第六話 『そして、二人は巡り合う』 その8
二つの人影が暗闇の中を舞う。
拳と拳の激しい乱舞を。
他の誰かにみせるためではない、しかし、誰が見ても美しく、そして、誰が見てもどこか悲しい乱舞を。
二つの人影は舞い続ける。
一つの影は愉しげに、そして、余裕をもって。
もう一つの影は悲しげに、そして、全力をもって。
(どんな策を弄してくるのかと思ったから念のためにエシルリスト達に周囲を固めさせたのだがな。こうも真正面から拳を交えてくるとは思ってもみなかったわ)
相手が繰り出してくる嵐のような攻撃の数々を余裕たっぷりに受け捌きつつ、姫子は心から愉しそうに笑みを浮かべる。
中学時代、姫子は親友と共に『Great The Great』という武闘集団を作り上げ、地元の不良達相手に日々戦い続ける毎日を送り続けた。
それは不良達から一般生徒を守るとかそういう大義名分の元に行っていたわけではない。
ただただ自分に与えられた力を存分に振いたかっただけである。
ただただ自分が身に着けた技を存分に振いたかっただけである。
己の内に潜む恐ろしい破壊衝動。
それを満たすためだけに姫子は暴れ続けた。
暴れに暴れて暴れまくった。
そして、どこまでもいつまでも暴れ続けた結果、やがて城砦都市『嶺斬泊』東エリアと中央エリアの中の中学、高校に在籍している不良達で姫子に表立って歯向かう者はいなくなってしまったのだった。
姫子が暴れ倒したエリア一帯の不良達のほとんどが『GTG』の傘下に収まり、姫子の視界から拳を向けられる相手がほぼ完全に消滅した。
もしこのあともまだこのまま暴れ続けるならば、残っている西、北、南のエリアに進出していくか、『外区』の『害獣』でも相手にするしかない。
しかし、どちらも姫子は選ぶことはなかった。
他のエリアでは名を馳せるような猛者の存在が確認できなかったのと、『外区』に出て行くことは一族から厳しく止められていたからである。
そして、悶々としているうちに中学校を卒業する日がやってきた。
もう自分と拳を交えるに足る強い相手はいない
姫子は大きな寂寥感を抱えながらもそう判断し、『GTG』から引退する決意を固める。
こうして一年と少し前、姫子はこういった拳を振るう世界から一旦足を洗ったのだった。
その後高校に進学し、中学時代の荒々しい男と見間違うような姿から一転、清楚で可憐な女子高生の姿へと見事に転身した姫子は、その姿にふさわしい生活態度で高校生活を送るようになる。
中学時代の姫子を知る者達からすれば、想像できないような穏やかな日々を続けて行った姫子。
一応、学校内のもめ事を処理するという名目で、喧嘩の中に飛び込んでいくようなことはあるにはあるが、一年前のような狂犬じみた行動はみられなくなっていた。
が・・
彼女の心の中の『喧嘩屋』の炎は全く消えてはいなかった。
幼馴染を守るためと称して喧嘩の仲裁に入ることがたびたびある姫子。
しかし、本当はそれを理由に喧嘩の中に飛び込んで、自分と拳を交えるに足る猛者を探していたのだ。
いや、幼馴染を守る為という理由が全くのウソというわけではない。
彼女は幼馴染の少年のことを大切に思っていたし、守りたいという気持ちも決してウソではないのだ。
だが、それが全てでもなかった。
学園のアイドルを演じていながらも、彼女は己の拳を存分に振るえる時、場所、そして、相手を探し求めていた。
(極上というには少々手応えが足りない。しかし、私に真っ向から勝負を挑むだけの胆力だけは流石というべきか)
心の中でそう呟きながら、懸命に自分に拳を振ってくる黒装束の怪『人』を見つめる姫子。
自分と同じくらいの身長、大きなコートではっきりとはわからないが自分よりもさらに華奢な体格。
全身をだぶだぶのコートで覆い隠しているためその種族は全くわからない。
少なくとも自分と同じような角のある種族ではないだろう。
もし角があるのなら、いくらフードで隠そうとしても隠せていないはずだ。
あと獣人系の種族とも違うだろう。
獣人系の種族のほぼ全てには尻尾があるが、この人物には尻尾がない。
尻尾は獣人系種族にとって、大事なバランス感覚器官である。
衣服の下に隠すことができないわけではないが、その場合尻尾の動きを阻害することになるため、動きが格段にぎこちなくなってしまう。
確かにこの人物の動きは自分よりも劣るが、それでも並の戦士以上の動きを見せている。
そう考えると、このコートの下に隠して動いているとはまず考えられない。
(『人』型種族だろうな。妖精族か、あるいは聖魔族の人型種か、まあ、どちらにせよ種族の特定はできんか。あと、性別も・・)
姫子は心の中でそう呟くと、自分に拳を放ってくる目の前の人物を凝視する。
手合わせをし、直接拳を交えてみたが、やはりわからない。
この黒装束の怪『人』、男とも女ともつかない不思議な身体をしている。
姫子はこれまで何人もの猛者達と渡り合ってきた。
その相手となった者達は実に様々で、自分よりもはるかに年齢の高い者もいたし、びっくりするくらい幼い相手もいた。
男もいたし、女もいたし、そうかと思えば男でも女でもあるものもいたし、あるいは男でも女でもないものもいた。
そういった幾多の戦いを生き抜いてきたことで、いつしか姫子は拳を交えることである程度相手の性別を特定できる能力を身につけていたのだが、その感覚に響くものが全くないのである。
実に不思議な相手であった。
男のようにも感じるときがある、しかし、女のように感じるときもある、そして、どちらとも思えないように感じるときさえあるのだ。
掴みどころが全くない。
あえて無理矢理例えるとするならば、意思をもった人形と戦っているような感じであろうか。
(『策士』という噂とは違っていたが、『正体不明』という噂のほうは本当のようだな。いったいこいつは何者なのか?)
小首を傾げて相手を観察しながらも、間断なく繰り出される怒涛のラッシュを隙なく捌き、余裕でかわしていく姫子。
魂無き人形が戦っているにしては燃え上がるような熱い闘志、熱い拳。
しかし、こちらから攻撃し、めり込んだ拳から伝わってくるその感覚はどこか生き物のものとは違う何かのような不思議な感覚。
その感覚に戸惑うものの、自分の拳が効いていないのかと思えばそうではなく、姫子の一撃がその身体に叩きこまれるたびに、目の前の人形は苦悶の様子を見せ、低い嗚咽を漏らしている。
明らかに相手は弱っていっていた。
もし、これが本物の人形ならば、疲れたり痛みに退いたりすることはないはず。
機械のように最後まで正確に全力で戦い続けるはずだった。
しかし、相手の動きは機械からはあまりにも程遠い。
(いったい、こいつはなんなんだ。う~む。よくわからん。よくわからんが)
怪『人』の攻撃を余裕で捌きながら、観察を続けていた姫子であったが、唐突に考えることをやめ、結論を出す。
「やめじゃ。もう、飽きた。思ったよりもおまえはおもしろうなかったな」
『!?』
腰の入った右ストレートが飛んでくるのを、片手で受け止めて見せた姫子は、大あくびをしてみせながら馬鹿にしきった表情で相手を見つめる。
その顔に浮かんでいるのは完全に相手を見下しきった傲慢極まりない表情。
「だがまあ、暇つぶしにはなった。私の相手、大儀であった。もう、下がってよいぞ」
呆気に取られたように固まっている黒装束の怪『人』に傲然と呟いて見せる姫子。
その次の瞬間、姫子は怪『人』の拳を放して解放すると、目にも止まらぬ速さで前蹴りを怪人のどてっ腹にたたき込む。
『ぐ、ぐうっ!!』
たまらず後方に吹っ飛んでいく怪『人』。
なんとか足をばたつかせて地面に足をつけて踏ん張る。
そして、砂煙をあげながらも勢いを殺し、ある程度下がったところで踏みとどまることに成功したのであったが、しかし。
『!?』
「ぬるい。ぬるいな、お主。全然なっとらんわ」
踏みとどまったと思ったそのとき、顔をあげた怪『人』の前には、肉食獣の笑みを浮かべた姫子の姿。
一瞬にして間合いを詰めた姫子は、反応が遅れた怪『人』の隙を見逃さず、一気に攻勢に出る。
「チェストチェストチェストチェストォォォォォォ!!」
『きゃあああああああっ!!』
拳と蹴りの凄まじいばかりの連続攻撃。
正拳突きから、回転回し蹴りへ、そのまま、態勢を整えて裏拳、肘打ち、のけぞるところを無理矢理捕まえてその頭を膝へと叩きつける。
ふらつく足にローキック、崩れた所にミドルキック、そして、とどめのハイキックで側頭部をしたたかに蹴り飛ばし、横薙ぎに吹っ飛ばす。
やりたい放題に相手を蹂躙する。
まるでサンドバックか、組手用の木人でも相手にしているかのように容赦なく攻撃を叩きこむ姫子。
嵐のような攻撃はいつまでも続く。
悲鳴をあげながらも怪『人』は必死に防御態勢を整え耐え凌ごうとするが、姫子はその防御を力任せに叩きつぶしながら大技を叩き込む。
次第に防御も取れなくなってきて、ただ殴られるまま蹴られるままの状態になっていく怪『人』。
そんな怪『人』の様子を見ても姫子は攻撃の手を緩めようとはしない。
それどころか、その攻撃は更に激しさを増し、それと共に、姫子の表情にも変化が現れ始める。
攻撃を仕掛け始めた頃には真一文字に結ばれていた口元は、いまやだらしなく歪んで開いてしまっており、そして、その表情は醜悪極まりない笑みとなっていた。
「はっはっは、踊れ踊れ踊れ!! 踊れカラス!! 上手に踊って私を愉しませろ!!」
久しぶりに振るうことができる暴力に、姫子の理性のタガは完全に外れてしまっていた。
愉悦に歪んだ表情で、実に愉しそうにその暴虐の牙と爪をふるい続ける。
あまりにもひどすぎる凶行ぶり。
彼女の護衛役達は、当然その状況に気がついていたが、周囲に群がる姫子の取り巻き達がいまだに大勢いるため助けにいくことができない。
『あ、あか~ん。やっぱ、二人の間の実力に差がありすぎる!!』
『このままじゃやばいわね。よし、ここは私達で食い止めるから、『雲』は『零』を連れて姫・・いや、リーダーの救援に』
襲いかかってくる不良達を鉄棍で薙ぎ倒しつつ冷静に二人の戦いを見つめていた『雨』が、隣で戦っている『雲』に指示を出そうとする。
しかし。
『それは、ダメだ』
不良達を蹴散らしながら二人のところにやってきた巨漢が、制止の声をかけ、二人の前に立ちはだかる。
『な、なんでや、『申』はん!?』
今にも駆け出そうとしていたところに待ったをかけられた『雲』が、今にも泣きだしそうな声で食ってかかる。
『おまえらもわかっているはずだ。これはあの二人の問題だ。いや、正確にはおまえ達の主自身の問題。自分で自分を越えるための戦い。自分の力で戦い抜き、勝たなくてはいけない問題なんだ』
『で、ですが』
納得できないと巨漢に食ってかかろうとする『雨』。
だが、巨漢はゆっくりと首を横に振りながら、野太い声で断言する。
『信じろ。おまえ達の主を信じろ。大丈夫、絶対に大丈夫。おまえ達の主は絶対に・・勝つ!!』
『な、なんでそんな自信たっぷりに言い切れるんや?』
『俺の背中にあいつがいるように。おまえ達の主の背中にもあいつがいるからだ。あいつが後ろにいる。あいつが後ろで見守っている限り、おまえ達の主はちょっとやそっとじゃ諦めない、くじけない、負けやしない。見ろ!!』
そう言って巨漢が指さすほうに視線を向けた『雲』と『雨』は、信じられないものを見て覆面の下で大きく目を見開く。
『『ひ、姫様!?』』
一方的に殴られ蹴られ、最早防御することもできぬまま、暴虐の嵐にさらされ続けていた黒装束の人影。
誰が見てもあとは倒れるだけと思われた。
だが。
「そろそろ終わりにしようか、黒カラス!!」
相手が限界に近いと悟った姫子は、トドメを刺してこの戦いを終わりにすべく、渾身の力を右手に込める。
そして、腰だめにした状態から、獰猛な叫びと共に放たれる凶悪な拳の一撃。
誰もがこれで終わったと思った。
姫子も、姫子の取り巻き達も、そして、怪『人』自身も。
しかし、拳が届く寸前、諦めようとする怪『人』の心に誰かの声が聞こえる。
(もう諦めちゃうの?)
(だって・・だって、実力に差がありすぎるもの。身体能力も、武術の技術も、戦いのセンスも何もかもあの子のほうが上なんだもん)
(だからなに? 身体能力が相手のほうが高いから諦めるの? 武術の技術が相手のほうが勝っているから諦めるの? 戦いのセンスが自分よりも優れているから諦めるの?)
(だって、そうじゃない!! 私なんかよりも物凄く圧倒的に強いのよ!? そんな相手に勝てるわけないでしょ!?)
(そうだね。そう思うよね、思っちゃうよね。だけど・・だけどね。僕は諦めなかったよ)
(!!)
諦めようとする怪『人』に対して投げかけられた一つの言葉。
その言葉の意味を知っている怪『人』は、自分の心の中に立つ一人の少年に視線を向ける。
(辛いよね、痛いよね、苦しいよね。自分は何もしていないのに、何も悪いことをしていないのに、どうしてこんな目にあわなくちゃいけないんだろうって思うよね)
(ごめん、ごめんなさい。ごめんなさい、私・・私ずっとずっとあなたにひどいことを。あなただけじゃない、自分がたくさんの人達にひどいことをしているのに、それを知ろうとしなかった、それを気付こうともしなかった)
(ううん、それはもういいんだ。もういいんだよ。だって。だって、君はもう知っているんだから、もう気がついているんだから。だからここにいるんじゃない)
(許してくれるの? あなたにあれだけのことをした私なのに、あなたにあれだけひどいことをした私なのに)
(許すも何もないでしょ? だって君は・・君は僕の大切な『友達』なんだから)
にっこりと穏やかにほほ笑みながら、光の中の少年は暗闇の中に座り込んだままの怪『人』にその手を差し伸べる。
(さあ、立って。大丈夫だよ。君は負けやしない。だって今の君は『人』の痛みや、苦しみや、悲しみを知っているんだから。そんな君が、力だけの彼女に負けるわけないじゃない)
(私が・・あいつよりも強いっていうの?)
(あったりまえじゃない。だって、君の後ろには、ミナホちゃんや、はるかちゃんや、Kや、詩織さんや、そして、僕がついているんだから!!)
(!!)
光の中で少年は怪『人』に力強く頷いて見せる。
(見せてやりなよ、本当の力を。誰が本物かってことを。君が知ったたくさんの気持ち、たくさんの心をその拳にのせて!!)
(・・わかった。わかったよ、連夜!!)
姫子が放った一撃が怪『人』の顔面に吸い込まれようとした瞬間、『崇』の仮面の下にあるその瞳に再び光が宿る。
突如、怪『人』の姿がブレて見え、次の瞬間、姫子の拳は怪『人』の残像を突きぬけて空を切る。
「な、なんだと・・うおっ!?」
『はあっ!!』
驚き慌てる姫子の横に突如として現れた怪『人』は、姫子の脇腹めがけて凄まじい双掌打を食らわせて身体ごとその場から弾き飛ばす。
流石の姫子もまさかここにきてぼろぼろの怪『人』が息を吹き返すとは思っていなかった。
反撃に対して何も用意していなかったため、まともに食らうことになってしまい、すぐには回復することができず、その場で脇腹を押えて苦悶の表情を浮かべる。
「き、きさまあああああっ!」
相手を侮りきっていたために、無様にも反撃を許してしまった不甲斐無い自分。
そして、自分のプライドを盛大に傷つけてくれた黒装束の怪『人』に対する二つの怒りで咆哮をあげる姫子。
そんな、姫子を仮面の奥から悲しみに満ちた瞳で見つめる怪『人』
『あなたは・・あなたは何も思わないの? ただ、自分が思うようにいかなかったから吠えるだけなの?』
「はあっ!? 何を言ってるのだ、貴様!?」
『あなたが振ってきたその拳が、どれだけの『人』に辛い思いを、悲しい思いを、苦しい思いを与えてきたか。考えたことはないの?』
「知らん。なぜ考えなくてはならないのだ? 弱いくせに強いふりをするから悪いのだろう? そういう輩をぶちのめして何が悪い!?」
『本当に・・本当にあなたはかわいそうな『人』ね』
「だ、誰がかわいそうな人だ!?」
姫子の言葉を聞いた怪『人』は一旦下を向いて深い嘆息を漏らす。
そこには深い深い悲しみと悔恨。
しかし、それを振り払うように首を二つほど横にふった怪『人』は、これまで以上に強い決意と覚悟のオーラを放ちながら顔をあげる。
『今度こそ。今度こそ私は迷わない』
「何?」
『痛み、嘆き、苦しみ、力持たぬが故に差別される『人』達が抱えるたくさんの悲しみ。しかし、それに負けることなく前を向いて生きる『人』達が持つ勇気、友情、喜び、そして、優しさ。たくさんの心、たくさんの気持ちを私は知った。無知で愚かだった私だったけれど、それでもあの『人』はそんな私を見捨てずにずっとずっと側にいてくれた。側にいて、いろいろな心を私に教えてくれた。そんな・・そんな大事な大事なあの『人』の為に、たくさんの心をくれた大切な大切なあの『人』の為に・・私は戦う!!』
強い、しかし、どこまでも美しい覚悟と決意のオーラを身に纏った黒装束の人物は、仮面に包まれたその顔をキッと姫子のほうに向け直す。
「あの『人』がいる。あの『人』が生きているこの優しい夜を守るために!!」
対峙して立つ姫子にビシッと指先を向ける黒装束の怪『人』。
ぼろぼろの身体、コートのあちこちが破れ汚れ傷だらけ泥だらけ。
汚れらしい汚れ、傷らしい傷はほとんどついていない姫子とは対照的に、満身創痍の姿。
だが、その姿は眼前に立つ姫子よりもはるかに美しい輝きを放つ。
己の傲慢に満ちあふれ、一方的に傷つけられる者の痛みや悲しみを省みない者には決して手が届かない美しい光。
「な、なんだ、そのオーラは? 見ているだけでイライラする!!」
「あなたには決してわからない。自分のことだけしか考えないあなたには。自分さえよければいいと思っているあなたには。自分以外の何ものも認めようとしないあなたには。わからない、わかるはずがない!!」
「黙れっ!! 黙れ黙れ、だまれええええっ!!」
頭を掻きむしりながら苦悩の表情を浮かべた姫子は、やがてその瞳に狂気の色を浮かび上がらせると、拳を握りしめて黒装束の怪『人』めがけて凄まじい勢いで疾駆していく。
最早、怪『人』に怒れる本気の姫龍を止めるだけの力は残っていない。
事態を見守っていた姫子の取り巻き達の誰もがそう思った、だが。
自分めがけて突撃してくる暴力の化身を逃げることなくキッと強い眼差しで見つめた黒装束の怪『人』、いや、漆黒の麗『人』は、真紅の籠手に包まれた左手を前へとつきだす。
その腕の先、長く美しい人差し指と中指の間には、一つの蒼く小さな宝玉。
「いいえ、黙らないわ。あなたは知らなくてはいけない。かつて私が思い知ったように、『人』が『人』と生きていくために学ばなくてはいけない大事で大切なたくさんのことを。あなたは、あなただけは知らなくてはいけない!! そのためにも!!」
様々な想いのこもった真摯な心からの叫び。
その叫びに反応して指先にある蒼い宝玉が美しくも激しい光を放って輝く。
「あの子に正しい道を示すために、私の大事なあの人の心よ、私の大切なあの人の魂よ、私に力を貸して!!」
漆黒の麗『人』の声に応えるようにさらに強い光を放って輝きを増した宝玉の中心に一つの東方文字が浮かび上がる。
その文字は
『勇』
麗『人』はその文字を確認するや右手の籠手のスロットにその宝玉を叩きつけるようにしてセット。
次の瞬間、籠手にセットされた宝玉から飛び出した蒼い光は漆黒の麗『人』の全身を包み込む。
あまりにも想定外な出来事に思わず呆気に取られて立ち止まってしまった姫子の前で、麗『人』の身体に異変が。
姫子につけられたはずの傷が見る見るうちに治っていく。
そればかりではない、薄汚れ、破れ放題だったコートは新品のように美しく変化。
身体のあちこちの傷や汚れが消えると、今度は麗『人』の容姿そのものが変化していく。
漆黒の戦闘用コートは籠手と同じ炎のような真紅の色に変わり、前が外れて左右にわかれる。
コートの下に着ていたと思われる純白の戦闘用アーマーに、ミニスカート、ロングブーツが見える状態になり、コートのフードが後ろに倒れて中からは長く美しい黒髪が流れおちる。
そして、『崇』の一字が書かれていた仮面は左右にわかれてショルダーガードになる。
素顔が完全にさらけ出された状態になった麗『人』。
しかし・・
「くっ、『人』の認識をぼやかす能力か!? 顔が、顔が判別できん!!」
整った顔立ち、間違いなく自分と同年代の少女とまではわかるのだが、肝心の 麗『人』の顔の部分だけが陽炎のように揺らめいていてはっきりと認識できないのだった。
ふとあることに思い至った姫子は苛立った声で麗『人』に問いかける。
「貴様、本当に『祟鴉』なのか!?」
その姫子の問いかけに対し、真紅の麗『人』はどこまでも透明な微笑みを浮かべて口を開く。
「『祟鴉』はあなた達が勝手につけた名前。自分達でつけたのだから、自分達で判断すればいいでしょう?」
「くっ、ならば、改めて問う、おまえはいったい何者なんだ?」
「そうね・・」
少し考えた麗人は、ふとその視線を頭上へと向ける。
そこには大小様々な星々が輝く、どこまでも深く静かな夜の空が広がっている。
中央には銀色の三日月。
しばし黙って見つめていると、その夜空をゆっくりと横切るようにして飛んで行く一羽の鳥の姿が。
それを見た麗『人』は口元にかすかな笑みを浮かべ、視線を再び目の前の姫子へと向け直して口を開く。
「そう、あの人と同じように夜に啼く鳥・・ナイチンゲールってところかしら」
「さ、『小夜啼鳥』だと?」
「ふふ、あの『人』が聞いたらなんていうかな」
自嘲気味に薄い笑みを浮かび上がらせた謎の麗『人』ナイチンゲールだったが、すぐに表情を改めると、強い意志と覚悟を秘めた視線を姫子へと向け直す。
「さあ、決着をつけましょう、『龍乃宮 姫子』。これ以上、その名前で悪いことはさせないわ」
「何を言っている、貴様!? 私の名前をどう使おうと私の勝手だ!! もう頭にきた、本当にぶっ潰す!!」
ナイチンゲールの言葉の意味がわからず、しかし、妙に心に引っかかる言葉にイライラを爆発させた姫子は、今まで見せなかった本気の闘気を剝き出しにして構える。
その構えに対し、ナイチンゲールもまた構えを返して戦闘態勢を取って見せる。
再び燃え上がる二つの闘志、二つの魂。
「遊びは終わりだ、ナイチンゲール。それなりに楽しかったが、もう十分だ。私の拳を食らって沈め」
「もう一度だけいうわ、『龍乃宮 姫子』。痛み、嘆き、苦しみ、力持たぬが故に差別される者達が抱えるたくさんの悲しみ。しかし、それに負けることなく前を向いて生きる『人』達が持つ勇気、友情、喜び、そして、優しさ。たくさんの心、たくさんの気持ち、たくさんの魂、たくさんの大切がこの世にはある。かつて私もあなたもそれを知らなかった。どれ一つとして知ってはいなかった。愚かだった、本当に無知で愚かだったわ。でも、でもね。今の私は知っている。教えてもらったから。大事なあの『人』に教えてもらったから。そして、今もあの『人』が教えてくれるから、与えてくれるから。私は・・私は戦える!!」
万感の思いを込めて紡がれる言葉。
そこに宿る強い想い、強い決意、強い覚悟。
それらに気圧されて姫子は思わず一歩足を後ろに下げてしまう。
「あの『人』が紡ぎ育てるこの優しい夜の平穏。誰にも汚させやしない。私は守る。あの『人』が与えてくれたこの力で!! 勝負よ、『龍乃宮 姫子』!!」
「う、うるさいうるさいうるさ~~い!!」
「うおおおおおおっ!!」
二つの魂、二つの拳が夜の闇を破って走る。
麗しい咆哮を上げ、光と光の間を舞う美しき獣達。
今、決着の時。
夜空を翔ける流星にも似た閃光の一撃。
そのたった一撃が、暴力の化身を打ち砕く。
闇広がる地面に横たわるは夜に啼く鳥に非ず。
地に落ちたるは暴虐の龍。
聖なる鳥に牙を折られ、龍は今、深い眠りに落ちる。
どこまでもどこまでも。
深い深い眠りに。
『終わったな』
地面に横たわる龍族の美しい少女をぼんやりと見つめている真紅の麗人の横にやってきたのは『申』の覆面をつけた巨漢。
全身傷だらけ泥だらけのひどい姿ではあるが、全く疲れた様子は見えない。
巨漢の後ろに視線を向けてみると、あれだけいた不良達のほとんどはすでに逃げ去ってしまっており、この場にとどまっている者はみな、地面に横たわって気絶していた。
その光景を見て安堵の溜息を吐きだしたナイチンゲールは、華のような笑顔を浮かべてぺこりと巨漢に頭を下げる。
「はい、御蔭さまでなんとか終わりました。それもこれも『申』くんのご助力あってのこと。本当にありがとうございました」
『よせ。大したことはしていない。どっちかというと、あんたのところの護衛衆のほうが大活躍だったと思うしな』
『そうやそうや!! 今日はあたしらめっちゃ頑張ったで!!』
『ず、頭脳労働専門のはずなんだけどなあ。なんで、私、あんなに頑張っちゃったんだろ?』
礼を言うナイチンゲールの声に反応し、『申』の巨体の後ろからひょこっと顔を出したのは、『雲』や『雨』の東方文字の覆面をした女性戦士達。
そんな女性戦士達の声に、麗人は慌てて頭を下げる。
「いや、みんなにも感謝しているのよ。本当に。いつもいつも助けてくれてありがとうね。ミナ・・いや、『雲』も『雨』も、そして、みんなもありがとう」
『姫様、感謝の気持ちはわかったけど、お願いやから、あたしらの本名うっかりいわんといてな』
『そうそうバレたら大変なことになるんですから。特に龍乃宮本家筋にバレたらえらいことなんですよ』
『あのな、偉そうに言っているがおまえら人のこと言えないだろ。さんざん俺の名前言いかけていたくせに』
『『「ほ、本当に申し訳ございません」』』
ぼやくように呟いた巨漢の言葉に、一斉に頭を下げるナイチンゲール、『雲』、『雨』の三人。
そんな三人の姿を見て小さい嘆息をもらした『申』は、再び視線を目の前で眠る龍族の美少女に向ける。
『ところでこれどうするんだ? 持って帰るのか?』
「ええ、流石にこのまま放置するわけにはいきませんから。でも、流石に今日という日は堪忍袋の緒が切れましたし呆れ果てました」
巨漢の横に立ち、地面に横たわる龍族の少女を同じように見下ろすナイチンゲール。
何気なくその瞳を覗き込んだ巨漢は、そこに深い悲しみと激しい怒りの炎が浮かび上がっているのを見て顔を顰める。
「高校に入ってからすっかり落ち着いていたようで、安心していましたのに、結局猫を被っていただけなんですね。それだけでも裏切られた気分ですのに、よりによって憂さを晴らすためにあの『人』を狙うなんて。今日はなんとか食い止めることができましたが、いつまた凶悪な牙を剥き出すか・・それならいっそ私の手で」
真紅の籠手に包まれた手刀を静かに振り上げるナイチンゲール。
そんなナイチンゲールの腕を無言で掴んだ『申』は、悲しみに揺れる瞳をまっすぐに見つめながらはっきり首を横に振ってみせる。
「止めないでください。これは全て私の責任。あの『人』に被害が及ぶ前に私自身が決着を!!」
『とりあえず、まずはあいつに相談してみろ』
「そ、そんなことは!! だ、だって迷惑ですし・・」
『あいつのことを信頼していると言った言葉はウソか?』
「ウソじゃない!! 決して、それだけは決して・・嘘ではありません」
『それなら、尚更相談してみるべきだ。多分、あいつもあんた自身から相談しに来るのを待っていると思う』
「そ、そうでしょうか?」
『あんたの知っているあいつと、俺の知っているあいつが同じなら、間違いないと思うがな』
掴んでいたナイチンゲールの細く白い手をそっと放した巨漢は、いたずらっぽくそう呟きながら肩をすくめて見せる。
その言葉に不安そうに巨漢を見上げたナイチンゲールだったが、またすぐに顔を伏せると唇をかみしめて地面をじっと見つめる。
そんなナイチンゲールに近寄ってきた『雲』と『雨』の二人が、その身体を両側から優しく抱きしめる。
『もう、そんな暗い顔しとらんと。相談しようや。あの『人』なら、宿難はんなら、なんとかしてくれるって』
『そうですよ。だって、そうじゃないですか。姫様がこうなってしまった時に、まっさきに姫様の危機を察して龍乃宮本家から助け出してくれたのは他ならぬ宿難くんでしょ?』
『そして、今も、ずっと姫様のことを守ってくれてる』
『『『『『『『私達の、みんなの、本物の姫様。私達の目の前にいる本当の『龍乃宮 姫子』を守ってくれているじゃないですか!!』』』』』』』
「『雲』、『雨』、それにみんな・・」
いつの間にか集まって来ていた他の隊員達もナイチゲールの周囲を取り囲み、わいわいと楽しげに彼女を励まし続ける。
その様子を見ていて、ようやく気持ちが解れたのか、ナイチンゲールはここにきて初めて心からの笑顔を浮かべて見せる。
「そうね。ちょっと・・ううん、かなり遅くなっちゃったけど、相談してみるわ。怒られるかもしれないけど、きっと、彼ならわかってくれるよね」
『そうやそうや、案ずるよりも産むがやすしやで、姫様。っていうか、いっそ、宿難はんとの間で子供作ってホンマに産んでしまうのもええかもしれん』
『そうね~、それもありよね~』
「ば、ば、バカバカバカッ!! な、何言ってるのよ、私とあの『人』は別にそういう仲じゃ・・そりゃ、あの『人』がどうしてもっていうなら考えないでもないっていうか、それはそれでいいかもしれないというか。でも、私とあの『人』の間にある強い友情とか、絆とか、そういうのもあるから・・」
『姫様、姫様? そろそろもどってきてや。ただの冗談なんやで?』
「ふ、ふぇっ!?」
『うちの姫様は本当にもう、からかいがいがあるというかなんというか』
「ちょ、ちょっと、あなたたちね!!」
『雲』と『雨』の漫才のようなやり取りを聞いていた面々の間に笑い声が広がる。
その笑い声に、ようやくナイチンゲールと『申』は今日の激闘の終わりを実感したのであったが、最後の最後でその予感は打ち破られる。
少し休んで息を整えた後、地面に横たわる龍族の少女を肩に担ぎ、その場を立ち去ろうとしたナイチンゲール達一行。
そこに、周囲の偵察に出ていた護衛衆の一人が物凄く慌てた様子で戻ってくる。
『大変です、大変です、姫様!!』
「どうしたの、『電』? そんなに慌てて」
『カラス様が・・カラス様が』
「え・・」
どもりながらも何かを必死に伝えようとする護衛衆の様子に、嫌な予感を覚えるナイチンゲール。
そして、その予感は的中する。
『カラス様が、何者かにかどわかされました!!』
「えええええええっ!?」