第十一話 『ミネルヴァ強襲(後編)』 その1
ミネルヴァは『彼』のことが大嫌いであった。
圧倒的な強さを誇り、ミネルヴァが尊敬してやまない、ミネルヴァの目指すべき頂点の象徴である母
知らないことは何一つないのではないかと思わせるほど博識で、何よりも優しくて温かい父。
そして、生まれた時から常にミネルヴァの前に立ちはだかる強大にして最大のライバル、乗り越えるべき壁、そして、何よりも誰よりも頼れる戦友でもある兄。
ミネルヴァが胸を張って堂々と『人』に紹介することができる自慢の家族達。
そんな家族達の中にあって、彼だけは違っていた。
きらびやかな自分や他の家族と違って、なんの特徴もないぎりぎり平凡な容姿。
ミネルヴァが軽くこづいただけで大怪我をする、脆弱極まりない体。
母が持つ。超絶的な武術の才能がない。
父が持つ、圧倒的な知識の欠片もない。
兄が持つ、天才的な剣技も持ってない。
そして、自分のようなあらゆる方面に精通するような多彩な才能もない。
ないないない。
あらゆるものがない、全てがない、なにもかもを持ってない。
これが自分の家族の一員だと思うと、情けなくて涙が出てくる。
こんなのが自分の家族だなんて、友達にもうっかり紹介することができない。
そう思っていた。
愚かにもそう思っていたのだ、当時は。
いま思い出すとあの当時の自分はなんと傲慢だったのだろうか。
勿論今はそれがそれがわかる。
それがわかるので、そのことを思い出すたびにミネルヴァは、恥ずかしくて情けなくて自分自身を殺してしまいたくなる。
過去に戻ることができるなら、そんなことを考えていた幼い自分自身を張り倒して滅多打ちのボッコボコにして、地のはるか底の底にまで埋めてしまいたくなるほどに、今では猛省している。
猛省しているがしかし、それは今のこと。
昔は・・
幼き頃のミネルヴァは、誰がどう見ても傲慢極まりない自分勝手絶頂小娘だった。
そんなミネルヴァは、『彼』のことを家族として認めていなかった。
同じ家に住んでいながら、『彼』のことをまるでそこには存在していない『モノ』であるかのように扱い続けた。
自分よりも年下の『彼』の面倒は、本来ミネルヴァの仕事であったが・・
彼女は一切それをしなかった。
完全放置である。
今でこそ大きな屋敷に住む都市でも名の知れた資産家のお嬢様であるミネルヴァであるが、当時はまだそうではなかった。
古い築三十年のマンションの一室に住む、ごく普通のご家庭のお子さんであったのだ。
当然ながらメイドさんも執事さんもいない。
お手伝いさんすらいなかった。
そして、両親は共働き。
それなのに彼女は彼の世話をほとんどしなかった。
本来であれば共働きの両親に代わって彼女が彼の世話をしなくてはいけなかったというのに、彼女は一切それをしなかった。
理由は至極簡単だ。
彼のことが大嫌いだったからだ。
家族のお荷物でしかない彼のことが心の底から大嫌いだったから。
だから、彼を放置した。
放置し続けた。
誰もいない家に彼一人を残して。
そのことを誰も責めはしなかった。
何故なら誰もそのことに気がつかなかったから。
両親は共働きでほとんど家にいなかったがゆえに。
兄は、剣の師匠の元で半分住み込みに近い状態で修行していたがゆえに。
誰も。
誰も気がつかなかった。
彼女は彼を置き去りにして外に遊びに出かけ続け、そして、彼は一人で残され続けた。
何日も何日も。
それでもしばらくは何事もなく時が過ぎていった。
だからこそ、誰一人として気にしなかったのだが。
だが・・
運命の日は唐突に訪れる。
いつものように友達に誘われたミネルヴァは、いつものように家に『彼』を置き去りにし、いつものように外に遊びに出かけた。
いつものように楽しい時間があっと言う間に過ぎ去り、いつものように友達と別れを惜しみながらも家へと帰ってきたミネルヴァ。
いつもと変わらぬいつも通りの日常。
ずっとずっとこれからも続いていくと信じていた日常。
壊れることなどありえないと思っていた日常。
だが、固くそう信じて家の扉を開いたミネルヴァを待っていたのは、いつもの日常風景ではなかった。
引き出しや扉を開け放たれた箪笥やクローゼット。
部屋中に散乱する衣服。
壊れた食器類。
割れた窓ガラス。
首をもがれた人形や、粉々に割れた花瓶。
幼いミネルヴァには、目の前の惨状が何を意味しているのか、すぐには理解できなかった。
いつもの日常とは全く違う光景。
いつもとは違う。
それだけは理解できたミネルヴァは、答えを得るために両親に助けを求めることにした。
万が一の場合に備えて持たされていた携帯念話を使い、そのときまだそれぞれの職場で勤務中の両親に念話をかける。
年齢の割には非常に頭がよく、ときに経験を得た大人並に冷静に行動できるミネルヴァであったが、このときばかりは年齢相応の子供なみの対応しかできなかった。
それほど待つことなく通信に応じてくれた両親に、たどたどしく家の現状を伝えるのがやっと。
それでも娘の緊急事態であることを悟った両親はすぐさま警察に連絡し、自分達も我が家へと急行。
こうして、ミネルヴァだけは、駆けつけた両親や警察の手ですぐに保護されて事なきを得た。
ミネルヴァだけは何事もなく無事で済んだのだ。
しかし、それでめでたしめでたしで終わったわけではない。
・・彼女が家に置き去りにした『彼』は。
後に警察の調査によって、ミネルヴァの家に侵入したのは悪名の高いある大きな犯罪組織であることが判明した。
その組織は当時様々な悪事に手を染めていることで各都市の警察からマークされていた凶悪犯罪組織であったが、その組織が中でも特に力を入れて行っている犯罪が行為がその悪名をより広める原因となっていた。
『奴隷売買』である。
彼女が一人置き去りにした『彼』は、彼らによって連れさらわれたのだった。
ミネルヴァはそのとき六歳。
そして、『彼』はまだたった三歳でしかなかった。
『害獣』という『人』類史上最大最強最悪の天敵の出現より五百年。
種族の違いなどといった些細なことでいがみ合っていては到底生き残ることはできない厳しい時代。
この時代を生きる大部分の『人』々は、昔々、まだ『害獣』が出現する時代にあった種族間の確執というものを意識的に捨て去り、生き抜くために手を取り合って生活している。
地下世界で覇権を競い合ったドワーフ族とトロール族も、森の占有権を巡って何百年にもわたって対立してきたエルフ族とオーク族も、自分達の『武』こそが最強であると主張してきた鬼人族と天狗族も、龍族と虎族も、魚人族と人魚族も、聖魔族と降魔族も、当時不倶戴天の敵対関係であったありとあらゆる種族の者達が、先祖から続く因縁を忘れ、今は仲良く暮らしている。
そんな時代にあっても、旧時代的な愚かな考えを忘れられない『人』というのは存在している。
その代表的な存在と言えるのが、『奴隷売買』に関わる者達。
旧時代の負の遺産。
そんな者達に彼は捕えられて連れて行かれてしまった。
「自分が何をやってしまったのか、何をやらなかったのか、何が起きてしまったのか、何を起こしてしまったのか。何もわかってなかった。何もかも全然全くこれっぽっちもわかっていなかった。わかってはいなかったけど、いや、わかってなかったからこそ私は、あの子が攫われていなくなったと聞いたとき、とんでもなく馬鹿な考えにとり付かれてしまったの。ああ、これで面倒事から解放される。もうあの嫌な顔を見ずに済む。友達に我が家のお荷物について無理に隠す必要もない・・ってね。ほんっと、どうしようもない。馬鹿な考えどころじゃない。『人』として、『家族』として、大失格。あ~あ、今、思い出しても自分で自分を殺したくなる。嫌になっちゃうなあ、もう」
周囲から聞こえてくる賑やかな笑い声、冗談交じりの楽しそうな会話とは全く違う。
よく聞いていないと聞き逃しそうなくらい、ぼそぼそとした小さく陰鬱極まりない声。
そして、何も事情を知らない者が聞いたとしても心から後悔しているとすぐにわかる言葉。
それらを溜息混じりにゆっくりと吐き出したその『人』物・・金髪上級聖魔族の女性ミネルヴァ・スクナーは、手にしていた大ジョッキを一気にあおり、中に並々と入っていた黄金色の液体をあっと言う間に飲み干してしまった。
「リーダー。お酒を飲みに来たのですから飲むなとはいいませんけど、その飲み方はちょっと感心しませんわ」
「わかってる。わかってるけど、素面で話せる内容じゃないんだもの。飲まないとやってられないんだもの」
これまで一切口を挟むことなく、じっと黙って話を聞いていた人頭獅子胴族の女性クレオパトラだったが、相方のあまりにも乱暴な飲み方は流石に看過できず、分別臭いとは思いながらも注意の言葉を口にした。
それは長年付き合いのある親友を心配するが故に出た言葉。
言ったほうも言われたほうもそのことをよくわかっていたはずだったが、注意の言葉を口にしたクレオパトラの予想とは裏腹に、その言葉を耳にしたミネルヴァは、物凄い怒りの色をその目に宿してクレオパトラを睨みつけてきた。
薄暗い店内の中にあっても、はっきりと己の肌に感じることができるほど強い気迫を前に、一瞬気圧されそうになるクレオパトラ。
だが、クレオパトラは決してその視線を外そうとはしなかった。
むしろ静かな中にも強い意志を含んだ視線で真っ向から相手の気迫を受け止める。
交錯する四つの視線。
意地と意地とのぶつかり合いで、長く続くかと思われた睨み合いはしかし、あっさりと片方の仕合放棄によって幕を閉じる。
「なんで、そんな目で私を睨むのよう。もっと優しくしてよう。クレオちんの意地悪ぅ~~」
先程までの気迫はどこへやら。
ふにゃりと顔を崩し、うるうるとした涙目に泣き声でクレオパトラに訴えかけたミネルヴァは、そのままテーブルに突っ伏して泣き出してしまった。
「何言ってるんですか。先に吹っかけてきたのはリーダーでしょ?」
「こういうときあの子だったら、もっと優しくしてくれるもん。そんな般若みたい顔で睨み返したりしてこないもん」
「だっ、誰が、般若ですか、誰が!?」
あまりにもあんまりなミネルヴァの言葉に、一瞬本物の般若に見間違うような恐ろしい表情を浮かべかけるクレオパトラ。
しかし、自分の目の前に座る友人が、酒に酔うと途端に子供のようになってしまう性格であったことを思い出して、怒りの表情を解く。
そして、溜息を一つ大きく吐き出した後、呆れているとも困っているとも見える複雑な表情を浮かべ、カウンターに突っ伏して泣き続けている友人の背中を優しくさすってやるのだった。
「全く、弱いくせに浴びるように飲むし、飲むと必ず悪酔いするし、しかも酔うと子供にもどっちゃうんですからねぇ、うちのリーダーは」
「どうせ、私は子供ですよ~だ」
「やれやれ」
城砦都市『嶺斬泊』最大の繁華街『サードテンプル』。
デパートやショッピングセンターがズラリと立ち並び、日々人通りが絶えない表通りと、スナックやバーといった比較的健全なものから、いかがわしい風俗店までが所狭しと乱立している裏通り。
二つの顔を持つこの街の中心を、大きな河のように広い都市道が、立て一文字に貫いて走っている。
その都市道の東側。
都市営念車のサードテンプル駅の目と鼻の先にある場所に、一件のレストランがある。
店の名前は『ヴァルゼ・ルーナ』
かつて大陸の西の果てに存在したエルフ族達の王国『ロマリア』の伝統料理と酒をメインに扱っているレストランだ。
非常に旨い料理、旨い酒を出すことで有名で、しかも値段は格安。
ミネルヴァやクレオ達が特に気に入り、足繁く通っている三大店の一つである。
三大店というからには他に二つ、気に入っている名店があるわけだが、今日はクレオの強い勧めでこの店にやってきていた。
普段、大概酒に飲みに行こうと言い出すのも行く店を決めるのもミネルヴァである。
この日も酒を飲みに行こうと言い出したのはミネルヴァであったのだが、珍しく行く店についてはリビュエーとクレオが決定することになった。
それも半ば強引な形で。
珍しいことである。
いや、ほとんど滅多にない異例な事態なのである。
いつもの二人なら、リーダーであるミネルヴァの提案にただただ頷くだけ。
しかし、この日だけは少し様子が違っていた。
この日、いや、この夜だけは、リビュエーとクレオパトラは『ミネルヴァの親友』であることを放棄し、自分達が絶対の忠誠を誓う、ある人物の『忠臣』という本来の姿に久しぶりに立ち返っていた。
その人物から与えられた使命を果たす。
例えその相手が、かけがえのない親友だったとしても、クレオに躊躇いはなかった。
のだが・・
いつもと様子が違っていたのは彼女だけではなかった。
「え~ん、クレオォ~。あの子、私のことどう思っているのかなぁ~。結局都合のいい女でしかないのかなぁ~」
「え、ちょ、リーダー、ほんとさっきから何わけのわからないこと言ってるんですか? もしもし? 本気で飲みすぎていませんか? そもそもリーダーと『彼』はそういう関係じゃないでしょ?」
「うっさいうっさい。あのこと私はね、固い『棒』で繋がっているのよ!!」
「りぃ~だぁ~!! 何言っちゃってるんですか!?」
「え、あ、言い間違えた、『棒』じゃなくて『絆』だった。メンゴメンゴ」
「今の短い文章の中にいい間違える要素が全然なかったですよね? 明らかにわざと口にしましたよね?」
年頃の、しかも人並みをはるかに超えたスーパー美人が公衆の面前で口に出して内容では決してなかった。
というか、大暴走で大暴投だった。
というか、『最初からクライマックスだぜぇ』状態だった。
盛大に泣いていると思ったら酒をそのままがばがば飲む、物凄い急ピッチで酒を流し込んでいるなぁ~と思ったらまたぐちぐち何かを呟きながら号泣し始める。
確かに。
確かに、彼女たちのリーダー、ミネルヴァは酒癖があまりよくない。
あまりよくないが、どちらかというと、彼女は泣き上戸でも愚痴上戸ではないほうだ。
酔っ払って彼女がなることが多いのは笑い上戸でいたずら上戸のほうである。
場が盛り下がるのを極端に嫌う彼女は、酔っ払っても場を盛り上げようとする。
そんなリーダーなので、クレオ達は毎回楽しく酒を飲むことができているわけだが、今日のミネルヴァはいつもと少し・・いや、少しではなく、かなり様子が違っていた。
「リーダー、どうしちゃったんですの? 今日は変ですわよ。いや、どちらかといえばいつも変といえば変だけど、今日は特にひどいですわ。何かあったんですか?」
なんとも言えない複雑な表情でミネルヴァに声をかけるクレオ。
その声を耳にしたミネルヴァは、一瞬泣くのを中断し、のろのろと顔を上げてクレオのほうに視線を向ける。
だが、結局またすぐにテーブルの上に突っ伏したミネルヴァは、先程と同じように大声で泣き出すのだった。
「ほっといてよ、なんでもないわよ。別に最近あの子に構ってもらえないからって泣いているわけじゃないんだからね!! え~んえ~ん!!」
「もろに原因口走ってるぢゃん!!」
呆れ果てたとも困り果てたとも思える複雑怪奇な表情で、ミネルヴァにツッコミを入れるクレオ。
しかし、その鋭いツッコミに対しミネルヴァは全く反応することなく、ただただ泣き続ける。
どうやら目の前に座る友人が、ふざけた口調とは裏腹に結構本気で傷ついて泣いていることを敏感に悟ったクレオは、どこか途方にくれた表情で深い深い溜息を一つ吐き出した。
クレオがここに彼女を連れてきた本当の理由、それは彼女の主より命じられたある作戦を決行するため。
その内容は決して穏やかなものではない。
それどころか、目の前に座る親友に間違いなく大打撃を与えるであろう内容。
正直、大乗り気で引き受けたというわけではない。
目の前に座っているのは間違いなくクレオの親友である。
中学時代からずっと付き合いを続けている大事な友達なのだ。
クレオの中で絶対の忠誠を捧げる主君と、親友とを天秤にかければ主君のほうが重い、重いがしかし、それでも親友は親友なのである。
できれば罠に陥れるような真似はほんとはしたくない、やりたくない、やらずに済むならやらないでおきたい。
しかし、他でもない彼女が敬愛する主君の命令である。
幼い頃、彼女の命を救ってくれた大事な恩人の頼みである。
無視することはできない、いや、むしろ遂行し、絶対成功させねばならない。
そう固く誓い、心を鬼にしてこの場に臨んだクレオ。
しかし、目の前に座る標的は、作戦を実行する前に勝手に自滅してしまいそうな勢いで墜落中。
調子が狂ってしょうがない。
「リーダー、もうそろそろ浮上してくださいませんか。さっき念話があって、リビュエーももうすぐ合流するっていってましたし」
「むぅ~りぃ~。絶対無理だもん。もう、私のことはほっといて二人は楽しくやっちゃててよ」
「そういうわけにはいかないでしょ? ほら~、お料理いっぱい来ましたし、お酒は中断してとりあえず食べましょう。リーダーの大好きなカニクリームピザや、カルボナーラもありますよ」
「違うもん、私が大好きなのはあの子が作ったカニクリームピザにカルボナーラだもん。ここのとは全然違うもん」
「もう~~、よくいいますよ。いつも、『この店のピザとパスタは絶品よねぇ』なんていいながら、一人で五人前くらい食べるくせに」
「今日はそんな気分じゃないんだもん。それよりも酒よ。食べ物よりも酒。さけ、サケ、酒!! なんでもいいから、酒もってこ~い!!」
「ああああ、ちょっとリーダー、勝手に注文しないでくださいってば、もうっ!!」
テーブルの上に突っ伏したまま、片手に持った空の大ジョッキをぶんぶん振り回しながら店中に聞こえるような大声で注文を叫ぶミネルヴァ。
そんなミネルヴァを慌てて注意しながら、クレオはテーブルの上に次々と美味しそうな料理を並べていく年若いウェイターのほうになんともいえないぎこちない愛想笑いを向ける。
「こ、この注文はなしのほうでお願いしますわ」
「生ビール大、それにワインとウィスキー大至急よろ」
「『よろ』じゃありませんでしょうが!!」
「わかりました。すぐにお持ちいたします」
「ちょっとぉっ!!」
ミネルヴァの無茶な注文に対し、くすくす笑いながら承諾の返事をする人間族のウェイターに目を剥いて講義の声をあげるクレオ。
しかし、そのウェイターは、クレオにだけ見えるようにいたずらっぽくウィンクを一つ返すと、持ってきていた料理を綺麗に並べて厨房のほうに去って行った。
しばし呆気にとられたまま、去っていくウェイターの背中を見送るクレオ。
「ああ、そういうことですのね」
「なにが?」
「いえ、なんでもありませんわ」
何かを納得した表情になったクレオは、疲れたような苦笑を浮かべ横に二つほど首を振って見せながら、テーブルの上に置かれたピザに手を伸ばす。
丸っこいライオンの手で器用に一切れ掴みとったクレオは、その一切れを口の中へと放り込む。
クリームの甘さは甘すぎずしつこくなく、それいて塩加減が絶妙なカニの風味が口いっぱいに広がる。
彼女がよく知る味。
そして、それは目の前に座る誰かさんがよく知る味でもあったが、それについては口にせず、クレオはただ一瞬ニヤリと意味深な笑みを作ってみせ、すぐにそれを消す。
「あ、あ~、ごほんごほん。ところでリーダー。ほんとにどうしたんですの? なんだか今日はほんとにご機嫌斜めですわね?」
「いいわけないじゃない。こんな状況でよくなるようなら、もう私終わりだわよ」
「一体何があったんですの? ほら、ほんとはしゃべりたくてうずうずしているんでしょ? さくさく話してくださいまし」
「べぇ~つにぃ~。なぁ~にもぉ~」
「あら、そうですの。それならそれでいいですわ。私、食事に集中しますわね」
相変わらずテーブルに突っ伏したままぐだぐだぶつぶつ言っているミネルヴァを、呆れたように見つめていたクレオ。
やがて、澄ました表情で視線を外すと、カルボナーラの入った大皿に手を伸ばし、フォークとスプーンで中のパスタをくるくるたくしあげながら自分の皿のほうへとどっさり移行。
そのまま獣の手とは思えない器用さで、むしゃむしゃと食べ始め、ミネルヴァに対しては完全無視を決め込んだ。
おいしそうな音を立てながら、パスタをすする音がミネルヴァの耳に響き渡る。
テーブルからそっと顔をあげたミネルヴァは、しばし、恨めしそうにパスタに夢中になっている人頭獅子胴族の友人を睨みつけていたが。
「クレオちんの薄情者!! もっと構ってよぉ、私のことを!!」
「うわっ、ちょっとリーダー、むしゃぶりついてこないでくださいよ。パスタが飛び散りますっ」
「だってだってだってぇ、クレオちん、聞いてくれない気満々なんだもん!!」
「あなたが何もないって言ったんでしょうが!! ああ、もう、わかりました。聞きますから」
「え~、ほんとにぃ? でも、どうしよっかなぁ、しゃべろっかなぁ、でも、やめよっかなぁ」
「あ、じゃあ、もう食事の後でいいですか?」
「クレオちんのばかぁっ!! そこは『是非、今すぐ聞かせてください』でしょ!?」
クレオの体を涙目になってぶんぶん揺さぶり続けるミネルヴァ。
そんなミネルヴァを胡乱な視線で見つめていたクレオだったが、なんとも言えない溜息を吐き出しながら聞こえるか聞こえないか程度の小さな声でそっと呟くのだった。
「めんどくさぁ。今日のリーダーほんっとめんどくさいですわぁ」
「ちょっと、クレオ。何か言った?」
「ああ、いえいえ、なんでもないですよ。と、ともかく『是非、今すぐ聞かせてください』まし」
明らかに取り繕っているとわかる愛想笑い全開バリバリのクレオ。
しばし、ミネルヴァはそんなクレオの愛想笑いを、酒ですっかり淀み切った瞳で見つめ、真意を探ろうとする。
とはいえ、所詮酔っ払い。
普段ならともかく、盛大に酔っぱらった状態でクレオの愛想笑いを見抜けるわけもなく、すぐにどこか上機嫌になるともったいぶった表情で空のワイングラスをゆらゆら揺らし始めた。
「えぇ~、どうしよっかなぁ」
「そんなこと言わずにはやく話してくださいよぉ~」
「どうしても聞きたいのぉ~?」
「どうしても聞きたいですぅ~」
「じゃあ、しょうがないわねえ。話しちゃおうっかなぁ」
全然しょうがないという表情ではない。
それどころか物凄くウキウキ、にこにこした表情を浮かべてテンションが徐々にあがっていくミネルヴァ。
その様子をしばらく眺めていたクレオは、そっと顔を背けるとほっとしたような呆れたような、それでいて物凄く疲れたような複雑極まりない表情でもう一度溜息を吐きだすのだった。
「めんどくさぁ。やっぱ、とことんめんどくさいわぁ、この『人』。はやくリビュエー来てくれないかしら」
「クレオちん!!」
「はいはい、聞きます聞きます」
「もう、ちゃんと聞いてよね」
「わかりました聞きますから、早くはじめてください」
「ほんとにちゃんと聞いてよ~。あのね、あれは私が六歳の頃の話なのよ。私がご近所のアイドルとして君臨するようになった頃の話・・」
「あ、なんか物凄い話長くなりそうだから、適当に流してご飯に集中しよっと。ウェイターさん、カルボナーラあと二つ追加してくださ~い」
「クレオちん!!」