第六十二話 『価値あるもの』
「今、この世界で最も価値のあるモノってなんだと思う?」
命の恩人であり、尊敬する人であり、そして、淡い恋心を向けている人物から不意に問いかけられ、晴美はしばし答えを返すことができずに立ちすくむ。頭から生えているかわいらしい狐の耳をぴくぴくと動かしながら、びっくりした顔でしばらくの間固まっていたが、大好きな人の優しい顔がこちらに向いていることに気がついて顔を真っ赤に染める。その後も「あうあう」と意味不明な言葉を呟いてまともに答えを返すことができなかったが、なんとか自分を取り戻して考える続ける。
「えっと、やはり、南方との交易再開を決行させる大きな一因となった二種類の『万能薬』でしょうか」
なんとかまともな答えを捻り出すことができた晴美は、正解だったかどうかを知るために上目遣いで目の前に立つ想い人を見つめながらじっと待つ。
彼はすぐには即答を返すことはせず、まずは足を止めてしまった晴美を無言で促してついてくるように指示。東に見える城砦都市『アルカディア』の西門を指差して行き先を示し、森の中を一緒に歩き始める。
「確かにそれも価値あるモノの一つではあるね。あらゆる傷を瞬時に癒すことができる『神秘薬』も、ほぼ全ての病気や毒物から体調を回復させる『特効薬』も今この危険な世界において『人』類にとって欠かせない物品であることは間違いない。でも、残念ながら正解ではないかな」
「じゃあ、やっぱりお金ですか? あるいは宝石とか貴金属とか」
『不正解』という言葉にがっくりしそうになるが、それでもめげずに晴美は次の答えを紡ぎだす。しかし、晴美の目の前に立つ裁定人は笑顔を浮かべながらもゆっくりと首を横に振るばかり。ちょっと悔しくなってきた晴美は、意地でも正解を叩き出そうと両腕を組み、かわいらしく首をかしげながらうんうんとうなり続ける。
「じゃ、じゃあ、武器や防具はどうですか? 『害獣』出現前にはたくさんの伝説的な力を持つ宝具が存在したと聞いています」
「確かにそういうものがあったのは事実だね。だけど、現存しているどれもこれもが『異界の力』に浸食されていてまともに使えない状態なんだ。厳重に封印しておかないといつ『害獣』に見つけられるかわからないからね。まあ、美術品としての価値はあるだろうけど」
「では、『土地』はどうですか? 『害獣』のせいで『人』類の居住スペースは極端に狭くなってしまいました。『害獣』が初めて出現した五百年前に比べれば、それでもわずかずつ広がって来てはいるとは思いますが、それでも土地の値段はどこも高騰しているのでは」
「いいところをついてきたね。確かに晴美ちゃんの言うとおり、『人』類の居住スペースは五百年前に比べれば物凄く狭くなった。それは間違いない。正確なところがわからないけれど、今の『人』類の生活圏は全盛期の一パーセントにも満たないほど微々たるものだと思う」
「じゃあ、やっぱり『土地』が正解ですか?」
ぱあっと顔を輝かせた晴美は、小さくかわいらしいお尻から突き出たふさふさの狐の尻尾を揺らしながら期待に満ちた表情で判定を待つ。だが、そんな彼女に対し下された判定は再びの『不正解』。
「えぇー、また『不正解』なんですかぁ」
「いいところをついているのは間違いないんだ」
「でも『正解』じゃないんですよね」
「残念ながらね。人類の生活圏が狭くなったのは確かではあるんだけど、その土地を使うはずの人類の人口そのものも大幅に減ってしまっているんだ。それこそ全盛期の一パーセントどころの話じゃない。晴美ちゃんもよく知っていると思うけど、『害獣』の襲撃は人類に壊滅的な被害をもたらした。その際にいくつもの種族が絶滅し、運よく生き残った種族も気を抜けば絶滅しかねないほど数が減ってしまっている。っていうか、五百年たった今も、その状況はあまり変わっていないといえる」
「そっか。使う人がいないんだから土地も高騰しようがないってわけなんですね。って、全然外れじゃないですか。正解どころかカスってもいないですよ。連夜さんの嘘つきっ!」
『ぴーっ』っとかわいらしい泣き声をあげながら怒りの表情を浮かべる晴美。しかし、出題者である連夜は、怒る晴美に謝るどころか彼女を見つめてくすくすと笑い声をあげる。
「ひ、ひどい! 人の顔を見て笑うなんてひどいですよ、連夜さん」
「あはは、ごめんごめん。別に晴美ちゃんの顔を見て笑ったわけじゃないんだ。それよりも晴美ちゃん。さっきの答えが全然見当外れだったみたいなこと言っていたけど、そんなことないよ。晴美ちゃんは気がついていないだけで、正解はもう目の前にあるんだ」
「え? そうなんですか? でも、土地は『不正解』なんですよね」
「そう『土地』ではない。でもさ、思い出してほしいんだ。さっき晴美ちゃん、自分でも言っていたよね。『使う人がいないから』って。まさにそれなんだ」
「『それ』?」
「今、最も世界で価値のあるモノ。それは『人』なんだよね」
「え、えええっ!?」
思わぬ答えを聞いた晴美は、狐の耳と尻尾を逆立てながら驚きの表情を浮かべる。一瞬、冗談で言っているのかなと思って見返すと、そこには憂いを帯びた表情を浮かべる連夜の姿。
「減りすぎた。『人』類はあまりにも多く減りすぎてしまったんだ。今、どこの都市も人口を増やすための政策を必死に行っているけど、それでもなかなか結果が出ていない。いや、それどころか場所によっては更に人口を減らしているところだって出てきている」
「え? な、なんで? 『害獣』の大襲撃は随分前に終息したって聞いていますけど」
「人類が城砦都市に引き篭もるようになってから、『害獣』が攻めてくることはほぼなくなったのは間違いない事実だよ。他の地域はどうか知らないけど、この三百年のほどの間に『嶺斬泊』や『アルカディア』の周辺諸都市で『害獣』の襲撃を受けたっていう事例はゼロだからね」
「じゃ、じゃあ、増えているのでは?」
「ううん。それがそうでもないんだよ。確かに向こうがこっちに喧嘩を売ってくることはなくなったけど、こちらからは喧嘩を売り続けている。そして、今、この瞬間もたくさんの人が命を落としていっているんだよね」
「あ、それはつまり、『害獣』ハンターや、傭兵の皆さんですか」
「うん。まあ彼らが戦っている理由はいろいろとあるんだけどね。人類の居住スペースを少しでも広げるためだとか、貴重な素材を手に入れるためだとか、『害獣』や原生生物の生態、あるいは日々変わる都市周辺の環境の状態を調査するためだとか、まあ、ともかく多岐にわたっている。どこの中央庁もやらずに済むならやめてしまいたいところなんだろうけど、そうもいかない」
「確かに。まったく『外区』に出ることなく生活を続けることは無理ですよね。都市同士の交流というか交易というか、そういうこともやっていかないといけないんでしょうし」
「うん。ともかく、危険とわかっていてもやらざるを得ない。都市を発展させ、日々の安全を確保するために、仕方なく貴重なハンターや傭兵達を『外区』へと派遣する。目的は達成できるがしかし、少なくない数の死者が出る。当然、人口は減る」
「ちょ、ちょっと待ってください。まさかこの話の流れだと、あれですか。都市が発展するスピードよりも・・・」
「晴美ちゃんの予想通り。いくつもの都市でそれを上回るスピードで日々人が冥界の門を叩く事になってしまっている。つまり、ぶっちゃけ人口は減り続けているわけだね」
「はわ、はわわわわ」
なんとも言えないどんよりとした表情で紡ぎ出された連夜のショッキングな言葉に、晴美の表情も一気に青ざめる。
「だ、だめじゃないですか!」
「ダメだよ。ほんとに今すぐなんとかしないといけない問題なんだ。ともかく、現在『人』はとても貴重でね。最底辺種族である僕がこんなこというのもなんだけど、種族間差別なんてやってる場合じゃないんだよね。日々、いくつもの種族が絶滅していっている現状で、どちらが上だ下だって差別とかしている暇なんかないんだよ。どこもかしこも慢性的に人手不足なんだから」
「そうなんだぁ」
「いやいや。晴美ちゃん、他人事みたいに言ってる場合じゃないよ。これらの問題は晴美ちゃんにも無関係じゃないんだからね」
「え? それってどういうことですか?」
「ねぇ、晴美ちゃん。例えばの話だけど、どこかの都市、いや、会社でも傭兵団でもいい。ともかく、そこでは深刻な人手不足が発生していると仮定します。早急にたくさんの労働力、あるいは戦力を確保しないといけません。確保できないとたくさんの人が死んだり、あるいはそれに相当するような深刻な被害が出てしまいます。そんなとき晴美ちゃんならどうする?」
「え? え? 急にそんなこと言われても。えーっと。どうしましょう。身内の人達同士で結婚してもらって子供をたくさん産んでもらうとか?」
「それだと一人前の働き手に育つまでにかなり時間がかかるよね」
「うーん、うーん。それじゃあ、求人の募集をかける?」
「来てくれる人は確かに仕事できるだろうけど、一度にたくさんとなるとちょっと難しいかな」
「他所の都市とかに助けを求めるとかはどうでしょう」
「運がよければ助けてもらえるかもね。でも、恐らく他も人手不足で手を貸すことはできないんじゃないかな」
「八方塞じゃないですか! どうしろっていうんですか、もうっ!」
「まぁまぁ。そう怒らないで。ともかく、すぐに人手を手に入れることは難しいということを最初に認識しておいてほしかったんだ。で、まあ、いろいろと考えてもらって、晴美ちゃんにも今現在、『人』手を確保するということが相当に難しいとわかってもらったわけだけど。さて、ここからが本題。もし、お金、あるいはなんらかの見返りさえあればすぐにでも望むだけの人手を用意することができると持ちかけられたらどうする?」
「え? そりゃ、お願いしちゃうんじゃないでしょうか」
「それが犯罪に関わることでも?」
「切羽詰まっていたら、背に腹は変えられないというか・・・あれ? 犯罪に関わること?」
どこかで聞いたような話の展開に、流石の晴美もすぐに気がつき「はっ」とした表情で顔をあげる。
「まさか、『奴隷商』ですか!?」
「そう、その通り。一応仮定の話って言ったけど、実際どこの都市でもどこの業界でも現状は変わらない。どこもかしこも深刻な人手不足なんだ。働けるならどんな種族の者だってほしいというのが本音だと思う。ましてや、ニーズにあった人材なら尚更だよ。傭兵業界なら戦闘力の高い獣人種や巨人種、製造業なら手先の器用なドワーフやブラウニー、農業なら自然のことに詳しい妖精種、漁業なら人魚やギルマンなどなど。もう、その業種の人々からしてみれば喉から手が出るくらいほしいだろうね。そんな人材を提供できます。売りましょうか? なんて持ちかけられたら」
「買ってしまうというわけですか? 違法だとわかっていてもですか?」
「買ってしまうんだよね。どれだけ値を吊り上げられても買ってしまうだろうさ。だからこそ、奴隷商人はいつまでたっても根絶できない。なんせいまの世の中、買い手はそこらじゅうにいるんだから、『商品』さえ確保できればすぐにでも大儲けできてしまう。これだけ旨みのある市場は、まず間違いなく他に存在しない。ほんと、嫌な世の中だよね」
大きくため息を吐き出した後、連夜はなんともやるせないといった表情で遠くを見つめる。しかし、すぐに元の優しい笑顔になって、晴美のほうに視線を向けなおした。
「晴美ちゃんもその犠牲者の一人であるわけだ。ほんと大変だったよね。でもそれだけ『人』手が必要とされているんだ。まあ、僕からしたらいくら奴隷として購入したからって、貴重な『人』手であることにかわりないのに、それを盾代わりにしようとするなんて。とても信じられない暴挙だと思うけどね」
連夜はやれやれと言った表情で肩をすくめて見せる。そんな連夜のコミカルな姿を晴美はくすりと笑って見つめる。
「それを言うなら連夜さんもそうだったんでしょ。子供の頃に奴隷にされるために誘拐されたって聞きました」
「まあね。僕の場合は十年以上も前の話になるんだけど。楽しい経験じゃなかったのは確かかな」
「私もです」
「だよね」
顔を見合わせ二人して笑みを浮かべあう。二人とも苦笑ではないが、少し影のある疲れた笑み。
しかし、二人ともすぐにそれを消した。
「まあ、痛く苦しく辛い思いをしたからこそわかったこともある。あのときに学んだことは決して無駄ではなかったと今では思ってる」
「と、いいますと?」
「最初の話にもどるけど、この世界で最も価値のあるものが『人』。つまり『人材』だってことがわかってもらえたと思う。奴隷商人達は金とか権力とかにすぐに換金してしまっているようだけどね。僕の考えはちょっと違う。『人材』は金にも権力にも換えられない」
「能力に関係なくですか?」
「能力に関係なくだよ。はっきりいって性格も関係ない。聖人君子のような人から、最低でどうしようもないクズまで、今の世の中いくらでも使い道はある。『人』は才能の鉱山だ。どんな能力が眠っているか掘り出してみないとわからない。いや、掘り出してみなくてもわかることだってある」
「そうなんですか?」
「そうだよ。よく考えてみて晴美ちゃん。全『人』類を構成している種族は何百、いや何千とあるんだ。そして、それらの種族は外見だけでなく、様々に違った能力を生まれながらに持っている。鳥人系種族の人達は空を飛べるし、魚人系種族の人達は水の中で生活ができる。獣人系や巨人系種族の人達は他の種族に比べて極めて強力な腕力を保持しているし、強固な外骨格を持つ昆虫系の人達の防御力は他種族の追随を許さない。妖精系の人達は様々な自然との付き合い方を生まれたときから身につけているし、聖魔族の人達は他種族にないユニークな特殊能力を持つものが多い」
「そうか、種族そのものだけでも、既に何らかの能力に特化していることがわかるってことですね」
「そうなんだ。病気や事故でそれらの能力が失われているっていうならともかく、大抵の場合は最初からそういった能力を『人』は持ってるってことだね。まあ、人間族のように例外的に何も持たない種族も極少数存在してはいるんだけど、それは本当に例外ってことで」
自分で言ってて『とほほ』と落ち込む連夜だったが、晴美の心配そうな表情に気がついてすぐに顔を明るくする。
「話が横道にそれちゃったので元に戻すね。『人』を確保することそのものが、今の時代において何よりも強い『力』なんだと僕は思っている」
「それはつまり奴隷をたくさん持っているってことが強いってことですか?」
「いやいや、それは極端すぎるかな。確かにそれも一つの手ではあるとは思うけどね。でも、それだけが方法ではないと思うんだ。比較的わかりやすい方法なら、自分で会社を興す、あるいは傭兵旅団を旗揚げして必要な人材を募るって方法がある。間違いなく合法だし、奴隷と違って無理矢理集められた人達じゃないわけだから絆を深めるのもそれほど難しいものじゃないはず。あるいは君達霊狐族がとっているように同族を集めて一つに纏まる。いろいろと弊害はあると思うけど、まあ一つに纏まりやすいよね。あるいはそこまで大きな繋がりじゃなくてもいいとも思う。親しい友達や一緒に仕事をする仲間として友誼を結ぶ。合コンやイベントで集まって知り合いになるのだって、立派な人材の確保だと思う。大事なのは必要なときに必要なだけ『人』手を集めることができるかどうかだと思う」
「連夜さんはそういった『力』をお持ちだということなんですね」
「まあ、僕がとった方法はかなり特殊な部類に入るんだけどね。あ、そろそろ目的地かな」
森を抜け城砦都市『アルカディア』の巨大なゲート前へとたどり着く。そこにはたくさんの人影。様々な武器防具で完全武装したその人影達の中の何人かが連夜達に気がついて、小走りに駆け寄ってくる。
「お疲れ様です、ボス。お待ちしておりました。早速ですがこちらへ」
声をかけてきたのは美しい人の女性の上半身に獅子の胴体、そして鷲の翼という姿をした連夜の侍従クレオ。いつものファッション性に優れた衣装ではなく、無骨な『害獣』の革でできた鎧を身に纏い、四足の先には鋭い金属製の『爪』を装備している。
そして、表情はいつになく硬い。
都市内で見せている柔らかいオーラを完全に消し去り、冷たく硬質なオーラで全身を覆っている。
そんなクレオの姿を苦笑交じりに見つめながら連夜は軽く手を振って応える。
「クレオさんこそお疲れ様。作戦発動前だっていうのにみんな殺気立っているみたいだけど。何かあったの?」
「はっ。想定外の事態が発生しまして。いえ、騒動そのものは既に鎮火しておりますが、後片付けが必要な状態です。つきましてはしかるべき場所にてボスに裁定していただきたく」
「わかりました。とりあえず案内してください」
「了解です」
先導するクレオの後ろについて連夜達は歩き始める。まだ日が昇らぬ薄闇が支配する中、厳しい顔つきをした戦士達が忙しく動き回っている姿が周囲のあちこちで見受けられる。
衛生兵専用の馬車に運び込まれる何人かの戦士達の姿を見られることから、けが人が出ているようだ。
よく見るとゲートと森との間に横たわる何匹かの大きな獣の姿。赤い舌をだらしなくたらし、焦点の定まらぬ瞳をいずこかに向けている。恐らく既に死んでいるのだろう。薄闇のせいではっきりした姿はわからないが、どうやらクマのように見える。しかし、死んでいるどの個体も普通のクマよりはるかに大きく、何よりも異質なのは丸太のような腕が四本も胴体から生えていることだ。
どうやらここを襲撃してきたのはこのクマモドキのようであった。
剣や槍、あるいはクロスボウを構えた戦士達が、クマモドキの死体を取り囲み、森をにらみつけて警戒を続けている。
連夜は歩きながら大きく深いため息を一つ吐き出した。
「けが人が出ているようですね」
「はい。ですがいずれも軽傷で済みましたし、こちら側に死者は出ていません。作戦決行前でみな完全武装状態だったのが幸いしました」
「後で詳しく話を聞きますけど、とりあえずよかった。しかし、なんで『四本腕灰色熊』がこんなところに。この近辺に生息していた危険な原生生物はほとんど制圧、あるいは討伐されて安全だったはずなんですが」
「やつらを連れてきた馬鹿者達がいるんです」
「はあ? いったい誰がそんなことを」
「こちらです」
クレオが案内した先にはたくさんの戦士達の姿。
武器を構えた状態で円状になって何かを取り囲んでいる。
殺気立つ戦士達をかきわけて中へと入っていくと、そこには鉄線で体を縛りつけられて拘束されている何人もの兵士達の姿。
身に着けている防具の種類から拘束されているのが『嶺斬泊』所属の正規兵とわかる。だが、連夜は彼らの本当の正体を知っていた。
「ああ、中央庁に潜り込んでいた『バベルの裏庭』の残党かぁ。確かカミオ管理官と一緒についてきていたんだっけ。しかし、なんでこんなところに? まさか僕らの計画がバレたのか?」
「いえ、どうやらそうではないようです。尋問は終わっていますので、確定している情報の報告をいたします」
「そうだね、宜しくお願いします」
いつものお嬢様然とした雰囲気を完全に消し、軍人モードになったクレオがどこまでも事務的な口調で報告を行う。
彼女の報告は以下の通りである。
結論からいうと今回の襲撃はカミオ達『バベルの裏庭』残党達の総意によるものではなく、また、連夜達の計画についてもバレてはいないようだった。
今ここで捕まっている一部の兵士達による突発的な単独行動であったらしい。彼らの証言によると、残党の構成員達は全部が全部カミオ管理官の派閥に組みするものではない。彼らもまたその派閥外の者達で、カミオについて脱出してはみたものの、やはり彼を完全に信用することはできなかったようだ。
彼が立てた計画に一度は従いここまで来たが、どうにも雲行きが怪しく成功する未来図を描く事ができなくなったという。そこでカミオの派閥に組みしていない者達同士で集まり、計画が本格的に破綻する前に脱出しようということになったのだという。
当初の計画では莫大な金額をアルカディア中央庁から騙し取り、その金を元手に脱出する手筈となっていた。しかし、こうなってしまっては金は当てにはできない。むしろ重要なのは金よりも時間と判断し、彼らは綿密な計画を立てないまま脱出に踏み切ったのだった。
立てこもっている西門近くの倉庫から密かに出た彼らは、門を越えてすぐ側にある『死の森』へと飛び込んだ。
「え、ちょ、ちょっと待ってくれる。どうやってあの監視網を潜り抜けたの? 確か彼らが立てこもっている西門直ぐ側の倉庫はアルカディアの精鋭達に見張られていたはずなんだけど。しかも彼らの監視を潜り抜けたとしても城門を抜けるのは無理でしょ。きっちり検問しているはずだし」
「それがどうも城壁を飛び越えたらしいのです」
「は? 飛び越えた? って、まさか空を飛んだの?」
「はい、ボス。彼らをよくご覧ください」
「えっと・・・ああ、そうか。ほとんど鳥人系の種族だったのか。どうりでねぇ」
拘束された状態でこちらを睨み付けてくる『バベルの裏庭』の残党達を、なんともいえない複雑な表情で見つめる連夜。
ともかく彼らは自前の翼を利用して城壁を飛び越え、四六時中見張りを続けていたアルカディア兵士達の目をまんまと欺く事に成功。街道を進めば安全ではあるが、どうしても人目を避けることはできない。そこで彼らが飛び込んだのが警戒の薄い『死の森』だ。
『死の森』は『害獣』や危険な大型原生生物が闊歩する危険極まりない場所ではあるが、その分、ほとんど人の姿はなく密かに移動するにはうってつけの場所。とはいえ、そのまま中を進めば必ずどこかで危険に遭遇するのは明らか。そこで、彼らは『死の森』の中を通るのではなく、上を通っていくことにした。
「は? ひょっとしてそのまま空を飛んでいったの?」
「はい。森を構成している針葉樹林のすぐ上ぎりぎりを這うように飛んで移動していったのだそうです。彼らの説明によるとですが、『一定の高さまで達すると空を支配している鳥型『害獣』の支配圏に抵触してしまう。だから、空と地の境界線ギリギリを飛べば大丈夫と思った』のだそうです」
「馬鹿でしょ。底なしの馬鹿。いったい誰がその境界線の安全を確認したのさ。ないよそんなの。空の上だろうが水の中だろうが関係ない。そこが『害獣』のテリトリーなんだったら、奴らはどこまでも追いかけてくるよ」
連夜の言葉通り、彼らはすぐに自分達の考えが間違っていることを教えられる事となった。『アルカディア』を脱出して数ギロメトルも進まないうちに、彼らは鳥型『害獣』の襲撃を受けることとなったのだ。完全な不意打ち。瞬く間に半数が補食され、運良く生き残った者達もなんらかの手傷を負わされる。当然、空での移動は困難なものとなり彼らは仕方なく森の中へと逃げ込む。それでも鳥型『害獣』の追撃は終わらない。生き残った者達は重傷を負った者を見殺しにすることで足止めにし、なんとか『害獣』の追撃を振り切る事に成功する。
「わかってはいたけど、こいつらほんとクズだね。びっくりするくらい典型的なクズ。重傷者を足止めに使うって、一応自分達の仲間だろうに」
「まあ、犯罪者ですから所詮その程度の関係でしかないんでしょう」
しかし、彼らの受難はこれで終わりではなかった。鳥型『害獣』の襲撃地点から少し離れた場所で、彼らは別の脅威と遭遇する。四本の腕を持つ大型肉食獣『四本腕灰色熊』である。しかも群れで行動しているところに遭遇してしまったものだからたまったものではない。彼らは再び逃走を開始。これ以上『死の森』に居続けることは困難と判断した彼らは、森の中を進む事を諦め街道に向かって走ったのだった。
「え、ひょっとして、その逃走の果てにここにたどり着いちゃったわけ?」
「どうやらそのようです」
「何してくれてるんだよ、全く」
「同感です」
主従揃って深いため息を吐き出しながら、もう一度縛られた男達を見つめる。しかし、連夜達の言葉を聞いているのかいないのか、男達は黙って彼らをにらみ続けるばかりで声を発しようとはしない。いつまでたってもリアクションがないことに諦めたのか、連夜は隣に立つ美しい侍従に続きを話すよう促す。
「『四本腕灰色熊』の乱入は完全に想定外でした。一応、『バベルの裏庭』の工作員達による襲撃には備えていたのですが、まさか大型原生生物が襲ってくるとは・・・流石に夢にも思いませんでしたよ」
「しかも群れだもんね。よくもまあ討伐できたものだ」
「こちらの戦力が揃っている状態でしたからね。あと二、三時間早かったら危なかったと思います」
「で、『四本腕灰色熊』と共に彼らも捕まえたと」
「ここに来た時点で全員かなりの疲労状態だったので、捕縛するのはそれほど難しくはありませんでした。むしろ『四本腕灰色熊』を退治するほうが・・・」
「死者は出なかったって最初に聞いたけど、実際にはどれくらいの被害が出たの? 当初の予定ではこれから本格的に『バベルの裏庭』の残党達を叩くはずだったのだけど、どうなの? 作戦を実行に移せるくらいの戦力は残っているのかな?」
「問題ありません。幸か不幸か負傷者の全てが新兵で、主力はほぼ無傷で待機中です」
「なんで新兵だけが負傷しているんですか? いや、主力が無事だったのは喜ばしいことだけれど」
「申し訳ありません。門の近くなら安全だろうと思って歩哨をやらしていたのですが、それが仇となってしまいました」
「あちゃー、そうだったのか。確かに普通ならこの辺りは安全地帯だもんねぇ。わかりました。とりあえず主力が無事ならそのまま作戦の準備を進めてください。それから、負傷した新兵達はよく休ませるようにお願いします。こんなことで潰れられたら困りますからね」
「はっ、格別のご配慮ありがとうございます」
「さて、次は捕まえた彼らの処遇についてか。さっさとアルカディア軍に引き渡してしまいたいところだけど、こっちの作戦もあるしなあ」
眉を潜め口をへの字に曲げた表情になった連夜は、しばし口を閉ざして熟考する。
この後、連夜達はカミオ達『バベルの裏庭』の残党の一斉摘発作戦を決行することとなっている。城砦都市の中で暴れられては事なので、一旦『外区』に彼らを放出し、その後追撃。できれば捕縛、あまりにも抵抗が激しい場合はその場で処分という形で作戦を遂行する予定である。
(まあ現在残党を纏めているカミオだけは処分せずに捕縛したいところではあるんだけどね)
『バベルの裏庭』関連の情報はもうほとんど出尽くしたと判断されている。だが、連夜の個人的な意見としては、まだカミオはなんらかの情報を握っていると見ている。何かと問われて具体的にこれだと断言することはできないが、どぶ臭い犯罪の匂いがぷんぷんするのである。
連夜と一悶着も二悶着もあった彼の息子は、水面下でいろいろと凶悪な悪事を行っていた。恐らくその父親も同じだろうと連夜は考えている。
とりあえず今は彼の目の前で胡坐をかいているはぐれ脱走兵達の処分についてだ。
一番いいのはアルカディアの正規兵に引き渡してしまうことなのだが、アルカディア正規兵の到着を待つにしろ、護送するにしろ、どちらにしろ戦力を割かなくてはいけなくなってしまう。しかし、今、連夜の手持ちの戦力にそれだけの余裕はない。また、アルカディア正規軍側も実はそれほど余裕がない状態であることを連夜は知っている。
南北の交易品を交易路の中間地点まで双方輸送して交換。その後とんぼ返りして自都市へと持ち帰るという一大作戦。
一週間前に開始されたこの作戦が実はまだ遂行中であり、正規軍の大部分がこれに投入されてしまっているのである。
(一週間ぶっ続けで作戦を実行したおかげで、『万能薬』はかなりの範囲にいきわたったと思う。でも、それだけなんだよね。まだまだ他にも流通させないといけないものが多数あるし、しばらくはこの作戦を止める事はできないだろうなあ)
連夜の悩みは尽きない。しかし、時間は有限。できないことだらけといっても、何らかの対処はしなくてはならない。もう一度ため息を深く吐き出した連夜は、一人で考えることを諦めた。悪知恵と腹黒さに関しては自分が一番だと自負している連夜であるが、純粋な頭の良さなら彼以上に優秀な人材が多数存在している。連夜は彼らの知恵を借りようと決心し頭をあげる。
そのときだった。
彼の視界にとんでもない光景が飛び込んできた。
捕縛している脱走兵の一人が立ち上がり体を縛る鉄線を引きちぎったのだった。
「うわお。凄い怪力」
目を丸くしてその様子を見ていた連夜は、暢気な口調で賞賛し、それどころか拍手まで送ってしまう。
だが、周囲を固める戦士達は流石であった。連夜同様、鉄線を引きちぎられたときは一様に唖然とした表情を浮かべていたが、すぐに表情を引き締め、縛を逃れた脱走兵に向けて武器を構える。決して逃しはしないと包囲を固めて脱走兵の様子を伺う。
多勢に無勢。
どうみてもたった一人で立ち上がった脱走兵に勝ち目はないはずなのだが、彼は余裕の様子でわざとらしく肩をぐるぐると回してみせる。そして、周囲をゆっくりと見渡す。自分を取り囲む戦士達の姿を見て、薄い嘲笑を浮かべた後、彼は連夜のほうにその鋭い鷲の目を向けた。
「流石はトロール族の『肉体再生能力』。この短時間でここまで回復するのだからな」
「トロール族のって、あなたはトロール族ではないと思うのですが」
「然り。俺は誇り高き空の一族が一柱。愚鈍なトロールではない。勿論、地べたを這いずる他の種族とも違う。だが、俺は選ばれし者。食物連鎖の頂点に立つ存在。ピラミッドを形成する土台となる者達から、『力』を奪い我が物とする権利を持つ。その権利を行使した結果の一つがこの『肉体再生能力』である」
「うわ、最悪。こいつ『業奪者』だよ」
自慢気に自分の能力をひけらかす脱走兵の言葉を聞いた連夜は、すぐにその正体に気がついて顔を顰める。
「何が選ばれし者だよ。『人』の命や能力を盗むただのコソドロじゃないか。あなた、『恥』って言葉知っています?」
「なんとでも言うがいい。『力』を持つものが正義。『力』持たぬ者が何を言おうとそれは負け犬の遠吠えでしかない。それよりも小僧。おまえがこの集団のリーダーということで間違いないか」
「まあ、そうですね。暫定的ではありますが、一応そうなりますか」
「種族はわからんが、『草原妖精族』や『東方小人族』のように若作りのジジイか。あるいは本当に若いのかはわからぬが、なかなかの胆力を持っているようだな。俺の気迫に全く動じることなく相対していることに関しては褒めてやってもいい」
「褒められているのか貶されているのかわかりませんが、とりあえず、褒めていただかなくて結構です。それよりも無駄な抵抗はやめていただきたいのですが」
「くはは、無駄だと? 悪いが俺はそうは思わないな。確かに『害獣』やクマには遅れをとったが、殊『対人戦』なら話は別だ。むしろ貴様らのほうが無駄な抵抗になると思うがな」
「いや、なんでそういう結論になるのか理解できません。さんざん『害獣』やクマにやられて死に掛けておいて、それに勝ったうちの戦士達には勝てるって、どういう理屈なんですか。意味不明ですよ、まったくもう」
連夜はあきれ果てたという様子を隠そうともせずに脱走兵の男を見るが、見られたほうは全く余裕を崩しはしなかった。むしろ笑みを深めて連夜のほうを射抜くように見つめる。
「凡人にはそう見えるかもしれんがな。体調さえ万全なら、下等生物達から奪った全能力をフル稼働で使う事ができる」
「いや、それなら『害獣』に襲われたときに使えばよかったのに」
「俺の能力は対人戦に特化していてな、それ以外ではあまり役に立たんのだよ。おかげで不覚を取る事になってしまったが、お前達が相手なら話は別だ」
「いや、全然話は別にならない気がしますけどね」
「論より証拠。特別に見せてやろう。選ばれし者の実力を。そして、それを見て・・・」
連夜の目の前で脱走兵の男の姿がブレる。そして、次の瞬間、男は連夜の前に現れた。凶悪な鉤爪が飛び出た右腕を振り上げ、連夜のほうに振り下ろさんとする。
「死ぬがいい」
暗く淀んだ瞳に醜悪な笑顔を浮かべた男は、目の前の少年の無残な最後を連想し、声を立てて笑おうとした。
しかし、それは果たされる事はなかった。
「ぷぎゃっ?」
奇妙な声を上げた後、男の体が真横に吹き飛んでいく。弾丸のような速さで宙を飛び、近くに生える木々に激突。そのうちのいくつかをなぎ倒して進んだ彼の体は一本の大木にぶつかってようやく停止する。
「ぐ、ぐぎぎ、い、いったい何が・・・」
木の幹にめり込んだ体をなんとか引き剥がして男は立ち上がった。だが、視界が悪い。先ほどまで見えていた視界の半分が見えていない。それもそのはず。彼の顔半分は見るも無残にへしゃげてしまっていた。
まるで何かに蹴られたような跡。
いや、まるでではない。実際に蹴られたのだ。連夜のすぐ側に立っていた一人の霊狐族の美女が間一髪のところで男を蹴り飛ばしたのだった。
その人物は勿論。
「玉藻さん、ありがとうございます」
「お姉ちゃん、すごい!」
「危ない危ない。危うく出番なく終わるところだった。ずっと連夜くんの側にいたのに難しい話ばっかりしてるから中に入れなかったわ」
連夜と晴美の感謝と賞賛の声に対し、何故か引きつった表情で意味不明の呟きをもらす玉藻。
しかし、すぐに表情を引き締めると、自分が蹴り飛ばした男に鋭い視線とたおやかな人差し指を突きつける。
「そこのあんた、よくぞ私の出番を作ってくれたわね! 感謝するわ!(ニコッ)」
「玉藻さん、本音が出ています」
「お姉ちゃん、(ニコッ)じゃないよ。何言ってるのよ、もう。折角褒めたところなのになんでそんな残念なの」
「し、しまった、つい・・・こほん。改めてもう一度。ちょっとそこのあんた、よくも私の大事な人を傷付けようとしてくれたわね! 許さないわよ!(キリッ)」
「お姉ちゃん、今更感が半端ないんだけど」
「だまらっしゃい。ともかく、前回晴美に圧倒的『力』を見せ付けるって約束した以上、あんたには悪いけど私の咬ませ犬になってもらうわ。覚悟しなさい」
「動機が不純すぎる」
「もういちいちうるさい。晴美は連夜くんを見習って黙ってみてればいいの! さて、いつもの奴いくわよ」
なんともいえない生暖かい瞳で見守っている連夜と、妙に冷めた視線でこちらを凝視してくる晴美に一瞬視線を送ったあと、玉藻はもう一度男のほうへ向き直って構えを取った。
「私の大事な人に手を出す奴は『狐』に蹴られて地獄に落ちろ!」