第二話 『狐と鴉』 その4
怪人『祟鴉』の捜索開始から一週間ほどたったある日のこと。
連日『サードテンプル』の治安の悪いところをうろついていることを、大親友のミネルヴァがどこからともなく嗅ぎつけて心配して詰問しにやってきた。
最初は適当なことをいって誤魔化そうとしたのであるが、流石に長年付き合いのある大親友である。今までの経緯などの大部分はなんとか隠し通したのであるが、巧みな誘導尋問で誰を探しているのかだけはとうとうバレてしまったのだった。
『はあっ!? 『サードテンプル』に出没する黒装束の怪『人』を捜しているって・・それって『祟鴉』のことじゃないのっ!?』
恐ろしく険しい表情で怒声に近い大声をあげるミネルヴァ。
玉藻が知る親友は、いつも飄々としていてどんなときでも笑みを絶やさず、こんな風に声を荒げることなど、滅多にない。というか、長い付き合いであるが、彼女がここまでヒートアップした姿を見るのは実に久し振りのことである。
そんなミネルヴァの姿に圧倒されていた玉藻であったが、彼女の口にした固有名詞が気にかかり、恐る恐る尋ね返す。
『た、『祟鴉』? あいつってそんな風に呼ばれているの?』
『何言ってるのよ、玉藻。あんたが今言った人相風体で『サードテンプル』に出没する奴っていったらあいつくらいしかいないじゃない。ひょっとしてあんた知らないで捜そうとしていたの?』
『う、うん、今、初めて聞いた。そっか、あいつ『祟鴉』って呼ばれていたのね』
心底呆れたような表情を浮かべて自分を見つめてくるミネルヴァに、戸惑った表情で応える玉藻。
実は玉藻、『サードテンプル』周辺で暗躍し続ける怪人『祟鴉』についての噂話を、今の今まで全く知らなかったのである。それどころか『祟鴉』という呼び名ですら、初めて聞いたばかり。
誰が見ても『完全に知りませんでした』という表情を浮かべているとわかる玉藻の姿を見て、大きくため息を吐きだしたミネルヴァは大いに呆れ果てた様子を見せたが、それでも巷で流れている怪人の噂話について自分が知っている限り玉藻に教えてやった。
玉藻はミネルヴァが話す噂話の数々をしばらく黙って聞いていたが、いくつかの噂話について首を傾げる。
いい噂については置いておく。恐らくそれは真実に違いない。
あの心優しい怪人ならありえる話ばかりだ。しかし、悪い噂話にはいくつも引っかかることがあった。
確かに、あの怪『人』は人畜無害な生き物ではない。その証拠となる現場を何度か目撃している玉藻には、納得できる噂話もあることはあったのだが、なんとなくそういう話には裏があるような気がしてならない。
ひょっとしたら自分が知らない腹黒い何かをあの怪人が持っているのかもしれないが・・
ミネルヴァの話す噂話をすべて聞き終えた玉藻はしばらくの間、複雑な心境で考え込む。
自分が恩を返そうとしている相手は、実はとんでもない大悪党かもしれない、あるいはひどい卑劣漢かもしれないと。
しかし、心の中であの黒装束の怪人の姿を思い浮かべた玉藻はすぐにその考えを打ち消した。
(ないわ。やっぱりどう考えてもない。あいつが無暗に『人』を陥れるとは考えられない。と、いうことはやっぱり何かあったんだわ。あいつがそうせざるを得なかった何かが相手側に)
そう結論付けると、玉藻の心中は不思議と穏やかになった。
何故かはわからないが、今、自分が出した答えが真実であるという確信があった。
しかし、やはり気にはなるので、今度会ったらそれらのことについて聞いてみようと決意する。その内容次第では手を貸せるかもしれないし、それが恩を返すことにつながるかもしれないからだ。
そうと決まれば善は急げとばかりに玉藻はその場からそそくさと立ち去ろうとする。
『よし、そうと決まればとりあえず行きますか。じゃあ、ミネルヴァまたね』
『待て待て待て。ちょっと待ちなさい』
当たり前だが目の前の親友はそう簡単には解放してはくれなかった。すぐさま玉藻の動きを察知して強引に腕をつかんで引きとめる。
『多分、あたってると思うけど一応聞いておくわね。どこに行くつもりよ玉藻!?』
『まあ、いろいろと、その『サードテンプル』まで野暮用を済ませに行きたいので、放していただけませんこと、ミネルヴァ嬢?』
『お上品ぶって誤魔化そうとしてもだめ!! ともかく、あいつの捜索については私、絶対手伝うからね!!』
『え? え! て、手伝ってくれるの!?』
なんとかミネルヴァの手を振りほどこうとしていた玉藻は、ミネルヴァの言葉を聞いて一瞬呆気に取られた表情で目の前の親友を見つめ返す。すると、ミネルヴァは玉藻に『任せろ!!』と言わんばかりの頼もしい表情で深くうなずいて見せるのだった。
『あったり前じゃない、こっちからお願いしたいくらいだわ!!』
思わず感激して目を潤ませる玉藻。
やっぱり持つべきものは親友だ。
そう思って瞳を潤ませている玉藻の手をしっかりと握ったミネルヴァは、とてつもない決意と何かの覚悟に燃える瞳で玉藻を見つめ返す。
そんなミネルヴァの姿を見た玉藻は、『なんて友情に厚い友人なんだろう、今まで誤解してごめんね』と、心の中でめちゃくちゃ感謝したりしたのであるが、その想いはミネルヴァが発した次の言葉で木端微塵に砕け散る。
『玉藻も捜していたなんて、なんて好都合なんだろう。見つけ次第ぎったぎたの全殺しにしてやるんだから』
『そうね、見つけ次第全殺しに・・って、え? 何? ぜ、全殺し!?』
『そうよ、絶対許すわけにはいかないもの!! 玉藻だってそうなんでしょ? あいつにひどい目にあわされたか、それに近い何かをされたからあいつのことぎったぎたにするために捜しているのよね?』
『えええっ!? ミネルヴァ、なんかひどい目にあわされたの?』
一瞬いつもの笑えない悪い冗談炸裂か? と思って相棒を見つめた玉藻だったが、目の前の親友は完全に目が据わっていて、今回に限っては一部の隙もなく大真面目。百パーセント本気で怒り狂っているとわかりみるみる顔を青ざめさせる。
確かに『祟鴉』は無抵抗主義の無害な生き物ではない、普段はのほほ~~んとして虫も殺さないような平和なオーラを身にまとってはいるが、あの怪『人』の逆鱗に触れるような出来事が起きたときは、とてつもない危険な生き物に激変することを玉藻はよく知っていた。
ひょっとすると何かの手違い勘違いで自分の相棒と激突することになったのかもしれない。
悪い予感に表情を強張らせながら玉藻が問いかけると相棒は首を横にふってみせる。
『いや、私自身じゃない。ほら、アポロや、フィリップや、小町のこと覚えてる?』
『あ~、あんたの高校時代の取り巻き達ね。それが?』
『やられたのはそのアポロ達よ。もうさんざんな目にあわされたらしいのよ。衆人環視の元で大恥赤っ恥をかかされてね。その内容は言えないんだけど、本当に破廉恥極まりないことやってくれちゃったみたいでさ。私の大事な友達にしてくれたことの落とし前だけはつけてやらなきゃ。そうしないとどうしても気が済まないのよ!!』
玉藻の予想とは違いミネルヴァ自身との激突はなかったのだ。
そのことに大いに胸をなで下ろす玉藻。
いくら恩人であるとはいえ、自分の大事な親友を傷つけられたとあっては玉藻も心穏やかではいられないところだった。
しかし、問題はそのミネルヴァの友人達であった。ミネルヴァ自身は非常に怒り狂っていて、その友人達の仇を討つと息巻いている。そして、玉藻自身にもその加勢を求めてきているのだが・・
玉藻はそれに迎合する気には到底なれなかった。他でもない大親友ミネルヴァの頼みだ、普通なら二つ返事で『よし、わかった!!』と請け負うところだが、今回ばかりはどうしてもその気になれない。
いや、正直に言えば、絶対に加勢したくなかった。
むしろ、ミネルヴァの友人達をひどいめにあわせたという怪『人』に『よくやった!!』と言ってやりたいくらいなのだ。
そう、ミネルヴァの友人達が玉藻は大嫌いであった。
玉藻の友人ミネルヴァは実に魅力のある『人』物である。
中学時代、高校時代どちらのときも生徒会長に立候補し、その輝く太陽のような魅力を存分にふるい、中学の時も高校の時も他の候補達をぶっちぎって当選。彼女の周りには実に様々な人材が集まったものであるが、その中には良い者もいれば悪い者もいた。
ミネルヴァはどちらの者でも受け入れることができる大きな器の持ち主だったので、みな喜んで彼女の元に馳せ参じ彼女の為に働いた。それ自体に問題はない、ミネルヴァの下にいる限り彼らはみなその光に照らし出されて同じように光り続けることができたから。
だが問題はそこではない。
大きな問題は彼女という太陽の元を離れたときに現れた。
元々自ら光り輝くことができないもの達のいくつかが、太陽が見ていないとき、見ていない場所で自身が持つ闇を周囲へと吐き出して撒き散らしたのだ。
自分達が上級種族に生まれたことを鼻にかけ、傲然と差別的な行動を繰り返す。しかし、ミネルヴァの元へと戻ると彼らは自分の闇を隠し、ミネルヴァという太陽の光に迎合してみせる。彼らはミネルヴァの前では決して自分達の闇を見せようとはしなかった。
玉藻はそんな彼らが大嫌いであった。
玉藻自身は霊狐族という上級種族に区別される種族に生まれていたが、その辛く悲しい生い立ちから、いかにそれが空しく最悪な物の考え方であるかを身をもって知っていた。だからこそ彼女からすれば、ミネルヴァの友人達が影に回ってしていることは歓迎できることではなかったし、決して許せるものではないと思っていた。だが、そんな彼らでも大事な親友の友達である。非常に苦々しくはあったが、気に入らないからと手を出すことはできなかった。なにせミネルヴァ自身が全くそのことに気がついていないし、彼らを信じ切っているため迂闊に動くことができなかったのだ。
その後高校卒業と共に、彼らとは会うことはなくなった。
玉藻とミネルヴァは卒業後同じ大学へと進んだが、彼らは別の道へと進み、自然と疎遠になっていったのだ。そのことに内心ほっとしていた玉藻であったのだが、まさかここに来てその名前が出てこようとは。
結局、なんとかその場はミネルヴァの提案を退けることができたのであるが、自分からあの怪『人』を探し出すことはできなくなってしまった。大学からの帰り際、ちょっとでも玉藻が怪しい行動をしようとするとミネルヴァが勘付いて一緒についてこようとするようになってしまったからだ。内心大いに辟易した玉藻であったが、無下にすることもできず、その案は諦めざるを得なかった。
とはいえ、それで恩を返すこと自体を諦めたわけではない。
自分で探すことはできなくともあの怪『人』に会う方法が全てなくなったわけではない。消極的だし、この日と定めることはできないが方法はあるのだ。そのやり方は単純明快。今まで通り向こうが会いに来てくれるのを待っていればいいのである。それまでの半年間、黙っていても向こうは玉藻に会いに来てくれた。きっとまた会いに来てくれるはず。
はたして玉藻の予想通り、『祟鴉』はそれ以降も何度も玉藻に会いに来てくれた。そして、いつも通り、玉藻に利になる何かを残して去っていくという行動を繰り返す。玉藻はこの機会を逃さず今までの恩を返そうとした
しかし・・
(ど、どうすれば恩を返すことになるのかしら・・)
そう、肝心要の恩を返す具体的な方法が何も思い浮かばなかったのだ。しかも会う機会はその後も何度もあったが、そのタイミングはいつも突然であり、その状況というのがいつもいつも玉藻が精神的に余裕がないときや、別の考え事で頭がいっぱいのときに現れるので『恩を返す』という目的そのものを忘れて、怪『人』がその場を去ってしまってから思いだすということもしばしば。
そうしてまごまごしているうちに、何の恩返しもできないままにまた半年という月日が流れて行った。
(あれほど恩を返すって固く決意したのに、あたしって奴は・・)
半年間どうすることもできなかった、あるいはしなかった自分が腹立たしいやら悔しいやら。いっそのこと下心満載で手助けしてくれていたら気楽なのにとか、出会いそのものがなければこんなに悩むこともなかったのにと・・そんな考えが脳裏を一瞬よぎることもある。しかし、玉藻はそんな考えが思い浮かぶとすぐにそれを否定し、そんな考えを抱く自分を叱りつける。
この一年間、いろいろとあったが、間違いなく自分は今までとは比べ物にならない、いや経験したことがないくらい穏やかな一年を過ごすことができた。全部が全部あの怪『人』のおかげとは言わないが、大きな大きなウェイトを占めているのはまず間違いない。
それらのことを忘れ、しかも自分の不甲斐無さを棚にあげておいて、身勝手な考えを抱くことが許されていいはずがない。
(あきらめちゃダメだ。受けた仇には仇で、受けた恩には恩で返すのが私の流儀だったはず!! そうだ、一度に全部返そうとするから駄目なのよ、少しずつ返していけばいいじゃない。小さなことでもそのとき自分にできる最善のことをコツコツ積み上げていくのよ!!)
心の中でそう呟き、玉藻は再び恩を返すことを固く決意する。そうして恩を返すチャンスをじっと待つことにしたわけであるが、どういうわけか大学二年生に進級してからしばらくの間、ぱたりと怪『人』が現れなくなってしまった。
それまでは早ければ三日に一回、遅くとも二週間に一回のペースで遭遇していたにも関わらず今回は一カ月近くも間が空いてしまっていた。
(とうとう、私・・愛想を尽かされたか。そりゃそうよね、私は相手から一方的に搾取するだけで、何もしようとはしなかったもの)
心の中で自嘲気味にそう呟く玉藻。自分とあの怪『人』は顔見知りの『知り合い』で、同じ師匠に学ぶ『兄妹弟子』ではあるが、『友達』ではない。勿論、血の繋がった『親兄弟』でも『親戚』でもなければ、会社の『同僚』でも『上司』でも『部下』でもない。
会えなくなったとしても別段不思議な関係ではないのだ。
(本当にもう会えなくなっちゃうのかもしれないなあ)
しかし、そう心の中で呟いて、改めてあの心優しい怪『人』ともう会えないかもしれないと思うと、なぜか涙が零れそうになる。いつの間にかあの怪『人』の存在が玉藻の心の中で大きくなっていたことに愕然とするが、どうすることもできない。
無理矢理にでも忘れてまた灰色の日々を生きていくしかないのだ、そう思って半ば諦めかけていたのであるが。
そんな玉藻の前に、黒装束の怪人『祟鴉』は姿を現した。
一カ月ぶりの再会であった。