第二話 『狐と鴉』 その3
玉藻がこの黒づくめの怪『人』 『祟鴉』と知り合ったのは一年前のこと。尊敬してやまない師匠ブエルが勤務している都市立与厳大学にめでたく合格し、その合格を報告すべく大学内にある師匠の部屋を訪れた玉藻だったわけだが、そのとき師匠と一緒にいたのが全身黒づくめの怪人『祟鴉』であった。
最初にその姿を見たときはそのあまりにも異様な風体に呆気にとられてしまった玉藻。しかし、尊敬する師匠に襲いかかろうとしている強盗の類かなにかとすぐに判断を下し、侵入者を排除すべく素早く戦闘態勢へと移行する。
自分に自由を与えてくれた大恩人である師匠を守らなければ!!
という使命感の元、自分がスカートをはいて来ていることも忘れ、椅子に座ったまま玉藻のほうにぼんやりと顔を向けている黒装束の怪『人』に必殺の回転中段蹴り。大輪の花のようにスカートを翻し、そのスラリと長い足を惜しげもなく晒しながら凄まじい勢いで殺人キックが怪『人』へと吸い込まれる。
しかし、蹴りを叩き込む寸前になって、目の前の相手に敵意とか害意とか悪意とかいったものが一切ない、それどころか何か自分を見つめてくる気配が非常に正の気配であることに気がついて慌てて蹴りの軌道を修正。なんとか『祟鴉』を蹴り倒さずにはすんだのだが、代わりに隣にあった師匠のテーブルを木端微塵にしてしまい平謝りすることになってしまった。
「あははは、あははははは、ご、強盗だと思ったのかね? あはは、玉藻くんらしいね」
「そ、そんなに笑わないでくださいよ師匠!!」
テーブルの残骸を片付けながら玉藻の突然の回し蹴りの理由を聞いた師匠は、その癖毛だらけの乱れまくった長髪と顔の下半分を覆い隠す鬚のせいで目と鼻しか見えていない顔を破顔させて大爆笑する。そんな師匠の姿を恨めしそうに見つめ、羞恥で顔を赤く染めながらも、玉藻は手を止めることなく自分が壊してしまったテーブルの残骸の後片付けを続ける。
「いやいや、ともかく強盗なんかじゃないから安心したまえ。その子は君と同じで私の弟子の一人だ。古い古い友人・・いや、友人というのはあまりにもおこがましいな。私の大恩人のお子さんでね。君よりも年下ではあるが、君の兄弟子にあたるんだよ」
「え、これから大学一年生になる私よりも年下ってことは、この大学の生徒じゃないんですか?」
「うむ。だが、ここの大学の生徒達よりもずっと優秀ではあるがね。まあ、君ほどではないが」
自分の隣でテーブルの破片を片付けている黒装束の怪『人』の肩をぽんぽんと優しく叩く師匠。そんな師匠の紹介を聞いていた玉藻は、思わず手を止めると自分の目の前で片づけを続けている怪『人』をまじまじと見つめてしまうのだった。
全身を覆う真っ黒でぼろぼろのコート、同じく真っ黒でぼろぼろのズボン、そして、白地に赤い東方文字が一字書かれた仮面。自分よりも小柄であるということ以外は全く外見がわからない姿、年齢も、性別も、そして、種族も当然ながらわからない、全くの謎。そんな謎だらけの怪『人』はやたら手慣れた様子でテキパキと後片付けを行っている。一緒になって手伝っている師匠や玉藻など、全然役に立ってないんじゃないかと思わせるくらい、素晴らしい手際で部屋の中をあっという間に片付けていき、最後は壊れたテーブルをすぐにでも燃えないゴミとして出せるように分別して部屋の片隅にまとめてしまうと再び二人の元へと戻ってきた。
玉藻はしばらくそのプロのハウスキーパーのような鮮やかな手際に見惚れていたが、はっと何かに気がついた表情を浮かべる。粗相をしてしまった相手に自分がまだ謝っていなかったことを思いだしたのだ。玉藻はきちんと直立すると深々と頭を下げて奇麗な一礼を作る。
「謝罪が遅れて本当にごめんなさい。強盗と間違えてしまうだなんて、私、そそっかしくて。しかもついつい力に頼ってしまうからいつも師匠に怒られているんですけど、未だに治らないんです。本当に本当に申し訳ありませんでした」
いくら紛らわしい姿を相手がしていたからといってそれは理由にはならない。目の前の怪『人』はただ椅子に座っていただけで、確かに師匠に害を加えようとするようなことは一切していなかったのだ。完全に自分が悪いと思った玉藻は誠心誠意を込めて謝罪を口にする。
すると、目の前の怪『人』は慌てたように近寄ってきて玉藻の頭を上げさせる。そして、片手をぶんぶんと勢いよく横に振ってみせる。
「全然気にするなってこと?」
玉藻が恐る恐る聞いてみると、うんうんと首を縦に振る怪『人』。そして、続けざまに何かを伝えようと再び複雑なジェスチャーをはじめる。
「え? え? むしろ、ラッキーだった? 何が? 白紙がなに? 白紙を見れてよかったってこと?」
なぜか近くに落ちていた何も書かれていない白紙を取り出して指さした怪『人』はそれと玉藻とを交互に指さして、ガッツポーズを取って見せる。
「白紙が見れてよかったって変な『人』ね。私別に白紙なんて持ってないのに。え、白紙じゃなくて、『白』い色ってこと? で、私のスカート? じゃなくて、その中? ああ、つまり、私の下着が白で、それを見れてよかったってことなのね。な~んだ、そっかそっかぁ・・って、ばかああああああっ!! な、な、何言ってるのよ、あんた!!」
ようやく怪『人』のジェスチャーの意味を悟った玉藻は、今度は別の意味の羞恥で顔を真っ赤にし、目の前で無邪気に喜んでいる怪『人』に怒声をあげる。
「馬鹿! ばか! バカッ!! 何考えているのよ!? え、白がよく似合ってるって? そ、そんなことどうでもいいのよ!!」
思わず怪『人』の側に駆け寄った玉藻は、そのフードに包まれた頭をぺしっと叩き。そして、若干涙目になりながら怪『人』を睨み付けるように見詰める。しかし、怪『人』は相変わらずのほほ~~んとした雰囲気を崩すことなく玉藻の方に顔を向け続けるだけ。そんな怪『人』の様子を見ていると段々怒っているのが馬鹿馬鹿しくなってきて、玉藻は深い溜息を一つ吐き出して肩の力を抜く。
正直言ってやりたいことはいっぱいあったが、この目の前の怪『人』物に何を言っても無駄なような気がして玉藻は師匠へと顔を向け直しかけた。そのとき、玉藻の脳裏に誰かの声が木霊した気がした。
『お姉ちゃんはやっぱり白が似合うよね、うんうん』
「え?」
師匠に向けかけた顔を慌てて戻し、キョロキョロと周囲を見渡す。だが、いくら周囲を見渡してみてもここにいるのは、自分と師匠と、そして、黒装束の怪『人』の三人だけ。玉藻は違うとわかってはいたが、側にいる怪『人』に声をかける。
「あなたじゃないわよね、今の?」
「?」
「ああ、いいの、いいの。ごめん、私の気のせいだった」
きょとんとしている怪『人』にすぐに謝罪して見せた玉藻だったが、フードをすっぽりとかぶった怪『人』の姿を見ていて、はっとあることを思い出す。以前、彼女が出会った『人』の中に、同じようにフードを目深にかぶった『人』物がいたことを。
「そっか、そういえばそういうこともあったなあ」
中学校に進学する日を間近に控えたあの日、生まれ故郷と訣別する日の直前、夕日が照らし出す公園で彼女に『お嫁さんになってほしい』といってくれた少年と、ちょうど今のようなやり取りをした記憶があることを、玉藻は今はっきりと思い出していた。きっと、その外見が少し似ているような気がして思い出してしまったのだろう。今思い出しても赤面してしまう思い出だが、もう会うことはできない少年との大切なエピソードの一つには違いない。玉藻は目を伏せてそっともう一度だけその思い出を思い出したあと、再び心の奥底へと沈めた。そして、怪訝そうな表情を浮かべている師匠になんでもないと笑顔を浮かべて告げようとしたのであるが、師匠の視線が自分ではなく隣の怪『人』を向けられていることに気がつき、そちらに視線を向けてみる。すると、何やら両腕を組んで物凄くわかったような感じで何度も頷いている怪『人』の姿が。
「って、なんであなたが頷いているのよ」
玉藻がツッコミを入れると怪『人』は、『な~に言っているんですか、あのときのことでしょう?』なんて言いたいような感じにパタパタと片手を振ってくる。
「いや、だから、なんであなたそういうわかったようなリアクションとるわけ? それとも、ひょっとして私が何を思いだしているかわかってる? まさかね~、そんなわけないわよねえ」
「???」
「あなたとは今日が初対面なのに」
「!!!」
すると、怪『人』は目に見えて『し、しまったあああああ!!』みたいな感じに大いに慌て始め、玉藻はそんな怪『人』を物凄い不信感一杯な感じで見詰めたのだった。
結局、その日は怪『人』の思わせぶりな態度がなんだったのかわからないままに終わってしまったのだが、怪『人』との付き合いそのものがそれっきりで終わりになったわけではなかった。それから後も玉藻はこの黒装束の怪『人』と奇妙な交友を続けていくことになったのである。
最初に出会った時のように師匠の部屋に訪れたときにばったり出会うということも勿論あったが、それ以上に玉藻がこの黒装束の怪『人』と遭遇したのは、ここ『サードテンプル』周辺であった。しかも、遭遇するタイミングは大抵玉藻に何かがあったとき。
その何かは様々であるが、ほとんど玉藻がよくない状態の時に怪『人』は現れるのである。例えば、親友や知り合い達と喧嘩してしまったときや、試験が思うようにいかなかったとき、あるいは知り合いが亡くなったときや、体調が悪いときなどなど。
玉藻が自分の心を整理できず、気持ちがささくれだって、イライラし大暴れしそうになったり、あるいは落ち込んで一人誰もいないところで泣きそうになったりしているそんなときに、いつもののほほ~~んとした様子で姿を現し、何をするということもなく、黙って玉藻の側にいる。
しゃべるのはいつも玉藻のほうで、自分の中の怒りの気持ちをぶつけるときもあるし、落ち込んで悲しい気持ちを吐きだすときもある。しかし、怪『人』は余計なことを何も言わず玉藻の話を黙って聞き続けてくれるのだった。そして、玉藻が自分の気持ちを吐きだしきって落ち着いてきたとき、さりげなく玉藻を慰めるような何かを残して去っていく。
それは今まで食べたことがないくらいおいしいお弁当やケーキであったり、あるいは自分が必要だと思っていたけれど稀少すぎて手に入らなかった『療術』の専門書だったり。物ばかりではない、時にはそのとき玉藻が頭を悩ませている対人関係を解消する方法のヒントのようなものが書かれたメモだったり、玉藻が知りたがっていることを知っている誰かを紹介してくれたり、そして、あるいは玉藻が手強い不良達と大立ち回りをしているときに突然現れて、絶妙な援護をしてくれたりもしたのである。
しかし、それだけのことをしてくれていながら、『祟鴉』は玉藻に対して何も代償を要求しようとはしなかった。いつもいつもいつも一方的に自分だけが何かを玉藻に与え、自らは何も受け取らずに去っていく。
最初の頃は何らかの下心があってのことだと思い、徹底的に利用するだけ利用してやろうと思ってその好意を何の感謝も抱かずに受け取っていたのだが、半年もそういったことが続くと、いくら『人』の機微に疎い玉藻でも相手には本当に下心がないのだとわかる。そうなってくると今度はなぜ自分にそれだけのことをしてくれるのか気になって気になって仕方なく、また今まで散々相手の好意を食い散らかしてきた自分の浅ましい行為が嫌々で仕方なくなってしまい、玉藻はなんとか今まで『祟鴉』に受けてきた恩の分だけでも返せないかと真剣に考えるようになった。そこで、あの怪『人』の素性を知っているはずの師匠に、半年も経ってからどうかとも思ったが、このままでいるよりはよっぽどましと恥を忍んで教えてもらおうとしたのだが、師匠の答えは・・
『ズルしちゃいかんな、玉藻くん。君には目も口も耳もある、自分で立って歩く足も、引きとめるための手だってあるだろう? ちゃんと自分の力を使って、本人に教えてもらいなさい。『療術』のことならいくらでも教えてあげるし、きちんと答えを出そう。しかし、その問題は君自身が君自身の力で解かなければ意味がない』
と、すっぱり突き放されてしまった。
途方に暮れかけた玉藻であったが、すぐに気を取り直して思いなおす。確かに師匠の言う通りで、本当に自分が恩を返そうと思っているのなら自分の力でなんとかすべきなのだ、ならば己の全力を尽くしてでなんとかするまで。そう決意した玉藻は『祟鴉』に今まで受けてきた借りを返すべく、黒装束の怪『人』を自力で捜し出すことにした。
と、いうのも素性がわからないため住所がわからず、連絡先も知らないとあって、このままでは自分からはあの怪『人』に会いに行くことができないからである。勿論、向こうから会いに来てくれるのを待つというのも一つの手であろうが、その手段なら自分が捜索しながらでも兼ねることができる。少しでも怪『人』と遭遇する可能性をあげるためにも自分からのアプローチも行っておきたかったのだ。
ただ、時間が無限にあるわけではない。玉藻とて、いろいろと他にやらなければならないこともあるので、いくら恩を返すためとはいえそちらに集中することはできない。なので、大学からの帰り道の二時間ほどを割いて捜索することにした。
こうして、黒装束の怪『人』の姿を探して『サードテンプル』周辺をしらみつぶしにまわろうとしたのであるが、ここで思わぬ落とし穴が玉藻を待っていた。