第六話 『仲間達』
連夜の言葉にクリスとアルテミスは驚愕の絶叫を放ち、同時にまじまじと食べかけのパフェに視線を移す。しかし、器の中に入っている黒い液体はどう見てもチョコレートにしか見えず、二人は怪訝な表情を浮かべてお互いを見つめあう。
「ど、どうみてもチョコレートにしか見えないんだが・・アルテミス、味はどうなんだ?」
「い、いやあの、私もチョコレートだと思って食べていたんだけど・・言われて見ると確かにチョコレートと比べると若干味が違うかもしれない」
「違う? どう違うんだ?」
「基本的に甘いんだけど、なんだかほのかに後味が酸っぱい気がするのよ。いや、気のせいかもしれないんだけどね、ほんとに若干で、意識しないとわからない程度なんだけど」
「どれ?」
アルテミスの言葉を聞いて、クリスがパフェの黒い部分を指で少しすくってなめてみる。そうしてしばらくの間口をもごもごとさせて中の味を確認していたクリスだったが、やがて腕組をしてしばらく何かを考え込む。そして、難しい顔を解くと、わからなかった何かが閃いたといわんばかりに表情を輝かせて連夜とアルテミスを交互に見て口を開いた。
「これ・・黒酢じゃねぇか!?」
「ええええっ!? く、黒酢!? まさかあっ」
クリスの出した答えが信じられず、アルテミスは苦笑を浮かべて連夜のほうを見つめるが、連夜はニヤリと笑って二人に頷いてみせる。
「正解。よくわかったね」
「「えええええっ!? やっぱり黒酢なのっ!?」
「うん、勿論ただの黒酢じゃないけどね。東方の玄武族に伝わる秘伝の黒酢なんだよね。酸味がほとんどなく甘味と旨味がすごく強いんだ。勿論、糖分はほとんどないんだよ。健康にも美容にも非常にいいんだ」
「え、え、でも、チョコレートパフェだって・・」
「僕は一言もチョコレートパフェだとは言ってないはずだけど」
「ちょっと待て、じゃあこのパフェはなんなんだ?」
「僕特製のジャンボヘルシーパフェだよ」
「「ヘルシーパフェ!?」」
連夜の口から出た予想だにしなかったパフェの名称に、しばし固まる二人。しかし、アルテミスよりも若干早く回復したクリスは、何かに気がついたようにアルテミスから器をひったくって奪い取ると、一つ一つの食材を少しずつスプーンですくって食べてみる。
そして、それらを一通り食べた後、驚愕の表情で連夜に視線を移す。
「おまえ、これ、全部、フェイクかよ。すげえな、おい」
「え! え? クリスいったいどういうこと? フェイクって何が?」
「全部、全部だよ!! このパフェを構成している全てのものが全部よく似せてあるけど違うもの、全く別のものなんだよ!!」
「ええええええっ!?」
「これ、クッキーに見えるけどクッキーじゃない!! 味も確かにクッキーに似せてあるけど違う、なんだこれ。う~~ん、わからないけど、なんか『おから』みたいな感じがするな、これ。それにこのクリーム。クリームにしては触感がありすぎる。甘味はしっかりあるけど、どことなく砂糖とかの甘味じゃないんだよなあ・・種類はわからんが豆腐か何かかな。それからこれらのフルーツ。イチゴとか、バナナとか、見た目完全にそうとしか見えないけど、なんか違う。本物と微妙に味が違う・・いや、微妙じゃねぇな、多分、このかけてある黒酢とか、入っているシロップらしきもので本来の味をわからなくしてあるだけで、実際は全然違う味なんじゃないか? そう言えば、南方にこういうフルーツによく似た野菜があるって聞いたことがあるんだが」
「そ、そんなバカなことあるわけないじゃない。クッキーやクリームはともかく、どうみてもこれイチゴやキウイやオレンジやバナナだよ? 野菜だなんて、そんな・・あれ? でも、あれ? あれれ? な、なんかやっぱり味が違うような・・だけどそんな・・ねえ、連夜、本当にクリスの言う通りなの?」
手にしたガラスの器の外側から見えている食材の数々を一つ一つ指し示しながら解説してみせるクリスだったが、その言葉がどうしても信じられないアルテミスは、何度もパフェの中身をすくって口に含んでみる。だが、クリスの言う通りどこか味が違う。しかし、見た目はどうみても普通のフルーツ。混乱する頭のまま、アルテミスは横に立つこのパフェの製作者である連夜のほうに視線を向けて問いかける。
すると連夜はアルテミスのほうをいたずらっぽく見つめたあと、すぐにクリスのほうへと視線を移し賞賛の色を隠そうともせずにぱちぱちと拍手で応えた。
「そうだよ、アルテミス。その通り、そのパフェの中身はクリスの言う通り見た目とは違うものばかりなんだ。しかし、すごいな、クリスは。中身ほとんどあてられちゃったよ。ほぼ正解だよ。よくわかったね」
「えええええええ、じゃ、じゃあ、これ全部ニセモノなのおおっ!?」
連夜とパフェを交互に見つめながら驚愕の絶叫をあげるアルテミス。
「そそ、中身については、あらためて説明する必要ないかもしれないけど、一応言っておくね。ほぼクリスの言う通りなんだ。クッキーに見えるものは豆腐を作る工程ででる『おから』、それをね、西域屋敷妖精族の秘伝の製法で乾燥させて固めたもの。クリームのように見えているそれはね、やっぱりクリスの言う通り豆腐なんだよね。旧上華帝国の宮廷料理の一つでね、美容にめちゃくちゃうるさかったある皇妃様が考案させた料理らしいんだけど、ある独特の製法で作りだした『西王母豆腐』っていう豆腐をね、龍族に伝わる製法で崩してクリーム状にしたものなんだ。元々の材料になってる『西王母豆腐』っていうのがすっごい甘くてクリーミィだから、甘味を足したりはしてないよ。それから中に入っているゼリーに見えるものは、『白玉コンニャク』ね。説明いらないと思うけど、コンニャクだから、勿論カロリーはゼロ。で、一番二人が気になっているのがフルーツだと思うんだけど。そうなんだよ、それもフルーツじゃないんだよ。かといって野菜かっていうとちょっとそれも違うかな。それね、サボテンなんだ」
「「さ、サボテン!? これが!?」」
「そうなんだ。はるか西南にある地域で品種改良されたものなんだけど、そもそも、このサボテンの発祥の地ってね、見渡す限りの荒野らしいんだよね。で、植物らしい植物をほとんど育てることができなくて、育つ植物といえばサボテンくらい。幸い、荒野には食料になる動物がたくさんいるらしいんだけど、だからって、肉ばかり食べるわけにはいかないじゃない。それで、現地の『人』達は苦労に苦労を重ねて唯一育つサボテンを改良し続けたらしいんだ。で、五百年という気が遠くなるような歳月を現地の『人』々は努力し続けて、その結果、実に様々なサボテンが生みだされることになった。その中のいくつかが、これ、『フルーツサボテン』。見たとおり、オレンジや、キウイや、バナナに酷似した姿形をした果肉をしているけど、元々の姿は間違いなくサボテンなんだよね。とげとげがいっぱいついたあの姿の、外側をきれいに剥き取るとこうなるわけ。いや、『人』って本当にすごいよねえ。味とかは流石に本物には遠く及ばないけど、元々がサボテンだからか、クリームとかシロップとかをかけるとスポンジみたいにその味を吸収しちゃうんだよ。クリスが言った通り本来の味は野菜に近いんだ」
連夜の説明をただただ呆然と聞き続ける二人。なんとも言えない驚愕の表情を浮かべたまま、しばらくの間呆けたように突っ立っていたが、やがて連夜の説明が一段落つくと、再び自分達の目の前にあるチョコレートパフェもどきへと視線を移し、まじまじともう一度中身を見つめる。
「信じられない・・どうみてもチョコレートパフェにしか見えない。しかも、『サードテンプル』のパフェ専門店のパフェと比べてみても全然遜色ない味だし。連夜がウソつかない『人』だってわかってるけど、やっぱりどこか疑っちゃうわ」
「だよな~。俺も注意して食ってみてなかったら絶対騙されていたわ」
そう言って二人はもう一度顔を見合わせ苦笑を浮かべて見せる。
「まあ、そういうことで、そのパフェに劇的に太るような成分は入ってないはずだよ。食べすぎはあまりおススメできないけど、まあ、そのくらいの量なら問題ないと思う。ってことでいいかな、御二人さん?」
おどけたような仕草で肩をすくめて見せる連夜の姿を見て、二人は表情を和らげる。その後、クリスは表情を引き締めると真剣な表情で真っすぐに連夜を見つめたあと、深々と頭を下げるのだった。
「考えてみれば連夜がアルテミスの身体に悪いものを作るわけがないよな。すまん、連夜。今更だけど、俺の行為はおまえ自身を疑う行為だった。考えなしに騒ぎたてて本当に申し訳ない。許してくれ」
「をいをい、やめてよ、兄弟。僕と君の仲ジャン。全然気にしてないって。それにクリスにとってアルテミスがどれだけ大事な存在かよくわかってるからね。これくらい当然当然。アルテミスは本当に愛されているよねぇ」
「あ、改めて言うなって!! 恥ずかしいから!!」
「や、やだもう!! ま、まあ一応自覚しているけど・・」
連夜に茶化された二人は顔を真っ赤にして俯くと、再びお互いに視線を向ける。
「ごめんな、アルテミス。おまえの誕生日だってのに、うるさく言ってしまってよ。おまえだって、ちゃんと考えているのに、一方的に決めつけちまった。本当にすまん」
「ううん、いいの。自分でもわかっていたし、クリスが私のこと心配して言ってくれているのはわかっているから。すぐに甘いもの減らすことできないけど、ちょっとずつ減らしていくね。いつも私の身体を気にかけてくれてありがとうね、クリス」
「当り前だろ、アルテミスは大事な俺のたった一人の奥さんなんだから」
「クリス・・」
「アルテミス・・」
すっかり仲直りした二人は自然と寄り添い合い、そして徐々にその顔が近づいていく・・が。
「ちょ、ちょ、ちょっと待って、二人とも!! 仲直りしてくれてよかったし、二人が本当に仲良しなのはいいんだけど、ここでラブシーンは勘弁してよ!! 僕やリンはともかく中学生の女の子がいるんだからね!! それにギャラリーもいっぱいいるんだけど」
「「えっ・・」」
連夜の慌てたような声にはっと気がついた二人は、顔を離し周囲を見渡す。すると、先程まで忙しく夕食の用意をしていた、白澤族の少女リンや、東方猫型小人族のメイドさん達や、そして、連夜の料理の弟子で玉藻の実の妹である中学二年生の少女 晴美が、その手を止めて二人のラブシーンを・・ガン見していた。
「う、うわわわわわわ!!」
「きゃ、きゃあああっ!!」
今更ながらに顔をゆでダコのようにし、両手をバタバタさせながら慌てまくるクリスとアルテミス。
「ちゅ、『ちゅ~』は? 『ちゅ~』しないの? 熱烈なやつ! 私達に遠慮なくしてくれていいんだけど」
「そ、そうですニャン。私達にはお構いなく」
「どうぞどうぞですニャン」
「よかったら写真撮りますニャン」
「「できるかあっ!!」」
物凄く期待のこもった熱い視線を向けつつ必要以上に熱心な様子で二人にラブシーンの続きを要望するリンとメイドさん達に、二人は焦ったような怒ったような複雑な表情で絶叫する。すると、リビングで談笑していた他のメンバー達がその声を聞きつけてなんだなんだとキッチンへとぞろぞろとやってくる。そして、そのメンバー達も巻き込んで、あっという間にキッチンはカオス状態に。
「何よ~、別に見せたからって減るもんじゃないんだからいいじゃない」
「へ、減るとか減らないとか、そういう問題じゃないでしょ!? も、もう、リンったら!! そもそも私達にやらさなくても自分もちゃんと相手がいるんだから、すればいいじゃない!!」
「う~~ん、だって、私って元々男でしょ。だからなのかもしれないけど、いっつも私から求めてしちゃうのよね。本物の女の子って、男の子のほうからしてもらうことが一般的じゃない? 折角のいい機会だから勉強させてもらおうかと思って。なので、遠慮なくどうぞどうぞ」
「どうぞどうぞって言われても・・ろ、ロムも、黙って見てないでリンを止めてよ!!」
「いや、止めてくれと言われても何がなんだか? おい、リン、いったい今度は何をしたんだ?」
キッチンの騒ぎを聞きつけて、リビングのほうから燃えるような赤い髪の朱雀族の少年と共に現れたバグベア族の少年ロムにアルテミスが噛みつくように叫ぶと、ロムは困惑したように自分のすぐ側に立つ小柄な白澤族の少女に視線を向ける。
『ロスタム・オースティン』。
通称ロム。
中学時代からの連夜の友人で、連夜が絶大なる信頼をおく二人の『真友』の一人。
かつて上位の聖魔族が自分達の盾にするために生み出したバグベア族という奴隷種族の少年。裏切り種族と呼ばれる人間族の連夜と同様に壮絶な差別を受けて育ってきたが、ねじ曲がることなく真っすぐに育つ。義侠心に厚く、その勇気、胆力は非常に素晴らしいものがある。
玉藻にはわずかに及ばないものの、連夜にとっては非常に大事な存在。もう一人の『真友』であるリンの最愛の恋人で、事実上の夫。
自分の最愛の恋人にして妻であるリンとは固い絆で結ばれている彼は、彼女のことをよくわかっているつもりであったのだが、流石に今回のこの大騒動がなんのことかわからず、ゆっくりとリンへと近づいて行く。すると、白澤族の少女は、ちょっと小首を傾げてロムを見つめたあと、身体をぶつけるようにしてロムに抱きつき、素早くその唇を少年のそれに重ねる。
「!?」
『おおおお~~~!!』
咄嗟のことで反応することができなかったロムは、かわすことができず少女にがっちり首をホールドされて唇を奪われ続ける。しばしの間、両腕をばたばたさせてもがく少年と、うっとりした表情で唇を重ね続ける少女を周囲のギャラリー達は感嘆の声をあげて観戦していたが、やがて、ロムが少女の身体を力任せに・・しかし、できるだけ乱暴にならない程度の力で引き離す。
「ぷはっ!! ち、ちょっと待て、リン!? なんだいったいいきなり!?」
いつもむっつりした表情で動揺する姿など滅多に見せないロムが、顔面を紅潮させ明らかに戸惑っているとわかる表情で目の前の少女に詰め寄る。そんなロムをなぜか嬉しそうに見つめ、えへへと笑って見せたリンは茫然としているアルテミスとクリスのほうに視線を向け直す。
「どうだった? 私達のキスどこかおかしくなかった? 男同士がキスしているように見えたとか、そういうことなかった?」
「い、いや、あの、全然おかしくなかったわよ。どう見ても異性の恋人同士のキスだったけど」
リンの問いかけに、最初どう答えたものかと、横にいるクリスを見たり、ほかのギャラリー達をみたり、後ろで呆れかえっている連夜を見てみたりしたアルテミスだったが、やがてしどろもどろだが答えて見せ、その答えを聞いたリンは、華のような笑みを浮かべる。
「よかった~。あのね、ロムってさあ、なかなか自分からキスしてくれなくて、焦れったいから私からしちゃうのよね。でも、なんかそれって男っぽいじゃない」
「いや、そんなことないわよ。うちだってそうよ。クリスって戦闘の時とかは男らしいけど、恋愛関係は本当に奥手なのよ。言わないとなかなかしてくれないから、私も自分からしちゃってるわよ」
「あ、そうなんだ。本当はね、結構気にしていたのよ。折を見て玉藻姐さんに相談に乗ってもらおうかと思っていたんだけど、アルテミスにそう言ってもらえると、なんかほっとしちゃったわ」
「何言ってるのよ、自信をもって。全然、大丈夫大丈夫!! 今のリンは本当に女らしいから!!」
「ありがと~!!」
そう言ってリンとアルテミスは手を取り合ってきゃっきゃと嬉しそうに飛び跳ねる。
「お~い、いい加減、誰か俺に説明してくれ~。なんか思いきり置き去りなんだが」
「説明してやりたいんだけど、説明長くなるし物凄くめんどくさいし、内容がすげえくだらねえから、説明したくない」
「なんだそりゃ!? をい、自分達だけで納得してないでちゃんと説明してくれ!!」
すっかり脱力しきって項垂れているロムの隣に移動してきたクリスが、なんとも言えない嫌そうな顔でそう言うと、ロムは納得できないという表情でクリスに尚も説明を求めようとする。しかし、ロムがクリスの肩を掴もうとするよりも早く再びロムの前に戻ってきたリンがロムとクリスの間に素早く割って入ってきた。
そして、怪訝な表情を浮かべるロムの顔に見せつけるように目を閉じて唇を突きだす。
「ロム~。お願い~」
「お、お願いって、おまえ・・」
「たまにはロムからちゅ~して~」
「ば、バカっ!! こんな『人』がいっぱいいるところでできるか!!」
「え~~、そんなあ。さっきはできたじゃない。それともロムは私のこと愛してないの?」
「さっきはおまえが不意打ちでしたからだろ!? それにそれとこれとは話が別だ。おまえのことはちゃんと愛しているが、こんな『人』前で堂々とき、き、キスできるほど俺の心臓は強くない!!」
「よく言うわよ、ロムくらい心臓の強い『人』もいないと思うけど。あ、そうだ。『人』前でってことならクリスとアルテミスはできるわよね? だって去年の結婚式の時に、すごい熱烈なやつみんなの前でしていたんだから。って、ことで、やっぱりここは一つお手本をお願いします」
「ええええええっ!? 結局そうなるのおっ!? あ、そうだ。未熟な私達よりも『人』生の大先輩であるセイバーファング御夫妻にお手本をお願いするということで」
再び自分達に振られて『あわわ』と慌てだすアルテミスだったが、ふと自分の視線の先に大きな灰色熊の姿を見つけ、これ幸いと話をそちらにふる。
「な、なんで俺達に振るんだ!?」
「いいじゃないですか、去年の結婚式の時にかなり熱烈にやっていらっしゃいましたよね?」
「そ、そんな昔のこといちいち覚えているものか!! え~い、そこのメイド連中、好奇心丸出しで映像記録装置をこっちに向けるんじゃない!!」
「あら、私は別に構わないわよ。他の誰かならともかくあなたとならどこだってできるわ。そもそもいっつも『いってらしゃいのキス』とか『おかえりなさいのキス』とかしてるじゃない」
「ば、バステト!! こんなところでそんなことバラすんじゃない!!」
真っ赤な顔で慌てる灰色熊の大きな腕に自分の腕をからませてしなだれかかるのは黒豹獣人族の妙齢の女性。
『タスク・セイバーファング』と『バステト・セイバーファング』
連夜の両親の古い知り合いで、連夜の兄大治郎の元傭兵仲間でもある中年夫婦。
大柄な灰色熊の姿をしている男性が、『守の熊』と呼ばれる獣人種族である夫のタスク・セイバーファング、艶やかな黒い獣毛になかなかのスタイルをしている黒豹獣人族の女性が妻のバステト・セイバーファング。
現在二人は傭兵稼業を引退しており、夫のタスクは養蜂家として第二の人生を歩んでいて、妻のバステトは専業主婦をしながら献身的にそんなタスクを支えている。
ちなみに連夜達にとって、タスクは養蜂の技術の師匠、妻のバステトは蜂蜜を使った様々な料理技術の師匠。二人とも自分の弟子達をわが子のようにかわいがっていて、今日はそんな愛弟子の一人であるアルテミスの誕生日を祝うためにここにやってきてくれていたのだ。タスクは自分が作った中でも特に高品質な蜂蜜を持参し、バステトは得意の料理の腕をふるって、アルテミスを大いに喜ばせた。
二人とも気が強い性格をしているため喧嘩越しで話をしていることが多いが、本当は非常に夫婦仲が良い。今もタスクは怒ったような焦ったような口調で横の妻に話しかけているが、実際には全然怒っていないことはここにいる面々にはバレバレだった。
当然妻のバステトもそんな夫の内心などとうにお見通しであるから、そんな見せかけだけの怒声など無視して夫の顔を引き寄せると、周囲の面々に見せつけるように夫の鼻づらを優しくぺろぺろと舐めて見せる。
「ちょ、やめんか、バステト!!」
「いいじゃない。それとも、私のこと愛してないの?」
「おま、そういう聞き方はずるいだろ!?」
「いいにゃあ。うらやましいにゃあ」
「もう誰でもいいからガンガンキスしちゃってくださいニャン」
「録画しておきますニャン!!」
『そんなもの録画するんじゃない!!』
「いやそう言われましても、先程のオースティン様とシャーウッド様のキスシーンもバッチリ録画させていただきましたが、何か問題でもですニャン?」
「も、問題大アリだ!! 返せ、コラッ!! 絶対消去してやる!!」
「ダ、ダメですニャン!!」
「消去しないから、みせてみせて~。ロムがどんな顔で私とキスしているのか、一度じっくり見てみたい」
「ちょっと待て、リン、おまえどっちの味方だ!? おい、クリスもフェイも見てないで、手伝ってくれ!!」
「わかった、おい、猫どもその録画用小型水晶球を返せ!!」
「むう、ちょこまかちょこまかと、こいつら武術の心得でもあるのか?」
「大旦那様から直々に伝授していただきました、またたび流猫忍術ですニャン!! 忍法『溢れるほど大分身』の術!!」
『ニャンニャンニャ~~ン!!』
「キャア、かわいい猫ちゃん、いっぱいだ」
「って、ちょっと待ておまえら、ただでさえ人数多いのにそんなに分身するな!」
「もう何なんだかわからん」
どんどん収拾のつかない大騒ぎになっていくキッチンの様子をしばらく眺めていた連夜だったが、やがて片手で顔を覆って深い溜息を吐きだすと、首を二つほど横にふってやれやれと小さく呟く。そして、疲れたような表情を浮かべながらも再び流しに戻り夕食作りを再開しようとした。
しかし、その流しに戻る途中でふと横を見た連夜は、自分の料理技術の優秀な弟子であり助手であり、そしてかわいい義妹である晴美が熱っぽい目で自分を見つめて立っていることに気がついた。
「何? どうしたの晴美ちゃん?」
「あのあの、連夜さん」
「うんうん、何々?」
「ん~~」
小首を傾げながら聞いてくる連夜に対し、しばらく恥ずかしそうにモジモジとしていた晴美だったが、やがて意を決したように顔をきっとあげると目を閉じて連夜のほうに唇を突き出してくる。そんな晴美の姿を見た連夜は一瞬ぎょっとした表情を浮かべる。
『如月 晴美』
連夜の恋人にして婚約者である玉藻の実の妹で、中学二年生の女の子。
元々は丸薬作りで名を馳せている実家で、祖父母、両親に丸薬作りの厳しい修行を課せられながら暮らしていたのだが、その修行内容があまりにも酷く、『人』権を無視した虐待同然の無茶苦茶な修行であったため、中学に進級して間もなくついに耐えきれなくなって実家から逃げ出してしまう。そして、ゆくあてもなく都市の中を徘徊し、このまま野垂れ死にするしかないかと絶望しかかっていたところを運良く通りかかった連夜に見つけ出されて拾われることに。
晴美の話を聞いた連夜が、中央庁の実力者である母親に相談したところ、母親が正式に晴美を引き取れるように便宜をはかってくれ、以来晴美は連夜の家で一緒に暮らすこととなった。自分の最愛の『人』の実の妹であり、その最愛の『人』に非常によく似ている晴美。連夜はそんな晴美をとても可愛がり、晴美もまた自分を助けてくれた連夜によく懐いた。
そして、今では二人は実の兄妹のように固い絆で結ばれるようになったのであるが・・連夜が晴美へと向ける愛は、あくまでも兄が妹へ向けるそれであり、それ以外ではない。しかし、晴美のそれは若干それとは違い、むしろ姉玉藻が連夜に向ける想いに近いものがある。
連夜は一応、そのことに気がついてはいたし、やんわりと距離を置いてはいたのであるが、今回のこれは完全に不意打ちであった。
予想外の人物に予想外のアクションを起こされた。これだけでもかなり彼を動揺させるのに十分だったが、更に彼をそれ以上に動揺させることになったのは、まるで中学生時代の自分の最愛の『人』にキスを迫られているような錯覚を起こしたからだった。
晴美は連夜の最愛の婚約者玉藻の実の妹で、非常に玉藻に姿形が酷似していた。恐らくあと数年すれば玉藻そっくりの超美人になるのは間違いない。ただ晴美は金毛白面ではなく、普通に全身金色の霊狐族だし、その性格も全く違うのだが。
連夜は、しばらくそんな晴美の姿を何とも言えない表情で見つめていたが、やがて、そっとその身体を引き寄せて抱きしめると、自分よりもまだ低い位置にあるその頭をそっと撫でる。
「ごめんね、晴美ちゃん。できるだけ晴美ちゃんの望みを聞いてあげたいけど、それはできないかな」
「・・やっぱり駄目ですか」
「うん、ダメ。晴美ちゃんのその唇は、いつか晴美ちゃんが出会うことになる大事な『人』の為にとっておいてあげて」
連夜の答えがわかっていた晴美は、それほど落胆した様子もなく一瞬大人びた苦笑を浮かべて見せたが、すぐにいつもの穏やかな笑顔を浮かべて見せると連夜の胸に甘えるように顔を埋める。
「あの、連夜さん、だったら別のお願いならいいですか?」
「うん、何かな?」
「アルテミスさんに作ってあげていた、連夜さん特製のヘルシーパフェ、私にも作っていただけます?」
連夜の胸の中からちょっと顔を上げて連夜の顔を覗きみるように見る晴美。すると、それを聞いていた連夜はちょっと驚いた表情を浮かべて見せたが、すぐに笑顔を浮かべて見せるとゆっくりと頷いて見せた。
「わかった。夕食の後で出してあげるね。でもアルテミスと同じものじゃ芸がないから晴美ちゃんだけの為の特製で作ってあげる」
「本当ですか!?」
「勿論。だって、晴美ちゃんは僕の大事な妹だからね。それに晴美ちゃんとアルテミスじゃ食べる量が全然違うしね」
「えへへ、やった~。連夜さん、大好きです」
連夜の返事を聞いた晴美はさらに連夜の胸に自分の顔をこすりつけて甘え、そんな晴美の頭を連夜は優しく撫で続ける。お互い複雑な感情を抱えてはいたが、二人の中には間違いなく、兄妹の絆が存在していた。周囲の喧騒をよそに、二人の間に温かくもゆっくりとした時間が流れ続けていた・・が。
その静寂は一人の乱入者によって打ち破られる。
「いいわね、優しいお兄ちゃんにかわいがってもらえる妹は」
何気なく聞いていたならば普通に優しそうな口調に聞こえただろうが、二人はその声の主をよ~く知っていたため、敏感にその声の中にある無視できないトゲを感じ、その声のしたほうへと素早く視線を走らせる。すると、キッチンの戸口の影、見えるか見えないか程度に白い狐の顔が。
「た、玉藻さん、そんなところで何やってるんですか?」
「べっつに~~、なにも~~」
若干頬を引き攣らせながらも、なんとか笑顔を浮かべて恐る恐る白い狐に問いかける連夜。そんな連夜に問い掛けられた狐はぷいっと顔を背けてぶっきらぼうに答えを返す。そして、戸口の陰から顔を出したり引っ込めたりを繰り返しては、連夜達のほうをまるで蛇のように睨みつけ戸口の壁の部分をぎりぎりと片手で握り続けるのだった。
はっきり言って超こわい。
爪をたてて戸口の壁を握るその片手からは『ミシミシ』という不気味な音が聞こえてくるし、陰から覗くその顔からは『ギリギリ』という奥歯を噛み締めている音まで聞こえてくる。
だが、そんな白い狐の姿を見ても連夜の腕の中の晴美は、全然臆した様子もなく、むしろ、嬉しそうに話しかける。
「お姉ちゃん、お姉ちゃん、連夜さんがね、私の為に特製パフェ作ってくださるって!!」
「あ、あらそうなの。よ、よかったわね、おほ、おほほ」
「しかもね、しかもね、私だけの為の晴美スペシャルらしいの!! すっごい楽しみ!! ね、連夜さん?」
「う、うん、まあ、そうね」
「は、は、晴美だけの・・特別メニュー・・」
本当に心から嬉しそうな、キラキラと輝く笑顔をふりまく晴美の言葉を聞いた玉藻は、物凄い衝撃を受けたようによろよろよ戸口の陰へと消えて行ってしまう。連夜は玉藻が見える位置まで急いで身体を移動させ陰になっている場所を探す。すると、そこにはこちらに背を向けて体育座りをし、床に『の』の字を書き続けている狐の姿が。
「た、玉藻さん? もしもし?」
「べ、べ、別に悔しいとか、私の妹の分際でとか、釣った魚に餌はやらないつもりなのかとか、そ、そんなことは思ってないのよ、ぜ~ん、ぜん・・おも・・ってないんだから・・ぐすぐす」
「玉藻さんにはいつも玉藻さんだけの特別メニュー作ってあげているじゃないですか。お弁当だってちゃんと作ってあげているし。ほら、もどってきてくださいってば」
「そうねそうね、私はいつもしてもらってるもんね。だから、こういうときは後回しにされたって文句いえないのよね。ええ、そうでしょうとも、どうせ、私は一番最後の・・女よ・・ぐすんぐすん・・」
「あ、お姉ちゃん、すねた」
「もう~~、玉藻さんたら~」
どんどんダークサイドに落ち込んでいく玉藻の姿に、連夜と晴美は心底困ったように顔を見合せたが、連夜は晴美の身体をそっと離し、戸口の陰にいる玉藻のほうに近づいて行こうとする。すると、その気配に気がついた玉藻が涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔できっと振り返って立ち上がり、威嚇するように絶叫する。
「もう、ほっといて!! どうせ私なんか、私なんか!!」
「た、玉藻さん!!」
連夜が駆け寄ろうとするよりも早くその場からだっと駆け出した玉藻は、あっというまに玄関のほうへと走りさってしまう。連夜は一瞬呆気に取られた表情で固まってしまったが、すぐにエプロンを外すと後ろでいまだに呆然と立ち続けている晴美にエプロンを渡す。
「ちょっと、行ってくるから夕食作りの続きお願いするね。わかる範囲でいいし、わからないところは置いておいて、すぐにもどってくるし」
自分を見上げてくる晴美の頭にぽんと手を乗せて安心させるように言い残して、連夜は玉藻を追いかけて行こうとする。だが、そんな連夜のシャツを咄嗟に掴んで止めた晴美は、なんとも言えない表情である方向を指さして見せるのだった。
「連夜さん、あの、お姉ちゃんが」
「へ?」
晴美が指さす方向に視線を向けてみると、玄関の前でなぜか飛び出さずに仁王立ちしている玉藻の姿が。凄い形相でこちらを睨みつけている玉藻の姿を呆気にとられて連夜が見つめ返す。すると、玉藻が怒ったような表情ながら、どこか恥ずかしそうに絶叫する。
「ほっといてって言ったけど、追いかけてきてくれても別にいいんだからね!! べ、別にわかりやすい近くの公園で待ってるとかそういうわけじゃないんだから!! 追いついてよしよししてほしいとか、わがまま言いたい放題いわせてほしいとかそういうわけじゃないんだから!!」
「「え、えええええ~~」」
そうじゃないんだからなどと言いながら、誰が聞いてもそうしてほしいと言わんばかりに言い残した玉藻は、とほほ顔で固まっている連夜を何度も未練がましく懇願の目で見つめておいて、そそくさと玄関から出て行った。
そんな姉の姿をしばし呆然と見つめていた晴美は、物凄い尊敬の色を瞳に浮かばせてうっとりと呟く。
「お、お姉ちゃん、どこまで、あざといの・・私も見習わなくちゃ」
「いや、晴美ちゃんはお願いだからそういうところ見習わないで。本当にお願い」
顔に縦線をびっしりと走らせたようなとほほ顔のまま、晴美にツッコミを入れた連夜は、溜息を一つ大きく吐きだすととぼとぼと最愛の恋人を追いかけて家を出て行った。
結局このあと、連夜は完全にすねてしまった恋人を慰めるために一時間以上を費やすことになり誕生パーティの開始は大幅に遅れたという。