表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
真・こことは違うどこかの日常  作者: カブト
過去(高校二年生編)
38/199

第四話 『燃えよ!! 緋の鳥』 その6

 澄み切った抜けるような美しい青空には眩しい太陽が輝き、その太陽の下ではたくさんの生徒達が思い思いに昼休みの一時を楽しんでいる。中庭にあるベンチに座って仲のいい友達同士でおしゃべりをしているものもいるし、携帯ゲームを持ちこんで必死になって今話題のゲームに夢中になっているものものいる。運動場ではボールを使って何人もの生徒達が楽しそうに遊んでいたり、鬼ごっこのようなことをして走り回っているものもいる。

 みな実に楽しそうだ。連夜は体育館裏にある小高い丘の上からその光景を見つめ続ける。その瞳には若干の羨望の色が浮かんでいて、ほんの少し寂しげな笑顔を浮かべていた。しかし、すぐにそれらを消してしまうと温かくて優しい色を浮かべて見つめ、その後首を横に振って表情を引き締め直す。

 そして、自分を取り囲む全然楽しそうに見えない者達へと視線を向け直すのだった。

 御稜高校の一番奥にある体育館裏。そこは他の場所よりも一段高い小高い丘となっており高校の全体が見渡せる景色のいい場所となっているのだが、『人』が寄り付くことはめったにない。と、いうのもここは不良達が気に入らない奴を連れ出して私刑(リンチ)にするために使う場所として有名であるからだ。

 連夜達がここにやってきたのは勿論景色を楽しむためではない、どちらかと言えば後者のほうの理由でここにやってきたわけだが、かと言って連夜は不良達におとなしく私刑にされるつもりはさらさらなかった。


「おい、このあたりでいいだろう。たった一人で俺達についてくる度胸は褒めてやるが、手加減する気は全然ねぇから覚悟しろや」


 偉そうなことを言って両手の拳をわざとらしくボキボキと鳴らして見せるミノタウロス族の巨漢の少年。連夜はその姿を呆れ果てた表情で見つめて嘆息する。


「あのねぇ、ついてきたのは僕じゃなくて君達でしょ? 牛に見えるけどひょっとして君って本当は鳥なの? 三歩歩くと全部忘れちゃうってやつ?」


「う、うっせぇうっせぇ、こまけぇことはどうでもいいんだよ!!」


 連夜の鋭いツッコミに、ミノタウロスの少年ジャックはだんだんと地面を踏み鳴らしてそれを誤魔化そうとする。そんなジャックの様子を侮蔑の色を隠そうともせずにじっと見つめ続ける連夜。挑発するかのように口を吊り上げ、邪悪極まりない笑顔を浮かべた連夜は、取り囲む不良達を舐めるようにして視線を走らせていく。血のめぐりが悪い不良達でもそんな連夜の態度が自分達を挑発するものだとわかったようで、みな怒りの表情を浮かべ中心に立つ連夜を睨みつける。


「この薄汚い人間のちび」


「なめた態度しやがって!!」


「二度とそんな態度ができねぇように念いりに叩き潰してやるぜ!!」


 恫喝の言葉を口々に叫ぶ不良達を見て連夜はビビるどころか益々邪悪な笑顔を深くしていく。


(聞きあきたよ、その手の脅し文句はさ。本当に独創性がないよね、この手の『人』種は。みんな同じようなことしか言わない、いい加減うんざりだ)


 表面上の底なしの邪悪な笑みとは違い、心の内では何とも言えない苦笑を洩らす連夜。毎日のように不良達に絡まれ続け、一年間通して学校に登校した日で全く絡まれずに済む日など、数えるほどしかない連夜。これまでに彼が戦って来た不良達は様々で、それはもう実にバラエティ豊かなもの。そこら辺にいる口だけのチンピラのような奴、群れなければ何もできない大人数だけが頼りのグループ、かと思えばたった一人で『武』を貫き通していた『東方武人(サムライ)』のような剛の者もいたし、連夜なみに頭がキレて統率力があり手下達を自在に操る強敵もいた。 

 しかし、それはむしろわかりやすい『敵』であり、戦いやすい相手であった。こういった表面上明らかに『私達は不良です』と喧伝しているような奴らはまだいいのだ。厄介なのは一般生徒のフリをして直接的な攻撃は仕掛けてこず、間接的に攻めてくるような相手。

 体操服や教科書を隠す程度ならまだかわいいほうで、椅子の上にノリをぶちまけておいたり、他の生徒や先生にひどいことをしておいてそれをさも連夜がやったかのように偽装したり、ひどいときだとカバンごと焼却炉に放り込んだりしておいて知らん顔している者もいる。

 内も外も敵だらけ。そんな中で連夜はずっとずっとず~~っと生きてきたのだ。そういったことが日常茶飯事の毎日を過ごしてきたのだ。連夜にとってそんな生活はすでに当たり前で、いつものことにすぎない。ところが目の前の不良達ときたら、叩き潰してやるだの、なめた態度しやがってなどと言っているだけで未だに仕掛けてこない。

 連夜が怯える様を見てから仕掛けてくるつもりなのだろうか? 実に悠長なものである。連夜という生き物をちょっとでも知っている奴らなら、そんな悠長なことはしていないだろう。とっくに連夜に対して仕掛けてきているはずだ。それもあらゆる手段を使って潰しにかかってきているだろう。

 目の前に立つミノタウロス族の少年は、体格こそ実に立派なものであるがまだ高校に入ったばかりの一年生。恐らく連夜がどういう生徒なのか知らないで仕掛けてきたに違いない。

 貧弱そうな人間族のくせに生意気で目ざわり、ちょっと捻れば紙屑のように吹っ飛ぶから一つしめておこう、そう気楽に考えていたに違いない。心の中で何を考えようとそれは個人の自由だ、思う存分想像の世界を楽しんでくれればいい。しかし、それを現実のものとして押し付けられるのは御免こうむるというものだった。


(さて、どう戦うかな?)


 相手は今まで連夜が相手にしてきた不良達の中でも間違いなく最低ランクに位置する奴ら。取り立てて注意しなくてはならないところはないず。そして、何よりも地の利は圧倒的に連夜に有利。どうとでも料理することができるはずだった。

 身内に対しては決して向けることがない邪悪極まりない笑顔を浮かべて不良達を見つめる。身体中から溢れ出る禍々しい『闇』の気配を隠そうともせず、懐から取り出したいくつもの『珠』を両手の指にはさんで取り出し、目の前でバツの字に組んで構える。

 連夜は何の武術も会得してはいない。巨人族のような怪力も、獣人族のような俊敏性も、ましてや上位種族が持っている様々な身体的な特殊能力を何一つとして持っていない。敵を噛み砕く鋭い牙も、敵を引き裂く爪も持ってはいない。しかし、それでも連夜は戦う。自分には何もないから、どうすることもできないからと諦めることは絶対にない。

 どんなことをしても、どんな手段を使ってでも彼は自分の肉体が動かなくなるそのときまで諦めることなく戦い続ける。

 連夜は鋼の意思を秘めた黒い瞳を不良達に向ける。そんな連夜が放つドス黒いプレッシャーに不良達は一瞬たじろぐ様子を見せたが、リーダーのジャックがそれを打ち消すように凄まじい雄叫びをあげてみせると、その雄叫びで我に返る。そして、それを合図にして次々と連夜へと殺到していく。


「死んどけ、人間!!」


「うざいんだよ!!」


「おとなしくボコられとけやぁ!!」


 飛びかかってくる不良達を嘲笑するようにして見ていた連夜だったが、すぐに大地を蹴って自ら不良達の中へと飛び込んで行く。四方八方から飛んでくる拳の雨を地面を転がりながら避けると、彼らの足元に手にしていた『珠』を投げ付けてばらまく。一瞬連夜の姿を見失った不良達がきょろきょろと周囲に視線を走らせている間に、ヒルトロール族の巨漢の大きく開いた足の間に飛び込んで抜けると、連夜は片膝を立てた状態で振り向いて『珠』が無くなって空いた片手で印を斬る。


『勅令!! 【破裂】!!』


 連夜の言葉に反応して地面にばら蒔かれた『珠』が次々と破裂し、不良達の足元を何かの液体が埋め尽くす。不良達は自分達の足元にいったい何の液体がばら撒かれたのかわからず、不安になって一瞬棒立ちになる。


「な、なんだこりゃ!?」


「やばい液体か!? 毒か!?」


「い、いやなんかただの水みたいに見えるぞ?」


「水? ただの水か!?」 

 

 自分達の足元をバシャバシャさせて大いに慌てまくる不良達だったが、自分達の足元から何の異臭もせず、自分達の身体になんの変化もないことに気がつくと、そっと屈みこんでばら撒かれたものを確認する。するとそれが正真正銘ただの水であることに気がつき、騙されたという表情を浮かべて少し離れたところに立つ連夜に怒りの声をあげる。


「てっめえ、くだらねぇいたずらしやがって!!」


「水ばらまいたからなんだっていうんだ!?」


「脅かしやがって、絶対ボコってやる!!」


 そう叫ぶと再び連夜に殺到しようとする不良達。しかし、そんな不良達の様子を見た連夜は怯えるどころか、とてつもなく邪悪な笑みを浮かべてみせる。そして、殺到してくる不良達の足元目がけもう片方の手に持った『珠』を投げつけると、近くにある大きな木の枝に飛びつき片手で自分の体重を支えながらもう一方の片手で印を斬る。


『勅令!! 【電撃】!!』


『ぎゃ、ぎゃああああああああっ!!』


 連夜があとから地面に投げ付けた『珠』から飛び出たのはとてつもない威力の電気。地面にばらまかれた液体の上全体を一瞬にして走り抜けたそれは、その上にいる不良達に容赦なく襲いかかりあっというまに黒こげにしてしまうのだった。


「おやおや、いい色に焼けたねえ。でも、安心していいよ、見た目ほどダメージ受けていないはずだから。一応電力は抑え目にしておいたんだ。ただ、無理すると内臓に障害が出るかもしれないからおとなしく寝ておいたほうがいいけどね」


 ぶら下がっていた枝から飛び降りた連夜は、水溜りの中でぴくぴくと痙攣して倒れている不良達をバカにしきった表情で見つめると皮肉気な口調で必要以上に優しく語りかける。そんな憎たらしい連夜の姿を水溜りの中から見つめる不良達は、激しい怒りの唸り声を発しようとするが出てくるのは弱々しい呼吸音ばかり。連夜に襲いかかるどころか全身を駆け巡る激痛で全く動けない状態で、ちょっとでも触られれば火傷の痛みに失神してしまいそうだった。

 そんな不良達の姿をしばらく見つめていた連夜は顔を横に背けて俯かせると、不良達に見えないようにこっそりと溜息を吐きだす。


(やっぱり気持ちのいいもんじゃないね。こういうの。いつまでたっても馴れないなあ)


 これまでの経験からこういった手合いの前で甘い顔するのは厳禁だということはよ~くわかってる。それをしてしまった為に手痛い教訓を体で支払ったことも一度や二度ではない。しかし、どうしても連夜という少年は最後の最後で非情になれない性分なのだった。


(終わったあと、こっそり『療術』をかけておこう。このままでも身体に異常が出るとは思えないけど、念の為にかけておいたほうがいいよね。折角今日は夕方からあの『人』に会えるっていうのに心に屈託を残しておきたくないもんね)


 自分を私刑(リンチ)しようとした相手に対して甘いも甘い、大甘な考えだとわかってはいたが、それが自分だと半ば諦めるように心の中で呟く。しかし、このときの連夜は別の意味でも甘い考えに陥っていた。いつもなら決してしない大失敗をここで犯していた。

 夕方から会える自分の想い『人』とのことが頭のどこかにあり、連夜の思考回路を微妙に狂わせていたのだ。しかし、それに気がついた時には最早手遅れ。連夜が不良達に再び視線を戻したときには、目の前に巨大な壁が迫っていた。


「なっ!? しまっ!!」


「ふっとべや、チビ!!」


 肩から突進してきたミノタウロスの一撃が、まともに連夜の小さな身体を直撃し、宙へと舞い上げる。咄嗟に両腕を交差して十字ブロックを作ったが、怪力で誇るミノタウロスの一撃をまともに受けてしまったのだ。宙へと舞い上げられる瞬間、連夜は自分の左腕からビキッという嫌な音がするの聞き、そして、それが決して曲がらない方向へと折れ曲がるのが見えた。


「ぐふっ!!」


 そればかりではない、両手越しに伝わっってきた凄まじい衝撃が連夜の身体を貫き、連夜はたまらず口から空中に血を噴き出してしまう。くるくると宙を舞い、血できた虹を作り出す連夜。しかし、それで彼らの攻撃が終わったわけではない。ミノタウロス同様に連夜の電撃から逃れることができた何人かの獣人系の不良達が、その驚異的な身体能力で連夜を追って空中へと飛びあがり、その小柄な身体に容赦ないドロップキックを浴びせて更に吹っ飛ばす。


『さらに飛んで行け、くそ人間!!』


「ぐああああああっ!!」


 弾丸のように一直線に宙を走りぬけ、連夜はその行く先にあった大木に激突してようやく止まる。そして、連夜の全身を襲う凄まじい激痛。それは頑丈なドワーフ族でも耐えられずに失神してしまいそうなほどのもの。しかし、連夜は意識を手放すことなくそれに耐えきると、地面を転がりながら不良達との距離を開けると折れていない右手を背中にまわし、一本の小さな棒のようなものを取り出す。

 それは『金剛杵(ヴァジュラ)』といわれる法具で様々な『珠』や『薬品』といった『道具』の効果を増幅させる能力を持つ。連夜は片手に持った『金剛杵(ヴァジュラ)』を空中で複雑に何かの印を描くように振り回し念を込める。

 普段連夜は『道具』を使用する場合にこう言った補助器具をほとんど使用しない。そんなものを使用しなくても十分に『道具』の効果を発揮させるだけの技量を持っているからである。しかし、そんな連夜がわざわざ補助器具である『金剛杵(ヴァジュラ)』を出した。それには勿論理由があった。


「させるかぁっ!!」


 連夜の不振な動きに気がついたミノタウロス達が、そうはさせじと雄叫びをあげながら肉薄してくる。それを横目で見つつ焦りの表情を浮かべる連夜。彼が行おうとしているのは『薬品』の効果を増幅させて力を解き放つ『療術』と呼ばれる術。『薬品』は普通に飲んだり塗ったりするだけでも病気を治したり、傷口を塞いだりすることができるできるが、『療術』によって効果を増幅させることによって、一人にしか効果がないものを複数にまで効果を及ぼしたり、『薬品』を飲んでも治るまでに一週間かかるものをわずか一日で治してみせたりと、更なる効果を発揮させることができる。

 特に今連夜が印を描いているものは、肉体を元の健康状態に復元させるというかなり難しい術で、この術を発動させることができれば、骨折を治し打撲を瞬時に治すことができるが、複雑な印を空中に描かなくてはならず、発動させるために必要な集中力も並大抵ではない。

 いつもの連夜であればそれほど苦労することもなく術を発動させることができるのであるが、いくら並はずれた技能を持つ連夜とはいえ、ここまで傷ついた体でこのような高等技術を完遂させるのはなかなか難しいものがある。しかし、ここで回復することができなければ、ミノタウロス達の餌食になるだけ。

 なんとしても己の肉体を回復させて反撃するために、連夜は普段使わない補助器具を出し、失敗するリスクを少しでも減らすことにしたのであった。

 『金剛杵ヴァジュラ』は連夜が『道具』の使い方を学び始めたときに、尊敬する父親がプレゼントしてくれた補助器具。一般で市販されている補助器具とは比べられない能力を持ち、どんな難しい術であったとしても連夜はこれを使ったときに失敗したことがない。だからこその『金剛杵(ヴァジュラ)』なのだ。

 とはいえ、どれだけ完璧に術を唱えても、どれだけ素晴らしい補助器具を使っても途中で攻撃を食らってしまっては術は失敗し、その効果は霧散してしまう。

 連夜は自分に迫りくる凶悪なミノタウロスの姿を睨みつけながらも、逃げることなく術に集中する。どのみちここまでやられてしまっては、ある程度回復しないと反撃どころかまともに動くことすらままならない。


(諦めちゃダメだ!! 最後まで戦うんだ!!)


 鋼のような意志を込めた瞳を燃え上がらせて、連夜は迫りくる不良達を睨みつけ回復の印を空中に描き続ける。微妙なタイミング、印を描き切るのが早いか、不良達が辿りつくのが早いか。時間にしてわずか十秒前後のごく短い時間。しかし、その場にいる者達からすればひどく長く感じられる時間の流れの果てに、双方は同時に訪れる結果を悟ってそれぞれの声をあげる。


「くそっ、間に合わない!!」


「はっはあっ!! 死んどけ人間!!」


 悔しげな声をあげつつも、それでも諦めることなく印を描き続ける連夜と、その巨大で凶悪な拳の射程距離に連夜が入ったことを悟って勝利の雄叫びをあげるミノタウロス。

 今、理不尽な暴力が、それに抗う小さな魂を踏みつぶす。大した理由もなく踏みつぶす。力さえあれば正義なのだと、力のないものは死ねばいいと、そう叫んで小さくも気高い魂を無残に踏みつぶす。

 それでも連夜は最後までミノタウロスを睨みつける。自分を踏みつぶそうとしている理不尽の象徴のようなその巨大な拳を睨みつける。例えここで倒れても決して踏みつぶされたままでは終わらないという意思を込めて睨みつける。


「つぶされとけやあああっ!!」


 凶悪で無慈悲な咆哮が響き渡り、破壊の拳が連夜の眼前に迫る。

 食らえばただでは済まない、全種族の中でも特に強大な怪力を誇る西域牛頭人体(ミノタウロス)族が繰り出す一撃。下手をすれば二度と起き上がれない体になるかもしれない。 


 だが・・


 そのとき絶望の大地に一羽の鳥が舞い降りる。

 自らが飛ぶべき空を見つけた緋色の鳥が舞い降りる。

 優しい夜を守るために、鳥が、緋色の鳥が、魂を燃やして戦うことを決意した鳥が。


 そして、緋の鳥は舞い降りた。 


「うおおおおおおおっ!! 理不尽粉砕!!」


 連夜の頭上で一人の少年の雄叫びがあがる。


 連夜は見た。


 自分の顔のすぐ間近で止まるミノタウロスの巨大な拳を。


 自分の前で勝利を確信していたミノタウロスの顔が絶望と苦痛に歪むのを。


 ミノタウロスの腹に深々と突き刺さる紅蓮の炎に包まれた拳を。


「あ、あ、君は」


 呆然と連夜が見詰める中、ミノタウロスの腹から拳を引き抜いた『人』物は連夜のほうへとゆっくりと振り返る。燃えるような真紅の髪、凛々しい顔、引き締まり鞭のような筋肉に包まれた鋼の長身。


宿難(すくな)、遅くなって済まん。大丈夫か?」


 どこか悲しげな、しかし、連夜のことを心から案じているとわかる優しい笑顔で語りかけてくるのは、あの(ルー) 緋星(フェイシン)だった。

 連夜の幼馴染の一人、龍乃宮 剣児の宿敵。連夜とはクラスメイトの間柄だが、剣児と仲良くしている連夜のことを毛嫌いしていたはずで、つい先程も連夜に対して決して友好的とは言い難い態度で接してきていたというのに、この変化はいったい何事なのか。

 連夜は自分が今絶対絶命の大ピンチであることも忘れて、思わず目の前の緋星(フェイシン)をまじまじと見つめてしまう。しかし、緋星(フェイシン)はそんな連夜の視線に気がつかず、それよりも連夜の身体の状態に先に気がついて顔を悲痛に歪める。


「け、怪我をしているじゃないか、宿難!? その腕、折れているのか!?」


「あ、う、うん。でも、いつものことだから」


「いつものこと!? これがいつものことなのか!? こんなボロボロになるのがいつもの状態だというのか!?」


 つい先程までの非友好的な緋星(フェイシン)とは全く別人のようになって、連夜の身体を我がことのように心配してくる目の前の『人』物に、どう接していいかわからず、思わずあまり考えることなく答えてしまった連夜であったが、その言葉が緋星(フェイシン)の表情をいつもの激しいものへと変える。

 しかし、それはいつものようでいつもとは全く違う激しさ。それに気がついた連夜は、ますます困惑の色を強める。


「る、(ルー)くん、なんだよね?」


「すまん、すまん、宿難。いくら謝っても足りない、足りなすぎる。ボクは本当に目が見えていなかった。何も見えていなかったんだ。見なくちゃいけなかったのに、それから目を逸らしてきたんだ。すまない、本当にすまない。こんな状態にいつもなっている君に対してとてもじゃないけど許してくれなんて言えない、だけど、だけどボクは!!」


 顔を俯かせ声を詰まらせて涙をぼろぼろと流しながら、頭を下げ続ける緋星(フェイシン)を連夜はしばらく呆然と見つめていたが、すぐに表情を引き締めるとその手を掴んで身体ごと強く引っ張って横へと飛ぶ。すると、その数瞬あと、先程まで緋星(フェイシン)がいた場所をミノタウロスと、数人の不良達が繰り出した凶悪な拳が凄まじい勢いで通り過ぎていくのが連夜達の目に映る。


「うわあ、あの拳を受けてまだ戦えるんだ。すごいね、君。僕、君のことを侮っていたよ」


「ふ、ふざけんなよ、人間。一人が二人になっても状況はかわらねぇんだよ・・ごほ、げほっ」


 折れた片腕を治しながら半分呆れて半分称賛するという奇妙な表情でミノタウロスを見つめる連夜。そんな連夜に対し追撃しようとしたミノタウロスであったが、先程緋星(フェイシン)に受けた一撃がまだ治らないのか激しく咳き込んでその場にうずくまる。

 ミノタウロスの両脇で彼を守るようにして立っていた側近と思われるジャッカル型獣人族の三人の不良達が、その様子を見て慌てて駆け寄る。


「じゃ、ジャックさん大丈夫ですか!?」


「俺に構うな、早くあいつらをやっちまえ!!」


「し、しかし」


「ミノタウロス族の耐久力をなめんじゃねぇ!! こんなもん唾つけときゃなおる!! それよりもてめぇらがぐずぐずしているもんだから、あのやろう折角折ってやった片腕治しちまったじゃねぇかよ!!」


 巨大な拳を地面に叩きつけて悔しがるミノタウロスの様子を少し離れたところで見ていた連夜は、やれやれと肩を竦めて見せる。そして、その後治った左手をぐるぐるまわして調子を確かめ、問題ないことを確認すると横に立つ緋星(フェイシン)のほうへと視線を向けるのだった。


「ともかく助けてくれてありがとう、(ルー)くん。だけど、これ以上ここにいるとロクなことにならないから、早く離れて教室にもどって。後は僕一人で大丈夫。な~に、いつものことだからさ」


 そう言ってにっこりと緋星(フェイシン)に笑って見せた連夜は、再びミノタウロス達のほうへと視線を向け直す。自分を害そうと、いや、隣にいる少年共々害そうと迫りくる不良達の姿を邪悪な笑みを浮かべて睨みつける。一応笑みを作ってはいるが、その目は全然笑っていない。その黒い瞳に宿るのは彼の表情を覆う邪悪な笑みと同じ色の意志ではない。そこに映るのは大事なものを絶対守りぬくという鋼の意思。

 悲しく切ないほどの決意。

 ついさっきまでの緋星(フェイシン)ならそれに気がつかなかっただろう。連夜のことを知らなかった緋星(フェイシン)だったら、何も言わずここを立ち去っただろう。だけど、もう緋星(フェイシン)は知っている。知っているのだ。その瞳に宿る決意や想いが深いものであるかを。だからもう気がつかない振りはできない。絶対にだ。

 緋星(フェイシン)は、不良達を迎撃するために一歩踏み出そうとした連夜の腕を掴んで止める。


「え、ちょ、(ルー)くん」


 緋星(フェイシン)の行動の意味がわからず、再び困惑の表情を浮かべて見つめる連夜。その連夜の黒い瞳を、緋星(フェイシン)は真っすぐに見つめ返す。今度は決して逸らしたりはしない。その悲しいまでに優しい心が宿った夜空のような黒い瞳をどこまでもまっすぐに万感の想いをこめて見つめる。

 

「君には君の考えがあって、やり方があると思う。それを邪魔するつもりはない。君が思うようにしたらいい。君は君の翼で飛べばいいんだ。だけどボクも一緒に君と飛ぶ。君を守るために飛ぶ、君が進もうとしている道を邪魔しようとする者達から君を守るために」


「何言ってるのさ!? き、気持ちは嬉しいけどダメだよ、そんなの!! そんなことしたら僕と一緒に狙われちゃうよ!?」


「別に構わないさ。もうボクは逃げないし隠れないって決めたんだ。ボクは見えない振りも聞こえない振りもしない。例え・・例え君がボクのことを友達だって認めてくれなくても、ボクは君の側を飛ぶ。君がずっとボクにしてくれてきたように、今度はボクが君の為に飛ぶ、この力の限り!!」

 

 涙で潤んだ瞳、しかし、その瞳は真っ赤に燃えあがり忽ちにしてその涙を燃やしつくす。決意に満ちた連夜の黒い瞳に負けないくらいに強い炎の光に彩られた緋星(フェイシン)の真紅の瞳を見つめていた連夜は、やがて深々と溜息を吐きだし苦笑を浮かべる。


「ふぇいくんは昔からほんとに変わらないよね。一度言い出したら絶対に曲げないんだから。ほんとに頑固者だよねえ」


「ほっとけ、どうせボクは融通の利かない頑固者だよ」


「しょうがないねえ。ここで断っても、ふぇいくんのことだからきっとついてきちゃうものね。わかった、手伝ってよ。僕のことをまだ友達だと思っているならだけど」


「ば、バカッ!! くだらないことを聞くな!! 君とは昔からの・・え、いま、君、ボクのことを『ふぇいくん』って」


 先程から連夜が自分のことをファミリーネームではない呼び方で呼んでいることに気がついた緋星(フェイシン)。しかもそれはたった二人だけしか使わない緋星(フェイシン)の呼び名。緋星(フェイシン)の脳裏に蘇る幼き頃に遊んだ二人の親友との大事な思いで。いつもフードを目深にかぶった心優しい人間族の友人。その姿が目の前の人物と重なる。何かにはっきり気がついた緋星(フェイシン)が呆然と連夜を見つめていると、連夜は顔を真っ赤にしながら照れ笑いを浮かべる。


「ごめん、ほら、僕いま、こんな状態だからさ、僕と友達だってことがバレたらマズイかなって思って、言いだせなかったんだあ」


「な、なんで? なんで、もっと早く・・」


「他にもまあいろいろとあるんだけど、ともかく昔話は後回しにしよ。とりあえず、あいつらをなんとかしてからね」


「いろいろとって、ボク、君が君だって知らなかったから君にいろいろひどいことを・・あ~~、もう!! あとでちゃんと話を聞かせろよ!! 絶対だぞ!! 聞かせないと許さないからな!!」


「うんうん、わかったわかった。僕もふぇいくんといろいろ話がしたかったんだあ」


「え~い、相変わらず君は昔と同じでこんなときでも緊張感がな~い!!」


 怒ったような、しかし、どこか楽しそうに見える表情で叫ぶ緋星(フェイシン)の姿を嬉しそうに見つめて頷いた連夜は、視線で合図を送って緋星(フェイシン)と共に不良達めがけて疾駆する。

 緋星(フェイシン)は戦う。連夜と共に戦う。もう迷わない、力の限り彼のすぐ側を飛び、そして、彼を守る。

 今、一羽の緋の鳥が大空へと駆け上がる。優しい夜空を守るために、己の魂を燃やして。  

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ