第六十六話 『悪夢の終わり』
何事にも終わりはある。
始めたからには、いつかは終わりが来る。例えそれが望んでいない結末であったとしてもだ。否応なしに終わりの時はやってくる。そしてその終幕を引くのが自分であるとは限らない。今、一つの大きな出来事が終わりを迎えようとしていた。
「ようやく決着ですか。まあ予想通りのことではありましたがね。一週間かかるのは最初から予測済みだったことですし」
大きく息を吐き出しながら満足そうに小さな呟きをもらす一人の中年男性。
彼の両手には大きな二つのトランクケース。中にはぎっしりと札束が入っている。ただし彼が慣れ親しんでいる北方の貨幣『サクル』ではない。南方の諸都市で使用されている『ヘビィ』という貨幣だ。それがトランク一杯に詰め込まれている。
二つあわせれば億万長者の仲間入りが簡単にできてしまうだろう。それほどの額が入っている。
この都市に永住することができるなら一生遊んで暮らす事も可能だろう。しかし、トランクを持つ男性にその選択肢はありえない。トランクの中身を得る為に行った商談は決してまともなものではなかったことを彼自身がよくわかっているからだ。
男の名は『イーアル・カミオ』。
北方最大の交易都市『嶺斬泊』を治めている中央庁の経済産業省にその身を置くエリート官僚。そして、彼にはもう一つ肩書きがある。表にはできない肩書きが。
巨大犯罪組織『バベルの裏庭』の幹部。それが彼が持つもう一つの顔。
二つの顔を駆使して表裏問わず権力をほしいままにしてきた彼であるが、思わぬ落とし穴が彼を待っていた。
犯罪組織『バベルの裏庭』が中央庁によって摘発され、壊滅状態に追い込まれてしまったのだ。
不幸中の幸いというべきか、中央庁そのものの中に潜り込んでいる彼の元にはまだ法の手は及んではいない。しかし、それも時間の問題。いずれは彼の元にもやってくる。
彼は組織の生き残り達と共に賭けに出ることにした。
南方との交易再開事業に潜り込んだ彼は、南方へと向かう交易隊の中に組織の生き残りの全てを編入。彼らと共に脱出を図ると同時に、北方から運ばれる貴重な素材の数々を秘密裏に確保させ、南方最大の交易都市『アルカディア』に到着後、彼はその牙を剥いた。
アルカディアの中央庁に、確保した素材の数々を法外な値段をつけて売りつけようとしたのだ。
勿論、そんな権限はカミオにはない。確かにカミオは『嶺斬泊』中央庁経済産業省に正式に所属している管理官であり、今回の交渉を任されてはいた。しかし、今回持ち込んだ素材の数々は、ほぼ無償でアルカディアに提供されることになっていたのである。
何故なら、北方側も同じくらい貴重な素材の数々を南方側から譲り受けなくてはならないのだから。そこに値段をつけていてはスムーズな交易再開などできるはずがない。交易路の封鎖によって南北共に困り果てているのだ。双方の素材によってうみだされる二種類の『万能薬』はどちらにとっても欠かす事のできない生命線。たくさんの人の命がかかっているというのに、どうしてそこに値段などつけられようか。
だが、だからこそカミオはそこに起死回生の一手を見出したのだ。
カミオが持ち込んだ素材の数々は、南方にとってどうしても手に入れなくてはならないものばかり。どれだけ吹っかけられても拒否することはできないはず。
一緒についてきた他の北方勢力や、南方の武闘派勢力の暴走が怖くはあったが、素材を守っているのは中央庁の手を逃れた生き残りの強者達。そう簡単に奪われる心配はない。結局、有効な手を打つことができないままに時は過ぎ、今日、アルカディアの中央庁はカミオのいい値で素材を買う事を決定。カミオのつけた条件通り、アルカディア中央庁は素材買取の金額全てをトランクケースに現金で詰め込み、彼に手渡すこととなったのだった。
カミオの完全勝利であった。
最初から最後までカミオの手のひらで彼らは踊ったこととなる。
後は、一刻も早くこの都市を脱出するだけ。
だが、焦る必要は全くない。彼が立てた計画は予定通りに進んでいる。多少のアクシデントはあったものの、それすらも予想の範囲内に収まっている。
この都市を脱出する為の手段も、それを行う為に必要な人員も既に確保済みだ。
カミオはもう一度大きく息を吐き出して整えたあと、足早に戦場を後にする。彼が戦場としていた場所、それは南方随一の交易都市『アルカディア』の中でも最も大きな高層ビル。この都市の政務の全てを司る権力の象徴。『アルカディア中央庁中央庁舎』。
ガラスでできたスライド式の念気自動ドアを通り抜け、庁舎前に止めてある一台の黒い高級車へと向かう。
そこには黒服を着た屈強な男達の姿。彼らはトランクを持ったカミオの姿を確認すると一斉に敬礼をして出迎える。
「お帰りなさいませ、カミオ管理官。交渉はうまくいきましたか?」
「あなたには私の両手にあるものが見えていないのですか。さっさと引き取ってください。重くてかないません」
「失礼いたしました。おい、おまえら」
黒服リーダーの指示に、部下達はカミオからケースを受け取ると車の後部に積み込む。
ようやく両手が開いたカミオは肩を大仰にまわしながら車の中へと滑り込むようにして乗り込んでいく。男がしっかりと車の後部座席に乗り込んだのを確認したリーダーは、周囲を見渡し部下達と共に車に乗り込んで運転手の男に合図を送る。
運転手はその合図を受けた後すぐに車を発進させた。
「流石はカミオ管理官。予定通りですね」
「当たり前です・・・と、言いたいところですが、本音を言えばもう少し前倒ししたかったところですね。予想以上にアルカディア中央庁の奴らの抵抗は激しかった。もっと早くに折れてこちらの要求を呑むと思っていたのですが」
黒服リーダーの言葉に対し、今ひとつカミオの表情は冴えなかった。
アルカディア側が猛烈に反発してくることは最初から予想してはいた。しかし、もっと早くに折れて金を出すと思っていたのだ。一応、一週間という予測をつけていたし、その予測通りに事が運んだわけであるからもう少し喜んでいいと自分でも思うのだが、どうにも手応えが悪い気がするのだ。
自分の交渉術をもってすればあと一日や二日は前倒しできたはずだと思うのだが、結局、今日までアルカディア側の悪あがきに付き合う形になってしまった。
「結果が全てです。無事、金も手に入ったことですし」
「まあ、そうではありますがね。そういえば脱出の手筈はどうなっていますか?」
「ほぼ予定通りです。今、詳細をお聞きになられますか?」
「ええ、お願いします」
鷹揚に頷いて見せるカミオに、腹心の男は報告を開始する。
まず、脱出準備について。これについては既に完了済み。『バベルの裏庭』に所属している『嶺斬泊』偽正規部隊は全てアルカディア西門前に集結。脱出に必要な補給物資を逃走用の軍用武装馬車に搭載し、カミオの到着を待って出発する予定。
次に脱出時に妨害してくるであろうアルカディア都市警察を牽制する為の撹乱計画について。これについても既に作業を完了している。自軍の特殊工作部隊が、都市内にある複数の重要施設に時限式の広範囲毒ガス散布術式を設置。脱出にあわせて遠隔操作でこれらを起動。都市内で大混乱が起こっている隙を見て、脱出することとなっている。
最後に脱出先についてであるが、いくつか候補があるもののまだ確定してはいない。奴隷制が合法として罷り通っている城砦都市『ゴモラ』や、魔薬の売買が盛んな城砦都市『ソドム』。あるいは過去の重大犯罪者達が集まって設立したという悪名高き犯罪都市『サバト』。
「とりあえず、中継地点である城砦都市『天竺』まで行って、一旦そこで情報収集してから定住先を決めるのがよろしいかと」
「そうですね。まずはここを脱出することに専念するべきでしょう」
腹心の男の報告を受けて一瞬傲慢な笑みを浮かべて見せたカミオだったが、すぐにそれを打ち消し今後のことを思考する。
組織を完全に立て直すほどではないが、ある程度の資金は手に入った。地盤そのものは失ってしまったが、そこそこ頭が切れる腹心や、腕の立つ兵士はそれなりにいる。武器や防具は十分あるし、移動する為に必要な馬車も複数ある。また、一ヶ月以上『外区』で暮らす事になったとしても十分兵士達を賄えるだけの水や食料、医療物資もある。 あとは、無事にここを脱出することと、脱出先での安全の確保である。
脱出先の安全確保そのものについてはあまり心配はしていない。
現時点で移動先としている城砦都市『天竺』は、非常に規制が甘い事で有名だ。はっきりいって誰でも出入り自由な都市なのだ。例えそれが他都市で重大な犯罪を犯した者であったとしても、『天竺』の中央庁は入都市を拒否しない。いい意味でも悪い意味でも『来るもの拒まず去るもの追わず』を徹底しているところなのである。
其の分、犯罪組織が多数入り乱れて存在しており、お互いを敵視しあって都市内で激しい争いを繰り広げているらしいのであるが、その争いに介入しようとしない限りほとんど害はないといわれている。
カミオは『天竺』はあくまでも通り道の一つとし、『バベルの裏庭』を再建する拠点にとは望んでいない。『天竺』に到着したらすぐに大きな組織のいずれかとコンタクをとって非介入を表明し、極力争いは避けるつもりだ。
さて、問題は脱出時についてだ。
いくらアルカディア中央庁の役人どもがぼんくら揃いといっても、流石にカミオ達のことは怪しんでいるはずである。
嶺斬泊との間に軋轢を生む事を恐れているだろうし、また二つの完全回復薬の材料を失う事も避けたいことから、これまでは何もしてこようとはしなかった。
しかし、今は違う。
カミオの条件を呑んで大金を出した以上、当然、物資の受け渡しを行いにカミオ一派が占拠している西門倉庫にやってくる。そのときに強硬手段を取ってこないとは限らない。そろそろ奴らもこちらのことを怪しんできているはずなのだから。
だが、こちらも奴らのいいようにさせるつもりはない。最初から最後まで主導権はこちらが握り続けるつもりだ。
そのためにカミオはいくつかの策を講じていた。
その一つが城砦都市『アルカディア』内での撹乱作戦だ。
この作戦を実行する為に『バベルの裏庭』残党の中でも特にテロ活動に腕の立つ犯罪者達を選抜した。カミオは、彼らにあるトラップを城砦都市『アルカディア』内に設置するよう命じた。
それは『サリエル』という名の猛毒のガス散布術式。致死性が極めて高いこの毒ガスは、吸ってすぐに症状が出る。呼吸が出来なくなり、間もなく死亡するのだ。
遠隔操作によって起動し散布される『サリエル』は、数分以内に凄まじい数の死者を大量生産することとなるだろう。そして、その結果、未曾有の大パニックが発生することとなる。中央庁がそれの対応に追われることはまず間違いない。
其の間にカミオ達は『アルカディア』を脱出する。
受け渡すはずの物資と共にだ。
カミオはもう一度傲慢な笑みを表情へと浮かびあがらせる。『悪魔』と呼ぶに相応しい笑みを。
「よし、西門到着と同時に脱出作戦を開始します。『天竺』に到着するまで、各員気を抜かないようにお願いしますよ」
『はっ!』
そして、カミオとその一味はまんまと城砦都市『アルカディア』を脱出した。
『アルカディア』都市内に大量の死者を量産し、また、本来受け渡すはずであった二つの完全回復薬の貴重な物資と共に。
一連の凶行について、『アルカディア』中央庁や或いは『嶺斬泊』から同行してきた者達の中にカミオ一派の関与を疑う者が存在していたのかもしれない。しかし毒ガスが生み出す狂乱を鎮めるのに必死でカミオ達を追いかけることができたものは一人として存在しなかった。
最初から最後までカミオの思い描くがままに事態は進んだ。
笑いが止まらない。比喩ではなくカミオは大笑いを続けていた。
見事な刺繍が施された座り心地のいい高級ソファに座り、馬車の窓の外に流れる美しい風景を見ながら、カミオは手にしたワイングラスを傾ける。
「馬鹿どもの相手をするのは疲れますが、最後に訪れる達成感は本当に心地よいものです」
「本当に気分が良さそうだね」
「良いですとも。ここに辿りつくまでにかけた労力を考えると特にね。馬鹿どもをまんまと罠にかけ、絶望という奈落の底に突き落とすこの瞬間。この心地よさは至福といってもいいでしょう。どんなにいい女を抱いても得られない快楽です」
聞き手の質問に対し、カミオはこれ以上ないほどの上機嫌な様子で答えを返す。
既に日が落ちているのか、窓の外は薄暗くあったが、カミオはそこに映る光景を美しいと思った。
どこまでも続く大河とそのはるか彼方には、石ばかりしかない河原。そこには子供達が何人もいて石積みをして遊んでいる。その側には鎧武者の姿。子供の遊びに混じっているのか、子供が積んだ石塔を槍で突付いて壊している。
意地の悪い大人がいるものだと思ったが、カミオの顔は笑みを形作っていた。
カミオは子供が好きだった。大好きだった。、心から子供は素晴らしいと思う。
そう。『子供』という『商品』は本当に素晴らしいのだ。
イーアル・カミオ。
犯罪組織『バベルの裏庭』の最高幹部の一人。
組織の中でこれまで彼が担当してきた犯罪部門、それは、『奴隷』という商品の『生産』、及び『販売』であった。
中央庁の内部に厳重に保管されている住民達の個人情報。
上級官僚の権限でそれらを自由に閲覧できるカミオは、己の悪行の為に最大限に利用。保護者達の隙を突いてたくさんの子供達を誘拐。無垢な子供達に非道な洗脳術式を施し、彼らにとって都合がよく尚且つ従順な『奴隷』なるよう改造していったのであった。
そして、買い手がついた者達は高額で売り払い、買い手がつかなかった者達は大人でも作業することが難しい危険な『外区』のレアメタル鉱山で働かせたのである。
どちらにしても子供奴隷達はカミオに富と名声をもたらした。
本当に子供は素晴らしい。
大人と違い、非力な彼らは誘拐するのが楽である。大人と違い、無垢な彼らは洗脳するのが楽である。大人と違い、小さな彼らは移送するのが楽ならば、売り払うのも楽である。なんせ、危険地帯の生き残りと説明すれば身元の照会などろくにしないままに都市の中へ潜り込ませることができるのだから。
一旦、都市の中に入ってしまえばこちらのものである。
中央庁の中でも要職にある彼の権力をもってすれば、身元不明の子供に架空の戸籍を作り出すことなど造作もないこと。
表面上は孤児の養子縁組、しかし、実態は奴隷としての受け渡し。
そうやってカミオは、何人、いや、何十人何百人という子供達を裕福な上流家庭に奴隷として売り渡してきた。
そして、その見返りに莫大な富を手に入れてきたのだ。
「そうやって稼ぎ貯め込んだ金のおかげで、中央庁の手をかわす事ができているわけですから、本当に子供達には感謝の念しかありませんね」
「腐ってる。本当にあんた腐ってるよ」
「心外ですね。弱肉強食は世の常なわけですから、別に私だけが特別非道を行ってるわけじゃありません。サバンナの王者であるライオンとて、ゾウやハイエナの子供を攫って喰らいます。同じことですよ」
向かいに座る聞き手の少年からの非難の声にも、カミオは涼しい表情を崩そうとはしない。
より強い力を持つ者一部の者だけが生き残ればいいのだ。力を持たぬ無能な弱者達は、強者を活かす糧となって死んでいけばよい。
世の中には力を持つ者はそれ相応の責任を持ち、弱者を救済する義務があるなどと主張するものもいる。カミオに言わせればお笑い草である。何故、何の取り柄もない無能な弱者を救ってやらねばならないのか。
弱者は大人しく強者のエサとなっていればいいのだ。
「仮にその理論で間違いないとして、どうしてあんたは弱者ではないと言い切れる?」
「言い切れますね。種族としても優れ、個人としても優れているこの私が強者でなければ、誰が強者だというのですか?」
「あんたを弱者だと言い切る相手がいたらどうする? あんたよりも強い力を持つ者が目の前に現れたとき、あんたは大人しくエサになれるのか?」
どこまでも傲慢不遜な態度を崩そうとしないカミオに対し、彼の目の前に座る黒衣の少年から凄まじい怒りのオーラが吹き上がる。
だが、カミオはそれでも態度を変えようとはしない。自分自身の力を信じているためか、あるいは自分が保有している戦力への信頼からか。
彼はどこか恍惚とした表情で演説を続ける。まるで自分が絶対支配者であるかのように。
「考えた事もありません。いえ、考える必要がないというべきか。全『人』類の頂点に位置する私に、いったい誰が牙を剥くというのか。無敵です。最強です。不敗なのですよ、私は」
「『不敗』じゃなくて、『腐敗』だろ?」
「ハハハハハ、なんとでも言うがいいです。私が持つ絶対的な力の前に、全ての愚者どもはひれ伏しあがめ・・・」
「もういいよ。黙れ、ク○野郎」
彼の演説は唐突に終わりを告げる。
何かが彼の大きく開けた口を粉砕した。いや、口だけではない。鼻を潰し、顎を砕く。何者かに殴られたと気がついたときには、既にカミオの体は宙を舞っており、口を中心とした顔面に痛みを感じたときには、彼の体は大地に着地。そのまま盛大に地面を転がって途中にあった岩に激突することでようやく停止する。
何が起こったというのか。
パニックを起こしかけるカミオであったが、無理矢理それを押さえ込み現状を把握しようとする。
(私は馬車に乗っていたはずだ。馬車に乗って、『天竺』に向かっていたはず)
そう、確かに彼は今の今まで武装大型馬車の『トレーラー』内にある指揮官用個室の中にいたはずだった。
そこで外の景色を眺めながら高級ワインを片手にもって楽しんでいたはず。なのに、どうしていきなり自分は外へと飛び出しているのか。
(術か? 幻術の類。そういえば、誰かと今までしゃべっていたな。そうか、私としたことがいつの間にか敵の術中に嵌っていたというわけか)
彼の個室に他の誰かを入れることなどない。用心深く基本的に人を信用しないカミオは、部下はおろか妻子ですら自分の部屋には入れたことがないのだ。
なのに、彼は今の今まで差し向かいで誰かと話を続けていた。
カミオはそれを幻術使いかそれに類する何かの仕業だと判断した。
痛む口を押さえながらも油断なく周囲を伺う。
すると、すぐ目の前に一つの人影。
黒いボロボロのマントに身を包み、顔はタコのようなガスマスクに覆われている怪しい姿の怪人。
「何者ですか? 随分と手の込んだことをしてくれたようですが。龍ノ宮一族の残党? それとも中央庁の『機関』あたりの手のものですか?」
「本当に興味があるなら答えるのもやぶさかではないけど、あんた、別にそのことはどうでもいいって思ってるだろう?」
図星だった。
相手の素性については捕らえるか、或いは殺して無力化した後で調べればいい。そう考えていた。声をかけたのは、相手の反応を見たかったからだ。
彼が欲している情報は目の前の相手の素性についてではない。
力に頼る馬鹿なのか、それとも多少は知恵が回るのか。すぐに攻撃してくるのか、一旦様子を見ようとするのか。武器や術を使うのか、それとも使わないのか。一人なのか複数なのか、チームなのか軍隊なのか。
とりあえず目の前にいる相手を八つ裂きにする為の情報がほしい。
それもできるだけ早急に。
カミオは、相手をただの馬鹿ではないと判断し、警戒を強める。
腰に差した装飾過多なサーベルへと手を伸ばしいつでも抜刀できるようにその柄に片手を添える。
カミオは文官である。だが、戦いに不慣れであるかといえばそうではない。『バベルの裏庭』という大きな犯罪組織の頂点に長年にわたり君臨し続けてきた大物である彼は、当然、血を見る仕事をいくつも直接こなしている。下手をすれば組織お抱えの殺し屋達よりも腕が立つほど、彼は強い。
特に凄いのは居合斬りである。『音速斬り』と異名される彼の居合斬りは、名の知れたハンターや傭兵でも見切ることが難しい。
無様にも地面を転がされ、土を存分に舐めさせてくれた相手を一刀両断にしてやろうと、カミオは獲物が近づいてくるのを待った。
「いいよ。乗ってあげるよ。その勝負」
「!?」
カミオの意図を正確に見抜いた黒衣の怪人だったが、それを知りながらするすると彼に向かって近づいていく。
そのことに戸惑い一瞬勝機を見失いそうになったカミオであったが、すぐに気を取り直し間合いを計る。そして、確実に相手の体を両断できる距離だと判断した瞬間、彼は恐ろしいスピードで腰のサーベルを抜刀した。
「やったか!?」
快心の一撃であった。彼の目の前で上半身と下半身が泣き別れして宙を舞う黒衣の怪人の姿。カミオはニヤリと笑みを浮かべた後、ゆっくりと自分の戦果へと近づいていく。
「何者か知りませんが、身の程を知らぬことをするからこういうことになるのです。己の愚行を地獄で存分に後悔するといいでしょう」
「それは無理だね」
「・・・えっ」
地面に横たわる怪人の上半身が突然体を起こした。そして、離れたところにある下半身のところへ腕を使って這っていくと、『よいしょ』という間抜けな掛け声をあげながら切断面を合わせて立ち上がる。
自分の目に映るあまりにも衝撃的な光景に、カミオは追撃する事を忘れてただただ呆然と立ち尽くすのみ。
「な、な、ななな、いったい、なんなんですか、あなた!?」
「さっきもいったけど、あんた、僕の正体になんかこれっぽっちも興味もってないだろ? だから言わないよ」
「さ、さっきと違っていまは興味を持ってますよ。あっ、そうか。これも幻術か。だから私の抜刀術も・・・」
「なんでもいいけど、とりあえず、あんたは『痛み』を知れ」
「ごぎゃっ」
今起きた怪現象をなんとか自分なりに解釈しカミオはなんとか冷静さを保とうとする。
だが、そんなカミオの心の葛藤など怪人にとって何の関係もない。怪人は拳を振り上げると、緩慢と言えるゆっくりとした動作でそれを再びカミオの顔面へと振り下ろした。肉を殴打し骨の砕ける鈍い音が周囲に鳴り響く。
「『苦しみ』を知れ」
「げぎゃ」
「そして、攫われ奴隷とされた子供達の深い『怨み』を知るがいい!」
「ぐぎゃぁっ!」
何度も振り下ろされる拳がカミオの端正な顔を見るも無残に変形させていく。目蓋は青黒く腫れ上がり、鼻は潰れて平面となり、歯は全て折れてなくなってしまった。
真っ先に目を攻撃されたことで視界が塞がれ、反撃の糸口を掴めぬままに殴られ続けていたカミオであったが、未だ無事である聴力で相手の位置を掴むと、鋭い斬撃を繰り出した。その一撃は再び怪人の体を袈裟斬りにして両断。今度は斜めに上半身を切り離した。
カミオはその結果を禄に確認しないまま、とりあえずそこを放れて距離をとる。
再び復活してくる可能性を考え、戦闘態勢は崩さず油断なく地面に横たわる怪人のほうに刃を向ける。
その予想は見事に的中。怪人は再び泣き別れた体を元に戻し、カミオの前へ立ちはだかる。
「一体どういう手品を使ってるのですか。斬った手応えは明らかに実体のものだというのに、何事もなかったかのように復活してくるとは。まるで伝説の死霊使いのようですが」
「死霊使いか。否定したいところだけど、今の状況を考えると完全には否定できないね」
「驚きましたね。『害獣』が支配するこの時代にそのような存在が生き残っていたとは。ですが、死霊を操る為に必要な異界の力をフル活用することはできないはず。それとも『害獣』を呼び寄せることを覚悟して使ってみますか?」
崩れきった顔で笑みに見えない笑みを浮かべたカミオは、奇術の種は見破ったと言わんばかりに得意気に目の前の怪人に言い放つ。
カミオは目の前の怪人が何度も復活することはできないと確信したのだ。切捨て続けていれば、いずれ復活に必要なエネルギーを使い果たすと。
これまで二度斬撃を放ち、二度とも相手は回避することができなかった。恐らく武術の腕は自分のほうが上。ならばこのまま押し通るのみ。
視界は狭くなってしまったが、聴力は健在である。これだけ近づいていれば、相手の位置を掴むことはそれほど難しいことではない。それに彼の居合斬りの範囲はかなり広い。五メトル先のものでも容易に切り裂く事ができる。少しばかり距離を取られても、全く不利になることはない。
勝てる。今度こそ目の前の敵の息の根を止める事ができる。
カミオは、腰溜めにサーベルを構えると目の前の敵を三度切り裂く為に、全神経を研ぎ澄ませる。
小さな虫の羽ばたきすら捉えることができるほど、カミオの耳は自分の周囲に存在する全ての音を掴んでいた。相手がみじろぎの一つでもすれば、たちまち正確な位置を知ることができるだろう。
そうなれば後は簡単だ。
細切れになるまで切り刻む。
(参る!)
カミオが心の中で気合を入れたとほぼ同時、彼は空気のわずかな揺れを捉えていた。
考えるよりも先に、体が動く。電光石火の一撃。いや、一撃ではない。最初の一撃が放たれた次の瞬間、既に次の一撃が。二撃目が放たれた次には三撃目、そして、続く四撃、五撃。
武術の達人であったとしても、目で捉える事はほぼ不可能と思われる無数の斬撃が目の前の怪人の体を切り刻んでいく。
「避けれるものなら避けてごらんなさい。私の居合は音速を超える!」
まさに必殺。
怪人は一つとして避ける事ができず、次第に小さな細切れの肉片へと変わっていく。
いつ果てるとも知れぬ凄まじい連続斬り。わずかなりとも人としての形を保っているパーツが一つとして存在しなくなっていたとき、唐突にカミオは攻撃を止めた。
油断なく周囲に気を配りながらカミオは目の前に積まれた血と肉の山を見つめる。
静寂が支配する空間の中、それらが動く気配を見せる事はない。流石の怪人も、細切れにされてしまっては再生することはできなかったようだ。
カミオは安堵のため息をゆっくりと吐き出しながら、手にしていたサーベルを腰の鞘へともどす。
「正体はわからず終いではありましたが、手強い敵でした。私の斬撃をあれだけ受けて復活することができるとは」
額にうっすらと浮かんだ汗を拭いながら小さく呟きをもらした後、カミオはあらためて周囲を見渡す。手ひどく殴られたせいで視力は回復していないが、全く見えていないわけでもない。
彼の視線の先には暗く淀んだ河と、小石だらけの河原。後ろを振り返れば枯れ木ばかりが目立つ灰色の荒野がどこまでも続いている。
明らかに城砦都市アルカディア周辺の地形ではない。
確かにアルカディアのすぐ側には『黄帝江』という大河が流れている。しかし、そこを流れる水は黄土を含んだ黄色であり、こんな黒に近い色はしていない。
また、カミオの背後にある荒野もそうだ。アルカディアの周辺に、こんなに大きな荒野は存在しない。アルカディアの周辺にあるのは、大河、森林、そして、海である。
ここから見える範囲にそれらはない。
幻術がまだ続いているのか、あるいは、本当にアルカディア近辺ではなく、現実にあるどこかの場所なのか。
カミオは現状を把握すべく、自分の記憶を整理しようとするが、どうもうまくいかない。
頭に霞がかかっているかのように、これまでのことをはっきりと思い出すことができないのだ。
「くそっ、まだ幻術がかかっているのか。術者を倒したなら術は解けるはずだが。ひょっとして他に仲間でもいるのか?」
カミオは再び周囲に視線を向ける。
ぼやける視線。その先に、カミオはある奇妙な一団を見つける。
それは河の向こう側。一列になって歩く人達の姿であった。みな、今にも破れ落ちそうなボロボロの衣服を身に纏い、その手は荒縄のようなもので縛られ数珠繋ぎでつながれている。伏せられた顔は皆一様に青白く、足取りは重い。どこに向かっているのか確かめようと列の先へと視線を向けてみると、そこには大きな門が存在している。
とてつもなく大きな両開きの門で、扉は大きく開かれている。しかし、中がわからない。普通、その先の景色が見えているはずなのだが、そこには黒い闇しか見えてないのだ。その闇を見つめていると、何故か不安と恐怖が湧き上がってくる。
不吉なものを感じたカミオはそこから視線を無理矢理外し、再び人の列へと向け直す。
するとその中に、彼は見覚えのある人物を見つける。
それはまだ二十歳にも満たぬ少年。上級聖魔族とわかる姿をしたその少年は、まるでカミオをそのまま若くしたような姿をしていた。
カミオはその少年のことを知っていた。
「何故、愚息がここにいるのですか?」
それは彼の息子。今年高校二年生になった十七歳の少年ヘイゼル・カミオであった。
幼い頃から上級聖魔族として生きるための英才教育を施し、いずれは組織の幹部候補生にと将来を期待していた一人息子。
しかしその期待は見事に裏切られる。
下級種族の者に余計なちょっかいを出したあげく返り討ちにあったという。上級聖魔族の中でも特に位が高く、先祖代々魔王の側近として活躍してきた名門中の名門であるカミオ家の名に泥を塗ったのだ。
それだけでも腸が煮えくり返る思いであるというのに、復讐するといって家を出て学校へと行った後、彼の子供は行方を眩ましてしまったのだった。
「いったいこんなところで何をしているのですか、あの馬鹿息子は。いや、予想はできます。したくありませんがわかります。いやというほどね」
大方、その復讐とやらも失敗し、家に帰ることができなくなって逃走したのであろう。
そして、どこかの官憲に捕まったのだ。アルカディアや嶺斬泊の所属ではないのがせめてもの救いだろうか。
情けないことこの上ない。呆れて助け出そうと言う気にもならない。
しかし、嫌味の一言でも言ってやらねば気がおさまらない。いや、場合によっては口だけでは済まさない。
そう決意して息子のいる対岸に渡ろうとしたカミオはあることに気がつく。
「愚息だけかと思っていたら妻や愛人達もいますね。おや? あれはデンゼルですか? それにデンゼルのところの副官・・・確かピエールでしたか? むむ、私の秘書や部下達もいますね。あんなところで何をやってるのでしょう。おや、よく見ればかぐや殿や織姫殿もいます。つまりあの行列は『バベルの裏庭』関係者を護送しているというわけですね」
対岸を歩いている長い列の中に、自分の息子だけでなくかつての同僚や部下達の姿を発見して納得の頷きを何度も繰り返す。
こんな危険な『外区』にいったい何故こんな人の列がと思っていたが、犯罪者達をどこかの強制労働所へと連れて行く途中なのだとしたら理解できる。どこの都市にも凶悪犯罪者を収容するための強制労働者が『外区』に存在している。
「確か『嶺斬泊』は北の霊峰『落陽紅』の中腹にあるレアメタル鉱山だったと思うのですが、司法取引でどこかの都市に引き渡されたのでもしたのですかね。どちらにせよ、本当に役に立たない連中です」
あっさり捕まってしまった愚息や部下達も勿論だが、つい先日まで肩を並べていた幹部連中の不甲斐なさにも腹立たしいやら情けないやら。
今から助け出そうかと思ったが、あれだけの犯罪者を護送していて護衛がついていないわけがない。
どこかで隠れて見張っているのだろう。無策で近づいて自分まで捕まるのはごめんだ。なによりもあそこに一緒に並ばされて情けない姿を晒すのはもっとごめんだった。
自分はあの情けない役立たずの幹部達や息子とは違う。有能で優秀なのだ。
考えてみれば情けないのは幹部や息子ばかりではない。妻も愛人も親戚どもも揃いも揃って役立たずばかりだった。
「魔薬の販売を任せていた妻は、自らが魔薬に溺れて廃人同然。各傭兵団に潜り込ませていた愛人達は、八月以降全員消息不明。愚息が通う高校内で魔薬を精製しているはずの親戚のヴィネからも連絡が来なくなったし。どいつもこいつも能無しばかりです。息子も大概能無しですが、それ以外の者達も似たり寄ったり。結局、信じられるのは自分だけということなのでしょう」
「あんたも人のことは言えないと思うけどね」
「何故です? 私はうまくやっています。いや、私だけがうまくやっているというべきか。他の幹部達が破滅していく中、私だけが生き残っている。家族、血族の中でも幹部達の中でもそうだ。私だけだ。私だけが勝者であり続けている」
「幻だよ。あんたが見ているもの全てが幻だ。いや、この場合走馬灯というべきか。それも事実と違ってかなり都合よく脚色されているけどね」
「なんですか。さっきから聞いていればわけのわからないことをべらべらと。そもそも誰に対して口を聞いているのです。私を何だとおもっているのですか?」
「死者だよ」
聞き手から放たれたのは凍りつくような冷たい言葉。怒りのままに口を開こうとしたカミオであったが、周囲に漂う冷気にあてられ思わず口をつぐんでしまう。
寒い。あまりにも寒い。
夏の最中であるというのに、冷房術式など使っていないはずなのに、先程までワインを口にしていたはずなのに。
寒い。寒くてたまらない。
思わず両手で体を抱きしめる。しかし、震えは止まらない。歯の根があわず、うまく舌も回らない。いったいこれは何なのか。
そのときカミオはここに来て初めてある違和感に気がついた。
「待て、私はいったい誰と話をしている。この場所には私以外誰もいないはずだ」
彼がいるのは寒々しい河原の上、彼以外他には誰もいないはずだった。
改めて彼は前を見る。
すると対面には一人の怪人の姿。
そう怪人と呼ぶに相応しい姿をそれはしていた。
ぼろぼろの黒いマントで全身を包み、頭にはタコのような形をしたガスマスク。
一瞬、悪趣味なマネキン人形か何かかと思ったカミオであったが、間違いなくそれは生きて動いていた。
「馬鹿な、あなたまだ生きているのですか!?」
「いいや、死んでるよ。死んでるから殺されることはない。何をしたってこれ以上死にようがないだけさ」
「戯言を言うな!」
カミオは怪人の言葉を最後まで聞いてはいなかった。腰に差した愛剣を掴み、恐ろしい速度で鞘から抜いて怪人へその刃を叩きつける。まさに必殺といっていい素晴らしい一撃。どんな武人であっても無傷でやり過ごす事はできない、そんな一撃であった。だが、その一撃を怪人は無傷でやりすごした。
どんな手品を使ったのか、カミオの刃は怪人の体をすり抜けてしまったのだ。
自分が目にしたことが信じられず、思わず呆然と相手を見詰めてしまうカミオ。
そんなカミオに、怪人は先程と変わらぬ淡々とした口調で話しかけてくる。
「無駄だよ。ここでは相手を傷付けることはできない。どんな武器を使おうと、どんな武術を使おうと、あるいはどんな手段を用いても相手を害する事はできない。ましてや殺す事なんて絶対に無理だ」
「一体何をしたんですか!? いや、そもそもあなたは何なのだ!? 中央庁の回し者か!? いや、そんなことはどうでもいい、死ね! 今すぐ死ね! 死に晒せ!」
「いやだから無理だってば」
呆れたような口調でカミオへと視線を向けるガスマスク姿の怪人。そんな怪人の言葉に耳を貸さず、カミオは滅茶苦茶に、斬りかかっていく。
「くそっ、くそっ、くそおぉっ! なんでだ。なんであたらないんだ!?」
「何度も言わせないでよ。無理だから。絶対無理だから。何やっても意味ないから」
「くそがぁっ!」
いったいどれくらい剣を振り回し続けただろうか。縦から横から斜めから、前から後ろから真上から、あらゆる方向から刃を叩きつけてはみたものの、相手は全くの無傷。
先程まで当たっていた攻撃が、今度は完全に当たらない。本物の幻を相手に剣を振るっているように、刃は相手の体をすり抜ける。
流石のカミオも自分のやっていることが無意味だと悟り、ようやく剣を手から放す。
「何なんだいったい。貴様どんな術式を使っている? これは幻術か? いや、幻術とは違う何かなのか」
「使ってないよ。簡単なことさ。僕もおたくも死んでいるのさ。だから何をやっても殺せないだけ。だってもう死んでいるんだからね」
「さっきからわけのわからないことを言っているが、貴様、やはり中央庁の手のものだな。『アルカディア』か『嶺斬泊』かは知らんが、私を捕まえにきたのか?」
「人の話を聞かない人だなぁ。まぁ、中央庁に関係ないって言えば嘘になるかな。一応『嶺斬泊』中央庁の関係者ではあるし」
「やはりそうか! だが、そう簡単に私を捕まえられると思ったら大間違いだ。私には百人を越える最強の黄金兵士達がいる。どれほどの手勢を連れて来たか知らんが、果たして我々を止められるかな?」