第三話 『姫龍と貴龍と黄龍』 その1
北方に位置する城砦諸都市の中でも特に広大な敷地面積を持つ『嶺斬泊』の中には、全部で五つの居住エリアが存在している。
四方どのエリアに行くにももっとも交通の便がよく、この都市に住む大部分の『人』達のベッドタウンとなっている中央エリア。最も広いエリアを誇り、農地や酪農専用地域が広がっている西エリア。一般家念製品や念気自動車、あるいは医療関係の生産工場が多く密集している北エリア。北とは逆に食品や衣服関係の生産工場が密集している南エリア。そして、都市の行政一切を取り仕切る中央庁をはじめ、この都市の各企業の本社が存在しており、最も賑やかなエリアとして知られる東エリアの五つ。
その五つの中の一つ、東エリアの西の片隅に都市立御稜高等学校はある。
都市最大のビジネス街であると同時に最大の歓楽街であり、都市の中心地として知られる『サードテンプル』。その『サードテンプル』の都市営念車駅から念車に乗り込み、ごとごとと揺られて運ばれながら待つこと二十分。九つ目の駅『ネームバレイ』で下車し、徒歩で五分ほど歩くとそこにたどり着くことができる。
二つ先の駅まで行けば、そこはすでに中央エリアという東エリアの西の果てにある高校である。
逆に言えば最も人口が多い中央エリアから二駅で来れる非常に立地条件のいい場所にある高校であると言えるわけで、その為か毎年この学校に進学を希望する学生は数多く、都市内最大のマンモス校でもある。
全校生徒数九百人。
一クラス四十人前後で構成され、一学年の平均クラス数は七クラス前後。当然そうなると生徒達を指導する教師も通常の人数では賄い切れないから増えることになり、教師の数も都市内最大。
在籍している人数がすごいだけではない。それに加え、学校に通う生徒教師達の種族も膨大なものがある。その種類は実に種々雑多であり、その登下校の様子はまさに『百鬼夜行』そのものだ。
三メトルはあるだろう巨大な体格を持つ巨人族系一つとってみても、一つ目の者もいれば三つ目の者もいる、額から一本角を生やした者もいれば、両方のこめかみからそれぞれ一本ずつ計二本の角を生やした者もいるし、頭頂部から三本の角を生やした者もいる。かと思えば四本腕の者、六本腕の者、中には十二本も腕が生えている者もいる。
巨人族とは全く逆に一メトルにも満たない身長の小柄な小人族系の生徒もいる。直立したトカゲや双頭の蛇といった爬虫類系、シルエットこそ『人』型をしているが全身は獣毛に覆われ、腰からは尻尾、、そしてなによりもその頭は狼や猫、あるいは牛の頭そのものという半獣人系の生徒、ガラス細工のように儚くも美しい姿をした妖精系の生徒、まるで無骨な鎧甲冑か、あるいは特撮ヒーローのスーパースーツでも身にまとっているようなギラギラと光る外骨格で構成された昆虫系の生徒、大きく分類しても数えるのに一苦労な数の種類だし、ましてや細かく追っかけていくと到底数えきれるものではない。
これだけバラエティ豊かな姿形でありながら、登校してくる彼らはみな一様に同じ学生服を着ているのだからこれまた面白い。
男子学生達は濃い紺色の背広に赤いネクタイ、そして同じ紺色のスラックス。女子学生達は男子と同じ濃い紺色のブレザーに赤い棒ネクタイ、そして男子の穿いているスラックスよりも弱冠明るい紺色のスカートを着用していた。
そんな幻想的な、しかし、いつもと変わらぬ朝の登校風景を第一校舎四階の一番端っこにある教室の窓からぼんやりと眺める一人の女子生徒の姿があった。
窓際にある自分の席に座り頬杖をついていかにもアンニュイといった感じで眼下に流れていく『人』の流れを見つめ続ける。一見その表情は憂いを帯びていて何の感情も読み取れないようにみえるが、見る『人』が見ればはっきりわかる強い光がその瞳には宿っていた。
そう、その強い光が宿った瞳は何も見ていなようにみえて、実はずっと何かを探してせわしなくさまよい続ける。
しかし、いくら探しても探しても自分の探しものはみつからなかったようで、女子生徒は深い溜息を吐きだして窓から視線を外す。そんな女子生徒の様子を、クラス内はもちろん、教室の外にまで集まったたくさんの男子生徒達が熱っぽい視線で見つめ続けるが、女性生徒はそんな男子生徒達から向けられる秋波を全く感じた様子もなく、また視線を窓のほうへと向け直す。気づいてもらえなかった意中の女子生徒に全く気がついてもらえなかった男子生徒達から一斉に溜息が吐き出される。
その女子生徒は非常に見目麗しい姿の持ち主だった。
きらきらと朝の光に反射するつややかな見事なまでの黒髪は背中くらいまであるロングヘアー。頭からは上級龍族の証である長く伸びた二本の角、切れ長の眼はあくまでも涼やかで、鼻はすっと高く、その唇は桜のような淡いピンク色。身長は百六十ゼンチあるかないかくらいで高くもなければ低くもないが、そのスタイルは椅子に座っていても、絶妙であるとわかる。大きめの学生服の上からでもわかる大きな胸、しかし、だからといって太っているという言葉からははるかに程遠いウエスト、形のいいお尻、このまま大人になったら凄まじい美人になることはもう間違いない人物であった。
そんな容姿に加え性格も非常にいいことで知られており、勉学も優秀、スポーツ万能、格闘技の腕はプロの傭兵並、だからといってガサツな性格ではないが、どんな種族の者が相手でもわけ隔てすることなく接する度量も持ち合わせている。
まさに完璧超人のような彼女であるから、この学校で彼女を知らないものはいない。
学校随一のスーパーアイドルが彼女なのだ。
その彼女がいつになくアンニュイな感じで沈みこんでいる。いつもなら、登校してきたクラスメイト達に大輪の華のような笑顔を振りまきながら挨拶をしてくれる彼女が、今日に限って全くそれがない。いったいどうしたのかと、男子生徒達ばかりではなく、クラスの女子生徒達までもが心配そうに見つめていたのであるが。
クラスメイト達の誰もが思いもよらぬことで、突如として彼女の機嫌が激変するのだった。
「ごめんね、ごめんね。ちょっと通してね。はい、ちょっとそこ通りますよ失礼しますよ」
そう言って一人の男子生徒が教室へと駆け込んでくる。途中、窓際に座るスーパーアイドルを見るために集まって来ていた野次馬どもに通路を塞がれて教室に入るのに若干難儀していたようだが、なんとか押し通って中に入る。そして、まっすぐ自分の席へと移動してカバンを机の上におろした彼は、深い深い溜息を吐きだすのだった。
「あっぶな~。着替えるのに手間取って遅刻しちゃうところだったよ、もう。やっぱり駅のトイレを使うのは考えものだよねえ。サラリーマンの『人』達が個室に入るとなかなか出てこないんだもん。中でたばこ吸ったり新聞読んだりしてるんだもんなあ。どこか落ち着いて着替えられるところを探さないとやばいよねえ」
などと訳のわからないことをブツブツと呟きながら、もう一度溜息を吐きだしてその男子生徒は自分の席へと座り込む。そして、物凄く疲れたような感じで机に置いた自分のカバンを開けると、中から筆記用具とノート、それに分厚い辞書のような専門書らしきものを取り出してそれを机の上へと広げる。
その後中身を取り出したカバンは机の側面にあるフックにかけて机の上に視線をもどすと、専門書らしきものをゆっくりと開いて中を読み始めようとする。
「さてと、いつも通り必要なところを抜粋してメモしないと。今日は夕方からいろいろとあるしなあ」
またもやブツブツと独り言を漏らしたその人物は、広げたノートに専門書の内容を書き写そうとし始めたが、何かが思い浮かんだのか非常に幸せそうな表情になってその手を止める。
「えへへ、何があるのかなあ、楽しみだなあ」
「夕方に何があるというのじゃ?」
「いやあ、僕も何があるかわからないんだよねえ」
「わからないのに楽しみなのか? いったい何をウキウキしているのじゃ、連夜?」
「はじめてなんだもんウキウキもするよ。それにわからないから楽しみなんじゃな・・って、うわああっ!! ひ、姫子ちゃんなになに!?」
専門書を前にうっとりと何かを夢想していた連夜だったが、いつのまにか自分の前の席に美貌のクラスメイトが座っていて、しかも、とてつもなく不機嫌そうな表情でこちらを見つめていることに気がついて大きくのけぞる。
「『なになに』ではないわ。朝来たらまずすることがあるのではないか?」
「え、あ、そ、その『お早う、姫子ちゃん』」
「『お早う、連夜』と返したいところだが、全然早くないではないか。登校途中で何か起こったのではないか、困ったことになっているのではないかと心配してヤキモキして待っていたというのに、なんだその弛み切った顔は」
不機嫌極まりない様子の幼馴染に対しとりあえず朝の挨拶をする連夜であったが、幼馴染の機嫌は更に悪くなる一方。いったい何がそんなに気に入らないのかわからず、顔をしかめて問い質そうとした連夜であったが、怒り顔の幼馴染の目に光るものをみつけて一旦口を閉ざす。本当に自分のことを心配してくれていたのだと察し、表情を改めると静かに頭を下げる。
「ごめんね、姫子ちゃん、心配かけちゃって。ちょっと来る途中でいろいろとあってさ、来るのが遅れちゃったんだ。でも、別に大したことじゃないんだ。ちょっと途中でお腹が痛くなっちゃってね、駅のトイレに籠っていて遅れちゃっただけ」
いや、参った参ったという感じにバツが悪そうに笑う連夜の顔をしばらくじっと見つめていた幼馴染だったが、やがてふっと表情を和らげると優しい笑顔を浮かべて見せる。
「わかった、何もなかったのならよいのだ。それよりも腹のほうはもういいのか?」
「うん、すっきりさっぱりさ。それにしても、慌てて家を出るとろくなことがないよね」
なんとか幼馴染の機嫌が上向きに変わってくれたことに内心大いにほっとしながら、連夜は苦笑を浮かべてまだ若干心配そうな様子を見せている幼馴染に笑いかける。
「何か家であったのか?」
「久し振りにダイ兄さんが帰ってきたんだけど、ちょっと一悶着あってね。まあ、詳しい話はまた家に帰ってからになるんだけど、ちょっと根が深そうだよ」
「そうなのか。そう言えば大治郎殿には久しくお目にかかっておらぬが、お元気なのか?」
「元気元気。でもまあ、夕方には元気でなくなってるかも。今、こってりとお母さんに絞られているはずだから」
「大治郎殿はいったい何をしたのじゃ? 連夜のご母堂を怒らせるということはなみなみならぬことだと推測するが」
「お願いだから聞かないで。できれば間違いであってほしいと願っていることなんだけど・・多分、間違いじゃないことだから」
「本当に連夜はいろいろとあるのう」
心底ぐったりした表情で机に突っ伏す連夜の背中を優しく撫ぜて慰める美貌の幼馴染。
彼女の名は『龍乃宮 姫子』
連夜の幼稚園時代からの知り合いで、非常にいろいろと紆余曲折があった後に友達になった人物。はっきり言ってしまえば出会った当初は連夜の『敵』であった彼女であるが、小学生時代にあったあることをきっかけとして連夜に対する認識を百八十度変えることになり、今は『敵』ではない。
下級中の下級種族であり、差別されやすい種族トップテンに常に入るといわれている種族『人間』族に生まれた連夜と違い、姫子は上級種族中の上級種族の一つで、かつて大陸の東方一帯に覇を成し、数々の『神』排出したという伝説の『龍』族の生まれ。しかも一族をまとめ導く定めを背負う王族でもあるという姫子の周囲はいつも『人』で溢れている。姫子自身の魅力に惹かれる者、『龍』族の力に惹かれた者、王族である姫子に取り入ろうとする者、集まってくる者はそれぞれ様々でその思惑も千差万別であるがともかく姫子はいつも『人』に囲まれている。
そして、対照的にいつも一人でいるのが連夜だ。
種族的に差別されやすい人間族であることが一番大きな原因で、人間族の連夜と仲良くすれば理不尽な差別に巻き込まれるかもしれないという思いから、多くのクラスメイト達やそのほかの学生達はみな連夜に近づこうとしない。連夜もまた、それをよくわかっているので、自分から友達を作ろうとはしない。自分のせいで友達達が窮地に陥ることになってしまうのは嫌だったからだ。
学校のクラスメイト達で表立って差別的な行為をしてくる者はごく少数ではあるが、表だってではなくそれとなく敬遠している者となると大部分ということになる。
そんな微妙な位置にいるのが連夜である、普通は誰も彼と友達になろうとはしない。多くの者達は関わりになろうとはせず、目を閉じ、耳を塞ぎ、そこにまるで誰もいないかの如く扱う者ばかり。
しかし、そんな中にあって全く躊躇することなく連夜に接する少数派の者達がいる。
その少数派の一人が姫子だ。
それも軽く挨拶を交わすだけという軽い接し方ではない。授業の合間の休み時間、昼休み、放課後の一時と、あらゆる時間暇さえあれば『連夜、連夜』と纏わりついて懐きまくるほど連夜に執心しているのだ。だが、だからといって二人が恋人同士かというとそういうわけでもなく、今のところはあくまでも仲の良い友達の関係で、当人達自身もお互いについてそれ以上の関心を持っていない・・ように見える。今のところは。
高校に入学した当時は二人が恋人同士ではないかという噂が広がり、一時期大変な騒動に発展したこともあったが、結局、誤解であることがはっきりと判明しそれ以降事態は沈静化している。とはいえ、姫子に秋波を送っている男子生徒達からすれば、すぐ側で仲良くしている連夜の姿を見ているのは当然の如く面白いものではなく、それ相応の騒動が裏では巻き起こっていたりもする。勿論、そのことを聡い姫子が気がつかないわけがない。
これまで自分のせいで大好きな友達が何度もひどい目にあいそうになっていたことはちゃんとわかっていた。そのうちの何度かには姫子自身が飛び込んで行って文字どおり身体を張って事態を鎮静化させたこともある。しかし、それもこれも学校の中にいる間ならではで、学校の中にいる間ならば、姫子独自が持つ彼女のシンパ達の情報網を駆使して連夜を守ることができると思っているし、誰にも手出しはさせていないと思っているのだが、学校の外のことになると流石の姫子もカバーしきれない。
だからこそ、今日は本気で心配していたのだった。いつもなら自分よりも早く登校し、自分の机で静かに専門書を読んでいる連夜。そして、姫子達が登校してくるとあの穏やかな笑顔で出迎えてくれるのだ。その笑顔を見ることが姫子は何よりも大好きだった。優しく包みこむような連夜の温かい笑顔。今日もそれが自分を待っていると思ったのに、肝心の本人はそこにはいなかった。最初はちょっと遅れただけかなと思っていたのだが、十分待っても二十分待っても連夜はやってこず、窓際に座って連夜が登校してくる姿が見えないかとやきもきしながら待っていた。
きっと連夜のことだから大丈夫、心配することなど何もないという自分に言い聞かせてみるが、どうしても不安は拭いきれず、いっそ学校を抜け出して探しに行こうかとまで思いつめていたというのに、どうやって登校してきたのか姫子が目を皿のようにして見つめていた中をすり抜けるようにしてやってきた連夜は、何事もなかったかのように自分の席へ。
何事もなく登校してきたこと事態にはほっとしたが、自分に対していつもしてくれているはずの挨拶がなかったのは非常に面白くなかった。
しかもしかも、何かわからないが、見たことのない連夜の嬉しそうな表情がめちゃくちゃ癇に障ったのだった。自分でも何がなんだかわからないが、物凄く面白くなく、腹が立って腹が立って仕方なく、正直なところその場で怒鳴り散らして喚き散らしてやりたいところであったが、なんとかそれを腹の中に押し込んでとにもかくにも連夜の前に行ったというわけであった。
どうやら登校が遅れた理由は姫子が考えていたような危険なモノではなかったようだし、朝にあったという連夜の兄上絡みの騒動もウソではないようなのだったが、どうにも先程の連夜の笑顔が気になる。
いまだに大治郎のことで頭を悩ませて机に突っ伏している連夜の背中を撫ぜてやっていた姫子だったが、やっぱり何か胸のもやもやが晴れないので思い切って自分の疑問を口にすることにする。
「あの、連夜」
「ん~? な~に姫・・子ちゃんって、どうしたのっ!? まだ、僕のこと心配してるの? それとも僕、また何かした?」
姫子の口調がいつもと違う声音であることに気がついた連夜が、むくりと身体を起こしてみると、そこにはとてつもなく不安そうな表情をした姫子の姿。それを見てびっくりした連夜は慌てて姫子に問いかける。
「いや、あの、さっき夕方がどうのこうのって言ってたけど・・何かあるの? 誰かと会うの?」
「げっ・・聞かれてたのね・・」
目に見えて狼狽する様子を見せる連夜を見て、姫子の心にさらに大きなざわめきと不安が広がる。これ以上聞けば、自分が聞きたくない聞いてはいけない事実がわかってしまうような、そんなとてつもない嫌な予感。そんな姫子を見つめながら、連夜は何度か口を開けようとしては閉じ、また開いて言葉を紡ごうとしては閉じるということを繰り返していたが、やがて何かを諦めたような表情を浮かべると今度こそ言葉を紡ぎ始める。