第十話 『ミネルヴァ強襲(前編)』 その3
ズンズンと荒い足取りで玄関扉の前から戻ってきた玉藻。
目の前で泳ぐようにして両手をばたつかせて慌てに慌てている最愛の少年にギロリと視線を向ける。
「連夜くん。私にわかるように説明してもらえるかしら?」
大輪の花のような笑顔。
しかし、口元はぴくぴくと引き攣っているし、目は全く笑っていない。
その様子を見てとった連夜は、誤魔化すことはほとんど不可能と悟り、大きく深いため息を一つ吐き出した。
「どうしても説明しないと駄目ですか?」
「どうしても説明してくれなきゃ駄目よ」
「た、大した関係じゃないんですよ、本当に」
「大した関係じゃないなら説明するのは簡単よね? さっさと説明してちょうだい」
「あうう」
誤魔化すことはできないとわかってはいたが、それでもなんとか逃れられないものかと抵抗してみる連夜。
しかし、予想通りとりつくしまは全くなし。
それどころか目の前の美しい恋人の顔のあちこちには、恐ろしくぶっとい青筋がいくつも浮き上がり始めていた。
もはやこれまで、そう観念したような表情を見せた連夜は、そっとベランダに近づきもう一度ため息を吐き出す。
「わかりました。ではお話いたします」
「うんうん、早く話して。早く早く」
外に広がる美しい夜景を、なんともいえない憂いを帯びた表情で見つめていた連夜であったが、やがて、覚悟を決めたように口を開いた。
「外にいる方達と僕との関係、それは」
「それは?」
「そう、それは今から五百年前、大陸の西の果てで起こった壮絶な騎士達の戦いで・・いたい痛いイタイッ!! ちょ、玉藻さん、めっちゃイタイ!! すっごい痛い!! ムチャクチャいたいっ!! ほっぺつねらないでくださいってば、ちょっとぉ!!」
容赦なくギリギリとほっぺを抓りあげられて、たまらず悲鳴をあげる連夜。
どれだけ怒りのボルテージがあがろうとも、これまで最愛の恋人である連夜に対して暴力的なことは一度たりともしたことがない玉藻。
しかし、流石に今回のことは内容が内容だけに穏やかでも平静でもいられないようで、苛立ちを隠そうともしないままほっぺをつまんだその手を放そうとはしなかった。
「れ~ん~やぁ~くぅ~ん。あたしがぁ~、物凄い短気な性格だってことはぁ~、よぉ~くわかってるでしょぉ? 私はね、オタク受けしそうな厨二話が聞きたいんじゃなくて、あなたとリビュエー達の話が聞きたいんだけどぉ、私の主旨がはっきり伝わらなかったのかしら?」
「い、いえいえとんでもない。ちゃんと伝わっていますとも。ですけどね、ちょっと空気が重くなんかなったりなんかしちゃったりしていたので、ちょっとだけ場を和ませようかな~なんてね。と、ともかくここは一つ、穏便に平和に話し合いませんか? ね、ね」
「あらあらあら。でもね、流石に最愛の『人』が浮気しているかもしれないってことになれば、どんな恋人でも平和主義者ではいられないと思うんだけど? それについてはどう思う?」
「あ~、う~、それは確かにそうですねぇ~。そうですけど、とりあえず、ほっぺつねるのをやめていただけないでしょうか、すっごい痛いです」
「ちゃんと話してくれたら、すぐにやめるわよ。でも、今度誤魔化そうとしたら別のところを引きちぎる・・のはマズイから、十八歳未満御断りの映画でも上映できないような物凄くエロいことするからね。あ、具体的に言っておいたほうがいい?」
「いえ、結構です。今すぐ本当のことをしゃべりたくなりましたから」
誰がどう見ても、明らかに脅しのレベルを超えているとわかるギラギラした妖しい光。
そんな光が宿った真っ赤な瞳が、自分の全身を舐めるように粘っこく見つめていることに気がついた連夜は、全力かつ高速で首を横に振ってみせた。
「じゃあ、今しゃべる、すぐしゃべる、早くしゃべる!! 外の三人と連夜くんはどういう関係なの!?」
「えっと、それは」
「それは!?」
連夜の顔に、ズイッと自分の顔を近づけてくる玉藻。
顔そのものは宝石にも負けない素晴らしい美貌だが、纏うオーラは悪鬼羅刹のそれ。
あまりにも強烈なプレッシャーに思わず失神してしまいそうになるのをグッとこらえ、連夜はなんともいえない複雑な表情でぽつりとつぶやいた。
「許婚なんですよ」
「へ?」
「だから、リビュエーさんとクレオさんは、親同士が決めた僕の『許婚』なんです」
「ああ、そう、イイナズケね。な~んだ、イイナズケかぁ。そっかそっか、あ~、びっくりした。つまり、あいつらと連夜くんはただのイイナズケの関係ってわけね」
「そうです」
「・・」
「・・」
ようやく素直に白状した連夜に対し、玉藻は余裕の表情で『うんうん』と頷いて見せる。
連夜の予想とは違い、物凄い落ち着いた様子。
むしろ余裕たっぷりといった様子に見える。
内容が内容だけに、聞いたあと暴れだしたりしないか、いや、下手をすると外にいる彼女の友人達を襲撃すべく飛び出していくのではないかとハラハラしていたのだが、意外にも玉藻は非常に冷静に見えた。
(あれ? 僕の考えすぎだったのかしら?)
そう心の中で呟き、思わず首を傾げる連夜。
しかし、連夜はすぐに気がついた。
目の前の恋人が全然冷静ではないことを。
いや、それどころか、彼女の心の歯車が物凄い勢いで空回りしていることを。
なぜなら、玉藻は延々と首を縦に振り続けていたから。
いつまでたっても首を振り続けていたから。
壊れた人形でも、エキサイトしたヘビメタ歌手でもここまでは振らないよっていうくらい、すごい勢いでヘッドバンキングしていたから。
連夜は、急いで玉藻に駆け寄ると、その両肩に手を置いて必死に呼びかける。
「た、玉藻さん、ちょっと、もしもし!? しっかりしてください!!」
「え? なに、連夜くん、私はしっかりくっきりがっくり瀕死の重体で今にも倒れそうなくらい大丈夫」
「瀕死の重体で、倒れそうは大丈夫って言いません!! ってか、それ全然ダメですから、普通にアウトですから!! ちょ、しっかりしてください、玉藻さん!!」
「いやそれよりもね、連夜くん」
「な、なんですか?」
「イイナズケって、『良い菜漬け』ってことよね?」
「違います。どこまでも普通に違います」
「・・」
「・・」
「えっと、じゃあ『好い名付け』って意味よね?」
「違います。ありえないくらい違います」
「・・」
「・・」
「えっとえっとえっとぉ~、まさかとは思うけど、はるか昔にさびれた地方に伝わる古い言い伝えとして聞いた覚えがあるようなないような・・『自分達の子供同士を将来結婚させることを約束したとかなんとかいう間柄』みたいな意味のことがかすかに頭の記憶の奥底に残っているんだけど、これは違うわよね? 絶対間違ってるわよね? ね、ね」
「いえ、、間違いなくそれです」
「・・」
「・・」
「そっかそっか、それで間違いないんだぁ。あは、あはは、あははははははは・・は・・はは・・」
連夜のとんでもない内容の告白を聞いた玉藻。
最初のうちは全然ショックを受けた風もなく、不自然なほど明るい調子で『あっはっは~』なんて笑っていた。
だが、その意味がゆっくりと脳みその中に浸透してきたのか、徐々に動きが鈍くなり、やがて笑顔を張り付けたままの状態で彫像のように固まって動かなくなる。
「た、玉藻さん?」
「・・」
「も、もしもし?」
「・・」
「玉藻さん、大丈夫ですか? って、う、うわっ!! た、玉藻さん、しっかりしてください!! 玉藻さん、玉藻さ~ん!!」
一方、玉藻の家の玄関扉のすぐ外側では。
「駄目だわ。全然でない。忙しいのかな?」
何度もしつこく見慣れた念話番号をかけてみたが、結局念話は繋がらず、リビュエーはため息を一つ吐き出して念話をかけることを諦める。
「変ですねぇ。大概この時間は家にいるはずだから、念話をとってくれるはずなんですけど」
「きっと、あんたの念話だったから取らなかったんだてば。そもそもね、この時間ならきっと家にいるはずよ」
どこかほっとしたような、それでいてどこか勝ち誇ったような表情で肩をすくめてリビュエーを見つめるミネルヴァ。
そんなミネルヴァを少しの間忌々しそうに見つめていたリビュエーだったが、やがて、どこか面白そうな光を瞳に宿し口を開いた。
「じゃあ、リーダー、かけてみてよ」
「え」
リビュエーの言葉に、ミネルヴァの体が硬直する。
「リーダーの家にいるっていうのならかけて確かめてみてよ。自分の家でしょ? かけられないわけないわよねぇ?」
「え、え~~っと、うん、それは勿論、かけられるに決まってるじゃない。あっはっは」
マンションの廊下の前にある柵に腕を乗せて余裕の表情を浮かべて見せるミネルヴァ。
しかし、そう断言しつつもミネルヴァは一向に自分の携帯念話を取り出して、自分の家にかけようとしない。
「どうしたの? 早くかけてよ」
「い、いや、かけられないわけじゃないのよ。かけられないわけじゃないんだけど、今日はたまたま家に携帯念話を忘れちゃって」
あたまをかきながら、いかにも困ったなあなんて感じで笑顔を浮かべるミネルヴァ。
そんなミネルヴァを白い目で見つめていたリビュエーだったが、おもむろに自分の携帯念話に視線をうつすと、登録しているアドレスから一件選び出しそこに発信をかけた。
「え、ちょ、リビュエーさん、いったいどこに念話を・・」
『~ちゃらちゃっちゃっちゃ、ちゃらちゃちゃ、真っ赤なフレア~いま、瓦礫の大地を裂く!! 正義の使者、戦女神、降臨せよ、お~っ!! オォーレェイナァー!!』
何かを悟ったミネルヴァが慌ててリビュエーの携帯を取り上げようとするが、それよりも早くミネルヴァの懐から、やたら懐かしい合体ロボットアニメのオープニングテーマが大音量で響き渡る。
一瞬に凍りつくミネルヴァ。
そして、そんなミネルヴァにやたら生温かい視線を向けるリビュエーとクレオパトラ。
「これって、たしかリーダーの携帯の着メロですよね」
「家に忘れたはずの携帯の着メロがなんでリーダーの懐から聞こえてくるのかなぁ? 不思議だなぁ。ねぇ、リーダー」
「あ、あううう」
突き刺さるようなというよりも、ねっとりと粘りつくようななんともいえない四つの視線にがっちりと囚われたミネルヴァは、顔のあちこちから冷や汗をだらだらと流して呻き声をあげる。
「まさかとは思うけど、例によって何かしでかして」
「あう」
「ドナおばさまに知られて怒られる前に家を飛び出して」
「あうあう」
「行くあてがないからとりあえず朝まで酒盛りして」
「あうあうあう」
「明日の朝、何事もなかったかのように家に帰ろうと思って、それまでの繋ぎとしてあたし達を呼び出したわけじゃないよね? 違うよね、リーダー?」
「あう、あう、あう、あう」
「え、ちょっと図星なんですか? だから家に念話かけられないんですか? まさかとは思いますけど、念話にドナおばさまがでたら大変なことになるからなんてこと考えて躊躇しているんじゃないですよね?」
「あうううう・・ご」
「「ご?」」
「・・ごめんなさい」
「「もう~~~~~~っ!!」」
額に青筋を立てながら詰め寄ってきた二人の友人の姿に、最早言い逃れはできないと思ったのか、がっくりと首を前に倒して謝り倒すミネルヴァ。
その姿をしばし怒りの表情で見つめていたリビュエーとクレオパトラであったが、やがて、なんともいえない表情でため息を吐き出し肩をすくめて見せる。
「そんなことだろうとは思ったけどさぁ」
「まあ、毎度のことですからねぇ。リーダーがこんな時間に私達を呼び出すときは、大概、ドナおばさまを怒らせるようなことして」
「家から逃げ出してきたときだって、相場が決まってるもんねぇ。で、今回はいったいなにやらかしたのさ、リーダー」
「え、いや、ちょっと、隠していた私の大事な宝物の数々が、その、あの、部屋を掃除しに来たメイド達に、もう、あの子達たら、どうしてみつけちゃうのよ!! 絶対わからないところに隠していたはずなのに。しかも、それをお母さんに密告するっていったいどういうことなの!? ひどすぎるわっ!!」
廊下の安全柵に突っ伏して『うわ~ん』と泣き始めてしまうミネルヴァ。
どうやらいつもの嘘泣きではなく、結構マジで泣いていることから、本当に大事にしていた何かをみつけられてしまったようだ。
しかも、それは『人』に絶対にみられたくない何か・・
親友といって差し支えない二人にも、その何かをはっきりと口に出して伝えないところからも、余程秘密にしたいものに違いない。
しかし。
二人はそういう秘密主義なミネルヴァの態度を見ても全く気を悪くした様子もなく、それどころか顔を見合わせるとミネルヴァが驚愕するような内容の会話を始めた。
「ああ、とうとう、あの子の裸を隠し撮りして作った手作りエロ写真集みつかちゃったんだ」
「うんうん、そうなのよ・・え?」
「写真集だけじゃなく、記録映像もでしょ。着替えとか、お風呂の様子とかかなり撮りだめしていたみたいですし」
「えっ、ちょっ? え、なんで?」
さらっとというか、ぽろっとというか、ともかく当たり前のように二人の口からこぼれ出た言葉。
その中に、聞き流しには絶対できない内容の単語が入っていることに気がついたミネルヴァは、一瞬にして涙をひっこめると、蒼白になった表情を二人に向ける。
「しまったぁ、こうなるってわかっていたら、焼き増しもダビングもしておいたのになぁ」
「いやいやいや、待て待て待て、焼きまして、ダビングて」
「諦めましょ。そもそも、そんなもの持っているとわかったら、ドナおばさまにどんなお仕置きされるかわかったもんじゃないですし」
「ちょっ、まっ、なんで? なんで二人とも知って、え、あたし完璧に隠していたはずなの・・」
「そうかぁ、とうとう見つかったのねぇ。でも、ちょっと惜しいなぁ。あの子が十六歳の時に前から撮影したシャワーシーンだけはほしかった」
「あれすごいですよねぇ。いったいどうやって気づかれずに撮影したのか」
「うんうん、撮影技術は勿論すごいんだけど、あの子のあれが」
「ええ、あの小柄な体に似合わない立派なあれが」
「「すごい!!」」
「ちょっ、待て、おまえら!! あたしの前でなんの話をしている・・」
どんどんとんでもない方向に話が進んでいくことに気がついたミネルヴァが、怒りと羞恥に満ちた表情で慌てて二人に声をかけようとする。
だが。
「「リーダーが隠し撮りした変態エロ映像の内容についてですが、何か?」」
「いえ、その、できれば、あの、プライベートな問題に関わってくるので、そこのところはそっとしておいていただきたいというか、いえ、なんでもありません」
二人から穏やかならざる視線でギロリと睨み返されたミネルヴァは、自分自身に思い切り後ろめたいところがあり、急いで二人から眼をそらす。
そして、マンションの廊下の隅っこのほうにそっと移動して座り込むと、床に『の』の字を書いて盛大にいじけ始める。
「変態て、エロて・・大事な・・うとの成長記録じゃない。別にそれを実の・・ねである私が持っていたって、いいと思うのよ。なのになのに、なによなによ、みんなして私が悪いみたいに」
「「いや、力いっぱいあなたが悪いですから」」
「うえ~~ん、二人ともひどいよ~~」
全然反省する気配がない自分達のリーダーに対し、二人の容赦ないツッコミが炸裂。
ミネルヴァは、わざとらしく『よよよ』と崩れ落ちてその場でなきじゃくるのだった。
勿論、二人とも自分達のリーダーがこの程度のことでヘコムことも、反省するようなことも、懲りることもない『人』物であることをよ~く知っていたので、冷たい視線をしばらくそちらに向け続けたあと、疲れたように顔を見合せて深いため息を吐き出した。
「あ~あ、もう、リーダーの馬鹿話はともかくとして、ほんと、あの子どうしちゃったんだろうね。リーダーの念話ならともかく、私のかけた念話を無視するなんてことこれまでなかったのに。友達のところにでも行ってるのかしら?」
「あるいは、友達とは到底いえない誰かのところに連れていかれているか」
持っていた携帯念話を折りたたんで懐にしまおうとしたリビュエーだったが、横に立つクレオパトラが発した言葉にその動きを止める。
そして、まるで出来そこないのゴーレムのようなぎこちない動きでその視線を親友のほうへ向け直した。
「クレオ。・・笑えないよ、それ」
「笑わすつもりで言っていません。あなただって、一カ月前に起こったことを『申』から聞いているでしょ?」
他の誰かには聞かせられないのか必要以上にボリュームを絞った小声で話すリビュエーに、相対しているクレオパトラも同じくらいの音量で答えを返す。
真剣極まりない表情で。
そのクレオパトラの言葉に、いったんは懐にしまいかけた携帯念話に視線を向け直すリビュエー。
「何もなければいいですけど。この前のようなことがないとは・・」
「さ、『申』や『戌』がついているでしょ? 新しく入った『酉』の名を持つ子もいるっていうし・・」
「でも、ずっと張り付いているわけじゃないですわ」
「・・」
しばらく何かを考え続けるリビュエー。
その表情はミネルヴァと話していたときのような、明るく屈託のないそれではない。
何か、いや、誰かを心配しているとわかる色がありありと浮かび、それは大きな影となって表れていた。
夜のマンションの廊下に、痛いほどの静寂が流れる。
どれくらいの時を二人はそうしていたのか。
やがて思考することをやめた西域半人半蛇族の麗女は、視線を隣に立つ人頭獅子胴族の親友へと向けた。
「クレオ・・」
「わかったわ」
リビュエーの大きな碧眼の中に浮かぶいくつもの言葉、それを無言で読み取った切れ長の黒目の持ち主は、大きく一つ頷きを返してから肩からかけたブランド物のバッグを器用にあけた。
そして、わざと誰かに聞かせるかのような明るさと笑いに満ちた大声をあげる。
「残念ですけど、あの子のことは諦めましょう。それよりも、たまちゃん家にいないみたいですし、どこか別の場所考えたほうがいいですよね。適当な知り合いの家が空いてないか聞いてみますね」
「うんうん、よろしく。そうだ、この前知り合った若い子達がいいかもね。『龍』族や『虎』族の子がいたから、私達が『知りたいこと』をよく知っているかも」
「ですね、私達が『知りたいこと』をよ~く知っていると思います」
ライオンの前足をバッグの中に突っ込んで自分の折りたたみ式携帯念話を取り出したクレオパトラは、軽やかな笑い声をあげながらリビュエーに返事を返し、携帯を開いて番号を入力する。
いつもと変わらぬいつも通りの会話。
ただ二人の眼だけは。
眼だけは笑っていなかった。
ともすればあふれて漏れそうになる『負』を宿す意志の光だけはかろうじて抑えていたが、その眼には明らかに『負』の感情に属する『焦り』と『動揺』の色が浮かんでいた。
そして、携帯のルーン番号を押すクレオパトラの指には、かすかな震えが。
しかし、彼女達は努めてそれを表情にも態度にも出ないようにして平静を装い続ける。
理由はたった一つ。
それはすぐ傍にいる誰かに気付かせない為。
「あれ? 今度はクレオが念話かけているの?」
ひとしきり拗ねて気が晴れたのか、二人が気付かれたくないたった一人がのこのこと二人の元に戻ってきた。
二人は気を抜けば歪んで壊れそうになる表情を必死に苦笑に形作り、その要注意『人』物に視線を向ける。
「え、ええ。たまちゃんいないみたいですしね、このままここにたむろし続けてもしょうがないですし。どこか酒盛りして騒いでも怒られないような場所がないか、お友達にあたってみようかと思いまして」
「クレオちんや、リビュエーのところは駄目なの?」
「ええっ!? わ、私達のところですか? いや、それは・・」
思いもよらぬミネルヴァのツッコミに、咄嗟に取り繕うことができず動揺をあらわにするクレオ。
その様子に何かピンときたミネルヴァは、ここぞとばかりにからかおうと人頭獅子胴族の友人に絡もうとしたのだが。
「別にあたしらのところでもいいけど、ドナおばさんに通報されても責任もたないよ?」
「うっ、そっか。あんた達、実家住まいだもんね。おじさん達にみつかるのは確かにまずい」
絶妙なタイミングで滑り込んだ西域半人半蛇族の麗女の援護射撃の前に呆気なく撃沈するミネルヴァ。
その様子を見たクレオは、ほっと胸を撫で下ろしながら頼れる相棒に感謝の視線を向ける。
そこにはいつものシニカルな笑み。
が、待っているはずだったのだが。
「リビュエー?」
念話をかけようと通話ボタンを押しかけた状態で相棒の異変に気がついたクレオが不審そうに声をかけると、相棒ははっと我に返り、何か慌てた様子でクレオが念話をかけようとするのを止める。
「ちょ、ちょっと待ったクレオ。念話かけるの待った」
「どうしたの、リビュエー?」
「いや、あの、その、つまり、えっと、たまには居酒屋なんてどうかな? 『ネオゼウスドア』? じゃなくて、『ルーツタウン』? でもなくて、『ゴッドドア』? でもなく」
「何言ってるんですの、リビュエー?」
自分から提案してきたのはいいが、どうにも要領を得ない調子で話を進めるリビュエー。
そのあまりにも妙な様子にクレオとミネルヴァは思わず顔を見合わせる。
「『ニューオープンタウン』? でもなくてって、いったいどこならいいっていうのよ!?」
「どうしたの、なんで一人でキレているの?」
「いや、別にキレてなんか。あ~、もう!! じゃあ、『サードテンプル』? OK? あ、そう? じゃあ、その『サードテンプル』の居酒屋で飲みましょ。ね、ね」
「あ、うん、いいけど。なんか、誰か他にいるの? まるで誰かに聞いていたみたいな・・」
「そそそそ、そんなことないない!! そうそう、クレオ。悪いけど、リーダー連れて先に行ってて。長時間座ってたから尻尾がしびれちゃって」
どこかわざとらしい様子で自分の蛇の胴体をさすってみせるリビュエー。
あまりにも不自然な態度にクレオもミネルヴァも不信感バリバリに、愛想笑いを浮かべる目の前の友人を凝視する。
しかし、クレオはすぐにあることに気がついた。
リビュエーが自分の体をさすってみせるときに、クレオにしか見えない角度でその指をある方向に向けたことに。
クレオ、その方向に視線を向けあるものを見つける。
そこにあった誰かの意志を察した彼女は、すぐに相棒の芝居に乗ることを決断する。
「リビュエーは置いといて、先にいきましょ、リーダー」
「え、ちょ、待ってよ。なんか、リビュエーの様子おかしくない? おかしいでしょ? おかしいよね?」
「リビュエーがおかしいのはいつものことですわ。さぁ、いきましょ、いきましょ」
「えええっ!? いや、まあ、それはそうだけど、いや、ちょっと、ひっぱらないでよ、クレオ。ちょっとぉ!?」
「あたしもすぐに行くから、リーダーのことよろしくねぇ~」
先ほどまでの不審そうな表情はどこへやら。
いつもの極上女神スマイルを浮かべたクレオは、一人納得できないでいるミネルヴァの服の端を咥えると強引に引っ張ってずんずんとそこから連れ出していく。
ミネルヴァはなんとか抵抗しようとするが、大柄で力も強い人頭獅子胴族の前ではどうすることもできず、呆気なくマンションから姿を消した。
マンションから遠ざかって行く二人を見送ったリビュエーは、二人の姿が見えなくなったのを確認するとほ~~っとため息を吐き出して脱力する。
「まったくもう、いつもいつもそうだけど、『人』の意表を突くのが好きな『人』ですよね、あなたは」
いったい誰に聞かせているのか、苦笑交じりにそう呟いたリビュエーは、自分のすぐ下にある床へと顔を向ける。
いや、顔を向けた先は床ではない。
自分の胴体の先、胴体とほぼ一体化している尻尾の先。
そこに視線を向けると、マンションの扉が少し開き、そこから伸びた少年の手がリビュエーの尻尾を軽く握っているのが見えた。
「念話が繋がらなくて、また誰かに襲われているんじゃないかって、あたしもクレオもハラハラしていたのに。一体全体どういう経緯でそんなところにいるのか、詳しく説明していただきたいんですけどね、ボス?」
扉の向こうにいる『手』の持ち主に、呆れ果てたような声で話しかけるリビュエー。
すると、その声に応えるように、人間族の少年がひょっこりと顔を出した。
黒髪黒目、この部屋の主の最愛の恋人である高校生の少年は、照れたような、それでいて困ったような表情をリビュエーに向ける。
「いや~、いろいろとあるんですよ。リビュエーさん」
「それを説明してほしいんですけど?」
「まあ、ともかく、話を聞いてくれますかね? 他でもないみ~ちゃんのことなんだけどね」
「ああ、ひょっとして」
「うん、そろそろ、み~ちゃんと正面から向き合おうかなと思ってね」