前夜
今は2007年8月の下旬。高校2年の僕は明日、つまり2学期から新しい高校へ通う。まず浮かんでくる疑問は、「どうして8月に学校があるのか?」ということだ。考察してみよう、あくまで論理的に。
第1に、この高校(M高)は新潟県北部に位置している。すなわち、僕が最近まで住んでいた埼玉県の熊谷に比べれば幾分涼しい。確かに熊谷は暑い。京都と同様に、周囲を山に囲まれた盆地なのだ。それに比べれば、この地域の気候など大したことはなかった(少なくとも、僕が越してきてからの数日間は)。オーケー、実に論理的だ。
第2に、M高は進学校を気取っている…いや、これは少し、少しだけ違う。「M高は“県北の進学校”と評されている。」うん、これが正解だ。そしてそのイメージを守るため、あるいは、さらなる高みを目指すために他校に先んじて授業を開始する。やれやれ、なんて涙ぐましい努力だろう…待て、最後は僕の感想だ。したがって、この考察は実に非論理的だ。主観的で一辺倒だ。もしこの論理を学会で発表したら、ブーイングの嵐に加えて、トマトまでぶつけられるかもしれない(確かスペインにそんな祭りがあった)。まぁ、8月に授業を行う理由はこんなところだ。多少無理にでも納得するしかない。とにかく、M高は明日から2学期だ。この事実は、携帯電話にカメラが付いているぐらいに当たり前のことなのだ。今更文句を言っても始まらない。
さて、次は明日の段取りを考えよう。1,担任が僕のクラス(2年3組)の面々に「宿題やったか?」、「2学期もがんばれ。」など月並みな挨拶をする。2,そして担任が僕の名を呼び、僕は教室に入る。ガラガラ。…この時に「閉店ガラガラ!」と言って入るのはどうだろう?いや、やはりやめよう。まず、教室内のボルテージが掴めない。さらに、40人のうち何人が“ますだおかだ”のギャグを認知しているのだろう。以上2つの不確定要素により、「閉店ガラガラ!」はリスクが大き過ぎる。
更なる問題は、そのあとの自己紹介だ。僕は17歳になった今でも、この自己紹介という行為に対して正当性・意義を見出せない。その訳は、僕が持つ印象は人によって大きく異なり、また、僕が僕に対して持っている印象ですらあまりにも不確かだ。それは海底に溜まった砂の様に掴み処がない。
したがって、今まで僕は自己紹介の際には、“事実”のみを忠実に、そして簡潔に述べてきた。恐らく明日もこの様になるのだろう。
「どうも。皆さんおはようございます。僕は○○と言います。埼玉県から来ました。最近のマイブームは写真を撮る事です…。よろしくお願いします。」
これで明日のイメージトレーニングは十分だろう。僕はひょっとすると用意周到な性格なのだろうか?いや、考えても仕方がない。それは僕の周りの人間が決めることだ。
ある一人の人間にとって、ある種の問題は時に宿命的な命題となる。それが僕の場合は“自己紹介における正当性・意義”なのだ。恐らく、僕は大学生になり、のちに社会人に、さらに老後に至るまで、この命題の答えを考えるだろう。それは文字通り命の限り解くべき問題なのだから。