第六十五話 『勇者死すとも連夜は死なず』
美しく長い金髪を風になびかせながら颯爽と晴美達の前に現れたのは、彼女の実姉である玉藻その人。と、言ってもすぐ後ろを歩いていたので、晴美以外の者達からすれば、ただ前に出ただけという結構間抜けな登場の仕方ではあったのだが。
「さっきから何を大騒ぎしているの。はしゃぎたくなる気持ちはわからないでもないけれど、もうちょっと落ち着きなさい。あなたももう中学生なんだからね」
「こんなときに落ち着いてなんかいられるわけないでしょ。っていうか、お姉ちゃんは落ち着きすぎだわ。連夜さんの一大事だっていうのに、なんでそんなに落ち着いていられるの?」
「え、連夜くんの一大事!? そ、それは大変だわ。今度はどこの悪党が現れたの? いや、それとも不良? 『害獣』で連夜くんに襲い掛かる奴はほとんどいないから原生生物か何かかしら。ともかく、私がまとめて蹴り飛ばしてやるわ。さあ、どこからでもかかってこいやぁっ!」
「何わけのわからないこと言ってるのよ、ほんとにもうっ! 連夜さんが絡むと途端にポンコツになっちゃうんだから」
「いやぁ、それほどでもぉ」
「褒めてないから! 一個も褒めている箇所ないからね!」
巨漢戦士と雷獣族の麗人二人を間に挟み益々ヒートアップしていく狐の姉妹。海と森との間を西へと走る街道の上。厳しい鎧甲冑に身を包んだ凛々しい戦士達が足早に行軍していく中、とてつもなく場違いな雰囲気でいつ果てるともなく続いていく口喧嘩。
どうしようもないカオスな状況を目の前にして、『F』は深いため息を吐き出すのだった。
いよいよ今回の南方遠征において締めとなる最も重要な作戦が、これから始まろうとしていた。
北方で悪の限りを尽くしていた巨大犯罪組織『バベルの裏庭』。その最後の生き残りが、中央庁に巣くっていた獅子身中の虫である上級聖魔族のエリート官僚イーアル・カミオとその配下達である。北方諸都市の端から端までという広大な範囲で組織を運営していた彼らであったが、北方の盟主ともいえる『嶺斬泊』中央庁の力により、その構成員のほとんど全てが既に捕縛、あるいは処刑されている。現在、北方にあった悪しき『腫瘍』はほぼ摘出されたといっていい。だが、組織壊滅に尽力した中央庁の首脳陣は、まだ肩の荷を降ろすことができずにいた。一つの懸念があったからだ。
『バベルの裏庭』という組織は本当に北方のみを縄張りとする犯罪組織だったのかということである。
一応様々な情報を照らし合わせた結果、ほぼ間違いなく『バベルの裏庭』の活動拠点は北方にしかないという裏づけが取れてはいる。しかし、それは組織としての繋がりにおいてだ。個人レベルにおいてはまだ確証が得られていない。中でも一番の懸念事項だったのが、組織最高幹部の一人であるイーアル・カミオだ。上級聖魔族の中でも屈指の名門であるカミオ一族の党首であり、他の聖魔族に対しても絶大な影響力を持つ彼の交友関係だけが完全に把握仕切れてはいなかった。
特に南方方面の情報が皆無であった。それというのも一年近く南方へと向かう街道が封鎖されていたためだ。
今回、彼らが南方への脱出を企てていることを早くから察知していたことから、何とかそれまでに確証を得ておきたかったのであるが、最終的に交易再開の第一陣が出発するまでにそれを間に合わせることはできないと判断。
そこで彼らはカミオ達の南への脱出行をそのまま利用することを考えた。カミオ達が脱出するにあたってどうしても通過しなくてはならない南への玄関口である城砦都市『アルカディア』。そこの中央庁と協力しカミオ達を罠にかけて悪しき交友関係をいぶりだそうと考えたのだ。
結果、作戦は見事に成功。
まんまと南側中央庁首脳陣の演技に騙された彼らは、自分達の交渉術によって大金をせしめることができる判断したのだろう。
嬉々として脱出の準備を進めるために、南側の協力者に連絡をとった。
やはり南方にも彼の交友関係は存在していたのだ。しかし、少しばかり捕縛側の予想は外れることとなった。
協力者は犯罪者だとばかり思っていたのだが、そうではなかったのである。『アルカディア』を中心とする南方諸都市で活動するある政治グループだったのだ。その政治グループは都市内での奴隷売買の一般解禁を公然とマニュフェストに掲げており、議会においても何かと騒動を巻き起こす問題児集団であった。
危険な思想を垂れ流しにしてはいるものの、彼ら自身は奴隷売買という犯罪を犯しているわけでもなく、また有力な上級種族の一族がいくつも後ろ盾となっていることもあって、これまで手出しをすることができず放置の状態にあった。
しかし、自分自身が犯罪者ではなかったとしても、犯罪者に手を貸していたとすれば話は別である。犯罪幇助の罪で摘発することができる。
『アルカディア』の中央庁はすぐさま彼らを逮捕する手続きをとり、捕縛作戦を開始することを北方側に連絡。それに呼応する形で、カミオ達の身柄を拘束することが決定された。
カミオ達の中には荒事になれた兵士崩れの犯罪者達が多くいることから、拘束は都市の外で行われることとなった。
作戦の内容はいたって簡単。一旦、都市からカミオ達を脱出させ、彼らの脱出ルートの先で待ち伏せ。そこで彼らに不意打ちをかけ、一気に決着をつける。
いよいよ北方最大の犯罪組織『バベルの裏庭』に本当の意味での終幕の時が訪れようとしているのであった。
・・・しているのであったがしかし。
そんな重要作戦に赴こうとしている戦士の一団の中にいるというのに、二匹の姉妹狐はとてつもなく場違いな雰囲気をこれでもかというくらいに出しまくっていた。
(もういい加減勘弁してよぉ。今回の作戦は俺達にとって物凄い重要な意味をもっているのに、こんな雰囲気のまま作戦に行ったら他の兄弟姉妹達から絶対怒られる)
心の中で盛大に泣き言を零した『F』は、そのままがっくりと肩を落とす。
そう今回の相手『バベルの裏庭』は、彼らにとって因縁浅からぬ相手である。『F』も、横を歩く巨漢の兄弟も、そして、今狐の姉妹が話題にしている彼らの兄弟連夜も、『バベルの裏庭』に人生を狂わされた被害者である。
『積年の恨み』という言葉すらまだ生ぬるいほどに、彼らは『バベルの裏庭』という犯罪組織を憎んできた。いや、過去形ではない。現在進行形で憎んでいるのだ。恨んでいるのだ。そして、呪っていさえする。
奴らに親を殺された者がいる。兄弟を殺された者がいる。帰る場所そのものを奪われた者もいれば、命すらも奪われた者だっているのだ。
組織はあまりにも多くの犠牲と不幸を生み出すだけ生み出してきた。
それら全てを清算することは、もはやできないほどに彼らはやりすぎてしまったのだ。
今回の作戦に参加している者達のほとんどが、『バベルの裏庭』の被害者達で構成されている。いずれも、どうしても怒りと怨みを抑える事ができず、与えられた悲しみと憎しみを忘れられることが出来なかった者達ばかり。
勿論、その中には『F』や『J』、リビーやクレオ、そして、彼らを纏めている連夜も当然入っている。
(今回でケジメをつけると思って参加している奴は多いだろうね。俺もそうだしさ。これで過去のことに全部じゃなくてもある程度清算することができたら、俺は)
『F』の心の中に一人の少年の姿が思い浮かぶ。
誰に対してもどこか一線を引いて踏み込んで関わるという事ができなかった『F』が、自分から関わりたいと思うたった一人の人物。
外見は少女のようなのに、中身は修羅場を潜り抜けてきた頼もしい好漢そのもの。そんな不思議な少年と出会い、『F』の人生は大きく変わった。
当たり前の幸せを諦め、当たり前の日常を諦め、当たり前に生きることを半ば諦めてしまっていた『F』にとって、世界は灰色だった。
(それが変わった。クリスと一緒にいるとき、俺の人生に色がつく。世界に色がついて見えるんだ)
恍惚とした表情となった『F』は、彼との思い出に浸り自分の世界に入って行こうとする。しかし、現実は厳しい。彼の意識はすぐ隣で繰り広げられている激しくも騒々しい姉妹喧嘩の声で引き戻されてしまうのだった。
「お姉ちゃんはいつもそう。なんで、そんなふざけてばかりなの!?」
「ふざけてなんかいないわ。いつだって私は真面目よ。真面目に人生考えているわ。特に連夜くんとのこれからの生活についてはめちゃくちゃ考えて計画を立てているんだから。婚約はもう終わったから、次は式をあげて、籍を入れて、新婚旅行にはやっぱり東方の城砦都市『刀京』かな。憧れの『刀京ディスティニーランド』で遊んで二泊か三泊して、テレビ局がある『OーDiver』にも行きたいし、『スキップイン』のファッション街や、オタク文化のメッカ『オータムリーフスキップ』にも行きたいし、そうそう子供も作らないと、それからそれから」
「もう! もうもうもうったらもうっ! そんなのいいから! お姉ちゃんの妄想話は聞きたくないから。そもそもそれどころじゃないって、さっきから何度も言ってるでしょ。連夜さんの一大事なんだよ。お姉ちゃんが自分の頭の中で何をどう夢見ようと勝手だけど、このままだとそれ全部本当に夢で終わっちゃうんだよ」
「え? なんでなんで? どうして、夢で終わっちゃうの?」
「お姉ちゃん、やっぱり私の話を聞いてないぢゃん! 連夜さん、死んじゃうからでしょ! 連夜さん死んじゃったら、お姉ちゃんの立てているそんな計画なんの意味もなくなっちゃうでしょうが!」
「何言ってるのよ、晴美ったら。連夜くんは死なないわ」
「なんで!?」
「私が守るも・・・」
「その台詞はダメぇっ! なんだかわからないけど、その台詞は言っちゃらめぇ!」
やっぱりカオスだった。
見たくない現実がそこに広がっていた。
『F』は絶望した。
「絶望も何も、おまえさっきから何もしとらんだろうが。現実逃避ならしとるみたいだが」
「心の声にツッコミ入れるのやめてくれないかな! あと、ツッコミ入れる余裕があるなら手伝ってよ!」
「だが断る!」
「ひどい!」
結構本気で横を歩く兄弟に再度助けを求めるが、またしても断られてしまい『F』テンションは益々ダダ下がり状態。
しかし、本当にこのままにしておくわけにはいかない。このまま二人を放置しておけば、間違いなく上役の誰かが注意にやってくるだろう。そして、最悪の場合、騒ぎを起こしている二人と共に『F』自身も作戦から外されてしまうかもしれない。
それだけは嫌だ。なんとしてもこの作戦には参加し、組織の本当の意味での最期を見届けなくてはならない。
そうしなければ『F』はいつまでたっても過去を引きずり、再スタートを切ることができなくなってしまうだろう。だが、どうやってこの二人を止めればいいというのか。人付き合いが物凄く苦手で、これまでそういったことを避けに避けまくってきた『F』にとって、このミッションはあまりにも難易度が高すぎた。
迷いに迷い、悩みに悩んだが絶対的に対人スキルが不足している『F』にいい案などでるはずもなかった。
「ど、どうしよう。ほんとにどうしよう」
西へと続く街道のすぐ横にある森の中、姉妹の激しい口喧嘩がいつ果てるともなく続いていく。これから行われる作戦では相手は『F』達が現在潜伏しようとしている森の中へと入ってくることはまずないと考えられている。また、相手は『馬車』に乗っての移動なので、森の中から聞こえてくる人の声など車輪が大地を踏みしめる音にかき消されて中にいるターゲット達に気づかれることも考えられない。最近封鎖が解けた北へと続く街道ではなく、今までずっと安全に使われていた西へと続く街道を通るとあって、偵察隊をわざわざ派遣することも考えられない。
以上のことから、ここでどれだけ二人が騒いでも作戦上における不具合はないと判断できるだろう。
しかし、話している内容がまずい。
「連夜さんがこのままじゃ死んじゃう!」
「連夜くんは死なないわよ、私が守ってるから!」
「そういう問題じゃない!」
「どういう問題よ?」
全くかみ合わない内容で、普通なら誰も関心を寄せたりはしないだろう。しかし、『連夜』という名詞に『死』などという単語が付随するとなると話は別だ。
彼は作戦を実行する上での指揮官ではない。だが、この作戦に関わっているほぼ全ての戦士達にとって『特別』な存在であることに間違いはないのだ。
そんな彼の話題で、しかもとてつもなく不吉極まりない内容とあっては、聞いている者達のテンションに多大な影響を及ぼしかねない。
ともかく『F』は焦りながらも何とかしようと考え続けた。考え続けた結果。
「やっぱ、俺にできることなんて何もないよね。てへぺろ」
「『てへぺろ』じゃないでしょ、このダメ兄弟!」
「ぎゃんっ!」
容赦ない一撃を後頭部に喰らった『F』は、生い茂る雑草の中へと轟沈。
見事な不意打ちで麗人を沈めた人物は、『F』がぴくぴくと痙攣しながらすぐに動けない状態であることを確認。
その後、鼻を一つならして目を回している兄弟を見下ろした後、玉藻に勝るとも劣らぬ大きな胸をゆさゆさと揺らしながら喧嘩を続ける姉妹の下へとやってきた。
「あなた達、何やってるをやっているのですか。もうすぐ目的地に到着しますよ」
「聞いてくださいクレオさん。連夜さんがもうすぐ死ぬって言ってるのに、お姉ちゃんたら全然私の話を聞いてくれないんですよ」
「聞いて頂戴よクレオ。連夜くんなら心配いらないっていってるのに、晴美ったら全然私の話を信じてくれないのよ」
「あなたたちね・・・」
成人と子供の違いはあるがとてもよく似た二つの声をかけられた人頭獅子胴族の美女クレオパトラは、困惑しきった顔を隠そうともせずに二人を見る。そこにあるのは『私の主張こそ正しい』と言わんばかりの表情。その顔は二人ともそっくりで、血の繋がりのある姉妹なのだなぁ、変なところで感心してしまうのだった。
しかし、すぐにクレオは自分の目的を思い出す。彼女は騒ぎを鎮めにここに来たのだ。
ため息を大きく一つ吐き出した後、彼女はもう一人の兄弟へと視線を向ける。
「『J』、あなたが側にいながらどうしてこんなことになってるのですか。お願いだから騒ぎを大きくしないでくださいな」
「元はと言えば、そこに転がってる『馬鹿たれ』が引き起こしたことだ」
クレオの責めるような口調に対し、大猿は心外だといわんばかりの表情で抗議の声をあげる。
「この『馬鹿たれ』は何をしたんですの?」
「晴美がな、さっきの脱走兵どもから『精神進化促進剤』の副作用について聞いてしまったようなのだ」
「ああ、それでさっきから晴美ちゃんが『連夜さんが死んじゃう』って連呼してるのですね。なるほど。それについてはわかりました。けれど、『馬鹿たれ』とそれとはどう繋がってくるのでしょう?」
「晴美の不安を取り除いてやろうとしたようなんだがな、中途半端な説明しかしないものだから晴美が余計に不安がってしまってな」
「え? 中途半端な説明ってどういうことですの? 『Z-Air』システムの説明をしたんじゃないですの?」
「いや、それがな。連夜が『勇者』として目覚め、その力で俺達を救ってくれたところまでしか説明できていないのだ。つまり、一番肝心な『Z-Air』のことは説明できていないのさ」
「ああ、つまり懇切丁寧に最初から馬鹿正直に説明しちゃったわけですね。ほんとこの『馬鹿たれ』らしい失策ですわ」
大猿から事情を聞きだしたクレオは、あきれ果てたといわんばかりの表情をもう一人の兄弟へと向ける。
「なんだよなんだよ。最初から説明しなきゃわからないじゃんか! 最初からの何が悪いんだよ」
「晴美ちゃんは薬の副作用によるボスの寿命を心配しているのですよ。すぐに寿命が来て死んじゃうんじゃないかって。その不安を取り除くことが最優先なのだとしたら、それよりもまず、寿命が来ても大丈夫な理由を先に言ってあげればよかったのです。その後で詳しい説明をしてあげればよかったのに、ほんとあなたって人は対人スキルがとことん残念ですのね」
「えー、いきなり『Z-Air』の説明は難しすぎるよ。物凄いややこしいシステムなのに」
「システムの内容まで詳しく説明する必要なんてないでしょ。ほんと馬鹿なんですから」
「まあ、『F』だからな」
「『F』だから仕方ないですか。って、あなたもですよ、『J』。この『馬鹿たれ』にまともな説明なんてできっこないってわかってるんですから、フォローしてあげてくださいな」
「それなんだがな、クレオ。俺がフォローするのが当たり前になっている今の現状はよくないと思うのだ。このままだといつまでたっても『F』の対人スキルは向上せんと思わないか。ここは心を鬼にしてでも、突き放すべきと思うがな」
「そういわれたら返す言葉がないのですけどね。ほんと、『F』はダメですねぇ」
「ダメダメのダメダメだ」
「「あ~あ」」
「ちょ、二人してしみじみ言わないでくれる!? 本気でへこむから!」
がっかり感をこれでもかと出しながら大きなため息を吐き出す二人に対し、ようやく先程のダメージから回復したばかりの『F』が涙目で食って掛かる。
しかし、周囲にいる他の戦士達の中から『F』を擁護しようと発言してくる者はおらず、それどころか『もっと反省すべきだ』とか、『空気を読め』とか、『弟妹の世話をさぼるな』とか聞こえてくる声はどれもこれもさんざんなものばかり。
人になんと言われようと普段は気にもしていない麗人であるが、これだけ身内から非難されると堪えるようで、すっかりいじけてしまったのだった。
「どうせどうせ。俺なんて空気読めないですよ。戦い以外には役に立たないお荷物ですよ。ええ、ええ、そうですとも。それが何か問題でも」
「まったくもう。すぐにいじけるんですから」
「ほうっておけ。それよりもクレオ。晴美に『Z-Air』のことについて説明してやってくれないか。俺が説明してもよいのだが、連夜の側近であるおまえからのほうがより説得力があるだろ」
わざと大きな声を出してみせた大猿は、自分の肩に乗っている小さな少女を指差して見せる。
先程の三人の話を聞いていた晴美は、自分が求めている答えがどこにあるかを知り、姉との喧嘩をやめてずっと待っていたのだった。
そんな晴美の姿を見たクレオは慈母の微笑みを浮かべて彼女を見つめる。
「あなたの聞きたいことはわかっていましてよ、晴美さん」
「さ、流石はクレオさん」
同じ獣人系の種族同士である為か、クレオの笑みが晴美には一層輝いて美しく、そして頼もしく見えた。
これなら期待できる。そう晴美が思っても仕方ないくらい『ほほ笑み』だけは完璧だった。
「私の聖珠について聞きたいと、そういうことですわね。わかります。私の聖珠は『日貴聖』でしてよ」
「そうそう。それとその聖珠についての武勇譚を・・・って、この人も『ポンコツ』だったわぁっ!」
晴美の期待を大幅に裏切り、クレオは『ほほ笑み』以外が全然残念だった。ある意味期待通りのクレオのボケ、そして晴美のツッコミリアクション。
「うむ、見事なボケツッコミ。これなら二人とも『通転核』で十分やっていけそうだな」
「いきませんから! ってか、いってどうするんですか!? 新人漫才コンビデビューですか!? お願いですから『J』さんまでそっちにいかないでくださいよ。ただでさえ収集つかなくなってるんですから!」
「すまんすまん。おい、クレオ。そろそろ本当に本題を頼む」
「仕方ありませんわね。もっと心に余裕を持たないといけませんわよ」
「いや、仕方ないことないし! これだけシリアスな話してるのに、ギャグぶっこむ神経のほうがどうかしてるし! 人一人の命がかかってるのに心に余裕あったら、それはそれで怖いし!」
「だからさっきから何度も言ってるぢゃない。連夜くんは死なないわ。だって私が守・・・」
「その台詞はいっちゃらめぇっ! ってか、お姉ちゃん、隙あらば言っちゃいけない台詞ぶっこもうとするのやめてちょうだい!」
「もうタマちゃんったら、もうちょっと真面目に話を進めてくださいよ」
「クレオさん、人のこと言えないから! ってか、みんな好き勝手にボケないで! もうツッコミきれないから! 私一人でツッコミ続けるの限界だから!」
話をちっとも前に進めようとしない年上連中に晴美の怒りが爆発。
『ウキーッ』とヒステリックな声をあげて晴美が怒りに怒りまくり、結構な時間大猿の肩の上で暴れ倒す。
その後、晴美を含むその場にいる者達全員が冷静さを取り戻し、シリアスな話を進められる雰囲気になったのはそれからたっぷり十分以上もかかってからであった。
とりあえず、わめくだけわめいてすっきりした晴美であったが、その分、冷えた頭のおかげで事態の深刻さがよくわかってしまい余計に心労は増してしまった。
「あ、あのクレオさん。連夜さんは大丈夫なんですか?」
晴美の顔は今にも崩れて泣き顔になりそうになっていた。
流石のクレオも空気を読んでそれ以上ボケようとはせず、真面目な表情で彼女の瞳をまっすぐに見返した。
「大丈夫ですわ。確かにボスは私たちを助ける為に『勇者』の力を全て使ってくれました。その所為で命を危険に晒す事になったことも事実です。でもね、今は大丈夫ですのよ。何故なら、今の私達には『Z-Air』システムという希望があるのですから」
「さっきから皆さんの会話の中に何度も出てきてますけど、その『Z-Air』システムって結局何なんですか?」
「私達の親代わりだった老人奴隷の方々が、ボスの命を救うために組織に内緒で作り出した万能型の特殊義肢。それが『ZーAir』なのです」
「特殊義肢? あの手足が欠損した人が失った部分の代わりに使っているあれですか?」
「普通は失った部分だけを使います。ですがボスの場合は寿命そのものが尽きて命と体を失うというかなりヘビーな内容です。その為かなり特殊な形状をしているのです。ともかく、もし仮に今日寿命が尽きたとしてもその『Z-Air』がある限りは大丈夫。ボスの命は保障されていますわ」
自信満々に断言するクレオを見て、少し心が軽くなったように感じた晴美であったが、それでも完全に安心できたといえる状態にはならなかった。
どうしても不安を拭い去る事ができないのだ。晴美は自分でもしつこいと思いつつも再度、念押しの確認をしようと口を開く。
「その、『ZーAir』っていう義肢さえあれば、大丈夫なんですよね」
「不安なのですね。わかります。私も何度も通った道です」
再びクレオは晴美の視線を真っ向から受け止める。
晴美が抱く不安はよくわかる。クレオとて同じ思いを何度も抱いたのだから。
薬の副作用で遠くない将来、自分の命が失われるとわかったとき、本当に怖かった。現在の医療術式の中にこの副作用を治す事ができる術は存在していない。助かる術はない。死ぬしかない。
しかし、絶望の中にある彼女に突如希望が姿を現す。彼女の血の繋がらない弟が自分なら彼女を救えると言ったのだ。彼女だけではない。同じ境遇の他の兄弟姉妹達、総勢百八人、全て助けると彼は断言した。
嬉しかった。彼に勇者の力を分けられて、自分の中に確かな命の炎を再確認したときは更に嬉しかった。他の兄弟姉妹達も皆、助かったとわかったときは更に更に嬉しかった。
しかし、嬉しさはそこまでだった。
自分達の命が助かった代わりに、かけがえのない一人の弟が犠牲になることがわかったからだ。
他ならぬ連夜その人であった。
その場にいた奴隷の子供達、血の繋がらぬ兄弟姉妹達全員の命を助ける為に、彼は自分の命を確保する為の力さえ使ってしまったのだった。
それを聞いた兄弟姉妹達全員がしばらく口を開くことができなかった。まさか、己の命さえ犠牲にしてまでとは思わなかったのだ。
天国から地獄。確かに自分の命が助かって嬉しかった。だが、可愛がっていた弟の命を犠牲にしてまで助かりたかったわけじゃない。しかし、既に賽は投げられてしまっている。覆水は盆に返らず。連夜の命を救うはずだった勇者の力は既に彼の体には残っていない。
自分達がもらった力を連夜に返そうと言い出す者もいた。確かにそれができれば連夜の命をつなぎとめることができるだろう。兄弟姉妹達はみな連夜のことが大好きだった。クレオもそうだ。だから自分の力を使うようにと、自分の命を諦めるかわりにあの愛すべき弟を助けようとした。
だが、それは不可能だった。
連夜は言った。一度放出してしまった力は二度と元の体には戻らないと。それでも試してみなくてはわからないと、実行しようとした者もいた。しかし、それすらもできなかった。
百八に分散した力は、それぞれの宿主にあっというまに定着し、取り出すことすら不可能になっていたのだ。
クレオ達は最早自分たちの力ではどうにもできないと判断した。しかし、諦めたわけではない。彼らは助けを求めることにした。
連夜の師であり、親代わりでもある老人奴隷達だ。彼らはクレオ達の頼みを聞き、すぐに動き出した。
組織にすら秘匿し続けたそれぞれの種族が持つ秘術や禁術。それらを惜しみなく放出し、力と知恵と技術を総結集して彼らはついにやり遂げた。
連夜の中にわずかに残っていた『力』ともいえぬほどに弱い力。しかし、世界の真理そのものである『勇者の力』の残照を動力源とする超生命維持装置。老人達はこれを『義肢』だといっていた。失った手足の代わりにつける血の通わぬ人工の手足。あれと同じものだと。
「近い将来間違いなくボスの体は崩壊することになります。それを食い止める為に老師達が作ったのが、心臓の形をした生命維持装置。『Z-Air ゼロ』です」
「ゼッター・・・ゼロ。それがあれば連夜さんは・・・」
「薬の副作用による体の崩壊を防ぐ事が可能です。と、いうか、既に使っていると思いますが」
「そうだったんですね!」
晴美の顔にようやく安堵の表情が浮かび上がる。
本当に心から心配していたのであろう。笑みを浮かべながらも先程までの不安によってあふれそうになっていた涙が瞳の中に残って光っていた。クレオと『J』はそんな少女の様子を見て顔を見合わせる。
「晴美は本当に連夜のことが好きなのだな」
「あ、あの、連夜さんは私の命の恩人ですし、師匠でもありますし、天涯孤独の私にとってたった一人の家族でもありますし」
「え、ちょ、は、晴美? わ、私がいるんだけど。血の繋がった姉なんだけど!」
「泣ける話ですわね」
「クレオ、なんで泣いてるの!? 家族っていうなら私がいるってば! ねぇ、ちょっとあなたたち私の話を聞いてる?」
「諦めろよ狐。所詮、おまえポンコツだし」
「よしその喧嘩買った。全身の毛をむしって金色のコートにしてやるわ、この腐れ雷獣」
一部今まで以上に空気が荒れているところがあったが、それ以外は平穏を取り戻そうとしていた。狐の少女。彼女を肩に乗せた大猿。そして、美しい獅子の女性の三人は、喧嘩をおっぱじめたどうしようもない二人を置いて、いそいそと本隊へと戻っていく。
「随分賑やかにしていたけど、何かあったの? っていうか、玉藻さんと『F』はいったい何をしているわけ?」
三人を待っていたのは、今まで彼らが話題していた連夜その人。本隊から少し離れたところで壮絶な喧嘩を始めている霊狐と雷獣の二匹の姿に眉を潜めて一瞬見た後、再び彼らに視線を戻す。
「なんでもないです。なんでもなかったからよかったというか」
「何それ? そもそもあの二人の様子を見るとなんでもないって感じじゃないんだけど」
「ちょっと我々の過去のことや、ゼッターについて晴美ちゃんに説明していただけですわ」
「そうそう、連夜さん専用の『Z-Air タイプゼロ』についてクレオさん達に聞いていたんです!」
「タイプゼロ? ああ、あれか」
嬉しそうな表情を隠そうともせずに今教えてもらったばかりのことを口にする晴美。しかし、その単語を聞いた連夜の顔に浮かんだのは疲れたような苦笑。
晴美はそのことに直ぐに気がついた。そして、胸にわきあがる嫌な予感。晴美はそれを払拭するかのように直ぐ横に立つクレオへと向ける。今、晴美の中に湧き上がっている不安を正確に理解したクレオは、晴美の瞳をまっすぐに見返して力強く頷いてみせる。
大丈夫、何も心配はいらないと。
晴美はそのクレオの笑みを見て再び安堵の息を小さく吐き出し、連夜のほうへと向き直った。
「『Z-Airタイプゼロ。それがあれば連夜さんは大丈夫なんですよね?」
今度こそ完全なる安心を手に入れるための確認の言葉。
その晴美の言葉に対し、連夜はあっさりとその答えを返す。
晴美どころか、その兄弟姉妹達ですら予想していなかった答えを。
「大丈夫じゃないよ。あれ、失敗作だもん」
「なぁんだ、そっか。失敗作ならだいじょう・・・え?」
「「・・・え?」」
『・・・えっ!?』
空気が固まった。
連夜の答えを聞いた瞬間、晴美の中の時間が止まった。
いや晴美だけではない。彼女を肩に乗せている気のいい大猿も、美しい獅子の女性も、そして、周囲を固めている仲間の戦士達もまた動きを止めて硬直する。
彼らだけを見れば本当に時間が止まってしまったのではないかと錯覚してしまいそうになる。そんな光景であった。
しかし、実際に時間は止まってはいない。少し離れたところでは二匹の獣達が動きを止めることなく凄まじい喧嘩の真っ最中。
そして、彼らを硬直させた人物もまた止まってはいなかった。
「そうそう、タイプゼロだけは失敗作でね。他のゼッターはどれも優秀なんだけど、あれだけはどうやっても使い物にならなかったなぁ。って、どうしたのさ、晴美ちゃんもJもクレオさんも。みんな顔色悪いけど、何かあったの?」
悪気の一欠けらもなく苦笑交じりに淡々と説明を続けようとした連夜であったが、流石に周囲の様子がおかしいことに気がついた。
戦場になれていない晴美ばかりでなく、修羅場にはなれているはずのJやクレオまでもが固まってしまっている。それに良く見ると周囲にいる戦士達もまた、こちらを見たままの状態で固まってしまっていた。誰も彼もが皆、一様に口をあんぐりとあけ、信じられないことを聞いたといわんばかりの表情だ。
益々困惑を深める連夜であったが、そんな彼に更なる質問を口にする者がいた。晴美である。
「れ、れれれ連夜さん、し、失敗作ってどどどどどういうことなんですか!?」
「晴美ちゃん、どうでもいいけど、質問がカミカミなんだけど。晴美ちゃんってそんなに滑舌悪かったっけ?」
「わ、私の滑舌はどうでもいいんですよ! そそそそれよりも質問の答えを!」
「いや、だからぁ、失敗作は失敗作なんだよね。じいちゃん達が僕の為に作ってくれたZ-Airシリーズの記念すべき第一号だったんだけどさ」
「ですよね。様々な道を究めた老師のみなさんが技術、知識の粋を集めて作り出したって聞きましたよ!?」
「うん。確かに凄いスーパーアイテムではあった。崩壊しつつあった僕の体細胞を完全に修復する力がタイプゼロにはあったんだから。どこから持ってきたのか知らないけど、『世界の意思』を固めてできた奇跡の宝珠『賢者の石』を中心核に据えて作り出したものだから、命を維持するどころか使用者を無敵の『勇者』に変身させるほどの驚異的なパワーを誇っていてね。じいちゃん達も最初は成功したって大喜びしたみたい」
「すごいじゃないですか! 人工的に勇者を作り出すなんて、まさに歴史的快挙ですよ!」
「いやそれがね。確かにそれだけの力はあったんだけど致命的な欠点があることが後から発覚したんだよね」
「ち、致命的な欠点?」
「使用すると確かに無敵にはなるんだけど、最終的に暴走して『害獣』になっちゃうんだよね、あはは。いや、まいったまいった」
『え? え! えええええええぇっ!?」
見事なまでの大合唱。
悲鳴をあげたのは晴美やJ達ばかりではない。連夜の護衛として側についている半人半蛇族の女性戦士リビュエーや、作戦に参加する為に隠れ里からやってきた葛柳衆の武人達。作戦の見届人としての役割を持つ防衛省長官オイギンスの直属の部下達に、北方諸都市から助っ人として派遣されてきた凄腕の戦士達。他にも多数存在している連夜の知り合い達が、彼が口からでたとんでもない爆弾発言に聞いて思わず絶叫を放ってしまったのだった。
「ちょ、ちょっと待て連夜、ゼッターが使い物にならないって本当なのか!?」
「ゼッター全部じゃないよ。僕専用に作られたタイプゼロだけが使い物にならないだけで、他は大丈夫だから安心して」
「一番安心できんわ!」
「ぼ、ぼぼぼぼボス! それ、いつもの性質の悪い冗談よね? みんなが驚いたあと『実はウッソー』って言うつもりなのよね?」
「実は本当です」
「ダメじゃん! 本当だったらダメじゃない! 何嬉しそうに言ってるのよ、ボスのばかっ!」
「ボス、念のためにもう一度確認しますが、本当にタイプゼロは使い物にならないのですか? 我々はそんな話一度も聞いていないのですが」
「本当に使い物にはならないですよ。じいちゃん達は諦めきれずにいろいろと試行錯誤を繰り返したみたいですけどね。結局ダメでした。やはり『賢者の石』を使っていることがネックになっているみたいで、どうやっても『世界の意思』を防ぐことができないんですよ。試験的に小動物に取り付けてみたんですけど、どんな対策を施してもすぐに『害獣』化しました。其の度に兄さんに退治してもらわないといけなくて、ほんと大変でしたよ。そうそう、クレオさん達が聞いてない件ですが、それは当たり前です。僕が誰にも言ってませんし、じいちゃん達にも口止めして誰にも言わないようにしてもらいましたから」
「な、なんてことをするんですかぁっ!」
堪らず絶叫をあげるクレオ。いや、クレオばかりではない、晴美やJ、リビュエー、他にも連夜と親交を持つ者達が悲鳴をあげたり頭を抱えたり、怒りをあらわにしたりともう大混乱である。
「さ、作戦を中止して医療団の派遣を・・・」
「いや、ゴーレムを使った移植手術のほうが・・・」
「呪術か霊能力に詳しいもの達の力を借りて・・・」
「彼が栽培している希少種の薬草や霊草はどうなる!? 彼がいなくなったあと続けて栽培していくことはできるのか!?」
「薬草のことより連夜の命だろうが、くだらないこと心配してるのはどこのどいつだ!」
「くだらないとはなんだ! 難病を治す薬を作る上で欠かす事ができない品物なんだぞ!」
「薬草や霊草も気になるが、彼が作る『意思ある武具』の供給やメンテナンスが・・・」
「武器や防具なら他にもあるでしょうが! ともかく連夜の命をなんとか繋ぎとめる方法を・・・」
さっきまでの整然としていた様子が嘘のような混乱振りである。これから秘密作戦を行わなくてはならないのだが、誰もが口を閉じようとはしない。隣にいるものと、あるいは仲間内で、またあるいは隊長クラスが集まって、喧々諤々と白熱した議論を交わし続ける。
その内容は多少の差異はあるものの、どれもこれもほぼ同じであった。
「どうして言ってくれなかったのですか!? 生命維持に必要なタイプゼロが使い物にならないなんて重大なことを今になって打ち明けられても」
「最後まで打ち明けるつもりはありませんでしたよ。誰にも見つからないところで静かに生を終えるつもりでいましたしね」
「生を終えるって、そんな!」
まるで人ごとのように自分の終末を語る連夜を、クレオは愕然とした表情で見つめ絶句する。しかし、同じような表情を浮かべながらも、口を開くことができた者もいた。
晴美である。
「生きる努力をしてください! 誰にも見つからないところで生を終えるだななんて連夜さんらしくありません! 生きている限り奴隷商人達を根絶やしにする。そう言っていたじゃありませんか!? その意思はどうなるんですか!?」
「僕の意思は死なないよ。だって、僕の、いや、幼くして無理矢理両親から引き離され奴隷にされた子供達の怒りと悲しみ、そして、憎しみと深い怨みは、百八人の『聖者』に引き継がれる。彼らの手で呪いは続く。例え今、この場で僕が死んだとしても、奴隷商人とそれに関わる犯罪者達は決してその呪いから逃れることはできない」
「なんでそんな人ごとのように言うんですか!? 私は、いや、私も、JさんもFさんも、クレオさんもリビーさんも、姫子さんやお付の方々も、Kさんもクリスさんも、みんなが連夜さんに生きてほしいって思ってるんです。なのに、そんな」
悲しみを堪えきれなくなった晴美の瞳から涙が溢れ出る。あまりにも早すぎる別れ。近い将来に訪れるそれを予想するだけで晴美の小さな胸は張り裂けそうになるほど痛むのだった。
晴美だけではない。クレオやリビー、そしてJや周囲を警戒している戦士達もまた涙を流していた。
が、しかし、全く空気が読めていない人達が数名この場に存在していた。
「ちょ、みんな、なんで号泣してるの!? 何なのこの状況!? 誰かの呪術テロ!?」
「あ、玉藻さん、お帰りなさい。もうFとはいいんですか?」
「終わったわよ。私の完全勝利で。見てよ、あの土下座っぷり」
そう言って玉藻が指差す先には、地面に土下座したまま動かない雷獣の麗人の姿。
「うわー、あの姿で失神ですか?」
「鳩尾に爪先蹴りを入れてやったわよ。私に喧嘩を売るなんて十年早いっての。ところでほんと、どうしちゃったのよ、この人達。なんで泣いてるの? 晴美は泣き虫だからわかるけど、クレオやリビーってこんな泣き上戸だったっけ?」
「泣きたくて泣いているわけじゃありません!」
「そうよ! いくら私が泣き虫だからって、意味もなく泣いたりしないもん!」
「じゃあ、なんであんた達号泣しているわけ?」
「ボスが」
「連夜さんが」
「「もうすぐ死んじゃうからよ!」」
真剣な表情で放たれた二人の絶叫。その内容を聞いた玉藻は流石に顔色を変えて自分の恋人へ、視線を向ける。
「連夜くん、死ぬの? 死んじゃうの?」
「死ぬと思います?」
「いや、全然思わない」
「ですよねー」
一瞬だけ悲しみの色をにじませた表情を浮かべた玉藻であったが、恋人の返事を聞いてすぐにその辛気臭い色を表情から消しさる。
そして、後ろから恋人の小さな体を思い切り抱きしめてその顔に頬擦りする。しかし、そこにはおちゃらけた雰囲気はない。穏やかではあるが、慈愛に満ちた瞳が腕の中の恋人を真っ直ぐに見つめていた。
「私がいる限り、何があっても連夜くんを死なせはしないわ」
玉藻の口から紡がれるのは固い決意と覚悟に満ちた声。
しかし、連夜はその決意と覚悟が、ただの言葉だけではないことをよく知っていた。
その決意と覚悟は既に形となり、連夜の中に存在しているのだから。
連夜は苦笑を浮かべて玉藻を見つめ返した後、晴美達の方へと視線を向ける。
「晴美ちゃん、クレオさん、そして、他のみんなもよく聞いてほしい。ゼッターによる延命は確かにできない。でも、大丈夫なんだ。何故なら、玉藻さんが施してくれた秘術のおかげで、僕はまだしばらく生き続けることができるのだから」
『・・・えっ!?』
再びの絶句。連夜の言葉を聞いていた一同は、唖然として言葉を失う。
そんな彼らの様子を苦笑したまま見つめていた連夜は、そのまま説明を続ける。
「霊狐族に伝わる秘術の一つに、『呪いにして祝いなるもの』というものがある。夫婦となるものの魂を直結して、隠し事ができないようにする術で、所謂『浮気防止』の為に作られた術なんだけど、この術の効力はそれだけじゃないんだ。魂を直結することでお互いの記憶や表層意識を覗き見することができるようになるだけじゃなく、互いが持つ様々な能力を使えるようになったり、技術や知識を共有できるようになったりする。いや、能力だけじゃない。命そのものも共有できるようになるんだ」
『い、命そのものを共有!?』
「そそ。だから、秘術をかけられた僕と玉藻さんは命を分け合って存在しているんだ。っていうか、ぶっちゃけていうけど、今、僕が存在していられるのは玉藻さんの命と寿命のおかげなんだよね。僕の寿命、つい最近尽きたから」
『えええええっ!』
「晴美は知ってると思うけど霊狐族の平均寿命は三百年。まあ、私の寿命が実際どれだけあるかわからないけれど、平均くらいはあるとするなら、二人で百五十年くらいは生きられる計算ね」
「知らなかった。それでも人間族の平均寿命の倍以上ありますね」
「そうよぉ。その間、思い切り二人でいちゃいちゃしながら生きていくのよぉ」
「いいですね、それ。とても楽しそうな人生だ」
どこまでも朗らかな様子で立て続けに爆弾発言を続ける連夜と玉藻。
南の森の中で激震は続いていった。
『バベルの裏庭』完全掃討作戦開始まであとわずかと迫った、早朝の出来事であった。