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今回も、ディザ君視点になります。
「さっきは驚かせて御免なさいね。私は、アナンダ=バラッティ・コマーラヴァチャ。長いから、アナって呼んでね」
現在、四人は玄関から奥の部屋に移動して丸いテーブルを囲んでいた。
先ほどまでの鬼の形相はどこにいったのか。アナは天使のような微笑を浮かべて、コーデリアの目の前のテーブルにティーカップと皿を置いた。そしてそのまま向いの席に座る。アナの隣にはボロボロになったトキがテーブルに突っ伏していた。その向かえに、ディザが座り横にコーデリアがいた。
と、途端にそのディザの隣からは盛大な音が鳴り響いた。
ぐううううううううううう
「・・・・・・あの、その」
「ふふふ、こんな物しかないけど、遠慮しないで食べて頂戴ね」
顔を赤くしてお腹を隠そうとするコーデリアを見て、アナは大層微笑ましそうに笑った。その事にさらに恥ずかしそうにしたコーデリアであったが、小さく頂きますといって目の前の菓子に早速手を伸ばしていた。
コーデリアの目の前に用意された菓子はアナ手作りの焼き菓子だ。そして、ティーカップの中には暖かい茶が入っている。ちなみに、ディザとアナの目の前には珈琲が入ったカップが置かれ、トキの前には何も用意されなかった。
トキはその事を文句を言おうとアナに一度声を上げかけたが、一睨みされて結局すぐに黙っていた。会った時の調子の良さはどうしたのか。今や尻尾が垂れた犬のような状態だ。
そんな、しょぼくれたトキをコーデリアは菓子を摘みながらもちらちらと気にしているようだ。が、他の二人は完全に視界から廃絶していた。
アナは自分に用意した珈琲を一口飲み、ディザも何事もなかったように懐から出したタバコに火をつけていた。普段からあまり吸う方ではなかったが、先ほどの事で少し疲れていた。幼い頃からの何時もの事とはいえ、吸ってないとやってられない。
しょぼくれていたトキはそんな他の三人が一息つくのを見計らってから、机に突っ伏したまま不満そうな顔を隠そうともせずにディザに話しを振ってきた。
「で、ディザ君は仕事で来たんだろ? まさか、本当にコーデリアちゃんを引渡しに来たわけじゃないでしょ~」
「今日は仕事の件もあるが、コイツを連れて来たのはアナに言われたからだ」
そういって、コーデリアを顎で示せば当の本人がきょとんとした顔でディザを見た後にアナに視線を送った。
「あら、ちゃんと覚えてたのね」
アナはそう言って、心底意外そうな顔をした。
失礼な物言いに一瞬ムッとしたも何も言わなかった。確かに連れて来るのは面倒なのだが、連れてこなかったら連れてこなかったで、後で面倒な大変なめにあうからだとはディザは口と表情には出さずに、さっさと話を進めた。
「・・・・・・早くこいつを診察しろ」
小さく溜息だけを洩らしながら目線だけでコーデリアを示すと、当の本人は戸惑った顔でこっちを見た。
「あの、ディザ。診察ってどういう事?」
これも言ってなかったかと思いつつ、ディザは簡潔に言った。
「アナは医者だ」
「へ?」
「やだ、聞いてなかった? 私はこの『無地』で医者をしているの。コーデリアちゃんの薬とか処方してたのは私なのよ」
「あっ、だから名前っ」
コーデリアの問いにアナは頷いた。
「ええ、そうよ。ディザから聞いたの。それにしても、直接本人が見れない状態で治療するのなんて始めてよ。雨が降ってるから見に行く事も連れて行くこともできなかったし。ディザから詳細な情報を何度も聞いてある程度の誤差を計算した上で、副作用がなるべく出ないように薬作るの大変だったんだから! それに、本当に驚いたわ。だって、あのディザがっ」
「アナ」
余計な事を言われる前に話を遮る。
顔を見るとアナは少ししまったという顔をして一度咳払いをした。そして、すぐに何もなかったかのように話を再開した。
「まあ、そんな訳で。コーデリアちゃん、傷の具合はどお? ディザの話だと薬は効いたようだし、見たところ順調に回復しているようだけど」
「あっ、はい。ありがとうございます。お陰で痛くありません」
そう言って、コーデリアは腕を差し出す。包帯は巻かれているが傷は大分いいのだろう。
差し出された腕を見て、アナも小さく頷きいた。
「うん、副作用も今のところ無さそうね。でも、女の子だし傷が残らないといいけど。内科的な事も見たいし、少し見せてもらおうかしら。良いわよね?」
最後の方だけディザに向かってアナは言った。恐らく金の事だ。いくら知人とは言え、取る物はきっちりと取るところは、ここの住人らしい。まあ、コーデリアに悟られないように言う辺りは気を使っているのかもしれなかった。
ディザは小さくため息をしつつ頷いた。
「ああ、構わん。それともう一つ頼みがある」
「頼み? まあ、ディザにしては珍しい言い方ね」
少し意外そうな顔をしたアナの顔が気になったが、ディザは淡々と続けた。
「こいつの服とか必要なものを揃えて欲しい。生活に必要な最低限度のものを全部」
「あら、それもいいの?」
「ああ」
頷くと、アナは数度意外そうに瞬きをした。そして、心底面白い物を見たというように笑い「わかったわ」と頷いた。その反応に、少し苛立ちを覚える、と、アナの横を見れば同じように顔をニヤけさせたトキがこちらを見ていた。そちらには、睨みと殺気を送り込んでおく。と、そうしている間に隣から驚くような視線を感じた。ちらりと見ればコーデリアが戸惑ったような顔をしてこちらを見ていた。
「何だ」
そう言うと、コーデリアは目を何度も動かしてから恐る恐るといった風に言った。
「あの、だって、いいの?」
やはり頭は良いようだ。アナの言葉で予算が絡んでいる事を察したようであった。申し訳なさそうに問いかけるコーデリアに、ディザはため息をついた。
「あげるわけじゃない。いずれ返せ」
生憎、人に施しをする余裕はディザには無い。というよりも、『無地』の住人にそんな余裕がある者がいるのだろうか。生活していくには金が掛かる。それは当たり前の事だ。
それに、一度拾ってしまった責任というのもディザには多少なりともあった。暫くは側で働かせると流れとはいえ約束してしまった責任もある。今回は投資資金だとディザは思っていた。いずれ、働いている間にあいつが稼いだ分を徴収すればいい。
だから、こうも気にされるのは正直面倒でディザは殊更冷たくコーデリアに言い放った。
なのに、何故かコーデリアは嬉しそうに笑った。
「ありがとう、ディザ」
そう言って、さらにニコニコと微笑んでくる。
貸しを作るというのに何故そんなに嬉しそうにするのか。感謝されるように微笑まれ、ディザは少し居心地が悪くなった。
と、静かだと思って視線を向ければ、アナとトキが今度は微笑ましそうに笑っていた。
「何だ」
つい、苛ついて声が低くなる。だが、この二人には全く効かなかったようだった。
「いやいや、なんでもないって。ねぇ、アナちゃん♪」
「ふふ。まあ、いずれ私が準備してあげようと思ってたし良かったわ。一通り必要そうな物は買っとくわ。ついでに、どこでどう手に入れるかも教えてあげる。といっても贅沢はいえないし私に任せてもらうけど、いい?」
「ああ、女の事はわからん」
「でしょうね。で、予算はどれ位あるの?」
「必要ならかかってもいい」
そう言うと、アナもトキも目を丸くした。
「なになに? 何かの天変地異?」
「明日は槍が降るかもしれないわね」
「・・・・・・お前らな」
腹の底からの苛立ちを声に出せば、二人は慌てて苦笑いをした。
「あら、ごめんなさい。ま、これからの事もあるしなるべく長持ちして安い物を探しましょう。とりあえず。服は早急に用意しないとね。それ、ディザのジャケットでしょ? それにブーツも。小さいサイズとは言えブカブカね。しかも、中はシャツなのそれ? まるでワンピース状態じゅない。病人にこんな格好させて風邪引いちゃうわ」
そう言ってアナがコーデリアを見る。すると、隣にいたトキが急に元気を取り戻したかのように顔を上げてコーデリアをまじまじと見た。
「うっわ、ディザ君マニアック♪ 女の子に自分のシャツだけ着せてさ~♪ この、ムッツリス・ケ・ベ・さ・ん♪」
「お前は今すぐ早急にその口と目を黙らせろ」
「さっきだけじゃ、足りなかったようね?」
トキのふざけた発言に、自然と口から言葉が出た。向かえからはアナの冷ややかな一言と拳が鳴る音が聞こえてくる。トキはニヤついた顔をしたまま口元を引きつらせ、直ぐに両手を上に上げて降参の意を示した。
それを見届けてアナは苦笑いしているコーデリアを見てニッコリと笑った。
「変態は無視して。他の物はさておき、何着か用意しないとね。あ、そうよ! 明後日にでも《館》に往診に行くからその時にあの娘達から古着買い取って着たほうがいいかもしれないわね。もしかしたら、貰えるかもしれないし」
アナの提案に、ディザは一瞬迷った。そして、すぐに何故自分に迷いが発生したのか疑問がわいた。その複雑な心境に答えを見出せないまま、ディザは直ぐに頷いた。
「任せる」
そう言うと、アナはぽんと今度は両手を打ち合わせた。
「じゃあ、決まり! とりあえず今日明日は私のお古をあげるからそれを着なさいな」
「いいんですか? ありがとうございます!」
コーデリアが嬉しそうに笑顔で頭を下げた。それを見てアナはパンと両手で手を打って立ち上がった。
「よし! じゃあ、コーデリアちゃんは診察! 同じ建物に私の診療所があるからそこに行きましょう」
「え~、ここで見ればいいじゃっ」
「あんたは診察を覗きたいだけでしょ、空気以下」
「空気以下ってひどいアナちゃん!」
トキの発言に直ぐに冷たい一言をぶつけたアナはその後のトキの言葉も無視して、唖然としているコーデリアを立たせた。
「ささ、じゃあ行くわよ」
「えっ? えっと……」
コーデリアは戸惑うようにチラリとディザに視線を向けた。
わざわざ、了解を得る必要性などない。だが、コーデリアはどうやらそう思っていないらしい。それに、これからどこに連れて行かれるのか不安なようだった。
「行って来い」
「でも……」
まだ不安そうな顔をする。それあ、まるで、置いていかれるのを恐れている子供のようだった。
ディザは小さくため息をついた。
「・・・・・・後で、迎えに行く」
そう言うと、やっとコーデリアは安心したように笑った。
コーデリアとアナが出掛けていき、ディザとトキはテーブルから離れて彼の作業場に移動した。
そこは周りをガラクタとしか思えないような物で埋め尽くされ、二人座るのがやっとの場所である。ちなみにトキの家は大体こんな感じで、先ほどまでいた玄関からテーブルが置かれたスペースは比較的人がいられる環境に整えられたらしい。
ディザたちの周りにはドリルやペンチ、コードなどといった工具の他に、幾つものコンピューターの液晶画面が並び其々画面にはディザには理解しがたい数式や図形、言語の数々が映し出されている。両脇には60年前の録画機器、テレビ、ラジオ、パソコンや、携帯、タブレット式の物まで、今では資料でしかお目にかかった事のない品物が色々と積み重なっている。
トキは事故以前の電気機器や精密機械、果てはボーガンや拳銃といった武器まで修理、改良、もしくは資料を基に復元や開発をして主に『楽園』に売りさばいていた。
本人曰く天才メカニック、ディザから言わせれば機械マニアだ。
そして、もう一方で情報屋としての顔も持っていた。どうやっているのか、『清地』のあちこちから来る情報を収集し、その情報を各方面に金次第で売っている。また、その中には仕事依頼もあり、ディザのような闇稼業を生業としている連中に仲介として提供している。料金は依頼料と内容によって様々だ。
狭苦しい場所に二人して座るなり、ディザは早速仕事の話に入った。
「何か仕事は入ってないか?」
「今は何にも。珍しいくらいに静かだよ。そんな事よりも♪」
と、目の前のトキが妙ににやにやした顔をしてきた。明らかな冷やかしの顔にディザは思いっきり不快に眉を潜めた。
「何だ」
「いえねぇ~。随分と懐かれてんじゃないの~♪」
コーデリアの事を言っているのは明白だった。ますます不愉快な顔をすると、トキは興味津々の顔で身を乗り出してくる。
「ねえ、本当は何処から連れて来たのさ。もしかして、貰ってきたの? それとも買って」
「それ以上言ったら、本当に殺すぞ」
「ああ、ごめんごめん怒るなって。冗談だよん」
トキは慌てて降参というように両手を顔の両側に上げてみせた。
「お前が年下の、しかも女の子に純粋に懐かれてるのが面白くってさぁ」
「その軽薄さと思ったことを直ぐに口にするのを直さないといつか命を落とすぞ」
「ああ、ごめんごめんって。でも、真面目な話。ディザ君。コーデリアちゃんって何者なわけ?」
と、それまでのふざけた雰囲気を引っ込め、急に真面目な顔をして聞いてきたトキに、ディザも殺気を引っ込めた。
今日の目的の一つだったのだ。
「それをお前に調べてほしい」
「ああ、そゆことね」
納得したようにポンと拳を片手で叩くと、トキは頭に載せていたゴーグルを目に移し、周りにあるパソコンの一つに向かい始めた。
トキの情報網には六十年前から地球に暮らしている人間の殆どのデータが入っている。いったい、どうやってかき集めたのか、家系図から、名前、年齢、生年月日、家族構成、趣味や病歴まで、おそらくデータの本人ですら知らないような事まで入っている事がある。
『聖地』に関してはまだ不十分な事も多いが、それでも、ここのデータにあたって見つからない人間はそうそういない。ものの数分で見つかるはずだ。
普段は唯の変態オタクであるが、この情報収集能力をディザは認めている。と、いうよりこれがなければ当の昔に縁を切っているのだが。
だが、今回は妙に時間がかかっていた。
ディザはひたすら手を動かし続けるトキに声をかけた。
「どうだ」
トキは画面を見たまま芳しくない顔で首を横に振った。
「ん~、おかしいな。どこを見てもそれらしい子がいないんだよね。コーデリアって名前の子は何人かいるけど。顔や年齢や見た目が合わない。『聖地』の子なのかな」
トキのセリフに、ディザは眉を寄せた。
「間違いないか?」
「それは断定できないけど。でも、ディザ君も知っての通り『聖地』だけはどうにもならない部分があるしねぇ。あの、塀の向こう側はハッキングするのも難しいし。これでも話に聞いて『聖地』の一般人のデータは大方網羅してるはずだよ? データがないって事はおそらく、『聖地』の中でもかなりの位の高いか、かなり低いかのどちらかじゃない? コーデリアちゃんの雰囲気的には位が高い感じだけど」
トキの考えにディザは眉を寄せた。
『聖地』は教主と呼ばれる男を筆頭に、住む人間が位や職種で身分付けされている。
だが、あのコーデリアがそこで暮らしをしていたのかと言われれば違う気がした。理由を聞かれれば勘としか答えようがない。だが、あの『聖地』から時々出てくる連中の雰囲気と明らかに違う気がした。といっても、それも記憶を無くしたせいだと言われればそこまでの話だ。
ディザはコートの下から白い布を取り出した。
「何それ?」
布を受け取ったトキは、難しい顔をしてさっそくゴーグルを外して布を観察しだした。
「コーデリアを見つけた時に、あいつが着ていたものだ」
「ふうん、なんだかポンチョみたいな感じだね。でも、素材は見たことないものだねぇ」
さすがと言うべきか、布が特殊な素材であるとわかったらしい。トキは興味深そうに布の手触りを確かめている。布をひっくり返し、裏地を確認しながら何度も見ている。
「ん~、とりあえず、『無地』にはない。『楽園』で作られた物でもないね、これ」
「というと?」
「つまり、『聖地』で作られた可能性は大って事。まぁ、調べてみるしかないね~。ねえ、これ少し切り取ってもいい?」
そう言って、トキはゴーグルを外して顔を上げた。ディザは直ぐに頷いた。
「ああ。だが、何に使う?」
「ん? 俺の分析用と、あとロミ君用に。あ、そうだ。他にも渡したい物あるから、一緒に届けてくれる?」
そう言って、早速布から切り取った一部を透明な袋に入れ、それと一緒に他の封筒を渡してきた。
「それは仕事依頼か?」
「うん♪ 報酬はいつもどおりに」
「分かった。調査も頼むぞ」
「オーケイ♪ まっかせといてん♪」
トキはかなり楽しそうに頷いた。こういった、摩訶不思議な物を調べるのが昔から好きな男である。こうなったら、どんなに声をかけても邪魔はできない。
鼻歌まで歌いだしたトキを見ながら、ディザは話は終わったと立ち上がった。
「あ、ねえねえディザ君! もう一つ聞いてもいい?」
珍しい事に、トキの方から入口に歩きかけていたディザに声をかけてきた。
「何だ」
何事かと振り返り言うと、ゴーグルをつけていても分かるほどに興味津々という顔のトキと目が合った。
「で、結局。何でコーデリアちゃん拾ったの? 普通、路上に人が転がってても助けないでしょ?」
たしかに、『無地』で路上で人が転がっているのは日常茶飯事だ。いちいち助けていたら切が無い。ゆえに、『無地』の住人達はいちいち人など助けない。
ディザはしばらく考え。こいつに嘘をついても仕様がないと正直に答えた。
「『音』だ」
「『音』って、いつもの?」
「ああ、あいつの『音』が彼女に似てたんだ」
そういい残して、ディザは部屋を後にした。