第八話 『二人の日常』 その7
『外区』
それは『人』類にとってかつての楽園であった場所であり、現在の地獄である場所。
『人』類最大の天敵にして、この『世界』最強最悪の生物たる『害獣』が支配する場所。
『異界の力』を駆逐するために、『世界』そのものに生み出された『害獣』。
彼らは事実上『無敵』である。
『人』がどれだけ強大な『異界の力』を以って凄まじい奇跡を起こそうとも、彼らには通じない。
何故なら、この『世界』そのものが『異界の力』を全面的に否定しているから。
そして同時に、『害獣』達が持つ『異界の力』を消滅させる力を全面的に肯定しているから。
『人』の力で彼らを滅ぼすことは不可能。
そのことは、この五百年の間に既に十分実証された。
あまりにも多大な犠牲を払って。
『害獣』との闘争の果て、わずかに生き残った人類は『害獣』達が存在する場所での生存を諦めた。
彼らは住み慣れた国を、街を、村を、故郷を捨てた。
そして、永き流浪の逃亡生活の果てに、ある安住の地を見つけ出す。
世界に点在するわずかな隙間の場所。
『害獣』達が支配し、生息している領域の中に、わずかにその生活圏から外れた場所があることを見つけたのだ。
勿論、大きな『異界の力』を使えば瞬く間に見つかってしまうことは変わりない。
しかし、普通に生活する為に必要な程度の『異界の力』であれば、彼らを刺激することがないことを確認した彼らは、その場所に巨大な城壁を作って都市を構え息を潜めて暮らすようになった。
そして、いつしか、安全ではない外の世界のことを、自分達の元の故郷であった場所を、恐れを込めてこう呼ぶようになった。
『外区』と。
その後・・
世界各地に作りし城砦都市に『人』が引き篭もって生活するようになって数百年という時が流れた。
この時の流れの中で、『人』は『異界の力』とは違う『念気』、『錬気』といったエネルギーを作り出し、それらを使った技術を向上させることに成功。
その技術の確立によって、『人』はわずかずつではあるが、外へと出て行くことができるようになった。
数百年前と変わらず『外区』は『害獣』達の支配する世界。
しかし、それでも新しい技術は、ほんの少し『人』類に生きる世界を広げてくれることになった。
『王族』や『貴族』と呼ばれる特に強大な『害獣』には敵わないものの、その下に位置する『兵士』や『騎士』と呼ばれる『害獣』達とはある程度わたりあえるようになったのだ。
これにより、『人』類は少しだけその生活圏を広げることに成功。
そして、それは今も尚少しずつ続いている。
が、しかし。
それはあくまでも少しずつ。
なんとか城砦都市同士の間をつなぐ細い交易路をなんとか保持できるくらいの状態。
つまり、外の世界に居を構えることなんて、全然できるレベルではないのである。
『人』類が安心して住む事ができる居住スペースは、数百年たった今でも城砦都市内のわずかな隙間の中にしかないのだ。
危険な『外区』に人が直接居を構えて住むなど、現状では夢のまた夢。
今の技術がいったいどれほど進歩すればそうできるようになるのか見当もつかない。
・・はずなのに。
「うそ」
今、玉藻の目の前に、その実現するはずのない夢物語が現実となって広がっている。
正方形の形にきちっ、きちっと区分けされ、そのブロック毎に緑と茶色の美しいストライプ模様。
自然にできたものでは絶対にない。
明らかに『人』の手によって作り出された光景。
これが、都市の中であるというのなら、特に珍しい光景ではない。
玉藻が住む城砦都市『嶺斬泊』の中にも農業専門区域があり、そこに行けばこれと似たような光景を簡単に目にすることができる。
しかし、ここは・・
今、玉藻が立っている場所は農業専門区域ではない。
勿論、玉藻が普段生活している居住専門区域でもない。
それどころか城砦都市の中ですらないのだ。
そう、ここは紛れもない『外区』。
しかも危険極まりない『害獣』生息地帯の真っ只中なのである。
玉藻の常識では絶対にありえない、ありえるはずのない場所に、ありえないものが存在していた。
「れ、れ、連夜くん。これって、まさか?」
引きつりまくって実に中途半端極まりない奇妙な笑顔を張り付かせた玉藻は、横に立つ小柄な恋人に問い掛ける。
すると、彼女の恋人は涼しい笑顔であっさりとその答えを口にした。
「はい、僕の畑です」
「え、えええええっ、やっぱりそうなの!?」
一応予想してはいたものの、改めて目の前に広がる光景が夢でも手品でもなく紛れもない事実であることを確認した玉藻は、その驚愕を抑えることができず思わず声をあげてしまう。
「なんで? なんでこんなところにこんな大きな畑があるの? ここって間違いなく『外区』だよね? 城砦都市の中じゃないよね?」
「そうですよ。ここは『外区』です。城砦都市の中ではありません」
混乱状態のままに詰め寄ってくる美しい恋人に、いつも通りの穏やかな笑顔を向けた連夜はゆっくりと頷きを返してみせる。
そう、ここは間違いなく二人が住んでいる城砦都市『嶺斬泊』の中ではない。
紛れもない『外区』。
猫型の『害獣』とウサギ型の『害獣』達の危険な生息地域を通り抜けた二人がやってきたのは、城砦都市『嶺斬泊』の北方に存在する霊峰『落陽峰』の真下にある針葉樹林の森。
その森の中をしばらく歩いた後、突然開けた場所に出たと思ったら、見事に区分け整地された広大な畑が眼下に広がっていたというわけである。
そう、目の前ではなく広がってのは眼下。
森に囲まれて外側からは全然わからなかったが、クレーター状になった窪みの中に畑は存在していたのだ。
玉藻が見た感じでは、クレーターの端から端までざっとみただけでも確実に数ギロメトルはある。
その広大なクレーターの中に、様々な種類の作物が植えられているように見える畑がびっしりと並んでいるのだ。
「連夜くんの畑って話だったけど、これ全部がそうなの?」
恐る恐る眼科に広がる光景を指差しながら問い掛ける玉藻。
その問い掛けに対し、間髪入れることなく連夜は即答する。
「はい、全部僕の畑ですね」
「マジですか」
「マジです」
「これ、全部連夜くん一人で耕したの?」
「いや、まさか」
「だよねぇ」
「元々ここは、僕の父の畑だったんです。それを僕が譲り受けまして」
「連夜くんのお父様はお百姓さんなの?」
「う~ん、正確には違うかなぁ。どっちかというと『道具』作りのほうが専門ですかねぇ」
「『道具』作り? っていうと『回復薬』とか各種の『珠』とか、あるいは補助器具を作る職人さんってこと?」
「そうですそうです」
「ああ、そういえば、連夜くんって『道具』使うの異様にうまいものね。つまりそれはお父様の影響だったってわけなのか」
思い当たる節がいくつもある玉藻は妙に納得したという表情でなんども頷いていたが、話が中断してしまったことにすぐに気がついて慌てて先を促す。
「ごめんごめん。それで、その『道具』作りの職人さんがなんでお百姓さんの真似事をしているの?」
「当たり前ですが何もない状態から『道具』を作ることはできません。作成するためには必ず素となる素材が必要になります。で、その素材の中でも特に必要とされることが多いのが霊草、薬草の類です」
「うんうん。各種『回復薬』作るのにも、『毒薬』や『麻痺薬』作るのにも、あるいは『煙幕珠』とか『追跡珠』とか作るのにも絶対欠かせないよね」
元々霊狐族の里で強制的に霊薬作りをさせられていたため、人並み以上にそういった知識がある玉藻は連夜の説明に強く頷きを返す。
「まあ、そこらへんにいくらでも生えている雑草から、かなり手間隙掛けないと栽培できないような幻の霊草までピンからキリまであるけどさ、あまり関係ないような『道具』であっても霊草とか薬草って使われていたりするよね」
「そうなんですよ。で、最初父は専門の業者からそういった材料素材を購入して作成していたらしいのですが・・」
「値段が高かった?」
ようやくショックから回復しいつもの調子に戻ってきた玉藻がいたずらっぽい表情で連夜に指を突きつけてくる。
しかし、連夜は苦笑交じりに首を横に振って見せると、その白くたおやかな指をそっと掴んで下へと下ろす。
そして、そのままその手を握り締めて玉藻を促し、歩き始める連夜。
先程の『害獣』生息地帯突入のこともあって、いったい今度はどこへ連れて行かれるのかと一瞬身体を強張らせた玉藻であったが、連夜の目線の先にあるものを見て表情を和らげる。
クレーターの崖の岩を削って作り出されたものと思われる階段。
どうやら彼女の恋人は、クレーターの中にある畑に自分を案内してくれようとしているらしい。
玉藻は嬉しそうな表情で足を速めると、連夜の真後ろにぴったりくっつくように歩き、再び話を再開する。
「値段じゃなかったらなんなの?」
「いえまあ、値段はそうでもなかったそうなんですが、それよりも量が安定しなかったそうなんです」
「量?」
クレーターの外壁を形成している崖に作り出された階段の上をゆっくりと歩いて降りていく二人。
結構な高さがあるが、階段の幅が意外と広いのと、壁がない反対側にはしっかりした手すりがついているのでそれほど怖いとは思わない。
流石に覗き込むと大変な高さがあるので、高所恐怖症ではない玉藻でも結構怖かったりするのだが。
「いろいろなしがらみがありまして、父は実に様々な方面から『道具』作りの注文を受けています。なので個人経営では考えられないようなびっくりする種類、そして量の『道具』を作らないといけないんですが、当時の業者さんが持ってくる量では全然足りなかったらしいです」
もしものことを考えてなのか、歩きながら手すりから崖の下を覗き込んだ玉藻は無意識に半獣人化して直立した『狐』といった姿へと変化。
そんな玉藻に、『危ないですから壁のほう歩いてくださいね』と苦笑しながら注意を促し、連夜はその身体を壁側にそっと押しやる。
「専門業者が運んでくる量で足りないって・・連夜くんのお父様っていったいどれだけの量の『道具』を作っているのよ」
怖いながらも景色を楽しんでいた玉藻は、それを邪魔されて少しばかり不満そうな表情をしてみせる。
しかし、自分がいつのまにか恐怖で半獣人化していることにすぐに気がついて、促されるままに大人しく壁際に移動すると、連夜の腕に自分の腕を絡めてぴったりとくっつくのだった。
「一般的に普及しているものよりも、あまり普及していないタイプの『道具』の作成を依頼されることが多いですから、どうしても材料もなかなか手に入らないものが多くて」
「ああ、そういうこと。それならわかるわ。ちょっとした改良品作るのでも、稀少な霊草とか使ったりするもんね」
「そうなんです。玉藻さんはよくご存知でしょうけど、例えば『回復薬』を作るなら都市の大手スーパーとかでも売ってる『赤慈草』や『青慈草』なんかを使うだけでいいんですよね。だけどその『回復薬』に回復速度の効果をあげたり、『毒』や『麻痺』の治療効果なんかを付与した改良版を作ろうと思ったら」
「『赤慈草』や『青慈草』の変異種である『紅恵草』や『蒼恵草』が必要になる」
「その通りです。一応どちらも『人』の手で栽培できなくもないんですが」
「あ~、あれって手間隙がかかる割りに、一回で収穫できる量が通常種の十分の一もない上に、買取価格が低くて全く儲けにならないのよね。私の生まれた里でも栽培してはいたけれど、専ら自分達が使うためで、売りに出すためじゃなかったわねぇ」
既に十年以上も昔のこととなってしまった幼き頃の思い出を、記憶の奥底から堀り起こした玉藻。
当時存分に味わった苦労の数々までも蘇ってきて、苦い表情を浮かべる。
「うちと取引のあった業者さんも、今の玉藻さんと同じことを言っていました。でもまあ、『紅恵草』や『蒼恵草』はまだいいほうだったんです。ほとんどないとは言っても一応ある程度は売ってもらえましたから。でも、なかには全く手に入らないものもあったり、最初は売ってくれていた商品でも、儲からないから販売をやめるって言われてしまったものもあったりで、ともかくうまくいかなかったんです」
「お客さんの特注専門でやってると、どうしてもそうなっちゃうよねぇ。まあ、固定客の方ならある程度その傾向も読めるけど、一見さんとかご新規さんとかになると全く読めないものなぁ」
「それで父は業者さんから仕入れることを諦めて、自分で栽培することにしたんです」
「うんうん。確かに自作なら好きなだけ計画立てて作れるものね。って、ちょっと待てよ」
連夜の説明に対し、得たりとばかりに頷いていた玉藻だったが、ふとある問題点に気がついて小首をかしげる。
「どうしました?」
「いや、自作はいいけどさ。作ろうと思ったからって、そんな簡単に作れるもんじゃないでしょ。連夜くんのお父様って『道具』作りが専門の職人さんなんだよね」
「『道具』作り『が』ではなくて、『も』専門なんです」
「え?」
いつにない会心の笑みを浮かべて玉藻を見詰めた後、連夜は促すようにその視線を眼の前の広大な畑に視線を向け直す。
「父は本当に本当に凄い『人』なんです。『道具』作りもそうですが、こういった薬草や霊草を作ることだって一流なんです。いや、そればかりじゃない。普通の野菜や果物、米や麦をはじめとする穀物を作る技術も持っていますし、家畜の世話の仕方だって専門職の方よりもはるかによく知っています。そういった知識をフルに使って作られたのがこの畑なんです」
「ほへえっ。じゃ、じゃあ、ひょっとしてここって薬草とか霊草とかだけじゃなくて、普通に食べるための食材も作ってるってことなの?」
「はい、そうです。まあ、流石にどこでも作ってて手に入りやすい食材は作ってませんけどね。薬草、霊草の栽培だけでも大変なので、あまりなんでもかんでもってわけには」
「そりゃそうよね。種を植える時期から収穫の時期まで、全部一致する薬草や霊草なんてほとんどないんだものね。それに野菜やら果物やら穀物やらまで追加すると管理が大変だよねえ」
苦笑をもらす連夜の言葉にうんうんと頷きながら階段を降り切った玉藻は、自分の視線の中にやけに赤い色が飛び込んできたことに気がついて立ち止まる。
何の赤だろうと、その方向に視線を向け直すと、そこには色鮮やかで瑞々しい赤い果実の姿。
竹でできていると思われるいくつもの支柱に絡みついて地の底から天を目指す濃い緑色の側枝のその端々には、見事な赤い球が連なるようにして重そうにぶら下がっている。
連夜の腕を離してそこに近づいた玉藻は、そのうちの実をそっと掴んで持ち上げてみる。
朝露に濡れてしっとりとした感触と、柔らかな弾力。
「食べてみますか?」
「いいの?」
「勿論、いいですよ」
お尻のポケットに手を伸ばし、裁断用の小さなハサミを取り出した連夜は、玉藻が持っている赤い果実をへたのところで上手に斬り落とす。
自分の手の中にすっぽり収まったやや小ぶりなトマトの実を、しばししげしげと眺めていた玉藻であったが、やがてそれを自分の大きな口へと持って行く。
一瞬にして『人』から『狐』の顔になった玉藻は、一口で赤い実を己の口内に収めてしまうと、ゆっくりとそれを中で噛み潰す。
「ん? んん?」
「どうですか?」
「甘いっ!? なにこれ、すんごい甘い!! リンゴの甘さの中に若干レモンのさわやかなすっぱさがあるみたいな。うわっ、すっごいおいしいね」
頬張った赤い果実を本当においしそうに食べる玉藻。
連夜はそんな恋人の姿を嬉しそうに見詰めた後、さらにいくつかの大きな果実をとってやって手渡してやる。
「嬉しいけど、こんなに食べちゃっていいの? 苦労してここまで育てたんでしょ?」
「いいですよ。玉藻さんに喜んでもらえて僕も嬉しいですし、そもそも販売する為じゃなくて、自分達で使う為に栽培しているんですから。」
「そっか。じゃあ、折角のご好意だし、いただいちゃおうかな」
「どうぞどうぞ」
獣化した両手で器用に赤い果実を受け取った玉藻は、それを次々と口の中に放り込んでいく。
「本当においしいトマトよねえ。こんなトマト食べたことないわ」
「正確にはトマトではないんですけどね」
「へ~・・もぎゅもぎゅ・・見た目完全にトマトなのにねぇ。やっぱり果物なの?」
「ご存知かどうかわからないですけど、『西王母柘榴』っていう霊果実なんですよ。ほら、よくテレビのCMでやってる化粧品の『ギャラルホルンリンクル』の材料に使われていますね」
「あ~、あれかぁ。ちょっとつけただけで肌がめちゃくちゃ若返るっていうスーパー高級化粧品よね。『三十歳からの化粧品』ね。知ってる知ってる。ほんのちょっとのセットでも数十万サクルもするっていう奴ね。なるほど、それの・・ざい・・りょ・・」
実にいい笑顔で連夜との会話を続けていた玉藻だったが、その会話の中に流せない不穏な単語が混じっていることに気がついて表情を強張らせて口を動かすのをやめる。
「えっと・・今、『西王母柘榴』って、言った?」
「え? ええ、言いましたけど、どうしたんですか玉藻さん、なんか、物凄く顔色が悪いですけど」
「そ、それって、まさか、栽培が滅茶苦茶難しくて、十年に一度採れるか採れないかって言われている幻の霊果実の『西王母柘榴』じゃないよね? これは違うよね? あれを真似て作られたトマトもどきか何かだよね? ね、ね?」
引きつった笑みを浮かべながらも、尋常ではない光を宿した瞳で必死に連夜に見詰める玉藻。
そんな玉藻に困惑した表情を浮かべて見せた連夜は、しかし、そのささやかな希望を打ち砕く否定の言葉をあっさりと紡ぎだす。
「いえ、真似て作られたトマトもどきではなく、玉藻さんが仰っている霊果実ですが」
「し、市場価格で一個十万サクルより下で売られることはないっていう『西王母柘榴』?」
「ええ、まあ」
「どこの都市でも流通が制限されていて、薬剤師の免許がないと勝手に売買できない、あの超高級霊果実の『西王母柘榴』?」
「まあ、そうですね」
「この近隣十都市の中でも栽培できる『人』は十人足らずで、最も生産量が高いといわれている城砦都市『ゴールデンハーベスト』では中央庁自体が生産を管理しているっていう、あの『西王母柘榴』?」
「あ~、そうですね。あれを狙った大掛かりな組織犯罪とかが多発したのをきっかけに、『ゴールデンハーベスト』では中央庁自体が直轄で栽培してますね」
うんうんと妙に納得顔で頷く連夜の姿を、しばし呆然と眺めていた玉藻。
やがて、しょんぼりした表情で、そっとその手にしていた果実を連夜に返すと、空いた毛むくじゃらの手をおもむろに自分の口の中へと突っ込んだ。
「うわっ、何やってるんですか、玉藻さん!?」
「止めないで連夜くん!! まだ、きっと消化されてないはずだから!! 今から吐き出せば間に合うはずだから!!」
とっくに胃袋の中に消えてしまっている高級霊果実を、なんとかもどして吐き出そうとする玉藻。
そんな玉藻の姿に仰天した連夜は、慌てて彼女の行動を止めることに成功するが、止められた玉藻は恨めしそうに連夜を睨みつけると、半泣きの表情で地面の上を転げまわって子供のようにグズリまくる。
「吐かなくていいんですってば、玉藻さん。食べちゃって大丈夫ですから!!」
「うわ~~ん、連夜くんのばか~~。そんな高級食材なら一言最初に言っておいてよ!! 一個十万サクルもする果物普通にむしゃむしゃ食べちゃったわよ~~」
「いや、ほんとに気にしないでくださいって。むしろ僕が丹精込めて作ったものを玉藻さん、本当に嬉しそうに食べてくださるから凄い感激しているんですよ。この果実の価値をご存知だったら、その効能もご存知でしょ? 美容にも健康にもいい果実ですし、いずれ食べていただくつもりだったんですから」
「わかるわよ。連夜くんの言ってることも、その気持ちもよ~くわかってるの。でもね、この果実の市場価格とその希少価値を知ってるからどうしても素直に喜べないのよ。この小さな実一つで最新型の念動洗濯機や冷蔵庫一台買えちゃうっていうのに、私、いったいいくつ食べた? どこの王侯貴族様よ、まさか、こんなところでこんなとんでもない贅沢するとは思わなかったわよ。あ~、もう、ブエル師匠の授業でさんざん学んで、実際に使って実験までしたはずなのに、どうして忘れていたのかしら。バカバカバカ、私のばか~~」
ぐすんぐすん鼻をならしながら愚痴をこぼしていた玉藻だったが、最後には体育座りの状態でころんと横になりしくしくと泣き出してしまった。
どんな強敵を前にしても動じることのない豪傑無比な玉藻であるが、金銭感覚はいたって庶民。
今食べた果実の金額があれば、欲しかったあれも買えたのに、お金が足りずに我慢したこれも買えたのに、などとつらつらと考えて涙が止まらない。
「それだけのお金があれば、このまえの春コレのスカートが、シャツが、ワンピースが」
「玉藻さ~ん、もうそろそろ立ち直ってくださいよ。謝りますから」
「連夜くんは悪くないもん。迂闊な私が悪いんだもん。物の価値がわからないアンポンタンな私が悪いんだも~ん。もうほっといてよ。ぷんぷん」
「ぷんぷんじゃありませんよ。そもそもほっとけるわけないでしょ。ほら、地面の上をそんなに転がったら泥だらけじゃないですか」
呆れたような口調。
しかし、その表情はいつものように優しく、連夜は盛大に拗ねる玉藻を優しく抱き起こして立たせると、玉藻も本気で拗ねているわけではないので、抱き起こしてくれる恋人の優しさに応えるように素直に立ち上がる。
「ごめんね、連夜くん。しょうもないことで拗ねちゃって」
「いえ、いいですよ。前もって言っておかなかった僕が悪いのですし」
「ううん、そんなことないよ。それよりもさ、連夜くんって、すっごいお金持ちなのね」
「そんなことないですよ~」
「そんなことあるじゃない。今更になって気がついたけどさ、ここで栽培されている作物って全部希少価値の高い、高級品ばかりだよね。『西王母柘榴』だけかと思ったら、目で見える範囲で確認できるだけでも相当なものじゃない」
ぐるっと周囲を見渡して指差した後、玉藻はちょっと怒ったような表情で連夜を見詰める。
「あっちにある蒼い花は強烈な猛毒があるけど結核の特効薬の材料として使われる『アステカの星』だし、そっちにあるキャベツみたいな野菜は『マンドラゴラの髪』、さらにその向こうにあるゼンマイみたいな草は『タロスの歯車』、なんなのここ。まるで幻の霊草、薬草の博物館みたいだわ」
「ひょっとしてわかっちゃったんですか?」
「わかるわよぉ。これでも『療術師』の端くれで、マスターブエルの愛弟子なのよ。大概の霊草、薬草は見たことがあるもの」
若干得意そうに大きな胸をそらしてみせる玉藻に、連夜は一瞬本当に驚いた表情を見せたが、すぐに表情を改めると、こころからの賞賛の言葉を紡ぎだした。
「流石、師匠が継承者にと定めている玉藻さん。いや、本当に恐れ入りました。まだ説明してないのに、ここにあるものの正体を看破しちゃうとは」
「ふふん。それほどのこともあるけど、もっと褒めて褒めて。そして、『よしよし』ってして」
再び『狐』の顔になった玉藻が嬉しそうにその頭を突き出してくると、連夜は苦笑しながらもその身体を抱き寄せてリクエスト通りに優しく『よしよし』と撫ぜてやるのだった。
「玉藻さん、本当に凄いです。やっぱりここに来てもらって正解でした」
「あ、やっぱし何か魂胆があったのね。連夜くんのことだから、ただ高級品の霊草を見せびらかすだけなんてことはないとは思っていたけど」
「すいません、仰るとおりです。実は玉藻さんに是非ご協力していただきたいことが」
そう呟きながら申し訳なさそうな表情で、玉藻から身体を離そうとする連夜。
しかし、玉藻はがっちりと背中に回した腕に力をこめて離させはせず、むしろ連夜の身体を引き寄せて強く抱きしめる。
「謝らなくていいってば。それよりも私にできることがあるなら何でも言って。協力するから」
真摯な瞳と真剣な表情で連夜を見詰める玉藻。
そんな玉藻の『狐』顔の額に感謝の口付けをした後、連夜はその口を開く。
「お時間の空いているときでいいんで、僕の仕事を手伝っていただけないでしょうか?」