第六十四話 『勇者の誕生と消滅』
まず最初に大いなる意思があった。
『目覚めよ。我が息子よ。異界の力に染まらぬ者達の守護者よ。『勇者』と呼ばれる者よ』
この世界に生れ落ちてわずか三年足らずにして、彼は『勇者』として覚醒した。
『勇者』とはこの世界に生きる全『人』類の頂点に立つ最強の生物。異界の力を持つ者全ての敵であり、それら悉く全てを殲滅する使命を帯びて生まれて来る者。
彼もまた例外ではなかった。
覚醒してすぐ、彼はその強大な力を用いて周囲にいた全ての者を殺し消し去った。部屋の中にいたのは十数人の研究者と彼らを護衛する為に組織から派遣されてきた数人の屈強な犯罪者達。
普通に考えて一般人の大人一人でも三歳児の手には余る。だが、彼は普通ではなかった。人類を越えた者である『超越者』の中でも、飛びぬけて力を持つ存在である『勇者』なのだから。しかも、覚醒前にある薬を投与されていた彼は、既に三歳児の思考能力ではなくなっていたのだ。
薬の作用により、成人にまで急激に成長していた精神と大学生以上の知識を持つにいたった彼は、最も効率的な殲滅方法を瞬時に弾き出す。
そして、わずか一分足らず。
部屋の中から彼以外の生者は存在しなくなっていた。
全身血まみれの子供は、そのことを確認すると今度は部屋の外へと意識を向ける。そこにたくさんの異界の力を感じた彼は、『世界』の意思に従いそれらを全て殲滅すべく部屋の外へと歩みを進めようとした。
だが、結局、その後に続くはずであった無限の殺戮行は永遠に中断されることとなった。
薬による急激な精神の成長。脳へ向けて直接施された膨大な知識や情報の書き込み。そして、子供にはきつすぎる大人との戦闘。
いくら人外の生命体たる『勇者』といえども、つい先程まで一般的な三歳児でしかなかった彼の体にはそれはあまりにも厳しすぎたのだ。それらに耐え切る事ができなかった彼の意識は強制的に終了させられることとなった。
死んだわけではない。だが、すぐに意識が戻る事もなった。
この後、手術室からいつまでたっても人が出てこないことを不審に思った警備兵達が部屋の中に踏み込み、中の惨劇を発見することとなる。
このことはすぐさま犯罪組織のトップ達へと報告された。日常的に毎日なんらかの荒事が発生しており、そのことにすっかり慣れてしまっている彼らではあったが、流石に事態が異常すぎることを不審に思い特別チームを現地へと派遣する。
特別チームに編成された面々はいずれも元は犯罪者を追う立場だったものばかり。すぐにでも事件は解決するものと思われた。
だが、真相についてはついに解明される事はなかった。
まさか、三歳児に大の大人二十名余りが全滅させられるとは誰も考えつかなったのだ。
この後、事件は手術に起きた原因不明の事故として処理され永遠に闇へと葬り去られることとなる。
さて、この事件の真犯人である彼であるが、勿論、そのまま死んだりはしなかった。
意識を失った状態で発見された後、すぐに意識が戻らなかったことから失敗作の烙印を押され廃棄予定となっている老人奴隷達のところへと放り込まれることとなった。
一番厳しいところで使い潰されて廃棄されてしまうという過酷な運命が待つ老人奴隷達であったが、不思議とこの目覚めない子供奴隷を気に入り何くれとなく面倒を見た。
そして、意識が戻らぬまま半年という時間が過ぎ去った、ある日のこと。
その日はある老人奴隷が廃棄される予定の日。
彼は老人奴隷達の中でも特に目覚めぬ子供奴隷をかわいがって世話をしていた者だったが、坑道の中での作業中に運悪く落盤事故にあい足が動かなくなってしまった。
彼の主人である犯罪者達は、すぐにこの老人を切り捨てることを決定した。役に立たない奴隷に用はないのである。屈強な衛兵達に運ばれて、危険な原生生物が跳梁跋扈する森の中へと捨てられる。
まさにそれが実行されようとしたそのときであった。
子供奴隷が目を覚ました。
彼は飛び跳ねるようにして瞬時に起き上がると、衛兵達の前へと現れ何かの術を彼らへとかける。そして、老人奴隷を連れて行かないでくれと懇願した。
周囲でそれを見ていた老人達は、子供奴隷が衛兵達に殴られるかもしれないと、咄嗟に彼をかばうべく飛び出して行こうとした。
だが、それらは杞憂であった。
目から一切の光が消えうせた衛兵達は、老人奴隷を森の中に連れて行くことを中止すると言い出したのだ。
それどころか足を悪くした老人奴隷を治せる医者を連れてくるとまで言い出した。
驚く老人達。そして、子供とは思えぬ邪悪な笑みを浮かべて笑う一人の子供の姿。
『勇者』の超絶能力の一つ、『絶対魅了』であった。
懇願すれば誰もが願いを叶え様とせずにはいられない究極の魅了能力。余程の精神力がなければこれを跳ね除けることは敵わず、心の弱い者であれば『死ね』と言われれば自ら命を絶ってしまうという恐ろしい能力である。
たかが犯罪者にこの能力を跳ね除けることは不可能。
老人奴隷の廃棄指令は無事破棄され、しかもきちんと治療された足は元通りに動けるようにまでなった。
子供奴隷は寝ている間も意識があったのである。だからこそ、自分を何くれとなく世話してくれていた老人達のことを知っていたのだった。
そして、一番自分をかわいがってくれていた老人の危機を知り、彼を助ける為に力を振り絞って自力で意識を取り戻したのだ。
彼は足の悪い老人を救った後、他の老人達も集めてこれからは自分が老人達を守ると言った。まず手始めに施設にいる者達全てを洗脳し自分の配下とする。その後、彼らを使って他の施設へと進行しそこを殲滅。洗脳した兵士達が死ねば、進行先の敵兵を洗脳して補充すれば無限に進行を続けることができ、やがて自分達に逆らうものはいなくなるであろうと。
そうすれば誰も老人達を害そうとはしなくなる。異界の力を持つ者達も殲滅できる。素晴らしい考えだと。
得意気に説明を続ける子供奴隷に待っていたのは、自分が助けた老人奴隷の大きな拳骨であった。
子供奴隷はどうして自分が殴られたのかわからなかった。しかし、老人奴隷がとても怒り、とても悲しんでいることだけはわかった。
老人達からは異界の力を感じない。それはそうだ。老い先短い彼らの体からは異界の力はほぼ抜けてしまっているのだから。つまり彼らは『勇者』である子供奴隷の敵ではない。なのに、どうして自分は殴られたのであろう。
涙目になりながら困惑する子供奴隷に老人達は、口を揃えていった。
『まずおまえは学ばなくてはならない。単なる知識や情報ではなく実体験を持って世界そのものを学ばなくてはならない』と。
老人達はこの日から子供奴隷の師となった。
時に厳しい父となり、時に優しい母となり、影と成り日向と成り彼を育て導いていった。
彼は老人達から様々なことを学んだ。彼はとても素直で優秀であった為、文字の羅列だけしかなかった知識や情報は彼の中で血肉となって蓄積されていった。
老人達はそのことをとても喜び、自分達が持っていた様々な技術や技能をどんどん彼に教え込んでいく。
瞬く間に三年という月日がたった。
子供奴隷は老人奴隷達の勧めもあって他の子供奴隷達と過ごすようになっていたが、老人達のところへ通うことを止めることはなかった。
三年の間、様々な変化が彼の中にも、そして、外にもあった。
老人達と過ごす日々はとても幸福な時間であったが、しかし、その時間は決して長くはなかった。
元々廃棄寸前と言われていた老人達である。一人、また一人と、彼の目の前で次々と老人達は物言わぬ骸となっていった。せめてもの救いはほとんどの者が天寿を全うしての大往生だったこと。だがしかし、彼の胸を吹く抜けるなんともいえない寂寥感は決して小さいものではなかった。
去っていったのは老人達だけではない。
一緒に暮らすようになり兄弟とも姉妹とも思っていた他の子供奴隷達もまた、数多く天へと還っていった。
劣悪な環境と過酷な労働が彼らの命を奪っていったのである。本当であれば『勇者』の力を使ってなんとかしてやりたかった。だが、あるときを境にして、彼は『勇者』の能力を使うことを禁じた。誰かに命じられて禁じたわけではない。自ら禁じたのである。
あの能力を使うことの恐ろしさを身をもって知ったからだ。
それを教えてくれたのは、あの日、彼が助けた老人であった。
あの後、彼は『勇者』の力を使う事の危険性を老人達から耳が痛くなるほど何度も何度も聞いて使わないようにと注意されていた。しかし、どうしても納得できなかった彼は、再び使おうとした。魅了をかけていなかった補充兵達が老人達に危害を加えようとしたからだ。彼は『勇者』の力で補充兵達を殲滅しようとした。
確かに、その強大な力で補充兵達を殲滅することはできた。しかし、同時に老人達にも被害が出てしまったのだった。
彼はその強大すぎる力を使いこなせていなかったのだ。結果、何人かの老人が怪我をし、そして、その中の一人は治療することが不可能なくらいの致命傷を負う事となった。その一人は、あの日、彼が助けた足の悪かった老人だった。
『勇者』の強大な力に酔い、暴走する子供奴隷から他の老人達を守り負傷してしまったのだ。
子供奴隷は自ら行ってしまった凶行の結果に大きなショックを受けることとなった。結局、この数日後、その老人奴隷は帰らぬ人となった。
世界に選ばれし者である自分は、自由自在に『勇者』の力を使いこなせると固く信じていた。他の者とは違うと、失敗することなどありえないと。しかし、現実は違った。彼は選ばれし者ではない。たまたま『勇者』の力を持っていた他の者達と同じただの『人』でしかなかったのだ。
彼が三歳児の子供の心のままであったなら、まだそれを認めることはできなかったであろう。だが、幸か不幸か今の彼は成人の心を持ってしまっていた。誰のせいで老人が死ぬ事となったのか、嫌でも思い知る。目を背ける事は簡単だ。しかし、成人として強制的に成長していた心がそれを許してはくれなかった。
彼は『勇者』の力を封じることにした。
コントロールできない力は持っていたとしても、無いのと同じなのだと理解したのだ。
この事件以降、彼の心に様々な心の変化が起こっていく。異界の力を持つ者と持たない者、殲滅すべき者達とその対象外の者達という単純な線引きでしかなかった他人との繋がりが、一気に多様化していったのである。
周囲にいる者達が自分にとってどういう存在なのか、あるいは自分がどう接していきたいのか、接してほしいのか。
世界によって作り出され殺人マシーンとして覚醒した子供奴隷は、いつしか普通の子供に戻り、そして、別の何かへと成長、いや変貌していったのである。
犯罪組織が運営する奴隷鉱山の中、老人奴隷達に与えられた無償の愛と他の子供奴隷達と紡ぐ辛く厳しい日々の中で紡ぎだされるかけがえのないいくつもの思い出が、彼を『勇者』とは違う別の何かへと変えていったのであった。
後に『祟鴉』、『蛸竜』などと様々な名前で呼ばれることになる一人の『怪人』。
三年という月日がすぎた、ある日、それが誕生する切欠となる大きな出来事が発生する。
彼に『勇者』としての覚醒を促し、精神を劇的に成長させることとなった劇薬『精神進化促進剤』。投与された者は、精神的に劇的に成長し、また小さな図書館一個分もの膨大な知識や情報を得ることができるという奇跡の薬。
しかし、この薬には深刻な副作用があった。
投与されたものの寿命が大幅に縮まってしまうのだ。投与後、被験者の寿命は種族の如何に問わず早ければ三年。どれだけ長く生きたとしても十年弱で尽きる。いくらいまこの時代の平均寿命が短いといってもたった十年弱というのはどんな種族であっても短すぎる時間であった。
だが、これを知った当初、『勇者』としての力を覚醒させた子供奴隷は何の感慨も抱いてはいなかった。何故なら、『勇者』としての強大な力を持つ彼にはその副作用が全く効果がないことを知っていたからだ。世界より与えられたその力を駆使すれば生涯その副作用に苦しむことなく天寿を全うする事ができる。
その為、彼はそのことをしばらく忘れてしまっていた。しかし、ある日嫌でもそれを思い出すこととなった。
実の兄弟、姉妹として暮らしてきた他の子供奴隷達の中からその副作用による犠牲者が出たからだ。彼の目の前で急速に老化し命の炎を小さくしていったのは、彼が姉として慕っていた人物の一人だった。命の炎が完全に消え去るまで、本当にあっというまの出来事であった。
彼女の死は、天寿を全うした老人達とは全く事情が違う。彼の師匠であり親代わりである老人達が天寿を全うし、土に還っていくときは、悲しくも辛くもあったが、それでも納得して受け入れることができた。
しかし、今回のこれは違う。違うと感じた。
助ける事ができず、ただただ呆然と見送ってしまった少女の死について、彼はしばらくの間考え続けた。
そして、ある結論を下す。寿命を終えようとしている老人達を助けることはできない。でも、自分と同じ境遇の他の子供達を助ける術ならある。そう、彼にはあの劇薬を投与された者達を助けるための手段があったのだ。
それは彼が己の中に封じた『勇者』の力を分け与えるというもの。勿論、全てを分け与えるというわけではない。そもそも『勇者』の力そのものは、人一人が抱えるにはあまりにも大きすぎる。彼が問題なくその力を内包させていられるのは、世界そのものが彼の存続を許し、その力を行使することを許可しているからに他ならない。
ともかく一人に全てを譲渡するわけではない。
この場にいる総勢百八人の兄弟姉妹達に、彼の中の力を取り出して分配する。そうすることによって、彼らは薬の副作用を克服し普通の寿命を手に入れることができる。
それは覚醒時に世界から与えられた情報の一つ。
子供奴隷は彼らを救う為に己の中に宿る『勇者』の力を全て取り出し、彼らに分け与えることを決意する。
取り出された『勇者』の力は三十六の『日』の聖珠と、七十二の『月』の聖珠として作り変えられ、子供奴隷の手によって百八人の兄弟姉妹達の体内に埋め込まれた。
「そうして、俺達は連夜の手で薬の副作用を克服し命を繋いだのだった。めでたしめでたし」
血の繋がらない兄弟の肩にちょこんと座る霊狐族の少女に自分達の、というか主に連夜の過去の秘密について話していた雷獣族の麗人『F』は、そう言って話しを締めくくった。
これで納得してくれただろうというドヤ顔を浮かべた『F』は、自分の目線よりもかなり上にある少女の顔をうかがう。
巨人ほどではないものの、かなりの上背と堂々たる体格を持つ『霊山白猿』族の戦士『J』の肩に座っている彼女の顔を見るために、かなり首を上に上げなくてはならなかったが、自分の成果を確かめずにはいられなかったのだ。
当然そこには満足のいく結果が待っていると自信たっぷりに思っていたのであるが。
「おい、『F』よ。俺には晴美が全然納得していないように見えるのだがな」
「あ、あるえぇっ!?」
血の繋がらない義兄弟。
『F』と『J』
連夜の頼れる兄貴分達であり、凄腕のハンターでもある二人。
そんな二人の視線の先に一人の少女の姿がある。
長い金髪。髪の色と同じ色をした大きな瞳。小さな顔に少しとがったあご。小柄な体は少々痩せ気味ではあるが、不健康そうでは決してない。
そんな容姿をした霊狐族の少女『如月 晴美』は今、巨漢の戦士『J』の大きな肩にちょこんと座り、二人を恨めしそうに見つめていた。
少女の顔には明らかに納得しているという表情は浮かんではいない。それどころか、泣きそうな顔をして二人を、いや、特に『F』のことを睨みつけている。
「納得しているどころか、明らかに怒っているように見えるがな」
「な、ど、どうしたのかな晴美ちゃん。えらくヘンテコな表情をしているけれど」
「ヘンテコな顔にもなりますよ。全然めでたくないじゃないですか。なんなんですかその結末は」
完全に予想外だった晴美の表情に『F』が慌ててその理由を聞こうとする、彼女の表情は瞬く間に激変。怒り心頭という表情となって雷獣の麗人に食って掛かる。
そんな少女の態度を見た二人の戦士達。
巨漢の大猿は『やっぱりな』という表情で大きくため息を吐き出し、雷獣の麗人は『なんで!?』という疑問の悲鳴をあげる。
晴美、『J』、『F』という珍しい組み合わせの三人組。
犯罪組織『バベルの裏庭』最後の生き残りである大幹部カミオとその一党を今度こそ完全に壊滅させ様々な因縁にピリオドを打つ。
そのための最終作戦。それに参加する為、三人は集まった。
しかし、三人が行動を共にするという予定は当初の作戦計画の中にはまったく含まれていなかった。
晴美は連夜の側。
『J』は少し離れたところから連夜を護衛。
『F』は切り込み隊長である『K』と共に最前線部隊に参加。
三人が三人とも別の位置に配置になっていたはずだったのだ。ところが三人はその配置とはまったく違う場所。前線から最も離れた最後尾をのんびり仲良く歩いている。
何故こうなったかについては勿論理由がある。
作戦の開始直前に突然起こった襲撃事件。事件はカミオ一派から離脱した別の『バベルの裏庭』残党達によって引き起こされたもの。
多少のけが人こそ出たものの、不幸中の幸い、死者も重傷者も出さずに事件は無事解決。犯罪者達は纏めてお縄になったわけであるが、そのまま作戦を続行というわけにはいかなくなってしまった。
後始末が必要になったのである。その指揮を執るのは勿論我らが主人公『連夜』。貧乏くじを引きやすい体質というべきか、こういう揉め事厄介事の類は必ずといっていいほど連夜が担当をさせられてしまうのである。一応他にもこの手の業務を担当できるスタッフは存在している。
今回の作戦を指揮しているアルカディアの防衛省長官のオイギンスの下にも、嶺斬泊から同行している中央庁組の責任者クラスの者達の下にも、『掃除屋』『葬儀人』『苦情処理係』などなど様々な名前を持つ凄腕のトラブルバスターが控えているのだ。
しかし、連夜は敢えてこの仕事を引き受けた。
彼の過去に強い因縁を持つこの犯罪組織の犯罪者達の処理を他人任せにしたくなかったからである。
そのため、連夜は作戦の実働部隊から外れることとなってしまった。後方で捕まえた犯罪者達の処分を行うのだ。
そう、彼らはこの場で『処分』されるのだ。
『アルカディア』行政府に引き渡し、裁判所で罪が裁かれるのを待つのではなく、この場での『処分』である。その『処分』を実行するにあたり、連夜はある武装集団の手をいつも借りている。
裏の世界にその名を轟かせる特殊武装医療チーム『神の左手悪魔の右手』。
悪しき魂を浄化して有効利用し、善良な一般市民を一人でも多く助ける。
それが彼らの行動理念。
犯罪者達は彼らの手によって速やかに処理され、重篤な怪我や病に苦しむ善良な人々を助ける為の尊い礎になるのである。
そして連夜は、彼ら犯罪者達が彼らによって適切に処理され無害になるまでの一連の工程を見届けるのだ。
それがどんなに残酷極まりない工程であっても。眼を背けることなく連夜はそれを見届ける。これまでもそうであったし、これからもそうであろう。
しかしである。
『晴美ちゃんには少し刺激が強すぎると思うんだよねぇ。と、いうか、ぶっちゃけ見なくていいというか、見てほしくないというか』
彼は彼の側に控えている小さな妹弟子がそれを見ることを拒んだ。
晴美も『バベルの裏庭』とは無関係ではない。本人も今までのケジメをつけるためにその彼らが『処理』される現場を見届けたいと強く希望した。
だが、連夜はそれに頷くことはなかった。最愛の恋人である玉藻の実の妹で、連夜自身も本当の妹同然に思い大切に扱っている晴美であるが、その願いだけは決して聞き届けようとはしなかった。
それでも嫌がってなんとしてもついてこようとする晴美を諦めさせる為に、連夜は『切り札』をきることにした。
何のことはない。
力づくで引き離したのだ。それも普段から幼い弟妹の世話をして子供の扱いに長けている巨漢の戦士『J』と、男女を問わずモテモテで特に女性の扱いに長けている雷獣の麗人『F』を使ってである。
二人ともそれぞれに別の役割があったため、当初はかなり渋っていた。だが、今までさんざん世話になっているかわいい弟分から頭を下げて頼まれては、断ることなどできようはずもない。
結局、連夜の頼みを引き受けて彼らは晴美と共に後方へと下がったというわけだった。
しかしながら、当然晴美はそのことに対し強く反発。盛大に不満をもらし、担がれた『J』の肩の上で子供のように駄々をこねまくる。そんな晴美の反応に、困った表情を浮かべた二人ではあったが、すぐに『F』が彼女をなだめるいい方法を思いつく。
『晴美ちゃん、連夜の昔話を聞きたくない?』
連夜に淡い恋心を抱いている晴美はすぐにその言葉に食いついた。
そして、彼女がリクエストしたのは彼の奴隷時代の話。
『精神進化促進剤』という狂気の薬を打たれた彼が何を得て何を失ったのか。
それを知ることで落ち着いてくれるならと、『F』は嬉々として自分の知る限りのことを話してやったのだが。
「確かに発想はよかったとは思うがな『F』よ。しかし、もう少し話の内容を考えるべきだったとは思わんか?」
あきれたように同い年の義兄弟を見る大猿に対し、見られたほうはしきりに首をひねって考え込む。
「え、聖珠を埋め込むって、格好良くなかった? 俺なんか三十六ある『日』の聖珠のうちの一つ、『日速聖』をもらったんだけどさ、これがまたえらく強い珠でね」
「いや、そこはどうでもいいんですよ」
さりげなく自分が持つ力を自慢しようとした『F』であったが、晴美はジト目で彼を睨みつけながらばっさりと切り捨てる。
「ううう、折角聖珠をもらってからの俺の大活躍を披露しようと思っていたのにぃ。あんまりだよ、晴美ちゃぁん」
「『F』さんの武勇譚は今度にしてください。それよりも連夜さんの話ですよ。ひどすぎるじゃありませんか。なんなんですか、『勇者』の力を全部分け与えるって。『勇者』の力を使わないと薬の副作用を抑える事はできないんですよね。なのに、全部使っちゃったら、連夜さんの命はどうなっちゃうんですか!?」
「まあ、普通に考えれば副作用が発症して、短命で終わっちゃうかな」
「終わっちゃうかなじゃないでしょ! ダメじゃないですか!」
怒りの表情を浮かべて吼える晴美であるが、その声は完全に泣き声だ。軽い調子で話を誤魔化そうとしていた『F』は作戦失敗とばかりに盛大に顔を歪ませる。こうなったらこの手のエキスパートの助けを求めるしかない。そう思った『F』は頼れる兄弟に視線を送る。少女を肩に乗せている巨漢の大猿は、姿かたちこそ強面であるが非常に面倒見がよく子供の扱いに長けているのだ。
『F』はいつものように視線で大猿にメッセージを送る。
(『J』様、なんとかしてちょ)
(自分でなんとかしろ)
(よかった。それじゃ、よろ、って、ええええ、ななんでぇ!?)
(いつもいつも幼い弟妹達の相手を面倒臭がってやってこなかったツケが回ってきたのだ。いい機会だ。妹達と接していると思って自分でなんとかしろ。俺がいつも尻拭いばかりしていては、おまえの為にならん)
(いやーん。見捨てないでよぉ)
(見捨てはせん、ちゃんと最後まで見届けてやるから安心しろ)
(うぎゃー、せめて手伝ってよぉ)
(何度も言わすな、自分の力だけでなんとかしろ)
(この冷血あほ猿ー!)
長年の付き合いで視線だけで会話は可能であるが、いくら言葉が不用であっても助けてもらえないなら意味はない。
結局、大猿の兄弟は『F』の要請に答えてくれようとはせず、自分一人でなんとかしなくてはならなくなってしまった。
(でもどうやってこの後フォローしよう)
悩んでいるうちに状況は悪化の一途を辿りつつある。
「どうするんですかどうするんですか。このままじゃいずれ連夜さん死んじゃうんですよね。だって、『勇者』の力が無くなっちゃってるんですから」
「お、落ち着いてよ晴美ちゃん。とりあえず、話には続きがあってね」
「その薬の副作用が発症したら、寿命は最短で三年、最長でも十年弱なんでしょ。そもそもこの歳まで生きてこられたのが奇跡みたいなものじゃないんですか?」
「いやだからね。ちゃんとそれには理由があってね」
「連夜さんが死んじゃうなんて、そんなの、そんなの絶対に嫌! いやだよぉぉっ!」
「おーい、頼むから話を聞いてよぉっ!」
大猿の肩の上でヒステリックに泣き喚く少女に対し、困り果てたという表情で頭を抱える麗人。自分の話を全く聞こうとしない彼女に対し、どうしたものかと悩んでいると、よりによって更なる混乱を巻き起こす者がやってきてしまう。
「何を大声出しているの、晴美。これから秘密作戦を実行しようってときにダメじゃないの、まったくもう」
「お姉ちゃん!」