第十一話 お~ぷにんぐ
「ずっこいなぁ・・ぜ、絶対、ず、ずっこいよぉ、クロちんも、タコもさぁ」
いまだあちこちで炎がくすぶり続ける草原のど真ん中、三つの『人』影の一つが、すぐ側に立つ残り二つの『人』影に向かって声をかける。
しかし、声をかけられた二つの『人』影はその声に応えようとはしない。
一つ目の『人』影が応えられなかったのは、とめどなく流れ続ける涙と、悲しみで声にならなかったからであるが、もう一つの『人』影は、そうではない。
妙に冷めた様子で声を出す『人』影を見下ろし続ける。
しかし、そんな二人の様子を気にした風もなく、声を出した『人』影は更に言葉を続ける。
「あ、あちし、本職の暗・・殺者なんだ・・よぉ。、せ、戦闘技術だって、仲間の中でも・・一番、ゆうしゅう・・だったって・・いわれていたんだよぉ」
「そうか」
「あ、あんた達・・労働・・専門と違って・・最初から・・戦闘用に・・暗殺用に育てられた・・のに・・」
「そうか」
「か、完全に不意打ち・・だったでしょ? なんで? どうして? あ・・ちし・・どこでミスったのかなぁ?」
全身血塗れで草の上に倒れ伏す銀髪の美しい暗殺者は、本当にわけがわからないといった表情で二人に問いかける。
その問いかけに対し、一人は掛ける言葉もなくただただ首を振るばかり。
しかし、涙を流し続ける者の代わりに、冷めた様子で暗殺者を見つめていた『人』影が口を開いた。
「最初から。最初から君はミスっていたよ、ギンコ」
「さい・・しょから?」
「君と最初に出会ったとき、すぐに『敵』だってことはわかったよ」
「な、なんで? あちし・・へ、へんな行動したかな?」
「いいや。でもわかるんだ」
「わかるって、なにが?」
「『敵』か『味方』か、そして、その『どちらでもない』か。わかるんだ。うまく言えないけど、わかってしまうんだ」
「そ、そうなんだ。た、タコにはそんな能力があったんだね・・っていうか、他にもまだ隠してるよね?」
「ああ、隠してる。クロには最初から話していたけどね。持っている他の能力のことも、君が裏切り者で組織から送られてきた監視者だってことも、裏切るタイミングをはかっていることも、裏切るタイミングを見越して君を罠に嵌め、そのままこの組織の隠れ支部もろとも葬り去る計画のことも、全部。全部、なにもかも君には話さなかった。でも、クロには全部話していた。何もかも全て話していた。それがこの結果だ」
冷たい口調で地面に横たわる銀髪の美少女にそう告げた後、ガスマスク姿の異形の少年は、周囲へと視線を向ける。
あちこちで燃え上がり続ける炎。
その炎の合間には建物だったと思われる大きな残骸がいくつも見え、そして、その残骸の合間を、何かが通り過ぎて行く。
炎の光で映し出されたその影は、ウサギや、猫のもの。
だが・・
その影に映し出されたウサギや猫の口や前肢には、『人』の手や足、あるいは頭らしきものが咥えられていたり、あるいは刺さっていたりしているのが見える。
「『害獣』か・・『害獣』を呼び寄せたのか。それで組織の・・『人』達は来な・・かったんだね」
「ああ。多分、支部に残っていた連中はほとんどみんな食われちゃったんじゃないかな」
「その為に、他の・・兄弟・・姉妹達も・・餌にしたの? あちしも『人』のこと言えないけど・・タコは・・やること・・えげつない・・ね」
「君と一緒にしないでくれないか。さっきもいったろ? 『敵』もわかるかわりに、『味方』もわかるんだよ」
そう言って、タコがくいっと人差し指を後方へと向ける。
すると、一番大きな建物の残骸の影から、小さな『人』影がわらわらと飛び出てこちらに向かって走ってくるのが見えた。
「タコ、クロ!!」
『人』影の中で一番大きな影が、手を振りながら走り寄ってくる。
だが。
「サキ姉さん、来るな!! みんなもこっちに来るんじゃない!!」
「え?」
いつにない厳しい制止の声。
その声に、こちらに走って来ようとしていたいくつかの大きな『人』影と、小さな『人』影の集団はびっくりしてぴたりとその場に立ち止まる。
「な、なんなの? どうしたの、タコ? そこに、クロやギンコもいるんでしょ?」
「すぐに・・すぐに済むからそこで待ってて」
「なに、どうしたの? そこでいったい何があったって・・」
「いいから!!」
いたずらっこでなかなか言うことをきかない兄弟姉妹中、最大の問題児であるタコ。
しかし、兄弟姉妹のまとめ役であるサキに対してこんな風に声を荒げたりしたことはこれまで一度としてなかった。
彼が立っている場所に何かがあるのだ。
彼がそうせざるを得ない何か。
自分達に見せまいと必死に隠している何かが。
制止の声を振り切ってでも行くべきかもしれない。
そう思って一歩踏み出そうとしたサキであったが。
「くれぐれも、小さい弟や妹達をこっちに来させないで。ただでさえ見せられないものがいっぱい散らばってるんだ。姉さんが来ちゃったら、みんなこっちに来てしまう。そうしたら見なくていいものをみちゃうだろ?」
「タコ・・あなた」
何が散らばっているか。
そんなことはサキにだってわかっていた。
そして、小さな弟や妹達が自分を実の母親同然に思っていて、自分の行くところに絶対ついてくることもわかっていた。
見せてはいけないのだ。
こんな小さな子供達に見せるものではない。
しかし、三人のいる場所で自分も無関係ではない重大な何かが起こっていることもわかる。
それは見なかったことにしてはいけないものなのではないだろうか。
サキの心で決して軽くはない葛藤が続いたが、結局、彼女は小さな弟妹達の心を守ることを選んだ。
「わかった。でも、早くこっちに来てね。今はまだ風がこっちを避けてくれているからいいけど、風向きが変わって煙がこっちに流れてきたら・・そうなる前に逃げないと」
「うん、わかってる。でも、あと少しだけ待って」
「タコ」
「サキ姉ちゃん、ごめんね」
タコ達のいる場所から少しばかり離れたところで、しがみついてくる弟妹達を庇うようにして立ってこちらを心配そうに見つめてくる姉。
そんな姉に、タコは二、三度手を振って見せた後、再び地面に横たわる銀髪の美少女へと視線を向け直す。
「見てのとおりさ。兄弟姉妹達はみんな無事だ。君以外はね」
「ずっこいなぁ。やっぱりずっこいよ、タコとクロちんはさ・・ごほっ、ごほっ・・なんで? なんでみんな助かってるの?」
「それは・・」
「それは私達が残ってみんなを逃がしたから」
応えようとしたタコよりも早く、三人とは違う別の声がその答えを口にする。
自らの血で真っ赤になった顔を声のしたほうにその視線を少女が向けてみると、そこには、彼女と同じくらいの年頃の西域半人半蛇族の少女と半人半獅子族の少女の姿。
「リビーと、クレヨンもグルだったのかぁ・・な~んだ。結局・・ごほっ・・あちしは・・ごほっ、おえっ・・最初から受け入れられてなかったんだね」
「違うっ!! 私もリビーも信じてたもん!! ギンコは絶対裏切ったりしないって信じていたもん!!」
「そうよっ!! タコからあんたのこと聞いたときも、私も、クレヨンも、それにサキ姉ちゃんも信じなかった。そんなのウソだって」
引き留めるサキの手を振り払って二人はここにやってきたのだ。
そして、命の花を散らしつつある姉妹に涙ながらに絶叫する。
そこに嘘偽りはない。
血の気を失い、そろそろ光が見えなくなりつつある霊狐族の少女にも、それはわかった。
「そこにいるクロくんなんて、最後までタコの言うことは間違ってるって言ってたのよ!? ギンコは自分達の大事な兄弟姉妹の一人だから裏切ったりしないって」
「う・・そ・・」
「「嘘じゃない!!」」
「そうだ。だから、リビーとクレヨンは連れてこなかった。君に心を許していたからね。もし、二人を連れてきていたら君はどうした、ギンコ?」
必要以上に冷たい声で問いかけるタコに対し、ギンコは一瞬戸惑う様子を見せたが、すぐに薄い笑みを浮かべてみせた。
「真っ先に・・殺した」
「だよね」
「「ギンコ!!」」
息も絶え絶えの状態でありながらも、少女は何の迷いもない声で断言してみせる。
そんな小さな暗殺者の言葉に、二人の少女達は怒りと悲しみの絶叫を放って彼女にすがりつく。
「どうして? どうしてなのギンコ?」
「私達は姉妹なんでしょ? なのに、なんで? なんでこんなことに」
「そん・・なの、う、嘘に決まってるじゃん」
「嘘じゃないもん!! 絶対そんなことないもん!!」
「嘘なの。全部嘘なのよ、リビー、クレヨン。あ、あちしは違うのよ、違うんだよ。元々霊狐の里で暗殺者になるべく製造されたの。そう、生まれたというよりも、製造されたのよ、あちしは」
「せい・・ぞう?」
「暗殺者に・・なるための・・能力を生まれながらに備えた・・状態で製造され・・霊狐族に伝わる暗殺術を身に着けたあと・・この組織に・・売られて・・きた。反逆者を・・、みつけて・・始末するために」
口から何度も血を吐き出しながら、自嘲気味な笑みを浮かべて告白を続けるギンコ。
そんなギンコの告白に、彼女にすがりつく二人の少女達と、彼女を抱きかかえて座る黒髪黒目の少年は、何も言うことができずただただ涙を流す。
「あちしね・・こんな風に小さい姿しているけど、本当は、みんなよりももっと年上なんだ・・成長を止める・・改造をされているから・・こんな子供の・・姿に」
「でも、ギンコはギンコでしょ!?」
「歳なんか、関係ないもん。ギンコ・・死んじゃいやだよぉ」
「リビー、クレヨン・・ありがとね・・でも・・あちしはあんた達に泣いてもらえるようなモノじゃないんだよね・・」
血だらけの身体に必死にすがり付いてくる二人の少女をそっと抱きしめる子供の姿をした暗殺者。
そのまま二人の背中を撫で続けていたが、やがてそっと引き離す。
「結局・・暗殺は失敗・・まさか、暗殺者のあちしが背後を取られるなんてね・・脆弱なクロを先に始末しようとしたのが間違いだった・・クロにナイフを向けたときには、タコの剣がもうあちしのお腹に」
そう言って彼女は自分の腹へ視線を向ける。
そこには一本の剣。
ほとんど黒色に近い赤い色がべったりとついた刃が、小さな少女の衣服を内側から突き破って姿を現していた。
腹のど真ん中。
誰がどうみても助かる見込みのない完全な致命傷。
たとえすぐ近くに最新設備の整った病院があったとしても、恐らくどうすることもできないだろう。
二人の少女達は一瞬声を詰まらせた後、お互い抱き合って号泣し始めてしまう。
そして、少女を抱きかかえるようにして横に座る黒髪黒目の少年は、乱暴にあいているほうの手で涙を拭うと、冷め切った様子で事態を静観しているガスマスク姿の相棒のほうへ振り返る。
激しい怒りの炎をたたえた瞳をまっすぐに相棒へと向けて。
「他に・・他に方法はなかったの、タコ!?」
「なかった」
「ギンコは確かに僕にナイフを向けたよ。でも、僕はあのナイフを避ける自信があったよ!! タコだって知ってたでしょ? 僕は・・僕だって『牙』を隠していたんだ。なのに、どうしていきなり刺したの? それしかなかったの? 本当にそうするしかなかったの?」
「ああ、なかった」
「嘘だ!! タコは嘘をついている。ギンコが裏切ることを予想できたのなら、殺さずに防ぐ方法だって考えられたはずじゃないの?」
「いいや、できない。できなかった。僕はそれほど強くない。殺すしかなかった。うまくいえないけど、ギンコを自由にするには殺すしかなかった。それが僕の精一杯のおもいやりだ」
「そんなのが、思いやりであってたまるかぁっ!!」
どこまでも冷めた口調で突き放すように語るタコに、ついにクロの堪忍袋の緒が切れる。
激昂して拳を固く握り締めたクロは、それを力一杯タコの顔面に叩きつける。
完全に不意をうたれた形になったタコは、面白いほど呆気なく後ろにひっくり返り、クロはそのままその上に馬乗りになると、何度も何度もその拳をガスマスクの上に叩きおろした。
鈍い打撃音が炎の海の中に響きわたる。
何度も何度も響き渡る。
横でそれを見ていたリビーとクレヨンは弟達の喧嘩を止めようと腰を浮かしかけるが、拳を振り下ろし続けるクロのあまりにも恐ろしい怒りのオーラに萎縮してしまい、どうしても動くことができなかった。
やがて、タコのガスマスクが盛大に形を変えて元の形が思い出せないほどいびつになっていることに気がついたクロは、ようやくその拳を止めた。
「ばかやろう・・タコのばかやろう」
「気が・・すんだか?」
「すむわけないだろ!! ギンコは・・ギンコはもう・・」
「そうだよ。もうギンコは・・死ぬ。僕はどっちでも・・いいんだけど、そろそろ側に・・もどってやらないと、ギンコと・・話せなくなるよ。それで・・いいの?」
「!?」
かすれきった声で呟くタコの言葉で、現在の状態を思い出したクロは、タコの身体から飛び降りて血まみれの少女の側へともどると、再び地面から抱き起こしてその手をしっかりと握り締める。
もうほとんど力のなくなってしまったその小さな手を。
「ギンコ!!・・聞こえる? ねぇ、ギンコ!?」
必死に呼びかけるその声に、命の光がなくなりつつあった暗殺者の少女の目に、若干光がもどる。
「クロ・・あちし・・眠くなっちゃった」
「ああ、そんな・・いやだ。いやだよぉ、ギンコ!!」
「だって・・寝ないと、明日の自由時間は・・一緒に自転車・・乗るって・・やくそ・・だよね・・」
死の間際で記憶が混乱しているのか、焦点の定まらぬ目で何もない宙を見詰めながら嬉しそうに語る少女。
「楽しみだなぁ、自転車・・今度は、クロが・・自転車漕ぐ番・・なん・・からね」
「ギンコ・・しっかりして、ギンコ。そんなの、いつだって僕が漕ぐよ!! 君はずっと僕の後ろに乗ってていい!! だから!!」
「後ろだと・・らくちん・・だね・・たのし・・クロ・・だいす」
透き通るような邪気のない、本当に嬉しそうな笑顔が最後に一瞬浮かんで。
そして
「また・・いつか・・会おうね」
消えた。
少年の手に握られていた手は、そこからすべり落ちて音もなく垂れ下がる。
閉じられた目も開くことはない。
そして、その賑やかな笑い声ももう聞こえない。
真・こことはちがうどこかの日常
過去(高校生編)
第十一話 『ミネルヴァ強襲(後編)』
CAST
宿難 連夜
城砦都市『嶺斬泊』に住む、高校二年生。
十七歳の人間族の少年。
この物語の主人公で、如月 玉藻の恋人。
自分の命よりも恋人が大事という、玉藻至上主義者
「いや、夢じゃないから。現実だから」
如月 玉藻
城砦都市『嶺斬泊』に住む、大学二年生。二十歳。
上級種族の一つである霊狐族の女性。金髪金眼で、素晴らしいナイスバディを誇るスーパー美女。
この物語のヒロインであると同時にヒーローでもある。
連夜の恋人で、連夜のことを心から愛している。
「ええい、黙れ黙れっ、最早、問答は無用!!」
ミネルヴァ・スクナー
玉藻の幼馴染にして大親友。同じ大学に通う大学二年生。二十歳。
金髪碧眼のスーパー美女。宿難家の長姉にして連夜の実姉。
連夜と違い人間族ではなく、額に超感覚器官を持つ人型上級種族。
玉藻に匹敵する美女であるが、玉藻に比べるとややスレンダーで、モデル体型。
才色兼備なうえに武術の達人でもあるが、彼女にはとんでもないというか、どうしようもなく救い難いある病気が・・
「生ビール大、それにワインとウィスキー大至急よろ」
リビュエー・シーガイア
玉藻とミネルヴァ共通の友人で、同じ大学に通う大学二年生。二十歳。
西域半人半蛇族で、メンバーの中では一番の酒豪でもある。
玉藻、ミネルヴァほどではないが普通に美人。ただし、胸のボリュームが非常に寂しく、それがコンプレックスになっている。
実は彼女と連夜の間にはある共通の秘密が。
「『殺る』ときは私達も一緒に『殺る』から、今は辛抱して!! お願いだから堪えて!!」
クレオパトラ・ポンペイウス。
リビュエー同様、玉藻とミネルヴァ共通の友人で、同じ大学に通う大学二年生。二十歳。
人頭獅子胴族で、メンバーの中で最も良識のある人物。
玉藻、ミネルヴァには届かないものやっぱり美人。胸はメンバーの中で最も大きい。
リビュエー同様、彼女もまた連夜とある秘密を共有している。
「どうしても聞きたいですぅ~」
「ギンコ? え、う、嘘だよね? 冗談なんだよね? いつもの通り『な~んちゃって』って起き上がってくるんでしょ? 死んだ真似なんだよね」
必死になってクロは問い掛ける。
自分にとって大事な大事な家族であったはずの少女に問い掛ける。
だが、その声に少女は応えない。
もう、応えることはできないから。
ただ、勢い良く燃える炎の音と、吹き抜けていく風の音だけが、彼らの耳に聞こえるだけ。
それでもクロは同じ問いかけを繰り返そうと口を開く。
だが。
「もう、死んでるよ。君だってわかってるでしょ? 空しいだけだから、やめたほうがいいって」
無情過ぎる宣告がクロ達の耳に木霊する。
あれほど親しかった姉妹が死んだというのに、ガスマスクの少年は何の感慨もないといった様子。
そんな冷酷な態度を取り続けるタコの姿を、クロ、リビー、クレヨンはしばし呆然と見詰めていたが、やがて、一番最初に立ち直ったクロが、再びその激しい怒りを相棒へと向ける。
「空しいってなんだよ、それ!? 君は悲しくないの?」
「ないよ。だって、ギンコは『敵』だしね。というか組織の構成員と同じクソでしょ?」
あっけらかんとした様子で淡々と語るタコの言葉に、クロの中の怒りと憎悪が膨れ上がっていく。
「く、クソ・・って、タコ・・おまえええええ」
立ち上がったクロは、目の前に立つ相棒を睨みつける。
再び握り固められる拳。
彼の胸の中を吹き荒れる怒りの炎のままに、またもや乱闘が始まる。
かと思われたのだが。
その怒りの鉄拳が振るわれるよりも早く、クロに肉薄してきたタコの足が、見事にクロの足を刈り取った。
まさか、先に仕掛けられるとは思っていなかったクロは、まともにその足払いを食らってしまい悲鳴をあげて地面を転がる。
「ぎゃんっ」
「はいはい。悪いけど君の相手をして遊んでいる暇はないの。もう火がそこまで迫っているからね」
「いてててて・・え?」
転がったときに建物の残骸の一つに背中をぶつけて盛大に呻いていたクロであったが、タコの言葉に我に返って慌てて立ち上がる。
「や、やばい。ほんとに火の勢いがすごくなってる」
ガスマスクの少年が指差すほうに視線を移したクロ、リビー、クレヨンの三人は、さっきまで自分達のいるほうとは逆の方向にむかっていた火の波が、こちらを向いて迫ってきているのを確認して愕然とする。
「に、逃げないとまずいよ」
「早く逃げなきゃ。もうぐずぐずしていられないよ」
「で、でも、ギンコが・・ギンコをここに置いてはいけないよ」
リビーとクレヨンは両脇からクロの腕を掴み走り出そうとする。
しかし、クロは二人の腕をすり抜けると、泣きながら地面に横たわる少女のもとへ。
最後まで一緒にいる、そんな決意に満ちた表情で走り出そうとするクロ。
だが、再びガスマスクの少年が立ちはだかる。
「うわっ!?」
振り向いて走り出そうとしたクロを、今度は正面から突き飛ばすタコ。
勢い良く背中向きに倒れこんだクロは、ごろごろと地面を転がって、もとの場所にもどるどころか、さらに銀髪の少女から離れていく。
「ちょ、ま、タコ!? なにするのさ!?」
「遊んでいる暇はないって言ったでしょ~。君はほんとに『人』の話を聞いてないよねぇ」
「ふ、ふざけないでよ。僕はギンコの側に・・」
「それってさぁ、サキ姉ちゃんや、リビーや、クレヨンはどうでもいいってこと? 死んじゃったギンコのほうが大事で、生きている兄弟姉妹達はもう知らないってこと?」
「え・・そ、それは」
いきなりの質問に答えることができず、口篭ってしまうクロ。
そんなクロに更にタコは畳み掛ける。
「いいかい、クロ。サキ姉ちゃんは確かに僕らよりずっと大きいよ。リビーやクレヨン、それに他にもいっぱい僕らよりも年上のお兄ちゃんやお姉ちゃん達がいる。でもね、君より強い『人』っていないよね? というかさ、この中でまともに戦うことができる技術や力をもっているものって、君以外にいる?」
「そ、それはでも・・そうだ、さ、サキお姉ちゃんが」
「全部お姉ちゃんに押し付けるんだね」
「うっ・・そんな・・つもりはない・・けど」
「ないけど何さ? ギンコの死体の側に留まるってことは、結局みんなと一緒に行かないってことでしょ? つまりみんなのことはどうでもいいってことだよね?」
「違うっ!! そ、そうは思ってない・・だ、だいたい、僕がいなくてもタコがいれば」
「僕はダメだ。みんなと一緒に行けない」
「行けない? なんで?」
最も信頼している相棒の思いもよらぬ言葉に、一瞬呆けたようになるクロ。
クロばかりではない、二人のやり取りをじっと見守っていたリビーとクレヨンもまた全くの予想外という驚きの表情を浮かべてその視線をタコへと向ける。
燃え盛る炎の中、いびつに歪んだガスマスクを顔につけた少年は、自分を見詰めてくる三人の兄弟達におどけたように肩をすくめてみせた。
「どうして? タコも一緒に逃げるんじゃないの?」
「ギンコのことがあるからなの? でもそれは仕方なかったことじゃない」
「納得できないよ。僕は残るのはダメで、なんでタコだけ残るのさ?」
なぜ? どうして? 激しい口調で詰め寄ってくる三人を、まあまあと押しとどめたタコは、さりげない動作で足元に落ちている拳大の石を拾うと、自分の手の平の上でそれを転がしてみせる。
「いろいろとさ、理由はあるんだけど、全部説明するのはちょっと難しいんだよ」
「なんだよ、それ!?」
「タコの言ってることが全然わからないよ。なんで残らないといけないの?」
「説明できることだけでもいいから、言ってみてよ」
「説明できることかぁ。じゃあ、一番手っ取り早い理由を説明するとね」
「「「うん」」」
「これだよっ!!」
突然後方へと振り向いたタコは、手にしていた拳大の石を建物の残骸跡に向けて力一杯投げつける。
石は素晴らしい速度で風を切って飛んでいき、やがて建物の残骸の影へと吸い込まれていく。
その投擲動作に何の意味があったのか、すぐには理解できなかった三人だったが、その答えはすぐに現れた。
「ぐわっ!!」
石の飛んでいった方向から短い悲鳴があがる。
それは明らかに大人の男性の声。
彼ら兄弟姉妹の誰かのものではない。
この場所に自分達以外の誰かがいたということにようやく気がついた三人が、悲鳴があがったほうを目を凝らしてみると、頭を抑えた『人』影がよろめきながら炎の中を逃げていく姿が見えた。
「そ、組織の生き残り? まだいたのか・・」
愕然と呟くクロに、タコはこっくりと頷きを返し自分自身も『人』影が逃げていった炎の壁の向こう側を凝視する。
「いくら罠に嵌めて一網打尽っていっても限度があるからね。全員は無理だよ。『害獣』達をここにおびき寄せた時に、ちょうど外出していた連中もいるしね」
「そ、それじゃあ、他にも」
「いるよ。だからさ、残って足止めしないとダメなんだよね。わかるでしょ? 今から逃げても小さな弟妹達の足じゃすぐに追いつかれちゃうからね」
「ぼ、僕も残って」
「ダメ、君はみんなを守らなきゃ。君が持つ『力』はその為のものなんだから」
堅い表情で前に出てくる黒髪黒目の少年を押しとどめたガスマスクの少年は、その胸を指差す。
胸から腹に掛けて大きく真一文字に縦に裂けたTシャツ。
その裂けた部分から見える少年の胸に、拳大の宝石のようなものが埋まっているのが見える。
雲ひとつない日の青空のような色をした実に美しい宝石である。
よく見るとその宝石の中には『勇』という東方文字が浮かんでおり、少年の心臓の鼓動に合わせるかのように小さく明滅を繰り返していた。
「その為に君にあげた。サキお姉ちゃんや、リビーやクレヨンや、エテ吉やフェリや、他の兄弟姉妹達を守りたいって、ずっとずっとそう言ってきた君なら、いや、君だからこそその『勇者の魂』を使うにふさわしいって思ったんだ。だからあげた。そして、君はみんなを絶対守るって誓ってそれを受け取ったはずだ」
「それは・・そうだけど・・でも」
「『でも』はない。今こそその約束を、誓いを守る時だ!! さぁ、行って!! もう時間はない。今逃げた奴がすぐにも生き残りを連れてここにもどってくるはずだ。それに風の向きが変わって煙がこちらに向かいつつあるしね。小さな弟妹達が煙を吸ってしまったらもう動けなくなる。そうなるまえに、さぁ、ぐずぐずするなっ!!」
ガスマスクの少年は、黒髪黒目の少年の身体を強引に突き飛ばし、兄弟姉妹達が待つ場所のほうへと追いやる。
最も信頼している相棒と、最も大好きな少女が横たわる場所からクロの身体が遠ざかる。
クロは、よろめきながら遠ざかっていく自らの足を踏ん張って、途中でなんとか立ち止まると、戸惑いの表情を浮かべてその場に立ち尽くし、たくさんの兄弟姉妹達が待つほうと、銀髪の少女が眠る場所を何度も何度も交互に視線を走らせる。
「いけっ、行くんだ、クロッ!!」
「で、でも」
未だ迷いを断ち切れぬ黒髪の少年に、苛立ったようにタコは叫ぶが、それでもクロは決心をつけることができず、捨てられた子犬のような表情になって相棒と少女の骸がある場所を見詰め続ける。
永遠にも思える一瞬。
万感の思いでガスマスク姿の少年と黒髪の少年は見詰めあい、そして・・
「お願い、クロ。一緒に行こう。クロが辛いのはよくわかるでもね」
「私達には、あなたが必要なの。私達じゃギンコやタコの代わりにはなれないけど、でも、それでも一緒にいてほしいの」
涙に震える少女たちの声が、止まっていたクロの時間を再び動かす。
二人の少女の心からの懇願。
それを無視することは到底できなかった。
クロは、深い溜息を一つ吐き出してもう一度だけ相棒と、銀髪の少女の骸を見詰める。
そして・・
ついに彼らに背を向けた。
「行こう」
心配そうに自分を見詰めてくる二人の少女に短く声を掛けた少年は、険しい表情で歩き出す。
その小さな背中からは痛いほど悲しみが伝わってくる。
いくら薬で強制的に精神年齢を引き上げているといっても、親しい『人』の死をすぐに受け入れられるほど、彼は大人ではない。
しかし、それでも、生きていかなくてはいけないことは既によくわかっているのだ。
これまでに彼が、いや彼らが失ってきた兄弟姉妹は数知れない。
ギンコもまたその内の一人になったというだけのこと。
そう無理矢理納得させて、クロは生きている兄弟姉妹達と共に生きることを選択した。
「クロ、ごめんね」
「ほんとにごめんね」
小走りに追いついてきた二人の少女達が、少年を気遣うように謝罪を口にする。
しかし、彼女達が悪いわけではないことはクロもちゃんとわかっていた。
ゆっくりと横に首を振り、かすかに笑顔を作って二人に向ける。
「こっちこそ心配かけてごめん。でも・・」
そう言って一瞬歩みを緩めたクロはもう一度振り返り、残してきた相棒のほうへ視線を向ける。
そこには拳を突き出した姿でこっちを見送っているガスマスクの少年の姿。
クロは、こみあげてくるものを抑えられず、思わず涙を流しそうになるが、ぐっと堪えて同じように拳を突き出して返礼する。
そんなクロの姿を確認したのか、遠くなって小さくなっていく相棒が深く頷いているのが見えた。
「守るよ。僕が守るよ」
そう小さく呟いて前を向いたクロは、両脇を一緒に走る少女達を促してその速度を更にあげる。
炎の中に、いろいろな大事な何か消えていくのを横目で見ながら、彼はそこを離れていく。
大事な相棒を残し彼は離れていく。
大切な少女への想いをそこに残して彼は離れていく。
いくつもの思い出が炎に燃えて消えていく中を、彼は離れていく。
この日、大事な相棒と、最愛の少女への想いと、そして、様々な思い出に背を向けて、彼は地獄を抜け出した。