第九話 『姉烏弟鴉』 その6
「向こうのご両親に二人で会いに行ったらすっごく喜ばれて祝福されたんだよね」
「是です。是ですが、だ、誰!? 誰がしゃべったんですか、ちょっと!? 連夜、情報源を、裏切り者の名前を言いなさい!!」
これ以上ないくらい顔を真っ赤にしながら連夜の胸倉を掴んでぶんぶん振りまわす美咲。
連夜が今口にした内容は、美咲が本当にごくごく一部の者にしかまだ話していないはずの超機密事項。
自分の上司であり恩人でもある連夜の母ドナ・スクナーにすらまだ報告していないというのに、なぜよりにもよって滅多に会わない弟がそのことを知っているのか。
物凄い羞恥と照れくささで今すぐどこかに消え去りたい気持ちでいっぱいだったが、とりあえず、大事な情報をあっさり漏らした裏切り者の名前だけはどうしても是が非でも何が何でも確認しておかなくてはならない。
そんな決死の思い出連夜に問いかける美咲。
しかし、連夜は、首を盛大に振られながらも、『あっはっは』と笑い続けるばかりで、全然『人』の話を聞いていなかった。
「ちょ、連夜、聞いているのですか? 誰? 誰ですか情報を漏らしたのは!?」
「え~、それはちょっと~、言えないかな~」
「否。そんな態度は絶対否です!! 吐け!! 吐きなさいよ、コンチクショー!!」
「いいじゃん別に。『私、頑張っていいお嫁さんになります!!』って、向こうのご両親に宣言しちゃったんでしょ?」
「いやああああっ!! 是、是です、是ですけど、なんで!? なんで、そんなことまで知ってるの!? おかしいでしょ、私、そこのところは誰にも言ってないのに」
「『得意料理は肉じゃがです』って、それ定番過ぎてかえってインパクト薄くない? そこは『自分で漬物漬けています』とか、『ビーフストロガノフ作れるようになりました』とかのほうがよかったような」
「きゃああああっ!! い、否、否です、余計なお世話です!! なんでなんでなんでぇっ!? ちょっ、連夜、なんで、そんな見てきたように詳しいんですか?」
もう赤くないところはないんじゃないかというくらい、顔面全てを紅潮させた美咲は、半ばパニックになった状態でぽかすかぽかすかと連夜の胸板を叩き続ける。
その後も秘密にしていたはずの婚約者との嬉しはずかしエピソードを連夜に散々暴露されからかわれ続ける美咲。
なんとか反撃の一撃を加えたいところであったが、結局果たすことはできず、つには怒鳴り疲れてその場にへたり込んでしまうのだった。
「はぁはぁ、なんで? なんで連夜がそんなことを知っているんですか? 実に不条理です、とても不愉快です、そして、なんとも不可解なのです」
「まぁまぁ、お姉ちゃんがちゃんと一人の『女性』としての人生を歩んでくれているってわかって僕は凄く嬉しかったよ」
「否、大きなお世話です!!」
物凄い生温かい視線で自分を見つめる生意気な弟に、荒い息を吐きだしながら猛然と吠える美咲。
そんな美咲の姿を見てけらけらと愉快そうに笑っていた連夜であったが、不意にその表情を真面目なものに変化させる。
「あのさ、お姉ちゃん」
「なんですか。まだ何かあるんですか?」
「いや、そうじゃなくて。ここからは真面目な話。もうさ、お姉ちゃんは血生臭い裏の仕事から手を引くべきだよ」
「は?」
突然連夜が切り出した話の内容の意味がわからず、その場にへたり込んだまま弟の顔を見上げる美咲。
そんな美咲の様子に少し柔らかい笑みを浮かべて見せた連夜だったが、すぐにまた表情を引き締めて口を開く。
「実はもうお母さんには言ってあるんだ。今回のことを最後にお姉ちゃんには表の仕事に専念させるようにって」
「は、はあぁ? い、否です。な、なんて余計なことを。そんな大事なことを勝手に決めないでください」
「お願いだよ、お姉ちゃん。もう、誰も失いたくないんだ。そして、生き残った兄弟姉妹達には本当に幸せになってほしい。今はもう会うことができない兄弟姉妹の分まで、幸せでいてほしいんだ。僕の勝手なエゴだってことはわかっているんだけどね」
「是です。ちょっと待ってください本当に勝手ですね。めちゃくちゃ腹が立ちます。何が腹が立つといって、私が頼りにならないと思われているところがすっごいムカツキます。弟のくせに生意気です」
胸の内に再び燃え上がった怒りの炎そのままに敢然と立ち上がった美咲は、連夜の顔を両手でがっちり挟み込む。
「いいですか連夜。お願いですからもう少し私のことを信用してください。あなたの優しい心遣いはよくわかります、私のことを大事に想ってくれているその気持ちも素直に嬉しいです。ですが、これは到底受け入れられません。いったいあなたは何様のつもりなのですか?」
大きな瞳に怒りと悔しさと、そして涙を滲ませて美咲は真っ直ぐに連夜の『夜』空のような色をした瞳を見つめる。
「確かに生き残った私達の兄弟姉妹達の中には、揉め事や争いごとに耐えられない者達もいます。そういった者達に対して連夜が気遣ってあげるのはいいことだと思うし、私達もそうするべきだと思います。是です。そういうことなら反対しません。しかし、私は違う。今の私は十年前の私じゃありません。あのとき何もできなかった私とは違う、絶対に違う」
普段の冷静沈着な美咲からは考えられない激しい怒り、そして激しい口調。
触れただけで燃え上がりそうな温度をその小さな手に感じる連夜。
しかし、そのまま黙っているわけにもいかず、連夜は自分の顔をがっちり挟み込んでいるその小さな手に自分の手を重ねる。
「お姉ちゃん、わかってるよ。ちゃんとそれはわかってる。今のお姉ちゃんは『中央庁』にその『人』ありとその名を轟かす『武帝』ドナ・スクナー長官を支える二人の重臣の一人。『中央庁』の誰もが知らぬものはなく、『氷の絶刀』と呼ばれ恐れられる筆頭補佐官美咲・キャゼルヌだ。その武力はプロの『害獣』ハンター顔負け、その知力は『中央庁』でも十指に入る切れ者。どんな相手であろうともおいそれと手が出せる存在じゃない。僕なんかよりもお姉ちゃんはよっぽど強い、それはよ~くわかってる、でもね」
「でもねじゃありません!! 連夜。あなたにはあなたの戦う理由がある。それはよくわかっています。でも私には私の戦う理由があるのです。あなたが胸に抱くその理由故に、奴隷商人との戦いをやめられないように、私も私の理由がある限り、奴らとの戦いを放棄する気はありません。あなたの勝手な思い込みで、私からそれを取り上げようとしないでください!! 私は、あなたの申し出を断固として拒『否』いたします」
激しい炎の色と、静かな夜の色がしばしの間音もなくぶつかりあい、せめぎ合う。
いつ果てるともない勝負。
相手に対する憎悪も怨みつらみもない、ただただ相手を思い遣る気持ち故の不思議な戦い。
どちらも相手のことを心から心配するが故に引けずにいたが、しかし、やがて、夜の色がゆっくりと炎の色を受け入れる。
「やっぱり、お母さんの言ったとおりになっちゃったかぁ」
「長官の?」
『レンちゃんの提案は一応聞いておくけど、美咲が『うん、わかった』って言わない限り私はあの子を前線で容赦なく使うわよ。だって、あの子くらい優秀で使える子ってなかなかいないもの。私としては『剣』と『盾』両方ないと困っちゃうのよ、『剣』だけだとバランス悪いからね~。と、いうことで、私の『盾』を説得できたとき、その提案をあらためて聞かせてちょうだいな。まあ、多分、『断固として拒否します!!』って言うだろうけど』
「お母さんにはなんでもお見通しかあ」
「是です。当たり前です。こんな中途半端に終われるわけがありません。長官の側で働くことになったとき、長官は私にこう仰ってくださいました。『『復讐』に生きるのは構わない。でも、そのために『人』としての『人』生を放り出すことは許さない。やるからには絶対両立させてみろ、それができないなら今すぐここをやめて別の道を行け』と」
「うっわ、そんな無茶振りもいいとこじゃん。そもそもお母さんの場合家庭をしっかり守るお父さんがいるから両立できているんであって、そうでなかったら絶対そのセリフ言える立場にないよね」
母親のことを誰よりも尊敬し絶大な信頼を寄せている連夜ではあるが、流石に普段の彼女をよく知っているだけに、美咲が投げかけられたそのセリフに素直に頷くことはできず、引き攣った笑みを浮かべて『あはは』と乾いた笑い声をあげる。
「それについてはわかりません。ですが、私はこれからも長官が仰る通りどちらも両立させるつもりです。何故ならどちらも私にとっては大事だからです。そして、両方を大事にするということは私にとって矛盾のあることではないのです。私は近い将来家庭を持ちます、そして子供だって産むでしょう。何人産むか、あるいは産めるかわかりません。ですが、自分が産んだ子供は絶対に間違いなく大事に大切に思うでしょう。その大切な子供にもしかしたら奴隷商人の魔の手が伸びるかもしれません。あるいは運よく伸びないかもしれません。それは勿論、誰にもわかりません。しかし、わずかでもその可能性があるならば、私は徹底的にその芽をつぶしておきたいのです。私が経験した辛い思いは、私の子供達に絶対させたくありません。そのためにも私は、戦うことをやめません」
「そっか。お姉ちゃん、やっぱり凄いね。ただの復讐心の塊である僕なんかよりもずっとずっとお姉ちゃんの理由のほうが立派だよ。僕が浅はかだった。ごめんね、お姉ちゃん」
炎の色の奥に潜む鋼の意志。
自分の想像よりもはるかに強固なそれを肌で感じた連夜は、素直に自分の非を認め頭を下げて姉に謝罪の意を表す。
そんな弟の様子に一瞬表情を緩める美咲だったが、しかし
「え、ちょっ、お姉ちゃん? 謝ったんだからそろそろ手を放してもらいたいんだけど」
「否。ダメです。話はまだ終わっていません」
「え、えええっ!? 何、何、何の話さ?」
話はついたことでてっきり解放してもらえるものだと思っていた連夜。
ところが、美咲の両手は連夜の顔を挟んだままで離れず、むしろさっきよりも強い力でギリギリと締め付けてくるではないか。
「何なのかではありません。さっきの話の続きです」
「え? ああ、あれか、向こうのご両親のお家に行ったときにめっちゃべたべたバカップルしてたことの話?」
「にゃ、にゅああああああっ!! いないないないないなっ、否ですったら否!! その話はもういいんです、ばかばかばかっ、この馬鹿弟!!」
「ぐぎゃああああっ、ちょっ、お姉ちゃん、そんなに強く締め付けないで!! 顔が・・顔がちゅびゅれりゅ~~」
顔を再び真っ赤に染めながら、『ふにゃあああ』と猫のように絶叫した美咲は連夜の顔を更に締め上げていく。
そのせいで連夜の顔は、潰れたひょっとこのような惨状に。
「そ、その話はもういいんです。そうじゃなくて、護衛の話です」
「護衛? いや、それだったらいらないから」
「否、いらないからじゃありません!! もうダメです、絶対必要です。また、危険に巻き込まれたらどうするんですか!?」
「逃げる。だって、僕、逃げ足速いし」
「否、このまえは逃げられなかったんでしょうが!! 宿難老師から聞いたんですからね。あなたは巧く傷跡を隠してこっそり自分で治療していたらしいですが、本当は相当に深い重傷だったとか」
「ありゃ~、やっぱ、お父さんの眼は誤魔化せなかったかぁ」
「誤魔化せなかったかじゃありません!! これからあなたには二十四時間体制で護衛をつけることになりましたから、そのつもりでいてください」
「に、二十四時間体制ですってぇ!?」
美咲が切り出した思いもかけない話に、連夜は悲鳴交じりの絶叫を放ち、美咲の両手を物凄い力で振り払って後ずさる。
これまで連夜にやられっぱなしだった美咲は、そんな連夜の反応を見てわずかに口の端をあげる。
だが・・
「そ、そんなの、そんなのダメだよ、お姉ちゃん!?」
「え? へ? な、なんでダメなのですか?」
何故か真っ赤になった顔に両手をあてて、いやんいやんと体全体を横に何度もふる連夜。
連夜の突然の奇行の意味が全くわからない美咲。
一本とってやったと思い、密かに留飲を下げていたのだが、流石にこの反応は予想外。
呆気にとられてその様子を見つめていたのだったが、次の瞬間に出た連夜の言葉を聞いて彼女の余裕は一瞬にして吹っ飛んだ。
「お姉ちゃんと二十四時間一緒だなんてぇっ!!」
「は、はああああっ!?」
「だ、ダメだよ、お姉ちゃん。ぼ、僕とお姉ちゃんは血が繋がっていないけど『姉』と『弟』なんだからね」
「な、なななな、何を言ってるんですか、連夜、ちょっと!?」
「それなのに昼だけじゃなく夜まで一緒になんて、そ、それはダメだよ、ダメダメ、絶対ダメ!! お、お姉ちゃんのえっちぃ」
「にゃあああああっ、馬鹿でしょ、馬鹿でしょ、絶対、あなた、馬鹿でしょ!? 何、言ってるんですか、何、ほざいているんですか、何、血迷っているんですか!?」
「ち、血迷っているのはお姉ちゃんじゃないかぁ。お姉ちゃんだけはまともだと信じていたのにぃ」
「わけのわからない誤解の仕方しないでください!! バカバカバカッ、この超馬鹿弟!! ち、血が繋がっていなくてもあなたは私の『弟』です。そのあなたと私がどうこうなるわけないでしょうが、このスカタン!!」
お互い顔を真っ赤にしながら『えいえいえいえいっ』とぽかすか両手で殴りあう二人。
勿論、全然本気じゃないし、全く力を入れていないので怪我とかするわけもないが、お互い非常に鬱陶しい攻防なのは間違いなく、いい加減殴りあった後、二人は肩で息をしながらようやく手を止めた。
「え、じゃあ、護衛はお姉ちゃんじゃないの? 僕の寝込みを襲ったり、シャワーしているところに乱入したりしないのね?」
「否!! 断じて否!! ってか、そんなことするわけないでしょうが!! 常識で考えてください、この超馬鹿弟!! 私は変態ですかぁっ!?」
半泣きになった表情で、ありえないくらいヒドイ疑いの言葉を口にする弟に、顔を真っ赤にして怒る美咲。
そんな美咲の様子を半信半疑で探るように見つめていた連夜だったが、美咲が本気で怒って断言しているとわかると、ほ~~っと全身の力を抜いてその場にへたり込む。
「よ、よかったぁ。お姉ちゃんもそんな風だったら、僕もう立ち直れないところだったよ」
「是です!! あたりまえです。自分の『弟』に懸想してどうするんですか!?」
「そうだよね、普通そうだよね。あ~、よかったびっくりした。もう、お姉ちゃん大好き」
何故か妙に感激した表情で美咲に近寄ってきた連夜は、未だに怒り心頭の美咲の小さな体をひしっと抱きしめる。
そんな連夜に対し、本当はもっと怒ってやろうと思っていた美咲だったが、連夜の態度が終始『奇妙』であることに困惑してしまいその機会を逸してしまう。
胸にいろいろともやもやしたものが残ってはいたが、弟の甘え具合が普通じゃないのはわかっていたので、しょうがなく今の暴言を許すことにしてその背中に手をまわし、慰めるようにぽんぽんとたたいてやる。
「なんなんですかもう。お姉ちゃん、ときどきあなたの突飛な言動についていけないときがありますよ」
「いいのいいの。むしろお姉ちゃんはわからないでいて。お願いだからいつまでも、そういうことのわからない『お姉ちゃん』でいて。わかってしまう困った『姉』は一人でいいです。一人で十分です、いや、たくさんです」
「一人でってどういうこと? 一人はどうしようもない『姉』がいるってこと? そういえば連夜、さっき、あなたの文章変じゃなかったですか? 『も』って。『も』って言いませんでしたか?」
「い、いやそれはともかく、二十四時間体制で僕を護衛するって誰がするのさ?」
連夜の先程の言葉の中に、ものすご~く無視できない不穏な単語があったことに気がついた美咲が鋭いツッコミを入れる。
しかし、連夜は妙に真面目ぶった表情を作って力一杯強引に話を反らし、護衛の話をずんずん進めていく。
「『いやそれはともかく』じゃなく、だからですね、私が聞きたいのは、ひょっとして連夜の体を狙っている変態な『姉』が他にいるんじゃないかという・・」
「一人の『人』がずっと僕の護衛として張り付くの?」
「だから、その話の前に・・って、もういいですわ。ほんとにもう、昔から連夜はそうです。都合が悪くなるとすぐに話を強引にすり替えるんですから」
「へへ、ごめんね。で、どうなの?」
「否です。一人じゃありません。何人かのチームで護衛に回ってもらうことになっています」
「何人かのって、いいよ、いらないよ、そんな大袈裟なの必要ないってば」
「否です。そもそも全然大袈裟ではありません。あなたの今の現状を考えれば当然の措置です」
「全然当然じゃないよ。そもそもプロの護衛を雇うのにいったいいくらかかると思ってるの? はっきり言ってお金が勿体ないよ。それに知らない『人』は信用できないって前にも言ったじゃない」
「否。というか、全て否です。まず、今回雇うのはプロじゃありません。プロを雇ってもよかったのですが、プロだとどうしても大人ということになりますし、そうなると学校生活中にあなたに張り付いておくことが困難になります。よって敢えてプロではなく、あなたと同年代のアマチュアを雇いました」
「はぁ!? ってことは素人ってこと!? ダメじゃん、一番やっちゃいけないことじゃん!!」
「否です。安心してください。下手なプロよりもみんな腕前は確かですし、何よりもあなたを守ろうという意識が高い者ばかりですから」
「え?」
姉の言葉を聞いた瞬間、連夜の背中に非常に嫌な予感が走り抜ける。
そして、それを裏付けるように、連夜の目の前の『姉』の表情には、『弟』そっくりのめちゃくちゃ『邪悪』な笑顔が。
「つまり、今回の護衛チームはみんな連夜の知り合いばかりで構成させていただいました」
「ちょ、まっ、ま、まさかそれって」
「是です。流石わが弟、察しが良くて助かります。はい、これが護衛チームのメンバーリストと今後の護衛スケジュールです」
にっこり笑って差し出された一枚の紙。
その内容を確認した連夜は、自分の想像通りだったことに絶望の叫びをあげるのだった。
「護衛メンバーって・・ろ、ロムやクリスや瑞姫達じゃんかああああああああっ!!」