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東風  作者: 都の辰巳
7/8

荒海 其の六

戸口に張った暖簾の端から、外の様子を窺い見る。

どうやら異変は感じているが、何が起きたかまでは把握できていないようだった。

逃げ遅れた客を装うことも出来そうだと期待していると、上から女将のだみ声が降ってきた。

「これから出て行く男二人、なにがあっても生かしておくんじゃないよ!」

その男二人は身を隠した戸口の両側で目を合わせ、仕方ないというように肩を竦めた。

「おれ達は丸腰だ!抵抗はしない!降参する、だから殺さないでくれ!」


しばらく考えているような間が空いた。

「分かった!大人しく出て来い!」

外には篝火が集められ、昼間のような明るさを作り出していた。

待ち構えていたのはやくざ紛いの用心棒だった。

傭兵でなかったことに一先ず安堵したものの、数だけは一端に揃えてある。

「なにか誤解があるようで。」

「其処から動くな!女将さん、こいつらですか?」

上に向かって確認を取ると、怒号が返ってきた。


「なにをぐずぐずしてるんだい!生かしておくなと・・・」

続くシャン・リーの言葉は、崩れる壁や柱の音にかき消されてしまった。

男たちは蜘蛛の子を散らすように店から遠ざかり、あとには瓦礫と土煙だけが残った。

四階あった娼館は、いまや最上階分の屋根を残すのみとなった。


ザンと蒼龍はどさくさに紛れ、遠巻きに見物している人の群れに身を置いた。

「女将さん、ご無事でしたか!」

残骸の中を掻き分けて、細い腕がゆらゆらと支柱を求める蔓のように突き出した。

男たちがその腕を掴み引き出すと、まるで亀が甲羅から頭を出すようにシャン・リーの顔が外に現れた。

そして何か別の力を得たように、老婆は指を一本真直ぐに伸ばし命じた。

「あの男を連れといで。あたしがこの手で殺してやる!」

驚くことにその指はザンに向けられ、さらにシャン・リーと目が合った。


「あの婆さん、変な力があるのか?」

「ありませんよ、そんなもん!ほら、ばれない内に行きますよ。」

男たちはシャン・リーが誰を指したのか分からず動けない。

「あいつだよ!あの茶色の巻き毛の、伊達男だよ!このうすのろの役立たずが!」

その癇癪に男たちは、鞭を入れられた馬の如く走り出す。

ザンと蒼龍は人混みを掻き分けながら港へと走った。

だがシャン・リーの仕置きを恐れた男たちが、脱兎の如く彼らの行く手を取り囲む。


丸腰の男二人をおかみさんの前に連れて行くだけ。

そんな仕事なら日常茶飯事。

なんで女将があれ程、いきり立つのか分からなかった。

自分達の姿を見ると、大抵のやつは震え上がる。

この男たちも降参すると云っていた。

当然、泣きながら命乞いをするはず。


ところが思惑は見事に外れた。

獲物である男たちより頭一つ抜きん出た大男二人が、声もなく地面に突っ伏した。

しかもそれは偶然でなく、終わりでもない。

間を置かずに挑みかかった五人が、呆気ないほど無力に倒される。

二人を捕らえるのに連れて来たのが十人。

それが今では自分を入れて三人だけ。

思わず声を上げ、男たちを集めにかかる。


細身の優男と軽く考えていたが、どちらも相当腕がたつ。

特に女将が目を付けた、あの茶の髪の奴。

ただもんじゃない。



ワラワラと現れた雑魚どもの相手をしている間に、気がつくとザンの姿を見失っていた。

男たちの太刀を払い退けながら、辺りに目をやる。

いた、彼の所から五間ほど離れた港に近い場所にいる。

シャン・リーは本気で彼らを殺したいようで、新たに屯って居た連中を金で雇ったらしい。

男たちの人数は減るどころか、どんどん増えた。


少し前から騒がしい声がしてはいた。

だが、蒼龍はそちらを気にする余裕がなかった。

鼻を突くきな臭い。

それでやっと、瓦礫に火がついた事を知った。

炎はあっという間に周りの建物へと燃え移り、辺りは火の海になった。

もう誰かを捕らえて連れて行くどころの話ではない。

自分達の命のほうが大事に決まっている。


身を翻した時、炎を背に立つシャン・リーの姿が飛び込んで来た。

結い上げていた髪を見るも無残に振り乱し、着物の片袖は裂けて、しかもあちこち焼け焦げが出来ている。

驚いたのはそのあとだ。

その手に握られていたのは、長くて古めかしい猟銃。

”どこにあんなもの隠していたんだい。”

その銃口が狙う先は、自分でなくザンだと気づく。

事実、蒼龍の警告にザンはチラリと此方を見た。


なのに如何したわけか、何時まで経っても逃げる様子がない。

何か他のものに気を取られ、切り掛かる男たちのことすら上の空で反応しているようだった。

突然耳を劈くような銃声が辺りに轟き、一発目は在らぬ方向へ飛んで酒場の壁を撃ち抜いた。

二発目はザンを掠りもせずに、無関係の見物人に当たった。

三発目が発射され、今度はザンの真後ろの男が悲鳴を上げる。


蒼龍の方は、律儀に残ったシャン・リーの手下三人に手一杯だった。

近くにいる一人を蹴り倒し、もう一人の鼻に拾った燃えさしの松明を見舞う。

四発目が響いたとき彼は残った一人に手古摺って、

ザンともう一人の男が崩れるように倒れるのを手を拱いて見ているしかなかった。

「あんたに恨みはないけどね、邪魔するなって云ってるんだ。」

怒声と共に振り下ろされた太刀を松明で受け流し、蹈鞴を踏んで前のめりになった男の頭にそれを打ちつける。

骨が減り込む厭な感触に、彼は顔を顰めた。


人の流れに押されるように、ザンの所へ走った。

彼のことだ、大丈夫に決まっている。

これまでだってあの人は、いつもこっちがハラハラするような事をやってのけて来たんだ。

今度だって、その内立ち上がって着物が汚れたと文句を云うに違いない。

だがザンは立ち上がらず、どこからか現れたロキの肩に担がれて運ばれて行くのが見えた。



目が覚めた其処は、天井に見慣れたシミがある自分の部屋だった。

起き上がろうとして、苦痛の声が思わず洩れる。

「何してるんです?ひとが苦労して弾を取り出して、やっと縫い合わせたってのに。また傷口が開いちまうじゃないですか。

弾はもう一人を貫通したおかげで、浅い所に止まってたんです。あれが直接あなたに当たってたら、それ位じゃ済まなかったんですよ。」

蒼龍の忌々しそうな声が聞こえた。

「こんなもの大したことない。寝てなんかいられるか、船を追わなけりゃ。」

「船なら追ってますよ、ちゃんと。」

落ち着いた様子で、彼は寝椅子の向いに腰を下ろす。

「あこやが居たんだ、見間違いじゃない。あれはあこやだ。」

「覚えて無いんですか?ここへ戻ってから船の名とあこやがいたって、あたしに云ったこと。

あたしが覚えるまで何度も復唱させたんですよ。」


「あこやだった、確かだ。お前が買ってやった絽の着物、紫の地に菊の柄の。あれを着てた、覚えてるだろ?」

ザンが自分の云う事を、これほど必死に訴えたのは初めてだった。

「あなたがあんなへっぽこ弾を避け切れなかったんですから、もちろん信じます。」

「あそこに居たんだ、手の届く所に。」

「いまだって手は届きます。船はうちの方が速いんですから、次の寄港地に先回りして取り戻せばいいだけでしょう。」

「そんな悠長なこと云ってられるか!」

「それじゃどうするんです?あの船を襲うとでも、海賊みたいに?」

「そうだ。」

熱で浮かされた目がじれったそうに蒼龍を見た。

「そりゃ、あなたが怪我をしてなけりゃ賛成しますけど。いまはダメです。」

「お前は来なくていい。」


右腕一本を支えに体を起こしたまでは良かったが、息は荒くなり壁に背を預けているのが限界だった。

「来るなと云われても、行くときゃ行きます。あなたが正しいと思えるなら従いましょう。

でも無理をして死んじまったらどうするんですか?あたし一人じゃこの船、御し切れないと分かってるはずですよ。

彼らがあたしの云う事に大人しく従っているのは、あたしの後ろにあなたが居るからだって。

あこやを取り戻すには、あなたが居なくちゃだめなんです。」

云われてしまえばぐうの音もでない。

「いちいち腹の立つ奴だな、お前は。」

黙って聞いていた後に、ぼそりと云った。

「それはあたしが正しいってことです。」

澄ました顔で蒼龍は応える。

癪に障るが、行っている事は正に正論だった。


ザンは詰めていた息を大きく吐き出し、観念して身を横たえた。

「船は何処へ向かってる?」

「ラグダっていう、小さい島が寄り集まった国です。

シトラと同じ歓楽街が売りで、あの船はその手の島を巡っているっていってました。

どうも、ただの客船じゃないようです。」

「なんだ、やばいもんでも運んでんのか?」

「きな臭いもんから人まで。なんでも御座れです。」

「どっからそんな情報仕入れたんだ?」

「ロキに決まってんじゃないですか。そうだ、伝言があるんです。あこやの事は悪かった。

でも、あなたの命を助けてやったんだからチャラにしといてくれ、だそうです。」


蒼龍がロキをこの船に乗せてやるとは思えない。

「あいつをどうした?」

「とっくに逃げました。シャン・リーの金を幾らかくすねて。」

「黙って行かせたのか、あれだけ腹を立ててたのに。」

「一様、あなたを助けた事は助けたんですから。もちろん、釘は刺しときましたけど。二度とあたしの前に顔を出すなって。」

蒼龍の釘はそんな甘ちょろいもんで済まない筈だ。

ロキを使えなくなるのは不便だが、諦めるしかなさそうだ。


もうひとつ、気になっていることがあった。

「女たちの方は?」

「行く場所がある娘は幾らか持たせて帰しました。でも、殆どが他の店に移るでしょう。その方が楽だってのもあるし。

この世界に一度足を突っ込んじまったら、抜け出そうにも抜けられなくなっちまう。

真っ当に暮らそうにも、いつ昔の客に遭わないとも限らない。そんな話が広まっちまえば、もう誰も相手にしちゃくれません。

世間は一生あたしらを色眼鏡でみますからね。」

そう云った蒼龍の表情は哀しげでもあり、仕方のない事と割り切っているようでもあった。


「お前の気は済んだのか?」

「どうでしょうね。店を潰してざまぁ見ろ、とは思いますが。全部水に流してとは、なかなかいきません。

たぶん、なにをしても、この感情は消えちゃくれないでしょう。」

「気が済むまでやることもできるだろう。」

「いやですよ、あんな婆ーさん追い掛け回す人生なんて。」

それに、と蒼龍は言葉を続けた。

「しぶとい婆さんですから、また何処かで同じ商売を始めるでしょう。

それでもしまた、あたしらに悪さをしたら同じように潰してやります。

たぶん、その方があの婆さんにとっても打撃が大きいでしょうし、あたしにとっても壊しがいがあるってもんです。」

「なら、いい。」

そう云ってザンは目を閉じた。


「どのくらいで着く?」

「そうですね、あと半日ほど。夜明け前には着きます。

あっちはそれより、また半日遅れになりますから。それまでに準備万端整えておかないと。

ですからそれまで、大人しく休んでて下さい。」

「着く前に起こしてくれ。」

「分かりました。」

云って蒼龍が部屋を出ようと、椅子から立ち上がる気配を感じた。

「お前なら、この船を仕切るぐらい楽勝だ。」

その背に向かって、ザンが加えた。


「なんたって、このおれが逆らえないんだからな。」

「煽てたって、なにも出ませんよ。」

「もしおれが死んだら、船はお前のもんだ。証書も作って、組合に預けてある。」

「なにばかな事いってんですか。死にゃしませんよ。」

「いいから聞け、こんな時だから云っとくんだ。もし、あこやを見つけられずにおれが死んだら、

お前が必ず見つけてくれ。そして、あいつの安住の場を見つけてやってほしい。」

その云い方に不安を感じ、蒼龍は行き掛けた足を戻した。


「どうしたっていうんです?あなたがそんな弱気になるなんて。

これくらいの怪我、前にいくらでもあったでしょうに。」

「弱気になったわけじゃない。お前に色々報せておきたかっただけだ。」

「じゃ、あたしも云わせてもらいますけどね。この船貰った所で、あたしはちっとも嬉かありませんから。

あなたがこの船の主だから面倒をみてるんです。それを勝手に、譲るの何のと決めちまって。

あこやの事はいいでしょう。もしも、あなたに何かあったときには、あたしが命に換えても連れ戻して面倒みます。

でも、船はあなたの物です。あたしにどうしろって云うんですか?」

「いらないなら、売っちまえ。」

「こんな曰くつきの船、誰が好き好んで買うっていうんです?そんな物好き、あなたぐらいなもんですよ。

それにしたって、そんな証書いつ作ったんですか?」

「去年の秋だ。」

「あこやの姉さんの件で?」

「まぁな。」

ザンがそう決断した気持ちは、理解できなくもない。


「そんな先の事を心配しても仕方ないでしょう。この船もあこやにも、必要なのはあなたです。

それは判ってますよね?」

「おれだって不死身じゃない。いつどうなるか・・・」

「それなら、もう少し身を謹んでくださいな。」

ザンに最後まで云わせずに、それを打ち消す。


「それじゃ、おれがまるで無鉄砲みたいじゃないか。」

「みたいじゃなくて、無鉄砲なんですよ。なんにでもすぐに首を突っ込んで。」

「おれが首を突っ込むわけじゃない。向こうがおれの首根っこ掴んで、引き釣りこむんだ。」

「あなたがモノ欲しそうな目で見てるからですよ。」

「そんな目するもんか。」

「いいえ、してますよ。何か面白そうな面倒が落ちてないかって目で、あちこちウロウロしてるから。

ろくでもないもんにとっ摑まっちまうんでしょうに。」

「判った、判ったよ。大人しくしてりゃいいんだろ。してやるさ、あこやを見つけるまではな。」




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