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真・こことは違うどこかの日常  作者: カブト
過去(高校二年生編)
47/199

第六話 『そして、二人は巡り合う』 その1

 頭が痛い。

 眩暈がする。

 胸が苦しい。

 朝から体調は良くなかったが、少なくとも大学に来るまでは悪いというほどでもなかったのだ。

 それが大学にやってきてから、体調が激変した。

 いや、違う、大学に来てからではない、大学に来る直前、ある瞬間を境にして体調がどんどん悪くなりだしたのだ。

 最悪と言っていいほどに良くない、というか、はっきり悪い。

 気分が悪いなんてものじゃない、お昼に食べたものを今にも全部吐き出してしまいそうなくらい絶不調だ。

 辛い、切ない、悲しい、苦しい。

 様々な負の感情が自分の心の中で渦を巻き、次第に大きくなっていく。

 朦朧とし混濁する意識の中、自分ではない誰かの叫びが聞こえてくる。

 

(確認する必要がある、いや、絶対確認しなくてはいけない)


 いったい、何を確認するというのか、己の心のうちで叫び声をあげるのは自分とは違う誰かの声。


(何故気がつかなかったのか? どうしてわからなかったのか?)


 狂おしくも激しい何かを秘めた声が響き渡る。


(声を一度も聞いたことがないからか? その顔を一度も見たことがなかったからか? 永い永い時の果てに全てを忘れ諦めてしまっていたからなのか?)


 自分を責めるように何度も何度もその声は、彼女の心の中で響き渡り続ける。


(いいや、違う、忘れてなどいない。忘れるものか。あの懐かしい匂い、そして、この腕に抱きしめた時の感触)


 彼女の心の中にいる自分とは違う誰かが、願うように祈るように何かを、いや、誰かを想う。

 その想いはあまりにも重く切ないもので、彼女はとうとう耐えきれなくなり心の内の誰かに問いかける。


『いい加減にして!! 『人』の心の中でわけのわからないことを叫び続けないで頂戴!! あなたが誰だかわからないけれど、叫ぶなら自分の心の中でやってよ。あなたの声を聞いているとおかしくなりそうだわ!!』


(わけがわからない? 本当にわけがわからないというのか? いいや、わかっている。おまえはとうにわかっている)


『わかるわけないでしょ? あなたいったい何者なのよ?』


(わしが何者なのかなど、どうでもいい。そんなことはどうでもいいことなんだ。それよりももっと大事なことがある。おまえだってわかってるはずだ。わからないはずがない。気がついているんだろ? わしと同じように思っているんだろ?)


 問いかけたつもりが逆に問いかけられてしまい、彼女は戸惑いの表情を浮かべる。

 そう、彼女はわかっていた。

 心の内の誰かが、いったい誰のことを気にしているのか、わかっていた。よ~くわかっていたのだ。


『そ、それが、あ、あなたとどういう関係があるのよ』


(わしとだけではない。かといっておまえだけの問題でもない)


『なにそれ』


(そうこれはわしの問題であり、おまえの問題でもある。つまり、わしと)


『そして、わたしの問題なんだ』




「この世界に生きている、如月(きさらぎ) 玉藻(たまも)の問題なんだ」




 静寂に支配されている大学の図書館の中、音楽にも似た一人の女性の呟き声が響き渡る。

 借りてきた本を閲覧するために用意された長テーブルの前に座り、頭を抱えて唸っていた玉藻は、自分の耳に聞こえてきた声が、自分が発したものだとしばしの間気がつかなかった。

 しかし、周囲から向けられるいくつもの視線でようやくそれに気がつくと、隠すようにして顔を下へと向ける。


『わ、私どうしちゃったんだろ? 体調悪いせいでおかしくなっっちゃったのかな?』


(おかしいだと? そんなものならとっくの昔になっている。あれを失ったときから、我らがまともであったときなど一度もない。我らとあれは一対なのだ、あれは我らになくてはならないものだ)


『意味不明なことを言うのはいい加減やめてよ!! なんなのよ、あなた!?』


(わからないフリをするのはやめろ。いや、ひょっとするとわしよりもおまえのほうが・・)


『な、なにもわからないわよ』


 苛立ったように心の内に潜む誰かに叫ぶ玉藻。

 だが、玉藻はわかっていた。

 心の内の誰かが求めているものがなんなのかを、そして、心の内に潜む誰か以上の強さで、自分がその何かを求めているということを。

 玉藻はそれに気がつくと、深く大きな溜息を静かに吐き出すのだった。


 大学の授業を代返で誤魔化そうとしていたことがバレてしまい、追試を受けることになってしまった小学校時代からの親友ミネルヴァ。

 バイト三昧の日々を送りロクすっぽ授業に出ていないミネルヴァと違い、玉藻は真面目にきちんと授業に出ているため追試などとは全く縁がないわけで今日は取得している授業もなく本来は休みの日。

 ところが、悪友であるミネルヴァに泣きつかれてしまったため、大学に来なくてはいけない用事など何もないというのに付き添って出てこないといけなくなってしまったのだった。

 正直、朝起きた時点で体調の悪さを自覚していて、大人しく家で寝ていようかとも思ったのであるが、なんとかなるだろうと軽い気持ちで出てきてしまったのが失敗であった。

 ミネルヴァと合流して大学に到着してから、『人』が少なくて静かな大学構内の最深部にある図書館に移動して体調の回復を待っていたのであるが、良くなる気配は一向にない。

 いや、それどころか悪くなる一方で、幻聴までも聞こえてくる始末。

 今のところ、周囲に『人』が少ないから助かっているが、街のど真ん中で幻聴に対して返事を返すなんてことをしでかしたら、間違いなくどこかおかしい『人』とみられるのは必至だった。


(おかしい『人』なのは、間違いないのだからいいではないか)


『冗談じゃないわよ。私はまともよ』


(どちらでもいい。そんなことよりも、今は重要なことがある。おまえ、なぜわかってて話しを逸らす)


『べ、別に逸らしてはいないわ。わかってないし』


(隠しても無駄だ。関係あると思っているんだろう? おまえ自身特別な縁を感じているはずだ)


『あ、あの子のことは関係ないでしょ? そりゃ、いろいろと私によくしてくれたけど、それだけ。そ、それだけの関係よ、あなたがいうような大袈裟な何かがあるとは思えないわ』


(わしは、まだ具体的に何とも言ってないし、ましてや誰とのこととも言ってない。なのに、あの子なのか?)


『うぐっ』


 鋭い指摘に思わず言葉を詰まらせる玉藻。

 思わぬ大失態により相手に絶好の攻撃チャンスを与えてしまった玉藻は、相手の大攻勢に身構えるが、玉藻の予想に反して心の中の誰かはそうしようとはせず、むしろ気遣うような懇願するような口調で溜息交じりな感じで語りかけてくる。

 

(あのな。否定するならそれでもよい。しかしな、今回だけは頼む。本当に頼むよ)


『な、何がよ!?』


(誰に意地を通してもいいし、心を閉ざすなとも言わん。凶暴で冷淡で依怙地で嘘つきで誰のことも信用しない、それがわしであり、おまえだ。今更本性を変えようもない。しかしな、あいつにだけはそれはいかん。頼む、本当に頼むから、あいつの前でだけは自分を偽るな、隠すな、素直に自分の気持ちを吐きだせ)


『な、な、なにそれ!? べ、別にあんたに言われなくても、そ、そんな簡単なこと私ができないとでも』


(できなかったんじゃ。それができずに、わしは失敗したんじゃ。自分の気持ちはわかってくれているはずだから、別に言わなくてもいいや、なんて思ってな。自分の気持ちを伝えない、相手の気持ちを知ろうとしない。あいつはわかってくれている。自分はあいつのことをわかっている。だけど結局、全部、自分の思いこみだった。あいつはいつも自分の気持ちを伝えてくれていたのに、あいつはいつもわしの気持ちを知ろうとしてくれていたのに、わしはそれに甘えて自分からはしようとはせず、そして、全てを失った。それに気がついたのは失ったあと。もう二度とその目を開くことがなくなったあいつの躯を前にしたとき)


『や、やめて、思いださせないで!!』


 自分の記憶ではない誰かの記憶が頭の中に流れ込んでくる。

 そこにあるのは一人の少年の姿。

 質素な茣蓙の上に寝かされた十代後半と思われる人間族の黒髪の一人の少年。

 なんともいえない安らぎに満ちた表情で目の前で眠っている。

 声をかければすぐにでもその目を開いて起きてくる、そう思わせるような穏やかな表情。

 しかし、玉藻にはわかっていた、少年が二度と目を覚ますことがないことを。

 その優しさに満ちた瞳で自分を見つめることも、自分への想いで溢れた声で語りかけてくることも二度とないことも。

 認識したくない、しかし、自分はそれをとっくの昔に認識し受け入れてしまっていた。

 だが、だからといって、何も感じないわけではない、むしろ、受け入れてしまったことが、新たな悲しみと苦しみを生み、彼女を襲う。


『いやあ、いやあ、いやよおおおっ!! 目を開けて、私を呼んで、置いていかないで、置いていかないでよおっ!!』


 自分が体験したことではないはず、こんな記憶は自分の中にはない、幻だ。

 そう思いこみ否定しようとしても、別の自分がすぐに肯定する。

 悲しみと苦しみの濁流があっというまに玉藻の心を押しつぶし、玉藻の瞳からあっというまに熱い何かが噴きこぼれ流れおちる。


(もう二度とこんな想いをしたくない)


『もう二度といやよ、あんな想いは)


(わかっているのなら動け。なぜここで止まっているのだ?)


『そ、それは』


(おまえはわしとは違う。違うのだ、如月 玉藻。わしは、何もわからぬままにあいつに出会い、何もわかっていないままにあいつに甘え、そのままあいつを壊してしまった。だけどおまえは違う。もし、わしやおまえが予想している相手があいつであるならば、きっと大丈夫だ。きっと・・きっとわしやおまえが気がつくずっとずっと以前から、あいつはきっと気がついていたに違いない。わしがわしであることに、おまえがおまえであることに。わしのときとは違う。わしとおまえが違うように、あのときのあいつと、今のあいつは違う。だから、だから大丈夫だ)


『で、でも』


(みよ、如月 玉藻。我らの周囲に群がるやつどもの目を。あの欲望に満ちた瞳を)


 心の声に促されるままに顔をあげた玉藻の瞳に、自分の席を取り囲むようにして座る男達の姿が映る。

 種族はみな様々。『人』型種族の者もいれば、『獣』型種族の者もいる。

 みな一様にそれなりに整った顔立ちに、容姿をしていて、優男風のほっそりしたいかにもなイケメン風の者もいれば、それとは対照的にがっちりした体格で男らしい姿をした者もいるのだが、彼らの視線は全てテーブル中央に座る玉藻に向けられていて、そこには異様な熱が込められていた。

 『人』の姿にも、『獣』の姿にもなることができる上級獣人種族『霊狐族』。

 五百年前、他の上級種族同様に隆盛を誇り、栄華を極めていたためなのか、その血筋に連なる者達は総じて美形が多いのだが、中でも玉藻は突きぬけた容姿の持ち主であった。

 『人』の顔でも『狐』の顔でも美麗なうえに、その身体は大抵の男がふるいつきたくなるような凹凸の効いたプロポーションを誇っている。

 それゆえに、玉藻を狙っている男性は多く、彼女の側には常に男達が群れ集うようになっているわけだが。


(澱み濁った瞳ばかりよ。上っ面の顔が気に入ったのか、それともこの肉体か、あるいは力や血筋か。いずれにしてもロクなものではない)


『そうね』


 侮蔑を隠そうともしない心の声に、玉藻は冷めきった心で同意し、嫌悪感でいっぱいになった視線を周囲へと向ける。

 しかし、そんな玉藻の視線に気がついていないのか、周囲の男達は大学きってのクールビューティが自分に関心を向けてくれたと都合のいいように捉え、愛想笑いを浮かべながら親しげに話しかけてくる。


「如月さん、具合悪そうだね、大丈夫? よかったら、車で送って行こうか?」


「いやいや、俺が保健室に案内するよ」


「待て、如月さんは都市病院に私が連れて行く」


 口調こそ心配しているようであるが、我こそがと次々と話しかけてくる男達の表情には隠し切れていない醜い欲望が浮き彫りになっており、玉藻は痛む頭とムカムカする胸を左右の腕で押さえながら苦々しげに男達を睨みつける。


(変わらぬな。わしがわしであったときとなんら変わらぬ。自分の頭の中で思い描き作り上げた都合のいい女として見つめる濁った瞳ばかりだ。おまえをおまえとして、如月 玉藻として、本当のおまえとして見つめる瞳は、ただの一つも見当たらぬ)


『そうね、それも変わらないわね。生まれたときからそうだったけど、何も変わらない。私を私として真っすぐにみてくれる瞳なんて見たことないわ。世界は灰色のままよ』


(それは嘘だ。一度だけある。それはおまえもよくわかってるはず)


『でも、その瞳の持ち主はもういない』


(だから、すぐに動かないのか? 真実を知ったときに絶望しないようにか? あいつに今までの恩を返すとか返さないとか、いちいち理由をつけて動くことを否定したりはしない。だがな、ほんのわずかな刻でも、目を離した隙に二度と手の届かなくなるものもあることを思い出せ。また今度会った時に、そう思っておまえは二度とそいつと会えなくなったのではなかったのか?)


『うっ』


 心の声は、具体的に誰とは言わなかったが、玉藻にはそれが誰のことか瞬時に理解できてしまった。




『お姉ちゃん、僕のお嫁さんになってくれる?』




 子供の戯言、しかし、そう言いきれない何か強い想い、強い覚悟に満ちた言葉。

 今でもはっきり思い出せる。

 なぜ、あのとき一言、『いいよ』って言ってあげられなかったのか。そして、側にいてあげなかったのか。

 後悔してもあのときは二度と戻らない。


(仮面の奥に隠れたあいつの瞳をわしは一度も見たことがない。それどころか声すら一度も聞いたことがない。だから、わしはあいつかどうか、判断できぬ。だけど、見ればわかる。聞けばわかる。いや、わしでなくてもわかるはずだ。おまえならわかるはずだ。わからないわけがない、だから)


『あ~、もうっ、わかってる。わかってるわよ!! でもね、私の勘違いだったら、ほかの奴と一緒だったら』


 玉藻は思いきりテーブルを両手で激しく叩いて立ちあがると、心の中の声に絶叫する。

 突然の玉藻の行動に、周囲の男達が唖然とした表情で見つめて来ていたが、そんなことにかまっていられなかった。


『怖いのよ、知るのが、怖いの。わかる? 今までさんざん裏切られてきたわ。身内にすら裏切られてきたの。裏切らなかったのなんて、ブエル師匠やミネルヴァも含めて両手の指の数ほどもいないのよ? あいつも・・あいつも、もし、そうだったら。それなら、返せる恩を返して距離を置いて、今まで通りの関係でいるほうが』


(あ~、話の途中腰を折ってすまんがさえぎらせてもらうぞ。わしの思念もここらあたりが限界だ。そろそろ消える。元々、消えるのが前提だったのに、最後の力を振り絞って無理に無理を重ねて刷り込んだ残留思念。長くはもたないのはわかっていたが、ここまでのようだ。まあ、消えるのは構わない、消えると言っても完全には消えるわけじゃない。おまえとして生きていくだけのこと、それだけのことだ。しかしな、折角おまえとわしに別れている今の状態であるから、置き土産を残して消えようと思う。わしがわしで、おまえがおまえなら、この意味がわかるじゃろうから)


『え? 置き土産?』


 心の声に不吉な感じを覚えた玉藻は、一瞬心の中で問い返してみたが、その不吉な感じの正体はすぐに目の前に姿を現した。

 

「へっ?」


 凄まじい勢いで迫りくる右拳。

 周囲に群がる男達のうちの誰かのものではない。

 それは、紛れもなく自分自身の拳。

 気がついた時には、見事に自分の右頬に拳はめり込んでいた。


「げ、げふっ」


 長年の修練によって鍛え上げられた拳の威力を存分に味わう羽目になり、一瞬意識が遠のきかける玉藻。

 そんな玉藻に、心の声が楽しそうに話しかける。


(目が覚めたか?)


『い、いたたた、あ、あんたねぇ、ちょっと人の身体をなんだと』


(ぐだぐだ言ってないで早く行け。そもそも思い悩むような性格じゃないじゃろうが。行って、捕まえて、確認して、間違いなかったらさっさと自分のモノにしろ。いいか、誰にも渡すなよ。そして、誰にも害させるなよ。それからそれから・・)


『もう、あんたいちいちうっさいわ!! わかったわよ、行けばいいんでしょ、行けば!!』


(ははは、期待してるぞ、如月 玉藻。今度こそがっちり捕まえて逃がすなよ、ずっと・・ずっと見てるから・・な)


 心の声は玉藻の中で徐々に小さくなり消えていった。

 玉藻はしばらくテーブルの前に棒立ちしたままで空虚に天井を見上げていたが、心の声が今度こそ聞こえなくなったことを確信すると、大きく息を吐きだして肩を落とす。

 そして、頭を片手で押さえながら首を横に二つほど振ってみたが、そのときになって、自分の頭痛や吐き気がなくなっていることに気がついた。

 相変わらず体調は良くなくて身体はダルイままであったが、気分はそれほどでもない。

 むしろ、何かやけに高揚している自分がいる。


「私らしくないか・・それもそうね」


 自嘲気味にそう呟くと、すぐ横にいた何人かの男達がその言葉に反応して一斉に口を開き玉藻に声をかけてくる。


「た、玉藻さん、大丈夫ですか?」


「何かお悩みのことでも?」


「よかったら、僕と一緒に外の空気を吸いに行きません・・」




「だまれっ!!」




 男達の声で喧騒に包まれる図書館に、玉藻の物凄い一喝が響き渡る。

 ただの一喝ではない、武術の達人である玉藻が、『気』を乗せて放つ必殺の一喝である。周囲でその一喝をモロに浴びせられることになった男達の口は一瞬にしてフリーズ。

 再び図書館に静寂が戻る。

 玉藻は、そんな図書館の様子を満足気に見つめたあと、吹きすさぶ冬山のような冷たい視線で周囲の男達をねめつけ、その場を離れていくのだった。


「え、ちょ、た、玉藻さん、いずこへ」


「貴様らには関係ない」


 かろうじて玉藻の一喝から立ち直ることに成功した剛の者が、立ち去っていく玉藻に果敢にも声をかけるが、玉藻はその言葉をバッサリ一刀両断して見せる。

 そして、背中から強烈な武のオーラを放ち、追いかけて来ようとする男達を無言で牽制すると颯爽と図書館を後にするのだった。


「そうだ・・おまえらには関係ない。興味もない。私が用があるのは、私が用があるのはな」


 図書館から外に出た玉藻は、周囲を歩く学生達が視線を向けてくるのも構わず、次々と身につけている服を脱ぎ棄てていく。

 その異様な様子に男ばかりではなく、女性達も目を丸くして足を止めるが、玉藻は全く意に介す様子を見せぬままにあっというまに全裸になり、そして、凄まじい勢いで大学の外に向かって走り出した。

 

「待ってなさい、すぐに。すぐに会いに行くからね」


 美しい碧眼がみるみるうちに鮮血に似た赤へと変わって潤みを帯び、凹凸がはっきりしたプロポーションは徐々に崩れて巨大化。

 やがてその姿は全身を金色の獣毛で覆われた一匹の美しい大狐へと変化する。

 大狐は何かを決意した瞳で、ある方向をキッと見つめると、身を一陣の風と化して走り出す。

 そして、たくさんの学生達が呆気に取られて見守る中、大狐は大学の高い塀をあっという間に乗り越えて姿を消してしまったのだった。




 そして、それから数分後。





「あ~、やっと追試終わった。たまちゃん待ってるだろうなあ、だいぶ待たせちゃったからなあ。よし、今日は私が奢るか」


 と、ようやく追試が終わったミネルヴァがのんきな表情で試験会場の校舎から姿を現したのであるが。

 あらかじめ玉藻との待ち合わせ場所にしていた図書館へ足を向けようとしたミネルヴァは、外の様子がなにやら騒がしいことに気がついて足を止める。


「ねぇねぇ、何があったの?」


 騒いでいる学生達から少し離れた場所に、自分の顔見知りの同級生達を見つけて捕まえたミネルヴァは、騒ぎの原因を聞きだそうとしたのだが。


「あ、スクナーさん。いや、それが、如月さんが・・」


「え? この大騒ぎの原因って玉藻なの? あ~、あれでしょ。またどこかのサークルかなんかが玉藻を合コンか何かに誘おうとしてしようとして蹴られたんでしょ?」


「いえ、それならいつものことなんですけど」


「違うの?」


 同級生達はミネルヴァの予想に頷きを返そうとはせず、非常に微妙な表情を浮かべるばかり。

 てっきり自分の予想通りだとばかり思っていたミネルヴァは、同級生達の微妙な反応を見て少しばかり驚いたが、驚いてばかりもいられず、ともかく騒ぎの本当の原因を聞きだそうと、さらなる質問をするために口を開く。


「え~~っと、結局何があったの?」


「それが・・私達もわからないんです」


「はぁ!? わからない?」


「ええ。突然図書館から出てきた如月さんが、歩きながら服を脱ぎ出したと思ったら」


「その、下着も何もかも全部脱いじゃって」


「そのあと狐の姿に『獣化』したと思ったら、大学の塀を乗り越えて外に飛び出して行っちゃったんです」


「えっ、えええええええっ!?」


 一部始終を目撃していたという同級生達の証言を聞いたミネルヴァは、しばし呆気に取られたようにその場に立ち尽くしていたが、やがてのろのろと特に騒ぎが大きくなっている方向に視線を向け直す。

 すると、そこにはたくさんの男性学生達が群れ集っており、道に落ちていた玉藻の着用していた衣服をめぐっての大乱闘の真っ最中。

 どうみても本気の殴り合いであることから、間違いなくこの大学で一、二位を争う美女で、男性達の秋波を毎日一身に受けている玉藻の着衣をめぐってのことと確信する。

 ミネルヴァはその乱闘に参入して大親友の着衣を取り戻そうかとも思ったが、落としていったのはどうやら衣服だけで貴重品は含まれていないことを見てとると、参戦を見送り、代わりに携帯念話を取り出して彼女のルーン番号をかける。

 しかし、予想通り、玉藻の持っている携帯念話に着信はしているようなのだが、出る気配が全くなく、ミネルヴァは溜息を吐きだしながら諦めて携帯を懐に戻す。


「たまちゃんに何があったんだろ。う~~ん。とりあえず、家に帰って連絡を待つか。私の力が必要なら絶対遠慮せず念話してくるだろうしね」


 小学校時代からの付き合いがあり自他ともに認める大親友である玉藻のことを信頼し、待つことに決めたミネルヴァは、その場を後にして家路につくことにした。 

 後にミネルヴァはこの日の夕方に起こることになったある重大事件の顛末を知り、何故、このとき親友の自宅前で張り込んでおかなかったのかと、人生最大の後悔をすることになるのだが、それはまた別の話。

    

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