荒海 其の七
島には鳩を飛ばし、例の船に伝染病が出たと云ってある。
観光が収益の島で、伝染病は痛手になる。
ザンたちが着岸した時には、すでに港の検疫の役人が物々しい様子で集まっていた。
船が予定よりも遅れて到着すると、数人の役人が乗り込んでいった。
これから行う検査について説明を始めたのだろう。
抗議の声が甲板の所々から上がり、船から海に飛び込もうとする者さえ出た。
その内の三人は縁に上がった所で取り押さえられ、海に落ちた者もすぐに網の中へと追い込まれた。
残りの殆どは大人しく指示されるまま、急拵えの検疫所となった倉庫へ列を成した。
最後の一人が倉庫へ入るまで見届けたにも関わらず、肝心のあこやがいない。
もう一度確かめるように云い置いて、ザンは船へと取って返す。
役人達はとうに引き上げ、見張りを置くでもなく船は無人でガランとしていた。
ザンが乗船することを咎める者も、止める者もいない。
それを良いことに、彼は船に入り込みあこやの名を呼びながら船室一つ一つ見て廻った。
船内は体臭と排泄物の混ざり合った、饐えた匂いが染み付いている。
隠し部屋がないかと、壁や床を叩いた。
結果見つけたのが、縦横四尺・深さ三尺ほどの床下の隙間。
と、ダイナマイトの箱二つ。
今度こそはと気負っていただけに、落胆も尋常ではない。
苛立ち紛れにダイナマイトと知りながら、蹴り倒す。
積まれた箱は床に落ちて、無残に中身をばら撒いた。
その時、木の角に挟まった布の切れ端が目に入る。
千切れた紫の地色、あこやが着ていたものに間違いなかった。
あこやはこの狭い床下に居た。
この船の連中は、あこやをダイナマイトと一緒に置きやがった。
小柄な方のあこやでも、この空間では身体を折り曲げても苦しかったはず。
手足を縛られ猿轡をされた姿が、浮かんで消えた。
爆発音が空気を振るわせた。
蒼龍は思わず港へ取って返すと、慌てふためく人の間を悠々とザンが歩いて来る。
「大人しくしていると云ったばかりですよ!」
声は抑えたが、険は残った。
「おれは何もしてない。」
「船が沈んでるじゃないですか!」
ちらりとザンの肩越しに港を覗いて目を剥く。
「安普請だったんだろ。あの船の船長はどいつだ?」
「何をする気ですか?」
「話をするだけだ、聞きたいことがある。」
あこやはいなかった。
こういう話し方をするときのザンは、何をいっても聞く耳を持たない。
「あそこの小柄な禿げた男です。」
あれだけ騒ぎが大きくなっているにも関わらず、
船長はまだ自分の船が沈んでいることに気付いてないのか笑っている。
「あたしも一緒に・・・」
云い掛けたそれへの応えはにべもない。
「お前は来るな。」
「あんたがさっきの船の船長さんかい?」
「だったらどうした?」
日に焼けた髭面の男がザンを見上げる。
「運んで欲しい荷がある。」
「中身は?」
「そういう細かいことは聞かないと云われてたんだが。」
すると相手はザンの着ているものを下から上に品定めし、
儲け話と踏んだらしい。
「静かなとこへ行こうぜ。」
そういって自分からその場を離れた。
倉庫の裏手へ来たところで、金の話が出た。
「いくらだせる?」
「幾ら出しても、どうせ床下に置かれるんじゃ意味が無い。」
「なんだって?」
「船が沈んだらしいな。ダイナマイトの扱には注意しないと。」
「ばかいうな!おれはそんなもの積んじゃい・・・・」
その鼻へ一発見舞って黙らせた。
「おれが知りたいのは、テスナで乗せた女のことだ。」
ザンがそう聞くと、恨めしそうな目が見上げた。
「女なら、みんな倉庫の中だ。勝手に探せ!」
血まみれの手で押さえ殴られた鼻の痛みに必死に耐えながら、
船長は壁に寄りかかり倒れまいとしている。
その腕を掴み、背後に捻り上げると骨のきしむ感触とともに関節が外れる大きな音がした。
同時に男の張り上げた悲鳴が裏手を突き抜ける。
「誰のことかは、そっちも承知の筈だ。船には何かと当たった跡がはっきり残ってた。
誰に渡した?」
「おれは何もしてない。」
それを聞くと、再び腕を捩じ上げる。
骨はその力に耐えられず、あっさりと折れた。
船長の口から痛みが吐き出された。
「もう一度、同じことを聞く。今度はましな答えを云ってくれ。」
「し、知らない奴だ。」
捕まれたままの腫れ上がり出した腕を庇う声は囁きに近く、
しかも掠れていた。
あまりの痛みに耐え切れず膝を地面に落として、彼は食べたばかりの朝飯を地面に嘔吐した。
ザンは飛び退き、難を逃れた。
大きな絶叫はそこに集まっていた人間すべての耳に届いた。
さすがに役人の耳にも入ったようで、様子を見に行こうとする男たちを蒼龍が引き止める。
「女がらみの痴話げんかなんですよ。偉いお役人の方々が出て行くような問題じゃありませんって。
あの人の姉さんが船長に孕まされた上に、祝言を挙げるって日に逃げちまったもんですから。
それから何年も探し回って、今日やっと見つけたって訳なんです。
話をつける間、大目にみてやってもらえませんかね?」
役人二人は困ったように顔を見合わせる。
「その船長の子ってのは、いくつになる?」
船員らしい男のひとりが口を挟んだ。
「えーと、確か・・・・」
「六つくらいじゃないか?」
「そんなもんだと。」
「そんなら間違いない、船長の子だろうさ。酔って昔話をしてたよ、どうせホラだと思ってたんだが。
本当だった訳か。」
彼はそっと胸を撫で下ろす。
「そのくらいの年になると、父親ってものに興味を持つものですから。
母親も答えてやれずに辛い想いをしてましてね。」
「どうせ船は明日まで出せない。話ぐらい気が済むように差してやったらいいだろ。」
役人達もそれに頷き、自分達の持ち場へと戻っていった。
「続きを。」
ザンの声にさえ、男は怯え身体を捩る。
「金をもらって、沖までうちが運んでやったまでだ。
直接自分の船に乗せられない商品は、そうやって受け渡すんだ。」
だらりと下がった腕を容赦なくさらに高く捩じ上げた。
今度も船長の口凄まじい苦痛の声が漏れる。
「知らない奴に大枚叩いた商品を預ける馬鹿はいない。
利き腕も同じ目に合いたいか?」
「わかった!わかったから腕を放してくれ・・・・」
歯を食いしばり声を絞り出す。
ザンは腕を放してやった。
船長の口から諦めとも安堵ともつかないため息が漏れる。
「名は知らない、本当だ。
いつも女を買いに来る、数ヶ月から一年置きくらいに。
おれはそいつの使用人にしか会ってない。」
シャン・リーの帳簿にあった名前を出した。
「名は知らないと云っただろう。
あぁいう手合いは、おれ達みたいなもんに名前なんかいうもんか。
だが、相当なおお大尽らしい。
使用人の奴が偉そうに、主人は島を持っているとかなんとか口を滑らせたんだ。
それから慌てて、聞かなかったことにしろと金まで遣した。」
「船印は?名前は聞かなくても船印は見たはず。横付けしたんだからな。」
「確かじゃないが、鱗をとかげみたいな生きもんが囲んでるやつだった。
例えそいつらを見つけても、おれから聞いたとは黙っててくれ。
あれだけ払いの良い客は、失いたくない。」
「その大事な客の女を、あんたがダイナマイトと一緒に運んだと知ったら
なんて云うだろうな。」
相手が逃げる気力もないのを見て取り、腕を放した。
「あんた役人じゃないよな?ダイナマイトは良い金になる。
ダイナマイトくらい誰でも小遣い稼ぎに遣ってることだ。
もっとあぶないもんを運んでるやつらだっている。」
船長は恐る恐る顔を上げ、陰になっている男の姿に目を向ける。
「そうだろうさ。だが、小遣い稼ぎも船があればの話し。
商売換えをするんだな。
あんたの船は、今頃海の中だ。」
船長の顔はもう十分に悲愴だった。
「あんたがやったのか?」
「おれじゃない。」
「あんた誰だ?」
「ただの疫病神さ。」
ザンの船が着けられるほど、この島の港は大きくなかった。
小型の船で沖に残した自分たちの船に戻る間も、ザンは一言も口を聞かない。
倉庫の裏手から出てきてからというもの、
何をしてきたかは様子や臭いからも蒼龍には察しがついた。
ザンという人間を知り尽くしている彼でさえ、
いまは近づき難い、近づきたくないと感じさせた。
手伝いに連れて来られた数人は、捨て猫のように狭い船の反対側で縮こまっている。
舷門から下げられた縄梯子を上がり、ザンは船尾の部屋へと何も言わぬまま行ってしまった。
そのすぐ後を蒼龍が追う。
断わりもせずに中へ入ると、彼は机に積み上げた本を片っ端から放っていた。
「何を探すんですか?」
「船印だ。」
それには、有りと有ゆらる船の所属と所有者を登録してある。
それなら、と書棚を眺め何冊か抜き出し、彼に差し出した。
「なんでお前が知ってる?」
「あたしが整理したからでしょうね。あなたがやるとそうやって、
どこに何が在るかてんで分からなくなりますから。」
「悪かったな。なら鱗をトカゲが囲んでるのを捜せ。」
それは百以上にのぼった。
「あこやを渡した時、月は真上にあったと云っていた。
あの船の速さは三ノットくらいだろうから、島を出て四刻は過ぎている。」
「あこやを渡したって、また別のやつに売ったってことですか?」
「そうじゃない。買った女を直接、自分の船に乗せるのは世間体が悪いんだと。
それで金を払って沖で受け取ったらしい。」
「なんて姑息なやつだろう!」
憤るリュウを尻目に、ザンは海図を広げた。
「船は西へ向かったというから、どのくらい絞られる?」
「それでもまだ四十ほど。」
「個人で島を所有しているなら?」
「七つです。」
これまでになく明るい返事に聞こえた。
「何人かやって、情報を集めさせろ。」
「わかりました。」
それから、といってザンが懐から出した物に蒼龍は目を見張った。
「どっかに保管しといてくれ。」
そんな物どこからと云いかけて、やめた。
さっきの船に決まっている。
「よりにもよって、積んでたんですか、そんな物。」
「銅も貼ってない床下で、あこやを一緒に入れやがった。」
見せた手のひらの上には、着物の切れ端。
確かに彼が選んでやった、絽の着物だった。
「やっぱり、一緒に行けば良かった。あたしなら生かしておきゃしなかったのに。」
「船はなくなっちまったし、商売替えするように提案はしてやった。」
だが、あの手合いは懲りずに、同じことをやる。
それも承知の上だ。
「この七つの内の何処かに、あこやはいるんですね。
海図の上では、僅かな点でしかない物を蒼龍は見つめた。
コンパスで測れば指二本もない幅だが、船で海を渡るには二日かかる。
追い風が吹かなければ三日、潮待ちがあればさらに数日無駄にする。
だが、それを待つしかなかった。