第六話 『そして、二人は巡り合う』 その9
慣れていた。
昔から慣れていた。
こういうことは昔から日常茶飯事だったので、別に苦しくもなく悲しくもなく、すでに何も感じないといってもいい。
昔からというが、正確にいうなら物心ついていたときにはすでにという感じであろうか。
言葉をしゃべれるようになっていたそのときにはもうすでに、彼は他者からいじめられるのが普通になっていた。
殴られる蹴られるのは当たり前。
髪の毛を引っ張られる。
大事なものを隠される奪われる壊される。
顔に屈辱的な落書きをされる。
衣服を破られる。
ひどいときには崖から突き落とされたり、ガラスに頭を突っ込まれたりなどという命に関わることも何度もあった。
自分が生まれ落ちた世界に味方はほとんどいない。
右も左も善も悪もわからないような幼児の時点で、彼はそのことを嫌というほど自覚させられていた。
彼を産み育ててくれた両親や、彼よりも先にこの世に生まれていた二人の兄姉は数少ない例外ではあったが、それでもひとたび家の外の世界に出れば、そこは彼を害する敵達の悪意、害意が溢れる世界。
少しでも気を抜けばあっというまにその悪意という名の濁流に呑み込まれ流されて、最後には押し潰されるのみ。
そんな世界の中で、彼はずっと生きてきた。
十七年もの長い長い間、生きてきたのである。
そんな彼であるから、この程度のことでは心が折れたりはしない。
「おらおら、どうしたどうした」
「くやしかったらやり返してみろよ」
「ヘタレが。ざまあないぜ」
両手両足を羽交い締めにされた状態で、四方八方から殴られ蹴られ続ける。
乱暴を働いている不良達は、みな見るに堪えない下卑た笑いを浮かべ、聞くに堪えない罵倒を彼に浴びせながら、いつまでもいつまでも彼を小突きまわし続ける。
大して腰の入っていないパンチ、どこかのプロレスラーの技を見よう見まねしているだけのキック。
どれもこれでもプロの『害獣』ハンターや、武術家のものとは比べ物にならないほどお粗末なもの。
しかし、それでも種族的に腕力自慢の者達が放つパンチやキックである。
トロールや巨人族、牛型や象型の獣人族といった怪力が自慢の種族の不良達が放つそれらの攻撃は、いくら武術の心得がない、戦闘技術を全く学んでいないといってもそれなりに威力を発揮する。
身体能力に劣る下級種族ならば、間違いなくとっくにミンチになって死んでいるような打撃の嵐なのだ。
彼らは自分達が、行っていることがどういうことなのか理解しているのだろうか?
もちろん、答えは否だ。
自分達の行為によって、相手が死んでしまうなんて露ほども思っていない。
そして、相手が死んでしまったら、こういうのだろう。
(ちょっとふざけてやっただけなのに、あっさり死にやがって)
ちょっとではすまない。
やられるほうは間違いなく凄まじい苦痛と恐怖を味わっているというのにも関わらず、彼らは自分達が行っている行為を悪いこととは思っておらず、ましてや殺してしまっても、まるで運が悪かったみたいな言い方をするのだ。
こんな奴らに殺されてやるわけにはいかない。
こんな奴らに殺されてしまっては、自分をこれまで育ててくれた両親に申し訳が立たない。
彼は、『祟』の一字が書かれた仮面の奥にある黒い瞳に凄まじい闘志の炎を宿し、自分を取り囲む不良達、そして、その彼らの中心に立つ二つの『人』影を睨みつける。
すると、彼の視線を敏感に察知した片方の『人』影が、醜悪な笑みを浮かべてその口元を歪める。
「おや、まだ心が折れていないようですね。流石は音に聞こえた『サードテンプル』の『招かれざる乱入者』。もっとも、今回は私達がお招きしたわけですがね、『祟鴉』殿」
男性にしては非常に高く美しいボーイソプラノの声でしゃべりかけるのは、一人の小柄な魔族の少年。
声と同じように、一見少女のようにも見える色白で美しい少年。
しかし、その美しい顔に刻まれた醜悪な笑みが全てを台無しにしてしまっている。
『カミオ・ヘイゼル』
近くの工業高校に巣くう不良グループ『砲戦華』のリーダーで、高校二年生。
彼がここにいる理由はただ一つ。
「さて、折角お招きに応じていただいたのですから、まだまだ楽しんでいただきますよ。今朝の御返しをさせていただかないとね」
そう、カミオが部下達を引連れてカラスの前に現れた理由、それは、今朝の件の復讐であった。
今朝、カミオは部下達と共に、一人の美女をナンパしようとした。
それは霊狐族の女性で、ふるいつきたくなるようなメリハリのあるグラマラスな身体に、一流モデルや女優に匹敵するような美貌の持ち主。
いい返事がもらえなければ、無理矢理にでも拉致して楽しもうと思っていたというのに、思わぬ邪魔が入った。
他ならぬ『サードテンプル』の怪人『祟鴉』である。
カミオは腕に自信があった。
カミオは上級聖魔族であり、表だって差別されたり馬鹿にされたりすることはなかったが、かわいらしい少女のような外見をしてるため、侮られてみられることが多い。
それを嫌ったカミオは、舐められないようにと必死に剣術や格闘術を学んだ。
父親について『外区』に出かけ『害獣』狩りにも参加した。
そうやって身に着けた武力、いくら『サードテンプル』の怪人と言えど、物の数ではない。
そう思っていた。
だが。
カミオはあっさりと負けた。
これ以上ないくらいの完敗。
自慢の剣術を披露するどころか、それよりもはるか手前で無力化され、何一ついいところを見せずに終わってしまった。
ありえないくらい無様な姿を部下達の前で晒すことになったのだ。
その様子を最初から最後までしっかり見ていた、あの部下達に微妙な表情。
あまりの屈辱にしばらく声がでなかったし、それどころか動くことすらできなかった。
(許さない。許さないぞ、『祟鴉』!!)
復讐を固く誓ったカミオは、自分達の配下である不良達を全て集めて総動員し、朝からずっと『サードテンプル』周辺を見張らせていたのである。
カミオ自身は、すぐに見つけられるとは思っていなかった。
相手は警戒心が非常に強く、滅多に姿を現すことがないと言われているあの『祟鴉』。
流石のカミオもそんなにすぐ復讐を果たせるとは思ってはいない。
しかし、だからといってそのまま放置しておけば、いつまでたっても相手を捕まえることはできない。
非常に効率が悪い方法だと理解しつつも、ともかくこの方法が使えるうちはしばらく続ける覚悟で作戦を開始。
それがよかった。
これからしばらくは姿を現さないだろうと思っていた『祟鴉』が再びこの『サードテンプル』に姿を現したのだ。
学校をサボってまでも、配下達と張り込んでいた甲斐があった。
いったい何を目的で現れたのかわからないが、ともかく『祟鴉』はこの地に現れた。
このことに歓喜したカミオ達は、すぐにでも襲撃をかけるために、『サードテンプル』のあちこちに散らせていた他の配下達を集合させる。
しかし、思わぬ事態が彼らに待っていた。
なんと、『祟鴉』を追いかけていたのは自分達だけではなかったのだ。
『龍乃宮 剣児』
カミオが通う御稜高校にその名を轟かす、三大武芸者の一人。
プロの『害獣』ハンターとしても大活躍している超有名人。
そんな『武』の化身が『祟鴉』を狙って追いかけている。
狙った獲物は絶対に逃がさないことで知られている『龍乃宮 剣児』だ、間違いなくどこかでカラスに追いつき激突するに違いない。
カミオの配下の数は五十人を超えている。
しかし、この数を以てしてもあの龍神には敵わないことをカミオはよく知っていた。
実は、カミオ、この件の人物と同じクラスに在籍しているのだ。
日々クラス内で彼の戦いぶりを見ているカミオは、横やりをいれてもまず勝てないということをよく熟知していた。
そして、『龍乃宮 剣児』と事を構えたくない理由がもう一つ。
顔を見られるのは非常に不味いということだ。
御稜高校内のカミオは品性公正な模範的生徒、頼れるクラスの副委員長として通している。
ぶっちゃけていえば、アウトローとしての側面は隠して学校生活を送っているのである。
復讐は果たしたいが、高校での自分の評判を落とすような迂闊な行動は取りたくない。
カミオは、自分の不運を呪いたくなったが、ともかく、相手に悟られないように事態を見守ることにした。
そして、やがてカミオの予想通り、カラスと龍神は激突する。
カラスを見つけるなり、一方的に滅多打ちにし、やりたい放題の暴虐ぶりを見せつける龍神。
自分のプライドをいいようにへし折ってくれた仇敵がやられる姿を見るのは多少気が晴れる光景。
しかし、それ以上に折角見つけた獲物を横取りされている思いのほうが強く、だんだん気分が悪くなってくる。
すぐにでも飛び出していって、カラス諸共滅多打ちにしてやりたいが、流石に相手が悪い、どう考えても返り討ちにあうのが関の山だ。
もう、ここにいても意味がない。
あれだけやってしまったら、すぐに警察が飛んできて大騒ぎになるだろう。
龍乃宮の力で、事態をもみ消そうとするのかもしれないが、さてどこまで通用するか。
ともかく、ここにとどまれば自分達まで巻き込まれかねない、そう思って撤退しようとしたカミオであったが、天はここでも彼に味方する。
なんと、一方的にやられていたカラスが、『龍乃宮 剣児』の側近である恋人達を寝返らせて撃退してしまったのである。
遠目から見ていたので、その方法まではよくわからなかったが、ともかく、邪魔者は退場した。
流石、『サードテンプル』の怪『人』ということであろうか。
だがしかし、兎にも角にも今が、今こそが絶好のチャンスだった。
『龍乃宮 剣児』との戦いを無事乗り越えたことで、カラスは完全に油断している。
今ならば、不意を打つことができる。
いや、今この時しかチャンスはない。
ひょっとしたらという思いで、周囲に配置させていた配下の者達に緊急事態の合図を送る。
そして、カミオは『祟鴉』に声をかけ、自分のほうに注意を向けさせると同時に配下の者達を襲いかからせた。
『祟鴉』はすぐに自分の周囲の敵意に気がつき、懐から何かを出して襲撃者達を迎撃しようとしたようであったが、カミオ達のほうがほんの一歩だけ早かった。
カミオ達は仇敵を拉致することに成功。
巨人族をはじめとする力自慢の者達に『祟鴉』の身体を拘束させ、カミオは近くにある廃ビルの中へ連れ込んだ。
そして始まる暴虐の宴。
剛力自慢の自分の手下達にがっちりと拘束させた状態で、四方八方から殴る蹴るの暴行三昧。
少しでも自由にすれば何をしでかすかわからない相手だけに、ちょっとの油断もしないようにと拘束している手下達にしっかり注意した上でのリンチ。
流石のカラスもどうすることもできないようで、殴られ蹴られて壊れた人形のように身体を痙攣させるだけ。
本来なら、仮面やフードをはじめ、身ぐるみ全て剥いだ上で蹂躙してやりたかったのであるが、何をどうしても剝すことができなかった。
現在使用を禁じられている魔力や霊力といった異界の力の類で作られたものかとも思ったが、そういった力の気配は全くない。
と、なると、それとは違う何らかの技術で作られた代物ということになるが、このような技術など聞いたことがなく、配下の者達の中にもこの技術について知る者は一人としていなかった。
自分達が知らない未知の技術。
そのことが非常に不気味であったし、気になって仕方なかったが、この場所ではこれ以上どうすることもできない。
それでもなんとかしたかったが、やはりどうすることもできなかったので、とりあえずそのままにして制裁を加えることにしたのである。
なんらかの特殊効果がこの着衣に込められているのかもしれなかったが、とりあえず、件のカラスは今の状態から抜け出せずにいることから、放っておいてもこちらに害はないと判断し配下の者達に指示して今朝の分の仕返しを存分に始める。
殴る殴る殴る。
一方的に殴る。
蹴る蹴る蹴る。
一方的に蹴る。
巨人族やトロール族、ゴブリン族やオーク族、エルフ族やデモン族、様々な種族の配下達が、たった一人を取り囲み思う存分その暴力を振う。
その光景を少し離れたところで見つめるカミオは、自分に恥をかかせてくれた仇敵がいいように無様に一方的にに嬲られているのを見て、大いに溜飲を下げて愉悦に満ちた醜い笑顔を浮かべる。
「いいざまだな、『祟鴉』殿。余計な手出しをしなければこんなことにはならなかったのに。大した力もないくせにカッコつけようとするからだよ。自分の馬鹿さ加減を猛省したまえよ」
美しい顔を醜悪に歪めながら聞くに堪えない嘲笑を得意げにあげるカミオ。
だが、そんなカミオの耳に、自分の物とは違う別の嘲笑が聞こえてくる。
最初、自分の側近の誰かが、同じように笑っているのかと思った。
だが、周囲を見渡すと自分以外誰も笑っていないことに気がつく。
いったい誰が、そう思って前を見たカミオは、嘲笑をあげていた者が誰なのかに気がつき、怒りで顔を紅潮させる。
「き、貴様・・」
嘲笑をあげていたのは、他ならぬ『祟鴉』その『人』であった。
殴られ蹴られながらも、カミオや周囲の不良達に顔を向け、耐えられないという風に低い嗤い声を上げ続ける『祟鴉』。
そう、『祟鴉』はおかしかった。
おかしくてたまらなかったのだ。
自分達が王様であるかのように振舞い、傍若無人の限りを尽くすこの連中が。
何もわかっていない、何一つとしてわかっていないのだ。
この世の全てのものが、なんでもかんでも力で解決できると思っているこの連中が滑稽で仕方なかった。
とりあえず、殴れば屈伏すると思ったのか?
とりあえず、蹴れば降服すると思ったのか?
確かに『人』の心は弱く脆い。
時には泣きたくなるときだってある、弱音を吐きたくなる時だってある、何もかもを諦めて投げ出してしまいたくなる時だったあるだろう。
孤独に耐えらずその場から逃げ出してしまう時だってある。
しかし!!
それでも『人』は前に進むのだ。
どれだけ傷ついても倒れても動けないと思ったとしても、無理矢理にでも『人』は前に進んでいく。
引きずられるように、押し出されるように、前へ前へと進んで行く。
泣いた分だけ、弱音を吐いた分だけ、投げ出した分だけ、逃げだした分だけ、傷ついた分だけ。
『人』の心は強くなる。
一度折れても折れたところを無理矢理繋ぎ、『人』は強くなって生きていくのだ。
心の傷をいくつも抱えて、それでも生きていくのだ。
そうやって強くなった心はそう簡単には折れない、折れたりしない。
目の前に立つこいつらはそうした想いをどれほど経験したことがあるというのだろう?
いや、この愚か者達にそんな経験はない。
カラスにはわかる。
何度も何度も地面に倒れ、砂と土を噛み、血と涙を流してきたカラスにはわかる。
ここにいるのは血統書つきの上等な飼い犬ばかり。
どいつもこいつも親兄弟に甘やかされ、大した挫折も知らず、ぬくぬくと温室の中で育ってきた室内犬なのだ。
誰かを踏みつけた経験はあっても、踏みつけられた経験はない。
誰かを傷つけた経験はあっても、傷つけられた経験はない。
意味なく吠えるだけしか能のない奴らがこの闇夜のカラスの翼をへし折る?
面白い冗談だ。
実に面白い冗談だった。
怪力任せに殴られ蹴られ、カラスの身体は今、間違いなく瀕死の状態だった。
一応、彼が着ている漆黒の戦闘用コートは対打撃仕様で、ある程度の攻撃は防ぐことができるようにできている。
しかし、それにも限度というものがある。
これだけの人数、しかも剛力自慢の種族の者達に力一杯殴られ蹴られすれば、いくら対打撃仕様でも全ての打撃を吸収しきれない。
両手両足は複雑骨折していたし、あばらは折れ内蔵のいくつかに突き刺さっている。
刺さっていない内蔵でも、破裂していると思われるものがあるとわかる。
仮面にあらかじめ仕込んでおいた痛覚を麻痺させる薬のおかげでなんとか持ちこたえているが、恐らくこのまま放置すればそれほど時間がかかることなくこの世とおさらばだ。
だが、それでも絶対に屈伏することはない。
だが、それでも絶対に降伏することはない。
命乞いはしない、負けを認めたりもしない、最後の最後まであがき続ける、この心臓が動かなくなるその一瞬まで諦めない。
例え殺されることになったとしても、最後の最後まで自分は自分であり続ける。
カラスは低い嗤い声をあげ続けながらも仮面の奥にある二つの瞳に強い光を宿して、周囲の不良達を睨みつける。
殴られながらも、蹴られながらも、決してその光を弱めることなく、一瞬の隙も見逃さないよう見つめ続ける。
「気に入らない、気にいりませんね」
『祟鴉』から発せられる強い闘志が未だに衰えぬことに気がついたカミオの表情が険しくなる。
もっと早くに屈服し命乞いをしてくるかと思ったのだが、生意気なことに仇敵は泣きごと一つ洩らさない。
それどころかこちらに対する敵意を益々強くし、こちらに向けて凄まじい闘気をぶつけてくる。
気に入らない、非常に気に入らなかった。
泣きわめいて土下座して許しを乞う無様な姿を期待しているというのに、あまりにも気に入らない展開、気に入らない態度であった。
カミオは、舌打ちをひとつ漏らして腰から二本の直剣を引き抜く。
本来都市の中で刃のついた武器を持ち歩くことは法律違反なのであるが、バレなければ問題ないと家から持ち出してきたのだ。
そして、面白くなさそうにその二本の直剣を見つめたあと、一本を自分のすぐ横に立つ大柄な『人』影に突きだして渡す。
「ジャック。そろそろ終わりにするから、君、手伝いなさい」
「え、へ? お、俺っすか!?」
カミオが剣を渡したのは、西域牛頭人体族の少年ジャック・ブルータス。
御稜高校の一年生達の中では、最大の勢力を誇る不良集団のリーダーであるジャックであるが、実は中学時代からのカミオの側近の一人。
上級聖魔族としてこの都市でそれなりの権力を持つカミオの父親バエル・ヘイゼル。
そのバエルのボディガードをしているのがジャックの叔父で、その叔父の紹介でジャックは幼き頃にカミオと知りあうことになった。
腐った性根の持ち主同士で気があったためか、ジャックは一つ年上のカミオを兄貴分として慕い、カミオが起こす様々な悪事に加担してきた。
そんなジャックをカミオも可愛がり、父親や一族の権力を乱用して様々な恩恵を授けてきた。
本来、実力では到底入れないはずの御稜高校に入学できるように根回ししたり、ジャックが引き起こす悪事の数々をもみ消したりとそれはもう様々。
そのため、ジャックはカミオに対して表面上は忠誠を誓っており、今日もカミオの要請でカラス狩りに出張って来というわけである。
とはいえ、正直なところを言えば、敬愛する兄貴分の頼みであっても今日は来たくはなかった。
と、いうのも、今日の昼間、彼はある人物にさんざんな目にあわされていたからである。
その人物は自分よりも圧倒的に立場が低く、能力もない弱小種族。
だったはずなのに。
こちらは相手をはるかに凌駕する武力、圧倒的な人数で軽く捻り潰すことができるとタカをくくってかかっていった彼は、物の見事に撃破されてしまった。
もう、このまま家に帰って不貞寝してしまいたい気分だったのだ。
だが、兄貴分はそれを許さず、ぐずる彼を半ば恫喝する形で無理矢理参戦させたのであった。
自分の部下達に盛大に八つ当たりしながらも、なんとかカミオと合流を果たしたジャック。
ジャック自身は『祟鴉』自身に思うところはなく、別にどっちでもいいという感じではあったが、兄貴分の手前手を抜くわけにはいかない。
そこでジャック自ら先頭に立って彼の腕自慢の側近達と共にカラス拉致作戦を決行。
無事カラスの身柄を拘束し、なんとか面目を保つことに成功する。
これで一応義理も果たしたことだし、あとは自分がいなくても大丈夫だろうと判断した彼は、部下達と共にそろそろ帰ろうかと思っていたのであったが・・
「あ、兄気、こんな物騒なもんで何をどうする気だよ?」
直剣を渡されたものの、カミオが自分に何をさせるつもりで渡したのかその真意が見えず、困惑しきった顔で自分よりも小さなカミオを見下ろすジャック。
そんな察しの悪いジャックの様子を呆れたように見つめていたカミオだったが、短い嘆息をひとつ漏らしたあと、怒ったような表情で自分よりも大きなジャックを見上げる。
「決まっているでしょう。それであの忌々しいカラスにトドメを刺すんですよ」
「ああ、そっか。なるほどね、トドメを・・って、と、トドメッ!?」
カミオの言葉にようやく渡された直剣の意味がわかったジャックであったが、わかったが故に驚愕の声をあげる。
「あ、あ、兄気ちょっと待ってくれ。ま、ま、まさ、まさか、殺、ころ、コロ」
「そうですよ。今更何をいっているのですか? だいたい、すでにこれだけさんざんやっているではありませんか。言っておきますが、すでにそこのカラスは致命傷を負っています」
「ち、ち、致命傷!?」
「いったいどれだけ殴って蹴ったと思うのですか? 巨人族やドワーフ族だって耐えきれないくらいの打撲を与えているのですよ。放っておいてもどの道死にます。ここにいる者は全員殺人の罪を犯すことになるんです」
「え、ええ、さ、殺人? えええ、そ、そんなっ!! で、でも、それならわざわざトドメをささなくても」
「このまま泣きごと一つ洩らさず、負けを認めないまま死なれては私の気が晴れません。せめて私の手で決定的な敗北を刻んでやるのです」
そう言ってぞっとするような酷薄な笑みを浮かべるカミオ。
長年カミオと付き合っているジャックであるが、流石のジャックもこの狂気に満ちた笑みを直視することができず思わず顔を背ける。
そんなジャックの様子に気を悪くした風もなく、カミオはまるでゴミでも片付けにいくような軽い口調で恐ろしいことを平然と口に上らせる。
「私がカラスの首を叩き落としますから、あなたは、あいつの心臓に一突き入れてやってください」
「し、しん、しんぞ」
「いいですね?」
明らかに腰が引けているジャックに顔を近づけたカミオ。
一見優しげに笑っているように見えるが、目が全く笑っていない。
それどころか、その狂気に満ちた目は雄弁にあることをジャックに語っていた。
(言う通りにしなければ、今度はおまえを殺す)
長年の付き合いでその目が意味することを正確に理解してしまったジャックは、大きく溜息を吐きだした後、若干身体を震わしながら覚悟を決める。
そして、自分が使うにはやや小ぶりな直剣を両手で掴み、必要以上に力を込めて握るとカミオよりも先に歩きだす。
「ジャック、なんの真似ですか?」
突如やる気を見せ始めた弟分の不可解な行動に眉をしかめるカミオ。
そんなカミオの言葉にジャックは振り返らないままに未だ震える口調のまま言葉を紡ぐ。
「も、もしもの場合、兄貴を主犯にするわけにはいかないから、俺が先にやる。兄貴は俺が心臓刺したあとにやってくれ」
「生意気なことを。ですがまあ、その意気はよし」
弟分の言葉に一瞬顔を顰めて見せたカミオであったが、すぐに表情をほころばせると小走りに駆け寄ってその横につく。
「では、あなたのお手並み、とくと拝見させていただくとしましょう」
「できれば考えなおしてもらいたいんだけどなあ」
「何かいいましたか?」
「言ってないっすよ」
あくまでもにこやかな表情のまま、狂気を垂れ流し続ける自分よりもはるかに小柄な兄貴分をなんとも言えない表情でそっと盗み見たジャックであったが、最早止めることは不可能と判断すると、自分の部下達に拘束されて壊れた人形のようになっている黒装束の怪『人』のほうに視線を向け直す。
明かに折れているとわかる手足は、間違っても曲がらない方向に曲がり、黒装束の袖口からは真っ赤な血がとめどなく流れ続けている。
恐らくそう待つこともなく絶命することは間違いない。
それから刺しても問題ないんじゃないかなどと、ここにきてヘタレたことを考えるジャックであったが、その満身創痍の怪『人』から放たれ続ける恐ろしいまでの闘志を見て即座に考えを改める。
今、目の前にいる怪『人』が放っている凄まじくも恐ろしい闘志。
その闘志を彼は知っていた。
(こいつまさか)
『祟』の仮面と黒づくめでぼろぼろの戦闘用コートに隠された謎の『人』物。
だが、そのシルエットはどこか彼が知る人物と重なるものがある。
そういえば、その『人』物もこの怪『人』同様に、恐ろしいまでの技量で『道具』を使いこなしていなかっただろうか?
もし、もしも、その『人』物とこの目の前の『人』物が同一の存在だとするならば。
ジャックの背中に一瞬にして大量の汗が拭き出し流れ始める。
(もしそうなら、そうだとするならば、兄貴だけの問題じゃねぇ。絶対にここで殺しておかなくては。あいつは、あの化け物は俺たち以上に執念深い。ここで見逃せば、いったい何をされるかわかったもんじゃねぇ)
ジャックは昼間に自分が味わうことになった屈辱の数々を思い出した。
それは単純な暴力によるものではない。
とても他人には言えない、いや、絶対に知られたくない屈辱の数々。
味あわされただけでも十分な屈辱だというのに、それは味あわされただけでは終わらなかった。
その屈辱の秘密を、今、相手はしっかり握りしめているのだ。
(あの秘密を暴露されたら俺は生きてはいけない。もし、こいつがあいつ自身だとするならば、好都合ってもんだ。証拠隠滅の為にもここで死んでもらう!!)
心の中でそう決意したジャックは、横に立つカミオと同じような冷徹な色を瞳に宿す。
カミオは自分の横に立つ舎弟の雰囲気が変わったことを敏感に察知したが、その殺意がまっすぐカラスに向かっていることを悟ると、満足そうな表情を浮かべて追及することをやめる。
「おまえが何者かは知らん。こうなってくるとむしろ知りたいとは思わん。だから死ね。ともかく死ね。今すぐ死ね」
ぼそりとそう呟いたジャックは弓を射るように剣を引いて構える。
その切っ先は真っすぐに『祟鴉』の心臓へと向いていた。