第三話 『姫龍と貴龍と黄龍』 その3
姫子と瑞姫は決して仲の悪い姉妹ではない。むしろお互いがお互いを深く信頼していて、異母姉妹であることを決して感じさせないほど実に仲の良い姉妹なのである。しかし、信頼しすぎているせいなのか普段からあらゆることに対してお互いがお互いに遠慮することはほとんどなく、喧嘩ともなるととことんまでぶつかりあい、言いたいことを全て吐き出しあうまで止まらなくなる。
とはいえ、お互いがお互いを本気で案じるが故の本音であるとわかっているので、どれだけ激しい喧嘩になっても、最後にはちゃんと仲直りするのであるが。
「それだから御姉様は緩いのです!!」
「瑞姫こそ融通が利かない!!」
「あ~、また始まってしまいました。宿難くん、いい加減なところで止めてもらえませんかね?」
「え~~~、また僕がその役目なの~? それは僕なんかよりも付き合いが長い水池さん達の役目だと思うけどなあ」
姫子と瑞姫の激しい舌戦をすぐ側で見守っていた小太りの女子生徒が、ふと連夜のほうに視線を向けて口を開き、連夜はなんとも困り果てた表情でその小太りの女子生徒を見返すのだった。
『水池 はるか』
龍乃宮家に代々仕えている中級龍族の一族の娘で、姫子と瑞姫の友達兼軍師兼お付き世話役をしている人物。ふわふわとした女の子らしいウェーブのかかった肩まである茶色の髪に、中級龍族の証であるちょっと短い角、愛嬌のある満丸の顔、人畜無害と書いてありそうなほどいつも絶えされることのない笑顔。身長は連夜や姫子よりも弱冠低いが、その体はどこもかしこもボリューム満点。まあ、太っているというほど太っているわけではないが、まあ、平均的な女子高生の体型ではないことは確かだ。とにかく普段からおっとりとしており、陽だまりの中でのんびりしている乳牛のような人物なのだが。いざトラブルが起こったときあるいは巻き込まれたときと飯のときだけは、恐ろしい運動能力と情報収集力と、そしてなによりも悪知恵を発揮する。
「だって宿難くんが間に入ったほうが何かと穏便に事が済むんだもの。お願い、先生が来る前になんとか一つ」
「勘弁してよ。さっきだって姫子ちゃんにうまく話ができなくて、あやうく今日の朝ごはんの残骸を机の上にお披露目するところだったんだから」
両手を合わせて拝むようにして二人の仲裁をしつこく頼みこんでくるはるかに対し、連夜は本気で困惑した表情を浮かべて見せる。すると、はるかの横に立っていた背が高くスレンダーな体格のもう一人の女子生徒が、ずいっと連夜にその顔を近づけてくる。
「いざとなったらうちら二人でなんとかするから、とりあえず、間に入ってや宿難はん。さっきも助けてあげたやんか」
「それはまあ、そうなんだけどね」
もう片方の『人』物は連夜の肩に自分の腕をがしっと巻きつけると、片手をひらひらと振りながら困惑している連夜に面白そうな視線を隠そうともせずに言葉を紡ぐ。
『東雲 ミナホ』
龍乃宮家に代々仕えている下級龍族の一族の娘で、姫子と瑞姫の友達兼秘書兼ボディガードをしている人物。
ベリーショートの赤毛に、他の二人と違い角はないものの、耳が魚の鰭のような形で伸びていて、銀ぶち眼鏡、見るからに委員長か風紀委員みたいな雰囲気を持つ。身長は連夜や姫子よりも高く、クラスの男子と比べても高いほうに入ると思われる。細見だが、引き締まった身体をしており古流武術の使い手で、学内でも屈指の実力者。頭も非常に良くて成績優秀な優等生なのだが、いつもはるかのツッコミ役になってるせいか、周囲の友人達からはそういうふうには見られていない非常に損な役回りの少女である。
「な、な、ええやろ? 姫子様も瑞姫様もなんやかんや言うて、宿難はんが本気で言うことには素直に聞きはるから」
「いや、そんなことないでしょ。二人とも同じように頑固一徹で、自分の道をひたすらどこまでもどこまでも真っすぐの『人』達なのに、僕ごときの言葉でどうこうなるわけないじゃない」
「もう~~、ほんとに宿難くんは自分のことわかってないですねえ。うちの姫君達に絶大な影響力を持っているというのに。しょうがない、こうなったら最後の手段です。ミナホ、あれいくわよ!!」
「よっしゃあ、わかったで!!」
「?」
椅子に座った状態できょとんとしている連夜の両側に、素早く移動したはるかとミナホは、呆気に取られている連夜の身体をガシッと掴んで拘束する。
「え、ちょ、水池さん? 東雲さん? なんなの、なんなの?」
「ちょっとだけじっとしててね、宿難くん、ん~~」
「すぐ済むからな、宿難はん、ん~~」
「なになになに!? ちょっ、顔近い!! 水池さんも東雲さんも顔近い!! めちゃくちゃ近い!! やめやめやめ!! ちょっと、やめてってばああああ!!」
いったい何が起こるのかと連夜は両側で自分を拘束する二人を交互に見守っていたが、突如として二人は両側から顔を近づけると、口をタコのようにすぼめて連夜の頬に近づけていく。それに気がついた連夜はたまらず悲鳴をあげる。そして、ばたばたと両手を振り回して懸命に二人を振りほどこうとするが、龍族特有の馬鹿力でがっちり拘束されてしまい、見動きが全く取れない状態。
一縷の望みをかけて、悪い冗談だよねと両側に視線を走らせてみるが、唇を近づけてくる二人の表情は妙にうっとりしていて冗談とも本気ともつかない状態でその判断すらつかない。
またもや絶対絶命のピンチが訪れ連夜は再び顔を青くする。
どうすることもできないまま、連夜のほっぺは二人にちゅ~されてしまうのか、と思われたそのとき。
「「やめんかあああっ!!」」
凄まじい怒声をあげて飛びこできた姫子と瑞姫が、連夜の前にある机を見事なコンビネーションの強烈なダブルキックで天井へと蹴り上げて三人の間合いへと踏み込むと、二人に拘束されている連夜を力づくでひっぺ返して救出する。
「あああ、連夜、大丈夫か? なんともないか?」
「なんてことでしょう。宿難くんのほっぺ汚れてないかしら? 何か悪い病気でもうつっていたらどうしましょう」
「み、瑞姫、連夜を今すぐ保健室に連れて行って消毒じゃ!! 手遅れになる前になんとかするのじゃ」
「そうですわね、御姉様。それがいいですわ」
連夜の身体を横抱きにした姫子が物凄く心配そうな顔で連夜を覗き込み、その横に立つ瑞姫は連夜の顔を両手ではさみこみ、真剣な表情を浮かべて怪我や何か変わったところがないかとチェックして回る。先程まで壮絶な舌戦を繰り広げていたとは思えない見事な連携ぶりに、それを見ている周囲の者達は呆れるやら感心するやら。
「よしっ、私の読み通り仲直り作戦成功!! のはずなんだけど・・ちょっと、姫様達、あんまりじゃありませんか!? 悪い病気にうつるってどういうことですの!?」
「そうやそうや!! ちょっとほっぺにちゅ~したくらいなんやっちゅ~ねん!!
自分達の目論見通り二人を仲直りさせることに成功し、ひっくり返ったまま同時にサムズアップし満面の笑みでお互いの顔を見合せたはるかとミナホ。しかし、聞こえてくる二人の言葉があまりにもあんまりな内容だったので、反り返るようにして一気に立ち上がると、姫子と瑞姫に対して猛然と詰め寄って行く。
「ちゅ、『ちゅ~』だなんて!? み、未成年の私達がそんなことは早すぎます!!」
「何言ってるんですか、瑞姫様。お隣の城砦都市『ゴールデンハーベスト』では成人の年齢十五歳なんですよ? その向こうの『ストーンタワー』だと十三歳で成人で結婚もできるっていうのに」
「こ、こ、ここここここは『嶺斬泊』で、ここでの成人は二十歳で、け、け、結婚できるのは十八歳なのじゃ!! なのじゃったら、なのじゃ!!」
「成人になるのは二十歳で間違いないけど、結婚許可年齢は女性は十六歳やで、姫子様。十八歳にならな結婚できへんのは男だけ。つまり十七歳のうちらはもうそういうお年頃やねんで。少女のままではいられへんねんで。大人の女になって、あんなことやこんなこともせなあかんねんで」
「あ、あんなことや・・」
「こ、こんなことだなんて・・」
ミナホの言葉にかなりのショックを受けた姫子と瑞姫は一瞬よろよろと後ずさったが、何故かすぐに顔を赤く上気させると、二人同時に連夜のほうへと顔を向け熱っぽい視線を送るのだった。
「れ、連夜もあ、あんなことしたいのか?」
「し、宿難くんもこ、こんなことしたいんですか?」
「えっ! うっ? なんで僕個人特定!? しかもそれってどう答えても撃沈確定、正解なしのひどい質問じゃない!?」
半分傍観者になりかけていた連夜だったが、思わぬ方向からきわどい質問を投げかけられることになり、目を白黒させてあわあわと口ごもる。しかし、二人はそんな連夜の様子を間近で見ているというのに、素で全く気がついていないようで、どんどん顔を近づけてきて質問を投げかけ続ける。
「ほ、ほんとはやっぱりしたいんじゃな?」
「ひ、否定しないってことはそうなんですね?」
「いや、ちょっと、二人ともなんか目が怖い!!」
「れ、連夜が望むなら・・その、連夜は一番の親友だし、どうしてもっていうならその・・」
「し、宿難くんが我慢できないっていうなら・・あの、宿難くんには今まで散々お世話になってきているから、その、私は・・」
「いやいやいや、二人ともどういうつもりで言っているのかわからないし、わかる努力をするつもりは全くないし、今聞いた恐ろしい質問についてはこのまま心の奥底にそっとしまって淡い青春の思い出の一ページとしてしまうので、今日のところはこのままお開きということで一つよろしくお願いします」
「「しまいこむな!! お開きにするな!! よろしくお願いしますじゃないでしょ!!」」
姫子の腕からそっと抜け出して床に降り立った連夜は、ガンガン詰め寄ってくる二人の美少女の顔をなるべく見ないようにして自分の席へと立ち去ろうとしたが、二人の美少女達はそんな連夜の腕をすばやく両脇から掴んで『絶対に放すもんか!!』とばかりに連夜の小さな体を自分達のほうへと引き寄せる。
「ちょ、二人ともお願いもうそろそろ勘弁して!!」
「いいえ、勘弁できません。何が青春の一ページですか!? 勝手に『人』を思い出にしないでくださいませ!」
「そうじゃそうじゃ!! それに恐ろしい質問とはどういうことじゃ!? 私達の質問をまるで呪か何かのように言いおって!! こらっ、わざとらしく怯えた表情を作ってこっちを見るな!!」
「いや、だって、ほら、僕ってか弱い男の子だし」
「「自分でか弱いっていうな!!」」
ぐすんぐすんとわざとらしい嘘泣きをしてみせる連夜の姿を見て、二人の美少女達の目がますます吊り上がる。
「全く連夜はふざけたことばっかり。そんなのはあのバカ剣児だけでいいのじゃ。あっ、そうじゃ、バカ剣児のことで思い出した。連夜、いったい今日の夕方何があるのじゃ!? いったい誰と待ち合わせをしていることを隠そうとしているのじゃ!? 」
「また御姉様は宿難くんのスケジュールについてですか? もうそんなことどうでもいいじゃありませんか。宿難くんだって、待ち合わせをして『人』と会うことだってある・・え? 隠そうとしたですって?」
再び先程の話題を思い出した姫子が連夜に詰問を開始するが、そんな逆上気味になっている姫子の様子を見た瑞姫は返って冷静になることができ、表情を再びいつもの穏やかなものへと変化させる。そして、やんわりと姫子の腕をとって連夜から引き離し、まあまあと落ち着かせようとしたのであったが、彼女が冷静でいることができたのはそこまでだった。
姫子が口にした最後のフレーズが瑞姫の女の奥底にある怖い何かに直撃したのだ。
そんなこととは露知らぬ連夜は、やれやれようやくこの騒動も終局かなと、胸を撫で下ろし大きく息を吐きだしていたのだが、何気なく向けた視線の先には般若になった美少女の姿が。
「ひ、ひいいいっ!! り、龍乃宮さん、何、その顔!? こ、怖い、ちょ~怖いんだけど!!」
たまらず悲鳴をあげて後ずさる連夜であったが、そんな連夜に構うことなくドス黒いオーラを周囲にまき散らしながら連夜に近づいてきた瑞姫は、ガシッと両手で連夜の襟首をつかんでその小柄な体を持ち上げると、縦に横にとぶんぶん振りまわしながら涙目になって怒声をあげる。
「どなた!? どなたなんですか!? 隠れて会おうとしている相手はいったいどこのどなたなんですか!? 言ってください、言ってくださいよ!! はっ、まさか女性? まさか女性なんですか!? 女性と待ち合わせしているんですか!? そうなんですね!?」
「ちょっ、りゅうっ、ぐるしっ、やめっ、ちぬっ、ちんじゃうっ」
「いやっ、宿難くんの浮気者!! 女性と、女性と待ち合わせしているだなんて!! ひどい、ひどすぎる!! 宿難くんだけはうちの兄のようなことはないと思っていたのに、女性の敵のようなあんな兄と違って私の想いを受け止めてくれると思っていたのに!! はっ!! ま、まさか、もうそういう関係にある方なんですか!? 平日のお昼によく流れているあんなことやこんなことでドロドロってしちゃうようなドラマみたいな関係なんですか!? うそでしょ? ねえ、宿難くん、嘘よね? そんなの嘘よね!? 嘘と言ってえええええっ!!」
「う、うぷっ、は、吐きそう、り、龍乃っ、さん、やめ、もう、げんか、はいちゃう」
上級種族中の上級種族である龍族のありあまる身体能力でぶんぶん振り回され続けた結果、連夜の顔色は再び真っ青に。しかし、当事者の瑞姫は全くそれに気がつかず、泣き叫びながら連夜の身体をシェイクし続ける。人間族にしてはかなり頑丈で精神的にも非常にタフな連夜であるが、先程の姫子が行った同じ攻撃のせいで既にかなり精神力を消耗している状態。お腹の中から徐々にせり上がってくる酸っぱい何かを押し留めておくのは最早限界に近い状態で、このままでは目の前の美貌のクラスメイトにとんでもないものをぶちまけてしまいかねないことも気になったが、それと同時に意識が遠のいていく感覚にも襲われ本気で『あ、僕、今度こそ死んじゃうかも』と思いだした、まさにそのとき、三人の救い主が瑞姫の身体に飛びついて連夜からひっぺがえしてくれたのだった。
「落ち着け瑞姫!! 何が原因でキレているのかさっぱりわからんがとりあえず落ち着くのだ!!」
「瑞姫様ブレイク、ブレイク!!」」
「これ以上はあかん!! 瑞姫様、その辺にしとかんと宿難はんのこと殺してしまうで!!」
慌てて瑞姫に組みついた三人の女子生徒達は、瑞姫の両肩、腰、足に組みついて完全にその動きを封じにかかる。姫子と違い瑞姫は武術の腕がさほどでもないためあっさりと組伏せられてしまったが、三人の身体の下で『宿難くんのばかああっ』と泣き崩れてしまう。
そんな瑞姫の姿を見て、もう暴れる気配がないと判断した三人は速やかに瑞姫の身体から離れる。そして、一人瑞姫の側に残った姫子は優しくその身体を立ちあがらせ、身体についた埃を払ってから抱きしめてやるのだった。
「よしよし。何かわからんが元気を出せ瑞姫。私はおまえの味方だぞ」
「何かわからないまま慰めないでくださいまし。それになんか御姉様に慰められるとまだ勝敗が決していないはずなのに妙な敗北感に襲われます」
「なんじゃそれは。そもそも瑞姫は何かで私と勝負しているのか?」
異母妹の言っている意味がわからず、抱き締めていた腕の力を抜いて異母妹の顔を思わずまじまじと見つめる姫子。すると瑞姫は妙に大人びた笑顔を浮かべて姫子を見つめ返し、その後、後ろを振り返る。
そこには先程姫子達に蹴られた机を元にもどし、何食わぬ顔で朝の授業の用意をしている連夜の姿が。その連夜の姿に、様々な感情の入り乱れた複雑極まりない色を浮かべた視線を向け続ける瑞姫。その色は見る人見る角度によって色とりどりに輝きを変え光を放ち続ける。
そんな不可思議な光を放ち続ける異母妹の姿をしばらくぼんやりと見つめていた姫子だったが、やがて自分自身も同じ方向に視線を向ける。