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真・こことは違うどこかの日常  作者: カブト
過去(高校二年生編)
62/199

第七話 『玉藻と連夜』 その4

「あ〜・・やっぱりねえ・・あは、あはははは・・はぁぁ・・」


 『多分そうじゃないかなぁ』と思ってはいたのだが、中に入ってみるとやはり風呂場の中はぴかぴかで、カビとか毛玉とかどこいったのよってくらい光っていた。

 リビングやキッチンの様子からある程度察してはいた。

 察してはいたが、ここまで完璧に整備されているとは予想だにしなかった。

 『整備されている』というのは、バスルームの壁や浴槽が奇麗に磨かれているということだけではない。

 ほとんど中身がなくなりかかっていたはずのシャンプーやリンスはきっちり中身が補充されているし、化粧を落とすための特殊石鹸やその他諸々全てきっちり新しいものに代わっている。

 木工所の廃材で物凄くいい加減に作られたとわかるほどいびつだった風呂イスや、風呂桶も、杉の木製の新品のものに変わっているし、そればかりか、見ただけで絶対高価だとわかる高級ボディソープとか、やたら柔らかいスポンジとかまで簡易鏡台の前にずらりと並べられている。


「いったい、あのこなんなのよ。いや、まあ、そのキライってわけじゃないし、むしろ好きだけど、いくらなんでも凄すぎるでしょ」


 杉の木でできたやたら香りのいい風呂椅子に坐り込み、なんともいえない深い溜息を吐き出す玉藻。

 しばし、ぼんやりと湯気の立ち上る浴槽を見つめていたが、いつまでもそうしているわけにもいかず、とりあえずのろのろと体と頭を洗う。

 その際になんとなく目の前に並べてあった高級ボディソープを手に取り、ためしに使ってみることにする。

 スポンジに少量含ませて身体にこすりつけてみるとやたら景気よく泡が出る。

 まあ、別にそれはそれでいいかと気にせず丹念に身体をこすり、椅子と同じ杉の木でできた風呂桶で湯をすくって身体を流す。

 そうして何度か身体に湯を流してきっちりボディソープを流した玉藻、なんとなく自分の肌を触ってみたあと、玉藻はその肌の感触に思わず驚きの声をあげた。


「なにこれ、すべすべ!? しかもなんかうっすら光ってない? 高級ボディソープ恐るべし!! ってか、いったい値段いくらするんだろ!?」 


 改めて今使ったボディソープの容器を手に取り、あちこちに視線を向ける。

 しかし、値段らしきものは容器のどこにも書いておらず、そのことが逆にとんでもない値段であることを示していそうで怖くなり、そっと元の位置にもどす玉藻。

 つくづく小市民の自分が嫌になったが、まあ、しかし、置いていたということは使ってくれということなのだろうと考えてそれ以上値段のことは考えないようにする。

 もう一度、なんとも言えない溜息を吐きだし、その場で脱力。

 なんだかとてつもなく疲れてしまった気がしたので、湯船に浸かってしばしリラックスすることを決める。

 黄色い東方ゆずがぷかぷかと浮かぶ湯船にそっと足をつけ、ゆっくりとそのメリハリの効いた美しいスタイルの体を沈めていく玉藻。

 鎖骨のあたりまで湯につかり、水面から湯気がゆっくりと上昇していくのをのんびりぼんやりと眺め続ける。

 それにしてもと考えるのはあの少年のこと。

 自分の寝室、、リビング、キッチン、そして風呂場。

 腐海というか魔界というか、あるいはごみ屋敷というべきか。

 この家に漂っていた無数の汚物をきっちり駆逐し、掃除し、整理し、整頓し、そして、再生させたのは間違いなくあの少年だろう。

 恐るべき清掃能力。

 いや、掃除だけではない。

 リビングにきちんと畳んでおかれていた洗濯物の数々。

 どれもこれも、まるで売り物のように美しく折りたたまれ、ものによってはアイロンがけまでしてあった。

 そして、あの自分を惹きつけてやまないクリームシチューの匂い。

 絶対に美味しい、間違いなく美味しい、一刻も早く風呂からあがってお腹一杯食べてみたいと思う、あのクリームシチュー。

 掃除、洗濯、炊事。

 完璧だ、完璧すぎるほど完璧だ。

 と、いうか自分には逆立ちしたってできない。

 一応、玉藻は家事がまったくできないわけではない。

 一人暮らしが長いため、普通のご家庭の娘さんよりは家事ができるし、絶対に負けないと自負している。

 昨日まで自分の家がごみ屋敷と化していたのも、ほとんど自分のせいではなく、長年の悪友のせいだし、本気になればそれなりに玉藻だって家事をこなせるのだ。

 しかし、そんな玉藻でもここまではできない。

 いや、恐らく何年修行してもこの域には絶対に到達できないだろう。

 恐るべき家事能力だった。

 そういえば、こういう家事能力に長けた『人』物が、玉藻の知り合いの中にいたような気がするのだが、はて、それは誰だったか。

 湯船に顔の下半分まで浸かり、ぶくぶくと言わせながら、必死に頭の中の人名録を探る玉藻。

 だが、なかなかそれに該当する人物の名前が浮かび上がってこない。

 あの人でもない、この人でもないと、何人かの心当たりを頭の中に思い浮かべてみるが、どうしてもしっくりこない。

 そうやって湯船の中に浸かりながらどれくらい考え込んでいたか。

 いい加減、ふやけて湯あたりしそうになるくらいの時間の果てに、ようやくあることに気がついた。

 

「って、よく考えたら、直接聞けばいいじゃない!」


 ざばっと湯船から飛び出した玉藻は、風呂場から急いで脱衣所に出ると、いつのまにか洗濯機の上に置いてあった新しいバスタオルを手に取った。

 おそらく洗濯用の洗剤の匂いと思われるいい香りがバスタオルからしてくる。

 しかもふわふわで柔らかい。

 なんともいえない心地よさを感じながら体を拭いた玉藻は、急いで下着とパジャマを身につけると脱衣所の扉をあけてキッチンへ。


「ちょっとそこの少年! あなたに聞きたいことが!!」


「あ、お風呂からあがられたんですね。湯加減どうでした? 熱くなかったですか?」


「うん、全然、ちょうどよかったわよ〜。って、そうじゃなくってね」


 台所で用事をしながらあくまでもさわやかに、しかも温かい笑みを浮かべて話しかけてくる少年のペースにもろにはまりつつある玉藻。

 それに気がついて玉藻はなんとか踏みとどまろうとするのだが、そんな玉藻の心理状態など少年にわかろうはずもない。

 少年は複雑な表情で唸り声をあげている玉藻をそこに残し、炊事で濡れてしまった手をエプロンで拭きながら、パタパタと近くにある冷凍霊蔵庫へ移動。

 ドアを開けて中から何かの液体が入った瓶を取り出してくる。

 鮮やかな黄金色をした液体が、細長い形の瓶の中で美しく輝いている。

 少年は手にした瓶の冷たさを確認して満足そうに一つ頷いたあと、食器棚から玉藻が愛用しているグラスを迷うことなく選び出し、そこにその液体を注ぎこんで渡してきた。


「はい、どうぞ」


 あまりにも邪気のない顔でわたされた玉藻は、思わず手に取ったグラスの中の液体を勢いに任せて一気に飲み干してしまう。


「ありがと。んぐんぐんぐ・・ぷはぁ・・って、うまっ!! なにこれ!? ビール!?」


「味はよく似ていますけど、ビールじゃないんですよ。ある薬草と果物を組み合わせて作った偽ビールってところでしょうか。アルコール入ってませんし、体にもいいんですよ」


「へえええええええええ、そんな飲み物あるんだ!?」


「滋養にいいペクヨンニンジンと、新陳代謝を活性化させるユグドラシルレモンを不死山の霊水に浸して作るんですけどね。もう一杯入れましょうか?」


「あ、お願い」


 すっかり偽ビールが気に入ってしまった玉藻は、少年が入れてくれたグラスの中の液体を、今度は一気飲みしないでちびちびと飲む。


「いま、夕食の用意しますから、座っててください。あ、そうだ、これよかったら食べててくださいね」


 と、再び霊蔵庫を開けて、中から何かが盛りつけられた皿を出して玉藻にわたす少年。


「これは?」


「前菜みたいなものです。野菜のスティックで、ニンジンみたいに見えるのがオレンジセロリ、黄色のがオリーブアスパラガス、キュウリを切ったように見えるその緑のがライムキャロットです。横に添えてある特製辛子マヨネーズをつけながら食べてください」


「ふむふむ・・おいしい!! これ、おいしいよ!!」


「それはよかったですけど、リビングに持って行って座って食べてくださいね。すぐに、メインディッシュのほうも用意しますから」


「メインディッシュって、あの鍋の中のシチューでしょ? 美味しそうないい匂いしているわよねえ。早く食べたいなあ」


「おや、よくシチューを作っているってわかりましたね?」


「鼻には自信があるもの。あと美味しいか不味いかもわかるわよ」


「あはは、御口にあうかどうかわかりませんけど。とりあえず、リビングのほうに行っててください。すぐに持って行きますね」


「は~い」


 と、玉藻をリビングのほうに行くように促しておいて、自分は再び台所に立ちなにやら忙しく夕食の用意を始める。

 その様子を見て自分も手伝ったほうがいいのかなあ・・なんて思ったが、どう考えても邪魔にしかならないなと思い直し、おとなしくリビング向かう玉藻。

 野菜スティックの皿と、偽ビールの入ったグラスをテーブルの上に置いて、テレビをつける。

 ちょうどニュースの時間だったらしく、有名芸能人の魔薬問題についての報道が流れていた。


「魔薬は怖いわねえ・・」


 と、野菜スティックをぽりぽり食べながら、ニュースを見る玉藻。

 もう完全にその姿は、『今日は外で食べてくるから』って旦那の連絡があって家事さぼることに決めた主婦か、仕事から帰ってきて好きな野球の中継放送をビール飲みながら見ている中年サラリーマンそのものである。

 その後もほけ〜っと、緊張感の欠片もない表情でくつろいでいた玉藻。

 ご飯まだかな~なんて、野菜スティックをぽりぽり食べながら間抜けなことを考えていたが、唐突に我に返る。


「違うの、違うの、違うのよ、そうじゃないのよ!!」

 

 自分の目的を思い出した玉藻は、テーブルの前から立ち上がると再びキッチンへと突撃。

 相変わらず忙しそうにご飯の準備をしている少年の背後から声をかける。


「ご飯も気になるけど、もっと重要なことがあるんだってば!! ちょっと聞いてよ、ねえってば!!」


 どうしようもない焦りと苛立ちが多分に含まれた声。

 ご飯を食べる時にちゃんと説明する、少年はそう言っていた。

 玉藻もその言葉を聞いたときには納得していたのだが、一度気になりだすとどうにも止まらなくなってしまったのだ。

 今、知りたい。

 どうしても知りたい。

 

 この少年が本当は誰なのかということを。


 切実な心の叫び。

 玉藻に背を向けて忙しそうに食事の準備をしていた少年だったが そんな叫びに反応してぴたりと動きを止める。

 そして、手にしていたお玉や、小皿をそっと炊事場の上に置くと、玉藻のほうにゆっくりと振り返った。


「あっ!!」


 玉藻は、小さい叫び声をあげる。

 振りかえった少年の顔。

 そこに先程までの優しい笑顔はなかったから。

 どこまでも虚無な白地に、黒く細い線で作られた『(かお)』。

 そこにあったのは彼女がよく知る『(かお)』。


 『(たたり)』の一文字が書かれた白い仮面。


 そして、玉藻は全てを思い出す。


 昨日自分に何があったのかを。

 昨日自分が何をしたのかを。


「夢じゃ、なか、ったんだ」


 『(たたり)』の一文字が書かれた白い仮面を見つめながら、茫然と呟く玉藻。

 そんな玉藻の前でゆっくりと『サードテンプル』の怪『人』は身に着けた仮面を取り外し、素顔をさらす。

 そこには、怪『人』本来の『(かお)』。


「夢じゃありませんよ。やっぱり、僕だってことに気づいていらっしゃらなかったんですね」


 どこか悲しげに、そして、寂しそうに見える笑顔。

 少年は、自分の右手に持つ白い仮面と、目の前に立つ玉藻とを交互に見つめ、明らかに無理しているとわかる笑顔を浮かべ、それでも口を開いた。


「ごめんなさい。騙すつもりじゃなかったんです。あの、まさかこんな展開になるとは思ってなくて。その、不愉快だったら、僕、出て行きますから」


 胸が。

 胸が締め付けられる。

 違う、違うのだ。

 こんな悲しい表情をさせたいわけではない。

 すぐにでも否定の言葉を発したいのだが、驚きと切なさですぐに声が出せない。

 しかも、もどかしく口を開こうとしても気の利いた言葉もみつからず、焦りばかりがどんどんつのる。

 そんな玉藻の様子をどう見たのか、少年は、一瞬泣きだしそうな表情を見せたかと思うと、それを隠すように玉藻に向かってぺこっと一礼。

 そのまま部屋を出て行こうと駆け出した。

 

 そんな少年の様子を見ても情けないことに玉藻の口からは引きとめる言葉は出ないまま。

 このまま行かせてしまうしかないのか。

 

 玉藻の首から上は、自分の目の前から姿を消そうとしている少年を見つめながら、大間抜けにもぼんやりと考えるしかできなかった。

 

 しかし、玉藻の身体はそんな情けない指令頭部とは違っていた。

 頭が考え指令を出すよりも早く、己の成すべきことを果たすために行動を開始。

 部屋から出て行こうとした少年の小柄な体に向けて、凄まじい勢いでダッシュをかけると、背中から強烈なタックル。

 そのまま少年の身体を床に押し倒す。

 もちろん、華奢な少年の身体が傷つかないように、己の身体をクッションにするように態勢を入れ替えることも忘れない。

 

「き、如月さん、あの」


 押し倒された少年が不安そうな表情で何かを言いかける。

 それに対して、玉藻も何かを答えようと頭を働かせかけたが、少年の黒い瞳にうっすら何か光る物をみつけた瞬間、思考することを一瞬で放棄。

 少年が何かをしゃべろうとする前に、自分の唇で強引に塞いでしまう。

 床の上に抱きあったまま、しばし唇を重ね合う二人。

 少年は、ちょっとだけ抵抗する素振りを見せたが、結局最後には玉藻に身を委ねるように力を抜いた。

 その後ももう少しの間だけ、寝そべった状態で抱き合っていた二人。

 もう逃げる気配がないと確信した玉藻は、ゆっくりと唇を離す。

 そして、まだ不安そうな表情を浮かべている少年に、優しい笑顔を浮かべてみせながら口を開くのだった。


「私の側にいなきゃダメって言ったでしょ? 逃げちゃだめよ」


「で、ですが」


「驚いたことについては謝るわ。ほんとにごめんね。私ね、昨日の記憶がさっきまで飛んじゃっていて、あなたがあなただっていう可能性についてまるで失念しちゃっていたのよ」


「記憶が飛んでた? ああ、やっぱりそうだったんですか。昨日から、少し混乱されていらっしゃいましたからね。今は大丈夫ですか?」


「うん、今は大丈夫よ。全部はっきり思いだしたから。でも、ああ、そうなのね。あなたってこんな『(かお)』していたんだ」


 少年の小柄な体を抱きしめている両手のうち、左手をそっと放した玉藻は、目の前にある顔に左手を伸ばしてそっと触れる。

 男の子とは思えないほどすべすべした肌、ひげは全くなくまるで女の子よう。

 鼻も口も小さく、このまま女の子に変装しても、それほど違和感はないような気がする。

 しかし、大きな黒い瞳だけが違う。

 一見しただけでは、かわいらしい風にしか見えない眼。

 だが、その黒い瞳の奥に宿るのは強烈な意志の光。

 その光のせいで、女の子という雰囲気はまるでない。

 

 これが世間にその名を轟かす『サードテンプル』の怪『人』の素顔。


 ある意味、予想外。

 ある意味、想像通り。


「がっかりされたでしょ? こんな情けない顔で」


 なんとも言えない情けなさそうな顔で聞いてくる目の前の少年に、玉藻はゆっくりと首を横に振ってみせる。


「ううん、そんなことないよ。 情けないなんてことないじゃない。それに、私は多分この顔しか好きになれないしね。きっと。他のどんな男や女の顔も好きになれないだろうって思う。『人』として好きにはなれても、『番い(つがい)』としては好きにはなれない。だけど、あなたは違う。あなたが好き、あなただけが好き。この顔のあなたが好き」


 どんな相手にも見せたことがない艶やかで幸せそうな笑顔。

 少年がそんな玉藻の笑顔にぽ~~っと見とれていると、また玉藻は少年の唇に自分のそれを重ねた。

 今度はそれほど長い時間ではなかったが、唇を離したあと、狐の顔になって少年の顔を愛おしそうに舐める。


「で? 私はどう呼べばいいのかしら?」


「え?」


「な・ま・え。あなたが私の仮面さんってことはわかったわ。でも、それだけ。まだそれだけしか知らない。私はまだまだあなたのことを知らない。とりあえず、これからあなたのことを隅々まで教えてもらわないといけないけど、まずその大いなる第一歩として、教えてちょうだい。私はあなたをなんと呼べばいいのかしら?」


 少年の黒い瞳と、その周囲に滲んでいた何か丁寧に舐めとりながら、優しい口調で問いかける狐。

 そんな狐の言葉に、少年は一瞬考え込む素振りをみせたが、すぐに穏やかな笑みを浮かべながら口を開いた。


「『連夜(れんや)』です。『連』なる『夜』と書いて『連夜(れんや)』」


 初めて聞いた名前。

 しかし、はるか昔から、ずっとずっと前からその名前を知っていたような気がする。


「連夜くん。レンヤくん、れんやくん、連夜くんかあ。いい名前だね」


 声に出してみると、本当にしっくりくる名前だった。

 何か、自分の身体の大事な部分にすとんと落ちておさまったような、欠けていた何かがもどってきたような、そんな感じ。

 大事な何かがまた一つもどってきたような気がして、心から笑顔を浮かべる玉藻。

 そんな玉藻の笑顔に見惚れて顔を赤らめながら、少年、いや、連夜は嬉しそうにほほ笑みを浮かべる。


「はい、ありがとうございます」

 

「ううん、お礼を言うのは私のほう。ずっとずっと今まで私を助けてくれてありがとう。いろいろと、本当にいろいろと私を助けてくれたよね。励ましてくれたり、危ない所を手伝ってくれたり、迷っているところを導いてくれたり、ほんとにほんとにいろいろありがとう」


「い、いえ、とんでもないです。僕こそ、昨日は危ない所をありがとうございました。流石に昨日のあれだけはどうすることもできなくて。如月さんが来てくださらなかったら、僕、本当に死んでいました」


「ああ、あれね。あれは別にいいのよ、なんでもない。これからは私が連夜くんを守るって決めたんだから。あんな腐れ外道どもの好き勝手には絶対させないから。と、いうか、あれだけ痛めつけてもまだこれ以上連夜くんに付き纏うというのなら、それなりにこっちも覚悟を決めるし」


 一瞬にして玉藻の周囲から凄まじい殺意が噴き上がる。

 それは誤魔化しようのない明確な殺意。

 言葉にしなくてもわかる。

 これ以上連夜を傷つけるようなら。


 【殺す】


 と。


 恐らくそれは脅しでもなんでもない。

 連夜ほどではないにしろ、かなり厳しい世間の中で生きてきた玉藻である。

 信頼できる者はごくわずかしかおらず、それでも懸命に生きてきた玉藻。

 大切な者を守るためならどんな手段も厭わないというその覚悟と決意には、大いに共感できる。

 そして、それを迷わず実行するだろうということもよくわかる。

 

 自分もまたそうであるから。


 しかし、一方で、連夜の心の中には別の想いもある。

 それは連夜のわがまま。

 自分勝手なわがままだとわかってはいたが、それでも願わずにはいられず、連夜は玉藻の身体をそっと抱きしめて懇願する。


「如月さん、それはやめといていただけませんか?」


「なんで?」


「如月さんにはそういう世界にあまりいてほしくないです」


 そう、連夜は思う、切実に思う。


 汚い仕事をするのは自分だけでいい。

 汚れるのは自分だけでいいのだ。

 愛しい『人』は、奇麗なままで笑っていてほしいのだ。


 それが連夜の願い。

 

 しかし。


「それは聞けないし、絶対聞かない。連夜くんの気持ち、わからないでもないよ。だって、私も同じこと思ってるから。連夜くんにはできるだけそういう世界にいてほしくないってね」


「僕は如月さんとは違います。『人』の全種族の中で最底辺に位置する人間族だから。僕が生きる世界はそこにしかないから」


「うん、そうかもね。だけど、私もそこに生きるの。一緒に生きる。連夜くんが私の側にいてくれる、それはすなわち、私が連夜くんの側にいるってことだわ。連夜くんがずっと私を支えてくれたように、今度は私が連夜くんを守る。言っておくけど、否定されてもこればかりは聞かないから。私の存在意義に関わることだから。だから覚悟しておいて。私は私の大切なものを守るためなら、一切の容赦をしないってことを」


 強く大きく、そして、何よりも恐ろしい殺意、害意、悪意のオーラ。

 見ているだけで、感じているだけで命を奪われそうなのに、なぜこれほどまでに切なくも嬉しいのだろう。

 じわりと連夜の瞳が潤んでいく。

 

「あ、ちょ、連夜くん、また泣いてる!! もう、仮面かぶってるときはあれほど強いのに、どうして素顔だとそんなに涙脆いの。ほんとにもうしょうがないんだから」

 

 めざとく連夜の涙を見つけた玉藻は、慌てて自身の発していた殺意のオーラを引っこめて、優しくその涙を舐め取っていく。


「す、すいません、如月さん」


「謝らなくていいから、動かないでじっとしていなさい。ほんとに泣き虫さんね」


「め、女々しい性格なので」


「もうっ、そんなこと言ってないでしょ。あ、そうだ。ところで、私が下顎蹴り飛ばしてやったあいつら、結局どうなったんだろ? あいつら全員に制裁を加えてやったあと、すぐに連夜くんを抱えて『サードテンプル』を離れて、自分のマンションまで戻ってきて、連夜くんの両手両足を『療術』で治療して。そこで私の記憶は終わっているのよね。不良どもをなぎ倒したのはいいけど、救急車も何も呼ばずにあの場所を離れたからなあ。ぎりぎり手加減してやったけど、あんまりにも腹が立ったもんだから、何人かはマジで蹴りいれてやったから、ひょっとして一人くらい死んだかな」


 罪悪感の欠片もない声。

 むしろ、この場にいない不良達に対し、感謝しやがれといわんばかりに凄まじい怒りのこもった声で呟く狐。

 そんな狐を愛しそうに見つめながら、連夜は首をゆっくりと横に振る。


「いいえ、一人も死んでいません」


「死ななかったんだ。へ~~。あいつら結構頑丈だったのね。って、なんで知ってるの?」


「僕が救急車を呼んでおきました。あと、ツテを利用してあの場で起こったことはある程度もみ消してもらっているはずなので、如月さんにご迷惑をおかけすることはないと思います」


「そうなんだ。って、『もみ消した』!? 連夜くんのツテっていったい何者なの?」


 かわいらしい顔から発せられたとんでもない単語に思わず目を剥く玉藻。

 しかし、玉藻の目の前の情報発生源は、相変わらずかわいらしい顔でくすくす笑うばかり。


「今は秘密です。でも、ヒントだけ言っておくと、玉藻さんが知らない『人』じゃありません」


「え? 私が知っている『人』なの? 嘘でしょっ!? だって、あんな繁華街の中で起こった乱闘をもみ消せるっていったら、結構な権力持ってないとできないわよ? 私の知り合いにそんな権力持った『人』なんていなはずだけど。まあ、師匠のブエル教授なら中央庁に知り合いがいるだろうから、やってやれないことはないかもしれないけどさ」


「教授じゃありませんよ。まあ、そのうち会っていただくことになるでしょうから、楽しみにしていてください」


「う~~~。すっごい気になるなあ。でも、わかった。楽しみにしとく」


 物凄く不満ではあったが、どうもこの件に関して、目の前の少年が口を割りそうにないことを敏感に察知した玉藻。  

 仕方ないという仏頂面でしぶしぶ頷きを返す。

 そんな玉藻を楽しそうに笑顔で見つめる連夜。

 仏頂面と笑顔。

 向かい合う二つの表情だったが、結局、仏頂面は目の前の笑顔に負けて苦笑へと変わり、そして、それはすぐに満面の笑みへと変化する。

 そして、二つの表情は全く同じ幸せそうな表情へと変わって行った。

 しばし、二人の間を流れる穏やかな時間。

 いつまでもこの時間に浸っていたい、そう願う二人であったが、ふと連夜はあることを思い出した。


「あ、そうだ」


「ん、どうしたの、連夜くん?」 


「食事の用意の途中でしたよね。とりあえず、話の続きは食事しながらにしませんか。シチュー冷めちゃいますし」


「んあ!? そうだったそうだった!! シチュー食べたい!!」


「すぐ用意しますね、如月さん、リビングで待っててください」


 ぴかぴかに磨き上げられた床から先に身体を起こした連夜が、玉藻に手を貸して起こしてやる。

 そして、炊事場の蛇口をひねって手を洗いながら笑顔で玉藻に声をかけ、食事の用意を再開しはじめた。

 玉藻は、連夜の後ろ姿をしばしうっとりと見つめていたが、やがて嬉しそうに一つ頷いてリビングへ向かう。

 しかし、途中玉藻はあることに気がついた。

 ふと立ち止まって考え込む。

 そして、勢いよく振り返ると、物凄く不満そうな表情で連夜を呼ぶ。


「ちょっと連夜くん!!」


「ふぇ? どうしました、如月さん?」


 怒声に近い荒々しい不機嫌そうな声。

 いったい何事かと振り返った連夜の目に、声同様に不機嫌そうな顔をした玉藻の姿が映る。

 小首をかしげながら、何か自分が機嫌を損ねるようなことを言ったのだろうか。

 そう思った連夜は、目の前の愛しい大切な人に問いかけようとしたのだったが、それよりも早く玉藻が自分の不満をぶちまける。


「『如月さん』じゃないでしょ!!」


「え? え?」


 玉藻の言葉の意味がわからず、頭の上にハテナマークを連発する連夜。

 そんな連夜の姿に苛立ちながらも、玉藻はしょうがないなあという表情で言葉を紡ぐ。


「た・ま・も!! ちゃんと名前で呼びなさいよ!! なんで苗字なのよ? 連夜くんって苗字じゃないんでしょ? 名前でしょ? なのに、私は苗字なの?」


「だ、だって、なんか馴れ馴れしいというか、無礼というか」


「物凄く距離感があるわよ。そんなに私との関係は余所余所しいの? いやよ、そんなの!!」


 ぶ~~っと盛大にむくれる玉藻の姿に、あわあわと慌てる連夜。

 しかし、すぐに表情を改めると、顔を下に向けたり上に向けたりを繰り返しながら、恥ずかしそうにその言葉を口にするのだった。


「じゃ、あ、玉藻さん」


「じゃあ、はいらないでしょ」


「玉藻さん」


「名前を呼ぶだけ?」


 何かを期待して懇願するようにじっと見つめてくる玉藻。

 わからないふりはできなかった。

 連夜は、顔を真っ赤にしながらも玉藻が待ち望んでいるであろう言葉を口にする。


「玉藻さんのことが好きです。玉藻さんだけが好きです」


「はい、よくできました。私も、私も連夜くんが好き、連夜くんだけが好き。大好きだからね」


 

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