第十話 『ミネルヴァ強襲(前編)』 その5
連夜とリビュエーの口から紡ぎだされたのは、玉藻が全く考えもしなかった答えであった。
それゆえに咄嗟に答えを返すことができず、しばし呆然と二人を見つめる。
そして、穴があくほど二人の目を交互に覗き込みそれが真実なのかどうかを見極めてみる。
一人は長い付き合いのある親友、もう一人はその心をほぼ完全に掌握している最愛の恋人。
そこに一かけらでも嘘があれば、見抜く自信が玉藻にはあった。
だが・・
「本当のことなのね?」
二人の目の光の中に一かけらも嘘がないことを見てとった玉藻は、呻くようにして確認の声を絞り出す。
そんな玉藻に、二人はゆっくりと頷きを返した。
「そうです」
「本当のことなのよ、たまちゃん」
「なんで? ミネルヴァもリビュエーやクレオと同じで『許婚』じゃないの?」
「違うのよ~。そこは全然違うのよね~。本人はそうありたいと望んでいるみたいだけど」
「やめてくださいよ、玉藻さんもリビュエーさんも。み~ちゃんと『許婚』だなんて冗談じゃありません。お隣の城砦都市『ゴールデンハーベスト』ならともかく、この城砦都市『嶺斬泊』では認められてはいないことですしねぇ」
「え? え?」
意味がわからない。
自分にとって最大の親友と、自分にとって最愛の恋人が色っぽい関係ではないということだけはわかる。
恋人の口調、表情、そしてそれらを含めた反応の全てが、玉藻ともリビュエーとも違う関係であることをはっきりと明示している。
しかし、玉藻が当初考えていた『敵』という関係でもないということもわかった。
口調は明らかに嫌がっているが、その中にひどく深い愛情が潜んでいることを玉藻は一瞬で看破していたから。
だが、だからこそわからなかった。
いったい、親友ミネルヴァと恋人連夜の関係はなんなのだ。
少なくとも玉藻から見た親友ミネルヴァは、連夜を敵視しているようであったが。
頭にいくつものクエスチョンマークを浮かび上がらせ、困惑の表情を隠しきれない玉藻。
そんな玉藻の様子を見ていたリビュエーは、苦笑を浮かべながら誤解を解く言葉を口にしようとした。
玉藻も、ミネルヴァもリビュエーにとっては単なる友人以上の大事な存在。
誤解したまま出くわして喧嘩にでもなったら大変だ。
そう、自分が玉藻に散々追いかけられたように。
と、そう思ったところまではよかったのだが。
そこまで考えたところで、リビュエーの思考回路は百八度転換した。
友達想いの天使回路から、彼女のボス直伝の恐るべき悪魔回路に。
「たまちゃん、よく聞いて」
「え、何、リビュエー」
いまだ混乱したままの玉藻の顔に、ずいっと自分の顔を近づけるリビュエー。
その真剣そのものの表情に玉藻は自らも表情を引き締め、リビュエーの言葉を待つ。
間違いなく大事な何かを自分に伝えようとしているだと信じて疑わずに。
そして、
悪魔の言葉がリビュエーの口から玉藻の耳へと流しこまれた。
「たまちゃん、よく聞いて。リーダーはね・・いや、ミネルヴァ・スクナーは、あの『人』は」
「う、うん、ミネルヴァが何?」
「『許婚』よりももっとボスに近い存在なのよ!!」
「な、なんですってぇぇぇぇっ!?」
「いや、間違ってないけど言い方がおかしいでしょ、リビュエーさん。それに玉藻さんも真に受けすぎですってば、もしもし? お二人とも僕の話を聞いてくれています?」
真剣そのものの表情、口調で、目の前の玉藻に衝撃の事実を告白するリビュエー。
そして、その衝撃の告白の内容に、少なからぬ動揺を見せる玉藻。
二人を横から見つめる連夜は、心底疲れたような、呆れたような、そして、困り切ったような表情で呼びかけるが、片方は故意に、もう片方はあまりのショックでそれどころではなく連夜の声に応じようとはしない。
「い、『許婚』よりも近いって」
「ええ、そうよ、『許婚』よりもはっきり近い存在だわ。いえ、それどころか、下手をすれば『恋人』と同じくらい、いやそれ以上に近いといえる存在かもしれないわ」
「そそそそそ、そんなバカな!?」
「いい、よく聞いてたまちゃん。リーダーが今までボスにどんなことをしてきたか知ってる?」
「どど、どん、どんなことがあるっていうのよ!?」
契約者に甘い誘いをかける伝説の『悪魔』の如き妖しさ爆発の微笑みで囁きかけるリビュエー。
そのリビュエーの言葉を耳にした玉藻は、必死に平静を装うとするが、動揺は全く隠しきれない。
『そんなの全然気にしないわ!!』
・・なんて表情を作ろうとしているが、明らかにその表情は
『めっちゃ、気になるや~ん!!』
・・と、語っていたりする。
それでもまだなんとか『怒り』顔を維持しているが、目はだんだん涙目になってきているし、口は徐々に歪み始めている。
「リビュエーさん、ほんといじめっこですよね」
「そ、そんなことないも~ん」
不安と焦燥に耐えてぷるぷる震えている玉藻の姿と、それを妙にうっとりした表情で見つめているリビュエーに交互に視線を走らせた連夜。
そのあと、横にいるリビュエーになんとも言えない苦い表情を向けて呟くと、その言葉にはっと我に返るリビュエー。
一瞬だけ連夜に視線を向けたあと、慌てて視線をそらして表情を取り繕う。
そして、再びその視線は目の前の玉藻に。
「と、ともかくリーダーは、毎回ボスにすごいことやっちゃっているんだから」
「す、すご、すご、すごいことって何よ!? そ、そんなことあるわけが・・」
「まず朝起きてきて『おはようのハグ』」
「『おはようのハグ』ぅ!?」
「しないと一時間以上床に寝そべってダダをこねまわしますからなんですけど・・」
「しかもただのハグじゃないのよ。ボスの体を抱きしめて動けなくしたうえで、ボスのお尻を撫で繰りまわすの」
「お尻を撫で繰りまわすぅ!?」
「あれは本当にやめてほしいです。まるで満員念車の中で中年オヤぢの痴漢に触られている気分になります」
「次に『いってきますのチュー』」
「『いってきますのチュー』ぅ!?」
「そそ、しかもただのチューじゃないのよ。ボスの体を抱きしめて動けなくしたうえで、ほっぺにチューすると見せかけて無理やりベロチューを」
「無理矢理ベロチューだとぉ!?」
「いえ、迫っては来ますけど絶対させませんって」
「そして、そして、帰ってきてから『ただいまのハグ&チュー』したあと、『仲良く一緒にお風呂』、『らぶらぶ夕食』、とどめに『今日も一緒に愛の就寝』へ」
「いやあああああっ、そんなのいやあああああっ、あたしの連夜くんが、あたしの連夜くんがぁぁぁぁっ!!」
「ないない、ないですって。どこの新婚カップルですのん。ちょ、玉藻さん? しっかりしてください。前半はともかく、後半は完全にフィクションですから」
美しい金髪をかきむしりながら半狂乱に陥っている玉藻に近寄った連夜は、よしよしとその背中を優しくさすってやる。
「え? フィクション? うそんこなの? 全部?」
連夜の言葉にはっと我に返った玉藻は、だばだばと涙が流れる大きな瞳を最愛の恋人のほうへと向ける。
するとその視線を受けた恋人はにっこりとほほ笑みながら大きく頷くのだった。
「ええ、安心してください半分は間違いなく『フィクション』で『うそんこ』です」
「な~んだ。半分はうそだったのね。よかったぁ~。半分うそだったのかぁ・・って、半分はほんとなんじゃないのよ、ばかあああああっ!!」
一瞬心からの安堵の表情を浮かべかけた玉藻であったが、連夜の言葉の意味にあっさり気がついて癇癪を爆発させる。
「ってか、どういうことなの? おはようのハグやら、ただいまのちゅ~やら、それって普通一緒に住んでいる家族やら、ふ、ふ、夫婦やらでないとできないことなんじゃないの!? なんでミネルヴァがそういうことを連夜くんにできるの、おかしくない?」
「おかしくないわよ。だって、リーダーとボスって普通に一緒の家に住んでいるんだし」
「な~んだ、そっかぁ。一緒に住んでいるなら不思議じゃないわよね。それなら納得、それなら安心。って、納得も安心もできるわけあるかぁぁぁぁぁっ!!」
リビュエーの口から放たれたトドメの言葉に、とうとう玉藻のストレスパラメータは阻止限界点を突破。
大狐の姿になって、泣きわめきながら盛大に床を転がりまわる。
「いやよ、イヤヨ、絶対に嫌よ~~~~!! ミネルヴァと連夜くんが、そんな、そんな、一つ屋根の下で、『あっはん』なことや『うっふん』なことを、いやああああっ!! ミネルヴァが連夜くんに『今日は寝かさないわよ』とか、『今日の連夜はかわいいわね』とか言ったりしているわけ!? 連夜くんも『そこをもっともっと』とか、『そこがいいです、あんっ』とか応えたりしているの!? いやっ、不潔、不潔よ、そんなことを言っていいのは私だけだし、連夜くんは私としているときしか言っちゃダメッ!! ああ、それなのに、それなのにぃぃぃっ」
「ちょっ、玉藻さん、本当に落ち着いてください。なんかとてつもなくとんでもないこと口にしてますから!!」
「これが落ち着いていられるかああああっ!!」
体長二メトルを越える巨大狐が、駄々をこねながらリビングルームの中を所狭しと転げまわり、それを小柄な人間族の少年が必死に追いかける。
まるでコメディアニメのように実に楽しげでおもしろおかしい風景であったが、やってる当人達は大真面目。
たっぷり十分近くも転げ回り、最終的に追いついてきた連夜を自分の大きな体の中に捕まえて丸めこんだところでようやく駄々をこねまわすのを止める玉藻。
連夜の顔をしきりに舐めたり甘噛みしたりしながら、精神を落ち着かせる。
「まったくどういうことなの? 私だけって言ったのに、なんでミネルヴァとそういうことになってるわけ? 私が納得できる説明をしてくれるまで絶対離さないんだからね!!」
すんすんとしきりに鼻を鳴らしながら怒ったような表情で連夜の顔を盛大に舐めまわす大狐。
玉藻の腕の中、やりたいようにやらせてやりながらよしよしと狐も顔を優しく撫ぜて慰める連夜は、ふと横に立つ大蛇に視線を向ける。
妙に生温かい視線を向ける大蛇のほうに。
「いや、最初からちゃんと説明するつもりだったんですよ。それなのにリビュエーさんが」
「え~、私は厳然たる事実を言っただけだもん」
連夜から非難の視線を向けられたリビュエーは慌てて視線を外してそっぽを向くが、ニヤニヤ笑いは張り付いたまま。
そんなリビュエーを恨めしそうにしばらく見つめていた連夜だったが、玉藻に顔を両手で挟まれて無理矢理横に向けられたことで中断。
「痛たたた、玉藻さん、痛いですって」
「もうっ!! 説明はどうなったのよ!? ミネルヴァと一緒に住んでいるってほんとなの? いったい、ミネルヴァと連夜くんはどういう関係なのよ?」
「ああ、そうでした。そのことです」
「まさか、まさか本当に、ミネルヴァと連夜くんは恋人同士っていうか」
「ないない。さっきから言ってますけど、そんなこと絶対ありえませんから。いや、確かにみ~ちゃんは美人だし、頭もいいし、家事とか全然駄目ですけど、客観的に見て非常に魅力的な女性だと思います」
「じゃあ、やっぱり!!」
今にも大泣きしそうな、しかし、同時に怒り狂って暴れ出しそうな、非常に複雑怪奇な表情で迫ってくる狐の顔を優しく撫ぜながら、連夜ははっきりと首を横にふる。
「だけど恋人同士って、それはないですよ。そもそもそんなこと考えただけでさむイボがでますし、考えたこともありませんから。玉藻さんが考えているような関係ではありません」
「だったら、はっきり言ってよ、どういう関係なのかを!? このままじゃ私、頭がおかしくなってしまいそうよ!!」
「本当にごめんなさい。それについては心から謝罪します。ですけど、それをはっきり説明するためにも、玉藻さんにちょっと手伝ってほしいことがあるんです」
「え? 手伝ってほしいこと?」
腕の中の最愛の恋人が言いだした不可思議な提案に、思わずきょとんとして首を傾げる玉藻。
その玉藻の姿を見てなんともいえない苦笑を浮かべた連夜がさらなる説明をしようとするが、ニヤニヤ笑いをやめたリビュエーがやってきて視線で連夜に説明の交代を申し出る。
しばし見つめあう連夜とリビュエー。
結局、連夜はリビュエーの提案に頷きを返して口を紡ぎ、代わりにリビュエーが説明を続ける。
「たまちゃんは納得しづらいかもしれないけどさ、ここはボスの提案に乗ってあげてもらえないかな。今仮にリーダーが言葉で説明したとしても多分、たまちゃんはボスとリーダーの関係を信じられないし、納得できないと思うのよね。私やクレアは、ドナおばさまやジンおじさまを知っているから納得できるけど、普通は思いつかないと思うもの」
「それってどういうこと? そんな複雑な関係なの?」
「いや、ボスとリーダーは非常にシンプルな関係よ。ただねぇ、たまちゃんにはわからなかったわけだし」
「何が?」
「リーダーとボスの顔を見ても何も気付かなかったわけでしょ? まあ全然似てないから気付けというのが無理なんだけどさ。ともかく、もうちょっとだけ付き合ってよ」
「あ~、もうなんだかまだるっこしいわねぇ。私にどうしろっていうのよ?」
「一芝居付き合ってほしいのよ」
いたずらっこそのものといった表情で玉藻に顔を近付けたリビュエーは、またもや玉藻が全く予想していなかった言葉を口にする。
友人の真意が全くわからず、思わずリビュエーの顔を見返す玉藻。
青白い顔に小さく細かい宝石のような美しい鱗がびっしりと覆う友人の顔。
その中に存在する二つの瞳には、自分に対する害意らしきものは全く映ってはいないが、そこをどれだけ探るように見つめてもやはり真意を掴み切ることができない。
これ以上探ってみても何もわからない。
そう判断した玉藻は疲れたように首を横に振りながら口を開いて真意を直接問いただす。
「ひと、しばい? なんで? いったいなんの為の芝居?」
「こういうややこしい事態を作り出した人物に、そろそろ収集してもらいたいのよ。私もクレオも、そしてボスも、馬鹿正直にあの『人』が書いたシナリオに従ってきたわけだけど、そろそろ幕引きのときなのよね」
「幕引き?」
「そう。と、いうかね、たまちゃんとボスがこうなっている時点で、あの『人』の書いたシナリオはもう終わってるのよねえ。なのにあの『人』一人がそれに気がついていないから」
「いまいちよく、わからないけど、そうすることで私に何かメリットがあるわけ?」
「あるわ。それは、ボスとリーダーの関係がはっきりすること。そして、それと同時にたまちゃんが一番知りたがっていることもはっきりする」
「私が知りたがっていること?」
「そうよ。ボスの・・あなたの『連夜くん』のこと」
「!?」
リビュエーの言葉に思わずその体を硬直させる玉藻。
そうその通りであった。
玉藻は連夜のことをほとんど知らない。
自分に対して絶大な信頼と愛情を寄せてくれている最愛の恋人『連夜』。
玉藻自身も、同じくらい彼のことを信じているし愛していると自負しているが、しかし。
その氏素性についてはほとんど知らない。
知っていることと言えばごくわずか。
彼女の師匠であり後見人でもあるブエル・サタナドキア教授の『古い友人の息子』ということ。
そして、歓楽街『サードテンプル』にその名を轟かす仮面の怪『人』物、『祟鴉』の正体ということの二点だけ。
勿論、大切な大切な恋人のことが知りたくないわけがない。
いや、知りたいに決まっている。
しかし、無理に聞き出そうとは思わなかった。
やろうと思えばそうすることができなくはなかったが、それよりもそうした行動がこの優しい恋人との絆に亀裂を生じさせる可能性のほうが怖くて、どうしても踏む出すことができなかったのだ。
本格的に付き合いだしてからまだわずか一カ月程度しかたってないということも理由としてあったし、ともかく今の幸せな生活をちょっとでも揺るがせかねないことは、玉藻にとっては絶対のタブー。
そういう思いがありありと浮かびあがった玉藻の表情。
その様子を見たリビュエーは自分の予想が的中していたことを確信し、真剣な表情でゆっくりと頷きを返してみせる。
「たまちゃん、ボスのことほとんど知らないでしょ? どこに住んでいるのか? 家族はいるのか? 普段何をしているのか? そして、いったい何者なのか? 知りたいでしょ?」
「そ、それは勿論そうだけど、連夜くん、自分から話そうとしないから、聞いちゃだめなのかなって」
「あ~、言えなかった理由はね、リーダーなの」
「ああそう、ミネルヴァが理由だったの・・って、なんでぇっ!?」
なんでもないことのように、さらっと爆弾を投下するリビュエー。
玉藻は目を剥いて腕の中の恋人に視線を向ける。
すると、連夜は困り切ったといわんばかりの苦笑を浮かべて静かに肯定の頷きを返した。
「ほ、本当なの? ミネルヴァに口止めされてたってこと?」
「それを本人の口から説明させたいのよ。と、いうことで、協力してくれるかしら?」
同性から見ても非常に魅力的なウインクで玉藻に返事を要求してくるリビュエー。
そんなリビュエーと、そして腕の中の連夜を交互に見つめていた玉藻だったが、やがて、決意の色を瞳に浮かばせてゆっくりと口を開いた。
「わかった。やるわ」
そして、世にもバカバカしい喜劇の幕があがる。