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東風  作者: 都の辰巳
3/8

荒海 其の二

地響きにも似た屋敷中に聞こえるような音がしたにも関わらず、誰も様子を見に来ない。

彼女も寝台の外へ出るつもりは、さらさらなかった。

男はまた暫く動かなかったが、卓を押しのけ立ち上がった。

「お前にはお仕置きが必要だ。わたしの前に膝をついて謝るまで、食事は一日に一度だよ。

死んでしまっては詰まらないし、元も子もないものな。わたしに逆らうお前が悪いんだ。

食事を抜いて少し弱れば、それもまた良し。この次ぎ会うときが楽しみだ。」


そう云われたのが3日前。

あとどれだけの時間が彼女に残されているのだろう。

「どうあってもお屋敷から出たいと申されるのならば、お手伝い致しましょうか。」

低く心地のよい声が云った。

「助けてくださるの、どうして?」

「わたしは商人ですので。お客様が望まれるならば、どんな事でも致します。」

「それでは代価が必要でしょう。私は何も持っていないもの。

それに彼を裏切って私を逃したら、貴方のお商売にも響くでしょ。

私を見なかった事にして下されば、それで十分よ。」


「お客様はこちら様だけではありませんから、ご心配はいりません。

それに、例えわたしが貴女を見なかったと云っても、

遅かれ早かれ貴女は見つかってお屋敷に連れ戻されるでしょう。この近くに通用門はありませんから。」

「私が行きたかったのは、太鼓橋の所で見た通用門だもの。こんな所へ来たくはなかったのよ。

それなのに暗かったし、何処で道を間違えてしまったみたい。貴方、太鼓橋がどちらの方かご存知?

教えてくださると、とても助かるのだけれど。」

「太鼓橋は東です。ここは西の外れ。逆方向へおいでになりましたね。

「まあ、これだけ騒ぎが大きくなってしまっては、今夜外へ出るのは無理です。

二日いただけるなら、誰にも知られずに出して差し上げられます。」


「二日も待っていられないわ。一度とても痛い目にあっているから、私に手を出すのを躊躇っているけれど。

いつあの男に襲われるか判らない所に、一日だって居たくはないもの。」

「お怪我は?」

それまでと声音が変わった。

「痛いおもいをしたのはあの人だけ。あの人は、私のことが少し怖いのよ。頭がおかしいと思っているから。

私に対して出来るのは、食事を一日に一度にする意地悪くらい。

そうでなくても、ここの食事は塩がきつくて、口に合わないのだけれど。」


「それでは、あと一日。もしも空腹でしたら、今はこの様な物しかありませんが。

どうぞ、召し上がって下さい。」

渡されたのは紙の包み。

中には色とりどりの飴玉が入っていた。

「アメだわ。」

彼女は大事そうに紙袋の口を折り畳んだ。

「お気にめしませんか?」

「とんでもない、大好きよ。だから、あとで頂くわ。でも、どうして、そんなに良くしてくださるの。見ず知らずの私などに。」

「前に申しあげましたように、わたしは商人ですので。お客様のご希望にお応えするのが仕事です。」

「でも、私には差し上げるものが何もないのよ。」

「建前上、彼は貴女の所有者ですので、彼に払って頂きます。

あと一日、お待ち頂けますか。出来れば鍵のかかる場所から出ないように。」


「ええ、たぶん何とかなると思うわ。いいえ、します。」

「よかった。では、これを差し上げておきます。方向がわかるように。」

男の手が彼女の腕をとった。

そして、手のひらに円いものが乗せられる。

「これは何?」

思いのほか男が近くにいることに、どきりとさせられる。

「羅針盤では。使い方はおいおい教えて差し上げます。まず今夜の事を穏便に治めなければ。

「いいですか、貴女は逃げ出そうとしたのではありません。

眠れないので庭の散策に出て、迷子になったとおっしゃってください。

どうやら自分は酷い方向音痴で、帰り道が判らなくなったと。庭に出る事は許されていますか?」


「私は方向音痴ではないわ、絶対に。暗くて道が判らなくなっただけよ。」

なぜか男の言葉に腹が立った。

「ええ、ええ、そうでしょうとも。ですが今夜のところはそう云う以外に説明のしようがないんです。

逃げ出したと知られれば、貴女への監視が強化されてしまいます。出られなくなってもよろしいですか?」

それは、困る。

ため息をついた。

「わかったわ、私は迷子になったのね。方向音痴だから。」

「それでは、わたしが適当な場所までお連れします。着いたらすぐに助けを求めて下さい。

そして次にお会いするときまで、わたしのことはお忘れ下さい。」

「私は迷子になっただけ、誰にも逢っていません。」

「よろしい。では参りましょう。」


なんとも慣れた仕草で彼女の手をとった。

男の手は温かい。

今さっき逢ったばかりの男だと、彼女は自分に問いかけた。

暗闇のなかに浮かんだわずかばかりの輪郭で、男が頭ひとつ彼女より大きいと知った。

この手は、引き抜くべきだろうか。

もちろん、そうに決まっている。

「私は貴方とどこで逢えば良いの?」

逸れてしまわないように、彼女はしっかりと指に力を入れた。

「お部屋にいらして下さい。わたしの方から参ります。」


彼女は部屋の位置を説明しようとした。

すると、

「存じております。」

「貴方には、知らないことが無いみたいね。」

「とんでもない。知らないことばかりで、自分が嫌になります。」

「私は、」と云いかけた口を塞がれた。

「誰か来ます。」

低木の陰に二人で身を隠した。


二人の男がランタンを手に、辺りを探りながら近づいていた。

しかし、彼らとの距離はだいぶ離れている。

あれならば見つかる心配はなさそうだった。


男の声が耳元で囁く。

「いいですか、部屋を出てはいけませんよ。」

”部屋で待てといっただろう!どうしておれの言うことがきけない!”

頭のなかに声が響いた。

ザンの声。

もしや、と思った。





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