第四話 『燃えよ!! 緋の鳥』 その2
「小学校の頃からちっとも変わらないんだから剣児は。中学校で別になってその間にちょっとは成長したかと思っていたのに、全く変わってないし」
「俺が変わるわけねぇだろ。きっと死ぬまでこのままさ。俺は俺だ」
呆れ果てた表情を隠そうともせぬまま、連夜は剣児の喧嘩で傷だらけになった手に丁寧に包帯を巻いていく。そんな連夜の視線から目を逸らすようにそっぽを向いた剣児は、どこか不貞腐れたような表情を浮かべてブツブツと呟く。全然反省の色を見せようとしない剣児に困ったような視線を向ける連夜だったが、すぐにその表情を優しさに溢れたものへと変化させる。その目に浮かぶのはやんちゃな弟を優しく見つめる姉のような慈愛の光。
「まあ、そうだね。器用に立ち回れる剣児なんて想像できないものね。剣児はいつまでも剣児だもんね」
「おうよ。俺は俺だ。死ぬまで他の誰かになんてなれるものか、器用に立ち回るなんて死んでもやだね。俺が避けないと前に進めない壁があるっていうのなら、いっそぶつかってその壁が砕けるまで前進してやるさ!! それで俺の『人』生が終わるならそれはそれでいい。ぜってぇ、後悔なんかするものか!! あ、いてて、痛いって連夜!! もうちっと優しく治療してくれ」
「調子に乗り過ぎ。まったくもう。龍の一族はみんな頑固一徹の『人』ばっかりなんだから。でも、だからこそ強く優しくなれるのかもね」
包帯を巻いている途中で両手を振り回して力説しようとするものだから、傷口がモロに連夜の手にあたってしまいたまらず悲鳴をあげる剣児。そんな剣児に再び呆れた視線を向けた連夜であったが、すぐに視線を和らげまた包帯を巻き続ける。
剣児は連夜の言葉を聞きながら、バツが悪そうな、それでいて不機嫌そうな顔をわざと作ってみせる。その姿は傍から見ていると、大好きなお姉ちゃんにかまってほしくてたまらない弟そのもの。本人自身は全然それに気がついていないが、誰が見ても一目瞭然の態度。幸い、他の生徒達は自分達の昼食で忙しく、剣児に日頃から纏わりついている美少女三人組は何か言い争いをしていて誰もそんな彼の態度に気がついていなかったわけだが。しかし、その不機嫌な表情と違いその視線に映っている光は心から嬉しそうな、優しそうな、しかし、どこか切なそうないろいろな感情が浮かんでは消えていく。
「俺はそんなに優しくねえよ。優しくしてやりたいやつなんて片手の指ほどもいねぇ。俺のことを本当に理解してくれる奴もそうだ」
「そうかな? そんなことはないと思うよ。剣児が気がついていないだけで、姫子ちゃん達と同じで、剣児の周囲にも『人』はいっぱいいるよ」
「ふん、上辺だけみて近づいてくる奴らなんぞに側にいてほしくないね。俺が、俺が本当に側にいてほしいのは」
そう言って剣児はしばらく連夜のことを熱っぽい視線で見つめる。しかし、連夜は剣児の足に包帯を巻いていてその視線に気がつかない。剣児はそれでもしばらく何かの想いを込めて連夜を見つめ続けていたが、連夜が全然気がついてくれないとわかると、本当に不貞腐れたような顔になってぷいっとそっぽを向いてしまう。そして、小さく、本当に小さい声で誰にも聞こえないようにそっと呟く。
「連夜が、女だったらよかったのに。そしたら俺はこんなに渇くことも悩むことも他の誰かに求めることもなかったのに」
「え? 剣児何か言った?」
「な、なんでもねぇよ!!」
剣児がぼそぼそという声が若干耳に入り、連夜はきょとんとした表情を剣児のほうに向ける。すると、剣児は両手をバタバタとさせて慌てて首を横に振ってみせる。剣児のその滑稽な様子を見た連夜は、なんとも言えない笑顔を浮かべ声を上げて笑う。剣児は一瞬顔を顰め壮絶に仏頂面を作って見せたが、結局最後まで続けることができず相好を崩して一緒になって笑ってしまうのだった。
そして、しばらくの間二人が他愛なく笑いあっていると、不意に剣児の顔が強張り、連夜の背後に向けて鋭い視線を向ける。
それに気がついた連夜が、振り返って自分の背後に顔を向けてみると、そこには真紅の髪の少年が腕組みをして仁王立ちし、こちらを睨みつけているのが見えた。
「ふん、まだ立ち上がれないのか。相変わらず軟弱者だな貴様は、剣児」
「なんだとおっ!?」
剣児を見下ろしたまま、口の端をにいっと釣り上げて不敵な笑みを浮かべる真紅の髪の少年。そんな少年の挑発じみた言動を聞いた剣児は、まだ痛む身体に鞭打ってすかさず立ち上がると、よろめきそうになる身体に無理矢理力を入れて半身に構える。それを見た真紅の髪の少年もまた、両手を前に出してだらりとさげる独特の武術の構えをとり、応戦の意思があることを無言で伝える。
そんな一触即発の状態の二人の間に座る連夜は、きょとんとした表情で両者を交互に見つめていたが、やがて、柔らかい笑みを浮かべて真紅の髪の少年に視線を向ける。
「やあ、陸くん。もう立ちあがって大丈夫なの?」
「当たり前だ。ボクは誇り高き朱雀族の陸 緋星。軟弱極まりない爬虫類の攻撃如きで倒れるほど軟ではない」
「てっめぇ、誰が爬虫類だ!? 焼き鳥にしてやろうか!?」
連夜の問い掛けに対し、ニヤリと笑って傲然と呟く少年。その言葉を聞いていた剣児は怒りの咆哮をあげて突撃しようとしたが、それよりも早く立ちあがった連夜が、剣児に近づいてその額にビシッと手刀を振り下ろす。
「はいはい、みんなご飯食べているんだから暴れないの」
「い、いてっ!! れ、連夜なぜ、俺を殴る!?」
ちょうど瘤になっているところを殴られた剣児は涙目になって連夜に抗議の声をあげるが、連夜はそんな剣児の声などどこ吹く風。すぐに剣児に背を向けると、すたすたと歩いて対面に立つ少年のほうへと歩いていく。
「な、なんだ? 宿難 連夜、ボク達の勝負を邪魔する気か!? もしそうなら、容赦は」
「足震えているよ」
「え? ん、んぎゃあああああああっ!!」
近づいてくる連夜に威嚇の声をあげる少年だったが、その声に全く恐れる様子もなく少年に近づいた連夜は、すっと屈みこむと少年の足をつんつんとつつく。大した力でつつかれたようではなかったというのに、少年は床に倒れ込むとその場で転げまわって苦痛の声をあげる。そんな少年の姿をしばらくじっと見つめていた連夜であったが、やがて深い溜息を吐きだしその少年の身体に近づいてガシッと足をつかみ取る。
「本当にもう、剣児といい、君といい、なんでそうやせ我慢が好きで、格好つけたがるのかねえ、昔とちっともかわらないんだから」
「だ、誰がやせがまんなぞ、うわああああっ、ちょ、待て、宿難、そ、そこは!! ん? 今変なこと言わなかったか?」
「なんでもないの。それよりもいいから、ちょっと黙ってなさい。あ~、ほら、こんなに腫れあがってるじゃない」
床を転げまわる真紅の髪の少年に近づいてその足をむんずと掴んだ連夜は、嫌がって抗議の声をあげる少年を無視してスラックスをまくりあげる。するとそこには元の倍ほどの太さになるまでパンパンに赤く腫れあがった足が。よく見るとその足は微妙に歪み、普通は曲がらない方向に曲がっているではないか。
「よくもまあこんな折れた足でここまでやって来たね。後で治療してあげるつもりだったのに」
「余計なお世話だ!! 貴様の施しなぞ受けるものか、悪党の仲間め!! ボクのことは放っておいてもらお、ぐああああっ!! そ、そんなに強く触るな、貴様ああっ!!」
「はいはい、治療したら放っておいてあげるから、ちょっと大人しくする」
「治療なぞいらんと言っているのがわから」
「このまま飛べなくなってもいいの?」
憎しみに満ち満ちた表情で連夜を見つめる真紅の髪の少年だったが、自分を見つめ返してくる連夜の瞳の中に深い哀しみの色を見つけ思わず口を閉ざす。そして、連夜が口にした言葉の意味が自分の死を意味することを悟って悔しげに顔を背ける。そんな少年の姿を見て、少し表情を和らげた連夜は持ってきていた薬瓶を開けると中身を自分の掌に落とし、それをよく伸ばして少年の腫れあがった足に優しい手つきで丁寧に塗って行く。
「やせ我慢で漢を貫きたい気持ちはわかるけどね。だけどその行為に、自由に宙を舞う君の翼である足を引き換えにするだけの価値があるとは僕には到底思えない」
「大きなお世話だ。ボクの翼はボクのものだ、誰のものでもない、どう使おうとボクの勝手だ!!」
「まあそうだね、その通りだと思うよ。君の翼で君の足だ。天を駆けるのも、地を疾るのも君の自由だ、そして、足を自ら壊してそれをやめるのも君の自由。ただね、僕は君が宙を自由に舞い飛ぶ姿を見るのが好きなのさ」
「男にそう言われても嬉しくもなんともない」
「そうだね、でも、本当に君が宙を翔ける姿は楽しそうでいいよね」
「こっちは必死で飛んでいるというのに気楽なことを・・」
連夜の言葉にいつものように毒づこうとした緋星であったが、そのとき脳裏にある光景がフラッシュバックする。それは仲が良かった二人の友達と一緒に遊びまわった頃の大切な思い出。
そのとき友達の一人がまっすぐに自分を見つめて言った言葉、そしてその姿がはっきりと甦る。
『ふぇいくんが宙を自由に飛ぶ姿を見るのが僕は好きなんだあ。だってふぇいくん、本当に楽しそうに空を飛んでいるように見えるんだもの』
父親の仕事の関係でもう一人の友達と一緒に南の城砦都市『アルカディア』に引っ越すことになり、それ以降会わなくなってしまった緋星の大事な友達。
いつもいじめっこにいじめられてぼろぼろにされて、傷だらけあざだらけで、でもいつもいつも笑顔を浮かべていたあの友達。
激しい気性のせいで、昔から友達を作ることが苦手だった緋星。そんな緋星の側には、いつも彼の姿があった。優しくて温かくて、いっつも緋星がわがままで馬鹿なことを言ってもいやな顔一つせず聞いてくれて、だけど、緋星が間違ったことをしようとすると体を張ってでも止めてくれて。彼とともに遊んだ日々の記憶は、全て緋星の大切な想い出。
そんな彼の種族は確か。
「まさか、そんなわけないよな」
「何、陸くん? 僕の顔に何かついている?」
何か重大なことを思い出し何とも言えない愕然とした表情で連夜を見つめる緋星であったが、すぐに頭を振ってそれを否定する。
そんなわけはないのだ。今自分が想像した通りに連夜が幼き頃に別れたあの友達だというのなら、龍乃宮 剣児の友達であるはずがないのだ。
龍乃宮 剣児は忘れてしまっているようだが、緋星は忘れない、絶対に忘れるわけにはいかないのだ。幼き頃の自分達を思う存分になぶりいたぶってくれた、不倶戴天の敵を。
当時、自分達をいじめてくれた相手はかなり太っていて今の姿とは大分違っているようだが、恐らく間違いないはずだった。小学校の頃、近所の悪がき達の総大将として君臨していた最悪のいじめっ子。下の名前は忘れてしまったが、姓が『龍乃宮』だったことと、自分と同い年だったことだけははっきり覚えているのだ。
本人にはっきりと確認したわけではないが、ほぼ間違いあるまい。緋星は、自分や、優しい友達が受けたあの屈辱の日々を一日たりとも忘れたことがない。
当時から身体能力が高く、ある程度腕に自信があった緋星は果敢にやり返そうとしたが、そんなときいつも優しい友達が彼を止めた。そして、いつもいつもこういうのだ。
『やられたからやり返すの? そして、それを繰り返すの? それじゃあの子たちと一緒だと思わない?』
そして、緋星達を安全なところに避難させておいて自分が身代りになり、いつもいつも一方的に殴られ蹴られし、彼らがあきるまで耐え続けるのだ。
それを見ているのがつらくてつらくて、悔しくて悔しくて、緋星は引っ越してから武術を真剣に学び始めたわけだが。
ともかく、そこまでされた相手と友達になれるわけがないのだ。そんな相手と友達になっているわけがないのだ。だから、宿難 連夜は絶対にあのときの優しい幼友達ではない。断じてない
そう結論づけて緋星湧き出した考えを胸の奥底に封印する。
そして、いつもと変わらぬ憎たらしい表情を浮かべて連夜に毒づくのだった。
「あまりにも君の顔が間抜けに見えたから茫然としてしまっただけだ」
「そう? 君のぱんぱんに腫れあがった足とどっちが間抜けに見えるかな?」
そう言って連夜は黙々と少年の足を治療し続け、少年は舌打ちしながら顔を背けるのだった。
『陸 緋星』
ほぼ絶滅に近い幻の『火の鳥』種の一族の一つ、朱雀族の少年。
燃えるような炎のような真紅の髪とルビーのような美しい真紅の瞳、それにエルフ族のように長くとがった耳が特徴的。肌は健康的な小麦色で身長は百七十五ゼンチメトル前後と普通。性格はその真紅の髪と同じく、真っ赤に燃え盛る炎のように激しい。曲ったことが大嫌い、群れて無法を働く不良は更にキライ、女にモテル奴はもっと嫌い、そして、一番嫌いなのは彼が悪と判断する行為を行う者。己が信じる『正義』と『信義』を絶対と信じ、それを曲げることを良しとしない。基本的に話し合いよりもまずは拳を持って語り合おうとする熱血直情型。
そんな性格であるから剣児よりもさらに友達が少ない。決して頭が悪いわけではないし、容姿も誰が見ても魅力的であるため、彼が少しでも融通がきく性格であったならば、あっという間に彼の周りが『人』で溢れるのであろうが、本人が決して『人』に道を譲ろうとしない性格の為、彼はいつも一人である。
自分が心に定めた『正義』と『信義』に固執する余り『人』を側に近づけることができない、しかし、それなのに『人』を求め『人』のあるところにその身を置こうとする非常に不器用な性格の少年。それが陸 緋星という少年であった。
連夜はそんな彼のことが嫌いではなかった。暴力的で、『人』の言うことをちっとも聞かない緋星であるが、緋星はウソをつかないからだ。
連夜も基本的に嘘はつかない。しかし、肝心なことをはぐらかしたり、わざと完全な情報を話さないで『人』を煙に巻くことはしょっちゅうやっている。だが、緋星は愚直なまでに自分の気持ちに正直で、強いところも弱いところも、いいところも悪いところも常に全部見せている。
それは別に彼が意識して行っているわけではない、本人自身は一応隠そうとしたり強がってみせたりするのだが、誰が見てもわかるくらい単純で、悲しいくらいに全部態度や言動に現れてしまう。そんな彼のことを連夜は嫌いにはなれなかった。いや、どちらかと言えばかなり好きだった。ねじ曲がった性格の自分とは違い、どこまでも真っすぐにどこまでも自分に正直に生きている緋星が眩しくて魅かれてしまうのだ。
ただ、残念ながら緋星は連夜のことが好きではないようだった。恐らくそれは彼が宿敵と定める剣児の幼馴染であるためだからだろうと連夜は考えている。剣児と喧嘩をするたびに満身創痍になる緋星。そのたびに連夜は、剣児を治療するついでに彼の治療も行ってやっていたが、彼は決して連夜に心を許そうとはしない。
それでも連夜は気を悪くすることなく治療を続ける。
それが緋星という生き物だと思っているからで、今日も連夜は彼の治療を行うのだった。
「これで貸しを作ったと思わんことだな、宿難 連夜。ボクはこの程度のことでは恩義には感じないからな」
苦虫を噛み潰したような表情でそう呟く緋星に対し、連夜は気を悪くした様子もなく肩をすくめて見せるばかり。しかし、それを横で聞いていた別の『人』物が怒りの声をあげる。
「おい、連夜。もうこんな奴治療してやらなくていい、ほうっておけって。何が『正義』だ、何が『信義』だ。どんな理由があるとしても、『人』から受けた恩を恩と思わないなんて言う奴のどこにそれがあるっていうんだ!? おまえは最低だ、緋星!!」
「もういいって、剣児。僕が勝手にやっていることで、貸しを押し付けるつもりでやってるんじゃないもの」
「連夜、おまえ甘すぎるぞ!! こんな奴を助けたって一文の得にもなりゃしねぇのに!!」
「得とか損とかでやってるわけじゃないの。ほんとに剣児は怒りっぽいんだから。カルシウムちゃんととってる?」
「何言ってやがる!? あのなあ、俺はおまえの為を思って」
「はいはい。わかったわかった。それよりもさ、後ろの方達がおまちかねみたいなんだけど、僕のことよりもそっちを優先しなくていいの?」
「へ? 後ろ?」
連夜の指摘に一瞬呆けたような表情を浮かべて見せた剣児であったが、すぐに何かを悟り慌てて後ろを振り返る。すると、そこには三人の美少女達の姿が。三人の少女達はそれぞれ胸に大きな弁当箱を抱え、恨めしそうな表情で剣児をじっと見つめている。
「あ、あはは、み、みんな、もうちょっとだけ待っていただけませんか? 男同士の大事な話が」
「剣児くん、いい加減にしてください。お弁当食べる時間なくなってしまいます!!」
「そうだぜ剣児、いつまでやってるんだよ」
「待ちくたびれましたよ~~。さあ、キリキリ行きますよ。今日こそ誰のお弁当が一番おいしかったのかちゃんと聞かせていただきますからね」
「ちょ、ま、待ってくれ、みんな。まだ、俺、緋星や連夜と話が、いててて、引っ張らないでくれ、そこまだ回復してないんだってば!!」
あっという間に剣児を取り囲んだ少女達は、剣児を両脇からがっちりとホールドすると、疾風のように素早くいずこかへと連行していってしまった。その様子をしばし呆気に取られたように見つめていた連夜であったが、すぐにくすくすと笑いだす。
「羨ましいような、そうでないような。果たして剣児は本当にあれで幸せなのかな? 陸くんはどう思う?」
「知らん。あんなスケベ野郎は地獄に落ちてしまえばいい」
「あはは。まあ、普通はそう思うよねえ。でもね、ただでは落ちないと思うよ剣児のことだから。なんかいっぱい美少女や美女を侍らせながら落ちていきそう。そんな感じしない?」
「ちっ」
意味深にニヤリと笑って緋星の顔を覗き込むと、緋星は舌打ちしながらぷいっと横を向いてしまう。そんな緋星の姿を見た連夜は、剣児に向けていたのと全く同じのとても優しく和やかな笑みを浮かべる。その後はしばらく連夜は何もしゃべることなく緋星の傷だらけの足の治療を続け、やがて、すっかり治療し終えると最後に包帯をしっかりと巻いて結んで立ち上がる。
「これでとりあえずは大丈夫。ただ、僕は専門療術師じゃないから、一度きちんと診てもらったほうがいいよ。まあ折れた脚はうちの師匠特製の回復薬で一応くっついてはいるけど、完全に回復するには今日一日はあまり動かさないほうがいいかな。って、いっても君は聞かないんだろうけどね」
「ボクはボクのしたいようにする。例えこの足を失い宙を翔けることができなくなっても、ボクは後悔しない」
連夜の言葉を肯定するように、立ちあがった緋星は真っすぐに連夜を睨みつけて呟く。そんな緋星の姿を眩しそうに見つめた連夜は、どこか寂しげで儚げな笑みを浮かべて見せたあと、緋星に背を向けて歩きだす。
緋星は少しの間無言で連夜の背中を見送りその後いずこかへと立ち去ろうとしたが、ふと自分の視線の先の連夜が教室の自分の席ではなく教室の外で出て行こうとしていることに気がつき、思わず歩みを止めて連夜に声をかける。
「お、おい、宿難」
「ん? なに、陸くん?」
ちょうど教室の戸口を潜り、廊下に出て行こうとしていた連夜だったが、緋星の声に気がつききょとんとした表情で振り返る。
「おまえ、教室で飯を食わないのか?」
「うん、僕はいつも別のところで食べているよ」
「何故だ? ああ、そうか龍乃宮姉妹と仲が良いんだったな。あいつらのところに行くのか?」
「ううん、行かないよ」
「じゃ、じゃあ剣児のところか?」
「そっちにも行かないよ。というか、僕なんかがいったら、剣児はともかく、剣児の彼女達がいい顔するわけないでしょ」
「ちょっと待て、まさかこのクラスで一緒に飯を食うような仲のやつはいないのか? そう言えばおまえが龍乃宮姉妹や剣児と一緒に飯を食ってるところも見たことがないが」
「あ~、そのこと。大したことじゃないんだけど、僕が一緒だといろいろとほら、迷惑がかかてしまうかもしれないからね」
「なんだそれは? 迷惑って何がだ?」
本当にわけがわからないという表情を浮かべて聞いてくる緋星の姿を、苦笑を浮かべて見つめていた連夜だったが、そっと緋星の側に歩み寄り教室の中のクラスメイト達に聞こえないくらいの小声で話しかける。
「僕は友達が少ないってことだよ。最下級の最下級、底辺中の底辺に位置する種族の人間族だからね。自分から友達になりたがる酔狂な『人』はあまりいないかな。あ、言っておくけど一応友達が全くいないわけじゃないからね。ただ、この教室の中にはほとんどいないってだけ」
「そんなバカな!? 友達がいないって・・だ、だが、少なくとも龍乃宮達はおまえの友達なんだろ? 違うのか?」
「さあ、どうなんだろうね。陸くんはどう思う?」
「どう思うって、おまえ」
連夜の言葉に一瞬馬鹿にされているのかと思って盛大にかみつこうとした緋星であったが、おどけて肩を竦めて見せる連夜の瞳の奥に隠しようのない真っ暗な闇を確認してしまいそのまま絶句してしまう。深い、深いという言葉すら生ぬるい漆黒の闇。引きこまれれば二度と抜け出せなくなってしまうのではないかと思わせる無明の空間。
いったい何を見て、どんな経験をすれば『人』はこれほどまでに深くて黒い『闇』を己の身体のうちに作りだすことができるというのか。
何かをしゃべらなくてはと思い口を動かすが、頭の中には何も言葉が浮かんでこずただただ口をバカみたいにパクパク動かすばかり。そんな緋星の様子を見ていた連夜は、瞳の中の闇を再び心の奥底に封じ込め、和やかで淡い笑みを浮かべて緋星を見つめる。
「ごめん、つまらないこと聞いちゃったね。今言ったことは忘れちゃってよ。じゃあ、僕行くね、今日は弁当忘れちゃったから食堂で食べないといけないんだけどさ、急がないと食堂しまっちゃうでしょ?」
先程まで見せていた『闇』などなかったかのような穏やかで温かな光を宿す瞳で緋星のほうを見つめながら、連夜は片手をひらひらと振ってみせ今度こそ教室から出て行った。結局その後緋星は、その小さな背中に何も言葉を発することができず、視界から消えてしまったあと、深い深い溜息を吐きだししばらくその場に立ち尽くしていた。連夜が治療してくれた包帯の巻かれた足を静かにじっと見つめながら。