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真・こことは違うどこかの日常  作者: カブト
過去(高校二年生編)
70/199

第八話 『二人の日常』 その2

 玉藻を横抱きにした状態で器用にショッピングカートを操った連夜は、スーパーの中を凄まじい勢いで走り抜け、ガラス扉越しに外が見える出口付近まできてようやくその足を止めた。

 そこは先程までいた卵売り場のちょうど反対側にある野菜売り場。

 色とりどりの野菜が所狭しと並べられた中、見るからに新鮮そうな丸く大きなキャベツが山積みに展示されている場所の前で玉藻の身体をそっと下におろした連夜。

 乱れた息を整えるために、大きく肩を上下させて深呼吸を繰り返す。

 

「こ、ここまで、来れば、流石に、大丈夫でしょ」


 荒い息を吐きだしながら周囲を見渡した連夜は、誰も追っかけてきていないことを確認して、ほ~~っと大きく深い溜息を吐きだしてがっくり肩を落としたあと、疲れたように自分の膝にその手を置く。

 そんな年下の恋人の姿をしばらく優しい表情で黙って見つめていた玉藻だったが、やがてくすくすと笑いながら近づいて嬉しそうにその腕を取って自分の腕を絡める。

 

「んもう、連夜くんったら、恥ずかしがり屋さんなんだから」


「普通、あれだけの『人』に見られていたら誰だって恥ずかしいです!!」


「え~、私は全然恥ずかしくなかったよぉ~。むしろ、連夜くんの男らしい告白がとっても嬉しかったっていうか」


 先程の羞恥プレイを思い出して再びその顔を真っ赤に染めた連夜は、自分のことを面白そうに見つめる玉藻に盛大に食ってかかる。

 だが、玉藻はそんな年下の彼氏の抗議などどこ吹く風。

 むしろ、温かい眼差しで連夜を見つめ、心から嬉しそうにその唇を愛しい恋人の頬に押し付ける。

 その表情は本当に幸せそのもの。 

 その姿にすっかり毒気を抜かれてしまった連夜は、なんとも言えない情けない表情で玉藻を見つめていたが、結局、最後には苦笑を浮かべて首を二つほど横に振る。

 そして、降参ですとばかりに両手を挙げて見せたあと、そのまま肩をすくめるのだった。

   

「本当にかなわないな~。でもまあ、玉藻さんに喜んでもらえたんだから、よかったとすべきなのかな」


「もう、私が遊びでああいうこと言わせたと思ってるの?」


「違うんですか?」


 疑わしそうに見つめる連夜に対し、玉藻は一瞬慌てたように顔を背けてみせる。

 その後そのまま顔を下に向けて、なんともバツが悪そうに両手の指をちょんちょんと突き合わせて身体をくねらせていたが、次第にその黄金の瞳には真剣な光が。 


「まあその、全然遊びじゃなかったって言えばウソになるけどぉ~。でもでも、本当に連夜くんに言って欲しかったんだからね!!」


「でも、僕、二人っきりの時には結構口にしていると思うんですけど」


「うん、それはわかってる。連夜くん、二人っきりの時はちゃんと口にしてくれるよね。『好きだ』って。『愛してる』って。『玉藻さんだけです』って。でもでも、毎日でも聞いていたいんだもん。そうしないと不安になっちゃうんだもん」


「ふ、不安って何がですか? 僕、何か玉藻さんにひどいことしましたか?」


「そうじゃないけど」


「けど、なんなんですか? 言ってください、玉藻さん。もし僕に改善できることなら改善しますから」


 今にも泣きだしそうな本当に不安そうな表情。

 そんな玉藻の顔を見ているのが辛くて、連夜は真摯な表情で玉藻の身体をそっと抱きしめて覗きこむ。

 すると、玉藻は一瞬躊躇する気配を見せたが、連夜の真剣な色が浮かぶ瞳に促されて口をゆっくりと開いた。 


「だって、連夜くんって」


「僕が? なんですか?」


「すっごいモテそうだから。私のこといつか捨てちゃうんじゃないかって。ときどき不安になるんだもん」


「はぁっ!?」


 いつもの冗談かと思った。

 玉藻は年下の彼氏をからかうのが物凄く好きだ。 

 特に恋愛経験がほぼゼロの連夜が、玉藻の言動でいいように翻弄される姿を見るのが何よりも好きという困った悪癖がある。

 だから、これもそれの一種だなと連夜は一瞬思った。

 だが、すぐにその認識を否定さぜるを得ない証拠を見つけてしまう。

 玉藻の黄金の瞳に、本物の恐怖が映っていたからだ。


「いやいやいや、そんなバカな。そんなこと誰からも一回も言われたことないですし、モテたこともありませんよ。そもそも、玉藻さんが生まれて初めてできた恋人ですのに」


「ウソっ!!」


「嘘じゃありませんて。本当に玉藻さんが初めての『恋人』です。それまで女の子と付き合ったことなんて一度たりともありませんよ」


 連夜の言葉に対し、玉藻は物凄い疑惑の眼差しを向け続ける。


『どんな嘘も見逃さないし、絶対に誤魔化されないんだから!!』


 口には出さないが、玉藻のそういう意思が痛いほど伝わってくる。

 しかし、連夜にしてみれば今のところ疾しいところが全くないし、心当たりもないので、ただただ戸惑うばかり。

 そうして、怒ったような顔と、片方は困ったような顔のにらめっこが延々と続いたが、やがて、怒ったような顔をしていたほうが、不意に肩の力を抜いて瞳から疑惑の光を消した。


「やっぱりほんとなの? 本当に私が初めて?」


「こんなことで嘘ついてどうするんですか。それに、僕、いつも言っていますよね? ず~っと玉藻さんのことだけしか見てなかったって」


「だ、だってぇ~~」


 物凄く不満そうな、困惑しきったような複雑な表情で呟く連夜の言葉を聞いた玉藻は、いそいそとその側に近寄って横から抱きつく。

 そして、『人』の顔から白地に赤いくまどり模様のある『狐』の顔に変化すると、甘えるように連夜の顔を舐めるのだった。


「い、一週間に多くて三日、少ないと二日しか会えないんだもん。その間に他の女に言い寄られてやしないか、誑かされてやしないか心配で心配で」


「ありませんから、そんなこと。そもそも、玉藻さんのほうがモテるじゃないですか。大学と言わず、普通に外を歩いているだけで『男』達に囲まれっぱなしで。捨てられるとしたら僕のほうでしょうに」


「す、捨てたりしないわよ、バカッ!! 私がそんなことするわけないでしょ!? 本当にそんなこと疑ってるの!?」


 あまりにもありえないことで嫉妬されたことに驚いて、ついつい本音をポロッと出してしまった連夜。

 それを耳敏く聞きつけた玉藻は、『狐』というよりも『般若』のような顔になって烈火の如く怒る。


「いや、だって、玉藻さんて、誰が見ても顔もスタイルもいいし、頭もいいし性格もいいし、武術の腕も凄いし、相手なんてそれこそ選びたい放題に選べるでしょ? 僕なんかいつ捨てられても不思議じゃないよなあって、思ってました」


「ええっ!?」


 凄まじいばかりの剣幕で詰め寄ってくる玉藻の大迫力に圧倒されっぱなしの連夜。

 しかし、もう怒られるんだったらこの際とことん怒られようと腹をくくり、普段思っている本当の気持ちを吐きだすことにする。

 出来すぎる恋人を持つが故の不安。

 それを口にした連夜であったが、今度は玉藻がぽか~んとする番であった。


「え、選びたい放題って。あのね、連夜くん」


 疲れたような、いや、疲れきった表情でやれやれと首を横に振って深い溜息を吐きだした玉藻。

 片手を額にあてて下を向き、しばらく考え込む。

 目の前にいる年下の恋人になんと言ったものかと悩んでいたが、やがてゆっくりとその顔をあげた。

  

「私の周囲に群がってくる男達なんてね、私の肉体(からだ)目当ての馬鹿ばっかりよ。はっきり言って気持ち悪くて怖気が走るわ。そんなものを選び放題と言われても、どれ一つとして選びたくないの。それにもう私は、私に一番合った『人』を選び出したんだから、今更選び直す必要なんか全くないし、選び直すわけないでしょ」


 すっと連夜の後ろに近づき、背後からぎゅっとその身体を抱きしめた玉藻は、『狐』の顔を連夜の顔にこすりつける。

  

「だいたいね、私よりも連夜くんのほうがよっぽど心配だし油断できないわよ。私に言い寄ってくるのは私の外見にしか興味のないバカばっかりだけど、連夜くんに言い寄って来そうな女の子のって、連夜くんのいいところをきっちりわかっていそうなんだもの」


「いいところって、僕にいいところなんて特にありませんよ」


「あるわよ!! いっぱいあるじゃない!! プロのハウスキーパーさん以上に家事全般できるってこともそうだけど、それ以外にもびっくりするくらいいろいろな技術を身につけているし、大学の教授並に知識は豊富で頭はいいし、なによりも物凄く優しいし。あ~、やっぱり心配だわ。連夜くんにその気がなくても、性質の悪い虫がぶんぶん飛んできてまとわりついてきそう。いい、連夜くん、他の女に気を許しちゃダメだからね、絶対絶対だめなんだからね!!」


 涙目になった状態で盛大に喚き散らす玉藻。

 そんな玉藻をぼんやりと見つめ続ける連夜は、なんだか自分の思っていた状況と全く逆だなあなんてことをのんびりと考えながら苦笑浮かべる。

 そうして、しばらくの間半泣き状態の玉藻をやんわりと宥めていた連夜であったが、先程と同じようにだんだん人の目がこちらに向いてきていることを感じて、慌てて玉藻に提案する。


「た、玉藻さん、一時休戦しましょう。また、人の目が集まってきていますし。この続きは帰ってからということに」


「む、連夜くん、逃げる気?」


「逃げませんよ。でも、心配だったら捕虜が逃げないように側で見張っててください」


 すっと片腕を差し出す連夜。

 『狐』はしばらくなんとも言えない表情で差し出された腕を見つめていたが、本当にしぶしぶ、他に方法がないから仕方なくという表情で自分の腕をからませる。


「も、もうしょうがないわね。今回だけは誤魔化されてあげるわよ。本当にもう仕方なくなんだからね」


「ありがとうございます」


 物凄い不機嫌な表情に怒ったような声の玉藻。

 そんな玉藻の仏頂面に対して、嬉しそうに視線を向けてぺこっと一礼した連夜だったが、ふと何かに気がついて、頭を下げたまた視線をある方向に向ける。

 すると形のいいお尻から飛び出た三本の尻尾が、嬉しさ全開で扇風機のように高速回転を繰り返しているのが見えた。

 思わず噴き出しそうになる連夜だったが、なんとかそれを飲みこんでお腹の中で押しつぶす。 

 そんな連夜の様子に気がついていない玉藻は、まだ気付かれていないと思ったまま不機嫌そうな表情のまま年下の恋人に声をかける。


「ほ、ほら、まだ買い物残っているんでしょ? あとは何を買うの?」


「え? ああ、まだいろいろとあるんですけど、とりあえずちょうどいいからキャベツを買っていきますね。できるだけ早く終わらせるつもりですけどもうちょっと付き合ってもらっていいですか? もし退屈だったら先に御家に帰ってもらって待ってていただいてもいいですけど」


「いいわよ、いいわよ。どうせ、先に帰ってもやることないし、連夜くんを待ってる間、一人で寂しいだけだから一緒にいる」


 あっというまにまた元の甘えん坊バージョンに戻ってしまった玉藻。

 自分の寂しさをこれでもかと訴えかけるように瞳をうるうるさせながらぴとっと連夜の身体にくっつく。


「じゃあ、お言葉に甘えてもうちょっと買い物させてもらいます」


「うんうん、私のことは気にしないでゆっくりお買い物してね」


 玉藻の返事ににっこりと穏やかな笑みを浮かべて見せた後、連夜はさっきの爆走で乱れてしまったショッピングカートの中へと視線を向ける。

 手早くカートの商品をもう一度奇麗に整理整頓し、他の商品が十分積み込めるくらいの隙間をあっというまに作り出した後、目の前にあるキャベツの山へと改めて視線を移し直した。

 山積みキャベツのコーナーの前には『今が旬!! 春夏秋冬キャベツ 本日大特価!!』のパネル。

 それを見て、自分の目当ての商品であることを確認した連夜は、玉藻に腕組みをさせたまま山積みのキャベツに近づき、それを一つずつとって状態の良し悪しを選別し始める。

 一つ一つを手に取っては、重さや葉っぱの状態を熱心に観察し続ける連夜。

 そんな連夜の様子を、横に立つ玉藻は飽きることく優しい表情で見続ける。

 元々玉藻が目立つ容姿であるということもあるが、傍から見ると身長差はかなりある。

 しかも、玉藻が一流モデルや有名女優なんか目じゃないくらいの超絶美女であるのに対し、横に立つ連夜はと言えば、意識しなければ群衆の中にあっというまに埋没してしまいそうなほど平平凡凡な普通の少年。

 二人の間にそびえたつギャップの壁は、誰が見ても凄まじく高く分厚いものがあり、誰がどう見ても超絶にバランスが悪い、めちゃくちゃ悪い。


 はずなのであるが。

 

 その二人が醸し出している温かくも穏やかな雰囲気が不思議とみる者を納得させてしまう。

 どうみてもバランスが悪い、いや悪すぎるカップルが、とてもお似合いに見えてしまうのだ。 

 一生懸命買い物をしている小さな彼氏と、それを温かく見守っている背の高い年上の彼女。

 デコボコではあるが仲の良いとても不思議なカップルの姿に、周囲の人達は次第に目を奪われていった。


「う〜ん、どれもいまいちだなぁ。別に虫が食っているのとかはいいんだけど、どうも大きすぎるのが気になるなあ」


 再び自分達に視線が集まり始めていることに全く気がつかないままに、目の前のキャベツを選定することに熱中し続ける連夜。

 どうにも自分が納得できるものがなく、顔を顰めてしきりに唸り声をあげながら両手に持つキャベツに難しい視線を向ける。


「大きいといけないの?」


「いや、いけないことはないんですけどね。『春夏秋冬キャベツ』は小さくてしっかりした包み状になってるやつほど糖分が高くて甘いんですよ」


「へ~。そうなんだ」


「そうなんです。今日は『回鍋肉(ホイコーロー)』にしようと思っているんで、できるだけ新鮮で質のいいのがほしいんですけどねぇ」


「おお!! 私、『回鍋肉(ホイコーロー)』大好き!!」


 横で素直に喜ぶ玉藻。

 そんな玉藻を連夜は穏やかな笑みを浮かべて見つめる。


「玉藻さん、ほんと『上華帝国』料理好きですものねえ。餃子とか、春巻とか、シュウマイとか、レバニラ炒めとか、麻婆茄子とか」


「うんうん、どれも大好き!! いや、連夜くんがつくってくれる料理は大概なんでも好きなんだけどね。でもでも、特に東方諸国料理シリーズはどれも好きね。『八幡朝廷』料理の寿司とか、『上華帝国』料理の炒め物なんかは特に好き!! そうだ、連夜くんが作ってくれる特製チャーハンも大好きよ!! 同じくらい天津飯も好きだけど。今日はどちらかあるのかな?」


「チャーハンを作る予定ですよ。『回鍋肉(ホイコーロー)』がありますから、あまりこってりしてなくてあっさりしたチャーハンにするつもりです。そうですね、ネギとカマボコと卵を入れて、最後にかつおぶしをかけた『八幡(はちまん)』風チャーハンにしようかな」


「おお!! あれおいしいよね!! そっか、『回鍋肉(ホイコーロー)』と『八幡(はちまん)』風チャーハンかあ。となると」


 夕食の献立が自分の大好物だと知った玉藻は、じゅるりと盛大に生唾を飲み込んだあと、何かを期待するような、それでいて、懇願するよう物凄く甘えきった視線を連夜へと向ける。

 そんな玉藻の姿をちらりと横目で見て確認した連夜は、すぐにその視線の意味を正確に把握したのであるが、何故か微妙な表情を浮かべるとわざとらしく顔を背けて玉藻の顔をそれ以上見ないようにしてしまう。


「ねぇねぇ、連夜くん?」


「キャベツは買ったし、あと豚肉とかつお節かな。かまぼこは霊蔵庫に中にあったし、卵はさっき買ったものね」


「ねぇねぇ、連夜くん?」


「さぁさぁ、次行きましょうかね。次」


「もうっ!! 聞こえないふりしちゃダメっ!! ビール、買ってもいい? ねぇねぇ、ビールビール。いいでしょう? 『回鍋肉(ホイコーロー)』と『八幡(はちまん)』風チャーハンがあるのに、ビールを飲めないのは絶対にやだあああああ」


「・・」


 どこかのわがまま幼稚園児のように、ぷうっとふぐのように頬を膨らませて連夜の腕にぶらさがる玉藻。

 そんな玉藻の姿を疲れたような表情で見つめた連夜は、胸のうちにたまっている何かを言葉にして吐き出すべく口を開こうとした。

 だが、玉藻の涙目になった眼を見ては口を閉ざし、その後なんとか自分を鼓舞しては口を開こうとするのだが、また最愛の恋人の悲しそうな表情を見ては口を閉ざす。

 そんなことを延々と繰り返していた連夜であったが、結局最後に言葉にしたのは。


「三本だけですよ」


「五本!!」


「え~~」


「五本ったら、五本!! 五本じゃなきゃ、やだやだやだやだやだ~~!!」


 まるっきり子供そのものに地団太を踏んで喚き散らす玉藻。

 その様子をすっかり呆れ果てた表情で見つめていた連夜であったが、玉藻のあまりの抵抗ぶりにとうとう根負けしてがっくりと肩を落とす。


「もう~~、太っても僕は知りませんからね!!」


「やったあああっ!! ビール! ビール!」


 最愛の恋人の許可を勝ち取った玉藻は、その場で何度も飛び跳ねて身体全体で喜びを表現する。

 その後、苦笑を浮かべている連夜をその場に残し、いずこかへと走り去って行った。


「あれ? ちょっと、玉藻さん? どこへ?」


 連夜がそれに気がついて声を掛けようとしたときには、もうその姿はなく、連夜は呆気に取られてその場に立っていたのであるが。

 ほどなくして。


「ただいま~!!」


「うわっ、びっくりした!!」


 今、見送ったばかりの玉藻の声が背後から聞こえてきたことに驚く連夜。

 振り向くとやたら嬉しそうな表情をした玉藻が、両手いっぱいに抱えた何かをどさどさとカートの中に放り込んでいる姿が見えた。

 いったい何を入れているのかと、視線を下に向けた途端、連夜の顔が強張って固まる。


「ちょ、玉藻さん、これはいったいなんですか!?」


「ビールよ。あ、先に言っておくけどちゃんと約束を守って五本しか買ってないんだから。偉いでしょ。えっへん、ぷい」


 服の上からでもはっきりとその大きさ形の良さのわかる胸をこれでもかと見せつけるようにして突きだして、鼻息荒く会心のどや顔をしてみせる玉藻、

 そんな得意絶頂状態にある玉藻と、カートの中の惨状を交互に見つめていた連夜だったが、最終的になんとも言えない情けなさそうな表情になると、カートの中に山積みされた酒の缶の中からいくつかを取り、それを玉藻のほうへ見せつけるようにつきだす。


「これはなんですか?」


「チューハイ」


「これはなんですか?」


「発泡酒」


「これは?」


「カクテル」


「これは?」


「ワイン」


「他にもいっぱい種類ありますけど全部お酒ですよね」


「うん!!」


 完全に引き攣った笑顔を浮かべて問いかける連夜と、心から嬉しそうな満面の笑みで答える玉藻。

 対峙する二つの笑み。

 

「つ、つまり、『今日の晩御飯は酒のつまみに最高だから、とことん飲むわよ!!』ってことですか?」


「おぅいぇ~。ざっつらいっ!!」


 ビシッと親指を突き出した拳を連夜のほうに突き出し、片目をつぶりながらぺろっとかわいらしく舌を出して見せる玉藻。

 もう、これ以上の幸せはないぜと言わんばかりに、今、玉藻の笑顔は最高潮に輝いていた。

 そんな玉藻の様子をひくひくと頬を引き攣らせて見つめる連夜。

 盛大にお説教してやろうかと思ったが、指摘したとしても、恐らく相手はビールのことしか約束していないというのが目に見えていた。

 しかも、ビールに関しては取り決め通りきっちり五本しか持ってきていないし。


 一応、霊狐族や妖狐族をはじめとする狐獣人系の種族は異様に酒に強い種族であることで知られている。

 恐らく先祖代々の宴会好きの遺伝子が子孫達に受け継がれているためと思われるが、その例にもれず玉藻も酒にかなり強い体質なのである。

 家中が酒の空き缶でいっぱいになるほど毎日毎日ミネルヴァ達と宴会を繰り広げても、ある程度大丈夫なのはその体質のおかげであることはまず間違いはない。


 ・・間違いはないのだが。


 彼女はうわばみというほど飲めるわけではないし、飲みすぎるとすぐに吐いてしまう程度には弱いのである。

 元々はそれほど酒が好きだったとわけではなく、姉ミネルヴァに強引に付き合わされて飲むようになった玉藻。

 連夜と付き合うまでは特別酒が好きだったわけではなかったのだが、一緒に夕食を取るようになってから、日に日にその酒量が増えている気がするのだ。

 どうも原因は自分にあるのだと薄々感じているし、玉藻の身体の為にも是非とも摂生してほしいところなのだが。

 

(近いうちになんとか原因を探り出して根本的に解決しないとなあ)

 

 そう思って心の中で深い溜息を吐きだす連夜。

 とりあえずは、今日をなんとかしなければと、頭を切り替えて玉藻の酒を封じる方法について考え始める。

 う~んと頭をひねって考えること三分ほど。

 『ぴこ~ん』と、何かが閃いた連夜。

 未だに勝利の笑顔を浮かべ続けている玉藻のほうに視線を向けると、それに負けないくらいの実に清々しい笑顔を浮かべて見せる。


「た~ま~も~さん」


「え、な、なに? どうしたの連夜くん? う、なに、その邪悪な笑み」


 異様ににこにこしている年下の姿に気がついた玉藻。

 彼の身体全体からあふれ出る邪悪な気配に思わず慄き、無意識に一歩足を退いてしまうのだった。

 しかし、そんな玉藻の姿を見ても連夜は全然気を悪くしたようすもなく、むしろその邪悪な笑みを深めるととんでもないことを宣言する。 


「突然ですが」


「え? え?」

 

「晩御飯のメニューを変更します」


「え?」


「うどんにしま~す!!」


「えっ、えええええっ!?」

   

 連夜の思わぬ反撃にたまらず悲鳴をあげる玉藻。

 だが、そんな玉藻の姿をわざと見ないようにした連夜は、踊るような足取りで軽やかに麺類のコーナーへと移動。

 さっさと某有名食品会社のうどんを三玉手に取ってカートの中に入れる。

 その後、必要な調味料や生活雑貨をさっさと選んでカートに入れた連夜は、もうここには用はないとばかりにレジへと向かいだした。


「ネギはあったし、油揚げもありましたしねえ。かまぼこはもともとあるし、よしよし、材料に不安はありませんね」


 ルンルンと鼻歌交じりに、上機嫌な様子でスキップするように進んで行く連夜。

 そんな年下の恋人の姿を呆気に取られて見つめていた玉藻であったが、しばらくしてから我に返ると、ダッシュで後を追いかける。

 そして、その背後からガシッと組みついて強引にその動きを止めると、いやんいやんと身体全体で猛抗議を開始するのだった。


「やだやだやだ、連夜くん、ちょっと待って、ストップ、ぷり~ず!!」


「連夜は急に止まれません。あしからずご了承ください」


「何言ってるのよ、どこの車なのよ、ちゃんと止まってよ、安全運転が大事でしょ!! って、そうじゃなくてメニューに不満がありますですよ、コック長様!! うどんはないっすよ、うどんは!! それはないでありんすよぉぉぉっ!!」


「大丈夫です。ちゃんと玉藻さんの大好きな狐うどんにしますから。油揚げの大きいのいれますからね」


「やった~、油揚げ油揚げ!! ・・って、違うでしょ!? そういう問題じゃないでしょ!?」


「あれ? きざみうどんのほうがよかったでしたっけ?」


「う~ん、きざみうどんのほうが汁をよく吸ってくれるけど、普通のきつねうどんも捨てがたいなあ。 ・・って、そういう意味じゃなくて、きつねうどんもきざみうどんも根本的にはどっちも同じでしょうが!!」


「わかりました。じゃあ、玉藻さんのうどんには卵もいれますから」


「うんうん、月見風きつねうどんもいいわよね。 って、ちっが~~う!! なんで? なんでうどんなの?」


「いや、たまにはあっさりしたもののほうがいいかなと思いまして。でも、誤解しないでほしいんですが、決して、『うどんで、ビールのがぶ飲みはしないよね、くふふ』なんて性格の悪いことを考えてメニューを変更したわけではないんですよ、ええ。玉藻さん、麺類お好きだったでしょ? このまえ美味しいうどんの汁の作り方を父に教えてもらったところでして、試してみようと思っていたんですよ。かなり美味しいので是非玉藻さんに召し上がっていただきたくて。あ、そうそう、今日買うことになるビールとお酒は一緒に飲んでいただいていいですからね。『うどんの汁とビールとお酒でお腹の中ざぶざぶになっちゃうかも、ぷぷ』なんて絶対思ってませんから、どうぞ遠慮なく飲んじゃってください」


 梅雨明けの夏空のような実に爽やかな笑顔と対照的に、連夜の口からは『お腹の中は真っ黒です』と言わんばかりの言葉が紡ぎだされる。

 そんな連夜の姿を呆気に取られたように呆然と見つめ続ける玉藻。


 二人は見事なまでに対照的な表情でレジの前に並ぶ。

 誰がどう見ても、勝者と敗者ははっきりしていた。  


 もはや逆転は不可能。

 

 二人のやりとりを興味深そうに見つめていた野次馬達の誰もがそう思った。


 だが、ここで玉藻は伝家の宝刀を引き抜く。


 絶対無敵、必殺必中の玉藻最大の奥義!!

 

 玉藻は物凄く寂しそうな表情をわざと作り出すと、連夜のシャツを後ろからちょっと引っ張って注意を引かせる。

 まだ前にレジ待ちの客が二人ほどいることを確認してから後ろに振り向いた連夜は、迂闊に振り向いてしまったことを大いに後悔した。


(し、しまったああああ!!)


 心の中で盛大に絶叫する連夜。

 彼の目の前には、瞳を真っ赤に晴らして瞳を潤ませ、今にも泣き出しそうな表情になった玉藻の姿。


(や、やヴぁ~い!! この展開は!!)


 相手の作戦を瞬時に悟った連夜。  

 なんとか相手にその作戦を行わせないために口を開きかけるのだったが、そのときには最早手遅れ。

 ちらちらと顔を下に向けたり上に向けたりを繰り返しながら、如何にも『私が悪かったの』的な雰囲気を連夜にぶつけてきつつ、玉藻は連夜を一撃で沈める必殺の言葉を紡ぎ出すのだった。


「連夜くん、ごめんなさい。お、お酒全部もどしてくるから、ビールだけにするから。『回鍋肉(ホイコーロー)』と『八幡(はちまん)』風チャーハン作って。お願い。それともだめ・・かな?」


 本当に心から反省していますといわんばかりの声、表情。

 そして、トドメと言わんばかりに、ほろりと流れる一筋の涙。


 完璧だった。

 連夜を屈伏させる見事なまでに完全完璧な連続攻撃。

 

 ただでさえ年上の恋人に対して激よわの連夜。

 この必殺攻撃を跳ね返すだけの力も覇気もあるはずもなく、がっくりと肩を落とした連夜は力なく頷くしかできなかった。


「わかりました。じゃあ、今日は玉藻さんのご希望通り、『回鍋肉(ホイコーロー)』と『八幡(はちまん)』風チャーハン作ります」


「ほんと?」


「ほんとですよ」


「嘘つかない?」


「嘘じゃありませんよ」


「うどんじゃないよね?」


「うどんはまた今度にします」


「ヨッシャアアアアッ!!」


 しつこいまでに連夜に念を押し、今日の晩御飯が再び自分の大好物へと変更されたことを確認した玉藻。

 あっというまに涙を引っこめると会心の笑みを浮かべて勝利の雄叫びをあげるのだった。


「本当にもう玉藻さんはズルイんだから」


「えへへ、連夜くんごめんね」


 自分の周囲を跳ねまわりながら喜びを表現する玉藻。

 そんな玉藻を呆れたように見つめていた連夜だったが、深い溜息を吐きだしたあと何とも言えない苦笑を浮かべてみせる。


「もういいですけど、ビール以外のお酒はちゃんと返してきてくださいね」


 カートからビール以外の酒の缶を全部取り出して玉藻に渡す連夜。

 玉藻は、てへへとバツが悪そうにそれらを受け取ると、またもや物凄い勢いで店内へと走っていった。

 やれやれといった表情でそれを見送った連夜だったが、レジの順番が回ってきたことに気づきカートを前へと進める。



「しかし、み~ちゃんとは一度本気で話をしないといけないよなあ。二十歳になったばかりだっていうのにあの調子で飲み続けていたら、アルコール依存症か、成人病になっちゃうよ。本当にみ~ちゃんは、もう」

 

「連夜くん、一人で何ブツブツ言ってるの?」


「うわっ、びっくりした!! た、玉藻さん、こっそり背後に立たないでくださいってば」


「えへへ、ごめんごめん。それよりも連夜くん、早くかえろ~。お腹すいちゃった~」


「はいはい、じゃあ、帰りましょうか」


 


 ありふれた日常。

 ありふれた毎日。

 

 二人の日常は続いていく。





















「あ、そうだ。玉藻さん」


「な~に?」


 ずらりと並ぶレジ待ちの列の一番後ろに並んだ連夜は、腕をからめて嬉しそうに寄り添ってくる玉藻に顔を向ける。


「明日なんですけど、お暇ですか?」


「あったりまじゃない。というか、明日も当然一緒にいる過ごすものだと思っていたんだけど、違うの?」


 今にも泣き出しそうなくらいにみるみる表情を曇らせる玉藻に、連夜はあわてて手と首を横に振って見せる。


「いやいやいや。勿論、僕としては常に玉藻さんの御側にいたいですけど、一応、その玉藻さんのご都合も聞かないといけないかなって」


「そんなの聞かなくていいって。むしろ、デフォルトで四六時中一緒にいてほしいくらいなのに。ともかく明日も、明後日もそのまた次も、全然空いてる。ってか、連夜くんの為ならいつでも予定を空けるわ!!」


 力いっぱい握り拳を固めながら力説する恋人の姿を、なんともいえない苦笑を浮かべて見つめる連夜。


「いや、流石に平日学校があるときはまずいですって。お互いまだ学生ですし」


「まあ、そうなんだけどさ」


「とりあえず、明日なんですが、ちょっと、僕に付き合っていただいていいですか?」


「え? 何? デート? 久しぶりにお出掛け?」


「まあ、そうですね。ちょっと変わったところではあるんですが、是非玉藻さんに見ておいてほしいというか」


 変わらぬ穏やかな表情。

 しかし、年下の恋人がいつになく真剣な眼差しで自分を見つめていることに気がついた玉藻は、絡めていた腕をいったん離すと、その小さな体を包み込むようにして抱きしめる。

 そして、他の者には決して見せない実に優しい表情を浮かべて最愛の恋人を見つめるのだった。


「連夜くんが連れて行ってくれるところなら、どこにだって喜んでついていくわよ」


「そうですか。じゃあ、明日はよろしくお願いいたします」


「うん、よろしくね。って、とりあえず、今日これからのことも忘れないでね」


「勿論です」


 にっこりと笑いあう二人。


 しかし、このとき玉藻は知らなかった。

 明日連れて行かれる場所が、彼女の予想だにしないとんでもない場所であることを。

 そして、そこで彼女の年下の恋人の重大な過去を知ることになることを。

 このときの玉藻は知る由もなかったのである。 

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