第二話 『狐と鴉』 その2
城砦都市『嶺斬泊』に存在するエリアの中で最大のビジネス街である『サードテンプル』。平日の朝ともなればその都市営念車駅は近くの学校に通う学生や、会社に向かうサラリーマン達でごった返し、大変な状態になっているのであるが、それはあくまでも駅の南に位置する表側の話。北の歓楽街に続く裏側は表と対照的に静まり返っており、『人』通りはほとんどない。しかし、今日は少しばかり事情が違っていた。駅の建物からそれほど離れていない路地裏の一画。この都市の通信機能一切を取り仕切っている中央庁が経営する念気通信社の本社ビルがかつてあった場所。今は隣町の『ルーツタウン』に本社を移し、ビルそのものは取り壊され空き地となったその場所で、今、凄まじい死闘が繰り広げられていた。
「この、くそアマァァッ!!」
「そういう女性蔑視の言葉やめてもらえる? あんたみたいな頭の悪そうな奴に言われると本当に腹が立つから」
頭に三角錐型の大きな二本角を持つ鬼族と思われる大柄な高校生が、その丸太のような剛腕を叩きつけてこようとするのを余裕でかわし、嘲るように呟いた玉藻は、そのまま美しいフォームでスラッと長い足を鞭のようにしならせる。その足は風を巻いて空を斬り、鬼族の高校生の後頭部に吸い込まれる。豪快な打撃音などはない。しかし、その一撃をくらった鬼族の高校生は白眼を剥いて泡を吹き、固い地面の上へとその身を沈めるのだった。
そのあまりにも華麗で圧倒的な武力をまざまざと見せつけられることになった残りの不良達は、一瞬玉藻に殴りかかることを忘れ、怖れるように一歩後退する。次々と殴りかかってくるものと思い、半身の迎撃態勢で身構えていた玉藻は彼らのあまりの不甲斐無さを見て、思わず呆れた表情を浮かべる。
玉藻とタイマンを張るような根性のある奴がいないことは最初からわかっていたが、大勢で一斉に向かってくるわけでもなければ、攻撃にできる隙を狙って攻撃を仕掛けてくるわけでもない、やられた仲間を助けにくるわけでもない、いったいこいつらは何がしたいのかと、本気で首をかしげてしまうのだった。
当たり前であるが、この喧嘩は玉藻から仕掛けたわけではない。そもそも玉藻は喧嘩をするためにここ、『サードテンプル』にやってきていたわけではないのだ。
玉藻には小学校以来の大親友であり、大悪友であるミネルヴァ・スクナーという友人がいる。彼女とは共に同じ大学に通う仲であり、共に上位の成績を誇る優秀な学生であるのだが、二人の学生生活は全く違うものであった。
すべての授業に真面目に出席して日々勉強を怠らない玉藻に対し、ミネルヴァはほとんど授業に出ず、怪しげなサークル活動やバイト三昧の日々を送っている。一応単位を落とすつもりだけはないらしく、玉藻からノートを借りて帰っては家でそれなりに勉強してはいるようなのであるが、そもそも授業に出席していないのであるから、いくらテストでいい成績を残しても出席日数が足りず単位はもらえるはずがない。しかし、玉藻と違い恐ろしいほどの人脈を持つミネルヴァは自らのシンパ達を存分に利用し、影武者を擁立して代返で切り抜けようと画策。呆れ果てる玉藻を尻目に、ミネルヴァは去年、その方法で見事に全ての授業の単位を取得し切り抜けた。
・・かに見えた。
だが、そうは世の中うまくいかないものである。実はミネルヴァのその作戦はとっくの昔に教授達に見抜かれていた。当たり前である、学内でも一、二を争うほどの美貌の持ち主であるミネルヴァが本当に授業に出席しているかどうか、ちょっと部屋の中を見ただけで一目瞭然である。いくら声だけで誤魔化そうとしても誤魔化し切れるものではない。にも関わらず単位が取得できたのは、ミネルヴァの成績があまりにも優秀であったことと、大学で最大級の権威を誇る二人の教授が彼女を擁護したからだ。
一人はミネルヴァの師匠であるラファエル・ラー・ファミル教授。そして、もう一人は玉藻の後見人であり、小学生の時に弟子入りしてからずっと追いかけ続けている憧れの大師匠ブエル・サタナドキア教授。
その二人の援護射撃のおかげでミネルヴァはなんとか単位を取り上げられることはなかったのだが、代わりに追試を受けさせられることになってしまったのである。
もちろん、その内容はかなり厳しいもので、受けなければ当然単位は即没収だし、受けても教授達が示した合格点を越えることができなかったらやっぱり単位は没収である。で、今日がその運命の追試の日。本当なら今日の玉藻のスケジュールとしては午後から大学に行けば済む話であったのだが、ミネルヴァ本人に泣きつかれてしまったのである。
『たまちゃ~~ん、お願いだから、ついてきて~~!!』
『い、嫌よ。なんで、あんたの追試の付添しないといけないのよ!? 歯医者を怖がる子供かあんたは!?』
『お願いお願いお願いお願い~~~~!!』
『え~い、抱きついてくるな!! あんたがそうやってむやみやたらに抱きついてくるから、あんたと私がデキテいるなんてとんでもない噂が大学中に飛び交うことになるんじゃないのよ、もう!! 離れろ離れなさいったら、この妖怪こなきじじい!!』
『いやよ、ついて来てくれないなら絶対離れないから!! ふっふっふ、そうやっていつまでも首を縦に振らないとちゅ~しちゃうわよ!! そんな場面を見られたら今度こそ本当に私とたまちゃんが恋人同士ってことになっちゃうかもね・・』
『ぎゃ~~!! やめんかあああ!! 気色悪い!!』
『ほらほら、ちゅ~~しちゃうわよ~~』
『いやあああ!! わかったわかった、わかりました!! いけばいいんでしょ、いけば!!』
『やったあ、やっぱりたまちゃんは私の大親友だわ、大好き』
『だから、離れろっちゅ~とるんだ、この馬鹿ミネルヴァ!!』
なんとか断ろうとした玉藻であったが、結局こうして強引に押し切られてしまいミネルヴァの付き添いで行かなくてもいい時間に大学に行くことになってしまったのだ。ミネルヴァを送り届けるだけで午後の授業までの時間どうしようかと思っていた玉藻であったが、不幸中の幸いかすぐに午後の授業までの時間をどう使うについておもいあたる。本来授業のある日以外は学校に来ない玉藻の師匠ブエルが今日はミネルヴァの追試の為に大学に来ているはずで、ミネルヴァを追試会場に送り届けたあと師匠の元で行き詰っている研究内容について相談しようと決める。
そんなこんなで追試の日がやってきて、玉藻は待ち合わせの『サードテンプル』駅構内でミネルヴァが来るのを待っていたわけであるが、ミネルヴァよりも先に別の『人』物達が玉藻に声を掛けてきたのだった。
見ためからしてもろに『不良です』といわんばかりの高校生の一団。トロールや巨人族、リザードマン族やオーク族など非常に雑多な種族の集まりであったが、判で押したかのようにガラが悪そうで頭も悪そう、口にする言葉まで『おい、ネエちゃん俺達と付き合えや』と常套句しか口にせず、玉藻を舐めるように見つめてくるその目には性的欲求を満たすためだけの醜い光が見えるだけ。
玉藻はこういう輩が大嫌いであった。生みの親たちから理不尽な扱いを受けて育ってきた玉藻は、力づくでどうこうする輩や、『人』をモノ扱いする輩が大嫌いであり、そういった奴らを決して許すことができなかった。
なので、思い知らせてやるべく人気のない路地裏にわざと誘い込んだのであるが。数で押し切ってけしからん行為をしよう、これだけの人数がいれば好きなことができると思ってホイホイついてきた彼らはすぐに、自分達が獲物と定めたものがか弱い小動物ではなく、自分達には逆立ちしても手に負えることができない猛獣であることを思い知らされることになった。
空地に着くや否や玉藻に躍りかかろうとした不良達を、見事な蹴り技で文字どおり一蹴し、ついでにその周囲にいた不良達も薙ぎ倒す。その間わずか数秒足らず。玉藻の足元にはすでに玉藻に声をかけてきた不良集団の約三分の一近くが倒れて動けなくなっていた。
不良達は続けて玉藻に襲いかかっていくことができず、玉藻の放つとてつもない『武』のオーラに完全に気圧されてしまいその場で委縮するばかり。玉藻はしばらくの間あまりにも弱すぎる不良集団に呆れ果てた視線を向け続けていたが、すぐに表情を引き締めて獰猛な肉食獣の笑みを浮かべるとゆっくりと彼らに歩みを進めていく。
「あんたたちのような輩はね、本気で痛い目にあわないと性根が治らないのよね。悪いけど見逃さないわよ」
バキバキと両拳を鳴らしながら不良達に近づいて行く玉藻。そのあまりの迫力に不良達は徐々に後ずさって行こうとし、そのうちの何人かはうまく後ろに下がることができずにお互いの身体がぶつけあい、体格が小柄なものは押し出されて尻もちをついたりと実に無様な姿であったが、玉藻は全く容赦する気配をみせずに一気に彼ら目掛けて疾駆する。
『ひ、ひいっ!!』
玉藻の進行方向にいる一番近くにいた何人かの不良が悲鳴を上げ、自分の顔の前に泳ぐように両腕を伸ばし玉藻の攻撃を防ごうとする。しかし、玉藻の攻撃はそんな素人防御で防げる
ものではない。玉藻は酷薄な笑みを浮かべると、怪鳥のような叫び声をあげて宙へと飛び上がる。そして、身体ごと回転させながら目の前の不良達に開脚させた足を叩きつける。
その一撃でふにゃけた不良達は木端のように蹴散らされるはずであった。
だが、玉藻の予想とは違い、その足には岩を叩くような硬い感触。自分の足がいったい何を蹴ったのかはすぐにはわからなかったが、しかし、このままの状態でい続ければ間違いなく不利になると判断した玉藻は、その硬い何かを踏み台にするようにして力強く踏みこんでもう一度宙を舞う。
すると、その一瞬あとをとてつもなく嫌な風が通り過ぎ、月面宙返りしながら後方へと間合いをあける途中、自分の足先にあったものへと視線を向ける。
そこには、明らかに二メトルを越えていると思われる二人の巨漢の姿と、その間に立つ小柄な魔族の少年の姿があった。
二人の巨漢は黒い獣毛を持つ直立した虎の姿、恐らく西域黒虎族と思われる男達で、周囲にいる他の不良達と同じようなガクランを着こんでいる。しかし、ほかの者達と明らかに違い、その身のこなしから判断して武術の心得がある。ある程度手を抜いていたとはいえ、玉藻の旋風脚を防いでみせたのはこいつらに間違いなかった。
だが、玉藻がもっと気になっていたのは、巨漢の間に立っている小柄な魔族の少年のほう。一見すれば爽やかな笑みを浮かべた美少年。透き通るような白い肌に、華奢な体、かわいいと美しいの挟間にある非常に絶妙に整った顔。普通そんな美少年が厳つい不良達の中にいれば違和感を感じずにいられないはずなのだが、玉藻は全く違和感を感じなかった。
その美少年の瞳に宿る光が非常に気に入らなかった。『人』を見下し、『人』を蔑み、『人』を『人』としてみていないその目、玉藻が今まで嫌というほど見てきたその目の光、色は、絶対に見間違えようがなかった。
玉藻は表情を一層険しくして少年を睨みつける。ふと視界の中に不気味に光り輝くものがあることに気がついてそちらに視線を移すと、その視線の先は美少年の両手へと到達する。
そこには都市内では携帯を禁じられているはずの片刃の長剣が一本ずつ握られているではないか。恐らく、先ほど玉藻が感じた嫌な風の正体は、この少年が放った斬撃が生み出したもの。この少年もまた武術の心得がある。それを理解したとき、玉藻の中の闘士としてのスイッチが入る。
「あらあら、雑魚ばかりかと思ったら、ちゃんと中ボスと大ボスがいるじゃない」
「登場が遅れて申し訳ありません。ですが、遅れた分はしっかりと取り戻しますのでご期待ください」
嫌になるくらい様になる美しい一礼を玉藻に向かってしてみせた魔族の美少年は、爽やかな笑みの仮面をかぶったまま狂気を瞳に宿らせてその両手に握る長剣をこれ見よがしに玉藻に見せつける。
「そう言って期待外れでしかなかった奴らを何人も見てきたけど・・まあいいわ、かかってきなさいよ。同じように踏みつぶしてあげるから」
「できますかね? あなたに」
「できるわよ。私にはね」
「では、お見せしていただきましょうか」
余裕たっぷりの様子で足を踏み出した美少年は、玉藻目がけて疾駆を開始し、少年の両脇に控えていた巨漢達も少し遅れて走りだす。玉藻の顔が精悍な歴戦の戦士の表情のそれにかわり、三人を迎撃すべくきっと彼らの姿を睨みつける。四つの影が間もなく激突する。その場にいた誰もがそう思ったが、激突の瞬間、突然三人が何かに気がついて驚愕の表情になって動きを止める。そして、すぐに玉藻の間合いからとびのくと、何かに怯える様な表情で玉藻がいる方向を凝視する。
玉藻は自分が放つ武のオーラに慄いて引いたのかと思ったが、すぐに彼らの視線が微妙に自分から外れていることに気づく。三人だけではない、ほかの不良達も全員がある方向を、恐怖に満ちた瞳で見つめていた。それは玉藻のすぐ真横。
玉藻は慌ててそちらに視線を移す。
すると、そこには黒づくめの異様な風体の『人』物の姿が。
「た、た、『祟鴉』!?」
「『サードテンプル』の『招かれざる乱入者』」
「な、な、なんでここに」
その『人』物は身長百八十ゼンチ近くある玉藻よりもかなり低く、せいぜい百六十ゼンチあるかないかくらい。その小柄な全身を真っ黒でぼろぼろで見るからにぶかぶかのコートで覆い隠し、目深にかぶったフードの中には達筆な東方文字ででかでかと『祟』と書かれた仮面。
男なのか女なのか、若いのか年寄りなのか、一切不明の怪しさ爆発の怪『人』物。
『祟鴉』
このあたり一帯の不良達はもちろん、普通の一般高校生の間でも最近知れ渡るようになった謎の怪『人』。城砦都市『嶺斬泊』きってのビジネス街であると同時に、最大の繁華街である『サードテンプル』周辺に出没し、この近辺で起こった事件には何らかの形で必ず関わってくるという。
その形は実に様々で、時には中学生、時には大学生、時には普通の一般学生、時には不良集団の前に現れ、ある者は本当に危ない所を助けられたといい、ある者は嵌められてひどい目にあわされたという。
どういった者を助け、どういったものを陥れるのか、その法則性はさっぱりわからず、確実なことは現れれば必ずその場に風雲が巻き起こるということだけ。
いつも全身ぼろぼろの黒装束に身を包み、素顔を仮面に隠して一言もしゃべらないこの『人』物を『人』はいつしかその仮面に刻まれた一文字と、その真黒な姿とを合わせ『祟鴉』と呼ぶようになった。
気の荒い者達の中には、この招かれざる乱入者を捕まえてひどい目に合わせてやろうと試みた者もいた。しかし、結果は全くの無駄骨でこの怪『人』の正体を掴むことはおろか、むしろ逆に手玉に取られてみなさんざんな目にあわされてしまったという。
非公式ではあるが、その手玉に取られて散々な目にあわされたという連中の中には不良達の間で名をはせていた中央地区の拳豪ブルータスや、城砦都市『嶺斬泊』高校生武術大会優勝者である小覇王ユンファ、あるいは北方都市剣術大会大学生の部で準優勝を勝ち取った剣公子フィリップなどなど、この城砦都市『嶺斬泊』でそれと知られた歴戦の猛者達が名を連ねており、その凄まじい戦歴ゆえに『祟鴉』はこの『サードテンプル』で何をしでかすかわからない超危険人物として恐れられているのであった。
そのとんでもないプロフィールを持つ『人』物は、素人ですら感じることができるドス黒いオーラを垂れ流しながら目の前の不良達にその顔を向け続けていたが、不意にそのオーラを引っこめると隣に立つ玉藻へと顔を向け直す。
そして、今まで放っていた威圧感からは考えられないような軽くフレンドリーな感じで、シュタッっと片手を玉藻に上げて見せるのだった。
「あ、あんたねえ。いっつもいっつも、よくもまあこういうタイミングで現れるわねえ」
心底呆れ果てたという感じで玉藻が呟くと、『祟鴉』は参ったなあ、照れちゃうなあといわんばかりに身をよじりながら頭をぽりぽりとかいてみせる。
「いや、褒めてないから!! 全然褒めてないから、ちょっと、何照れているのよ、もう!! って、何今更驚いているのよ、え? 全然気がつかなかった? 気づきなさいよ!!」
玉藻と『祟鴉』のあまりにも場違いなやりとりを茫然と見つめ続ける不良達。そして、困惑しているのは不良達ばかりではなかった。つい今しがたまで物凄く殺伐とした雰囲気が流れていたこの場所に、なぜか玉藻は温かな空気を感じている自分に気がついて、不良達同様に困惑の表情を浮かべて見せる。
それは、かつて自分に『お嫁さんになって』と言ってくれた少年が放っていた空気と同じ匂いだった。