第八話 『二人の日常』 その8
「連夜くんの仕事? この畑を耕すのを手伝うとか?」
思いもよらぬ連夜の提案にきょとんとした表情で尋ね返す玉藻。
そんな玉藻の様子を見て妙に深い笑みを浮かべてみせた連夜は、その視線を畑のほうへと向ける。
「見ての通り、僕も父も霊草、薬草を作っています。勿論それは僕達だけで作っているわけではありません。今日は休日で誰もいませんが、平日にはたくさんのスタッフの方々がこの畑の世話をしてくれています」
「だよねえ。どうみてもたった二人で管理できる広さじゃないものね」
連夜の視線を追って広大な畑へと自らの視線を移す玉藻。
目に映るのはどこまでもつづく緑と茶色の見事なストライプ模様。
そのところどころに赤や、青や、黄色などのいろいろな点々が見える。
それは『西王母柘榴』のような果実や花の色なのであろうが、実に様々な色彩があり、どれほどの種類の作物がここにあるのか見当もつかないほど。
「で、その中の一人に私もなればいいのかしら?」
「いえ、玉藻さんにはもっと重要なことを手伝っていただきたいのです」
「と、いうと?」
「畑仕事のほうは幸いある程度スタッフが揃っています。父が集めた腕利きの農夫の皆さんがいますし、僕が一から技術を叩き込んで育てた兄弟姉妹達もいます。ですが、どうしても足りないものがあるんです」
「足りない・・って、何が?」
やはり意味がわからないという表情で見詰め返してくる玉藻。
その玉藻の視線を真正面から連夜は受け止めてその答えを口にする。
「『調合師』です。できた作物を調合し、各種の薬品や『道具』、『珠』を製造する人材が圧倒的に足りません。そこで、マスターブエル最大最高の愛弟子である玉藻さんにそのお手伝いをしていただきたいのです」
「あ~、なるほどね。ここにある高級触媒を使って『調合』の手伝いをすればいいのね。なるほどなるほど・・って、ええええええっ!? そ、それってめちゃくちゃ責任重大ぢゃん!!」
連夜の言葉の意味を瞬時に理解した玉藻は、そこから導き出された大きな『責任』に盛大に悲鳴をあげる。
「ち、『調合』って軽くいうけど、絶対成功するわけじゃないんだよ? どんなに熟練の『調合師』でも失敗することはあるのよ? と、いうか、そもそもここにある材料を使うような超上級調合なんて、相当調合技術が高くないと調合に挑戦することすら無理なのよ? そこらの『療術師』の卵を捕まえて、『お願いしま~す』『あいよ~』なんて簡単にはいかないのよ? わかってるの?」
いつにない必死の形相で連夜に詰め寄る玉藻。
しかし、連夜はその言葉に納得するどころか、小首を傾げて『非常に不可解だ』といわんばかりの表情でしばらく玉藻のことをじっと見つめ返してくる。
玉藻の説得は全然通じていないようだ。
苛立った玉藻は更に、説得を続ける。
「あのね、連夜くん。大事に大切に育てた貴重な霊草や薬草を無駄にするわけにはいかないでしょ? 私を頼りにしてくれるのは本当に嬉しいよ、でもね、いくらなんでも無理だよ、無謀だよ。『アステカの星』にしろ、『マンドラゴラの髪』にしろ、『タロスの歯車』にしろ、それに『西王母柘榴』だってそう。これらを使った上級調合は、大学生程度の調合師の手には余・・」
「でも、『聞かずの小金』なら大丈夫ですよね?」
「なっ!?」
ぽつりと呟いた連夜の一言。
その一言の中に含まれていた単語が耳に入った瞬間、玉藻の体が硬直する。
遥か昔。
それは遥か昔に呼ばれていた玉藻の呼び名。
忘れたい。
でも、忘れられない。
思い出すのも辛い辛い時代の呼び名。
でも、いろいろな意味で決して忘れてはいけない幼き日の呼び名。
忌むべき名。
その名を知る者は、自分が捨てた生まれ故郷の霊狐の里にわずかに残るだけ。
今、自分が暮らしているこの環境の中で、知る者は誰一人としていないはずの名前。
友達はおろか、親代わりの師匠ブエル・サタナドキアも、親友ミネルヴァ・スクナーですら知らないはずの呼び名。
なのに、何故それをこの少年が知っているのか!?
「な、な、なんで? なんで、その名前を・・」
「霊狐族の里に生まれた子供達の中で、唯一長老達の洗脳術が通じなかった金毛白面の女の子供。里の大人達の言うことを全くきかない鬼子。しかし、その調合術の才能は、数百年に一度の逸材にして、恐るべき大天才。その子は里に伝わる秘薬の作り方の悉くをあっという間に己の業とし、里に莫大な利益をもたらした。言うことをききはしない、それどころか思い通りに操ることは絶対の不可能、だけど、湯水のように金を生み出す金の卵。いつしか大人達はその子供を『聞かずの小金』と呼んで恐れたという・・う~ん、今年の『西王母柘榴』の出来はまあまあかな」
先程とった『西王母柘榴』をしゃりしゃりとかじりながら、世間話をするようにとんでもない内容の話を続ける連夜。
玉藻は、唖然とした表情で目の前の恋人を見つめ返す。
確かに仮面の怪『人』、『祟鴉』は恐るべき情報収集能力の保持者であり、玉藻など到底及びもつかない凄まじい量の知識を保有する『人』物ではある。
玉藻はその情報や知識に幾度となく助けられてきたのだ。
そのことはよ~くわかってる。
しかし。
いくらなんでも、この情報はありえない。
いったいどうやったらこんな情報を手に入れることができるのか、見当もつかない。
今、もしもこの情報を手に入れようと思ったら、まず霊狐の里に行かねばならないだろう。
しかし、あそこはこの都市の中央庁が厳しく管理している特別保護地域にある。
よっぽどの高官でないと出入りは難しいし、何よりも、情報を持っている者達があっさりしゃべるとは思えない。
恐ろしく差別意識の強い場所なのだ。
人間族などが侵入しようものなら、しゃべるどころか、よってたかって殺されかねない。
なのにどうして、どうやって、そのことを知ったのか?
混乱する頭を必死にフル回転させ、質問を口にしようとする玉藻であったが、どう聞けばいいのか考えがまとまらずひたすらに口をぱくぱくさせるだけ。
だが、玉藻が口にするよりも早く、その答えは当人からあっさりと紡ぎだされた。
「昔、知り合いの一人から聞いたことがあったんです」
「へ?」
「彼女、玉藻さんと同じ里の出身でしてね。その彼女が『聞かずの小金』のことをよく話してくれたんですよ。大人の言うこと一切聞かない金髪の少女の話しを。大人が束になっても勝てないくらい鬼のように強くて、調合術の天才で、めちゃくちゃ綺麗な女の子の話を」
「わ、私と同郷の女・・の子?」
「ええ、ギンコって言って、『あちしはねぇ、大きくなったら歌手で女優でモデルな一流アイドルになる!!』って、いっつもしょうもないこと言う誇大妄想癖のあるなかなか痛い子でしたねえ」
「ギン・・コ?」
その名前。
その名前にはかすかに覚えがある。
他の子供達と群れることを嫌い、いつも一人でいた玉藻に声を掛けてきた銀髪の少女。
『あちしねぇ、ギンコっていうんだ。あんたは?』
『・・』
『名前くらい名乗りなよぉ』
『・・』
『まぁ、いいや。あちしの名前忘れないでよ。なんせ、世界的に有名なスーパーアイドルになるんだからね!!』
玉藻には決して作り出せない、太陽のような光輝く笑顔の女の子。
幼少期のごくわずかの期間を過ごしただけ、すぐに彼女は里から消えてしまったが、それでも玉藻の記憶の中に彼女との思い出は確かに残っていた。
「そういえば、そんな子いたわね。その子から私のことを聞いたの?」
「ええ、話を聞いたときは流石にびっくりしましたよ。自力で洗脳を解く力を持った子供が他にもいたなんてね」
「ああ、そうね。かなり異質よね。腕利きの術師の洗脳術なんて、普通大人でも掛けられたら解くことは絶望的なのに、私って、ほんとつくづくバケモノよね」
連夜の言葉を耳にした玉藻は自嘲気味の笑顔を向ける。
自分が異質であり、一般人とは違う存在であるということはとうの昔に悟っていたつもりであったが、改めて恋人の口からそのことを指摘されると、流石の玉藻も胸が痛い。
しかし、涙が出そうになるのをぐっと堪える。
恋人に悪気はない、気にする自分が悪いのだ。
そんな自分の弱さ恋人を傷つけるわけにはいかない。
玉藻は無理矢理笑顔を作って連夜のほうに再び顔を向け・・ようとしたところで、あることにはたと気がついた。
さっき、恋人はなんと言ったか?
たしか
『自力で洗脳を解く力を持った子供が他にもいたなんてね』
・・『他にも』?
慌ててそのことについて追求しようとした玉藻だったが、わずかに早く連夜が口を開き話を進め始めたため、玉藻の質問はその口と頭の中で弾けて消えた。
「玉藻さんはバケモノなんかじゃありませんよ。本当のバケモノはむしろ僕ですし」
「連夜くん? いや、確かに連夜くんはいろいろと凄いとは思うけど、バケモノっていうのとはちょっと違うような。気を悪くしないで聞いてほしいんだけど、あなたの場合、側にいて守ってあげないといろいろと心配なところがいっぱいあるし」
意識してではない。
ほとんど無意識に連夜の腕をとった玉藻は、そのまま自分のほうに恋人をひっぱりこみ、その小さな体を再びぎゅっと抱きしめる。
そして、『狐』の顔をした半獣人の姿へともう一度変化して、自分の大きな胸の中にある恋人の顔を丁寧に舐めはじめる。
しょっぱい味。
主に恋人の眼と頬のあたり。
宿難 連夜という少年は決して涙もろいほうではない。
むしろどんな窮地にあるときでもその感情をコントロールし、弱みを見せることはない。
だが、玉藻という恋人と二人っきりのときは別だ。
一番脆い部分が簡単にさらけ出されてしまう。
それがよくわかっているから、玉藻は連夜という少年が大好きだった。
それは自分に対する絶大な信頼の現れであり、自分に命と心を明け渡している証拠であるから。
「すいません、ちょっと昔のことを思い出すと、感情をコントロールできなくて」
「誰だってそうだよ。気にしないで。それよりも、そのギンコから私のことを聞いたから、知っていたんだね。私の調合技術のこと」
「はい。特に霊狐族独特の調合技術の数々を『聞かずの小金』が・・いえ、玉藻さんが修得されていらっしゃると聞いていましたから、大学を卒業されたら是非、スカウトしたいなぁって思っていたんです」
「あれ? ひょっとしてさぁ、『祟鴉』が私に接触してきたのは、私の調合技術目当て?」
わざと意地悪く聞いてみる。
勿論、答えが『否』であることはとっくに承知しているのだが。
連夜は玉藻の予想以上に顔を赤くして、小さな声でぼそぼそと答えを返す。
「いや、あの、同じ職場になれば、もうちょっと距離も縮められるかなって・・あ、ちょ、玉藻さん、やめ」
あまりにも可愛い答えを返す恋人の姿に、悶絶しそうになる玉藻。
嬉しくて嬉しくて、つい舐めるのを中断し、連夜の顔のあちこちを甘噛みしたりしゃぶったり。
このまま外でよからぬことをするのも一興かななんて不埒なことを盛大に妄想する玉藻であったが、ふとあることが思い浮かんでそれを口にする。
「そういえば、そのギンコは今どうしているの? 元気でやってるのかしら?」
「ギンコは・・」
「え・・あっ!!」
空気が一気に重くなる。
連夜のただならぬ様子に、玉藻は自分が地雷を力一杯踏んでしまったのだとすぐに気がついた。
慌てて連夜の顔を慰めるように舐めながら言葉を紡ぐ。
「ごめんごめんごめん!! ほんっとごめんね、連夜くん。私、ほんとにデリカシーないね。すぐに気がつけばいいものを、ほんとに私のばかっ、バカバカッ」
「ああ、いえ、いいんです。違うんです、そういうことじゃなくて、ちょっと説明が難しいんだけど、ギンコは」
「いや、もういい。うん、そもそも自分以外の女の子の話題なんか知りたくないものね。うんうん。と、いうことで、その話はなしってことで。それよりも、さっきの手伝いの話しの続きだけど」
玉藻の大きな胸の谷間の中から顔をあげた連夜は、心底困り果てたという表情で玉藻を見上げる。
そして、何かを一生懸命考えながら説明をしようとするのだが、どうみても無理をしているとしか見えない。
そんな連夜の痛々しい姿を見ていることができず、玉藻は慌ててストップをかけると、強引に別の話へと方向転換する。
「本当に私でいいの? 確かに小さい頃、里の馬鹿老人達の指示で調合の仕事やっていたけど、里を離れてからは全然やってないし、間違いなくあの頃よりも腕は落ちているわよ」
「構いません。そんなすぐに結果が出るなんて思ってませんし、失敗しても問題ありません。別に玉藻さんお一人に何もかも全て押し付ける気は毛頭ありませんから。それよりも・・ですね」
「それよりも何?」
またもや顔を赤くしてもじもじしはじめる連夜を、怪訝そうに見つめる玉藻。
『狐』の鼻を何度か押しつけて話を進めるように促すが、何故か、なかなか口を開かず顔を赤くしたまま視線を泳がせ続ける。
「なによ~。途中でやめないでよ~。気になるじゃない」
「いや、あの、やっぱりいいです。それよりも、手伝っていただけますか?」
「や~よ。ちゃんとさっきの続き話してくれないと、『手伝う』って言わない」
「え~」
「『え~』、じゃないわよ。いいなさいよ、早く」
相変わらず、もじもじしていてなかなか口を先程の話の続きを言おうとしない連夜。
なんとか誤魔化そうとするが、玉藻はそれで誤魔化されたりされず、舐められたり噛まれたり、肉球でほっぺを押されたりして、さんざん催促されて、よくやく溜息とともに重い口を開いた。
「わかりました。わかりましたから、言いますから、肉球でオデコをぺしぺししないでください」
「連夜くんがしぶといからでしょ。で、なんなの?」
「う~。だから~、一緒に仕事するようになったら」
「一緒に仕事するようになったら?」
「それだけ玉藻さんと一緒にいる時間が増えるのになぁ・・って」
「・・」
「・・」
一瞬、なんとも言えない空気がその場を流れる。
片方は呆気にとられたような表情で、胸の中の恋人の顔を見つめ、そして、もう片方は、羞恥で居た堪れないといった様子となり、真っ赤になった顔を大きな胸の谷間の中に隠してしまう。
それぞれ違う意味で二人はしばらく沈黙を続ける。
それぞれが違う意味で思考を続け、やがて、片方がもう片方よりも早く結論に辿りついた。
そして、妙に決意の固まった表情を浮かべてもう片方をじっと見つめ、その口を開いて静寂を破る。
「わかった、連夜くん。私、連夜くんの仕事を手伝うわ」
「え、本当ですか?」
「うん。自信はないけどね。でも、連夜くんが、本当に私を必要としてくれているということはよくわかったもの。だから、私のできる限りで手伝わせてもらいます」
「玉藻さん」
強い決意に満ちた金色の瞳が、ひたすら真っ直ぐに連夜の黒い瞳を射抜く。
その瞳からは玉藻の真心が痛いほど伝わってくる。
連夜は思わず嬉し涙をこぼしそうになる。
だが、なんとかそれを堪えて負けないくらい真摯な気持ちで見つめ返し、玉藻はそれに応えてしっかりと頷きを返すのだった。
「私、頑張るね、連夜くん」
「はい、こちらこそお願いいたします」
抱き合った状態で頬笑み合う二人。
また一つ、絆が強くなった気がした。
「そうだ、玉藻さん。お昼までにもう少し時間があるから、玉藻さんに扱ってもらうことになる素材を実際にみてもらいながら、いくつか説明させていただきますね」
「うん、そうね。でも、とりあえず、ちょっと待って」
畑の中央に向かって歩き出そうとする連夜。
しかし、そんな連夜の腕を玉藻は強く引っ張って引き留める。
振りかえった連夜はそこに、いつにない真面目な表情になった恋人の姿を見つけて、怪訝な表情になる。
「ん? どうかしましたか?」
「あのね、連夜くん」
「はい、なんですか?」
「連夜くんの手伝いを始める前に、できるだけ早く、調合を成功させたいものがあるのよ。それには連夜くんの協力がどうしても必要なの」
「え、そうなんですか?」
「うん。どうしても連夜くんに素材を提供してもらわないと・・はぁはぁ・・ダメなの・・はぁはぁ・・できれば今すぐに」
表情は物凄い真面目なのだが、何故か鼻息と呼吸が荒くなってくる玉藻。
そんな玉藻の姿を見ていた連夜は、自分の背中に強烈な悪寒が走るのを感じた。
そして、何故か体が勝手に動き、じりじりと玉藻から遠ざかろうとする。
まるで、腹ぺこの狼を目の前にした羊になったような気分。
なんだか、以前どこかで似たような経験があったような気がするのだが。
「あ、あの? 玉藻さん、もしもし?」
「あのね・・はぁはぁ・・その成功させたい調合内容を具体的に説明するとね・・はぁはぁ」
「ちょ、な、なんで僕の体を引っ張るんですか? た、玉藻さん?」
「連夜くんの精子とね、私の卵子をね、お互いの肉体で調合してね、新しい生命を誕生させるというこの世で最も崇高かつ神聖な調合を『性こ・・ごほごほ、いや、もとい『成功』させる必要があるのよ」
「なるほど、そういうことか。それもまた確かに調合ですよね。まいったまいった。って、そんなわけねぇでしょうが!! ちょ、ダメです、玉藻さん、やめ」
「いただきます」
「食べちゃらめぇぇぇぇぇっ!!」
こうして玉藻は連夜の仕事を手伝うこととなった。
そして、やがて彼女自身が連夜に代わって調合の仕事を取り仕切っていくことになるのだが、それはまた別の話である。
ちなみに、全くの余談であるが、この時点で玉藻と連夜の共同『調合』は成功しなかった。
「なんでだろ? 完全に発情期ど真ん中だったはずなんだけどなあ」
「いい加減にしてくださいよ、玉藻さん!! もしもし? 僕の話し聞いてます?」
「一緒にいられる時間も増えたことだし。頑張ろうね、連夜くん」
「がんばらないで!! お願いだから、頑張らないでください、玉藻さん!! ぷり~ず!!」