第九話 お~ぷにんぐ
北方の近隣諸都市にその悪名を轟かせる犯罪組織『バベルの裏庭』。
裏社会においてだけでなく、各都市の政界、財界にも大きな影響力を持つ、とんでもない巨大シンジケート。
違法賭博、魔薬、脱税、要人暗殺といった完全な裏の仕事から、風俗店やパチンコ店ゲームセンターの営業、芸能人やサーカス、プロレスの興行といった表の仕事まであらゆる分野にわたってその活動範囲を広げて暗躍している。
組織を構成している人員の内容も実に様々であり、組織末端のチンピラや魔薬密売人から、ヤクザやマフィア、あるいは中央庁直属の兵士や害獣狩りを生業としている傭兵達、そして、一流企業の重役や中央庁の役人まで、実に幅広い範囲で存在している。
組織を構成している大半の犯罪者達は、自ら望んで組織の一員となった者達だ。
強大な組織の権力、財力、そして、暴力を利用する為に、己の意思で組織の歯車の一つとなり、反社会的行為を繰り返している。
しかし、それは大半ではあっても全部ではない。
組織を構成している人員の半数近くは、自らの意思で組織に加入したわけではない。
金に困った身内に売り飛ばされたり、騙されて組織に無理矢理引き込まれたり、あるいは連れ攫われたりと、その原因はみな様々であるが、組み込まれた者達の末路はほとんど同じである。
組織の利益となることのためだけに生きる『道具』としてこき使われるだけこき使われ、役に立たなくなれば始末される。
そこに一切の容赦はない。
男であろうが、女であろうが、老人であろうが、病人であろうが、関係なく始末されるのだ。
勿論、子供であろうともそれは同じこと。
大陸の北方、城砦都市『ストーンブリッジ』と城砦都市『嶺斬泊』のちょうど中間点に位置する場所に、組織が運営管理している念素石の一大採掘場がある。
そこで働くのは年端もいかない子供奴隷達。
精神進化促進剤で無理矢理に知能を引き上げられ、小さすぎるものはある程度の身体の成長を促され、一定の年齢に達してしまった者はそれ以上身体が大きくならないように成長を止められる。
そうやって、組織の仕事がある程度こなせられるように改造され、そしてまた、組織を運営している大人達に逆らえない程度に抑制され洗脳された子供の奴隷達。
他の大人奴隷達と大差のないひどい扱いを受けながら、彼らは今日も一日一日を一生懸命に生きている。
毎朝早くに叩き起こされ大人でも危険な採掘場に閉じ込められ、夜遅くまで念素石を堀り続けるという過酷な生活。
来る日も来る日もただただ壁に向かってつるはしを振るい、貴重で高価な念素石を堀り続ける。
泣いても喚いても誰も助けてはくれない。
それどころか、組織の大人達の言うことをあまりにも聞かない子供は、見せしめとして容赦なく殺されてしまう。
与えられる食事は栄養だけは補給できるものの味気のない料理ともいえないものと、水だけ。
お菓子もなければ、おもちゃもない。
だが、それでも子供達はこの地獄で生きていた。
一生懸命に生きていた。
「サキねぇちゃん。もうこっちはいいからさ、早く寝てよ。あとはやっておくから」
寝る前のわずかな自由時間。
仕事を終えて宿舎に戻ってきた子供奴隷達が次々と自分の部屋に戻っていく中、二つの『人』影が入り口のすぐ側にある道具置き場に残っていた。
彼らはそれぞれの手に、他の子供達が使っていたつるはしを持ち、その刃の部分を研ぎ石で磨き続けている。
「否。否ですよ、タコ。まだ半分以上残っています。あなた一人では、朝までかかってしまうでしょ」
非常に手際良く、しかし、丁寧に刃を磨きながら『人』影の一つが、すぐ隣に座って同じように刃を磨き続けているもう一つの『人』影に答えを返す。
答えを返されたほうの小さな『人』影は不満そうな様子で尚も言葉を紡ごうとしたが、もう一つの大きな『人』影に優しく頭を撫ぜられると、諦めたように溜息を吐き出して、また作業に没頭し始める。
仲良く寄り添いながら、揃って刃を研ぎ続ける二つの影。
一つは丸坊主にガスマスクという異様な風体の少年奴隷タコ。
もう一つは、かれよりもずっと年長で、二十歳前後と思われる少女奴隷。
彼女のここでの名前は『サキ』。
本当の名前は別にあるらしいのだが、タコ達年少組は、彼女を『サキ姉』と呼んでいる。
ここで働く子供奴隷達の中の最年長者であり、組織が派遣してきた子供奴隷達の世話役であり、同時に監視者の一人。
彼女の仕事は、子供達と共に採掘作業を行うことと、子供達が反抗したり脱走したりしないように監視する見張り役。
もし万が一、そんな行為を見つけたならば、そのことを彼女がすぐさま組織に報告し、危険な芽を摘むことになっている。
奴隷が奴隷を見張る。
勿論、まともな神経を持っているのならば、そんな非道なことを引き受けるするはずがない。
引き受けざるを得ない状況を作り出して、彼女にそんな非道の仕事を組織は無理矢理引き受けさせた。
彼女のたった一人の肉親である弟が組織に捕らえられているのだ。
両親や他の兄弟達はみな、奴隷として捕まえられるときに全員彼女の目の前で殺されてしまった。
残ったのは幼い弟と彼女だけ。
だから、彼女は組織に逆らえない。
自らの感情を殺し、機械的に子供達の世話をし、機械的に子供達の様子を報告する。
自分と自分の弟を守るために。
・・そう、組織は確信し、彼女の報告を怪しむことはなかった。
今までも。
これからも。
そして、やがて来る組織の最後の日まで。
組織は彼女の真の心を知らぬまま、彼女を監視者として重用し続けることになる。
すでに、彼女が組織を裏切っていることを知らないままに。
「ところで、サキ姉」
「なんですか、タコ?」
「いつまで人の頭撫ぜているのさ?」
不機嫌そうなタコの声で、はじめて自分が結構な時間少年のつるつるした頭を撫ぜ続けていたことに気がついたサキ。
慌てて手の平を少年の頭からどけると、誤魔化すような照れ笑いを浮かべてタコのほうへと向ける。
「あ、あら、ごめんなさい。つ、つい、つるつるした感触が気持ちよくて」
そんなサキの様子を、呆れたような様子で見詰めていたタコであったが、結局、怒りを表現するような言葉を口から漏らすことなく、ただ、少しだけ溜息をつくだけで、また手にした刃のほうに視線をもどした。
「別に、いいけどさ」
「本当にごめんね」
顔を赤くしながら慌てて謝罪の言葉を口にしたあと、サキは再びつるはしの刃磨きに戻る。
ガスマスクの下でどのような表情を浮かべているのかわからない。
しかし、血の繋がらない彼女の弟は、小さくこっくりと頷いて彼女の謝罪を受け入れたことを示すと、姉とよく似た動作でやっぱりつるはしの刃を磨き続ける。
黙々と。
淡々と。
心を込めて。
明日もまた続く過酷な作業で、自分達の大事な兄弟姉妹達が怪我をしませんようにと。
みんな元気で帰ってこれますようにと。
そう願いを込めてタコは刃を磨き続ける。
そして、サキはタコの頭を磨き続ける。
「って、なんでさっ!?」
さっきまで確かに横でつるはしの刃を磨いていた姉。
しかし、いつのまにかその対象はタコのつるつるの頭に。
磨かれているのが他でもない自分の頭なので、流石にすぐ気がついていたのだが、あまりにも横の姉が真面目な表情で磨き続けているものだから、ついツッコムタイミングをとれずにいたのだ。
「なんで僕の頭を磨いているの!? しかも、それさっきまでつるはし拭いていた布だよね!?」
「是。是です、ご、ごめんなさい。つい、つるはしと間違えちゃって」
タコの鋭いツッコミを受けたサキは慌てて手にしているワックスだらけの布を後ろに隠して顔を横へと背ける。
そして、全然、うまくない口笛を吹いてみせたりなんかしながらなんとか誤魔化そうと視線を宙へと泳がせるが、当然、タコはその追求の手を緩めたりはしない。
「いやいやいや、そんなわけないでしょ!? どう見てもじぇ~んじぇん違うよね!? 明らかに全くぱーふぇくとに違うよね!?」
「い、否です。き、共通点はあります!!」
「どこに!?」
言い切ってはみたものの、間髪入れずに繰り出されるタコの鋭い追い打ちに、『あわわわ』と大慌てに慌てるサキ。
一端は後ろに隠したワックスまみれの布を、意味もなく広げたりくしゃくしゃにしたり、また広げたりたたんだり。
「え? ど、どこって言われると、その具体的には表現しにくいんですけど・・そのなんとなくというか、そのつるつるした感触に共通点があるというか、ぼんやり似ているというか」
「それ似てるって言わないよね? と、いうか、全然思いつかないもんだから、適当に思いついたこと言ってるだけだよね?」
「い、否。否ですったら、否なんです」
「だから、どこが?」
「どこがって、もう~~、うっさいうっさい、タコはいちいち細かいところにうるさいんです。生意気です。可愛くないです」
「なんだい、なんだい、サキ姉ちゃんが悪いんじゃないか!! 自分のことを棚に上げておいてひどいじゃないか!!」
つるはしを磨いていた布を放り捨てると、二人は顔を真っ赤にしながら『えいえいえいえいっ』とぽかすか両手で殴りあう。
勿論、全然本気じゃないし、全く力を入れていないので怪我とかするわけもないが、お互い非常に鬱陶しい攻防なのは間違いなく、いい加減殴りあった後、二人は肩で息をしながらようやく手を止めた。
「しょ、しょうがないですわねぇ。こ、これ以上やったらタコを泣かせてしまうから、この辺で勘弁してあげますわ」
「えっ、ちょっ、まさかの上から目線!? 今の完全にサキ姉が悪かったよね!?」
「否です。わ、私は悪くありません。タコの頭がつるつるして物凄く感触がいいのが悪いんです。悪の誘惑です。城砦都市『刀京』のカブキタウンも真っ青の悪徳商法です」
「ひどっ!! そこまでこの頭を悪し様に言われたの初めてだよ!! ってか、殴られるよりも明らかに言葉の暴力のほうがきついんだけど!! それだけで泣いちゃいそうなんだけど」
「大丈夫、泣いたらちゃんと慰めて差し上げます。そのつるつるの頭を優しく抱きしめて存分に撫で繰りまわしながら・・いや、普通に撫ぜながら」
「今、完全に本心出てたっ!! ってか、なんで体じゃなくて頭限定!?」
ぎゃいのぎゃいのと賑やかに舌戦を繰り広げる二人。
二人のことをよく知らない者達が見れば、本気でいがみ合って言い合っているように見えるが、実際は完全に逆。
お互い心の中の踏みこんでいい場所、踏みこんではいけない場所をちゃんと熟知しての舌戦。
この施設に収容された子供奴隷の兄弟姉妹達の中でも特に二人は仲が良いのである。
あまりにも幼い頃に攫われてきたタコには家族と暮らした記憶がない。
父の記憶も、母の記憶も、他の兄弟や姉妹の記憶もないし、それに近しい存在と暮らしていたという記憶もない。
天涯孤独。
そんなタコに家族として一番最初に接してくれたのがサキ。
家族としての記憶を作ってくれたのがサキであった。
それゆえに、タコはサキを本当の家族同然に思っている。
そして、サキもまたタコのことを家族同然に思っている。
実の弟同然に思って接しているのだ。
故に二人は互いのことがよくわかっていた。
苦しいときも、楽しいときも、どれだけ態度や表情を隠そうとしても、タコにはサキの心が、サキにはタコの心がすぐにわかった。
そしてそれは、悲しいときもまた例外ではない。
「サキ姉ちゃん」
「ん~、なんですか?」
いい加減言い合うのもめんどくさくなってきた二人は再びつるはしと布を持って、その刃磨きに戻ろうとする。
そのとき、タコはいつもは絶対に踏み込まない場所に唐突に踏んできた。
「サキ姉ちゃん。まだ、ジョゼが死んだこと気にしてんの?」
サキの心の傷の中に。
今、タコが口にしたその名は、三日前に採掘場の落盤事故で死んだ子供奴隷の名前。
サキよりはずっと年下ではあったが、タコよりもずっと年上だったノーム族の少年。
明るく冗談好きで、突拍子もない歌を即興で作ってはみんなを笑わせていた。
勿論、タコも、サキも彼のことは大好きだった。
そんなジョゼが死んだ。
採掘場で、落盤事故に巻き込まれ死んだ。
小さな体は無惨にもぺしゃんこになって。
死んだ。
「えっ、うっ」
咄嗟に言葉を返すことができなかったサキ。
動揺のあまり、手にしていたつるはしと布を床に取り落としてしまう。
痛いほどの静寂の中、響き渡る固い金属音。
すぐにそれに気がついたサキは、慌ててその場に屈み込んでつるはしと布を拾うと、今にも引き攣りそうになっている不自然な笑みをタコのほうへと向ける。
「い、否です。な、何言っているんですか。ここでは『死』は日常茶飯事です。人の『死』をいちいち気にしている余裕なんてありません。明日には自分が・・」
「サキ姉ちゃん、気がついてないようだから言うけどさ。誰かが死ぬたんびに、この頭を撫ぜているよね」
「え・・」
「いや、正直、それで姉ちゃんの気が晴れるならいくらでも撫ぜてくれたらいいよ。でも、なんか、サキ姉ちゃんの心の傷がどんどん広がってる気がするからさ」
ガスマスクの奥に宿る二つの『闇』がじっとサキを見つめる。
その『闇』は濃く深くサキの心へと迫り、誤魔化すことを許さない。
サキは、それでもその『闇』に抗いなんとか自分の心を隠そうとするが、その『闇』から感じるそれが『恐怖』や『不安』ではないことを知って抗うことを諦める。
そこにあるのが家族に対する『優しさ』であり『心配』あるがゆえに。
「サキ姉ちゃん。言いたくないなら別にいいけどさ・・」
「否。そうではありません。そうではありませんが、私も修行が足りませんね。私の年齢の三分の一も生きていないタコに看破されてしまうなんて」
大きく溜息を一つ吐き出した後、サキは気弱ではあるものの本物の笑顔を作って小さな弟のほうに向ける。
「誰かの死に直面する度にね・・思い出すんですよ」
「何を?」
「弟の死を知った時のことをです」
「弟さん? 前に話してくれた、サキ姉ちゃんの本当の弟さんのこと? でも、弟さんは組織に人質に」
不可解という様子で問いかけるタコ。
そんなタコに、サキはゆっくりと過去にあった事実を話し始める。
真・こことはちがうどこかの日常
過去(高校生編)
第九話 『姉烏弟鴉』
CAST
『祟鴉』
城砦都市『嶺斬泊』最大の歓楽街『サードテンプル』周辺に出没する謎の怪『人』。
全身を特殊な黒装束に身を包み、顔は『祟』の一文字がデカデカと書かれた白い仮面で隠しているため年齢、性別、種族、全てが一切不明。
事件のあるところに姿を現し、予測できない行動で場を掻き廻すため、「『サードテンプル』の『招かれざる乱入者』」と呼ばれて恐れられている。
が、その正体は勿論、この物語の主人公、宿難 連夜その人。
姉烏、美咲と共に、『嶺斬泊』の闇に潜む悪を討つ。
「別に助からなくてもいいじゃん。っていうか、存分に苦しんで死ねばいいと思うよ」
美咲・キャゼルヌ
中央庁の特殊部門『機関』の長官にして、連夜の母親ドナ・スクナーの側近中の側近。中央庁内部での地位は筆頭補佐官。
いつも影のようにドナにつき従っている二十代後半の美しい女性で、凄腕の外交術、交渉術を持っている。
また、その武力も侮れないものがあり、ドナいわく、彼女の『盾』。
実は、連夜の幼き頃を知る数少ない人物の一人であり、連夜にとっては血が繋がってはいないものの実の姉以上の姉として慕っている人物。
彼女自身も連夜を実の弟同然に大切に思っており、むちゃばかりする連夜をいつもいつも心配している。
種族は絶滅寸前の希少上級種族 烏天狗であるが、ある事情により神通力の源である羽を失い、その種族特性はほとんど持ち合わせていない。
「ほんと連夜はおバカです」
彼女が奴隷となってすぐ、彼女は奴隷を見張る奴隷、『監視者』としての教育を受けるために、一緒に捕まった弟から引き離されて生活することになった。
奴隷達の中に溶け込んで生活するために必要な潜入術や監視術、もしもの場合に裏切り者を始末するための殺しの業、そして、子供奴隷達を世話するために必要な炊事、洗濯、掃除といった家事など、たくさんの技術、知識を無理矢理覚えさせられる忙しい毎日。
弟のことは心配ではあったが、自分が生き残る為に、その日その日を生きることで精一杯。
いつかは迎えに行く、必ず助け出すと心に誓いながらも、己が生きるためにそのことを心の奥底に封じ、彼女は組織の冷徹な機械となるべく己の心身を鍛え上げて行った。
だが、運命は、あまりにも残酷に彼女に現実を突き付ける。
いよいよ、彼女が『監視者』として子供奴隷達の元へと送り込まれる日が迫ったある日。
彼女は、実の弟の『死』を知ることになった。
組織が彼女に告げたわけではない。
かといって、彼女自身が遠く離れたところに拘留されているはずの弟の現状を知りたくて調べたわけでもない。
このときの彼女は、自分のことで精一杯で、とてもそこまで頭が回る状態ではなかったのだから。
彼女が弟の死を知ることができたのは、いくつもの偶然が重なった結果。
それは本当に偶然。
彼女が子供奴隷達のもとに、監視者として派遣される日が正式に決定した日。
そのことを告げに、組織の男が一人、彼女の元にやってきた。
魔薬をやっていることが一目でわかるほど、白く濁った瞳。
末期症状なのか、時折言動が怪しくなり、呂律もほとんど回っていない口調。
時折幻覚が見えているのか、虚空に向かって怒鳴ったり謝ったりを繰り返す。
そんな調子であるから、組織からの伝達もなかなか彼女に伝えられはずもなく、任務内容を聞き出すだけでも大変な苦労。
それでも正確な任務内容を聞き出して、正しく遂行しなければ、この男だけでなく自分自身まで組織に粛清されかねない。
悪戦苦闘の末、なんとかかんとか内容を聞き出すことに成功した彼女。
ようやくこのうんざりするようなやり取りから解放される。
そう思ったそのときだった。
目的を果たしたことでもうこの部屋に用はない。
組織の伝達係りの男を一人部屋に残し、自分の部屋に戻ろうとした彼女。
男の側を通り過ぎるときに、何気なく男の腕に目をやった彼女は、そこで、ありえないものが巻きつけられていることを見つけて絶句。
石化したかのようにその場に立ち尽くした。
『その、腕輪・・な、なんであんたが持っているの?』
『あ? 腕輪? これか? え~と、あ~、なんだったかな?』
『どこで? どこで手に入れたの?』
『なんだよ? どこでって・・さぁ、どこだったかなぁ、覚えてねぇなぁ』
本気なのか、あるいは演技なのか。
必死に食い下がる彼女の追及に対し、白く濁った瞳を虚空に向けてうそぶく男。
今すぐ締め殺してやりたかったが、湧き上がる殺意をなんとか押し殺した彼女は、懐から小さな薬ビンを取り出して男の前にちらつかせる。
効き目は抜群。
そのビンが視界に入った瞬間、男の表情が一変する。
『お、おまっ、それ』
『これが欲しいんでしょ? 高純度の最新魔薬【ブラム・ウォーカー】』
『く、くれっ、いますぐ、俺にくれ、頼む、な?』
『否です。欲しかったらしゃべりなさい。どうやってその腕輪を手に入れたのか。しゃべったら、くれてやってもいいわ』
『わかった。わかった、しゃべる!!』
そして、男は彼女に事の顛末を洗いざらい白状した。
それは今から、三年前の話。
当時、まだ魔薬に溺れていなかった彼は本部付きの護衛兵として働いていた。
それなりに腕の立つ彼は、幹部達のおぼえもめでたく、このまま順調にいけば幹部付きのボディガードになることもそう遠くない。
そんな出世街道まっしぐらの彼に、思わぬ転機が訪れる。
ある組織の幹部に呼び出された彼は、護衛の仕事から別の仕事を任せられるようになる。
それは、いわく付きの子供奴隷達の始末だ。
理由は様々。
販売価格はいいものの稀少すぎて売れば速攻足がついてしまう種族の子供、種族として使い勝手はいいものの脳に疾患があり洗脳どころかまともに育つ可能性がない子供、生まれつき重病を抱えている子供、他にも理由は多数ある。
が、ともかく飼っておくのも売り捌くのもリスクが高い子供奴隷は、早々に始末してしまうというのが組織の方針である。
その方針に従って、彼はたくさんの子供奴隷達を手にかけてきたという。
そんな始末した子供の中に、稀少種族中の稀少種族である烏天狗族の子供がいた。
当然この子供も始末する対象で、男はなんの感慨もなく他の子供同様に首を刎ねて殺してしまったわけだが、殺したあとであることに男は気がつく。
普通、奴隷となったものは、大人であろうとも子供であろうとも、例外なく身包みを剥がされるはずなのだが、この子供の死体の右腕には一つの腕輪がはまっていた。
拘束する為につけられる鉄の腕輪ではない。
見るからに高価だとわかる、美しい装飾が入った腕輪だ。
なぜ、外されずにそのままにされていたのかわからない。
しかし、このまましておくのは非常に勿体無い。
幸い、子供奴隷の処刑場には彼しかいない。
彼は死体の腕から腕輪を抜き取ると、それを自分のモノとした。
勿論、組織にはその報告はしていない。
こうして腕輪は男の手へと渡った。
やがて月日が過ぎて、男は魔薬に手を染め、まともな判断ができなくなってきた為、処刑人をクビになり、出世街道から外れてただの使い走りに転落する。
そして、今に至るというのが、男の話の全てであった。
「つまり、その男の持っていた腕輪が、サキ姉ちゃんの弟さんのモノだったってわけだね」
「是です。【絆の腕輪】というものです」
サキの話をじっと聞いていたタコが、念を押すように問い掛けると、サキは悲しみに満ちた表情でゆっくりと頷きを返す。
「その男が腕輪を持っていたということが、弟がこの世にもういないという何よりの証拠でした。信じたくはなかった。でも、その腕輪は間違いなく弟のものだった。見間違えるはずがない。だって、私達家族がみんなで作って弟に贈ったものだったのだから」
その黒い瞳に一杯涙を溜めながらも、懸命にそれを零さない様に話し続けるサキ。
そんなサキの手を優しく握り締め、労わるように黙って話を聞いていたタコであったが、やがて、サキが若干落ち着くのを確認してからある疑問を口にする。
「一つわからないんだけど。どうして、そのジャンキーが腕輪を持ってるだけで弟さんの身に何かあったってわかったの? 普通に考えれば腕輪を取られただけで弟さんは無事かもしれないのに」
「否です。その可能性はありませんでした」
「なんで?」
「なぜなら【絆の腕輪】が持ち主から離れるのは、その持ち主が死んだそのときだけだからです」
「!!」
「【絆の腕輪】は作成時に肉親の生き血が注がれます。弟の腕輪には父や、母、そして、私の生き血が注がれました。そして、完成した腕輪は、着用者に肉親の安否を教え続けます。誰が生きていて誰が死んでいるのかを着用者に教えてくれるのです。その効果は着用者が死ぬまで続き、腕輪は着用者が命を落とさない限り着用者から離れることはありません。どんな妖術、魔術を使おうとも腕輪を取ることはできないのです。腕輪は私達烏天狗一族に代々伝わる秘伝の術によって作られたものゆえに」
「だからなんだね。腕輪を着けている人が死んだそのときだけ・・外すことができる。だから、サキ姉は弟さんがもう死んじゃっていることに気がついたんだね」
「是です」
力無く頷くサキに近付いたタコは、その身体を小さな腕でぎゅっと抱きしめる。
様々な思いを小さな腕に込めて、黙ってその身体を抱きしめ続ける。
サキもまた、その思いに答えるようにタコの小さな身体に腕をまわすと、同じようにぎゅっと抱きしめ返す。
血のつながりのない姉と弟。
家族ともいえない家族の二人。
それでも二人には間違いなく強い絆があり、その絆がサキの気持ちを癒してくれる。
「男が弟を殺害したという時期は、私が弟と離れ離れにされた直後の時期に合致します。結局、組織は最初から弟を生かしておくつもりはなかったのです。弟は重病の持ち主でしたしね。組織にとっては厄介者でしかなかったのでしょう。私を利用する為に守るはずのない約束をしてみせたのです」
「サキ姉ちゃん・・」
「何度思い返しても悔やまれるのは、あの当時の私の愚かさです。このような外道の集まりを何故信じようとしたのか。何故、すぐに脱走して弟を助けに行こうとしなかったのか。あのとき組織の嘘に気がついていれば。組織の提案に頷くふりですぐに弟を助けにいっていれば」
タコに回した腕の先。
サキはそこにある自分の拳を力一杯握り締める。
ツメが食い込み、皮膚が裂け、そこからとめどなく血が滴り落ちる。
しかし、それでもサキは握る拳に込める力を緩めようとはなかなかしない。
一度蘇った当時の悔しさ無念さが、サキの心を何度も何度も打ちのめし攻め立てる。
そうして、どれくらいの時間がたっただろうか。
ふとサキが気がついたとき、彼女の目の前にはトレードマークのガスマスクをとったタコの素顔。
死んでしまった弟にどこか似ている面差しが、悲しげに曇って自分を見詰めていることに気がついてようやく力を緩める。
「ごめんね。辛いこと思い出させちゃってごめんね。サキ姉ちゃん、本当にごめんね」
「否。否ですよ、タコ。タコのせいじゃありません。私こそ心配かけちゃってごめんね。本当にダメなお姉ちゃんね」
自分以上に心を傷めて泣きそうになっているタコの顔を見て、思わず貰い泣きしそうになるサキ。
しかし、なんとか踏ん張ってそれを耐え抜くと、逆に笑顔を作ってタコを優しく慰める。
「弟がもう死んでいることを知ったあの日。私ね、その場で自棄になって大暴れするつもりだった。そして、外道どもを一人でも多く道連れにして死ぬつもりだった。でも・・あの日、私は弟に瓜二つの子供に出会った」
昔を思い出し、虚空を見詰めるサキ。
そんなサキの言葉をガスマスクを被り直しながら聞いていたタコ。
あることを思い出して声をかける。
「それってひょっとして、クロのこと? あいつって、サキ姉ちゃんと一緒にこの施設にやってきたよね?」
「是です。あの日、私はあの男の話を聞いたあと、組織の司令室に襲撃をかけるために部屋を飛び出しました。一人でも多く、地獄に送ってやるってそう堅く誓いながらまっしぐらに司令室に向かったのですが、その途中、基地の中を迷子になって彷徨っている一人の子供に出会ったのです」
「それがクロ?」
「是です。それはもう、びっくりしました。びっくりしましたとも。死んだ弟の敵討ちのために全力疾走していたため、すれ違ったときに一瞬しか顔を確認できなかったのですが、到底見過ごして通り過ぎることはできませんでした。すぐに急停止してその子供のところまで引き返しました。そして、その子供の顔を見てさらにびっくりです。思わず目を疑いましたよ。なんせ、死んだと思っていた弟が泣きべそをかきながら、ひょこひょこ歩いているのですから」
「方向音痴で泣き虫なところは昔から変わらないんだなぁ。ほんとクロらしいというか、なんというか」
「ふふ、是です。ええ、ほんとそうですね。そういうところも弟そっくりで、最初は、本当に弟が生き返ってきたのかと思いました。ですが、よくよく話を聞いてみると、そっくりな外見ではあるものの全くの別人で。そりゃそうですよね。死んだ者は絶対に生き返ったりはしない。はるか五百年以上前の異界の力の全盛期ならともかく、今の世の中で【反魂術】のなどあるはずもないのです」
「がっかりだったね」
「まあ、確かに落胆はしました。でも、そのおかげで頭も冷えました。ここで大暴れしたとしても、弟は帰っては来ないんだって。何人殺しても弟は戻ってこないって。いや、ごめんなさい。それは後付の理由ですね。本当はね、あのときクロを一人にすることができなかったんです。弟そっくりの彼を見捨てていくことができなかった。私にすがりついてくる彼の小さな手を振り払うことがどうしてもできなかったのです」
「で、結局、サキ姉ちゃんは、殴り込みを思いとどまったんだね。よくやった、クロ!! ナイスフォロー!!」
恐らくベッドでぐ~すか寝ているであろう自分の相棒に、心からの賞賛の声をあげるタコ。
そんなタコに、今度は本当に心からの笑顔を浮かべてみせる。
「是です。そうですね、私もそう思います。あのときクロが泣きながら私を引き止めてくれなかったら、今頃私はここにいなかったでしょうね」
「それで、復讐は諦めたの?」
「復讐を諦めたのではなく、やり方を変えることにしたんです。組織の外道共を一人でも多く殺すよりも、攫われてくる子供達を一人でも多く救おうって。子供たちの側にいて彼らを守ろうって。そう思って監視者の任務を受けたフリをしてここにやってきたんですけど」
「けど? サキ姉ちゃん、みんなを助けてくれているじゃない。お姉ちゃんが来てから、誰も粛清された子いないよね?」
またもや表情を曇らせるサキを見て、心配そうに声をかけるタコ。
そんなタコに対し、自嘲気味な笑みを浮かべたサキは、自分が抱えている思いをぽつりぽつりと呟き始める。
「ええ、それについては是です。組織に対する報告は全て誤魔化していますからね。私がここの監視者である限り、誰一人粛清の対象になんてさせやしないわ。でもね」
「でも?」
「でも、それだけじゃダメなのよ。組織の粛清からは守ってあげられても、この採掘場全体に満ちる危険そのものからは守ってあげることはできない。できるだけ気をつけているつもりではいるけれど、それでも全然十分じゃない。ジョゼのことがいい例だわ。組織の外道どもの汚らしい手をかわすことはできたけど、自然の悪意からは守れなかった。ジョゼだけじゃない。み~ちんも、アルも、かくべえも、レスも、リンダも、みんなみんな守れなかった。守れなかったのよ!!」
顔をくしゃくしゃにして泣き崩れるサキ。
今、サキが口にした名前の子供達はみな、採掘場の事故で死んだ。
落盤にあったり、有毒ガスに侵されたり、あるいは凶暴な原生生物に食われたり。
その死因は様々で、気をつけていれば防げたかというと必ずしもそうではない。。
そのことについてはサキ自身よくわかっている。
良くわかっているがしかし。
サキは思うのである。
そもそも、採掘場に行かなければ事故に巻き込まれることもなかったのだ。
こんな年端のいかない子供達が危険極まりない『外区』の採掘場で働かされていること事態が異常で、いつまでもこんな環境に子供達をおいて置いてはいけないのだ。
なんとかしなくてはならない。
一刻も早く、子供達をこの地獄から助け出さなくてはいけない。
最初は、いずれくる各都市の救助部隊が来るまでの辛抱。
そう思っていた。
各都市の都市防衛警察はそれほど無能でも怠惰でもない。
いずれこの犯罪組織のアジトを見つけ出すに違いない、それまで子供達を守っていればいい、そう思っていたのに。
そう思ってこの採掘場にやってきてから既に三年という月日が流れてしまった。
その間に失われた命の数は十や二十ではないのだ、先程あげた子供の名前はほんの一例に過ぎない。
たくさんの、本当にたくさんの子供達が命を落としている。
それでも一縷の望みをかけて救助隊が来るまで軽挙妄動はしない、生きている子供達を全力で守り抜くと堅く心に誓った。
しかし、それももう限界だ。
待つことにも疲れた、幼い弟妹達の命が失われることにももう耐えられない。
己の命をかけるときが来たのだ。
己の心に宿る燃え盛る激情の炎を確認したサキは、ゆっくりと顔をあげる。
だが。
「え?」
顔をあげた彼女の目の前には、深い深い『闇』。
底なしの。
無明の。
暗黒の。
『闇』
そして、その中心には一人の少年の姿。
ガスマスクにスキンヘッドの異形の姿の血のつながらない彼女の弟。
その彼が、彼女以上に強烈な意思のオーラを身に纏ってこちらを見詰めている。
「た、タコ? あなた」
「お姉ちゃんはダメだよ」
「え?」
「お姉ちゃんの仕事は、みんなを守ってあげること。お姉ちゃんは、みんなのお姉ちゃんなんだから、危ないことはしちゃダメ。危ないことをするのは、言うことをきかないダメな弟がやればいいんだよ」
『闇』がサキの身体に絡みつく。
冷たく、寂しく、悲しい『闇』がサキの身体に絡みつく。
だが、嫌悪感はない。
むしろ包まれているとたまらなく懐かしさがこみ上げてくる。
今はいない誰かの気持ちが流れ込んでくる。
優しい気持ち、彼女を心から心配し気遣っているとわかる温かい気持ち。
冷たい感触なのに、心だけは温かくなっていく。
不意にサキの脳裏に、歌を歌う一人の少年の姿が浮かびあがる。
調子が完全にずれた、へたくそな歌。
でも、それは二度と聞く事はできないはずの歌。
彼だけではない、この世にはもういないはずの彼女の弟妹達の姿が次々と浮かんでは消える。
どの顔も彼女を心配するものばかり。
「こ、これは、タコ、いったい」
「いなくなってしまった兄弟姉妹達が言うんだ。『お姉ちゃんを守れ』って、そして、『みんなを守れ』って」
「まさか、この『闇』は・・」
自分を包み込む『闇』の正体をおぼろげながら悟ったサキは、泣き笑いの表情になって自ら『闇』を抱きしめる。
「みんな・・みんなここにいるのね。ジョゼも、み~ちんも、アルも、みんなみんなここにいるのね」
「うん、そして、力を貸してくれる。だから、戦うよ」
「え?」
目の前の小さな弟から、全く予想だにしなかった単語が飛び出したことに驚いて身体を硬直させるサキ。
しかし、その弟はさらなる言葉の爆弾をその口からサキへと投げつける。
「みんなをここから解放してあげる。そして、みんなをお家に帰してあげる。必ず」
「な、何を言ってるのタコ? 無理よ!! 何をする気か知らないけれど、あなたみたいな小さな子が一人でがんばったって・・」
「一人じゃないよ、クロも一緒だ」
「クロも一緒って、あの子もあなたと同じくらい小さいじゃない。やめなさい。絶対にやめなさい。そんなことお姉ちゃんは許しませんよ。否です。断じて否です!!」
具体的に弟が何をしようとしているのかはわからない。
しかし、彼女の予想もつかないようなとんでもないことをしでかそうとしているに違いない。
そういう強い確信があったサキは、タコの小さな肩を両手で掴むと、滅多に見せない激昂した表情で否定の言葉を口にする。
自分の弟に生き映しの容姿を持ち、性格もまた亡き弟同様に素直で優しくて、そして、気弱で泣き虫の少年クロ。
そのクロと全く正反対の性格の持ち主が今、彼女の目の前に立つ少年タコだ。
ガスマスクにスキンヘッド、小さな体にはいつも野戦を想定した迷彩が施された戦闘服のような作業服という子供らしからぬ姿。
組織の大人達の言うことを素直にきいたことなど一度してない、それどころか徹底して反抗する姿勢を崩さない悪ガキ中の悪ガキ。
いつもいつも力づくで言うことをきかせようとする組織の外道達を、その恐るべき悪知恵でいいように翻弄しおちょくりきりきり舞いさせる。
普通の子供では絶対にない。
普通の子供なら、凶暴な組織の大人達の暴力を目の当たりにすれば、怯え振るえて膝を抱えてじっとしている。
だが彼に限ってそんなことは絶対にない、ありえないのだ。
そんな彼が口にしたのだ。
みんなを解放すると。
彼はできないことは口にしない。
そして、口にしたからには絶対にする。
自分の背中に壮絶に嫌な予感が走るのを感じたサキは、必死になって目の前の小さな少年を説得しようとするのだったが、そんなサキの必死な形相を見ても、タコはどこまでもどこ吹く風の様子。
それどころか、にこにこと笑顔を作りながらサキのことを見つめ返す。
その眼に。
強い意志の光を宿しながら。
「大丈夫。もう誰も死なせやしないから。信じて。お姉ちゃんの弟達を信じて」
「タコ」
「みんな助けて見せる。そして、みんなを元の家族のところに返してあげる。絶対に。約束するよ。ジョゼで最後だ。もうこれ以上、ここにいる家族は誰一人として欠けさせないから。誰も死なせない、殺させやしない」
強い強い決意に満ちた言葉。
その言葉を耳にしたサキは、説得することを忘れて目の前の少年を凝視する。
彼女の目の前には不気味なガスマスク。
そのガスマスクの眼の部分。
そこに彼女は死んでいった弟妹達の姿を見た。
彼女が助けられなかった命、本当の家族の元に帰ることもできないままに無惨に散って逝った小さな弟妹達。
その彼らが、サキを見つめて優しく、でも力強くほほ笑んでいるのがはっきりと見えた。
まるでサキを安心させるかのように。
『大丈夫』と言ってるかのように。
サキは、長い間絶句して目の前の少年を見つめていたが、やがて、説得の言葉を諦めたサキは、それらの言葉を全て胸の中にしまいこむ。
そして、その小さな体を引き寄せて強く抱きしめるのだった。
「何をする気か知りませんが、やるときは絶対お姉ちゃんに説明するんですよ。一人で・・いやクロと二人だけで危ないことをしたりしないように。わかりましたね」
「うん。まあ、サキ姉ちゃんにも協力してもらわないと絶対無理だから、必ず説明するよ」
生意気にも苦笑交じりにそう嘆息する弟の言葉に、呆れた表情になったサキは、指先でちょっとそのオデコをつついてやる。
「いてっ、やめてよ、サキ姉ちゃん」
「否です。弟のくせに生意気なこというからです」
「ちぇ~~。そんなこというなら、サキ姉ちゃんが『助けて』って言っても『助けて』あげないんだか・・」
「タコぉっ、、サキおねえちゃ~ん、助けてよぉ~~っ!! 殺されちゃうよぉぉぉぉっ!!」
「「ええええっ!?」」
突然二人の耳に響いてきたのは一人の少年の間抜けな叫び声。
慌てて声のした方向に視線を向けてみると、廊下の施設の廊下をまっしぐらにこちらに掛けてくる小さな人影が。
「クロ!? 何事ですか? 何かあったのですか?」
「組織の奴らに何かされたの?」
泣きべそをかきながらこちらに走り寄って来た黒髪黒目の少年は、驚き慌てるサキの胸の中に一目散に飛び込んでくる。
そして、何かに怯えながら必死にその体に抱きついてくるのだった。
サキは、そんな少年を優しく抱きとめると、背中をさすってやりながら怯える少年をなだめにかかり、その隣に立つタコは、素早く臨戦態勢をとって周囲に油断なく視線を走らせる。
二人は、クロの怯えようから、組織の外道どもがクロに危害を加えようとしたのだと思ったのだ。
しかし、そうではないことが、すぐに当人の口から判明する。
「ちがうよ~。みんなが~。みんながひどいんだよぉ~~」
「「みんな?」」
クロの言葉の意味がわからず、怪訝な表情で顔を見合わせたサキとタコであったが、すぐにその視線をクロのほうに向け直す。
そして、詳しい事情を聞きだそうとしたのであったが、その事情は聞くまでもなく明らかになった。
事情のほうが彼らに向かって走り寄ってきたからだ。
「クロち~ん、なんで逃げるのさ~~。あちしと一緒に寝ようよ~~」
「ずるいよ、ギンコ!! なんであんたと寝るのさ。クロはあたしと寝るの!!」
「ちがうわ、ちがうわ。あなた達みたいな寝相の悪い子と一緒に寝たら、クロはゆっくり寝れないでしょ。だからここは、お上品な私と一緒に寝るのが一番いいの」
「くれよんは黙ってなよ。な~にが寝相がいいだよ。いっつも自分のまくらをよだれまみれにしてるくせに。クロちんがよだれまみれになっちゃうよ」
「きゃ~~っ!! ギンコなに言ってるの!? そ、そんなこというならリビーなんて、いっつも蛇の胴体で布団まるめて寝てるじゃない。あれに比べたら全然マシですわ。よだれで死んだりはしないけど、あんな風にしめつけられたらクロが死んでしまいます」
「ぬああああっ!! くれよん、それはないでしょ!? た、確かに布団をまるめて抱き枕かわりにしちゃうけどさ、ギンコの暴れっぷりよりはマシだもん。ギンコの周りって、朝起きたらいっつも何か壊れているじゃん。 目覚ましとか、タンスとか、ベッドの柱とか。寝ながらパンチとかキックしてくるんだもん。クロを横になんか寝かせられないよ」
「そ、そんなことないもん。クロは私の側で寝るのが安心するっていっつもいってるもん」
「ちがうわよ、それは私よ」
「いいえ、あたしです」
「「「ね、クロ、そうよね!?」」」
寝室から飛び出してきたと思われる三人娘達は、呆気にとられているサキの腕の中から強引にクロを引きずりだす。
そして、我こそはとばかりにクロの腕やら足やらを持って綱引きをはじめ、クロの意志、意見など全くおかまいなしにめちゃくちゃな自己主張をはじめるのだった。
「ちょ、みんな、やめ」
「「「クロ、私よね? 私と一緒に寝るよね? ねぇったら、ねぇっ!! もうっ、はっきりしてよ!!」」」
「僕は誰とも一緒に寝ないってば、一人で寝たいの!!」
「「「そんなの絶対ダメっ!!」」」
「だ、だめってそんな・・タコ、見てないでたすけて、ぷり~ず!!」
霊狐族、西域半人半蛇族、そして、人頭獅子胴族の三人娘にもみくちゃにされてたまらず悲鳴をあげたクロは、横に立ってこちらを静観し続けている頼れる相棒に助けを求める。
が、しかし。
そこにはまるで汚物を見るかのような冷やかな視線を自分のほうにぶつけてくる血の繋がらない兄弟の姿が。
「え、ちょ、タコさん? もしもし?」
「あのさぁ。さっき、一応、誰も殺させない、みんな助けてみせるって誓ったところだけどさ。やっぱ一部前言撤回するわ」
「お~~、流石、わが相棒。言いこというじゃないですか。ってか、なんで撤回するの? そんなこと言わないで、是非、助けてくださいよ、お願いします」
「だが、断る!!」
「え?」
「と、いうか・・むしろ、死んでください。ってか、死ね、死んでしまえ、ハーレムやろう!!」
「ええええええっ!? 見捨てちゃいや~~ん!!」
「サキ姉ちゃん。馬鹿はほっといて、寝よ寝よ。明日も早いし」
「そうね。クロもみんなも、ほどほどで寝なさいね」
「「「は~い。タコ、サキ姉ちゃん、おやすみなさ~い」」」
「ちょ、まっ!? まさかのサキ姉ちゃんまで!? 助けて!! とりあえず、助けてから寝てよ、ねぇっ、ちょっと!?」
いつもと変わらぬ賑やかな夜が更けて行く。
しかし、彼らは知っていた。
もうじき、その夜に終わりが来ることを。
激しい戦いの夜が始まることを。
この場にいる誰もがそれを知りながら、今のこの平和なひと時に身を任せていた。
覚悟だけをその胸に秘めながら。
「いや、僕は全然平和じゃないから!! ちょ、ほんとに誰かたすけて~~!!」
「「「クロ!! だから、誰と一緒に寝るのか、男らしくすぱっと決めてちょうだい」」」
「だから、一人で・・」
「「「却下」」」
「はやっ!! もう、ほんとにいい加減にしてよおおおおっ!!」