描く未来
坂本真綾『Ask.』を聴いて、そのまま文章に起こしたものです。
イメージが違う、と思われた方は見なかったことにしてください。
左手が、あなたの肩を叩こうと宙に浮いていた。
目のまえにいるのに、とても遠くに感じているわたし。
机に座って地図を眺めているあなた。
真剣な表情で、椅子に深く座り込んで大きな目を輝かせている。
右の利き手には誕生日に買ってあげた万年筆があって、忙しく動き回っている。
じぶんの意思が左手を落とした。
邪魔してはいけない。
いたずらっこなのじぶんと葛藤し、わたしは食事用の丸椅子に腰を下ろした。
やさしい目をしているあなたが見える、わたしの定位置。
ほかに何をすることもなく、じぃっと見ているだけ。
しあわせだ。
沈黙に浸っているこの時間が好き。
あなたがいっしょうけんめいに夢を描いている、いっしょうけんめいな時間だから。
たとえ、あなたが、わたしから離れていく準備をしているとしても。
「きみはどうおもう?」
そういって、ながい旅に出る計画をわたしに見せてきた。
いくらわたしが止めても聞かなかっただけあって、抜け目なくびっしりと字で埋められていた。
好きあって一緒になったわたしに、残酷さが横ぎったのはいつだっただろうか。
物書きをめざしていたあなたは、行きたい場所があるとわたしに言った。
普段はやさしげなあなたが、真剣におねがいしてきた。
いくらか怯んでしまったわたしは、いやだ、と返すことはできなかった。
どんな言い分であなたを引きとめようとしても、首は横に振られる。
それどころか、あなたはうれしそうに話してくる。
言葉の限界が悔しかった。
あなたの夢は、かんたんに心をうごかしたのに。
わたしの言葉は、あなたに届かなかった。
「いいとおもう。」
でまかせしか、口からはでなかった。
おだやかに口ずさんだあなたの言葉が、心に刺さったまま離れない。
気持ちを隠せるほどいい女じゃない。
あなたは知ってか知らずか、微笑んできた。
巡る先々で、あなたはたくさんの人と出会うのだろう。
巡る先々で、あなたはたくさんの不幸に出会うだろう。
巡る先々で、あなたはたくさんの経験をするのだろう。
巡る先々で、あなたはたくさんの挨拶を交わすのだろう。
そしてその隣に、わたしはいない。
苦しいことも、誇らしいこともあなたが選んで、進んでいくと決めたこと。
その強さをわたしは知っている。
そのそばにいると、誓った。
わたしはそれを、よろこばなければいけない。
あなたが正しいと思うことを選んでくれて、うれしい。
うれしい。
うれしい。
言い聞かせる。
丸椅子から立ち上がると、視界が潤んでいた。
机に座ったあなたが、霞んでみえた。
はやくまちがったものを流すため、あなたに背を向ける。
こんなもの、すべて水に流そう。
思えば、いつだって、そうだ。
あなたが何か尋ねるときは、答えがすでにそこにあるの。
なのになにも教えてくれない。
あなたの見ている未来については、教えてくれない。
蛇口をひねろうとするわたしの肩に、ふと、乗るものがあった。
わたしがさっき落としたはずの左手が、肩に乗っていた。
あなたの左手だった。
その先には、あなたがいた。
微笑んでいた。
照れくさそうに、笑っていた。
「いっしょに、きてくれるかい。」
ほら。
やっぱり、いつだって、いまだってそうだった。
あなたがなにか尋ねるときは、答えがすでにそこにあるの。
わたしが、泣きやんだら。
あなたが思う未来のことを聞かせて。




