第四話 『狐と龍』
慌てて身体を離して逃げようとする連夜だったが、それよりも早く連夜の身体を捕まえた玉藻は、そのまま裏投げのような要領で連夜の小柄な体を持ち上げてベッドの上に放り投げる。そして、連夜が態勢を立て直してベッドから飛び降りようとするよりも早くその上にのしかかると、完全にその身体に組みついて押さえつけ自分の唇を連夜のそれに重ねるのだった。
「た、たま・・んむ・・だめ・・ああん・」
「ごめんね、連夜くん。最初はちょっとからかうだけのつもりだったんだけど、本当に燃え上がっちゃった。一回だけ、一回だけだから、ね」
「ひ、人が来ちゃいます!! んむ・・あふ・・どうするんですか、見られたら!! って、服を脱がさないでください!!」
「大丈夫、お昼休みだし、扉は完全に閉めてるから。ああ、連夜くんの唇柔らかい。連夜くんの体から金木犀のいい匂いがする。本当に食べちゃいたい、きっといい味がするんだろうなあ。でも、そんな連夜くんが痛がるようなことはしたくないし、絶対にそんなことはしないからね。でも、別の意味ではいただきます」
「扉は閉まってても、窓はあけっぱなしじゃないですか!! 外から丸見えです!!」
「大丈夫大丈夫、ここ外からは死角になってるから」
「声は丸聞こえでしょうが!!・・あ、あ、そんなとこなめちゃダメです!! ああん、あふ、いや、だめ・・」
手慣れた様子であっというまに連夜が着ているカッターシャツのボタンを外したうえに、下に着ているTシャツをたくしあげた玉藻は、連夜の小柄だがよく引き締まった体に舌を這わしたり、唇で吸ってみたり、愛撫したりと思うがままに蹂躙し始める。玉藻の巧みな愛の行為にだんだん頭がぼ~~っとしてくる連夜だったが、なんとか頭の片隅に残る理性を総動員して逃げ出そうと最後の抵抗を試みるが、そのときに漏れる切なげな吐息や、仕草が余計に玉藻を刺激してしまい、逃げ出すどころかますます玉藻はその行為をエスカレートさせていく。
完全完璧にその気になってしまった玉藻は、先程までの優しい表情をかなぐり捨て狂おしいまでの激情を自分が組みしいた相手にぶつけようとする。
「た、玉藻さん、だめ・・だめですったら・・ああ」
「ダメじゃないわ。あなたは私のモノだもの。私だけのモノだもの、どこにあろうとも、いつであろうとも、私だけのモノよ。絶対離さない、離しはしない、だから・・私を受け入れて・・お願い」
「玉藻さん・・」
自分を見下ろしている最愛の恋人の金色の瞳を見返した連夜は、そこに自分しか映っておらず、狂おしいほどの悲しいほどの、そして切なすぎるほどの大きな想いがあることを見てしまい、とうとう最後の抵抗をやめて力を抜く。
「もう、玉藻さんは、ずるいです。見つかったら、大変なことになるのに」
「見つかったら、見つかったときのこと。そうなっても、私とあなたの関係は誰にも邪魔させないもの。学校に一緒にいられなくなるのは残念だけど、今の私の愛を貫けないのはもっと嫌なの」
「もっと別のところで貫いてほしかったですけど、しょうがないですね」
「そう、しょうがないの。だから・・ね」
切なげな声でそう呟いた玉藻は、連夜の唇に自分のそれを重ねる。先程とは違い今度は連夜も拒絶したりはしなかった。差し込んでくる玉藻の舌に自分も合わせるように絡ませる。情熱的な玉藻に、それとは対照的にあくまでも穏やかに、しかし、おざなりではなくしっかりした感じでそれを受け止める連夜。
しばらくそうやって重なり合っていた二人だったが、やがて、いよいよ本格的に愛し合おうと、玉藻が自分の白衣に手をかけ脱ぎ去ろうとする。
穏やかな昼の一時、二人の男女がお互いの愛を確かめようとした
その寸前。
「れんやあああああああああっ!!」
『ドガッシャーーーーンッ!!』
可愛らしい少女の絶叫が二人の耳に聞こえたかと思った次の瞬間、何かが破壊される盛大な物音が保健室の中に響き渡る。
呆気に取られて一瞬顔を見合せた二人だったが、その後すぐ、同時に音のしたほうに視線を向ける。二人が重なり合っているベッドからそれほど離れていない場所、保健室にある唯一の扉が、木端微塵に砕け散り、ただの残骸と化して床に転がっているのが見える。いや、見えていたのは扉だけではなかった。その扉があった場所、保健室と廊下のちょうど境界線の上に仁王立ちする一人の少女の姿が。
「ひ、ひ、姫子ちゃん!?」
その少女の正体を知った連夜がうめき声のような声で少女の名前を呼ぶ。
『龍乃宮 姫子』
連夜のクラスメイトにして幼馴染にしてこの学校の生徒会長。
そして、この学校に通う者達の中で連夜と玉藻が恋人同士であるという秘密を知る数少ない人物の一人。
かつて東方にて『神』として君臨し、隆盛を誇った超上級種族である龍族の少女。一見連夜と同じ人間族のように見えるが、頭から生えている二本の荘厳な角が彼女が人間族ではないことを示していた。
連夜と同じ黒髪、黒眼であるが、あくまでも地味な連夜のそれとは違い、その黒は遠目からでもわかる不思議な輝きを持ち、『人』を惹きつけずにはいられない魅力に満ちあふれている。髪や眼だけではない、健康的な色をしたきめ細かい肌、かわいさと美しさの絶妙なバランスを兼ね備える顔、玉藻よりは小さいものの形のいい大きな胸、くびれた腰、健康的な脚線美。玉藻が絶世の美女なら、こちらは完璧な美少女だった。
その美少女が、今にも泣き出しそうに見えるような、怒り狂って暴れ出しそうに見えるような複雑な表情を浮かべ、肩で息をしながら握り拳を固めて立っていたのだ。
「な、な、なんで姫子ちゃんがここに!?」
「連夜!? 連夜大丈夫なのか!? 不良グループに襲われて重傷だって・・連夜、無事なら返事をして!? 無事なのきゃあああああああああっ!! な、な、何やってるんだ、お主達わあああああっ!!」
扉を蹴破った直後には気がつかなかった姫子だったが、保健室の中をきょろきょろと見回したあと、ベッドの上で折り重なっている連夜達の姿を発見。顔を真っ赤にしながら二人を指さし怒りと羞恥に満ちた表情で絶叫する。
そんな姫子の言葉にはっとなった連夜は、慌てて玉藻の下から抜け出すとそそくさとはだけたTシャツを戻し、カッターシャツのボタンを止め直す。そんな、連夜の姿を見ていた玉藻は、情けなさそうな表情を浮かべて連夜にすがりつく。
「あああ、そ、そんなあ、連夜くん、慌てて服を着なくてもいいじゃないのよおおお」
「慌てるに決まってます!! この状況で服を着ないでどうしろっていうんですか!?」
「いや、やることやってから・・」
「無理です!!」
本気で泣きながら無茶苦茶な要求をしてくる玉藻に、顔を羞恥で真っ赤にして速攻で拒絶の言葉を口にする連夜。今度こそ完全に拒絶されてしまった玉藻は、心底情けなさそうな表情で大きく深い溜息を吐きだす。それらの一連の行動が玉藻の美しい顔を完全に台無しにしてしまっていた。
しかし、今の玉藻にとってそんなことはどうでもいいことだった。むしろ、それよりも大事なことがあるといわんばかりに、きっと表情を引き締めると保健室の戸口のところでこちらを睨みつけている少女のほうに視線を走らせ、睨み返す。
「ちょっと、姫子ちゃん、これはいったいどういうことなの!? 保健室の扉にちゃんと立札があったでしょ? あなた字が読めないの?」
「ちゃんと読めるわい!! それよりもなんじゃ、あの立札は!? 何が『本日定休日』じゃ!! どこの学校の保健室に『定休日』があるというのじゃ!?」
「ここ」
「ここじゃな~~い!! しかもご丁寧に鍵までかけよって・・そ、そうだ、お主達、いったいその、ベッドの上で何をしようと・・」
「決まってるじゃない!! 私と連夜くんはね・・」
~しばらくお待ちください~
「・・ってなって最後には連夜くんが私の中に」
「玉藻さん、玉藻さん!! ちょっともう、ほんとにいい加減にしてくださいってば!!」
十八歳未満お断りの内容を熱烈に気合いをこめまくっていつまでも力説しまくる玉藻を、たまらず連夜が割って入って止める。
「止めないで連夜くん、今度という今度はこの子に私と連夜くんが海よりも深く、山よりも高く、世界よりも広く愛し合っていることを教えてやらなくちゃいけないの!!」
「だからって、その内容はあまりにもアレすぎます!! 姫子ちゃんはまだ高校生なんですよ!? 見てください、玉藻さんのしゃべる内容があまりにも刺激的すぎて、姫子ちゃん固まってしまっています!!」
「あら?」
連夜が指さす方向に視線を向け直してみると、玉藻が語る十八歳未満御断りの世界があまりにもリアルで生臭いものだったせいか、その内容に耐えきれずショックを受けて呆然としてしまっている姫子の姿が。
連夜は慌てて姫子に駆け寄ると、持って来ていた水筒を取って中に入っているお茶をコップの中に注ぎ込み、そっと姫子の口にそれを持って行って含ませる。
「ほら、姫子ちゃん、お茶飲んで落ち着いて、ね?」
「う、うん、ありがと、連夜」
「ほら、しっかり持って、落とさないようにね」
「うんうん。もう大丈夫じゃ」
優しい連夜の言葉にようやく落ち着いたのか、若干顔が青ざめてはいるものの、なんとか復活を果たした姫子は再び玉藻のほうをギラリとした視線で睨みつける。
「なんて破廉恥極まりない狐じゃ!! こんなのが・・こんなのが連夜の婚約者だなんて・・絶対認められない!!」
「あ~ら、こんな狐で悪かったわね。でも、もう連夜くんは私のモノだものね。ほら見て、この婚約指輪、きれ~でしょう」
ギリギリと奥歯を噛みしめながら唸り声をあげる姫子に対し、玉藻は挑発するように左手を掲げてみせる。その薬指には普段着用するためにと先日連夜に買ってもらった地味だが美しいミスリル銀でできたフリーサイズの指輪がしっかりとはめ込まれている。
それを見ていた姫子は、物凄い悔しそうな表情を浮かべると、横に立つ連夜のほうに視線を移して恨めしそうに睨みつける。
「連夜、あんな狐のどこがいいのじゃ!? 私のほうが・・私のほうがその・・若いし、控え目だし・・いろいろとその・・す、好きなことさせてあげるのに」
「いや、あのね、姫子ちゃん、何度も言ってるけど、そういうことじゃないんだよね。玉藻さんがさっき言った通り、僕はもう玉藻さんのモノで、玉藻さんの側にいることが僕の幸せなんだ。だからその、姫子ちゃんもそろそろ僕のことは忘れて・・」
「いやじゃ!! 絶対に嫌じゃ!! 今は確かに連夜の心はあの狐が握っているのかもしれない。それが連夜にとっての幸せかもしれない。でもでも、ほんのわずかでも私の入る隙間がある限り、私は絶対にあきらめない!! 私は必ずあの狐から連夜の心を取り戻してみせる!!」
自分の想いを絶叫し再び玉藻のほうに視線を向け直す姫子。その黒い瞳には決して消えることがないのではないかと思わせるだけの強く輝く闘志の炎が燃え上がっていた。
そう、龍乃宮 姫子は連夜のことを愛していた。
幼き頃連夜と出会ってから姫子と連夜の間にはそれはもういろいろなことがあった。敵としてぶつかりあったこともあれば、かけがえのない仲間として共に苦難を乗り越えたこともある。そして、いつしか姫子は、連夜のことを深く愛するようになっていたのであるが、不運なことに彼女が自分の気持ちを自覚したそのときにはもう、連夜の心には別の女性がしっかりと住みついていて、がっちりとその心を握ってしまっていた。
それでも諦めきれずに告白したが、連夜にきっぱりとその想いを受け取ることはできないと告げられた。
こうして、彼女の恋は終わった・・と誰もが思ったのであるが、さにあらず。彼女は諦めなかった。連夜本人に直接拒絶されたにも関わらず、まったく諦めていなかったのだ。
彼女のことを恋愛の対象としては全くみていない連夜であるが、友達としては見てくれている。だとするならば、全く好意がないわけではない。相手は難攻不落であるが、完全に望みは絶たれてはいない、そう思った彼女は再び立ちあがったのだった。(連夜とっては非常に頭の痛いことであったが)
連夜とクラスが一緒であることを最大限に利用し、ほとんど毎日のように連夜にアタックを続けている。勿論、連夜には玉藻という最愛の女性が存在しているわけだから、姫子の想いがそう簡単に報われるわけはないのであり、その予想通り連戦連敗の毎日を送っている。
だが、彼女は諦めない。連夜に断られても断られても不死鳥のように甦り、何度でもアタックを繰り返すのである。
連夜にアタックを繰り返すばかりではない、最大の恋敵である玉藻にも連日のように挑戦状を叩きつけては拳を交えているのだ。
そして、今日も彼女はその拳を、熱き魂を玉藻へと向ける。
「女狐め、今日こそ成敗してくれる!!」
「そういえば、昨日もおんなんじこと言って私にかかってきて、逆に成敗されちゃった女の子がいたわねえ。あれは姫子ちゃんだったような気がするんだけど」
「馬鹿め、昨日の私と今日の私が一緒だと思うなよ。『龍』は日々進化するのじゃ。己が目指す高みに辿りつくため、風に乗り、雲を掴んで、天へと駆けのぼる!!」
「懲りない子ねえ。言っておくけど、私に勝っても連夜くんの心は変わったりしないわよ。まあ、私が負けるわけないんだけど」
「そんなことはよく知っておる。連夜の心は強い。どんなときでも、どんな場所にあっても、その心は簡単に変わったりはしない。その名前の通りいつも夜のように静かで穏やかだけど、決して変わることのない心」
「それがわかっているんだったら、いい加減諦めなさいよね」
一瞬だけ闘志の炎を消し、切なそうな悲しそうな表情を浮かべて隣に立つ連夜を見つめる姫子。そんな姫子を呆れたように見つめながら玉藻は呟いてみせるが、再び玉藻へと視線を移した姫子は再びその闘志をその両目に宿らせる。
「だからこそ・・だからこそ欲しいのじゃ。一度その心を預けたならば決して裏切らぬ強い心、一度その身を預けたならば全力で相手を信じる心、夜のように深くて静かで怖いけれど、心の底から優しくて、心の底から強い『人』。だからこそ、私は連夜に惹かれ・・お主も連夜に惹かれた・・ちがうか?」
「ちがわないわね」
「もし・・もしも、お主と私の立場が逆だったとして、お主ならば諦められたか?」
「諦められないわね」
「手が届かないから、入る隙間がないから・・そんな理由で諦められるほど私は物わかりがいい女じゃない!! 自分が心の底から負けたと思うまで、連夜に対する想いが最後の一滴まで枯れ果てるそのときまで、私は戦い続ける!!」
裂帛の気合と共に放たれた姫子の魂の雄叫び。その闘志に応えるかのように、周囲の空気がびりびりと震える。
並の戦士であれば、今の姫子の姿を見ただけで委縮してしまうだろうが、姫子の眼前に立ちはだかる敵は並の戦士からは程遠い存在であった。姫子の体から噴き出す恐ろしいまでの闘気を見て、委縮するどころか逆に楽しげな笑みを浮かべて見せる。
「連夜くんを狙う恋敵としては決して許せる相手じゃないけど。正直、姫子ちゃんのそういうところキライじゃないわよ。あなたって私と連夜くんの関係を知りながら、それを盾にして言うこと聞かせる様な卑怯な真似しないし」
「この龍乃宮 姫子、例え死んでもそんな腐り果てたことはしたりしない!! それにそんな方法で連夜を手に入れても、本当に手に入れたとはいえない!! 私は正々堂々真正面から連夜をお主から奪い取って見せる!!」
「いいわね、その心意気。わかった、受けてあげるあなたの拳」
「試してみるか、私の拳を!?」
「試すだけじゃ済まさないけどね・・連夜くんに対するその想いそのもの諸共に蹴り砕いてあげる!!」
「行くぞ、如月 玉藻ぉ!!」
「かかってきなさい!!」
白衣や巻きつけ型のタイトスカートを取り去って机の上に投げ捨てた玉藻は、再び戦闘用のボディスーツ姿となって独特の半身の構えで姫子を睨みつける。完全に玉藻がやる気になったことを確認した姫子は、不敵な笑みを浮かべてみせると、どこから取り出したのか指抜き型の真っ赤な小手を両手に着装し、同じ真赤な色をした鉢巻を額へと巻きつけて後ろで固く結ぶ。
狭い保健室の中を一気に膨れ上がる二つの闘志。敵意や害意や殺意ではない、ましてや恨みでもないし憎しみでもない、そこにあるのはただただ純粋な戦意のみ。
二人の闘士は己のプライドを賭けて、その牙を剥く。
まるで己の魂を刻み込むむように固く握りしめられた拳は引き金をひかれる寸前の拳銃のように腰だめに置かれ、そして、己の想いの全てを乗せるかのように引き搾られた足は居合い斬りの前の刀のように静かに大地を踏みしめる。
やがて、その必殺の一撃を秘めた凶悪なその牙が、眼前の敵を屠るために姿を現す瞬間が訪れる。どちらかが合図をしたわけではない、あらかじめ示し合わせていたわけでもない。だが、二人は期せずして同じ瞬間を必殺の好機と定め、同時に動きだす、ただただ目の前に立つ自分の相手を倒すために。
二人は己の牙を最大限の威力で発揮するために、凄まじい勢いで軸足となる一歩を踏みだす。
「吼えろ私の拳!! 嵐となって眼前に立ちふさがる全ての敵を屠り去れ!! いくぞおおお、如月 玉藻ぉぉぉぉぉ!!」
「龍乃宮 姫子、人の恋路を邪魔する奴は、狐に蹴られて地獄に落ちろぉぉぉ!!」
「あ、ちょっとごめんなさいね、はい、ごめんなさいね」
「「えっ?」」
今まさに激突しようとしていた龍と狐。その両者の間を、なんともいえないかわいらしい笑顔を振りまきながら通り過ぎて行く一人の少女。
後ろでくくってポニーテールにした雪のように真っ白で長い髪、頭からは鹿のような二本の角、くりくりとした大きな瞳に、小さな口、玉藻に匹敵するような大きな胸。玉藻や姫子のような際立って美しい少女というわけではないが、平均よりは間違いなく上。
麒麟系の白澤という種族の少女。
その少女は玉藻と姫子の共通の知人であり、連夜ほどではないものの二人の心の中で結構大事な位置にいる少女。だから、二人は剝き出しにしてお互いに向けて放とうとしていた牙を慌てて止めると、その少女に視線を向ける。
すると、その少女は二人に本当に申し訳ないといった表情浮かべながら、ある人物の手を引いてその場をそそくさと立ち去ろうとする。
「ごめんね、お取り込み中に本当にごめんなさい。姫子ちゃんも、玉藻姐さんもほんとごめんねえ。すぐに出て行くから、ちょっとだけごめんなさいね、はい、通して通して」
と、呆気に取られて固まっている二人を尻目に、その白髪の少女はある人物と共に保健室を出て行こうとする。
だが、二人の人物が部屋から出て姿を消そうとした寸前で我に返った二人は、戦い合うことをすっかり忘れて慌ててその少女に声をかける。
「ちょ、ちょっと待てリン!!」
「そ、そうよ、リンちゃん、ちょっと待って!!」
姫子と玉藻に同時に呼び止められた少女は、戸口のところで立ち止まるときょとんとした表情で二人のほうに振り返る。
『リン・シャーウッド』
中学時代から連夜と行動を共にし、連夜が『真友』と呼んで絶大な信頼を寄せている二人のうちの一人。連夜のもう一人の大親友ロムの恋人であり、姫子の大親友でもあり、そして、玉藻と義姉妹の契りを交わした人物。
二人の知己であり、連夜や玉藻や姫子の恋模様の全貌を知る彼女がここにいてもなんの不思議もない、むしろ二人の戦いを止めるために飛び込んできたとしても全然不自然ではない位置に立っている彼女なのだが、明らかに今回彼女の目的はそれではなかった。
それは彼女が手を引いている人物を見ればはっきりとわかる。
「え、何?」
「『何?』じゃないじゃろ!?」
「そうよそうよ!! あのね、リンちゃん・・」
心からわけがわからないという顔をして小首をかしげているリンを、同じような苦虫をかみつぶしたような表情を浮かべてみた二人は、期せずして同時に同じことを尋ねる。
「「いったい、どこに連夜くんを連れて行こうとしているのよ!?」」
「あ~、なんだそんなことか」
必死の形相で詰め寄ってくる二人と対照的に、まったく悪びれた様子もなくてへへと笑ってみせるリン。そんな三人の様子を横で見ていた連夜は、あまりにもリンがのんびり会話をしていようとしていることに頭を抱えていたが、やがて溜息をひとつ吐き出して玉藻達の間に割って入り、リンの代わりに説明を始める。
「すいません、玉藻さんと姫子ちゃんが話し合っている間に、リンがやってきて僕はその説明を受けていたんです。緊急事態なんです。どうやらあの不良グループの中で逃げのびた奴がいるらしくて、そいつがあの襲撃に参加してなかった残りのメンバーを集めて、うちのクラスに押し掛けてきているらしいんですよ。今はロム達が相手してくれているみたいなんですけど、どうやら何人か手強い奴がいるらしくて」
「それで、ちょっとだけ連夜に手を貸してもらおうかなと思ったってわけです」
連夜のあと引き継いでリンが肩をすくめてみせると、連夜は苦笑しながらも深く頷いてみせる。
「そういうわけで、僕、ちょっと行ってきますね。急ごう、リン!!」
「うん。じゃ、ちょっと連夜のこと借りていきますね。お二人は恋人よりも自分達のプライドのほうが大事みたいですから、ここでごゆっくりどうぞ」
早口で玉藻と姫子にそう伝えた連夜は、表情を引き締めるとリンを促して保健室から走り出していく。そんな連夜の声にリンはすぐに応え、後を追いかけようとするが、ちょっと振り返ると意味深に玉藻と姫子の二人にウインクしてみせる。
玉藻と姫子はしばし呆然として、ここから立ち去っていく連夜とリンの後ろ姿を見送っていたが、リンが最後に残したウインクの意味を正確に察するとお互い顔を見合せて苦笑を浮かべる。
「あ~、もう、そこまで言われてやれるわけないでしょ~。ほんとリンちゃんには負けるわ。姫子ちゃんはどう、まだやる?」
「するわけがなかろう。そんなことよりも私には優先すべきことがある!!」
「あら、奇偶ね、実は私もそうなのよ」
そう言ってニヤリと肉食獣の笑みを浮かべた二人は、同時に前を向き見えなくなりつつある二つの『人』影に向かって叫ぶ。
「リン、ちょっと待て、私も行くぞ!!」
「連夜くん、待ちなさい、危ないことしちゃダメっていったでしょ!! ほんとにもうしょうがないんだから!!」
そして、龍と狐は走り出す、自分達にとって唯一無二の大事な少年を守るために。