第九話 『姉烏弟鴉』 その2
城砦都市『嶺斬泊』の一大繁華街『サードテンプル』
その『サードテンプル』の都市営念車の駅から南へ徒歩五分から十分といったところだろうか。
周りに立ち並ぶビル群の中でも一際背の高いビルが一つ。
それが『中央庁庁舎』。
その『中央庁庁舎』の十五階。
『道路管理省』の職員達が働いているこの階の一番奥に八人の幹部の個室が存在している。
そして、その中の一つがレラジェに与えられた仕事場となっている。
仕事場は二つの部屋で構成されていて、一つは彼の専属秘書達が働いている部屋。
その更に奥にあるのがレラジェ専用の部屋、いわば彼の『城』とでもいうべき場所が存在していた。
普段、この『城』には彼一人だけがあり、黙々と自分の仕事をこなしているはずだったのだが。
今日は少し事情が違っていた。
部屋の大型モニターに、何かの映像が映し出されている。
それを見ているのは四人。
四人の内、三人は無表情に近い淡々とした表情で映像を見つめている。
しかし、ただ一人だけは無表情とは程遠い表情を浮かべて画面を凝視していた。
そこには焦燥、恐怖、悲嘆、そして・・
紛れもない絶望が浮かび上がっていた。
その絶望の表情を浮かび上がらせ、顔中から大量の脂汗を流し続けているのは他でもない。
この部屋の主であるレラジェ自身。
「ば、馬鹿な。こんな馬鹿なことがあるわけがない。こ、ここここで撮影なぞできるわけがない、なんだこれは」
苦しげな呻き声をあげながらレラジェは、映像を食い入るように見つめる。
自分を嵌める為に、誰かがでっちあげて作り出した映像ではないかと。
しかし、そこに映し出されている映像の数々は、間違いなくレラジェの記憶にある光景と一致。
結局、そこに改竄された様子を見つけることはできず、逆に今映し出されている映像が間違いなく本物であることを、レラジェ自身が確認することになっただけだった。
「ありえない。『害獣』達が跳梁跋扈している場所だぞ!? しかもただの『害獣』じゃない、獰猛な『騎士』の中位クラスの奴らがだ。『異界の力』を完全に遮断隠蔽することができる最新鋭の大型設備を使用するか、あるいは完全完璧に『異界の力』を持たない種族でもない限り入っていくことはできない場所だぞ!?」
頭をかきむしりながら盛大に悲鳴をあげるレラジェ。
彼が見つめる大型モニターにはある場所が映し出されていた。
そこは彼の言うとおり、プロの『害獣』ハンターでも戦うことをためらう恐ろしい『害獣』が跳梁跋扈するところ。
『不死の森』
暗い暗い森の中を映した映像。
しかし、そこには恐ろしい『害獣』の姿は映っていない。
恐ろしい『害獣』に代わって映し出されているのは、恐ろしい『犯罪者』達の姿だった。
観光ツアー用にかわいらしい動物達の絵が描かれた『馬車』からは、次々と観光客達らしき者達が引きずり降ろされ、別の大型軍用『馬車』の中に誘導されていく。
中には犯罪者達の目を盗んで逃げようとする者の姿もあったが、そういった者は容赦なく『犯罪者』達の粛清の刃に晒され、無残に命を散らすことに。
殺されていく者達の中には男性もいれば女性もいる、年老いた紳士、あるいはまだ年端もいかぬ子供の姿も。
種族のほとんどは下級種族の者達ばかり、『聖魔族』最下級のバグベア族、『妖精族』最下級のプーカ族、『獣人族』最下級のコボルト族、他にも様々な種族の者達がパニックを起こして森の中に逃げようとするが、すぐに犯罪者達に追いつかれて殺されていく。
中には幼い子供を抱きかかえ必死に逃げようとするエルフ族の母親の姿もあった。
しかし、犯罪者達はそんな相手に対しても全く容赦しない。
子供だけは助けてほしいと哀願する母親の前で子供の首をあっさりとはね、そのあとは数人がかりで母親を犯し殺す。
寄ってたかって逃亡者を始末した冷酷無比な『犯罪者』達。
その中には、自分達が存分に犯し殺した死体に向かって唾を吐きかける者の姿もあった。
「あそこに映っているあれは、パターソン管理官でいらっしゃいますね」
「!?」
淡々とした表情でずっと黙って画面を見つめていた者のうちの一人が口を開いた。
もたれていた壁から背中を離し、一歩進み出たのは三人の中で一番小柄な女性。
百五十前後とかなり低い身長ではあるが、そのスタイルは決して悪くはない。
大きくはないものの形よく膨らんだ胸に、くびれた腰、身長が低いため長いという印象は受けないものの、ほっそりとした足はなかなか魅力的。
夜の星空にも似たつやつやと光る美しい黒髪は、後ろで括ってポニーテールにまとまっている。
髪と同じ色の黒曜石にも似た黒い瞳だけはくりくりとして大きいが、耳も鼻も口も全体的に小さい。
『美しい』と『かわいい』の比率でいうなら三:七であろうか。
それでも彼女は間違いなく美女であった。
そんな彼女であるが、口から出たのはおよそその外見からは想像できない声。
かわいらしいお人形さんのような外見とは全く違う。
まるで作業用の自動ゴーレムのような無機質な声で言葉を紡ぎ出す。
「『是』『非』のお答えを頂けないのは非常に残念ではありますが、そろそろ本題に入らせていただこうと思います。先程ご説明させていただいた通り、パターソン管理官は、本日付で『管理官』としての職を解任されます。解任の辞令につきましてはもうお渡ししていますね。あとでよくご確認ください。また、『都市防衛警察省』からは逮捕状も出ております。すでに本部から派遣された捜査官達が隣の秘書室で待機しておりますので、彼らの指示に従ってください。詳しい罪状やそれに伴い起訴されるであろう内容、その他諸々につきましては彼らにお聞きいただければよろしいかと存じます」
「ふ、ふざけるなあっ!? な、な、なぜ、私が!? こ、こんな映像でっちあげだ! ありえない、いったいどうやってこんな映像を作り出した!? 禁断の『異界の力』を使用しての記録の捏造か?」
「否。間違いなく本物の映像です。それはパターソン管理官。いえ、失礼いたしました、パターソン元管理官もよくご存じのはずですが」
「し、知らん知らん!! こんな映像見たことがない!! だ、だいたい、この日の私にはアリバイがある!! 調べればすぐにわかる」
「それはいつの話ですか?」
「さ、三月十五日だ!! この映像にあった時間は『経済産業省』のカミオ管理官と会合していた。彼に聞いてくれ、私と一緒にいたことを証言してくれるはずだ!!」
「そうですか。それはイーアル・カミオ管理官でしょうか?」
「そうだ!!」
「畏まりました。ご要望通りカミオ管理官にも詳しい事情をお聞きすることにいたします」
懐から取り出したのは、そのかわいらしい外見に全然似合っていない黒一色でゴツゴツした軍事用大型携帯念話の端末。
妙に手慣れた感じで端末のルーン番号を押し、どこかへと念話をかける。
「キャゼルヌです。『否』、その件につきましてはまだ現在進行中でして、もう少しだけお時間をいただきたく。『是』、新たな情報です、イーアル・カミオ管理官が関わっていたことに関しての言質がターゲットからとれましたのでご報告を。『是』、お手数をおかけしますがお願いします」
ぼそぼそと何事かを念話の向こうの誰かと話続けていた女性。
その様子を見ていたレラジェは、なんとか今の窮地を脱することができそうと勝手に確信して安堵のため息を吐きだし、表情を緩めるのだったが。
絶妙なタイミングで不意に女性がレラジェのほうに振り向き、レラジェは嫌な予感に体を強張らせる。
「ところでパターソン元管理官。一つだけご質問が」
「な、なんだね、キャゼルヌ筆頭補佐官」
「何故、映像の日時をご存じなのですか?」
「っ!?」
「私、この映像の日時について何もご説明申しあげていないはずですが? 何故、元管理官はご存じなのでしょうか?」
「それは・・それは、その・・」
絶対零度の視線が容赦なくレラジェを射抜く。
実に初歩的なミス。
普段なら絶対にしない、しかし、あまりにも致命的なミスを己が犯してしまったことを流石のレラジェも一瞬にして気がついた。
『中央庁』にある彼の自室は、難攻不落にして、攻略不可能である絶対に安全な鉄壁の居城。
・・であるはずだった。
そもそも、これまで一度としてこの居城に乗り込んで来た者などいなかったのだ。
レラジェは今まで細心の注意を払って事業を進めてきた。
その証拠にこの十年間、誰一人として彼の行動を疑った者はいなかったではないか、いやそもそも彼に疑いを持つ者すらいなかったではないか。
なのに、突然、何の前触れもなく破滅の死者は現れたのだ。
かわいらしい外見とは全く相いれない、永久凍土の瞳の持ち主。
美咲・キャゼルヌ筆頭補佐官
『中央庁』のあらゆる分野に対し影響力を持つという特殊省庁『機関』の事実上のナンバーツー。
『機関』は、城砦都市『嶺斬泊』の管理範囲にある『外区』の最端から、『中央庁』の内部に至るまで、城砦都市『嶺斬泊』の管理下にある場所全ての厄介な揉め事を処理する為に設立された部署。
規模こそ全省庁の中で最も小さいが、行使できる権限は全省庁中トップスリーに入るほど大きいと言われている。
その職務の性質上、詳しい業務内容については明らかにされていないが、それでも、『機関』に在籍している者達が『中央庁』においてどういう立場にあるのか、それを知らない職員はこの『中央庁』には存在しない。
誰も口にはしないが、みんな『機関』がどういう省庁であるかをよくわかっていた。
勿論、それはレラジェとて同じこと。
その『機関』のナンバーツーがわざわざ自分のところにやってきた。
彼女が運んで来たのは、彼に更なる栄光の道を示す為ではない。
彼女が運んで来たのは、彼の栄光が終わったことを告げる為であった。
安全安心な自室で、思い切り寛いでいたレラジェ。
唐突に突き付けられた『犯行当時の映像』という破滅の刃を前にして、完全に冷静さを失った。
それゆえにやってしまった取り返しのつかないミス。
更なるパニックを起こしかけている頭をなんとか鎮め、必死になってうまい言い訳を考えようとしてみる。
しかし、掘ってしまった墓穴はあまりにも大きく、自ら落ちたその穴から這い上がることは最早不可能と判断してがっくりと肩を落とすのだった。
「何故だ? 何故こんな目にあわねばならない? 私は正当な権利を行使しただけだ」
「正当な権利? 元管理官、正当な権利とはなんですか?」
「正当な権利は正当な権利だ!! わからないのか、キャゼルヌ筆頭補佐官。下等で下賤な下級種族どもは、高貴な上級種族たる我々に奉仕しなくてはならない義務がある。それを忘れて自由だ平等などとほざき喚く輩には教育が必要なのだ。そう、教育だ。正しい教育だ。高貴な地位にある我々に命をかけて奉仕するという忠誠心を失った奴らに、それを教えてやらなくてはならない。その為に必要な措置をとったまでだ。何が悪い!?」
狂ったように熱弁を振るうレラジェ。
自暴自棄になってのことか、あるいは本当に相手を説得できると思ってのことかはわからない。
だが、ともかくはっきりしていることが一つ。
この部屋にいる彼以外の三人の『人』物の誰一人として、彼の演説に感銘を受けた者はいないということだ。
だが、それに気がついていない当人はいい気になって更に醜悪極まりないな己の独演会を続けようとした。
しかし、演説は唐突に収束する。
「だから、わたしはっ!?」
大口を開けて演説を続けていたレラジェ。
その口の中に小さなボールのようなものが飛び込み、それに気がついたレラジェが何事かと一瞬声を詰まらせた次の瞬間だった。
『勅令 破裂』
「ぎゃばああぁぁぁぁっ!?」
部屋の中に小さな破裂音が響きわたる。
そして、三人の目の前には、唐突に床に倒れ伏し口を抑えながら転げまわるレラジェの姿。
「ベラベラベラベラ、うるさいよ、おじさん」
美咲とは違う別の声。
青年というにはまだ幼く、しかし、少年というには非常に落ち着いて大人びた感じのする声。
その声の主は、美咲のやや右後方から聞こえてきていた。