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真・こことは違うどこかの日常  作者: カブト
現在(高校三年生編)
2/199

第一話 『狐と少年』

 暖かく何ともいえず気持ちよい風。

 それが窓から入ってきていることに気がついた保健室の主は、その方向にふと視線を向けてみる。

 風の通り道となっている窓の向こう。

 何かをみつけて椅子から立ち上がりゆっくりと歩みを進めて窓へと近寄る。

 窓から差し込むうららかな春の日差しに目を細めた保健室の主は、窓から半分身を乗りだして、窓の外の向こう側に広がる大きなグラウンドに目を凝らす。

 直径二ギロメトルはあるという恐ろしく広くでかいすり鉢状になった円形のグラウンド。

 そこには種々雑多な姿形をした大勢の生徒達の姿があった。

 全員同じデザインの三年生を示す深い紺色のジャージと、白い体操服を着用。

 そんな統一された服装故に、かろうじて同じ学年の生徒であると判別できるのだが、それぞれの姿形の統一性は全くない。

 体操服がなければ学年どころか、年齢さえ判別できないだろう。

 三メトルはあるだろう巨大な体格を持つ巨人族系から、一メトルにも満たない身長の小柄な小人族系の生徒。

 直立したトカゲや双頭の蛇といった爬虫類系。

 シルエットこそ『人』型をしているが全身は獣毛に覆われ、腰からは尻尾、、そしてなによりもその頭は狼や猫、あるいは牛の頭そのものという半獣人系の生徒。

 ガラス細工のように儚くも美しい姿をした妖精系の生徒、まるで無骨な鎧甲冑か、あるいは特撮ヒーローのスーパースーツでも身にまとっているようなギラギラと光る外骨格で構成された昆虫系の生徒。


 それはもうこの世界に住む様々な『人』種の博覧会のような幻想的な光景。


「でも、これだけの『人』種が揃っていても全種族の種類の一割にも満たないんでしょうね。『人』の種類って、本当に多彩よねえ」

 

 すり鉢の端にあたる少し高い場所に立つ五階建て校舎の一階にある保健室の窓から感慨深げに見つめながら、ぼんやり呟く保健室の主たる白衣姿の女性

 その呟きが聞こえたわけではないだろうが、何人かの生徒が保健室の窓から自分達を覗いている人物がいることに気がついた。

 興味深そうにこちらに視線を走らせているのが、彼女の目に映る。

 生徒達がいる場所と、自分がいる保健室のある場所はかなり離れているが、眼のいい種族からすればそれほど遠いという距離でもない。

 彼女を見つけたのは恐らくそういった眼のいい種族の者達だったのだろう。

 生徒達は誰が見ているんだろうと、興味本位でこちらの姿をじ〜〜っと見つめていたが、窓から身を乗り出している自分が誰なのかわかった瞬間、一斉に顔を強張らせ回れ右をする。

 そして、何も見なかったことにするかのように、そして、窓の主から逃れるように怯えた表情で他の生徒達が密集しているところにそそくさと入り込んでいく。

 その様子を見ていたその人物は、一瞬凄まじい怒りと敵意を込めた表情を浮かべて睨みつける。

 自分をまるで化け物でも見るような目で見ていた生徒達に殺意のこもった視線を容赦なく走らせてみせるのだった。


 だが。


 すぐに思いなおすと何とも言えない苦笑を浮かべて表情和らげる。


「って、なるべく『人』を寄せ付けない為に、わざとこういう姿をしてるんだから、当然と言えば当然の反応よね。あ〜、でも、やっぱり腹立つなあ」


 小さく呟いてみせると、がっくりと肩を落とし、たははと力無く笑ってみせる。

 そう、保健室の主である彼女の姿は少しばかり他の『人』達とは違っていた。

 種々雑多、実に様々な姿形をした『人』種が日常的に暮らしているこの世界。当然であるが、この世界の住人達は隣人が多少変わった姿形をしていても大して驚いたりはしない。

 六メトルを超す巨体を持つドラゴン族もいれば、一メトルどころか、五十ゼンジメトルほどしかない極東小人(コロポックル)族だっている。

 それもそういう特別な姿形をした種族が一種だけで存在しているわけではない。

 一つの体系だけでも実に多岐に渡って存在している。

 上半身が美しい女性で下半身が大蛇である種族なら、西域半人半蛇(ラミア)族や東方半人半蛇(ぬれおんな)族があるし、頭が牛で首から下が人というなら西域牛頭人体(ミノタウロス)族に、東方牛頭人体(しゆう)族だっている。

 数え上げていたらきりがないし、気にするだけ無駄である。

 そういうわけで、普通は外見を見てどうこうということはまあまずないし、ありえない。


 だがしかしである。


 その外見に意味があるとするならば、話は別だ。

 例えば、かつて『国』というものがあった頃に力を持って君臨していた王族や、貴族の末裔。

 現在『上級種族』と呼ばれている稀少種族の子孫達であるとか、あるいは、その逆に、その『上級種族』達によって最下位に位置する者である『奴隷種族』などという不名誉な蔑称を与えられて差別されていたもの達。

 現在『下級種族』と呼ばれている種族の者達などの場合は、やはりどうしても外見で判断されがちである。

 『国』というものが存在しなくなり、種族間でいがみあっていては決して生き残れない時代になってからこっち、ほとんどそういった差別はなくなってはいるが、かといって完全に消滅したわけではいない。

 ごく一部ではあるが悪しき慣習として今尚根強く残っている。

 しかし、保健室の彼女の場合は、そのどちらの場合でもない。

 確かに彼女は、圧倒的な『霊力』を誇り東方の国々で隆盛を誇った『上級種族』の一つ霊狐族の末裔である。そう言った意味では確かに一目置かれてもおかしくない立場であったが、そうではないのだ。

 原因は、彼女が他の霊狐族の者と違う容姿をしているということにある。それもかなりよくない方に違っていた。

 霊狐族に伝わるある伝説をあまりよく知らない『人』が彼女の容姿を見たならば、少々変わってはいるものの、なかなかのものであると感じるだろう。

 いや、なかなかどころではない、獣人族系の女性の中では間違いなく美女に入る容姿をしているのだ。


 大きめの白衣から覗く手や尻尾を覆うのは金色の獣毛。

 金色といってもくすんでいるような色ではない。

 間違いなく黄金の光を放つ美しい艶々とした毛で、かといって固いという印象はなく、みるからに柔らかそうなそれは文句のつけどころのない美しい毛並みをしている。

 毛ばかりではない、スタイルだって素晴らしいものがある。

 大きめの白衣に身を包んでいるため遠くからではそのスタイルはわかりづらいが、近くに寄って大きく開いた白衣の間から見える普段着の彼女の姿を見れば、ちょっと見ただけでも物凄いスタイルの持ち主だとわかるだろう。

 はちきれんばかりに大きな胸は決して形を崩しておらず、まただからといって太っているわけではなく腰はきゅっとくびれている。

 お尻も明らかに引き締まっているものの、女性特有の丸みがあり実に魅力的、足もすらっとして長くなかなかの脚線美の持ち主。これだけの器量もちであれば、普通恐れられるよりも圧倒的に好意の目で見られそうものなのだが、ある部分が彼女の印象を『恐怖』に決定付けてしまっていた。


 顔である。


 いや、遠眼に見ればむしろその顔だって美しいといえる。

 一つ一つのパーツは実によく整っているし、狐の顔であり人型種族の者達からしたら魅力がなくても、獣人系の者達には十分に魅力的なはずだった。

 しかし、しかしである。

 残念なことに、彼女を真正面から見た者のほとんどが、その心を『恐怖』に支配され間違いなくまわれ右させてしまうのだ。

 ぴんと立った狐の耳、妖しい光を放つ金色の瞳、耳まで裂けた大きな口、そして、その口にズラリと並ぶのは鋸の刃よりも鋭いであろう犬歯、そしてそして、まるで虚無そのもののような真っ白な顔には、血のように赤いくまどり模様が浮かんでいた。


金毛白面九尾の狐(エンパイアブレイカー)


 他種族にまで悪名を轟かせる伝説の魔狐。かつてその膨大な霊力を操り、十二人の英雄を抹殺し、七つの騎士団を壊滅させ、四つの国家を滅ぼしたという血も涙もない残虐非道な大悪党。

 と、いってもそれは千年も昔に存在した彼女とは全く関係ない別人のことで、今となってはただの伝説でおとぎ話であることを皆が皆知っている。姿形だってそうだ。確かに金毛白面の彼女だが、尻尾は九本には程遠い三本しかなく、霊力だってほとんど持ってない。

 普通なら、『ああ、言われてみれば似てるね』で済む話だったのだが。

 

「やっぱ、就任初日のあれが悪かったのかなあ」


 四月の始業式の後にあった、一連の出来事を思い出した保健室の主は、なんとも言えない切なげな溜息を吐きだして見せる。 

 

 彼女の名前は『如月(きさらぎ) 玉藻(たまも)


 北方に位置する城砦都市『嶺斬泊』。その中に存在している四つの高校の一つ『都市立御稜高校』にこの春臨時で就任した教育研修生。

 『都市立御稜大学』に通う今年二十一歳になる大学三年生というのが本来の彼女の立ち位置。

 非常に優秀な大学生である彼女は三年生にしてすでに卒業必要な単位を全て修得してしまっているほどの優等生。

 後はのんびり好きなことをして大学生活を楽しむ予定だったのだが、彼女の師匠とも言うべき大学のある教授が、いい機会だから現場で実習を積みなさいと彼女に提案。

 しかし、今更高校に行って、現役高校生と接触する機会をもらったからといって得る物があるとは思えず、丁重にお断りをいれようとしたのだったが、赴任先を聞いて百八十度態度を逆転させる。

 むしろ、是非行かせてくださいと教授に懇願し、晴れて御稜高校の臨時保険医になったのだった。

 ちなみに元々いた保険医の先生は産休の為長期休暇に突入。

 本当なら別の学校の保険医の先生を迎える予定だったのだが、その先生は直前で他の病院に引き抜かれてしまい契約は白紙に。

 困った高校は都市の行政全てを司る中央庁に泣きついた。

 で、中央庁は何人かの著名人に協力を要請したわけだが、その中の一人に玉藻の師匠たるブエル教授がいたというわけである。

 ブエルは、自分の弟子の中でも特に優秀で最も信頼している玉藻に白羽の矢をたてた。

 こうして、玉藻は教育実習生として一年間の期限で常駐することとなり、今年の春の始業式から赴任することに。

 

「始業式そのものは問題なかったのになあ」


 そう、玉藻の言葉通り、始業式そのものは何の問題もなくつつがなく終わった。

 結構面白かった校長先生の若き日の冒険談はともかく、次にあった教頭の自慢話はあまりにもつまらないうえにしょうもなく、あやうく爆睡しそうになったりしたが、それでもなんとか耐えきり、壇上に上がって自分の自己紹介も済ませ、無事平穏に終わったのだ。

 しかし、その後に問題が待ち構えていた。現在この学校で一番大きな勢力を誇る不良集団が、玉藻に目をつけて早速因縁をつけてきたのだ。

 いや、因縁だけならばまだいい、軽くあしらって追い返すか、無視すればいいだけだったのだが、あろうことか不良集団のリーダーが玉藻の美貌に目をつけて取り巻きを使って力づくで手込めにしようとしてきたのだ。

 流石にそれを看過するわけにはいかない。

 これからのこともあるので、ちょっと厳しく指導したのだが。

 他の生徒達に見られたわけではないし、玉藻にほとんど全殺し気味にシメラれた・・いや厳しく指導された不良達は自分達の悪事が露見することを恐れ、玉藻の厳しい指導内容については決して口外したりはしなかったが、それでもどこからどう漏れたのか。

 学校きっての猛者達が新人保険医に全殺しにされたという噂は始業式の翌日には全校に広がっており、そこから『金毛白面九尾の狐(エンパイアブレイカー)』の伝説が始まってしまったのだった。

 ある事情から、あまり保健室に『人』が(特に男が)来ることを望まなかった玉藻は、これ幸いと噂をそのままにしておいたのだが、玉藻の予想以上に尾びれ背びれがついて広まっていき、今では恐怖の象徴扱いである。

 まあ、玉藻が常に仏頂面で人とのコミュニケーションをとりたがらず、男共を遠ざけるために『恐怖』のオーラを撒き散らしているというせいもあるのだが。

 

「ちょ〜〜〜っとやり過ぎたかなあ・・まあ、でも別にいいか。わかってくれる『人』はわかってくれてるし」


 そう呟いて、う〜〜んと一つ伸びをした玉藻だったが、再びグラウンドに目を向けてみたときに、あることに気がついて身体を硬直させる。


「あっ」


 小さく呻いて身体をさらに窓から乗り出した彼女は、自分の視線にあるものをもっとよく見ようと懸命に目を凝らす。

 その視線の先には、大柄な巨人族やトロール族に紛れる感じで立つ、一人の小柄な人間族の少年の姿があった。

 遠目からでも絶対に見間違えない。

 ほかの誰かならばともかく、彼女だけは絶対に間違えることなどありえないその姿。

 月のない日の怖いくらいに暗く深い、しかし、どこか優しい感じのする夜空のような色をした黒い髪に、黒い瞳。

 白い体操服から伸びた健康的な腕、ボクサーパンツに近い体操ズボンから伸びた細いが引き締まった足。

 そしてなによりも、見る人の心を包み込むような穏やかな笑顔。

 そんな少年を呆けたような表情でしばらく見つめ続ける玉藻。

 どこか切なそうに、どこか夢見るように、しかし、明らかに幸せそうに少年を見つめ続ける。

 穏やかな笑顔を浮かべ続けている少年の顔、中でも吸い込まれそうになる黒い優しい瞳をどれくらい見つめていただろうか、恐らくそれほどの時間は経ってなかったはずだが、玉藻はあることにはっと気がつく。

 

「あれ? 連夜くんってば、ひょっとして私に気がついてる?」


 一方的に鑑賞していたと思っていた玉藻だったが、少年の身体はこちらを向き、その瞳は真っ直ぐ自分のほうを見つめていることに今更ながらに気がついた。


「や、やだ、ちょっともう」


 呆けたような間抜けな顔を見られていたとわかって、玉藻は顔を赤らめながら『にゃ〜〜!!』と慌てふためきながら両手をバタバタさせる。

 だが、その様子を見ていたらしい少年は、自分に玉藻が手を振ってくれていると勘違いしたらしい。

 玉藻と同じように顔を赤らめてはにかんだ笑みを浮かべながら、小さく手を振り返しているのが見えた。

 玉藻はそんな少年の姿を見て一瞬動きを止めると、自分に手を振続けている少年の姿をじっと見つめる。

 そして、先程まで噴出していた『恐怖』のオーラはどこにいってしまったのか、その顔には物凄く力いっぱいこれ以上ないというくらいの幸せそうな笑み。

 窓枠に足をかけてその身を乗り出し、両手と三本の尻尾をぶんぶん振りまわして少年に応えてみせる。


 そうして、しばらく二人だけの幸せな空間を作り上げる玉藻達。


 いつまでもいつまでもこうしていたい。


 そう願ってずっとずっと手を振っていた玉藻であったが、そんな幸せな時間は唐突に終わりを告げる。

 グラウンドにやってきた体育担当の教師が盛大に笛を鳴らして、生徒達に集合を促し始めたのだ。

 その合図を聞いた少年は、他の少年達とともに、体育教師のところへと移動を開始する。


 幸せな時間が終わったことを知って、残念無念という表情になる玉藻。

 しかし、そんな玉藻の様子を見ていたのだろうか。


 少年は駆け出してからすぐにその場に立ち止まる。


 そして、振り返って玉藻のほうをもう一度見つめると、声に出てはいないようだが、まるで玉藻に見せるようにゆっくりと口を動かして見せる。

 玉藻は、そんな少年の様子を呆けたように見つめていたが、その口の動きからなんと言ったのかがわかると、瞬間湯沸かし器のように顔を真っ赤にして窓枠からずり落ちてしまうのだった。

 一瞬視界から消えた玉藻を見て、少年はちょっと慌てたような心配そうな表情を浮かべていたが、すぐに窓枠に白面の雌狐が顔を覗かせるのを確認するとほっとした様子で胸をなでおろす。

 その雌狐が片手を自分の胸に当てて、先程の少年と同じようにゆっくりと口を動かして見せるのを見て、その意味が『あたしも』だとわかると、物凄く照れたような、そして嬉しそうな顔で頭をかくと、もう一度玉藻に手を大きく振って見せてから、体育教師のほうに走っていった。

 そんな少年の後ろ姿をなんともいえない優しい瞳で見つめて見送った玉藻は、彼が他の生徒達の群れの中に入って見えなくなると、顔を俯かせて切なげに吐息を洩らしてみせる。


「もう、年上をからかって。何が『愛しています』よ!! って、からかってないわね。連夜くん、そういうこと言うときはいつも本気だし、あ〜、もう、ほんとにかわいいんだから!! なんでこんなに愛おしいんだろう!? 連夜くん、大好き!! ほんとにほんとに私も愛しているからね!!」


 両手で自分の白い狐顔を押さえながら、少女のようにキャーキャー騒ぎながら幸せそうに部屋中を跳ねまわる玉藻。

 そう、あの黒髪黒眼の人間族の少年は、彼女の・・霊狐族の臨時女性保険医である如月(きさらぎ) 玉藻(たまも)の最愛の恋人。


 彼の名は『宿難(すくな) 連夜(れんや)』。

 この『都市立御稜高校』に通うもう直十八歳になる高校三年生の人間族の少年。

 都市中央から若干離れた場所にある閑静な住宅街にある、そこそこ大きい一軒家に両親や三人の兄姉妹(きょうだい)達と住んでいる、一見ごく普通の少年。

 三つ年上の玉藻とは、接点がないように見えるが、実は連夜の姉が玉藻の同級生で小学生以来の大親友。

 それでも連夜と積極的に関わる機会はほとんどなく、一年前までは親しいどころかほとんど言葉も交わすことのない間柄であったのだが、ある事件がきっかけで玉藻は連夜に一目惚れしてしまう。

 そして、一年前のゴールデンウィークのある日、玉藻が連夜に自分のモノになってくれと懇願し、それを連夜が受け入れる形で恋人同士に。

 紆余曲折はいろいろとあるし、喧嘩や意見の食い違いから一瞬気まずくなったりすることもあるが、そんな期間が存在するのは文字通り一瞬のみ。

 基本的に両人が両人ともお互いにべた惚れであるため、喧嘩したままであるとか、気まずいままであるとかいう状態に耐えられずすぐに仲直りしてしまうのである。 

 後に残るのはひたすらに極甘の時間。

 ちなみに玉藻と連夜はただの恋人同士というだけの関係ではすでにない。

 正式に婚約を交わしていて近いうちに結婚することが確定している間柄である。

 ともかく、世間一般でいうところのバカップルという言葉すら生ぬるいくらい、仲が良すぎる完全無欠にバカップルな彼らであるが、ごくごく一部の身内以外にはその関係を公表していない。

 付き合い始めた当初は、別に絶対に秘密にしなくてはならないとは思っていなかった二人であったが、とある人物の連夜に対するある想いを知ってしまい、その人物にだけは自分達の関係を知られるのは非常にマズイという結論になってしまったのである。

 だとしても他の『人』達には言えないこともないのだが、ちょっとでも他に漏らすとその人物の耳に入りかねないという微妙な位置にその人物がいるため、周囲にもなかなか切り出せない状態となってしまっているのだ。

 まあ、いずれはきっちり白黒つけるということを玉藻も連夜も決意しているが、今の段階ではまだ秘密を保持しなくてはならない。

 で、どうせ、秘密を守らなくてはならないのなら、一つや二つその秘密が増えたところでおんなじだと考えた玉藻は、この臨時保険医の話に飛びついたというわけである。

 二人の関係を学校側に秘密にしなくてはならないものの、愛する少年と同じ場所にいて、同じ時間を過ごすことができるのであるからと。


「この仕事受けて本当によかったあ・・こうしてほとんど毎日連夜くんに会えるし。ただまあ話すだけでも周囲に気を使わなくてはいけないし、二人だけになる機会を作るのが大変だったりするけど、それはそれでまた違った楽しみがあるというか」

 

 くふふと、いたずらっこのような表情を浮かべて忍び笑いをもらす玉藻。


「体育の授業のあとは昼休み、さあて今日はどうやって連夜くんを呼び出してお昼ごはんを一緒に食べようかしら。ワンパターンだけど、日誌を取りに来るように放送するのが一番固いかな。うふふ、連夜くんたらきっとまた慌てて走ってくるんだわ。そして、こう言うわね、『玉藻さん、私用で学校の放送を使うのはやめてください!! めちゃくちゃ恥ずかしいです!!』って。あはははは。怒った顔もまたかわいいのよねえ」


 このあと実行することになるであろう、いたずらを兼ねた恋人へのラブコールの結果を予想し、屈託のない笑い声をあげる。


「でも、あまり怒らせるとお弁当もらえなくなっちゃいそうだから、そこそこにしとかないとね。やっぱり怒った顔よりも笑ってる顔のほうが素敵だしね」


 そう呟いて笑い声を収めると、玉藻は再び窓のほうに歩み寄ってグラウンドのほうに視線を向ける。最愛の恋人が頑張って体育の授業を受けている姿をもう一度よく眼を凝らす。

 だが・・


「な・・何? ま、まさか!?」


 玉藻の目に飛び込んで来たのは、広いグラウンドを覆い隠すほどの白煙。そして、グラウンドのあちこちから聞こえてくる怒号。

 しばし、呆気に取られてその様子を見つめていた玉藻だったが、すぐに表情を引き締めると部屋の中の自分の机のほうに引き返し着ている白衣を脱いで、机の上に放り投げる。

 白衣だけではない、下に来ていたタートルネックのセーターも、巻きつけ型のタイトスカートも素早く脱ぎ去る。

 そして、その下から現れたのは魅惑的な下着姿ではなく、身体の線がはっきりわかる濃いい青色のボディスーツ。

 玉藻は机の真横にあるロッカーをあけて迷彩色の袖なしの軍用ジャケットと、ブーツ、それに無骨なアームガードを取り出して素早く身につけると、両腕を目の前で十文字に交差して構え、一気に開くようにして左右に振りぬいて気合いのこもった雄叫びをあげる。


「おおおおおおおっ!!」


 玉藻の顔が一瞬にして狐から『人』の顔へ変貌する。顔だけではない、狐の耳、尻尾はそのまま残ってはいるものの、全身を覆っていた金色の体毛はなくなり、抜けるような白い肌が眩しい、目もくらむような人型種族の美女の姿に。

 玉藻はロッカーの扉の裏に設置してある鏡で自分の姿が、この学校ではほとんど知られていない人型の姿に変化したことを確認すると、仕上げとばかりに暗視ゴーグルにもなる特殊サングラスを着用。

 鏡の中の自分に一つ大きく頷いてみせると、そのまま部屋の窓へと突進してそこから外へと飛び出す。 凄まじい勢いで斜面を駆け降り白煙が舞い上がるグラウンドへと弾丸のように突き進んでいった玉藻は、一瞬の迷いもなく暴力の嵐が吹き荒れるただ中へ飛び込んだ。

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