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真・こことは違うどこかの日常  作者: カブト
過去(高校二年生編)
87/199

第十話 『ミネルヴァ強襲(前編)』 その1

 己の魂の半身。

 いや、そんな言葉程度では到底片づけられない。

 間違いなくそれ以上の存在である最愛の恋人『連夜』。

 彼を得てから、玉藻の日常は一変した。

 

 ずっと今まで日々を生きるためだけに生きてきた玉藻。

 灰色に満ちた世界に流れる時間の流れに身を委ね、それに溺れないようにして流されるままに流されるだけ。

 自分を気にかけてくれる友人や師匠の存在、心躍らせる様な戦いを提供してくれるライバルたち、そして、あるいは小児科の医者になるという夢、それらが、玉藻の灰色の人生に色をつけてくれることはあったが、それはそのときだけのこと。

 デフォルトで色がついたままなんてことは、生まれてから二十年、一度としてなかった。


 だけど。


 だけど、今は違う。

 

 今の玉藻の目の前には、はっきりと色のついた世界が広がっている。

 鮮やかで生気に満ち、そしてなによりも優しい色をした世界が、玉藻を毎日出迎えてくれるのだ。

 それを玉藻に与えてくれるものがなんなのか、最早考えることすらバカバカしいほどはっきりしている。

 

 『連夜』だった。

 

 玉藻よりも三つ年下。

 人間族の小柄な少年。

 

 その彼が与えてくれる穏やかで安らぎに満ちた日々。

 何物にも代えがたい彼と過ごす時間。

 

 彼という存在を自分のモノにしてから一カ月半。

 彼の体も、心も、そのほとんど全てを狂ったように貪り食って己のモノとし、自分の色で染め上げ続けた毎日。

 しかし、それでもまだ玉藻は連夜を求め続ける。


 すでに心の飢えは満たされてはいる。


 連夜は玉藻には勿体ないくらい、出来すぎた恋人。

 ほとんど毎日玉藻のところにやってきては、何くれとなく世話を焼いてくれる連夜。


 彼はいつも玉藻に『好きです』と言ってくれる。

 彼はいつも玉藻に『愛しています』と言ってくれる。

 彼はいつも玉藻に自分ができる精一杯の全力で尽くしてくれる。


 浮気なんかする気配など微塵もない、いつもいつも玉藻だけを見つめ続けてくれる連夜。

 そんな連夜に愛されて、玉藻の心の飢えは十分に満たされているのだ。


 だが、玉藻は連夜を求め続ける。

 狂ったように連夜を求め続ける。

 いや、恐らくすでに狂っているのだ。

 玉藻は自分の精神が派手にぶっ壊れてしまっていることを自覚していた。


 連夜と一緒にいると、感情をうまく制御できないのだ。


 大学では感情をほとんど表に出すことのない『機械仕掛けの女神』と呼ばれている玉藻。

 日々のほとんどを無表情かつ無感動に過ごし、親しい者達の前ではある程度感情の起伏を見せるものの、大きく爆発させたりは決してしない。

 自分でも、『人』が当たり前のように持っている感情がないのではないかと疑ってすらいたのに。


 連夜の前では簡単に感情が爆発する、いや、してしまうのだ。


 ちょっとしたことで喜び、怒り、悲しみ、そして、笑う。

 中でも強烈に発動してしまうのが、『嫉妬』の感情。

 売店で女性店員に品物があるかどうか聞いているだけ、通りすがりの女子高生が道を聞いてきただけ、電車に乗ったときに彼の視線の先にたまたま奇麗な女性が立っていただけ、どれもこれもどうということのないことばかり。

 自分でもそんなことはわかってる、よ~くわかってるはずなのに、そういう場面にちょっとでも遭遇するともうダメなのだった。

 怒る、拗ねる、泣きわめく。

 子供のすることだと頭ではわかっているのに、止められない。

 自分が悪い、自分勝手なわがままだとわかっているのに、連夜に心ない言葉をぶつけて傷つけてしまい、あとで猛烈に後悔するのだ。

 それでも、連夜は許してくれる、そんな自分をあっさりと受け入れてくれる。

 そんな連夜が愛おしくて愛おしくて、自分にはできないことをあっさりとしてのけるそんな連夜が憎くて憎くて、めちゃくちゃにしてやりたくなって、連夜を蹂躙して壊す寸前で気がつく。

 

 連夜を心から愛していることを。


 毎日それの繰り返し。

 よくもまあ、これだけ理不尽な目にあわしているというのに、愛想を尽かされないものである。

 自分自身の傲慢さに呆れかえってしまうし、もし、本当に捨てられてしまったらと考えただけで体が震え涙が止まらなくなるが、とにかく今のところは許してもらえている。

 しかし、いい加減この病的な嫉妬深さをなおさないと、恋人の堪忍袋の緒がいずれ切れてしまうのは間違いない。

 ひょっとすると、どこまでも調子に乗っていいようにしたとしても最期まで連夜は玉藻の好きにさせてくれるかもしれないが、その場合、連夜自身の命に関わる重大事になってしまうだろう。

 それは困る、絶対に困る。

 連夜の命に関わるのは絶対にダメだし、連夜の健康や精神状態が悪くなるのもよろしくない。

 よろしくないのだが、すぐに感情をコントロールできるようになるかと言えば、恐らくそれは無理。

 いったいどうすればいいのかわからず、玉藻は自分のすぐ横でうつ伏せになり、ぐったりしている連夜の身体を引き寄せて抱きしめた。

 自分よりも小さな体ではあるが、非常によく鍛え上げられて引き締まっている。

 贅肉などどこにも見当たらない実に素晴しい肢体。


 その肢体を今日も自分勝手に蹂躙してしまったのだ。


 例によってその理由はあまりにも子供じみたもの。

 自覚症状ははっきりあったが、結局破壊衝動を抑えることはできず、マンションの実家に恋人を無理矢理引きずり込み、衣服を強引に脱がしてあっというまに行為に及んでしまった。


 それは獣でもしないような破廉恥極まりない所業の数々。

 思い返しただけで、自分自身を今すぐ殺して埋めてしまいたくなる。

 

 それにしても本当に腕の中の小柄な恋人は我慢強い人である。

 普通女性からこれだけ屈辱的なことをされてしまったら、男のプライドとやらはズタズタで、許してもらえないどころか、殺意や憎悪を抱いてもおかしくないはず。

 しかし、女である自分ですらわかるほどひどい扱いをしているにも関わらず、連夜はそれについて絶対に怒らない。

 多少苦笑したりはするものの、事が終わったあと、いつもと変わらぬ優しい笑顔を浮かべて玉藻を許してくれるのだ。


(ごめんね、連夜くん、本当に本当にごめんね)


 心の中で今日も盛大に謝りながら、その身体を抱きしめて、唇やら、ほっぺやら、うなじやら、首筋やらを存分にぺろぺろ舐める。

 嫌われて捨てられることにでもなったら、一番困るのは自分だとわかっているのだが、どうしてもやめられない、止められない自分の乱行に玉藻の目から涙がこぼれる。

 

(どうして私ってこうなんだろう? 連夜くんのこと大事にするって決めたのに)


 はふ~と悩ましげに溜息を吐きだして腕の中で眠っている恋人に視線を向ける。

 自分の命と同じ、あるいはそれ以上に大事な恋人。

 とりあえず、それはまだ自分の腕の中にある。

 そのことを確認した玉藻は、安堵の溜息を吐きだそうとしたが、ふと落とした視線の先で眠っていると思われた恋人と視線を合わせることになってぎょっとする。


「れ、連夜くん、起きていたの?」


「起きていましたよ。それよりもですね」


「れ、連夜くん、ごめんね。いっつもいっつも、本当にひどいことばかりしちゃって」


「いや、それはいいですよ。これくらいで玉藻さんの気が晴れるのだったら、別にどうということはないです」


「うう、本当に破廉恥で淫乱で乱暴者でごめんなさい、すいません」


 本気で落ち込みがっくりと項垂れる玉藻。

 そんな玉藻の頬にそっと小さな手を当てた連夜は、しばらくの間優しく撫ぜながら玉藻を慰める。

 そうして、しばらく二人の間に静かで穏やかな時間が流れていったが、やがて何かを思い出した連夜は慌てたように口を開いた。


「もういいですってば。それよりも玉藻さん、あのですね、そろそろ」


「ダメ」


 玉藻の腕の中で顔を真っ赤にした連夜が、物凄く何かを訴えかける視線を向ける。

 しかし、玉藻は不意に顔を連夜のほうから背けると、その視線を合わせないようにしながら冷たく拒否の言葉を返す。

 連夜がこれから何を言おうとしているのか、玉藻にはすぐにわかった。

 だから、その言葉を聞きたくなかった、いや、聞くわけにはいかなかった。

 完全に拗ねた表情になった玉藻は、連夜と視線を合わせようとはしないが、その身体をこれまで以上に強く抱きしめて拘束する。

 それは連夜をどこにも行かせない離さないという無言の意思表示。

 玉藻の意思をすぐに察知した連夜は、困りきった表情を浮かべて口を開く。


「いや、でもですね」


「ダメったらダメ」


「ダメと言われても、もうそろそろ時間が」


「ダメなの!! 絶対帰っちゃダメなの!!」


「いや、僕もできればそうしたいところなんですが」


「じゃあ、そうすればいいじゃない!? なんで? なにが不満なの? 私のことが嫌いなの? そりゃそうよね、こんな自分勝手な女、普通好きになったりしないわよね!!」


「そんなことないですってば。玉藻さんのことは好きですよ」


「じゃ、じゃあ、今日は泊っていってよ!!」


「い、いやそれはちょっと」


「連夜くん、いっつもいっつも泊らずに帰っちゃうんだもん。朝起きたとき、どれだけ私が寂しい想いをしているか、連夜くん、全然わかってない!! 本当は一緒に暮らしてほしいけど、それは流石に難しいってことくらいわかってる。今はまだ、そのときじゃないってことくらいわかってる。でも、でもね、たまの土日くらいは泊って行ってよ!! なんでいっつも夜になると帰ってしまうの!? 次の日にまた会いに来るんだったら、泊ったって別に問題ないじゃない!? なんで? ねぇなんでなのよぉ!!」


「ご、ごめんなさい。それについては本当に申し訳なく思っています。でもですね」


「『でも』じゃないでしょ!! 連夜くんのバカ、バカバカバカバカ~~~~~~ッ!!」


「ああああ、玉藻さん、泣かないでくださいよ!! 僕だって、僕だって玉藻さんと暮らしたいですよ、できるなら、側にいてずっと玉藻さんのお世話がしたいです。だけどですね!!」


 泣き喚く玉藻の顔を、苦悩に満ちた表情で見つめる連夜。

 どこまでも平行線の二人の言葉。

 二人とも、相手を苦しめたいわけではない、できればお互いの願いを素直に聞いてあげたい。

 だけど。

 一人は、これまで我慢に我慢に重ねてきて、その限界点をついに突破してしまったが故に。

 一人は、これから先の二人の平穏な日常を守りたいと考えるが故に。

 二人の主張は真っ向からぶつかりあい、引くことができないところに来ていたわけだが、その二人の激突は、思わぬ形で終局を迎える。


『ぴんぽ~ん』


 部屋の中に鳴り響くチャイムの音。

 それを聞いた二人は一瞬にして口をつぐんで言い合いをやめると、互いの顔を見合わせる。


「誰かしら、こんな時間に?」


 布団の中で身をよじり、壁にかけてある円形型の壁掛け時計に視線を向ける玉藻。

 時計が示す時間は夜の二十一時。

 深夜ではないが、『人』が訪ねてくるには少しばかり遅い時間。

 平日であれば玉藻の悪友達が酒盛りをするために押しかけてくることも珍しくはないのだが、土日は彼女達のリーダー格であるミネルヴァ・スクナーが家族と団欒したいからという理由で招集をかけないためやってくることはまずない。

 そして、今日はその彼女達がやってくるはずのない土曜日。

 他にマンションの回覧板という可能性もあるのだが、それ以外に玉藻の家に誰かが来るなんてことはない。

 それ故に玉藻は非常に怪訝な表情を浮かべて小首をかしげて見せていたのだが、彼女の目の前にいる恋人は少しばかり違っていた。

 急いで玉藻の腕から抜け出すと、そのまま布団から飛び出して大慌てで衣服を身につけ始める。


「や、やばいやばい!! もう来ちゃったよ。あと、一時間は大丈夫だと思ったのに、考えが甘かったかぁ」

 

 そう言ってあっという間に衣服を身に着けた連夜は、玉藻の寝室が駆け出し台所やリビングを超特急で片づけ始めた。

 

「れ、連夜くん、いったい全体どうしたの?」


「どうしたのじゃありませんよ!! 玉藻さんも早く服を着てください!!」


「何、慌てているのよ? どうせ、回覧板か何かよ?」


「違います、回覧板じゃありません!! ともかく早く服!! 服を着てくださいってば!!」


 とんでもなく素晴らしいプロポーションを惜しげもなく晒しながら素っ裸で寝室から出てきた玉藻は、まるで何かの痕跡を必死に消そうとしているかのように掃除片づけを行っている連夜を怪訝そうに見つめる。

 連夜は、そんな危機感ゼロの玉藻に大声で注意をしようとするのだが、何かに気づいて玄関のほうに一瞬視線を向ける。

 そして、二度目のチャイムが鳴らないことを確認。

 しばらく待ってもチャイムが鳴らないことを確認すると、短く安堵の溜息を吐きだして再び玉藻のほうに視線をもどし、囁くようにして玉藻に注意を促す。

 玉藻はそんな連夜の姿を困惑しきった表情で見つめていたが、あまりにも連夜が必死に頼み込んでくるので渋々寝室にもどり、部屋の中に散らばっている下着、Tシャツ、ジーパンを拾い上げて身につけ始める。


「なんなのよもう。いったい何がどうなってるの?」


 いつにない年下の恋人の慌て方がどうにも腑に落ちない玉藻。

 玉藻のかわいい恋人は、そのかわいらしい外見とは裏腹に実に腹の据わった人物である。

 滅多なことでは驚かないし慌てることもない。

 にも関わらず、そんな恋人が今日に限って大いに慌てふためいている。

 こんな恋人の姿を見るのは初めてかもしれない。

 

「そういえば連夜くん、回覧板じゃないって断言していたわね。ひょっとして連夜くん、誰が来たのかわかってるのかしら?」


 ぶつぶつ言いながらも一応服を全て身に着けた玉藻は、再びリビングにもどってくると相変わらず忙しく片づけを続けている連夜に声をかけようとした。

 そのとき。


『ぴんぽんぴんぽ~ん』 


 再びチャイムの音が鳴り響く。


「はいはい、わかったわよ。出ればいいんでしょ、出れば。もう、いったい誰よ、こんな時間に」


「ちょ、ま、た、玉藻さん、待ってください!!」


 憤懣やるかたないという表情を浮かべた玉藻は、訪問者の正体を確かめるべく玄関へとスタスタ歩いていく。

 だが、その玉藻の行動に気がついた連夜は、慌ててその前に先回りすると、両手で玉藻を押しとどめる。


「連夜くん、何やってるの? 誰が来たのか確かめないと」


「ちょ、ちょ、ちょ~~っと待ってください。あと、声の大きさをもっと落としてください!!」


「え、なにそれ、どういうことよ?」


「いいから、僕の言う通りにしてください、お願いします!!」


 両手を合わせて必死に拝み倒した連夜は、玄関の目の前でようやく玉藻の足を止めることができた。

 そのことにほっと胸を撫で下ろした連夜であったが、すぐに人差し指を口の前に持って行くジェスチャーで静かにするように玉藻に指示。

 その後、玄関扉の覗き穴からそっと外の様子を伺ったのだが。


「や、やっぱり」


 大きく眼を見開いて外の様子を確認した連夜は、がっくりと肩を落として項垂れる。

 そんな連夜の様子に玉藻はいったい外に何があるのか問いかけるべく口を開こうとしたのであるが。

 

 恋人に問いかけるまでもなく、その答えは外から聞こえてきたのであった。


『た~ま~ちゃ~ん。あっそび~ましょ~!!』


 年若い女性達から発せられたと思われる大合唱。

 その声の主達を、玉藻はいやというほどよく知っていた。


「げげげっ!! み、ミネルヴァ達なの!?」


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