第八話 『二人の日常』 その4
『警報装置』
『兵士』クラス中級の猫型害獣。
大きさは普通の猫とあまり変わらないが、眼は四つ、足が六つ生えている。
普通の猫と同じように夜行性で、昼は寝ているか丸まって日向ぼっこしているかで一見人畜無害な生き物に見える。
しかし、その実力は侮れないものがある。
うっかり普通の猫だと思って近付いたハンター達が、その鋭い牙と爪の餌食になって命を落としたという話は特に珍しいものではない。
また基本的に夜間戦闘を得意とし、一旦暗闇の中に身を隠した彼らを見つけ出すのはベテランの『害獣』ハンターであっても困難を極めるほど。
また昼間であっても地形を巧みに利用して身を隠し、不意をついて襲ってくるので非常に始末に悪い相手である。
だが、この『害獣』の真に注意しなくてはならない点は、上記にある巧みなゲリラ戦術ではない。
この猫の恐るべき特殊能力。
それは・・
大声で叫ぶことである。
勿論、ただ、『大声で叫ぶ』だけではない。
自分の索敵能力範囲内に『異界の力』を秘めた生物がちょっとでも探知されれば、特殊な叫び声をあげて周囲にいる他の『害獣』達を呼び寄せてしまうのである。
そういう性質を最大限に活かすためなのか、この猫は大きな集団で行動するタイプの『害獣』の群れの中に入り込み行動を共にする場合が多い。
逆に言えば、この猫がいるということはつまり、危険極まりない『害獣』の群れがすぐ側にあるということでもあるのだ。
そしてその名の通り、この猫はその『害獣』達の『警報装置』になっているのである。
「と、いう『害獣』なのです」
「え、えええええっ、本当にこの猫ちゃん『害獣』なの!? 信じられない、どうみてもただの猫ちゃんだよぉっ!?」
連夜の説明を受けた玉藻はこれ以上ないくらいの驚愕の表情を浮かべて絶叫。
あまりの驚きに、思わず抱えていた猫を落としそうになる。
しかし、その寸前、玉藻の胸から落ちかけている猫を連夜が手馴れた手つきでキャッチ。
よしよしと少しの間頭を撫ぜてやったあと、すぐ側にある大きな石の上へと猫を移動させた。
「れ、連夜くん、本当に本当?」
「本当に本当ですよ」
「やっぱりまだ信じられないよ。どうみても普通の猫ちゃんだもん。全然無害だし」
「確かに僕らには無害ですねぇ。よしよし」
「にゃ~」
大きな石の上に丸まっている猫の背中を、連夜が優しく撫ぜてやる。
すると、猫は気持ちよさそうな鳴き声を一つあげたあと、ただでさえ細い眼を更に細めて天下泰平と言わんばかりの表情になり、そのまま昼寝を始めてしまうのだった。
どう見ても連夜が説明するような凶暴な生物には見えない。
しかし、愛する恋人が玉藻に嘘をつくはずはない。
混乱気味な表情で、玉藻はその視線を連夜と猫との間で行ったり来たりさせる。
「む、無理だよ、信じられないよ連夜くん。いや、連夜くんが嘘をつかないのはわかるけどさ、全然凶暴じゃないじゃない」
「でも、本当なんですよねぇ~。よしよし」
「にゃ~」
抵抗する素振りも嫌がる様子もなく、連夜に撫ぜられるままの猫。
欠伸する以外は全く動く気配すら見せない。
その様子を見て、自分でももう一度確かめる気になった玉藻は、意を決して猫に近づき手を伸ばす。
慎重に慎重にと手を伸ばし、あと少しで猫の頭に手が届く。
そのとき。
『ぺろっ』
「ひゃっ!! 舐めたっ!? 舐められた!?」
「いや、そんな驚かなくても」
猫に指先を舐められた玉藻は、物凄い勢いで後方へジャンプ。
そのまま川岸にある岩陰の一つに急いで身を隠してしまう。
「玉藻さ~ん、大丈夫ですってば~」
「え~ん、連夜くんが変なこというから意識しちゃうじゃないのよ~。連夜くんの意地悪ぅ~」
「だって、後で説明したら玉藻さん、絶対怒りますよね?」
「それはそうなんだけどさぁ~。いくら安全だって言われても突然不意打ちで説明されるのも困るのよぉ~」
岩陰に隠れてしきりに『いやんいやん』と身体を震わせる玉藻。
そのままそこで不貞腐れてやろうかとその場にしゃがみこもうとする。
しかし、それに気がついた連夜がすぐに迎えに来てそんな玉藻を慰めるのだった。
「申し訳ない玉藻さん。驚かしたり怖がらせたりするつもりじゃなかったんです。むしろ、全然大丈夫ですよって言いたかったんですけど、逆効果でしたね。本当にごめんなさい」
「う~、まあ、猫に関しては本当に大丈夫みたいだから許してあげるけどさぁ。でも、ほんとにあの猫って『害獣』なんだよね?」
「はい、間違いなく『害獣』です。しかも先程説明した通り、ほんの少しでもあの猫の知覚範囲内に入れば、あの猫は凄まじい叫び声をあげて周囲に群れを成す別の『害獣』を呼び寄せます。呼び寄せられる『害獣』達は残忍で凶暴極まりない種類のものが多いので、あの猫はただ強いだけの『害獣』なんかよりよっぽど危険なんです」
「いやだからそれよ。そこが腑に落ちないのよ。あの猫の側にはもっと凶暴な別の『害獣』が群れを成して存在しているのよね?」
「はい、いますね。ここにいるのは『ジャッカル』というタイプの『害獣』ですね」
「『いますね』って、めっさあっさり認めよった!? いや、っていうか、そいつはどこ? どこにいるのよ、連夜くん。さっきから私、ずっと草原の様子を伺って見ているけど、いるのは猫とウサギだけじゃない。そんな凶暴な『害獣』の群れがどこにいるっていうのよ!! 言っておくけど、私、眼はかなりいいほうなんだからね!! まさかとは思うけどその正体は見えないくらいの小さな虫とか言わないでよ」
半分怒ったような表情で草原のほうをぶんぶんと指差して見せる玉藻。
確かに玉藻の言う通り、二人の場所から見渡す限り、広い広い草原の中に姿を見せているのは、あちこちの樹や石の上で丸まっている猫と、広い広い草原のそこら中で跳ねたり跳んだり、草を食べたりしているウサギの群れだけ。
『ジャッカル』なんていう名前がつけられそうな大型肉食獣らしき姿はどこにも見当たらない。
しばしの間、川岸に突っ立ったまま『ほけ~~っ』とした感じで草原を見詰める連夜と玉藻。
連夜の言葉を借りるならば、ここは凶暴な『害獣』達が白昼からところ狭しと跳梁跋扈している超危険地帯のはず。
しかし、二人の眼前に広がっているのは緊迫感の欠片もない、どこかの子供向けの絵本にでも載っていそうな実にのどかな風景であった。
玉藻でなくても信じられないのは無理はない。
事情を知らない素人が同じようにここに立ったならば、どこに『害獣』がいるかなんて絶対にわかりっこなかった。
いや、むしろ、本当にそんな凶暴な『害獣』の群れがいるかどうかも怪しい。
やはり、自分は恋人に担がれたのだろうか?
冗談好きでいたずら大好きな恋人。
これまでも何度か玉藻はそんな恋人に驚かされてきた。
しかし、命に関わるようなことで冗談を言ったりはしないはずなのだが。
そんな風に心の中で玉藻が思い悩んでいたまさにそのとき。
一匹のウサギが二人の足元にやってくる。
そのウサギの姿を見た連夜は、屈みこんで普通よりもやや大きいウサギをよっこらしょと持ち上げる。
猫同様に、全く抵抗することなく持ち上げられたウサギを玉藻のほうに向けた連夜は、実にいい笑顔を浮かべて最愛の恋人の名前を呼ぶ。
「玉藻さん、玉藻さん」
「な~に、連夜くぎにゃああああああああああっ!!」
恋人の声に振り返った玉藻。
その視線の先、そこには、耳まで裂けた大きな大きな口に、まるでノコギリの歯のようになった凶悪な牙がズラリと並んだ、世にも恐ろしい怪物の姿。
「が、ががが、『害獣』!?」
「はい、そうです。これが『害獣』、『ジャッカル』です。すっごい大きな口に、すっごい鋭い牙でしょ? 対害獣用特殊コーティングしていない鉄製の鎧程度なら紙みたいに噛み切ってしまうんですよねえ。ツメだってほら」
「うわわわ、見せなくていいってば!!」
妙に嬉しそうな表情で『害獣』、『ジャッカル』の手を玉藻のほうに差し出した連夜は、『ジャッカル』の毛深い手の先の部分を自分の手で絞るように押す。
すると、何かのスイッチが押されたかのように、『害獣』の手の先から、とんでもなく長く鋭い凶悪なツメが飛び出した。
一本一本がまるで大振りの短剣ほどもある大きさ。
それが手の先から三本も突き出ている。
こんなもので切り裂かれたら、場所によって即死してしまう。
そんな『害獣』が持つ禍々しい凶器を見た玉藻は全身を震わせ、恐怖の表情を浮かべる。
玉藻は決して臆病者ではない。
いや、それどころか、城砦都市『嶺斬泊』に存在するあまたの武術家や傭兵達の中でも、屈指の実力者といえよう。
これまでたくさんの不良やチンピラと拳を交え、時には命を落としかけるような大勝負もあった。
しかし、玉藻はそのいずれにも勝利してきたのだ。
そんな輝かしい戦歴を誇る玉藻であるが、実は、一度として『害獣』と戦ったことがない。
理由は簡単。
上級中の上級種族である玉藻にとって『害獣』は決して勝つことのできない天敵であるからだ。
『異界の力』を持つ者を駆逐する能力を備えた『害獣』達。
実にいろいろな姿形、いろいろな特殊能力を備えた種類が確認されているが、たった一つ、どんな種類、あるいはどんな階級の『害獣』も共通して備えている特殊能力が一つある。
それは『異界の力』の無効化だ。
『異界の力』の無効化とは、文字通り『異界の力』によって引き起こされる様々な超常現象を完全に消滅させてしまう能力。
発動前であろうとも、既に発動し効果が発揮された後であろうとも関係ない。
全て『そんなことはなかった』ことにしてしまうのである。
『隕石落とし』や、『焦熱地獄』、『永久凍土』といった数々の必殺攻撃、あるいは必殺魔法はその場で消滅。
死者蘇生の奇跡で、一度生き返った者は再び物言わぬ死体に。
天候を操る者は天候を操ることができなくなり、地脈を操る者は地脈を操れなくなる、
だが、それらは『異界の力』を無効化するという能力の中では比較的大人しいほうである。
『異界の力』を無効化するという能力の中で最も恐ろしい効果、それは。
彼らを中心とした一定の範囲内の『異界の力』の一切の活動を完全に停止させるというものだ。
文章だけを見れば、特に恐ろしくもなんともないと思うかもしれない。
だが、それは大きな間違いである。
この世界に住む『人』々の大半は、多かれ少なかれ『異界の力』を生まれながらに持っている。
例外的に全く、これっぽっちも持たない種族がごくごく少数だけ存在しているし、事故やなんらかの理由で『異界の力』を完全に失ってしまった『人』もいるが、それは現在生き残っている全総人口の一パーセントにも満たない。
つまり、ほぼ全ての『人』が『異界の力』を己の肉体の中に宿しているわけだが、彼らのほとんどはその『異界の力』を(種族によって使用している割合はまちまちではあるが)自分の生命活動に組み込んで生きているのである。
そんな『人』達が『異界の力』が無効化される空間に入ったらどうなるか?
間違いなく身体能力が格段に落ちる。
下手をすればその場から動けなくなるほど深刻なダメージを負ってしまう者もいるだろう。
そして、特に強い『異界の力』を所持している上級種族が、何の備えもなく『異界の力』が無効化される空間に踏み込んだ場合は?
ほとんどの場合、一歩踏み込んだだけで即死だ。
なので上級種族で『害獣』ハンターや『外区』で働く職に就くものは、ほとんどいない。
一応 無効化の対抗手段がないわけではないのだ。
最もポピュラーな対抗手段は、己の『異界の力』を隠し、無効化の効果をある程度防ぐことができる『異界力遮断マント』を身に着けること。
これだけでもかなり効果がある。
また、厳しい修行で己の中の『異界の力』を極端に制限するというものもある。
他にもいろいろと対抗手段は存在しており、何らかの事情で『外区』に出て行く『人』達は必ずそういった対抗手段を備えて出て行くのが今の世の中の常識だ。
さて、超上級種族である霊狐族の玉藻であるが。
実は彼女、対抗手段を全く持っていない。
と、いうか、今現在、彼女は対抗手段を既に持っていない。
持たないまま、『外区』に出てきてしまっていた。
はっきり言って、霊狐族という種族は、全『人』類の中でも上から数えた方が早いくらい強い『異界の力』を持っているエリート中のエリート種族である。
そして、そのスーパーエリート種族『霊狐族』の中でも、玉藻は特に強い、いや、特に強いとかいうレベルでは最早ない。
半端なくダントツぶっちぎりでめちゃめちゃ強い『異界の力』を持って生まれてきているのである。
そんな自分の身体のことを玉藻はよ~くわかっていた。
多少対抗手段をやったところで、焼け石に水、大して効果なし。
そう自分の中で判断した玉藻は、外へ出て行くという行為そのものを諦め、対抗手段を用意することもしなくなった。
なので、玉藻は二十年の『人』生の中で、『外区』に出たという経験がほぼ皆無。
一応、中学、高校の修学旅行のとき、完全武装のバスに乗ってちょっとだけ『外区』に出たことがあるくらい。
バスの車内から見た、無機物に付着した『異界の力』を食べるという、『人』にはほとんど無害な『労働者』クラスの大いもむし型を見たことがあるが、それが唯一の目撃経験。
そんな玉藻であるから、生まれて初めて『兵士』クラスの『害獣』を目の前にして、現在絶賛びびりまくり中。
大声あげてここから一刻も早く逃げ出したい気分でいっぱい。
しかし、最愛の恋人をここに残して自分一人で逃げるわけにはいかない。
でも、『害獣』怖い。
だが、恋人をここで見捨てるくらいなら死んだほうがまし。
そんな風に心の中で混乱に混乱、葛藤に葛藤を重ねているうちに、心と頭のどこかで歯車がかっちりはまったのか、玉藻は唐突にあることに気がついた。
「あ、あれ? 連夜くん?」
「はい?」
「その『害獣』って、ひょっとしてそこら辺を跳ねているウサギ?」
「ええ、そうですよ。ひょっとして気がついていらっしゃらなかったんですか?」
『害獣』が大人しくされるがままになっていることをいいことに、『害獣』の口を横に広げたり縦に伸ばしたりして遊んでいた連夜だったが、玉藻に声を掛けられてその手を放す。
すると、大きな口が広がっていたせいで見えなかった『害獣』の顔がはっきりと玉藻の前に姿を現す。
ぴょんと伸びた長い耳、にんじんのような赤い目、そして、口から飛び出た二本の長い前歯。
間違いなくあのウサギだった。
「え、え、ええええええっ。このウサギが『害獣』? 見るからに無害そうなのに、このウサギがやっぱり本当にそうなの!?」
「普通は力一杯『有害』ですね」
あらためて力一杯驚き慌てる玉藻に対し、苦笑しながら肩を竦めて見せた連夜は、抱いていたウサギを再び下におろし解放してやる。
ウサギは一瞬、鼻をひくひくさせながらその赤過ぎる真っ赤な眼を二人のほうに向けたが、すぐに興味を失って草原のほうにぴょんぴょん跳んでいってしまった。
しばし、その姿を見送る連夜と玉藻。
片方は脱力して呆然と。
もう片方は、にこやかな表情で片手を小さく振りながら。
『ジャッカル』
『兵士』クラス上級に位置付けられている超危険で極悪な『害獣』。
普通のウサギとほぼ同じ外見的特徴を持ち、唯一サイズが中型犬ほどもあるということを除けば、一般家庭で飼われている愛玩ペット種と見分けはつかない。
流石に近くから彼らの姿を確認した場合はその大きさの違いですぐに判別可能であるが、遠くから一見した状態になってしまうと、彼らと普通のウサギを見分けることは困難である。
しかも始末に悪いことに、彼らの普段の行動パターンは『異界の力』を持つ者が近づかない限り、普通のウサギのそれとほとんど変わらない。
彼らをよく知らない者が彼らを目撃したとしたら、野生のウサギが変異したものと勘違いしてしまうだろう。
だが、勿論それは大きな間違いである。
『異界の力』を持つ者が不用意に彼らの前に姿を晒したその時、あるいは彼らがそれを知覚した時、彼らは彼らの真の姿をあらわにする。
具体的に言うならば、口、そして、前後肢が変化する。
普段小さくすぼめられている口。
普通のウサギ同様に長い前歯が二本かわいらしく見えている口。
それが獲物を前にした瞬間、大きく横へと広がり、前歯は上唇の上にある歯茎の中に収納され、代わりに後ろ側にあるもう一つの口が姿を現す。
そこには人食いサメも顔負けの鋭くも大きな牙がズラリ。
牙の強度、顎の力は半端なく、強化したミスリル合金の鎧ですら簡単に噛み砕いてしまうほど。
そして、もう一つの変化部位、前後肢。
普段見せている姿からは手足は短く見えている。
だが、獲物に襲いかかる寸前、折りたたまれた体の中に隠された部分が外側へと姿を現し、成人に達した野生の狼ほどの長さへと変化する。
それらの前後肢は一見細く見えるが、凄まじい豪力を誇り、一度抑え込まれてしまうと巨人族やトロール族であっても跳ね返すことは困難。
また、前後肢の先には、大ぶりの短剣ほどもある爪が隠されており、牙同様の強度と鋭さを誇る。
ともかく一匹だけでも『騎士』クラスの下級ほどの力を持つのだが、更に厄介な性質が彼らには存在している。
その厄介な性質それは、彼らが常に群れで行動するということである。
しかも二、三匹などという小さなグループではない。
最低でも五十匹、多い群れだと百匹近い大集団で行動するという。
嘘か真か、噂では五百匹に到達するようなとんでもなく巨大な群れもあるらしい。
最早、群れというよりも軍隊そのもの。
彼らによって全滅させられた傭兵旅団は数知れず、数々の歴戦を潜り抜けたベテランの『害獣』ハンターでも彼らと戦うことは避けて通るという。
余談ではあるが、彼らの真の姿である戦闘形態の姿がその名前の由来である。
「僕的には『ジャッカル』よりも『うさちゃん』のほうがしっくりくるんですけどねえ」
「『うさちゃん』かぁ。かわいくていいわねぇ・・って、本性はぜっんぜんかわいくねぇえええええっ!!」
そこらへんでぴょんぴょん跳ねている『ジャッカル』をのんきに追いかけまわしながら説明を続ける連夜。
そんな連夜に対し、玉藻は両手で顔を抑えて真っ青になりながら恐怖の絶叫を放つのだった。
「いやでも、かわいいじゃないですか。ほらほら、むにょ~ん」
再び『ジャッカル』を捕まえて口をびろ~んと広げて見せる連夜。
「ちょ、連夜くんやめて!! 牙!! 牙見えてる!! すっごい怖いってば!! しかも、その子すごい迷惑そうな顔してる!!」
その恐ろしい生態を説明しておきながら、あくまでも無邪気に『ジャッカル』と遊び続ける連夜。
尚も、長い耳をぴこぴこさせたりして遊んでいたが、先程の『ジャッカル』と違いって今捕まえた個体はあまり遊びたくなかったのか、じたばたもがいて連夜の腕から逃れると、一目散に草むらの中に消えて行った。
「あ~あ、いっちゃった。ふもふもして気持ちいいからもうちょっと遊びたかったなぁ」
「お願いだから『害獣』でふもふもするのはやめてちょうだい!! いろいろな意味で精神的負担が物凄いから!!」
「え~、でも・・」
玉藻の言葉に一瞬反論を口にしようとした連夜だったが、相手の目が涙目になっているのに気がついて慌ててそれを飲みこむ。
そして、深い溜息を一つ吐き出して尚も名残惜しそうに草原をぴょんぴょん跳ねている『ジャッカル』のほうを見つめるのだった。
「まったくもう連夜くんは、本当にしょうがないんだから。自分で危険だって言っておきながら、『ふもふも』とか『びろ~ん』とか『なでなで』とかおかしいでしょ!!」
「いや、ほんとに大丈夫なんですって」
「大丈夫? 何が大丈夫なのよ、『害獣』は『異界の力』に反応するのよ!? そんなの子供だって知ってる常識でしょ?」
「でも、僕達には反応しません。だから大丈夫なんです」
「反応しないって、反応しないわけないじゃない!! 私は霊狐族なのよ、『異界の力』の中でも特に強いといわれている『霊力』の保持者なのよ、『害獣』に見つかったら最後、抵抗する間もなく一瞬で殺されてしまうって、長老も先生も言って・・あれ?」
そのとき。
ようやく。
ようやく玉藻は気がついた。
ずっと連夜の言葉は聞いてはいた。
当たり前だ、この世で最も愛しい恋人の言葉を聞き逃したりなど絶対することはない。
だが、入ってきた言葉は今の今まで混乱しきった整理のつかない頭にぼんやり浮かんでいただけだった。
それが今、ようやく玉藻の中で意味を成し、一つの疑問として浮かび上がる。
「なんで?」
大きな目を極限まで見開いた玉藻は草原を跳ねまわるウサギ達や、あちこちで昼寝をしている猫達の姿を呆然として見つめる。
そして、頭の中で生まれた疑問を呟くようにしてポロリと口からこぼした。
「なんで、私、『害獣』に襲われていないの?」
そんな玉藻の呟きは風に乗って運ばれて、恐るべき『害獣』達が闊歩する草原へと流れて行く。
その声はあのウサギの長い耳に、そして、探知に長けたあの猫達の耳に届いていないはずはないのに、彼らの注意は玉藻に向くことはなかった。
滅ぼすべき敵であるはずなのに。
『世界』を滅ぼす悪性腫瘍ともいうべき『異界の力』の保持者であるはずなのに。
倒すべき敵がそこにいるというのに。
彼らはのんきに、あくまでも平和にのどかな風景を作り出し続けている。
しかし、そんな中、たった一人だけ、その声に反応した者の姿があった。
その者は玉藻の横をすり抜けて川岸に歩み寄ると、そこにしゃがみこむ。
「連夜くん?」
「玉藻さんが『害獣』に襲われない、その理由を教えましょうか?」
困惑を隠せないでいる玉藻の目の前で、ゆっくりと流れて行く大河に視線を向けていた連夜。
不意にその顔を玉藻のほうへと向け直した。
玉藻の胸を締め付けずにはいられない、とても・・
とても悲しい笑顔を浮かべて。
「玉藻さんの体にはもう『異界の力』はないんです」
「え?」
「玉藻さんが呪われしケダモノにその身を犯され、純潔を失ってしまったときに、玉藻さんの体内にあった『霊力』は穢れてしまったから」