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真・こことは違うどこかの日常  作者: カブト
過去(高校二年生編)
197/199

第六十七話 『それぞれの行くべき道へ』

 ようやく怪人の言葉にまともな反応を返したカミオであったが、怪人はその言葉を聞いても首を横に振るばかり。


「もう全て終わっているんだよ、カミオ管理官。『バベルの裏庭』という組織も、『バベルの裏庭』最後の残党達も、あなたの家族や血族も、そして、あなたの生そのものも、もう終わっている。・・・終わったんだよ」


「我々を包囲しているということか? だが、大人しく我々が捕まると思うなよ」


 愛剣を投げ捨てたカミオは、懐から何かを取り出す。

 それは黄金の角笛。もしもの場合にとっておいた彼の切り札。歴代のカミオ家頭首のみが使うことを許される古代超魔道器(アーティファクト)

 彼は角笛を口にあてると、空に向かって吹き鳴らす。


「出でよカミオ家に仕えし歴代の忠臣達よ! 我が家に仇なす賊徒どもを一人残らず殲滅するのだ!」


 角笛から口を離したカミオは、そのまま空に向かって雄々しく指示を出す。

 『レッサーギャラルホルン』

 一万人の無敵兵士を呼び出す伝説の角笛『ギャラルホルン』。カミオが手にしているのはその『ギャラルホルン』の劣化版である。

 上級聖魔族屈指の名門であるカミオ家には、代々党首にのみ受け継がれる強力な古代超魔道器が複数存在している。

 大半は大きすぎて持ち運びに適さず『嶺斬泊』脱出時に泣く泣く置いてくるしかなかった。持ってきたものもほとんど馬車の貨物室の中。

 だがこれだけは違う。これだけはいつも肌身離さず持ち歩いてきた。

 これこそ彼の正真正銘最強の切り札。

 この角笛には、これまでカミオ家に仕えてきた者達の中でも特に武勇に優れた者百人の魂の一部が封じ込められている。

 これを吹くとごく短時間ではあるが、現世に黄金の戦士達を呼び出すことができる。彼らは普通の武器では傷つかない聖霊の肉体を持ち、使用者に敵対するものを速やかに排除する。その実力は凄まじく黄金の戦士一人一人がトップランクのハンターや傭兵並みの力を持っている。

 しかし、一度使えば一週間以上再使用出来なくなってしまうため、これまで使わずに温存してきたのである。

 だが、今は出し惜しみしている場合ではない。カミオはそう判断し、『切り札』を切ることにしたのだった。


「黄金の戦士達が今度こそあなたを葬り去る。異形の怪人よ、覚悟しなさい!」


 召還される黄金の戦士達は生身の人だろうと、霊体だろうと、幻体だろうと関係なく切り裂いて相手の本体ごと滅ぼしてしまう力を持つ。

 この力を使ってこれまで数々の難局を乗り切ってきた。残念ながら『害獣』には通用しないが、それでも対人戦においてはまさに最強の戦力なのである。例え相手が本物の死霊だったとしても、黄金戦士達の攻撃を防ぐことはできないはず。今度こそ目の前の黒衣の怪人を滅ぼしてやる。そう息巻いてカミオは待ち続ける。

 ひたすら待ち続ける。

 黄金の戦士達が現れるのを待ち続ける。

 だがしかし、空の向こうから返事は返ってこない。いつまでたっても何の反応もない。あるのは沈黙だけ。どこまでも静寂だけがその場を支配する。

 しばしきょとんと空を見上げていたカミオであったが、顔を真っ赤にして再び角笛に口をつける。そして、何度も角笛を吹き同じ指示を出す。何度も何度も角笛を吹き何度も何度も同じ指示を出す。しかし、やはりその後を支配するのは静寂のみ


「何故だ、どうして魔道器が発動しない!?」


「するわけないじゃない。馬鹿じゃないの?」


「これもあなたの仕業ですか。いったい何をしたんです!?」


「今は何もしてないよ。もう何かをする必要もない。ただ、見届ける為に僕はここにいる。あんたの最期をね」


「私の最期だと?」


 ガスマスクの怪人の口から漏れた不吉な言葉。それを聞いた瞬間、カミオの目にある光景が映し出される。

 その光景はアルカディアより脱出した時の光景。

 毒ガス術式の遠隔操作を行ってすぐに『アルカディア』を脱出したカミオ達。

 警戒を強めるアルカディアの門兵達の検問を強引に突破し『外区』へと脱出。完全回復薬を作成するのに必要な物資と金の両方をまんまと獲得し、アルカディアを逃げ出す事に成功した。

 カミオ達は意気揚々と街道を西へと進んでいく。誰も彼らを止める事はできない。そう思っていた。

 しかし、彼らの楽しい旅は唐突に終わりを告げる。

 高級ワインを飲みながら窓の外を流れる景色を楽しんでいたカミオの体は、突然激しい衝撃を受ける。

 天井と床がめまぐるしく上下し、カミオの体は面白いように部屋の中を跳ね回る。馬車が横転したのだと気がついたものの、激しい痛みに耐えられず彼の意識は次第に遠のいていく。

 視線は定まらず閉じていく目蓋。だが、耳だけはしっかりしており、意識を手放す瞬間確かに彼は何者かの話し声を聞いた。


『『バベルの裏庭』残党はこれで最後か?』


『最後で間違いありません。そこに倒れているのが残党リーダーのイーアル・カミオです』


『こいつがそうか。護衛どもはどうした?』


『葛柳班が制圧し、全員の拘束を完了』


『よし、そこのカミオも拘束し護衛どもと一緒に速やかに『処理』用トレーラーに移送しろ』


了解(コピー)


『『い』組リーダーより本部へ。『バベルの裏庭』残党の制圧に成功。繰り返す、『バベルの・・・』


 思い出したくなかった記憶。

 だが、嫌でもそのときのことが思い出される。部下達の悲鳴、見知らぬ戦士達の怒号、武器を打ち合わす激しい剣戟の音、そして、無数の爆発音。 


「私たちは襲撃を受けたのですか」


「正確に言えば待ち伏せかな。あんたの予想通り、相手は『アルカディア』と『嶺斬泊』双方の中央庁。その中央庁が用意したプロ中のプロがあんた達を待ち伏せて不意を討って攻撃。抵抗するあんた達を制圧した後に捕縛したのさ」


「やはりそうでしたか」


「あれ? 思ったよりも落ち着いているね。もっと取り乱すかと思っていたけど」


 意外だといわんばかりの声をあげる怪人に、カミオは苦笑を返す。


「どうせここはあなたが作り出した幻術の世界なのでしょう? 尋問をスムーズに行う為によく使う手です。子供だましだと思っていましたが、自分が使われてみると悔しいがなるほど有効なのだとよくわかる。いつから使われていたのかわかりませんが、私はかなりしゃべってしまったようだ。まあいいでしょう。ですが、種がわかった以上これ以上の醜態は晒しません。諦めて術を解くことです」


 余裕を取り戻したカミオは、対面に立つ怪人にそう忠告を放つ。カミオは考える。問答無用で殺されず、未だに活かされたままということは、恐らくこのままアルカディアへ連行されるのであろう。そして、司法の場に引きずりだされ裁判になる。どういう刑が出るかは知らないが、いきなり死刑ということはないはずだ。

 刑が決定するまで何年もかかるだろうし、その間どういう方法で拘束されるかわからないが、逃げ出す機会が全くないということはあるまい。

 騙しきっていたと思っていた相手に出し抜かれた悔しさと怒りで暴れだしたい気持ちではあったが、自分がしてきた悪行の数々を考えるととりあえず即殺されなかったのは僥倖といえる。

 カミオは冷静になるように自分に言い聞かせる。

 とりあえず、脱出が失敗に終わってしまった現実をまず受け入れる。そして、今後どうやってこの危機を打開していくかを静かに考えることにした。

 目を瞑り静かに思考の海に入っていく。

 だが、それを行う事はできなかった。

 閉じたはずの彼の目蓋に、ある光景が映し出されたからだ。

 それは白い部屋であった。

 部屋の中には白衣を着た複数の人影。彼らは何かを取り囲んで作業を行っている。


「流石上級聖魔族。年齢的にかなりの劣化を予想していたが、なかなかのパーツですね」


「手足に関しては問題ありません。多少刃物による傷跡が見受けられますが、いずれも完治しております」


「眼球も問題ありません」


「歯もいいですね。虫歯がないのでそのまま使えそうです」


「皮膚も使えますから、綺麗に削ぎとってください。傷が増えると移植の時に使えなくなってしまいますから」


 医療術師と思われるその人影達は、中央に配置された何かを解体していた。解体されたそれらは人の手足のようなものに見えた。いや、手足だけではない。眼球や歯、鼻、果ては皮膚そのものまでが、大事そうに切り取られ羊水の入った特殊なビンへと次々と入れられいずこかへ運び出されていく。


「さて、次は内臓だ。切り取る順番が大事だ。わかっていると思うが心臓は一番最後。スピードが命だから手早く頼むぞ」


『了解!』


 とてもではないが直視できない、あまりにもグロテスクな光景。

 そう、医療術師達の中央に配置されているのはマネキンではない。生きた『人』であった。その『人』は生きたまま解体されているのだ。

 しかし、カミオにとって今目のまで行われていることはそれほど珍しくもショッキングなことでもない。部下の中には生きた奴隷から心臓を抉り出して食べていたものもいたくらいなのだ。むしろ退屈ですらあった。

 何故、このような光景を見させられているのかわからないが、早く終わって欲しかった。


「どういう意図があるのか知りませんが、私を動揺させようとしているつもりなら無駄だと言っておきます。この程度の光景で動じるような私では・・・」


 この光景が目の前に座る怪人か、あるいはその仲間の術師によって作り出された幻と断じたカミオは、嘲る様に言葉を紡ぎだそうとして失敗した。

 目に映る光景の中に信じられないものを発見したからだ。

 解体された皮膚の一部。そこに見慣れたものが刻まれていた。

 刺青。

 ルーン文字で『栄光』と書かれたそれのことをカミオはよく知っていた。

 慌てて袖をめくる。

 白い肌の腕。そこにはルーン文字の刺青。文字の意味は『栄光』。


「な、何故、あれがあそこに・・・」


 見比べてみるが全く同じにしか見えない。いや、刺青だけではない。解体されたパーツのいくつかに見覚えがある。


「まさか、そんな、いや、しかし・・・」


 嫌な予感と共にカミオの額から脂汗が噴出して流れ出す。

 彼が意識すると、それに応じて見えている光景がズームアップして映し出される。医療術師達が取り囲む検体。確認したくない。しかし、確認しなくてはならない。カミオは、手術台に横たわるその検体の顔を見る。

 上級聖魔族の壮年の男。

 目鼻が切り取られ、既に顔として識別することはできない。

 だが、その検体が何者かを示す決定的な証拠が彼の目に飛び込んできた。

 その検体の頭上に、検体の名前を示すプレートが張られている。

 そこにはこう書かれている。


 『検体No.455001 イーアル・カミオ』


「嘘だ・・・うそだぁぁぁぁっ!」


 自分を捕まえた者達によって作り出された幻だといいたかった。

 だが、出来なかった。何故か、今、見ている光景が現実だとわかってしまった。今、まさに解体されているのが自分自身であると、何故かわかってしまったのだ。

 死のうとしている。いや、既に生物として生きているとは言えない状態だろう。いくら心臓がまだ動いているといっても、ここまで解体されてしまっては、生きているとは到底言えない。

 カミオはそれでもその光景から目を背け、今見ている光景は夢だ幻だと思い込もうとした。

 だが、ダメだった。


「だから言ったじゃない。あんたは『死者』だって。比喩かなんかと思ったわけ?」


「どういうことだ! あれはなんだ。どうして私があそこで解体されている。私はここにいるのに、何故私があそこにいるのですかぁ!?」


「あそこにいるのはあんたの体。そして、ここにいるのはあんたの魂。ここは生と死の狭間にある世界の一つ。現世で『賽の河原』と呼ばれる場所」


「私は魂だけとなってここにいるとでも言う気ですか!? そんな馬鹿な話が・・・」


「あんたの体は怪我や病気に苦しむ人達を助ける為に役立てられ、あんたの魂はこれから地獄へ直行する。ただそれだけのこと」


「ふ、ふざけるなぁぁっ!」


 文字通り魂からの絶叫であった。

 しかし、現実は覆らない。カミオは否定の言葉を口にしたかった。だができなかった。ガスマスクの怪人が口にしているそのことが真実であるとわかってしまったからだ。

 何故、わかったかわからない。

 だが、それでもわかってしまったのだ。

 逆上したカミオは再び怪人に襲い掛かろうとする。だが、今度はそれすらできなくなっていた。

 彼の目の前に立っていた怪人が姿を消してしまっていたからだ。


「ど、どこに行った!?」


「ここだよここ」


「何!?」


 声のしたほうへと慌てて視線を向けるカミオ。あれほど腫れあがって視界を塞いでいた目蓋がいつのまにか治っている。そのため視界は非常にクリアになっており、彼は目の前にあるものをはっきり見ることができた。

 黒に近い色をした不気味な河のすぐ側。黒衣の怪人がこちらをみつめて立っている。

 いや、怪人ばかりではない。いつのまに集まったのかそこには無数の人影。

 年齢は様々。種族もバラバラ。だが、皆、青白く陰気臭い顔をカミオのほうへ向けていた。

 その双眸に深い怨みを乗せて。


「この顔色の悪い病人どもはいったいなんなのですか。また幻術ですか?」


「ここにいるのは病人じゃないし、幻術でもない。そろそろこれが現実だって理解してくれないかな」


 怒り狂うカミオの姿を見て、首を何度も横に振りながら怪人は深いため息を吐き出す。


「まあいいや。それだけ元気なら地獄でもしっかり自我を保っていられそうだね」


「地獄など行くものか。私は生きて栄光を掴む。そうとも、崇高な思想を持つ選ばれし民である私がこんなところで死んだりするものか」


「できるものならやってみてよ。まあ、無理だと思うけど。とりあえず、地獄の支配者に裁かれる前に、あんたはここにいる人達から裁かれる。大体ここに来る罪人の魂のほとんどは、泣き叫びながら自分が汚し殺した人達に許しを請うのだけど、あんたはどうかな?」


 怪人が放った言葉の中に含まれた不穏極まりない単語にすぐ気がついたカミオ。自分の視界の端っこで何かが動いていることに気がつきそちらへと視線向ける。

 ゆっくりと人の波が動いている。それも自分に向かって。よく見ると動いているのは怪人の周囲にいる人ばかりではない。河の中からたくさんの人達があがってきて、こちらへと向かってくる。


「なんだあれは・・・」


「あんたに殺された人々だよ。正確にいうとあんたが犯した数々の凶悪事件の犠牲になった人々。皆、あんたに対する深い憎しみと悲しみ、怒りと恨みで成仏できずにいたんだ。ようやくそれを晴らすことができる日がやってきたというわけさ」


「な、なんだと!?」


「心配しなくてもあなたが起こそうとした毒ガス事件の被害者は入ってないから安心して。あれは事前に防いだから誰も犠牲者は出ていないのでね。しかし、それでも凄い人の数だよね。あんたいったいどれほどの人に害を成してきたの? まあ、怨みつらみをぶつけられて苦しむことになるのはあんたで僕じゃないから別にいいけどさ」


 河の中から次々と現れる物凄い数の亡者の群れ。それぞれの思いで見つめるカミオと怪人。

 だが、のんびりと見つめている暇はすぐに無くなってしまった。暇が無くなったのは怪人のほうでは勿論ない。

 カミオのほうである。


「貴様ら誰の許しを得て私に触ろうと・・・う、うわああっ!」


 カミオがいる場所へ人が雪崩れ込んでくる。次から次へと雪崩れ込み、カミオの体に組み付く。殴る蹴る。関節を折る。歯を突き立て肉を食いちぎる。あっという間に血だるまになるカミオ。

 しかし、不思議なことに一向に死なない。

 苦痛は際限なく続くのに、意識ははっきりしたままだ。

 

「さっきも言ったけど死者である僕達が殺される事はない。既に死んでいるんだからね。でも、亡者である彼らから受ける苦痛は防げない。彼らは地獄の支配者から怨みつらみを晴らす権利を与えられているんだ。彼らは自分の気の済むまで、対象者に苦痛を与え続けることができる。対象者とはいうまでもなくあんたのことだよ。イーアル・カミオ」


「うぐあああああっ!」


「ちなみにそれは罰ではない。地獄の裁判でくだされる刑とはまた別だ。地獄に到着するまでの間、あんたは亡者の皆さんに付き合わないといけないのさ。まあ、あんたの崇高な思想とやらで説得できるならやってみるといいさ。・・・って、聞いてないか」


 カミオの姿はもう見えなくなってしまっていた。河原の上には復讐に燃える亡者達の姿ばかり。

 黒衣の怪人は目の前で繰り広げられている狂乱の復讐劇の一部をぼんやりと見つめていた。

 だが、それにも終わりの時がやってくる。狂乱は終わりはしないが、群れそのものがゆっくりと動きだしてその場を後にしたからだ。

 行く先は河の向こう側。その先にあるのは巨大な門。それは地獄へと続いている。

 怪人は河を越えて去っていく人の群れをしばらく見送っていたが、やがて視線を目の前の大河へと向け直す。いや、河を見ているわけではない。河の向こうで石積みをしている子供達に視線を向けたのだ。

 一心不乱に石を積み続ける子供達。そして、それを横から突付いて壊してまわる地獄の兵士の姿。

 怪人はしばらくその光景を見続けていたが、やがてゆっくりと歩みを進め始めた。それも河に向かってだ。

 河を渡り子供達の元へ行こうとしているのだった。

 しかし、其の行動は何者かによって阻止される。


「ダメよ、連夜くん。あそこに行っちゃだめ」


「玉藻さん」


 怪人の、いや、連夜の腕を掴んで動きを止めたのは彼の最愛の恋人である一匹の狐であった。


「本来僕はあそこにいるはずだったんですけどね」


 つかまれていないほうの腕でガスマスクを外して素顔を晒した連夜は、三途の川の向こう側で石を積み続ける子供達のほうへ再び視線を向け直す。

 悲しみに満ちた表情を無理矢理笑顔に作り直しながら、連夜は子供達を見つめ続ける。

 しかし、玉藻が連夜の腕を放す事はなかった。むしろ強く引っ張って河から連夜を遠ざける。


「そうね。でも、連夜くんの残りの生は私がもらったの。寿命の半分という対価を支払ってね」


 あっという間に岸まで引っ張られた連夜であったが、その手を振り払ってまで河に戻ろうとはしなかった。

 されるがままにそのまま抱きしめられて完全に拘束されても連夜は、逆らおうとはしない。ただ苦笑を浮かべて恋人を見返す。


「物好きにもほどがありますよ、玉藻さん。いくら霊狐族の寿命が三百年以上あるといっても、半分は多すぎます。人間族の平均寿命をご存知ですか? 六十年から七十年なんですよ。倍以上じゃないですか」


「いいのよ。あなたがいない人生なんて何の意味もないもの。一緒の時を過ごし、最後の時を一緒に迎える。そのための必要経費だわ」


「利益が出る見込みが全く無いのに、そんなに経費を突っ込んだら大赤字じゃないですか」


「ふふっ。むしろ既に黒字になってると思うけどね」


 人の姿から大狐の姿になった玉藻は、腕の中の恋人の顔を愛おしそうに舐める。舐めまくる。

 しかし、連夜は逆らうことなくされるがまま。それからどれくらいの間そうしていただろうか。一頻り連夜とイチャイチャして満足したのか、玉藻は改めて周囲を見渡す。


「魂の行き着く場所。あの世へと続く冥府の門。三途の川のほとり。まさか生きたままここに来る事になるなんて思いもよらなかったわ」


「普通、生きている人は来ちゃいけない場所なんですけどねぇ。と、いうか、僕は向こう岸に行かないといけないはずなんですが」


「だから、それはダメって言ってるでしょ。連夜くんは私と一緒に帰るの。もう、あいつらの最期は見届けたんでしょ?」


「ええ・・・見届けました」


 玉藻の問いかけに一瞬詰まりながらも、連夜は素直に答えを返した。

 そう連夜は確かに見届けたのだ。犯罪組織『バベルの裏庭』との長きに渡る因縁の最期を。

 幼い頃、奴らに誘拐され連夜は危険な『外区』の鉱山で働く奴隷となった。

 そしてそこで『勇者』として覚醒し、『勇者』である自分を捨て去った。

 師であり父であり母でもあった老人奴隷達に育てられ、生きていく上で必要な様々なことを学んだ。

 自分と同じ『バベルの裏庭』に誘拐され奴隷となった子供達と本当の兄弟姉妹以上の強い絆を結んだ。

 大切な人達ができる一方で、同じくらいそれらを失った。

 やがて力をつけた連夜達は、仲間達と共に地獄の収容所を脱出する。

 手に入れた平穏な日々。だが、連夜の中に生まれた組織への憎悪と怨念の炎は消えることなく燃え続けた。

 成長した彼は組織に再び牙をむく。手に入れた力の全てをぶつけ、命そのものさえも燃やして組織壊滅の為に戦い続けた。

 連夜の寿命は保たなかった。組織壊滅を目の前にしながら、連夜の命の炎は燃え尽きた。

 随分前からそのことは覚悟していた。例え自分が死んだとしても既に、復讐の為の種はまき終わっている。『勇者』としての力を自らの体内から取り出し、それを死に行く百八人の奴隷の子供達に分け与えた。奴隷の子供達は死の淵から蘇り、三十六人の『日』の『聖者』と七十二人の『月』の『聖者』となった。

 彼らは連夜の意思を継ぎ、『バベルの裏庭』をはじめとする奴隷を扱う犯罪者達と戦う道を選ぶだろう。

 既にその意思を継いで戦っているものもいる。何も心配することはない。連夜の使命は終わったのだ。

 例え『バベルの裏庭』の終焉を見届けることができなくても満足だ。そう思っていた。

 しかし、そんな連夜に生きろと言う者がいた。相手は最愛の人だった。復讐を忘れる事になっても、この人の為に生き、この人の為に死にたいと思った人だった。

 そんな人からの願いに出来れば答えてあげたかった。だが、既に消えかけている寿命を伸ばす事はどう考えても不可能だ。

 連夜は諦めるように言った。運命も寿命を変える事はできないと。

 最愛の人は言った。運命も寿命も変える必要はないと。私がそれを丸ごと買う、それに見合った対価を支払うといったのだった。

 その日、連夜の運命と寿命は最愛の人の物となった。

 そして、寿命のつきた死者でありながら、別の寿命を持つ生者でもあるという世にも奇怪な生き物に連夜はなったのだった。

 だからこそ、彼は生きながらにして死者の世界に足を突っ込むことができたのだ。

 既に現実世界では犯罪組織『バベルの裏庭』は完全に消滅している。

 彼らはアルカディアを脱出してすぐ、逃亡ルートの先で待ち伏せしていたアルカディア・嶺斬泊の討伐部隊の強襲を受け全員その身柄を確保された。

 それは法の下に彼らを裁くためではない。

 重篤な怪我や薬や術式では治せない難病で苦しむ多くの人達。そんな人達を一人でも多く救う為、彼らは移植用臓器、或いは移植用四肢の提供者として生きながらに解体されることになる。

 いや、既になったというべきか。

 司法の手に委ねられることなく彼らは闇から闇へと葬り去られたのだ。彼らの存在は、肉体的にも社会的にも完全に抹消されたのである。

 そして、魂もまた然り。

 連夜は現世での彼らの肉体の最期を見届けた後すぐに黄泉路へとやってきた。

 彼らの魂の最期を見届ける為だ。

 連夜は自分達を攫い奴隷と化した人物がイーアル・カミオであることを知っていた。知っていたからこそ、自分の手で決着をつけるつもりだった。

 しかし、現世でそれは果たされることはなかった。討伐部隊に参加することはできず、かろうじて彼らが解体される場に間に合っただけ。

 いろんな思いが未だ連夜の心の中で渦巻いていた。だからこそそれら全てをイーアル・カミオにぶつけるつもりで、危険な生と死の狭間へとやってきたのだ。

 そう、ここは連夜にとっても危険な場所。むき出しの魂は、どれだけ気を使っていても魂がいずれ還る場所である無明の闇に引かれてしまう。そして、気がついたときにはもう遅く、その中へと引きずり込まれてしまうのだ。

 だが、それでも連夜はカミオ達を追った。

 カミオ残党のほとんどは既に地獄の獄卒に捕まっていて連夜が手を出せる状態ではなかった。しかし、幸か不幸か最大の標的であるカミオはまだ健在だった。

 自分が死んだことにも気がつかず、都合のいい夢に浸って生と死の狭間を彷徨っていた。

 連夜は迷うことなく己の魂の力をカミオへ振るう事にした。

 ここは現世とは違う。どれだけ肉体を鍛え、どれだけ武術の腕をあげていたとしてもここでは何の意味もない。

 魂の力のみが優劣を決めるのだ。勇者の力の大半を失ったとはいえ、連夜はその強大な力の全てを受け入れられるほどの強靭な魂の持ち主である。カミオに負けるはずなどない。そして、連夜は思う存分その力をカミオへと叩き付けた。

 この生と死の狭間で殺しあうことはできない。魂だけの存在である彼らに『死』が訪れることはない。だが、苦痛は感じる。

 強い想いを乗せて放たれるその拳は相手の魂に多大なダメージを与え、強烈な苦痛を味あわせる。逆に想いの乗らない一撃は魂に何のダメージも与えず、当然苦痛を感じることもない。

 表面上派手に斬って突かれて砕かれたとしても、何のダメージもないのだ。

 その気になれば相手の攻撃を全て防ぎきることだって可能。


「そういえば途中連夜くん、何度もあいつに切り裂かれたりしていたけど、あれは大丈夫だったの?」


「わざと斬られて見せていただけです。魂に本来形はありません。今、僕や玉藻さんが人としての形を保っているのは、自分がこういう姿だと無意識に思っているからです。殴られて痛みを感じたカミオの顔が変形していったのも、殴られた本人が『今の自分の顔はこんな風になってるはず』って思ってしまったからでしょうね」


「なるほどぉ。あと二つほど疑問があるんだけど、あいつが持ってたサーベルとかラッパはなんなの?」


「死んだときに身に着けていたものでしょう。一応こちらに持ってくることができるみたいです。まあ、ここではなんの効果も発動しないただの飾りでしかないんですけどね」


「あらら。そうだったの。物凄く気合いれて発動させようとしていたみたいだけど、ただのラッパを吹いて終わりだったってことね」


「そういうわけです。ところでもう一つ疑問があるんでしたっけ?」


 軽い口調で問いかけながら後ろを振り向いた連夜は、そのことを激しく後悔した。

 そこには恋人の美しい笑顔があるのに、表情の形が変わらないまま雰囲気が一変したのだ。

 まるで暖かな春の日向から、極北の寒冷地帯並に変化したのである。


「え、えっと、玉藻さん?」


「あのね、連夜くん」


 玉藻の口が開かれたとき、連夜は自分が今感じている雰囲気が完全に気のせいではないことを悟った。

 笑顔のまま恋人は怒っていた。

 本能は『これはいかんばい。はよ逃げなきゃいかんばい』と叫んでいたが、蛇ににらまれた蛙の如くその場を動くことはできず、連夜は観念して死刑台へとあがることにするのだった。


「は、はい」


「秘術『呪いにして祝いなるもの』の効果を利用して連夜くんの頭の中の知識を覗かせてもらったときに、ちょっと面白い知識があってね」


「え、ええ」


「生と死の狭間の世界に行く為の方法っていう知識なんだけどね」


「げっ!」


「何度も臨死体験をする必要がある。最低でも十回以上。っていうふざけた内容だったわけだけど、これどういうことかしら?」


「・・・」


「・・・」


「そ、そろそろ現世に戻って『嶺斬泊』に帰る準備を・・・」


「れ・ん・や・くぅーん?」


「いたいイタイ痛い遺体異体! やめて止めてやめてー! ほっぺたつねらないでぇっ!」


 最後の悪あがきをしようとした連夜であったが、当然玉藻にそれが通じるわけもなく力いっぱい両方のほっぺたをつねられてしまう。


「死にはしないけど、苦痛は防げないんですよ、玉藻さん! やめてぇっ!」


「連夜くんが誤魔化そうとするからでしょ! あれだけ言ってるのにどうして危ない真似ばっかりするの! 十回以上も死に掛けるってどういうことなの!? 連夜くん聞いてるの!?」


「違うんです! 玉藻さんと知り合う前の話なんです!」


「え? そうなの?」


「はい、そうです。そんなしょっちゅうしょっちゅう死に掛けるわけないじゃないですか」


「ああ、そっか。じゃあ、私と出会ってから死にかけたのは、ミネルヴァに殺されかけたあのときの一回だけなのね」


「・・・え?」


「・・・え?」


 しばしの沈黙の後、今度は更なる容赦ない全身つねり放題の刑に処せられた連夜は、全てを洗いざらい白状させられたのだった。


「本当にもう! もうもうもうっ! 連夜くんはしょうがないんだからっ!」


「・・・ごめんなさい」


「謝って済む問題じゃないでしょ! なんでそんなに自分の命を粗末にするようなことをするの!?」


 玉藻は激しく怒っていた。怒っていたが、それ以上にこのことをとても悲しんでいた。

 その悲しみは涙となって美しい両目から溢れ出し頬を伝って流れ落ちる。

 流石の連夜もこれは誤魔化している場合ではないと、本心を語ることを決意する。


「自分の寿命がわかったとき、命を惜しむのはやめようと思ったからなんですよ」


「なんて馬鹿なことを!」


「最初は復讐のみの人生でした。僕を生かす為に犠牲になったじっちゃんや、同じ子供奴隷の義兄弟達の仇を討って死のう。あの場にいた犯罪者だけじゃなく、その大元まで叩き潰し、できればそれに関わる人々全てに怨嗟と呪いをばら撒いて死んでやろう。そんな風に考えていたのです。そして、あの日、玉藻さんに出会った。一目見ただけで僕はあなたに恋をして、同時に失恋しました。みーちゃんに無理だって言われたこともありますが、自分でも釣り合いが取れないって思っていたので」


「ばかっ! 本当にばかばかばかっ!」


「そうですねぇ。本当にそうなんですけど、それでちょっとだけ考えが変わりました。復讐を果たすよりも玉藻さんを見つめながら死のう。復讐を完全に諦めることはできないけど、優先順位を変えようと。玉藻さんに出会わなければ、僕が死に掛けた回数はもっと増えていたでしょうね。いや、下手をすれば既にこの場にいなかったかもしれません」


「・・・」


「まさか玉藻さんと自分が恋人同士になるとも思ってませんでしたし、ましてや秘術で僕に自分の寿命の半分を分け与えてくれるなんて完全に想像の範囲を超えている出来事ですよ。正直、申し訳なさ過ぎて今でもお返ししたほうがいいんじゃないかって」


「それ以上言ったら連夜くんでも許さない!」


 見詰め合うというよりも睨み合うといったほうがしっくりくる雰囲気の二人だったが、すぐにその雰囲気は形を変える。


「やめてよ連夜くん。そんなこといわないでよ。私を一人ぼっちにする気なの?」


「ごめんなさい、玉藻さん。僕だっていつまでも玉藻さんの側にいたいです」


「じゃあ、いてよ。あんな寂しいところ(死の世界)に一人で行こうとしないで頂戴。私と一緒に生きれるだけ生きてよ」


「そうですね。折角もらった命ですし、別の方法でお返しすることを考えます」


「うん」


 二つの魂は人の形をやめて重なり合い、しばらく一つになって溶け合っていたが再び二つに戻り、元の『連夜』と『玉藻』の姿となる。

 そして、しばらく二人ははるか向こうに見える罪人達の列を眺めていた。

 連夜の同級生であるヘイゼル・カミオ。

 姉を騙し続けていた龍族の姫かぐや。

 黒幕の一人でかぐやや姫子、Kやミッキーの実の母である織姫。

 そして、デンゼルやピエールをはじめとする組織の構成員達。

 絶望の色に顔を染めながら重い足取りを引きずって地獄へと続く門の中に消えていく。


「子供を奴隷としてさらって売りさばいたり、魔薬を売買したり。挙句の果てには街のど真ん中で毒ガスばら撒こうとまでするし、ほんととんでもない奴らだったわね」


「彼らからすれば自分達以外は『人』ではないそうですから」


「『人』じゃないならなんなのよ」


「モノだそうですよ。自分の子供ですら道具でしかないと言い切る人達ですからね」


「救いようがないわね。人をモノ扱いするなんて。でも、連夜くんは私のモノですが」


「寿命をもらってる以上、文句はいいませんよ」


「うふふ。連夜くんは私のモノ~。誰にも渡さない私だけのモノ~。そして、私は連夜くんのモノなのよ~」


 連夜を抱えたまま楽しそうにくるくると踊り続ける一匹の狐。

 孤独と絶望が支配しているはずの黄泉の路の上で場違いに明るい光を放つ美しい獣。そんな彼女の姿をうっとりと眺めていた連夜であったが、あることに気がついてそちらへと視線を向ける。

 三途の河の向こう側。

 石積みをしている子供達のうちの何人かが立ち上がってこちらを見つめている。

 さぞ死者でありながら生きている自分をさぞ怨んでのことだろうと思っていたが、彼らの表情の中にそういった負の感情は見つけられなかった。

 それどころか連夜を見つめている者達はみな、優しい笑顔を浮かべてさえいた。

 そして、一斉に何かを叫びだす。

 耳を澄ましてみると彼らの言葉を聞き取る事ができた。


『タコー、まだこっちに来るなよー』


『みんなによろしくなー』


『兄弟姉妹仲良くねー』


『じいちゃん、ばあちゃんを大事にしろよー』


『またいつか遠い未来で会おうねー』


 なんともいえない表情で彼らを見返す連夜。しかし、自分の手を誰かが強く握り締めたことを感じた連夜は、寂しそうな笑顔を浮かべながら、河原の向こうにいる子供達に片手を振って別れを告げる。


「さよなら、みんな。またいつかね」

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