。
ただし、すぐに冷めちゃうけど。
「えっ、ああ。ありがとう」
クニは戸惑いながらも、礼を述べた。それから1組の靴箱の方へ移動して、自分の上履きを見つけた。
彼は僕の方を振り返り、ペコッと頭を下げた。何
となく気恥ずかしくなったから、僕は何もリアクションをせずに立ち去った。
タケたちは、上履き隠しに関してはルールを決めているらしくて、必ず他の生徒の靴箱に紛れ込ませる。
全く見つからないような場所には、絶対に隠さないんだよね。変に律儀なんだ。
ただ、それはクニに配慮しているってわけじゃなくて、ただ自分たちのグループの中で、遊びとしてルールを決めているだけなんだ。
彼らにとって、クニをイジメるのは遊びだからね。
イジメの存在を知っているのに、どうして助けないのかって思うかもしれない。
別に僕は、巻き込まれるのが怖くてイジメを止めないわけじゃないよ。クニが単純な被害者だったら、僕はすぐにでも彼を助ける。
これは言い訳じゃなくて、本当に、そう思う。何しろ、僕も小学生の頃、イジメを受けていた時期があるからね。
その時のイジメの内容は、例えば机に落書きをされるとか、椅子に画鋲を置かれるとか、ランドセルに牛乳を注がれるとか、そんな感じだね。
イジメをやってた連中は、想像力が乏しいくせに、イジメのバリエーションに関しては、色々なアイデアが沸くんだよね。
そいつらの想像力の乏しさは、イジメをやってることからも明らかだよ。だって、想像力がたくましければ、イジメを受けた相手がどんな気持ちになるか想像して、やめておこうって考えるはずだからね。
そいつらが僕をイジメていた理由は、僕の名前が見た目に似合わないからっていうことだった。カッコ良くないのに、ルイっていう名前が生意気だっていうんだよね。
そんなの、僕の責任じゃないんだけどさ。ルイっていうのは、僕が自分で付けたわけじゃないんだから。
でも、イジメの理由なんて、別に何だっていいんだよね。
どうであれ、イジメをする奴に全ての非があることは確かなんだから。
たまに、
「イジメられる方にも問題がある」
なんて言う奴がいるけど、張り倒してやろうかと思うよ。
どんな理由があっても、イジメを正当化することなんか出来ないんだ。
例えば、イジメを受けた奴の性格が陰険で、ものすごく高飛車な態度だったとしても、そいつをイジメるのは悪いことだ。
その高飛車な奴が嫌だと思ったら、個人で対抗すべきなんだ。集団で攻撃するなんて卑怯だよ。
ともかく、僕は小学校時代にイジメを受けていたんだけど、その時は自力で脱却した。
イジメを抜け出すのは難しい作業だと、一般的には思われているかもしれない。実際、大抵のケースでは、そうなのかもしれないね。
だけど僕の場合、意外に簡単だったよ。
どんなケースでも当てはまるのかどうかは分からないけど、僕の時は、イジメのボスに机を投げ付けてやったんだ。つい、カッとなっちゃったんだよね。
今はなるべく自制しようと心掛けているけど、その頃は、まだ怒りを抑制するだけの気持ちが出来ていなかった。
それで、ネチネチとイジメが繰り返されていたから、カッとなって、机を持ち上げて、イジメのボスに投げたんだ。
そいつは慌てた様子でガードしたけど、机が見事に命中して倒れ込んだ。
そんなに大きな怪我は無くて、右腕の打ち身だけで済んだけど、それで奴はビビッちゃったんだね。顔面蒼白になって、ブルブルと震えてた。
それで、その翌日から、ピタリとイジメは無くなったんだ。
つまりイジメから抜け出すには、ボスをやっつける必要があるってことだ。そこを崩せば、他の連中は簡単に落城する。
どうせ一人では何も出来ないような、情けない奴らの集まりだからね。
机を投げたことに関しては、自制心の無い行動だったけど、でも奴に悪いことをしたとは思っていない。
むしろ、打ち身だけで済んだことをラッキーだと思ってもらわないと。あの瞬間は、本気で殺してやろうと思ったんだからね。
そして、もし殺していたとしても、僕は後悔なんかしなかったと思う。
イジメなんかする奴は、死んでも構わないんだ。そのまま生き続けても、何の価値も無いんだから。
そりゃあ後になって更正するかもしれないけど、そんなのは何の言い訳にもならない。
僕はね、悪人にも更生の道を与えようっていう考え方が気に入らないんだ。悪い奴は死ねばいい。
そんな奴らを更正させて、何の意味があるのかサッパリ分からないね。きっと、更正させた連中が「良いことをした」という自己満足に浸りたいためなんだろうな。
悪人もクズだけど、そいつらもクズだね。
そんなことより、クニの話なんだけど、僕が彼を助けないのは、彼も元々は加害者サイドにいた人間だからだ。
小学校の頃に僕をイジメていたグループの中に、クニもいたんだ。それが中学生になって、今度はイジメの標的になったというわけさ。
そんな経緯があるから、僕は彼を助けようとはしないんだ。
上履きの場所を教えてやるとか、その程度の協力はしてやるけどね。
しばらくは、イジメられる側の気持ちを分からせてやろうと思っている。それで、もし本気でイジメから抜け出したいと思ったら、その方法だけは教えてやるつもりだ。
だけど、僕がタケたちにイジメをやめるよう要求したり、そんなことはしない。あくまでも、クニ本人に行動を促すだけだ。
イジメから脱出するためには、本人の勇気ある行動が絶対に必要なんだ。
本当は、先生が何とかしてあげるべきなのかもしれないけど、そんなことは全く期待していない。
先生に何かを期待するなんて、そんなのは愚かなことだ。
先生ってのは僕らより先に生まれて来ただけで、中身はスカスカだからね。